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大阪地方裁判所 昭和60年(ワ)6593号 判決 1990年4月23日

原告

阪倉恵

被告

大上紀子

主文

一  被告は、原告に対し、二五七万〇〇六九円及びこれに対する昭和六〇年八月二四日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを二〇分とし、その一を被告の、その余の原告の各負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、九三〇七万〇〇二一円およびこれに対する昭和六〇年八月二四日から支払ずみまで年五分の割合の金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

3  仮執行免脱宣言

第二当事者の主張

一  請求原因

1  交通事故の発生

(一) 日時 昭和五八年八月二二日午後三時三五分頃

(二) 場所 北海道常呂郡留辺蘂町字富士見 北見国道石北峠九四・六キロ地点先路上(以下、「本件事故現場」という。)

(三) 事故車両 普通乗用自動車(登録番号、京五七る一六八号。以下「事故車」という。)

右運転者 被告

(四) 態様 被告は、事故車の助手席に原告を同乗させて、時速約六〇キロメートルの速度で前記道路を北見方面から旭川方面に向かつて進行中、本件事故現場の左カーブを曲がり切れず、事故車を道路右側路外に逸脱させ、工事用バリケード多数に接触させてこれを倒したのち、ハンドルを左に切つて、北見方面に向かう対向車線上に事故車を進出させ、折から対向車線上を進行してきた訴外水野富男運転の特定大型貨物自動車(登録番号、北一一あ九八一号、以下、「水野車」という。)の左側面に自車左前部を衝突させた(以下「本件事故」という。)。

2  責任原因

被告は、本件事故当時、降雨のため路面が湿潤し滑走しやすい状況にあつたうえ、本件事故現場は左方に曲るカーブになつていたのであるから、前方を注視するのはもちろん、速度を同所の制限速度である二〇キロ以下に調節し、ハンドル操作を的確にして、進路の安全を確認しながら進行すべき注意義務があつたのにこれを怠り、居眠り運転をして時速六〇キロの速度のままで事故車を進行させた過失により、事故車を路外へ逸脱させ、更に前記のとおりハンドルを左に切つて、事故車を対向車線上に進出させて、水野車の左側に自車左前部を衝突させ、もつて本件事故を発生させたものであるから、民法七〇九条に基づき、本件事故によつて原告に生じた損害を賠償する責任がある。

3  損害

(一) 原告の受傷等

(1) 受傷内容

原告は、本件事故により、頭部、顔面、頸部、左足及び右膝を強打し左足の捻挫・挫創、左足関節挫傷、右膝関節挫創、顔面挫創及び頸部・両肩・胸部挫傷等の傷害を受けた。

(2) 治療経過

原告は、前記傷害の治療のため、次のとおり入通院して治療を受けた。

<1> 昭和五八年八月二二日から同月二三日まで北海道常呂郡留辺 町所在の延松病院に入院

<2> 昭和五八年八月二六日から同月三一日まで八尾徳洲会病院外科に通院

<3> 昭和五八年八月二七日から同月三〇日まで八尾市立病院耳鼻科、眼科に通院

<4> 昭和五八年九月二日から同年一一月八日まで国立泉北病院外科、脳外科、整形外科に通院

<5> 昭和五八年二月四日から同年一二月二一日まで北野病院整形外科脳外科、放射線科に通院

<6> 昭和五九年一月九日から同年五月五日まで兵庫県美方郡温泉町所在の湯村温泉病院に入院

<7> 昭和五九年四月二三日から同年五月六日まで国立大阪南病院に通院

<8> 昭和五九年五月七日から同年一〇月三一日まで同病院に入院

<9> 昭和五九年一一月一二日から同六二年一二月四日まで同病院整形外科、脳外科、神経科、眼科、耳鼻科に通院

<10> 昭和六二年一二月九日から同六三年六月一五日まで同病院に入院

<11> 昭和六三年五月一八日、同年六月一日に天理よろづ相談所病院に通院

<12> 昭和六三年七月一一日以降国立大阪南病院に通院

(3) 後遺障害

原告は、前記のとおり治療を受けたが、完治するに至らず、前記傷害に起因する次のとおりの後遺障害を残している。

<1> 眼の障害

原告の視力は、本件事故前は両眼とも矯正で常に一・〇であつたものが、本件事故により両眼とも矯正で〇・四ないし〇・三に低下しており、右視力障害は、自動車損害賠償保障法(以下、「自賠法」という。)施行令二条別表の九級一号(両眼の視力が〇・六以下になつたもの)に該当するとともに、原告と同程度の年齢の通常人の眼球の調節力は7D(ジオプトリー)であるところ、本件事故により両眼とも1Dと通常人の七分の一に低下しており、右調節機能障害は、同一一級一号(両眼の眼球に著しい調節機能障害又は運動障害を残すもの)に該当する。

<2> 神経系統の機能の障害

原告は、本件事故により、頭部及び頸部を強打したため、頸随症及び体温調節機能不全、異常発汗等の頸部交感神経失調症状が著しく、そのため体温が常に通常人より約一度高い三七度前後あつて、冬でも薄着をして窓を開けて生活しなければならず、冷暖房や湯気に当たつたり、騒音にさらされたりするとすぐに甚だしく気分が悪くなる。また、常に頭を押さえつけられるような感じがして、頭痛、頸部痛、眩暈、吐き気等が起こり、勤務先の八尾電報電話局の勤務に耐え得なくなつたので、日本電信電話株式会社を休職せざるを得なくなり、平成元年九月一一日に同社を解雇されるに至つた。従つて、右障害は、同九級一〇号(神経系統の機能または精神に障害を残し、服することができる労務が相当な程度に制限されるもの)に該当するものというべきである。

<3> 頸椎の障害

合四級に相当するものというべきである。

(二) 損害額

(1) 治療費 二五二万九六七八円

原告の前記治療のために次のとおり治療費を要した。

<1> 国立大阪南病院再入院費用 一七八万二五八〇円

<2> 通院費用(文書料を含む) 七三万八〇九八円

八尾徳洲会病院(文書料) 一五一〇円

国立泉北病院 七万〇一七〇円

外科 二万六四九〇円

脳外科 一万七三一〇円

整形外科 一万四三七〇円

文書料 一万二〇〇〇円

北野病院 一五万四四八〇円

脳外科 四万〇七四〇円

整形外科 八万七四〇〇円

放射線科 二万六三四〇円

国立大阪南病院 五〇万八六八八円

天理よろづ相談所病院 三二五〇円

<3> 湯村温泉病院文書料 九〇〇〇円

(2) 補装具代 一二万二八八二円

右膝用装具D軟性 一万〇七〇〇円

右短下肢装具軟性 八六〇〇円

ステツキ 三五〇〇円

杖先ゴム代 六〇〇円

アルミ製両松葉杖 九〇〇〇円

同先ゴム代 一六八二円

夏用・冬用靴各一足 三万二七〇〇円

足底装具(採寸込) 一万四〇五〇円

靴修理費 一三〇〇円

破壊眼鏡買替代金 四万〇七五〇円

(3) 治療諸雑費 一〇九万〇九二〇円

<1> 入院雑費 五三万五七〇〇円

原告は、前記入院期間(計四八七日)中、少なくとも一日あたり一一〇〇円、合計五三万五七〇〇円の雑費を要した。

<2> 治療用雑費 二六万五四一四円

<3> 医師・看護婦等への謝礼及び土産二二万五五九〇円

<4> 栄養食費 六万四二一六円

<2><3><4>の内訳は別表第一記載のとおり

(4) 付添費 五二万六〇〇〇円

原告は前記後遺障害のために、一人では入浴できず(しゃがむのが困難で、湯気のために気分が悪くなり倒れることもある。)、歩行には半介助を要するので、随時付添看護を必要とし、昭和五八年八月二五日から同五九年一月八日までと同年五月六日の計一三七日間、自宅において母と姉による付添看護を受け、また湯村温泉病院入院中延四六日間、第一回目の国立大阪南病院入院期間中延四九日間、それぞれ父、母、姉による付添看護を受け、更に、第二回目の国立大阪南病院入院中三一日間、母による付添看護を受けたので、(総付添看護日数二六三日)、一日当たり二〇〇〇円、合計五二万六〇〇〇円相当の損害を被つたものというべきである。

(5) 交通費 二四九万三七三〇円

原告は、北海道からの帰宅、前記入・通院、前記付添看護及び入院用品の運搬のためや、栃木県の独協医科大学病院の星野整形外科部長が鞭打ち症や捻挫の治療においてきわめて優秀であると聞き、同部長の診察を受けるため父母と共に同病院に赴くため、更に、当時勤務していた八尾電報電話局において原告の代替要員がなく、昭和五八年九月一二日から昭和五九年一月六日までタクシーを利用して出勤する必要があつたことや、本件公判期日への出廷及び原告訴訟代理人との打合せ等のために、別表第二のとおり、合計二四九万三七三〇円の交通費を要した。

(6) 転居費用 一一万二〇八〇円

原告は、本件事故当時、父母宅から離れて堺市原山台の公団住宅で独居生活していたが、前記後遺障害により前述のように家族の介助が必要になり、独居生活が不可能になつたため、医師の指示により、昭和五九年一一月三〇日に父母宅へ転居し、その際以下のとおり合計一一万二〇八〇円の費用を要した。

<1> 原山台の公団住宅の修理費負担額 二万一〇八〇円

<2> 手伝い人三人に対する謝礼 三万円

<3> 貨物自動車一台借用の謝礼 二万円

<4> 右ガソリン代(二往復) 七五〇〇円

<5> 乗用車一台借用の謝礼 一万円

<6> 右運転者一人に対する謝礼 一万円

<7> 右ガソリン代 三五〇〇円

<8> シート、ロープ等借用の謝礼 四〇〇〇円

<9> 以上の手伝い人及び運転手の食事代 六〇〇〇円

(7) 休業損害 一五九万三五九七円

原告は、本件事故当時八尾電報電話局料金課に勤務していたが、前記受傷により、昭和五九年一月九日から同年四月八日まで病気休暇、同年同月九日から昭和六〇年三月八日まで病気休職となつたため、昭和五九年三月より同六一年三月三一日までの間における基本給、暫定手当、住居手当、特勤手当及び特別手当の減額により、合計一五九万三五九七円の損害を被つた。

(8) 逸失利益 六五四八万一五三四円

原告は、前記後遺障害により昭和六一年四月一日以降平均してその労働能力の少なくとも九二パーセントを喪失したものというべきであるから、昭和六〇年四月一日から同六一年三月三一日までの収入総額三七一万〇三四七円を基礎収入とし、就労可能期間を三四歳(原告は昭和二七年二月一〇日生で、昭和六一年四月一日当時の年齢は三四歳である。)から六七歳までの三三年間として、ホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して、昭和六一年四月一日現在の現価として算定した六五四八万一五三四円相当の得べかりし利益を喪失したものというべきである。

(9) 自家用車売却による損害 一八万九六〇〇円

原告は、昭和五七年九月二〇日にスバルレツクスコンビオートクラツチ軽貨物自動車(KMIA36T、エアコン付、総排気量〇・五四リツトル)を新車の状態で六六万九〇〇〇円で購入し、その際、取得税一万七七〇〇円、重量税八八〇〇円、自賠責保険料一万二九〇〇円、登録費一万九〇〇〇円、自動車共済掛金一万五五〇〇円を支払い、更に本件事故までに合計価格二三万六三〇〇円相当の備品を右自動車に備え付けたので、右自動車に合計九七万九二〇〇円の資金を投下したことになるところ、前記左下肢の障害によりブレーキ操作ができなくなつたうえ、前記眼の障害により運転免許を取得できなくなり、生涯自動車の運転が不可能となつたため、昭和五九年六月に右自動車を備品込みで三〇万円で売却した。ところで、減価償却資産の耐用年数等に関する大蔵省令によれば右自動車の残耐用年数は二年、定額法による償却率は五〇パーセントであるから、右自動車の償却後の価格は四八万九六〇〇円であり、従つて、原告は、本件事故により、右価格と前記売却代金との差額である一八万九六〇〇円の損害を被つたものというべきである。

(10) 慰謝料

<1> 入・通院慰謝料 六〇〇万円

原告は、前記受傷により、前記のとおり長期間に渡る入通院を余儀なくされており、原告がこれによつて受けた肉体的・精神的苦痛に対する慰謝料は、六〇〇万円が相当である。

<2> 後遺障害慰謝料 一〇〇〇万円

原告の前記後遺障害は回復の見込みがないばかりか、昭和六一年四月以降も悪化し、中でも左足については担当医より足関節の上部からの切断をも勧告されている状態で、原告は右後遺障害によつて前述のとおり生涯自動車の運転ができなくなつた。更に原告は、高等学校教諭二級普通免許及び中学校教諭一級普通免許等を取得しており、いずれは教職に就く目的を有していたが、前記後遺障害により右目的は断念せざるを得なくなり、結婚も事実上不可能となつたことで多大な精神的苦痛を受けた。従つて、右の事情を考慮すれば、原告が前記後遺障害によつて受けた肉体的・精神的苦痛に対する慰謝料は、一〇〇〇万円が相当である。

(11) 弁護士費用 三〇〇万円

原告は本件訴訟の提起及び追行を原告訴訟代理人弁護士に委任し、その費用及び報酬として三〇〇万円を支払うことを約した。

4  損害の填補 七万円

被告は、原告に対し、治療費として七万円を支払つた。

よつて、原告は、被告に対し、不法行為による損害賠償として九三〇七万〇〇二一円及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日である昭和六〇年八月二四日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1は認める。

2  同2については、本件事故発生について被告に過失があることは認めるが、被告が居眠り運転していたとの点及び制限速度に違反していたとの点は否認する。

3  同3(一)(1)のうち、原告が本件事故により、顔面及び右膝関節の各挫創と頸部、両肩、胸部及び左足関節の各挫傷の傷害を受けたことは認めが、その余は不知。

4  同3(一)(2)のうち、<1>の延松病院入院の事実及び<2>ないし<9>記載の各医療機関へ原告が入・通院した事実は認めるが、<2>ないし<9>記載の医療機関への入通院期間及び<10>ないし<12>は不知。

5  同3(一)(3)の原告の症状は不知。仮りに原告主張の症状が存在しているとしても本件事故との因果関係を争う。また、後遺障害が四級に相当するとの主張は争う。

原告の左下肢の血行障害は、本件事故から五〇日ほど経過した後に初めて発現したものであり、血行障害は一般に心因の影響が大きいものであるうえに、感情の起状の激しい原告には通常以上に心因の影響が現われやすいものであるから、右血行障害は本件事故に起因しない心因性のものと考えるべきであり、仮りに外傷性のものであるとしても、本件事故後に転倒等によつて左下肢を強打した可能性も否定できない。また、仮りに本件事故との間に相当因果関係があるとしても、その割合はきわめて小さく、原告の症状の大部分は原告自身の体質・性格等に起因するものというべきである。

6  同3(二)(1)は不知。仮りにその支出があつたとしても、昭和五九年一月以降の分については本件事故との相当因果関係を争う。

7  同3(二)(2)は不知。

8  同3(二)(3)は不知。なお、<2>、<4>は、仮りにその支出の事実があつたとしても、<1>の入院雑費に含められるべきものであり、<3>の医師等への謝礼は、本件事故と相当因果関係がないというべきである。

9  同3(二)(4)は不知。仮りに付添の事実があつたとしても、その必要性を争う。原告の年令、傷害の部位・程度から見て付添は不要というべきである。

10  同3(二)(5)は不知。なお、昭和五九年一月以降の入・通院のためのもの及び家族の付添のためのものについてはその必要性がなく、タクシー代については、原告自身の分についてもその傷害の内容から見て公共交通機関で足りるから、すべて相当性がなく、これらは本件事故との間に相当因果関係がないというべきである。

11  同3(二)(6)は不知。仮りにその支出があつたとしても、本件事故との相当因果関係を争う。

12  同3(二)(7)のうち、原告が本件事故当時八尾電報電話局料金課に勤務していたことは認めるが、その余の事実は不知。仮りに休業の事実があつたとしても、本件事故との相当因果関係を争う。

13  同3(二)(8)は争う。

14  同3(二)(9)は不知。仮りに主張のとおりの事実があつたとしても、自動車を売却したことと本件事故との間には相当因果関係はない。

15  同3(二)(10)は争う。

16  同3(二)(11)のうち、原告が本件訴訟の提起及び追行を原告訴訟代理人弁護士に委任したことは認めるが、額の相当性を争う。

17  同4は認める。

三  抗弁(好意同乗)

本件事故は、原・被告と原・被告の共通の友人である訴外梅原雅代(以下、「訴外梅原」という。)の三人が被告所有の事故車に同乗して北海道旅行をしていた間に発生したもので、しかも右旅行は原告と訴外梅原が計画したものに被告が誘われて加わつた経緯があり、当初の計画では原告と被告が交互に運転する予定であつたが、原告が事故車の運転はできないというので、被告のみが運転することになつてしまつたものである。従つて、原告はいわゆる好意同乗者の立場にあり、かつ、被告が数日間一人で運転し続けていたことが、本件事故発生についての被告の過失(誤解されやすい表示の工事標識を見誤り、カーブになつているところを直進しようとした単純な軽過失である。)の原因になつている可能性もあるので、損害賠償額の算定に際しては、右事情を斟酌して相当な減額がなされるべきである。

四  抗弁に対する認否

三の事実のうち、被告所有の事故車に原告と訴外梅原が同乗して北海道旅行中に本件事故が発生したことは認めるが、その余の事実は否認し、主張は争う。旅行は被告が計画したもので、原告は訴外梅原を通じて勧誘を受け、これに応じて参加したのに過ぎず、前述したとおり本件事故発生についての原告の過失は重大であるから、単に好意同乗者であるというだけで賠償額を減額すべきではない。

第三証拠

本件記録中の書証目録及び証人等目録に記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  請求原因1の事実(本件事故の発生)及び本件事故の発生について被告に過失があることには、当事者間に争いがなく、右事実によれば、被告は、民法七〇九条に基づき、本件事故によつて原告が被つた損害を賠償する責任がある。

二  原告が、本件事故により、顔面及び右膝関節の各挫創と頸部、両肩、胸部及び左足関節の各挫傷の傷害を受け、昭和五八年八月二二日、二三日の両日に延松病院に入院したことは、当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第六号証、同第七号証、同第八号証の一ないし三、同第九号証の一、三、七、同第一〇号証の一ないし三、同第一一号証の一、二、同第一二号証、同第三四号証の一ないし三、同第三五号証の一、二、同第三六号証の一ないし七、同第三七号証の二ないし五、同第三八号証の一ないし八、同第三九号証の一ないし五、同号証の六の1、2、同号証の七、八、同第四〇号証の一ないし二五、同第四一号証の一ないし一一、同第四二号証の一、二、同第四三号証の一、二、同第四四号証の一ないし二〇、同第四五号証の一ないし四、同第四六号証の一ないし一〇、同第四七号証の一ないし五、同第五一、第五二号証、同第五四号証の一、同第五五ないし第五七号証、同第六一号証、同第六五号証の一、二、同第七四号証、同第七九、第八〇号証、同第八三号証、同第八六号証、同第八七号証の一、二、同第八八号証、原本の存在・成立に争いのない甲第五八号証、証人大西啓靖、同武藤幹二、同堀忠夫、同砂子和俊の各証言及び原告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すれば、原告は、前記延松病院で受けた右耳殻部及び右膝の縫合部の処置並びにその他の挫創を及び挫傷に対する処置を受けるために昭和五八年八月二六日、同月二九日、同月三一日の三日間八尾徳洲会病院に通院し、その後、頭重感、後頭部の違和感、頭痛、難聴、次いで、右膝・左足関節部の疼痛、眩暈、悪心、吐き気、更には、足の冷感、左上下肢のしびれ、歩行障害、耳鳴り、眼精疲労、視力障害を訴えて請求原因3(一)(2)の<3>ないし<12>記載のとおり入・通院したが、現在なお、後頭部及び後頸部痛、眩暈、耳鳴り、吐き気、左上下肢のしびれ感、左下肢の異常な疼痛と自動運動及び荷重の不能、頸椎の運動制限、視力障害(裸眼で手動弁、矯正で〇・四ないし〇・三)、眼精疲労、難聴並びに体温調節機能不全を訴え、更に冷暖房や湯気に当たつたりすると気分が悪くなるので、普通の環境で居住したり、労働をすることができない旨を訴えおり、他覚的所見としては、左下肢膝窩動脈の閉塞と左下肢全体の血流障害、腱反射の亢進、頸部、左膝関節、左足関節及び左足各指関節の拘縮ないし運動制限等が認められ、右症状は既に固定していることが認められる。

三  そこで、右認定の原告の入・通院及び症状と本件事故との間に相当因果関係が存在するかどうかについて検討するのに、二掲記の各証拠(但し、原告本人尋問の結果については後記信用しない部分を除く。)に成立に争いのない甲第二、第三号証、同第一七号証の一、同第一八号証の一、同第二四ないし第三〇号証、同第三三号証、同第四九号証の一、二、同第五三号証、同第五四号証の一ないし三、同第五八号証、同第五九号証の一ないし三、同第六〇号証の一ないし三、同第六一号証、同第七八号証、同第八二号証、同第八四ないし第八六号証、同第八七号証の一、二、乙第一号証、同第三号証、証人大西啓靖、同堀忠夫、同武藤幹二の各証言によつて真正に成立したものと認められる乙第二号証、弁論の全趣旨によつて真正に成立したものと認められる甲第二二号証の一、乙第四号証の二、三、昭和五八年八月二三日に事故車を撮影した写真であることについて争いのない検甲第四、五号証、原告の写真であることについて争いがなく原告本人尋問の結果によつて昭和五八年八月二三日に撮影されたものと認められる検甲第六号証及び被告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すれば、以下の事実が認められる。

1  本件事故は、被告が事故車を運転して本件事故現場の左にカーブしている道路を時速約六〇キロメートルの速度で北見方面から旭川方面に向かつて進行していた際、事故車を対向車線を越えて道路右側路外に逸脱させ、更に前方の窪みを避けようとしてハンドルを左に切つて事故車を再度対向車線内に進入させたために発生したもので、事故車は、制動することなく対向車線を進行してきた特定大型貨物自動車である水野車の左側面に衝突し、衝突の衝撃によつて前部が大破し(但し、フロントガラスを含む運転席部分には損傷はなかつた。)、約七メートル後方へ押し返されているが、砂地の路外を約三〇メートル進行したり、工事用バリケード数個に衝突して衝突時にはかなり減速されていたためか、被告は若干の出血のある額の挫創、後部座席に同乗していた訴外梅原も特に治療を要しない下肢の打撲傷を負つたのみであつた。

2  原告は、事故後救急車で延松病院に搬送されて入院したが、入院時意識は正常で、顔面及び右膝関節挫創、頸部、両肩、胸部及び左足関節挫傷と診断され、右耳殻部を六針、右膝を四針縫合するとともに、頸部、右肩、左足関節に対する湿布等の処置を受けた。なお、同病院において、顔面、右肩関節、両膝関節、左足関節及び胸骨のX線検査をしているが、特に異常な所見はなく、両肩に腫脹は認められたものの、同病院入院中に吐き気、頭重感及び眩暈等を訴えたことはなかつた。原告は、事故当日は同病院に泊まり、翌日は若干足を引きずるような感じはあつたものの、自力で歩行できる状態であつたので、その後の治療は大阪に帰つてから受けることとし、右頬から下顎部にかけてガーゼを当て、頸部、右膝及び左足首に包帯を巻いた状態で、同日、同病院を退院した。

3  原・被告と訴外梅原は、当初の計画では本件事故当日である昭和五八年八月二二日は然別、二三日は札幌に宿泊し、二四日に訴外梅原は飛行機で、原・被告は室蘭からフエリーに乗つて帰途につく予定(三人が行動を共にする間のガソリン代・宿泊代等は、三人が均等額ずつ拠出した金の中から支払うことにしていた。)であつたが、本件事故のために八月二二日は被告及び訴外梅原も前記病院で宿泊し、翌二三日に原告が退院したのちは、一部予定を変更したものの、旅行を継続することとし、事故車は廃車にせざるを得なかつたので、他人の車に同乗させてもらつて、層雲峡と大雪山の観光をしたが、その際原告も長距離ではないが車から下りて自力で歩行していた。翌八月二四日は、タクシーを使用して札幌市内の観光をしたが、この日も原告は公園内等では歩き、またホテルからデパートまで徒歩で買物に出掛けている。訴外梅原は二四日、原・被告は二五日に札幌から飛行機で帰途に付いたが、機内で原告は、鼻の上の方が少し痛いので耳鼻科に行きたいと述べ、また、事故のために眼鏡が少し壊れているといつていた。

4  原告は、同年八月二六日、二九日、三一日の三日間、八尾徳洲会病院に通院し、右耳耳殻部及び右膝の縫合部と右顔面の擦過創について処置を受けているが、同病院においては、頭痛、頸部痛の訴えはしていない。その後、同年九月二日に事故により頸部及び前額部を打撲し、三日後から腫脹が出始め、頭重感と後頸部に違和感・鈍痛があり、時々頭痛がすると訴えて、自宅に近い国立泉北病院の外科及び脳神経外科で受診し、同月二一日までの間に九回同病院の右各科及び整形外科に通院して治療及び検査を受けたが、頸部及び頭蓋骨のX線撮影、頭部CT上に異常所見はなく、頭部及び頸部について特段の外科的処置はされていない。その後は、同年一〇月六日、一九日に同病院整形外科に、同月一八日同病院脳神経外科に通院しており、一〇月六日には左足首の屈曲が十分できず、正座ができないと訴えているが、同月一九日の計測によれば、右下肢と左下肢に有意差はなく、腫脹は認められていない。

5  原告は、耳の痛みと左目のかすみを訴え、同年八月二七日、二九日、三〇日の三日間、八尾市立病院に通院し、同耳鼻科ではX線検査及び聴力検査を受け、聴力検査の結果は右が平均二九デシベル、左が平均六デシベルであつたが(伝音難聴と診断されている。)、X線上骨折、亀裂等の異常所見はなく、また、眼科では、視力、眼圧及び眼底の各検査を受け、視力検査の結果は、矯正で左が〇・七、右が〇・五であつた(なお、原告は、以前から両眼とも近視性乱視で、昭和五六年当時の矯正視力は左右とも一・〇であつたが、本件事故の直前の視力を認定し得る資料はない。)が、眼圧及び眼底に異常所見はなかつた。

6  原告は、堺市原山台の所在の公団住宅に単身で居住して八尾電報電話局に勤務していたものであるところ、本件事故後、勤務先にも近い八尾市西山本町所在の父母宅で泊まることはあつたものの、右公団住宅に居住して同年九月一一日から勤務を再開し、前記通院等のために有給休暇をとることはあつたとしても、後記のとおり、昭和五九年一月九日から湯村温泉病院に入院するために病気休暇をとるようになるまで、右勤務先に通勤していた。

なお、原告は、昭和五六年二月三日に眼鏡等の使用を条件とする普通自動車運転免許を受けており、自己専用の軽自動車を所有していたが、被告らとの北海道旅行に出発する際、右自動車を被告宅に預けていたので、昭和五八年九月ころ被告宅を訪れて、被告宅で一泊したのち一人で右自動車を運転して帰つており、また、同年一〇月二九日ころに被告が原山台の原告宅に見舞いに訪れた際には、膝が屈曲できず正座ができないことや、右膝の瘢痕を気にしていたが、特に悪化しているような話はしていなかつた。

7  原告は、昭和五八年一一月四日に右膝関節、左足関節、頭部及び頸部疼痛があつて、集中力がないと訴えて、北野病院整形外科を受診しており、検査の結果、頸椎各方向の運動制限(角度は計測していない。)、第四、第五頸椎の圧痛及び叩打痛、右膝関節内側及び左足関節外踝下部の圧痛が認められたが、X線上は各部とも異常所見は認められなかつた。また、原告は、同月八日には国立泉北病院を受診し、眩暈、集中力の低下、頭の圧迫感を訴えており、更に、同月一八日、同年一二月二日、六日、一三日ないし一六日、二〇日、二一日に北野病院整形外科及び脳神経外科に通院しており、その間右膝・左足関節部の疼痛の持続に加えて、眩暈、悪心、嘔吐を訴え、一二月二日には「車を運転していて、位置平衡感覚が時々認識できない。フラフラする。」、同月一四日には「仕事に間違いが多くなつた。」などと訴えているが、同月一五日の頭部CT検査結果に異常所見はなく、同病院脳外科医師は、原告が無表情・動作緩慢で抑うつ的であつたため、原告を同病院精神科に紹介している。右通院中に原告は、リハビリのため、同病院への入院を希望したが、同病院には病室の余裕がなかつたこともあつて、同病院脳神経外科医師は、原告を外傷性頸部症候群、右膝内障及び左足関節捻挫に対する理学療法を主目的として、兵庫県美方郡温泉町所在の湯村温泉病院に紹介した。

8  原告は、右紹介に基づき、昭和五九年一月九日に湯村温泉病院に入院しているが、入院時には、主として頸部から頭部にかけての倦怠感及びしびれ、右膝・右足関節痛及び右膝の運動障害を訴えており、計測の結果によると、右膝の屈曲可動域(他動)は〇度から七〇度であつた。同病院では、投薬もなされているが、頸椎牽引並びに右膝・左足関節に対する温熱療法及びマツサージ等の理学治療を中心とする治療が行われ、治療により右膝の屈曲障害は軽快してきたものの、入院後間もなくから、しばしば眩暈、耳鳴り、頭痛、頭重感、ふらつき、吐き気、足の冷寒等を訴えるようになり、暖房の音や温気で頭痛がしたり、気分が悪くなると訴えるなど心気症的な訴えも見られ、入浴後等に左足の腫脹が認められたこともあつた。しかし、入院中に血流障害の徴候である足の明らかな変色が認められたことはなく、また、足の痛みで歩きにくいと訴えることはあつたが、杖等を用いることなく歩行することは可能で、病院外を長時間散歩していたこともあり、入院期間中付添の必要はなかつた。もつとも、同年三月一三日には、原告には、同病院の内科医師により、左足の血管運動障害及び全身の血管運動障害の存在が指摘されており、同病院長の砂子医師も、原告の症状は外傷性であるか、内因性であるかは不明であるが、自律神経失調症によるものであろうと判断している。原告は、同年五月五日に希望により同病院を退院しているが、その時点では、右膝の運動障害は九〇度前後まで屈曲可能な程度に軽快しており、左下肢の冷感、浮腫等も軽減していた。

9  原告は、昭和五九年四月二一日から同月二四日まで湯村温泉病院の外泊許可を得て帰阪し、その間同月二三日に国立大阪南病院整形外科に通院して、同科の大西啓靖医師の診察を受けており、その結果、前記の眩暈、耳鳴り、吐き気等の症状のほかに、左足に足背を中心として血流障害の徴候である著明な変色が認められるので、血管の閉塞箇所を確認するためにも、また、その他の症状についての精密検査を行うためにも入院する必要があるとして入院を指示されたため、前記のとおり湯村温泉病院を退院して同年五月七日から国立大阪南病院に入院した。入院時、原告は、右足跛行がありながらも独歩で入院しているが、入院直後から松葉杖を使用し始め、同月一一日に同病院で行われた原告の左下肢の血管造影検査の結果では、原告の左下肢は、膝窩動脈より下部の血流が乏しくて、腓骨動脈が認められず、前脛骨動脈の血流も乏しいが、後脛骨動脈には問題はなく、大腿動脈から筋肉に入る枝から分枝が出ているのが認められるとの所見が得られている。しかし、下肢の血流状態を示す左足背動脈の拍動については、触れないときもあつたが、左右差のないときもあり、左下肢の変色(暗紫色ないし紫赤色)も常時認められていたわけではなく、外見上特変のないときもあつた。入院中、原告は、歩行に伴つて生じる腰痛及び両下肢の疼痛を訴えることが多かつたが、入院期間中を通じ、松葉杖を使用していたものの独歩は可能で、同年九月一九日ころには、松葉杖なしでもかなりうまく歩けるようになつており、入院中、生活上の介護を必要としたようなことはなかつた。

10  原告は、入院中、投薬及び理学療法を中心とした治療を受け、前記のとおり歩行能力も徐々に回復し、左下肢に変色が認められることも少なくなつているが、頭痛、耳鳴りは頻繁に訴えており、また、入院直後から暖房や物音によつて気分が悪くなり、眩暈、耳鳴り、吐き気等が生じる旨を訴えている。前記大西医師は、原告の右のような症状と、原告には腱反射の亢進が認められたことから、原告の症状は交通事故で頸部を打撲したことによつて頸部の自律神経が損傷を受けた外傷性頸髄症によるものであると考えており、また、左下肢の血流障害についても、左下肢に限定して現われており、かつX線検査により動脈の閉塞が確認されているとして、外傷によるものと一応判断しているが、外傷等で血管が閉塞した場合は、それに反応して側副血管が形成されるものであるのに、原告の場合は前記のとおりX線上血管の分枝は認められるものの、その症状からみると側副血管が形成されているとは身受けられず、同医師もその点を疑問に思つている。

11  原告は、国立大阪南病院入院中の昭和五九年五月一六日、眼のかすみや物を見るときの違和感を訴えて同病院の眼科を受診しており、同科における視力検査の結果によれば、裸眼では眼前手動弁(眼の前で手の形が分る程度、〇・〇一以下)、手持ちの眼鏡での矯正視力は左右とも〇・四であつたが、視野、眼圧、眼底、網膜及び視神経乳頭には異常が認められなかつた。同眼科には、同病院退院の昭和五九年一二月一九日から同六〇年八月一〇日までの間にも通院して、前記の諸検査のほか顕微鏡検査及び網膜電図検査等の検査を受けているが、視神経等にも異常は認められておらず、右通院中に行われた視力検査の結果によると、視力は日によつて〇・二から〇・五の範囲で変動していた。また、昭和六〇年六月一一日の測定結果によると、原告の眼の調節力は左右とも一ジオプトリーであつた。同眼科の堀忠夫医師は、右検査及び測定の結果と本件事故に遭うまでは余り疲れなかつたが、事故後本を見たり遠いところを見るとぼやけて疲れるようになつたとの原告の訴えに基づき、原告の眼の症状は生来の高度近視性乱視に本件事故によつて生じた眼精疲労及び調節衰弱症が加わつたものであると判断している。

12  また、原告は、国立大阪南病院入院中の昭和五九年九月二〇日に、両耳の耳鳴り、ふらつき、眩暈、軽度の難聴感を訴えて、同病院耳鼻科を受診しているが、同日行われた聴力検査の結果によると、両耳とも二〇デシベル前後で正常範囲であつた。しかし同六〇年三月二三日に行われた聴力検査の結果によると左耳の聴力が軽度の難聴に属する三〇デシベル前後に低下しており、更に同年四月二〇日の検査では両耳とも三〇デシベル前後となり、以後同年八月三日の同病院での最終の聴力検査までその状態が継続し、同日の骨導聴力の検査結果も同様であつたため、原告は感音難聴(内耳の神経以降の障害による難聴)で遅くとも同年八月三日ころにはその症状が固定したものと診断されている。しかし、ふらつきの訴えに対してなされた昭和五九年九月二八日の前庭機能検査の結果はほぼ正常であり、ふらつき感は内耳の明らか器質的障害から来ているものではないと考えられるので、同病院の武藤幹二医師は、原告の症状の原因としては、交感神経症状による一過性の内耳血流不全である可能性が高いと判断している。

13  原告の頭痛、頭部圧迫感、眩暈、吐き気、腰痛等の愁訴は国立大阪南病院入院中を通じて持続していたが、昭和五九年一〇月一日に行われた同病院医師による原告の症状についての協議会(conference)において、原告の症状は精神的な面が大きいので退院に持つて行くとの方針が定められ、前記大西医師は、同月上旬ころから、原告に対し、数回にわたり退院をして自宅でリハビリを行うよう説得し家族とも相談するよう指示している。その結果、原告は、退院につき不安感を示しながらも、同年一〇月三一日に同病院を退院し、以後は同病院に通院して大西医師の診察を受けることにした。原告は、同年一一月ころには自転車で約二キロメートルを走行できる程度に足の機能が回復し、同六〇年三月九日からは、大西医師の就労可能の診断に基づき、前記電報電話局に復職して勤務を再開したが、退院後も自律神経失調的症状を訴えて同病院整形外科、内科、精神神経科、脳神経外科、耳鼻科及び眼科に通院していた。その間、大西医師は、昭和六〇年八月一二日付で原告の症状について、右膝関節には特記するほどの障害は認められなくなつたものの、左下肢の症状は、軽度の回復を見ただけで、血流障害による知覚障害と跛行が認められるうえ、左足関節の運動は他動で背屈、底屈とも五度に制限されていて歩行時に腰痛があり、また、頸部交感神経症状が著しく、頸椎の運動は前屈一〇度、背屈五度に制限されており、右症状は同日現在固定しているとの診断をしている。原告は、前記復職後、前記のとおり通院を続け、かつ、勤務時間の短縮等の措置を受けて、前記電報電話局の勤務を続けていたが、冷暖房等で気分が悪くなる自律神経失調症状が続いたため、大西医師の外傷性頸髄症により普通の環境の中では労働はきわめて困難であるとの診断に基づき、昭和六一年三月一一日から再度休職し、以後外傷性頸髄症及び左下肢血流障害の病名で「症状の改善が見られない」との同医師の診断等に基づいて休職を継続し、平成元年九月一一日に休職期間の満了により日本電信電話株式会社を解雇となつている。この間原告は、左下肢の血流障害が悪化して、昭和六二年一二月九日から同六三年六月一五日まで国立大阪南病院に再入院している。

14  現在原告は、左足関節が約三〇度の尖足位で強直し、左足指関節もすべて約〇度でそれぞれ強直している上、左下肢全体に知覚異常及び疼痛が著しく荷重を掛けることができないため、独歩不能で、歩行には両松葉杖を使用しているほか、前記二で認定したような愁訴及び他覚的所見も認められている。

15  自律神経失調症は、外傷による頸部交感神経及び同副交感神経の損傷によつて発症することがあるが、これに限らず、内因または心因性の要因によつても発症し、特に神経質な性格の者の場合は、心因により発症することが多く、また、そのような者の場合は、軽度の外傷によつても発症しやすく、発症した場合は症状が長引くことが多いとされている。そして、その症状は、種々の不定愁訴を内容とし、頭痛、眩暈、耳鳴り等の神経症状のほかに、視力障害、聴力障害もみられ、更に血管運動障害に起因する血流障害が発生することもあり、これが進行して血管閉塞を惹起する可能性も否定し得ない。また、血管の閉塞は外傷によつても起こり得るが、その場合は、その血管またはその周囲の組織に挫滅を伴うような相当重大な傷害を受けており、受傷後間もなく発生するのが通常で、受傷部分が治癒ないし瘢痕化してから四ないし五か月以上を経過してから発症する可能性は少ない。

なお、原告本人尋問の結果中には、本件事故後に意識喪失があつて、頸椎にずれが生じ、事故直後から全身特に頭部の右半分と頸部に著しい疼痛としびれがあり、左足も腫れていたかのように述べる部分があるが、右は前掲甲第三四号証の一ないし三、同第三五号証の一、二、同第三七号証の一、二(いずれも診療録)の記載に照らして(なお、原告の意識喪失があつたとの訴えは、同第三七号証の四に数秒あつたと言う形で初めて表われ、同第四四号証の一〇では数分、原告本人尋問では夕刻までという形で増大していつている。)信用できない。

また、原告は、昭和五九年一月九日(湯村温泉病院入院当日)の足の状態を撮影した写真であるとし検甲第七ないし第一〇号証を提出しており、右各写真の被写体が原告の足であることについては当事者間に争いがないが、右のうち撮影内容から湯村温泉病院入院中の撮影であると認められる同第七号証には、同第八号証以下のような赤紫色の変色は認められず、この事実に証人砂子和俊の証言を合わせ考えると、右写真は右期日に撮影されたものとは認められない。

他に前記認定を左右するに足りる証拠はない。

以上認定の各事実、ことに本件事故は、衝突事故車の速度はある程度減速されており、また、水野車の側面との衝突であつて正面衝突ではないにしても、時速約六〇キロメートルで進行していた普通乗用自動車である事故車と、対向して進行してくる特定大型貨物自動車である水野車との衝突であつて、事故車の前部が大破していることから考えても、本件事故の衝撃は大きく、かつ原告は、衝突時前傾の姿勢をとつていたところ、衝突の衝撃により身体が前方に投げ出され、助手席前のグローブボツクスの上部付近で下額部を打撲し受傷していることからすると、衝突時に頭部が後方に過伸展し、頸部に挫傷ないし捻挫を受け、右傷害のために頸部交感神経及び同副交感神経が損傷されたという可能性もあり、現に延松病院においては頸部挫傷の診断を受けており、頸部にも受傷があるものと診断されていること、もつとも、原告は、昭和五八年九月二日に国立泉北病院を受診するまでは、頭痛、頭重感、眩暈等の頸部挫傷ないし頸部捻挫の症状の訴えをはしておらず、かつ、事故後相当期間が経過してから右訴えが増大しているが、右のような症状は受傷後数日してから発症する場合もまれではないうえ、より重い右膝関節挫創等の疼痛のために相対的にみると軽い頸部の症状が見過ごされていたとも考えることができ、また、事故後相当期間が経過してから愁訴が増大している点については、原告の性格に起因する心因的要因が関係しているものと考えられるものの、被害者の心因的要因が関係すれば、直ちにこれを考慮して寄与度に応じた割合的認定ないし賠償額の減額をすべきものではなく、発生した損害のすべてを加害者に負担させるのが公平の観念に照らして著しく不当と認められるような事情がある場合にのみこれをすべきものとするのが相当であるところ、原告の左下肢の血行障害については、湯村温泉病院入院中は、頭痛、眩暈、耳鳴り等の愁訴があり、ときに歩行時痛を訴えることはあつたにしても杖等を使用することなく歩行し、血行障害による左足の変色も認められず、右膝の屈曲障害も治療により軽減して入院末期には九〇度位まで曲げることができるようになつていたにもかかわらず、同病院外泊中の昭和五九年四月二三日に国立大阪南病院で診察を受けたときには、左足に著名な変色が認められ、同年五月七日に同病院に入院した直後から松葉杖歩行をしていること等不自然な点も見受けられるうえ、原告が本件事故により膝窩動脈またはその周辺の組織が挫滅して血管閉塞をもたらすような傷害を左膝部分に受けた形跡はなく、また、血流障害の徴候である左足の変色も常時存在したわけではなく、側副血管の形成も見受けられないという事情が認められる点に、前認定の原告の症状の経過、各医療機関における検査結果及び治療経過を考慮すると、本件受傷後発症した原告の諸症状及びこれらの症状に対するものとして受けた各医療機関における検査及び治療のうち、右膝関節の疼痛と運動制限、左足関節痛、頭痛、頸部痛、眩暈、耳鳴り及び吐き気等の神経症状並びに湯村温泉病院退院まで(但し、同病院入院中の国立大阪南病院への通院は除く。)の治療については、本件事故との間に相当因果関係を認めることができるが、左下肢血流傷害及びこれに起因する諸症状並びに湯村温泉病院退院後の治療については、本件事故との間に相当因果関係を肯定することはできず、仮りに右症状の発症について、心因的要因が関係しており、本件受傷が右心因的要因の契機ないし誘因になつているとしても、その症状経過に前記のような不自然な点があることを考慮すると、受傷に伴う予見可能な心因的要因によるものとして相当因果関係を肯定することもできない。

なお、原告の視力障害については、前認定のとおり原告は、事故前から高度の近視性乱視であつて、事故前約二年間の視力の状況を確認しうる証拠はなく、視力検査を除く眼科的諸検査の結果には異常が認められていないことを考慮すると、原告の訴えに依拠せざるを得ず、その結果にもばらつきの多い前認定の視力検査の結果のみによつて、本件事故に起因する視力障害が原告に生じ、これが後遺障害として残存したものとは認め難い。

また、聴力障害についても、本件事故から一年以上経過した時点で正常範囲内にあることが確認されているうえ、聴力検査の結果軽度難聴に属するとされているとしても、前認定のとおり、その原因は一過性の内耳血流不全である可能性が高いのであるから、本件事故に起因する後遺障害が残つたものとは認め難く、結局、本件事故と相当因果関係のある後遺障害としては、現在残つているのは頭部及び頸部の頑固な神経症状が残存したのみであると認められる。

四  そこで、以上の認定事実を前提として、原告の主張する各損害項目について検討する。

1  治療費(文書料を含む) 二三万五一六〇円

成立に争いのない甲第九号証の二、四ないし六及び八、九、同第一五号証の五によれば、原告の国立泉北病院の外科、脳外科及び整形外科における治療費及び文書料として合計七万〇一七〇円、成立に争いのない甲第一〇号証の四ないし一八によれば、原告の北野病院整形外科、脳外科及び放射線科における治療費として合計一五万四四八〇円、成立に争いのない甲第一五号証の一ないし四によれば、原告の八尾徳洲会病院及び湯村温泉病院における文書料として合計一万〇五一〇円を、それぞれ要したことが認められる。

なお、国立大阪南病院の再入院及び天理よろづ相談所病院への通院(成立に争いのない甲第六五号証の一、二によれば、湯村温泉病院を退院したのちである昭和六三年五、六月中であることが認められる。)は、前述の理由により本件事故との相当因果関係を肯定し得ないから、右入通院に要した費用は本件事故による損害と認めることはできない。

2  補装具代 一万〇七〇〇円

成立に争いのない甲第一四号証の二、三及び原告本人尋問の結果によれば、原告は、北野病院通院中に同病院の医師の指示によつて右膝の症状のために必要としたD軟性右膝用装具を購入し、その費用として一万〇七〇〇円を支払つたことが認められ、右金額は本件事故と相当因果関係のある損害と認められる。

しかし、その余の補装具代(眼鏡を除く。)については、原告本人尋問の結果及びこれにより真正に成立したものと認められる甲第一四号証の四、五、同第六六号証の一ないし一〇によれば、これらは、前記のとおり本件事故との間に相当因果関係を認めることができない左足の血流障害とそれに起因する歩行困難のために必要となつて購入した補装具の代金であることが認められるので、本件事故による損害とは認められない。また、眼鏡購入代金については、本件事故による視力低下により必要となつたものとして請求する趣旨のものであるとすれば、前記のとおり視力低下と事故の因果関係を肯定し得ない以上、本件受傷による損害とは認め難く、仮りに本件事故により事故当時装着していた眼鏡が破損したことによる損害として請求する趣旨としても、原・被告各本人尋問の結果によれば、装着していた眼鏡が破損した事実は認められるものの、眼鏡自体を買替える必要が生じるほど破損したと認めるに足る証拠はなく、前掲甲第六号証及び被告本人尋問の結果によればむしろ、損傷の程度は軽微で、補修でも対応し得る程度のものと推認されるが、補修費用を確定すべき証拠も存在しない。

3  治療諸雑費

<1>  入院雑費 一八万円

原告が昭和五八年八月二二日、二三日の両日延松病院に入院したことは当事者間に争いがなく、原告が昭和五九年一月九日から同年五月五日まで湯村温泉病院に入院したこと、及び右各病院への入院が本件事故による受傷の治療のために必要であり、本件事故との間に相当因果関係を肯定しうることは、前記のとおりである。

右事実に前認定のとおり、延松病院は北海道、湯村温泉病院は兵庫県美方郡温泉町に所在しているので、遠隔地の病院への入院として、通常の場合よりも多くの通信連絡費その他の雑費を要したであろうと推認される点を合わせ考慮すると、原告は右の合計一二〇日間の入院期間中に一日当たり一五〇〇円、合計一八万円を下らない雑費を要し、同額の損害を被つたものと推認される。

なお、原告は、国立大阪南病院への入院期間を合わせた全入院期間について、定額の雑費を請求しているが、大阪南病院への入院と本件事故との間に相当因果関係を肯定し得ないことは、前記のとおりであるから、右期間については、雑費の支払があつたとしても、本件受傷による損害とは認められない。

<2>  治療用雑費について

別表第一<2>記載の各費目のうち、大阪南病院入院のためのものについてはその必要性を肯定し得ず、その他のものについては、<1>の定額の雑費に加えてこれを認容すべき必要性または本件受傷の治療のための必要性を認めるに足る証拠は存しないから、本件受傷による損害と認めることはできない。

<3>  医師・看護婦等への謝礼 三万円

原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、原告は、湯村温泉病院の医師・看護婦等への謝礼として、相当額の支出をしていることが認められるが、前認定の受傷内容、治療経過に鑑みると、本件事故と相当因果関係に立つ損害として賠償を求め得る額は三万円と認めるのが相当である。

右額を越える部分は、相当性を欠くか、本件受傷と相当因果関係のない治療に対するものとして、本件事故と相当因果関係のある損害と認めることはできない。

<4>  栄養食費について

昭和六二年一二月九日以降の国立大阪南病院入院中のものは、前述と同様の理由で本件事故との相当因果関係を肯定できず、右以前の湯村温泉病院入院中のものについても、治療のために必要であつたことを認めるに足りる証拠は存しないから、本件事故と相当因果関係のある損害と認めることはできない。

4  付添費について

原告は湯村温泉病院通院時までは、跛行はしていたものの、付添を必要とするような状態でなかつたことは、前認定のとおりであり、同病院を退院した昭和五九年五月五日以降の分については、前記三で認定した事実によれば、仮りに付添を必要としたとしても、それは本件受傷との相当因果関係を肯定し得ない左下肢血行障害によるものであると推認されるから、いずれにしても本件事故と相当因果関係に立つ損害と認めることはできない。

5  交通費 一五万二一〇〇円

原告が、本件事故による受傷のために予定を変更して札幌から飛行機で帰阪したことは前認定のとおりであり、原告本人尋問の結果によつて真正に成立したものと認められる甲第二三号証の一及び弁論の全趣旨によれば、右航空運賃として三万七〇〇〇円を要したことが認められ、右支出は本件受傷と相当因果関係のある損害と認められる(原告は、帰阪のための費用として、大阪空港から自宅までのタクシー代及び出迎えの家族のタクシー代を請求しているが、前認定の本件事故後の北海道における原告の行動に照らすと、その必要性もタクシー利用の相当性も肯定し得ないので、本件事故による損害とは認められない。)。

また、原告が、八尾徳洲会病院に三回、八尾市立病院に三回、国立泉北病院に一三回、北野病院に一〇回通院していることは前認定のとおりであるところ、前認定の右期間中の原告の症状経過によれば、原告が右通院のすべてについてタクシーの利用を相当としたものとは到底認められず、また、すべてについてタクシーを利用したものと認めるに足りる証拠も存しないが、右通院のために公共交通機関を利用しても相当額の運賃を必要とし、また、何回かはタクシーの利用を必要としたこともあつたと推認されるので、原告は平均して右通院一回につき少なくとも一五〇〇円の割合による合計四万三五〇〇円の交通費を支出し、同額の損害を被つたものと認めるのが相当である。

また、原告が湯村温泉病院に入院し、右入院と本件受傷との間に相当因果関係が認められるところ、原告本人尋問の結果によつて真正に成立したものと認められる甲第二三号証の四八及び弁論の全趣旨によれば、同病院までの交通費としては、大阪・浜坂間の運賃片道八六〇〇円、タクシー代その他の雑費として少なくとも一万円を要するものと推認されるから、同病院入院及び退院のために、荷物の運搬等のための同行者の分と合わせて、右大阪・浜坂間の運賃三往復(原告本人分と同行者二往復)分五万一六〇〇円に雑費二万円を加算した七万一六〇〇円の損害を本件受傷により被つたものと認めるのが相当である(原告は、退院時の交通費として自動車利用による五万円余の費用を請求しているが、前認定の原告の症状経過からみて、自動車利用の必要性、相当性は肯定し得ない。)。

右認定以外の交通費については、前認定の原告の症状に鑑みると、その必要性及びタクシー利用の相当性が認められないか、本件受傷と相当因果関係を認めることができない左下肢血流障害により必要となつた交通費であると認められるので、いずれも本件事故と相当因果関係のある損害とは認められない。

従つて、本件事故と相当因果関係の認められる交通費は、合計一五万二一〇〇円となる。

6  転居費用について

原告は、本件事故による受傷に起因する後遺障害により、独居生活が不可能となり、昭和五九年一一月三〇日に父母との同居のための転居を余儀なくされたとして、右に要した費用を本件事故による損害として請求するが、仮りに原告が右時期に独居不可能な状況になつていたとしても、前記三で認定した事実によれば、本件事故と因果関係の認められない原告の左下肢血行障害の悪化によるものであり、本件事故による受傷によつて生じた結果であるとは認め難いから、右費用は本件事故と相当因果関係のある損害とは認められない。

7  休業損害 二〇万二一〇九円

原告は、本件事故当時八尾電報電話局に勤務していたものであるところ、昭和五九年一月九日から同年四月八日まで病気休暇を取り、同年四月九日からは休職して、同年五月五日まで湯村温泉病院に入院しており、右入院と本件受傷との間に相当因果関係が認められることは前認定のとおりであるところ、前掲甲第二四号証によれば、原告は、昭和五九年一月九日から同年三月三一日までの病気休暇のために特別手当を一〇万四八〇八円減額され、同年四月一日から昭和六〇年三月三一日までの病気休暇及び休職により、基本給及び各種手当の合計額で一〇一万四七二〇円減額されていることが認められる。

右事実によれば、本件受傷と相当因果関係のある湯村温泉病院入院のための病気休暇及び休職によつて原告が被つた損害は、右の一〇万四八〇八円と一〇一万四七二〇円の三六五分の三五である九万七三〇一円とを合計した二〇万二一〇九円であると認めるのが相当である。

昭和五九年五月六日以降の休職による給与の減額は、既に述べたところと同じ理由により本件受傷と相当因果関係のある損害と認めることはできない。

8  後遺障害による逸失利益について

原告には湯村温泉病院入院の後期の時点で、頭・頸部の神経症状及び右膝関節の運動障害が残つており、そのうち原告の右膝の運動障害は、その後ほぼ回復しているが、頭・頸部の神経症状は現在なお持続していることは前認定のとおりであるが、前記三で認定した事実によれば、右症状は遅くとも昭和六〇年八月ころには固定しているものと認められる。

しかし、右のような神経症状は、時の経過とともに軽減し、いずれは消失することになるのが一般であるとされているところ、原告が湯村温泉病院退院後、本件事故と相当因果関係を認めることができない左下肢の血行障害のために就労が不能であるとして、殆ど就労していないことは、前認定のとおりであり、前記三で認定した事実によれば、右状態は今後なお相当期間継続するものと推認されるから、原告は右頭・頸部の神経症状の存続する間に得べかりし収入があつたということはできず、従つて、後遺障害による逸失利益を認めることはできない。

9  自家用車売却による損害について

請求原因3(三)(9)の自家用車売却による損害は、原告が本件事故により視力低下と左足の障害を被つたため車の運転が不可能となつたことによるものとして請求するものであるが、その主張自体によつても、本件事故により、右自動車の客観的価値に減価が生じたとはいえないうえ、前述のとおり、原告の左足の障害は、本件受傷との間に相当因果関係を認めることができない左下肢の血流障害によつて生じたものであり、視力低下についても本件事故との相当因果関係は認められないから、右は本件事故による損害ということはできない。

10  慰謝料 一六〇万円

前認定の原告の受傷内容・治療経過その他本件証拠上認められる諸般の事情を考慮すれば、原告が本件事故によつて受けた精神的・肉体的苦通に対する慰謝料としては、一六〇万円が相当である。

11  弁護士費用 二三万円

原告が、本件訴訟の提起及び追行を原告訴訟代理人に委任したことは訴訟上明らかであり、本件事案の内容、審理経過、認容額等に照らすと、本件事故と相当因果関係が関係に立つ損害として賠償を求め得る弁護士費用の額は二三万円と認めるのが相当である。

五  以上によれば原告が本件事故によつて被つた損害は二六四万〇〇六九円となるところ、請求原因4の事実(損害の填補)は当事者間に争いがないから、右填補額七万円は原告の前認定の損害から控除すべきであり、残損害金は二五七万〇〇六九円となる。

六  ところで、被告は好意同乗による減額の主張するところ、被告所有の事故車に原告と訴外梅原が同乗して北海道旅行をしている間に本件事故が発生したことは当事者間に争いがないが、前認定のとおり、右旅行中の事故車のガソリン代・右三名の宿泊代等は、右三名が均等額ずつ拠出した金の中から支出していたのであるから、原告は、被告の好意により全くの無償で同乗していたものとはいえず、この事実に、前認定の本件事故の態様を考慮すると、いわゆる好意同乗による減額をしなければ本訴請求が信義則ないし衡平の原則に反するとまでは認められないから、右減額は行わない。

七  以上の次第で、原告の被告に対する本訴請求は、被告に対し、二五七万〇〇六九円及びこれに対する本件事故の後で本件訴状送達の翌日であることが訴訟上明らかな昭和六〇年八月二四日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、被告に対するその余の請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条を、仮執行宣言につき、同法一九六条をそれぞれ適用し、仮執行免脱宣言の申立てについては、その必要がないものと認めこれを却下し、主文のとおり判決する。

(裁判官 笠井昇 本多俊雄 中村元弥)

別表〔略〕

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