大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪家庭裁判所 昭和40年(家)4525号 審判 1966年11月28日

申立人 成田レン(仮名)

主文

被相続人亡小山テルの相続財産である

大阪府池田市○○○町一六番地の一

一畑五畝一二歩

を農地法第五条による大阪府知事の許可を条件として申立人に与える。

理由

本件申立の要旨は、申立人は被相続人の叔母であり、昭和一九年より被相続人死亡に至るまで同居し、家族の一員として生活し、被相続人に協力して来ており、被相続人の亡夫及び被相続人の葬儀をはじめ、同家の先祖の祭祀を営んでいるが、被相続人には相続人、受遺者もないので、申立人を特別縁故者として、主文記載の相続財産の分与を受けたい。ところで右財産は農地となつているが、現況その他の事情から宅地に地目の変更を為す必要があるので、農地法第五条による大阪府知事の許可を条件として分与する旨の審判を求めるというのであるが、本件調査の結果次の事実が認められる。

被相続人亡小山テルは、上記住所地において、昭和三八年一二月一五日死亡したが、同人には直系卑属なく夫、直系尊属はいずれも死亡しており兄弟姉妹はない。昭和三九年七月一三日相続財産管理人に谷本磯松が選任され(昭和三九年七月二九日公告)、同年一一月一四日相続債権者受遺者への請求申出の催告の公告(昭和四〇年一月一四日催告期間満了)、昭和四〇年二月一〇日相続人捜索の公告(同年八年二八日催告期間満了)がそれぞれなされたが、相続人、相続債権者、受遺者の申立はなかつた。

申立人は被相続人の亡父小山安蔵の妹であるが、夫に先立たれてから、被相続人の亡夫雄一の経営する業務を手伝つていた申立人の息子康一郎を頼つて上阪していた。ところが、昭和一九年三月頃被相続人夫妻が大阪市港区から池田市に住居を移転した折、被相続人から家事を手伝つてくれるよう頼まれ、以来同人宅へ同居するようになつた。申立人は農業の経験が豊かであつたことから、同家の家事一切の世話をした外田畑を耕作して作物を作り、家族の一員として戦中戦後の食糧難を切り抜けて来たものである。被相続人の亡夫はやがて失業状態となつたが、申立人が被相続人の農地を耕作することにより生計の一端を担つていたもので、続柄は叔母姪ではあるが、被相続人が病弱であり兄弟も両親も亡く、申立人を親の如く慕い、頼りにしていたから、申立人も親子同然の気持ちで日々被相続人に協力して来たものであり、被相続人の療養看護に尽くしたことは勿論葬儀をはじめ、同人の年忌、被相続人の亡夫及び亡母の年忌までも申立人が営んでいる。

以上認定の事実によれば、申立人は被相続人と特別の縁故があつた者と認め得るところ、相続財産は地目が農地であつて、この移転には農地法第三条の都道府県知事の許可を要することになるが、申立人は同法所定の農地を保有しないので右許可を得る見込みがないが、右土地の現況は既に農地ではなく、周囲の環境から住宅地区と化しているものと認められ、現在右土地の一部は府道(大阪南池田線)敷地の予定地になつており、申立人の現住家屋(元亡小山雄一の所有であり、申立人が被相続人らと同居以来居住しているもの)の敷地部分も同じく道路敷地に予定されているので、申立人は主文記載の土地の残地に別紙のとおり、家屋を建築し、これに永住する希望を有しているなどの諸事情から判断すると、農地法第五条による都道府県知事の許可を得る可能性は、充分に認め得るので、本件申立を相当と認め主文のとおり審判する。

(家事審判官 矢部紀子)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例