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大阪地方裁判所 昭和61年(わ)3368号 判決 1988年12月27日

主文

被告人を懲役四年に処する。

未決勾留日数中八〇〇日を右刑に算入する。

押収してあるビニール袋入り覚せい剤結晶一袋(昭和六一年押第五二六号の3)を没収する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、定職に就かず、所持金が乏しくなったことから、酔っ払いなどから金員を窃取しようと考え、大阪市北区内の梅田地下街を徘徊しながらその機会を窺っていたものであるが、

第一  昭和六一年六月三日午後八時ころ、大阪市北区<住所省略>美スギ化粧品専門店内において、同店店長A管理の裁鋏一本(時価約一〇〇〇円相当)を窃取し、

第二  同日午後八時四〇分ころ、同区<住所省略>のアイスクリーム店ハーゲンダッツ梅田地下センター店付近通路において、同所を通行していたB(当時二四歳)が左腕にかけていた手提バック内から鍵三個を装着したキーケース一個在中のポーチ一個(時価合計一万一五五〇円相当)を抜き取り窃取し、直ちに前記ハーゲンダッツ店内に入って右ポーチの中味を改め店外へ出ようとしたところ、同女から「この人すりです。捕まえて下さい。」と叫ばれ、左腕をつかまれた際、同女の手を振り払って逃げようとしたが、同女が手を離さなかったので、逮捕を免れるため、右裁鋏を同女の左頬に突き付け、同女の背後から左腕で同女の頸部を絞めながら通路上に引き倒し、押さえ付けるなどの暴行を加え、よって同女に通院加療約五日間を要する顔面、右肘、左上腕擦過創等の傷害を負わせ

第三  法廷の除外事由がないのに

一  同日午後四時ころ、同市西成区<住所省略>ホテル「アポロ」三〇一号室において、フェニルメチルアミノプロパンを含有する覚せい剤〇.〇九グラムを水に溶かし、自己の身体に注射して使用し

二  同日午後八時四五分ころ、同市北区曽根崎二丁目一六番一四号大阪府曽根崎警察署梅田地下街警備派出所内において、フェニルメチルアミノプロパン塩酸塩を含有する覚せい剤結晶〇.〇九グラム(昭和六一年押第五二六号の3は鑑定後の残量)を所持したものである。

(証拠の標目)<省略>

(弁護人の主張に対する判断)

一  弁護人は、判示第二の事実につき、被告人がポーチを窃取した事実はなく、したがって、被告人の行為は強盗致傷罪ではなく単なる傷害罪にあたると主張し、被告人も、当公判廷においてこれに沿う供述をする。

しかしながら、被害者Bは公判廷において、被害の際の状況等につき証人として具体的、詳細に供述しているところ、現場の状況等に照らし、同証人に見間違いや勘違いが生ずる可能性はほとんど考えられず、また、同証人においてことさら虚偽の供述をしているような節は全く窺われないのであって、その供述は十分信用することができる。弁護人は、被害者が右腰のあたりを触られて右側を向いたときに、被害者の左手に持っていたバックからポーチを取ろうとしていた犯人を目撃することは不可能であり、また、被害者がバックの中を確かめる間には、当然のことながら犯人の動きを目で追っているわけではないなどの点を指摘し、被害者の供述は信用できないというのであるが、このように被害者の一瞬の動きを分断し、その時点だけを捕らえて被害者の供述全体の信憑性を論ずることは相当ではなく、地下の繁華街とはいえそれほど人が密集していない状態の時に、被害者の至近距離に近付いてポーチを抜き取り、そのまま前方に歩いて右斜め前方約一〇メートル足らずのアイスクリーム店に入った被告人を、被害者において現認することが困難であったとは考えられない。そして、関係各証拠によれば、すりではないかと思った被害者は、被告人の動行を注視し、被告人が前記アイスクリーム店に入って直ぐに、右ポーチを手に持って同店から出て来るのを見付けるや、「この人すりです。捕まえて下さい。」と大声で叫ぶとともに、逃げようとする被告人の手をつかんだというのである。

一方、被告人は、公判廷においてポーチの窃取を否認し前記アイスクリーム店の前に立って(妄想上の)追跡者を確認しようと思っていたところ、目の前を通った人が付近の花壇にポーチを投げ入れるのを見ていたので、被害者から左手をつかまれ「この人すりです。」と言われた際、このことではないかと思って鋏を持った右手でポーチを被害者に渡したと供述する。しかし、関係各証拠によれば、被告人は、昭和六一年六月三日午後八時四三分ころ、判示第二の犯行中に警察官に現行犯逮捕され、曽根崎警察署梅田地下街警備派出所に連行されたが、その時点ですでに自己の犯行を認めて謝罪するような態度を示し、同日午後九時二〇分ころ曽根崎警察署(右派出所の三階)で司法警察員に引致され、間もなく同日午後九時三〇分ころなされた司法警察員による弁解録取においては、ポーチの窃取を含め被疑事実を全面的に認める供述をしたのを始め、その後の捜査官に対する供述はもとより、裁判官の勾留質問に際してもこれを認める供述をしていることが認められる。この点につき被告人は、当時覚せい剤の影響により誰かに追跡されているという幻覚があり、殺されそうな恐怖感があったため、調書を取ったら留置場に入れてやるという警察官の言葉に従って、警察官の言うとおりの調書の作成に応じたというのであるが、当時、被告人がある程度覚せい剤の薬理作用の影響下にあったことは認められるものの、後記のとおりその影響は被告人の行為を支配するほどのものではなかったことが認められる上、関係各証拠によれば、逮捕後の被告人の行動には、多少の不安感をうかがわせる言動のほか、覚せい剤の禁断によるいわゆる離脱症状と考えられるものを除けば、格別異常を疑わせるようなものは認められず、他の被告人の捜査段階における各供述の信用性を疑わせるような事情も認められない。そして、被告人のこれら捜査官に対する供述の内容及びその供述経過等からすれば、その信用性は十分というべきである。

これに対し、被告人の公判廷における供述(公判調書中の供述記載を含む。)は、極めて不自然、不合理な部分が多く到底信用できない。

そして、これら関係各証拠を総合すれば、被告人が被害者から判示のポーチを窃取した事実及び逮捕を免れるため被害者に暴行を加えた事実は優にこれを認めることができる。

二  次に弁護人は、判示第一及び第二の犯行(以下、この項において本件各犯行ということがある。)当時、被告人は覚せい剤使用の影響により、事物の理非善悪を弁別し、またはそれに従って行動する能力を喪失しており、あるいは少なくともその能力を著しく減退していたと主張するので、この点につき以下検討する。

1  関係各証拠によれば、被告人は昭和六〇年初めころから覚せい剤を常習的に使用するようになり、最近では一日に二、三回、一回につき覚せい剤約〇.一グラムを使用しており、本件各犯行前には、これに先立つ数時間前の昭和六一年六月三日午後四時ころにも覚せい剤約〇.〇九グラムを身体に注射して使用した(判示第三の一の事実)ことが認められる。

ところで、本件各犯行の前後にわたり、覚せい剤の影響と考えられる被告人の言動で客観証拠により認定できるものとしては、次の各事実を認めることができる。すなわち、

(一) 被告人は、本件各犯行の二日前である六月一日午後八時ころ、割れた野球バットを自転車の前かごに入れて走っていたところ、警察官に咎められ、その追跡を受けた際、バットを手にして敢えて攻撃的な態度を示し、そのために警察署に連行された後も、警察官の質問に対し自ら「強盗傷人をしてきた。」などと、二五年も昔の事件について今やってきたように述べた。

(二) 本件各犯行の前日である六月二日、被告人の子供二人を預けている大阪市立弘済院に三度(午前一〇時、午後二時及び同八時過ぎ)にわたって電話をし、応対に出た職員に対し「これから自分がどうなるか分からない。」、「悪いことをして(盗みなど)人に追われている。逆探知されている。」、「覚せい剤を打っていることは事実なのだから子供に言え。」などと言い、同職員に了解困難なところがあるという印象を与えた。

(三) 判示第二の犯行の被害者Bに暴行を加えた際、そこに集まってきた周囲の人々に対し「近寄るな。」などという脅し文句だけでなく、「お前ら卑怯だ。」、「汚いぞ。」と言うなど、その場の状況からすればややそぐわない言葉を投げかけている。

一方、被告人は、公判廷の供述あるいは鑑定人らに対する供述において、本件犯行の数日前から覚せい剤取引にかかわる関係者に追いかけられている感じがして逃げ回っており、本件犯行時も追跡者から攻撃を受けないように地下街を歩き回っていたところ、突然被害者から腕をつかまれたので、同女が覚せい剤取引にかかる関係者の仲間であり、自分をすりに仕立て上げて捕まえようとしていると思ったというのであるが、これら供述内容は、右の諸事実に符合する部分があり、以上の各事実に徴すると、被告人は本件犯行の前後ころ、何らかの被害妄想、追跡妄想を抱いていたであろうことは十分推認することができる。

加えて、関係各証拠によれば、被告人は、本件により逮捕された後、それほどの時を経ずに弁解録取書、供述調書及び任意提出書など合計四通の書類に署名、指印しているが、そのうち一通の任意提出書(検察官証拠請求番号40)にした署名などの文字に著しい震えがあること、勾留場所である大阪府曽根崎警察署代用監獄の留置担当者に対し、「シャブをくれ。」と要求したことがあるほか、勾留されて約一〇日後の六月一五日には、「虫が襲ってくる。」などと訴えるいわゆる覚せい剤の離脱症状とみられる現象も認められる。

これらの事実を総合すると、被告人には当時、覚せい剤の薬理作用による精神障害があったことは否定できない。

2  しかし、覚せい剤中毒による精神障害は、精神分裂病などの真性の精神病と違って、人格の核心を冒すことが少なく、幻覚・妄想状態にあってもなお自己の意思によって行動を選択したり制御したりする可能性が残っていると期待できる場合が多いとされているところであって、被告人が犯行当時幻覚、妄想を抱いていたとしても、責任能力の有無及び程度について判断するためには、さらにその確信性、行動支配性あるいは犯行と動機、手口との関連性等についてさらに検討しなければならない。

そこで、本件各犯行当時被告人が抱いていた妄想の内容及びその程度について検討する。

まず、当時、被告人が抱いていたと思われる妄想の内容につき被告人自身が述べる(公判供述及び鑑定人らに対する供述)ところにより検討、整理すると、要するに、被告人は覚せい剤取引の関係者に追いかけられるように感じられたり、その相手は見えないが、「あいつを殺してしまう。」とか「子供も、ただ餌だけ与えてほったらかしだ。」などという声が聞こえたというのである。

ところで、被告人は、このような妄想があったことを前提として、これを確認するため五月三一日ころ、岡山や京都まで行ってみたところ、大阪ナンバーの自動車を見かけたりしたのでやはり追跡されていると思ったり、六月一日以後も追いかけられているような感じがしたので住之江、阿倍野、我孫子あたりを自転車で走り回ったり(その間、東住吉で警察官の職務質問を受けた。)、弘済院に電話をしたり、最終的には、人通りの多い梅田地下街に来て、相手を確認しようとしたが、結局確認することができず、そこで、相手を威嚇するために店先から裁鋏を持ち出し、相手からの攻撃を避けるために歩き回っているうちに、突然被害者から腕をつかまれ、「この人すりです。」言われたので、被害者を投げ飛ばしたと供述しており、これらによれば、本件各犯行当時、被告人は、覚せい剤中毒による妄想に支配されていたと考えられなくはない。

しかしながら、この点についての被告人の右供述には次のような疑問がある。第一に、被告人は、捜査段階においてこのような妄想があったことを一切述べていない。被告人は、捜査官に対して本当のことを言っても信じてもらえないと思い、捜査官が言うままに調書を作成したと言うのであるが、動機が相当重要な問題となる事件において、捜査官が被告人から事件に至る経過等を聞かずに勝手に調書を作成するとか、聞いてもこれを全く無視するとは考えにくい上、関係各証拠によれば、被告人は本件各犯行により曽根崎警察署に連行された直後から謝罪するような態度を示していること、被告人は逮捕直後に取られた弁解録取書及び司法警察官に対する供述調書から一貫して本件各犯行を認める供述をしていることが認められ、捜査段階において被告人にはこのような妄想に支配されていたことを取調官に訴えようとする意向があったとは認め難いといわざるを得ず、被告人は、当時、これらの妄想につきそれほど強い確信を持っていなかったと推認するのが相当である。第二に、被告人の公判供述及び鑑定人らに対する供述は、明らかに不合理な点や、客観的事実に符号しない点が随所に認められる。まず、被害者Bからポーチを抜き取ったことについて、被告人は、捜査段階では一貫して認めながら公判廷では否認しているが、これが明らかに事実に反することは、すでに説示したとおりである。また、裁鋏を窃取した動機については、自転車の鍵を開けるためと述べたり、あるいは追跡して来る相手を威嚇するためと述べ、さらに、これをハンカチに包んで隠した理由についても、人目に付かないようにするためと述べたり、あるいは刃先が欠けているのを隠すためであると述べ、相互に矛盾、不一致が著しく、責任能力の判断に影響を及ぼす程度の体系付けられた妄想に支配されていた者の供述内容にはそぐわない矛盾や変遷が認められる。さらに、犯行後警察官に逮捕された後のことについても、取調中恐怖感のために机の下に横になって潜り、机の金具につかまっていたと述べるのであるが、その状況は本件の目撃証人であり、その後警察署まで同行したCの供述を始め他の関係証拠に照らし、明らかに大げさであるといわざるを得ない。これらの点に徴すれば、被告人は、妄想の程度やその影響について、誇張して供述しているのではないかとの疑いが払拭できない。

しかも、被告人は、追跡妄想を抱きながらも、もっぱら逃避的な行動を取っているのではなく、追跡者の正体を見てやろうとしたり、逆に攻撃的な行動を見せるなどしているほか、犯行の二日前には東住吉署の警察官に連行され、覚せい剤の使用を疑われ、腕を調べられた際も、灸の跡であると弁解し(被告人が灸をしていたことは、事実であると認められる。)、それ以上の追及を受けることなく釈放されていることからしても、それほど切迫した状況は感じられない。

以上の諸事情を総合すると、本件各犯行当時、被告人がある程度の追跡妄想を抱いていたとしても、これを確信し、これに支配されるような状況にはなかったものと認めるのが相当である。

一方、本件各犯行当時、被告人は所持金が五〇円しかなく、宿泊の当ても、金策のめどもなかったのであるから、所持金に窮して通行人から金員を窃取しようと企て、巧みに被害者からポーチを抜き取ったところ、発見、逮捕されそうになったため、逮捕を免れるために暴行に及んだとの捜査官に対する供述は極めて合理的であり、これによれば、本件犯行の動機は十分了解可能なものであって、ことさら異とすべき点はない。のみならず、その犯行の手口においても、裁鋏の窃取については、店員に「荷物の紐を切りたいので貸して下さい。」などと言い、店員があっけに取られているうちに持ち去ったものであり、ポーチを窃取した際にも、被害者の背後からその右腰を触り、被害者が一瞬これに気を取られた隙に被害者が左手に提げていたバッグの中から抜き取ったものであって、相当巧妙であり、被告人に目的に従って自己の行動を制御する能力が十分に備わっていたことを窺わせるものということができる。また、被告人は、被害者のポーチを窃取した後、判示ハーゲンダッツ店内でポーチの中味を確認して同店を出ようとした際、被害者から「この人すりです。」と叫ばれるや、「違う。」などとこれを否定し、被害者の傍らをすり抜けて逃げようとしたことが認められる。しかして、右の言動自体、被告人において、すり行為が法規範に抵触することを十分認識していた証左であるといえる。さらに、被告人は、被害者から腕をつかまれ、その手を振り払って逃げようとしたが、同女がなかなか手を離さなかったので、同女の首に左手を回わして路上に引き倒し、右手に持っていた裁鋏を突き付けるなどの暴行を加えたのであるが、右の挙動も、被告人が反社会的人格障害(鑑定人樫葉明の鑑定)、意志欠如、惰性希薄型の精神病質(鑑定人福島章の鑑定)と診断されていることに照らせば、犯行の発覚と被害者による予想外の抵抗に会い、動揺と興奮の余り、逮捕を免れるため、とっさにとった行動として了解できないものではない。

鑑定人福島章作成の鑑定書によれば、被告人の本件各犯行当時の精神状態は、意志欠如、惰性希薄などの偏りが著しい精神病質の上に覚せい剤乱用による覚せい剤中毒精神病が加わっており、被害妄想、関係妄想、追跡妄想、錯覚などが体験されていたが、本件各犯行に際しては、行為の不法性を認識する能力は保持されており、精神病的症状が行為の動機と直接には関係していないというのであって、右鑑定の結果は前示諸事実に徴し十分首肯するに足り、右鑑定結果をも併せ考えると、被告人は本件各犯行当時、理非を弁別し、これに従って行動する能力を欠いていなかったことは勿論、それが著しく減退した状況にもなかったと認めるのが相当である。

3  これに対し、鑑定人樫葉明作成の鑑定書によれば、本件各犯行当時及びその前後における被告人の精神状態は、覚せい剤乱用による中毒性精神病状態であり、それと本件各犯行との関連につき、裁鋏の窃取については病的症状に支配された臨戦態勢をとるために必要な行為であり、ポーチの窃取については、病的症状に動機付けられた行為ではないものの、病的症状に基づく包囲攻撃状況下にあったことから、行為の有責性は完全ではなく、引き続いて被害者に暴行を加えた点は、追跡者に対する臨戦態勢であり、周囲の攻撃に備えた行為であって、病的症状に基づいたものであるというのである。

しかしながら、右鑑定は、被告人の幻覚、妄想の程度、内容につき、主として被告人の同鑑定人に対する訴えに依拠し、これを前提として当時の被告人の精神状態を考察し、判断をしているものと考えられるが、被告人が幻覚、妄想について公判廷で述べ又は右鑑定人に対して述べるところは、前示のとおり不合理な点や、相互に矛盾する点が多々あり、他の関係各証拠に照らし、その真摯性、確信性等については慎重な吟味が必要とされるべきところ、同鑑定においては、ややもすれば被告人が述べる病的体験が覚せい剤中毒患者のそれの一般像の範疇に入るかどうかに判断の重点が置かれ、捜査段階の被告人の供述を始め、他の客観証拠との対比が必ずしも十分になされていない憾みが残ると言わざるを得ない。

また、同鑑定は、被告人が被害者に腕をつかまれたのに対し同女に暴行を加えた点については、被告人には包囲状況で逃げる意志がなかったと断じ、そのことから妄想的確信が高まっていったと結論付けている。なるほど、この段階において被告人に何らかの妄想があった可能性は否定できない。しかし、未だ人通りも少なくない繁華な地下商店街において、被害者に腕をつかまれ、これを振り切って逃げることが体力的に不可能なことではないにしても、犯行の性格によっては所携の凶器を用いて被害者を脅迫し、あるいは暴行を加えて居直り逃げる隙を窺うことも通常あり得ないことではなく、妄想に支配されていると解釈しなければ説明できないほど不自然であるとも考えられない。このように、同鑑定が前提としている本件の具体的な事実関係、特に犯行前後の被告人の抱いていた幻覚、妄想の程度、態様及び本件各犯行の動機並びにこれらの点に関して述べられている関係者の供述の理解の方法等の諸点において、当裁判所の認定判断と異なるところが少なくなく、したがって、同鑑定人の所見にはにわかに賛同しがたいというべきである。

よって、弁護人の右主張は採用することができない。

(法令の適用)

被告人の判示第一の所為は刑法二三五条に、判示第二の所為は同法二四〇条前段(二三八条)に、判示第三の一の所為は覚せい剤取締法四一条の二第一項三号、一九条に、判示第三の二の所為は同法四一条の二第一項一号、一四条一項にそれぞれ該当するので、所定刑中判示第二の罪について有期懲役刑を選択し、以上は刑法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により最も重い判示第二の罪の刑に同法一四条の制限内で法定の加重をし、なお犯情を考慮し、同法六六条、七一条、六八条三号を適用して酌量減軽をした刑期の範囲内で被告人を懲役四年に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中八〇〇日を右刑に算入することとし、押収してあるビニール袋入り覚せい剤結晶一袋(昭和六一年押第五二六号の3)は、判示第三の二の罪に係る覚せい剤で犯人の所有するものであるから、覚せい剤取締法四一条の六本文によりこれを没収し、訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項ただし書を適用して被告人に負担させないこととする。

(量刑の理由)

本件は、被告人が未だ人通りの少なくない地下街の店先から裁鋏を持ち去った(判示第一の所為)上、同所を通行中の女性が手にしていたバッグからポーチを抜き取ったところ、これに気付いた同女に腕をつかまれ、「この人すりです。」などと叫ばれたことから、逮捕を免れるため、とっさに同女に暴行を加え、その結果同女に傷害を負わせたという強盗致傷(判示第二の所為)の事案に加え、覚せい剤の所持及び使用各一件の罪を犯した(判示第三の各所為)というものである。ことに右強盗致傷の犯行は、巧妙な手口でポーチを抜き取り、これに気付いた被害者から逮捕されそうになるや、何ら落ち度のない被害者に対し、一方的に暴行を加えて人質に取ることにより多大の恐怖感を与えたもので、犯情は悪質である。また、これについては慰謝の措置も講ぜられておらず、被害感情も緩和されていないこと、さらには被告人は公判廷において必ずしも合理的とはいえない弁解を続け、反省の情が十分とは言い難いことなどの事情に照らせば、被告人の刑責は重いといわなければならない。

もっとも、本件は、前示のとおり被告人の責任能力には影響しないとはいえ、覚せい剤の影響による追跡妄想を背景としてなされたものであることは否定し得ず、これが自ら招いた障害であることを考慮しても、被告人の量刑を考察する上において全く無視し去ることはできない。その他、判示第一及び第二の各罪に係る財産的被害は軽微なものであり、特に判示第二の被害品であるポーチは被害者に還付されていること、被害者の傷害も比較的軽微な擦過傷にとどまったこと、被告人は昭和四四年三月前刑を終了した後は、久しく処罰を受けていないことなどの諸事情を勘案し、主文の刑を量定した。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 西川賢二 裁判官 笹野明義 裁判官 中山孝雄)

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