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大阪地方裁判所堺支部 昭和38年(ワ)275号 判決 1966年11月21日

原告 木寺楠太郎

右訴訟代理人弁護士 荒木宏

右同 脇山弘

右訴訟復代理人弁護士 小林保夫

被告 杉林正一

右訴訟代理人弁護士 植木幹夫

右同 植木寿子

主文

被告は原告に対し、金一九万六、六〇〇円およびこれに対する昭和三八年一二月二八日から右完済に至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

原告その余の請求はこれを棄却する。

訴訟費用はこれを三分し、その一を原告の負担、その余を被告の負担とする。

事実

一、当事者の求める裁判

原告は「被告は原告に対し、金四一万二、〇〇〇円および本訴状送達の日の翌日から完済に至るまで年五分の割合による金員を附加して支払え。訴訟費用は被告の負担とする」。との判決を求めた。

被告は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする」。との判決を求めた。

≪以下事実省略≫

理由

被告が富士工芸社の商号でタオル(他に旗幕風呂敷等)印刷業をしているものであること、昭和三八年七月三一日正午頃原告が被告方を来訪して、電気工事に関する予備点検をしたこと、被告がセパード犬一頭を飼育していることおよび原告が右犬に咬まれて受傷し、耳原病院に入院したことは、当事者間に争いがない。

そこで右事実に≪証拠省略≫を綜合すると、原告は電気工事の請負業を営むものであるが、訴外関西電力株式会社堺営業所管内工事組合を通じて被告から依頼をうけて、被告方建物内の引込みスイッチ取替電気工事を請負うことになって、昭和三八年七月三一日正午頃被告方に赴いたが、被告から右工事の外、工場洗場上の螢光灯の設置工事と、倉庫の室内螢光灯のつけ替工事をも依頼され、被告と共に工事箇所を点検したが、その際梯が必要であったので、被告から洗場の壁に掛けてあった梯を取ってもらって使用し、その点検を了え、本工事を二日後になす旨を約して帰宅し、同年八月二日午前九時頃同行の訴外木寺貞夫に材料を運ばせ、自らは被告方表玄関から入って被告の妻に挨拶をして、仕事をする旨告げ、工事に取りかかろうとして、被告方工場洗場の奥に立かけていた梯を取るべく、その場所に近づいたところ、その近くに鉄の鎖で繋がれていた被告飼育のセパード犬に突然右下腹を咬まれ、咬傷による腸壁の動脈が破裂し、昭和三八年八月二日より同月二三日まで耳原病院に入院し、同日より同年一〇月九日まで同病院において通院治療を受けたものであること、および右の梯は原告が点検の際使用して後被告または被告方家人が、右犬が繋留されている側に立てかけたまま置かれていて、原告が本件事故を起すまで他の何人もこれを使用しなかったこと、ならびに右のセパード犬は雄の六才で番犬として飼育され、体長が一、六五メートルもあって鎖で繋留しておかないと危険であり、かつて近隣の人に咬みついたこともある猛犬であることが認められる。≪証拠判断省略≫

ところで、原告は被告に対し、動物の占有者としての責任を問うので考察するに、およそ動物からの危険を防止するために、飼育者の採った処置は、その占有者として相当の注意義務を果したかどうかは、その動物の種類性質および周囲の情況に照し、その際採った占有者の具体的処置は相当であったかどうかによって決定せられるのであるが、犬の飼育主の依頼によって、電気の取付けその他修理工事をする他人が、その仕事の関係上鉄鎖で繋留されている犬に近づかねばならぬ必要があり、そのことが飼育主に予見せられる場合においては、他人に咬みつく癖のある犬を単に鉄鎖で繁いだだけでは、動物の占有者として相当な注意を払ったということはできない。すべからく、かかる場合は、飼育者において犬に口輪をはめおくか、または予め工事人に対し人に咬みつく癖のある危険な犬であることを告げ、犬を警戒し犬に接近する場合は家人の付添を求めるよう注意を与える等の処置に出ずる義務があるものといわなければならない。

ところが、本件は被告において前示セパード犬に口輪を施していなかったことはもちろん、被告は原告に対し、本件事故発生に至るまで全然右犬が他人に咬みつく危険な犬であるとの注意を与えていないことは前示の各証拠に徴し明らかである。

この点被告は、当日原告が来たことを被告方は知らなかったのであるから注意のしようもなかったと主張するが、工事場点検の際二日後に本工事に来ることを原告が被告に告げて帰って居るばかりか、当日原告が被告の妻に対し挨拶をして仕事を始める旨告げていることは前叙のとおりであり、また原告が工事場点検の際使用した梯をその後被告側において、元の保管場所に仕舞わずに裏庭の片角に立てかけていたのは、後日本工事のために来る原告が使用することあるを見越しての処置とみるべきであり、なお原告が被告の工事のためにわざわざ置かれてある梯を使用することは、原告のその使用につき当然被告の黙視による事前の承認があったものとみるべきであるから、原告が被告に無断で梯を使用した故起った事故であるから被告に責任がないとの被告の主張は理由がない。従って被告の本件犬を丈夫な鉄鎖で繋留していたから、飼育者としての保管の責任を全うしているとの抗弁はもちろん右の免責の抗弁は、すべて採用することはできない。

ところで、被告は、原告にも過失があるとして過失相殺を主張するので考察するのに、原告は被告から前記犬の危険性を予告されなかなたため、右犬に対し何ら危険を感ぜず、なにげなく犬に近づき梯を取らんとして、前記のごとく下腹部を咬まれ受傷したのであるが、右の際原告としても、右犬は大きなセパード犬(この種の犬は、人に対する警戒心が強く危険性の多いことは、通常人のひとしく認識するところである)であることは、一見して知りえたであろうし、かつ右犬が鉄鎖で繋がれている位であるから、近づけば危険であることは、容易に察知しえた筈である。従って前記梯を取出すについて、できるだけ犬から離れた場所からこれを取るか、もしそれができないときは、被告または被告方家人に告げて梯を取って貰うべきであったのに、その注意を怠り漫然鉄鎖に繋がれていた犬の行動範囲内に立入ったため、該犬の一撃に会ったものであることは容易にこれを窺うことができる。

そうすると、原告にも過失があったものというべきであるが、当裁判所は右双方の過失の比を、原告の過失を三、被告のそれを七と認める。

なお被告は原告において咬傷後適切な医療措置を講じてもらうことなく、被告の注意をも無視して暫時仕事に従事し、傷害を拡大せしめた過失がある旨主張するが、これが因果関係を認めるに足る証拠がないばかりか、原告が終始医師の指示に従い行動したのであって、当初診察をした医師が予期しなかった下腹内部に隠れた受傷があったがため、治療に時間を要したものであることが、≪証拠省略≫により認められるので、治療の長期化に対して原告に何らの責任はない。

よって次に損害額を検討する。

≪証拠省略≫によると、原告が右咬傷のため昭和三八年八月二日から同月二三日まで堺市協和町所在の耳原病院に入院して手術加療をうけ、なお同月二四日より同年一〇月九日まで通院治療を受けたため、右の各期間前記事業を休業するのやむなきに至り一日金二、〇〇〇円の得べかりし利益を喪失したものなることが認められる。しかし原告は同年一二月一〇日まで休業したと称するが、それは本件とは別個の事故のためであることは、≪証拠省略≫により明らかであるので、昭和三八年一〇月九日以後の休業についての原告の請求はこれを認めない。

そうだとすれば原告の休業した日数は六九日間であるから計一三万八、〇〇〇円を喪失したこととなるが、原告の前記過失を相殺すると、原告の被告に対する逸失利益についての請求額は金九万六、六〇〇円である。

なお≪証拠省略≫によると、原告は右咬傷により入院手術前後は劇しい痛みに苦しんだ外、嘔吐めまい頭痛を訴えたことが、認められるので、原告のこの肉体的精神的苦痛に対し慰藉せねばならぬところ、前記原被告の過失の程度、原告の年令(当時六一才)原告の家庭の事情ならびに家計状態その他諸般の事情を斟酌すると、原告の請求しうる慰藉料額は金一〇万円を以って相当と信ずる。

そうすると、被告は原告に対し、金一九万六、六〇〇円およびこれに対する本件訴状が被告に送達された日の翌日であることが、本件記録に徴して明らかな昭和三八年一二月二八日から右完済に至るまで、民事所定利率年五分の割合による遅延損害金を支払う義務のあることは明らかであるから、その限度における原告の請求を正当として認容するも、その余は失当であるのでこれを棄却することとし、民事訴訟法第九二条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 依田六郎)

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