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大阪地方裁判所 昭和58年(ワ)6002号 判決 1987年2月27日

原告

旭電子工業株式会社

右代表者代表取締役

柿迫敦美

右訴訟代理人弁護士

中谷茂

山﨑容敬

被告

近藤正彦

被告

近藤幸恵

右両名訴訟代理人弁護士

菊地一二

木嶋日出夫

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、原告に対し、連帯して、金二八一五万四四〇二円及びこれに対する昭和五八年九月一〇日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告らは、原告に対し、連帯して、金一八三万一六六六円を支払え。

3  訴訟費用は被告らの負担とする。

4  右1及び2につき仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、昭和五〇年六月二八日に成立した株式会社で、電気機器部品の製造及び販売を目的とする。原告会社成立の当初から、被告近藤正彦は代表取締役に、被告近藤幸恵は取締役にそれぞれ就任し、以後任期満了の都度就任を繰り返し、昭和五六年八月三〇日にも右各就任を重ねた。

2(一)  原告会社の売上高は、昭和五五年六月から昭和五六年一月までの間月額約六〇〇万円の水準を維持していたが、昭和五六年二月以降は、二、三月がいずれも約二八〇万円、四月が約七〇万円、五月が約六〇万円、六月が約五万円と急激に落ち込んだ。

(二)  原告会社の営業年度は、毎年六月一日から翌年五月三一日までの年一期であるところ、その従業員数は、昭和五一年ないし同五四年の各五月三一日現在いずれも九名、昭和五五年五月三一日現在一二名、昭和五六年五月三一日現在七名であつたものが、昭和五七年五月三一日現在三名になつていた。この従業員数の減少は、右(一)の売上高の減少に伴つて生じたものである。なお、最後に残つた三名は、被告両名及びその長男の近藤俊彦であり、右各期末の従業員数はいずれもこの三名を含んでいる。

(三)  原告会社は、昭和五六年五月三一日現在、現金及び預金合計八九一万八六九七円を有しており、買掛金債務二九二万六九九〇円を負担していたところ、翌五七年五月三一日現在の買掛金債務一八四万四三一六円の大部分は、前年の買掛金債務が弁済のないまま残つていたものであり、また、債務額の減少はそのほとんどが債権放棄によつてもたらされたものであつて、右一年間、原告会社は買掛金債務につきわずかな支払しかしていない。

(四)  右(一)ないし(三)の売上高の激減、従業員数の減少及び買掛金債務の放置の事実からみれば、原告会社は、遅くとも昭和五六年六月一日以降は、その営業を停止した状態にあつたことが明らかであるが、代表取締役であつた被告近藤正彦及び取締役であつた被告近藤幸恵は、昭和五六年初めころには、原告会社の受注が激減して営業を停止せざるを得なくなることを予想できたのであるから、会社の解散の要否を株主総会に図るなど速やかに適宜の方策を採つて、会社財産の維持に努めるべき善管注意義務(商法二五四条三項、民法六四四条)ないしは忠実義務(商法二五四条ノ三)を負つていたのに、何らなすところなく時を経過し、会社財産を失つてしまつたものである。被告らは、当時、原告会社を経営する意思をなくしており、会社財産から自らの生活費を取得しようとしていたものである。

3(一)  原告会社は昭和五六年五月三一日現在後記建物の外に次のような財産を有していた。

(1) 現金 六三万六二二二円

(2) 当座預金 八八万〇一七六円

(3) 普通預金 一四〇万二二九九円

(4) 定期預金 六〇〇万〇〇〇〇円

(5) 売掛金 五九万四三六三円

(6) 貸付金 二二万八五四三円

(7) 製品 三八万〇九四八円

(8) 貯蔵品 一六万四七六二円

(9) 原材料 四〇万二四二〇円

(10) 機械装置 二八六七万〇〇〇〇円

(11) 車輛運搬具 八〇万〇〇〇〇円

(右(1)ないし(11)の合計は四〇一五万九七三三円である。)

(二)(1)  原告は、昭和五七年五月ころ、共進精機こと梨田善則に対し、原告所有の係る別紙(一)物件目録記載の建物一棟全体(以下、建物全体を「本件建物」という。)のうち別紙(二)図面表示共進精機賃貸部分を賃貸し、敷金六四万八〇〇〇円を受領し、その後昭和五七年五月(同年六月分)から同五八年八月(同年九月分)まで一六か月の間、一か月一〇万八〇〇〇円の割合による賃料合計一七二万八〇〇〇円を受領した。

(2)  原告は、昭和五七年九月ころ、有限会社ヤマト技研に対し、原告所有の本件建物のうちの別紙(二)図面表示有限会社ヤマト技研賃貸部分を賃貸し、敷金五七万六〇〇〇円を受領し、その後昭和五七年九月(同年一〇月分)から同五八年八月(同年九月分)まで一二か月の間、一か月九万六〇〇〇円の割合による賃料合計一一五万二〇〇〇円を受領した。

(右(1)及び(2)の合計は四一〇万四〇〇〇円である。)

(三)  前記2のとおり、被告らが善管注意義務ないしは忠実義務に違反し、営業停止の状態のまま会社を放置したために、右(一)及び(二)の会社財産は、現金はそのままで、預金は引き出され、商品、機械装置などの物品は換価の上、被告ら及びその長男近藤俊彦の役員報酬ないしは給料その他の経費などに費消され、消失してしまつた。すなわち、原告会社は、右2の被告らの債務不履行により、右(一)及び(二)の合計四四二六万三七三三円の損害を被つたものである。

4(一)  原告は、本件建物を所有している。

(二)  被告らは、昭和五六年六月一日から同五九年六月一九日まで、本件建物のうちの別紙(一)物件目録記載の建物部分(以下「本件建物部分」という。)を住居として占有していた。

(三)  右占有期間中の本件建物部分の適正賃料は一か月五万円を下らないから、被告らの右占有により原告が被つた賃料相当額の損害は、合計一八三万一六六六円を下らない。

5  よつて、原告は、被告らに対し、次の金員の連帯支払を求める。

(一) 取締役の善管注意義務ないしは忠実義務違反を内容とする債務不履行に基づく損害四四二六万三七三三円の内金二八一五万四四〇二円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和五八年九月一〇日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金。

(二) 被告らの本件建物部分に対する不法占有に基づく賃料相当損害金一八三万一六六六円。

二  請求原因に対する認容

1  請求原因1の事実は認める。

2(一)  同2(一)の事実は認める。

(二)  同2(二)の事実は認める。

(三)  同2(三)の事実は認める。

(四)  同2(四)の事実は否認し、その法的主張は争う。

3(一)  同3(一)の事実中、(10)及び(11)の各価額の点は否認し、その余は認める。

(二)  同3(二)の事実は認める。

(三)  同3(三)の主張は争う。被告らに債務不履行はないのであつて、被告らの債務不履行と因果関係のある損害が原告に発生している旨の主張は理由がない。

4(一)  同4(一)の事実中、住居として使用していたとの点は否認し、その余は認める。

(二)  同4(二)の事実は認める。

(三)  同4(三)の事実は否認する。

5  同5の主張は争う。

三  抗弁

1(一)  被告近藤正彦は、昭和四八、九年ころ、長野県飯田市において、抵抗器を製造販売する会社を経営していた。西村和弘は、西ドイツにおいて、ジャパンエレクトロニクスジャーマニー(以下「JEG」という。)を設立し、日本から電子部品を購入して、西ドイツ等ヨーロッパ諸国でこれを販売している。当時、西ドイツにおける抵抗器の需要の増大が見込まれており、被告近藤正彦と西村和弘間に、西村和弘が資金を出し、被告近藤正彦がこの資金で新会社を設立して経営し、JEGへの抵抗器の安定供給を図るとの合意が成立した。ジャパンエレクトロニクス株式会社(以下「JEC」という。)は、西村和弘が全額を出資して設立した会社で、そのころは同人の実弟西村輝雄が代表取締役をしていたが、実際にはこのJECが一〇〇〇万円の資金を提供した。JECは日本で抵抗器を買い付けてこれを西ドイツのJEGへ販売していたものである。

(二)  原告会社は、資本金一〇〇〇万円で設立され、被告近藤正彦等八名の発起人が株主となつたが、設立直後に現実の出資者であるJECに全株式が譲渡され、JECは原告会社のいわゆる一人株主になつた。また、JECは、原告会社に対し、昭和五〇年一二月から同五一年一一月にかけて五回にわたり合計五〇〇〇万円を貸し付けた。原告会社は、JECからの右出資金及び貸付金で、新工場を建設し機械装置を整備した。原告会社の設立以降の売上高は、別紙(三)の(1)(2)の売上高一覧表(1)ないし(4)に記載のとおりであるが、このうち昭和五六年四月までは、すべてJECからの発注による売上げであつた。

(三)  右(一)(二)のとおり、原告会社の経営は、西村和弘及びJECの意向に依存していたところ、JECは、昭和五六年一月以降、原告会社への発注を停止した。そのため、原告会社の手持ちの仕事は、JECの発注ずみ分を消化するだけという経営上の危機が生じた。被告近藤正彦は、昭和五六年中、JEC以外の発注先を求めて奔走したが、それまでの売上高を維持できるような受注は得られなかつた。この間、被告近藤正彦は、西村和弘及びJECに会社の窮状を訴えたが、JECからの発注はなく、また、善後策に関して何らの指示もなかつた。そのうちに、被告ら及び長男近藤俊彦以外の原告会社従業員はすべて退社し、原告会社で抵抗器を製造することが事実上不可能になつた。抵抗器製造業界では、製造設備合理化の進行が速く、原告会社の既設の機械装置は、早晩スクラップ化することが必至な状況にあつた。やむなく、被告らは、別紙(四)機械売却一覧表のとおり、原告会社の機械を売却した。そして、原告会社を存続させ、地代や固定資産税を支払つて工場である本件建物を維持するための最後の手段として、被告らは、原告主張のとおり本件建物の一部を他に賃貸して、賃料収入の確保を図つたものである。被告らの採用した方策は、原告会社の当時の状況に照らして最良のものであり、被告らは、代表取締役及び取締役としての任務を忠実に果たしたものである。

2  被告近藤正彦及び同近藤幸恵は、昭和五七年一二月二七日代表取締役ないしは取締役を解任されたが、昭和五八年七月下旬ころまで解任の事実を知らされていなかつたものであり、被告近藤正彦は代表取締役の業務の執行として、被告近藤幸恵は従業員兼取締役の職務の執行として、昭和五六年六月一日から同五八年七月下旬ころまでの間、本件建物を管理し占有していた。また、右解任の事実を知つた後は、被告らは、原告会社のために、本件建物部分の管理を引き続いて行つていたものである。

四  抗弁に対する認否

1(一)  抗弁1(一)の事実は認める。

(二)  同1(二)の事実は認める。

(三)  同1(三)の事実は否認し、その法的主張は争う。原告会社は、抵抗器を月産一〇〇〇万本以上製造するものとして設立されたが、昭和五〇年六月に会社が成立した後、昭和五六年はじめころにJECが発注を止めるまで、月に一〇〇〇万本を製造する体制は遂に確立されなかつたこと、製品の納期遅れが続出したこと、昭和五四年には、原告会社の製造ミスにより、JECの納入先であるJEGの西ドイツにおける最大の取引先からクレームがつき、JEGが苦境に立たされたことなどの理由により、JECとしては、原告会社への発注停止に踏み切らざるを得なかつた。このように、発注停止の本質的な原因は、原告会社の抵抗器製造の実績がJECの期待を裏切り続けたことにある。被告らは、右発注停止後数か月のうちに営業を停止した原告会社の経営状態を的確に株主に知らせ、株主に会社を存続させるか否かの判断を仰ぐべきであつた。そうであるのに、被告らは、株主であるJECの知らない間に、原告会社の機械装置を処分し、本件建物の一部を他へ賃貸してしまつたのである。

2  同2の事実は否認する。

第三  証拠<省略>

理由

一取締役の善管注意義務ないしは忠実義務違反を内容とする債務不履行に基づく損害賠償請求について

1  当事者

請求原因1の事実は、当事者間に争いがない。

2  原告会社の営業状態及び被告らの善管注意義務ないしは忠実義務違反の有無

(一)  (売上高の激減)

請求原因2(一)の事実は、当事者間に争いがない。

(二)  (従業員数の変遷)

請求原因2(二)の事実は、当事者間に争いがない。

(三)  (買掛金債務の動き)

請求原因2(三)の事実は、当事者間に争いがない。

(四)  (原告会社の営業状態)

右(一)ないし(三)の事実によれば、原告会社の営業実績は、昭和五六年二月以降急激に低下し、以後そのまま休業に近い状態が続いていたことが認められる。<証拠>によれば、右の事態の発生は、昭和五五年一二月から同五六年一月以降それまで唯一の納入先であつたJECからの発注が極端に減少した時点で、被告らにおいて予測できた事実を認定することができる。したがつて、被告らは、代表取締役又は取締役として、新たな販路の開拓に努力して売上げ実績の回復を図り、それが困難であれば原告会社を解散し清算手続を行うよう株主に働きかけるなど、速やかに適切な対策を採つて会社財産を保持すべき善管注意義務ないしは忠実義務を負つていたものというべきである。

(五)  (被告らの対応策)

ところで、取締役がその任務を行うについて用いるべき注意義務の程度は、通常の思慮分別を有する標準的な人が当該会社の取締役として業務を行う際に用いる注意であつて、会社の規模の大小、営業目的の種類、取引の実情及び過去における会社の意思決定の実際などによつて、その内容に差異が存在する。そこで、以下、被告らが用いるべきであつた注意義務の程度を判断するに当たつて前提とすべき事情を検討するが、抗弁1(一)(二)の事実は、当事者間に争いがない。この当事者間に争いのない事実、前記1の事実、前記2の(一)ないし(三)の事実、<証拠>によれば、次の事実を認定することができる。

(1) 西村和弘は、西ドイツにおいてJEGを経営し、日本から買い付けた抵抗器等の電子部品をヨーロッパ諸国に販売していた。昭和四八、九年当時、西ドイツでは、抵抗器の需要の増大が見込まれていた。西村和弘は、昭和四八年、全額出資して、東京に本社を持つJECを設立した。JECは、日本国内で抵抗器を買い付けてJEGにこれを販売する役割を担つていた。JECの代表取締役に西村和弘の実弟西村輝雄が就任した。笹川正司が専務になつてJECの日常的な業務を統轄し、西村輝雄はJECと西村和弘間の連絡係の役目を果たしていた。

被告近藤正彦は、昭和四八年当時、長野県飯田市に本社のある旭電工株式会社を経営し、抵抗器を製造していた。被告近藤正彦、その妻である被告近藤幸恵及びその長男近藤俊彦が一家を挙げて右製造に従事していた。旭電工株式会社は、昭和四八、九年当時から、JECと抵抗器売買の取引をもつていた。

抵抗器の需要が増大する時期にあつて、西村和弘と被告近藤正彦は、西村和弘が資金を提供し、被告近藤正彦がこの資金で新会社を設立し工場を新設して月間一〇〇〇万本以上の抵抗器を供給することを合意した。

(2) 原告会社は、西村和弘の意向に基づいてJECが一〇〇〇万円を出資して、昭和五〇年六月二八日に設立された。設立時には、被告近藤正彦など八名が名目的な株主になつたが、設立の数日後に、JECが全株式を譲り受けいわゆる一人株主になつた。原告会社設立当初から、被告近藤正彦が代表取締役に就任し、妻である被告近藤幸恵、兄である近藤清寿が取締役に就任した。昭和五二年ころ、JECの代表取締役西村輝雄及びJECの実務の統轄者笹川正司が取締役に加わつた。笹川正司が取締役を辞めた後、昭和五四年八月七日に、JECの営業部長で取締役をしたことがある高石徳一が原告会社の取締役に就任した。西村輝雄は、昭和五五年一〇月一日、原告会社の取締役を辞任し、西村和弘がそのころ原告会社の取締役に就任した。その後、高石徳一も取締役を辞め、昭和五六年八月三〇日当時、原告会社の取締役は、被告近藤正彦、同近藤幸恵、近藤清寿及び西村和弘の四名であつた。西村輝雄は原告会社の取締役を辞任した日にJECの代表取締役も辞任しており、西村和弘がその跡を引き継いだ。JECと関係の深い公認会計士小泉正太郎は設立以来引き続いて原告会社の監査役をしている。なお、被告近藤正彦、同近藤幸恵及び近藤清寿は、昭和五七年一二月二七日に解任され、昭和五八年一月七日その旨の登記が経由されたが、同人らに対し右解任の事実は知らされず、同人らがこれを知つたのは、同年七月になつてからであつた。

(3) JECは、前記一〇〇〇万円を出資したほか、別紙(五)の貸付金計算書に記載のとおり、原告会社に対し、昭和五〇年一二月一七日から同五一年一一月一〇日までの間、前後七回にわたり、合計五〇〇〇万円を貸し渡した。原告会社は、右出資金及び貸付金で、工場である本件建物を新築し、機械装置を買い整えるなどして、営業活動を開始した。JECが右貸付をしているが、その貸付の決定は西村和弘が行つた。被告近藤正彦は原告会社の代表取締役として一応経営を一任された形になつていたが、高額な機械の購入に当たつては、その都度、笹川正司などJECの実務の責任者に相談し、その承諾を得て、その購入を実行していた。

ところで、原告会社が当初買い求めた塗装機は性能が劣り抵抗器の生産量は二〇〇万本くらいを低迷し思うように上がらなかつた。そこで、原告会社は、昭和五一年六月ころ、正和産業株式会社に対し、当時最高の性能を有するとの評価を受けていた塗装機二台を注文した。ところが、同社から、機械の製作に着手する以前すなわち契約締結時に代金全額一一三〇万円を支払うように求められ、西村和弘が西ドイツで急遽送金の手続を取つたものの、当時の為替事情で代金支払日に間に合わず、右機械の購入ができないことになつた。他社の機械三台と原告会社が独自に製作した機械で曲りなりにも当初の目標に近い量産体制が整つたのは昭和五二年に入つてからであつた。

(4) 原告会社は、昭和五〇年七月から昭和五七年五月まで抵抗器を製造していたが、その間の売上高の推移は、別紙(三)の(1)(2)の売上高一覧表に記載のとおりである。昭和五六年四月までの製造分は、すべてJECに販売され、それがJECからJEGに納入されている。その後の製造分の中に、右一覧表に丸カッコで示したようにJEC以外の会社に販売されたものもあるが、その数量はごくわずかで取るに足りない。原告会社の抵抗器の生産量は、昭和五三年一月から同年一二月までが一か月平均約四五五万本、昭和五四年六月から同年八月にかけてが一か月約六二〇万本、昭和五五年五月二一日から同五六年五月二〇日までは一か月平均約四四〇万本であり、継続して月産五〇〇万本ないし六〇〇万本を超えることはなく、月間一〇〇〇万本の安定供給という当初の目的は遂に達成されなかつた。それだけでなく、原告会社は、しばしば納期遅れを発生させ、また、製造上のミスによりJEGの販売先からクレームが持ち込まれることがあつた。昭和五四年五月ころ、抵抗器のリード線にニスを長く塗りすぎるという初歩的なミスにより、販売先から約五〇〇万本が返品され、一時その販売先におけるJEGの製造承認が取り消されるという重大なクレームが発生したこともあつた。被告両名と長男近藤俊彦は、原告会社設立のはじめから、残業を繰り返し休日も再三返上する努力を続けたが、優秀な塗装器を入手できなかつたことが後までひびいて、業績は一向に上昇しなかつた。原告会社は、別紙(五)の(1)ないし(3)の貸付金計算書に記載のとおり、JECに対し、前記貸付金の返済をし、昭和五六年五月三一日の返済を最後に、元金一四五〇万円が残つたままになつているが、昭和五四年初めころから、返済が約定どおりでないとして、JECからその支払の督促を受けるようになつていた。これに対し、被告近藤正彦は、製品単価の維持と発注量の増加を何度も要請しているのに聞き入れられず、体調も崩しているとして、同年二月に、同年三月一杯で代表取締役を辞めたい旨を、JECの西村輝雄社長及び笹川正司専務に申し入れた。同年八月に被告両名、西村和弘及び西村輝雄その他が集つて打ち合わせた結果、借金の返済時期が繰り下げられ、被告近藤正彦が代表取締役を退き取締役にとどまり、西村和弘が代表取締役に就任することになり、被告近藤幸恵及び近藤清寿は取締役辞任の申出を撤回した。ただし、西村和弘は、その後も代表取締役に就任していない。被告近藤正彦は、昭和五四年四月から昭和五五年八月まで役員報酬を返上して受け取つていない。原告会社の業績は、設立以来思わしくなく、機械装置の買い換えが行われていなかつたが、この間抵抗器製造業界の合理化が進行し、原告会社の抵抗器の価格は、少しずつ割高なものになつていき、昭和五五年後半以降は、原告会社は、新しい機械を備えた他社と比較して、生産可能な数量及び単価の両面で、太刀打ちできなくなつていた。西村和弘は、期待をかけて出資した原告会社が育たなかつたことに、非常に失望した。

(5) 原告会社では、昭和五五年一〇月、西村輝雄が取締役を辞任し、同人に代つて西村和弘が取締役に就任したが、その後同年末にかけて以降、JECは、原告会社への発注を控えるようになつた。そのため、原告会社の売上高は、別紙(三)の(2)の売上高一覧表(3)(4)に記載のとおり、昭和五六年二月以降、急激に減少した。その後も、散発的にJECからの発注があつたが、その数量は従前の業績に比較して全く問題にならない少ないものであつた。それまで原告会社はJECを唯一の販売先にしていたので、JECが発注を控えた時点で、原告会社の経営が行き詰ることは目に見えていた。このことは、西村和弘及びJECの担当者が十分に承知していたことであつた。被告近藤正彦は、昭和五六年はじめから、西村和弘及びJECに対し、手紙ないしは電話により、再三にわたつて、原告会社の窮状を訴え、しかるべき指示をするように求めた。しかしながら、西村和弘及びJECからは、何らの指示も与えられなかつた。また、被告近藤正彦は、昭和五六年三月ころから同年九月ころにかけて、地元代議士その他のつてを頼つて、新しい販売先を開拓しようと努めたが、その成果は、前記売上高一覧表(3)(4)の丸カッコ内に表示のとおり、微々たるものであつた。そうするうちに、熟練した従業員は見切りをつけて次第に退職して行き、販売先の新規開拓を見込んで一時集めたパートの従業員も辞め、従業員数は、昭和五六年九月が五名、同年一〇月ないし同年一二月が四名、昭和五七年一月以降は三名であつた。このうちの三名は、被告両名及び長男近藤俊彦である。昭和五六年九月以降機械の稼働しない日が続くようになつていた。

(6) 被告近藤正彦は、西ドイツの西村和弘に対し、昭和五六年八月五日付の手紙で、重ねて、原告会社の今後につきどのような方策をとるべきか、オーナーである同人の指示を仰ぐ旨を書き送り、東京のJECに対し、同日付内容証明郵便で、西村和弘へ右手紙を送付したことを知らせた。当時、西村和弘は、既にJECの代表取締役に就任しており、原告会社の取締役にもなつていた。西村和弘は、同年九月下旬ころから同年一〇月末ころにかけて日本に滞在し、同年一〇月上旬ころに、長野県飯田市の原告会社を訪問する旨を被告近藤正彦に連絡したが、右訪問をしないまま離日し、原告会社の今後をどうするかについて、被告らと相談する機会を持たなかつた。同年一二月一日、原告会社において、被告両名、JECの桂田紀彦取締役、原告会社の小泉正太郎監査役その他が会議をもつた。桂田紀彦及び小泉正太郎は、その際、役員会の招集を助言した。これを受けて、被告近藤正彦は、同月四日、西ドイツの西村和弘に対し、取締役会開催に関する同月七日付通知書を送付し、これは同人に届いたが、同人からは何らの回答もなかつた。右通知書には、同月二〇日から同月三一日までの西村和弘の都合の良い日に原告会社の役員会を開催するので出席を求める旨が記載されていた。

被告近藤正彦、同近藤幸恵及び近藤清寿は、昭和五七年一月五日、西村和弘に対する招集をしないまま、原告会社の取締役会を開いた。そして、右出席した取締役は、機械装置を早急に売却し、その結果空いた本件建物の一部を他に賃貸して、賃料収入を得ることを決議した。その時点では、(ア)原告会社の機械装置は既に旧式化しており、現存の機械装置をそのまま使用するのでは、発注量、単価及び納期について顧客の要求に応じ切れないこと、(イ)仮に注文があつたとしても、熟練した従業員は既に止めてしまつていて、まとまつた量の抵抗器の製造に直ちに取り掛るのは困難であること、(ウ)既に資金的な余裕がなく、生産活動に必要な資材や人員を準備できなくなつていたことなどの理由で、原告会社が抵抗器の製造を再開することは、新規に多額の資金を投入しない限り、不可能になつていた。

右決議に基づいて、原告会社は、別紙(四)の機械売却一覧表のとおり、機械装置を売却した。また、原告会社は、昭和五七年五月ころ共進精機こと梨田善則に対し、同年九月ころ有限会社ヤマト技研に対し、それぞれ本件建物の一部を賃貸した。

以上の事実を認定することができ、<証拠>中の右認定事実に反する部分は前顕各証拠に照して直ちに採用し難く、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

(六)  (被告らの善管注意義務ないしは忠実義務違反の有無)

右(五)の認定事実によれば、(1)原告会社は資本金一〇〇〇万円の小会社で、同社が存続するか解散するかは、事実上の出資者である西村和弘の意思一つにかかつていたこと、(2)JECが昭和五五年一二月末ないしは同五六年初めころから原告会社への発注を控えたのは西村和弘の決意によるものであり、西村和弘は、この発注の手控えにより早晩原告会社の経営が成り立たなくなることを見越していたこと、(3)西村和弘は、昭和五五年一〇月原告会社の取締役に就任しており、単に事実上のオーナーというだけでなく、取締役の立場で、原告会社の経営につき責任を負つていたのであるが、昭和五六年一月以降繰り返された、被告近藤からの局面打開のための指示を仰ぐ求めに対し、何らの解答もしなかつたこと、(4)原告会社の業績は終始思わしいものではなかつたが、被告両名及び長男近藤俊彦は誠意をもつて仕事を行い、成績向上のための努力を怠らなかつたこと、(5)原告会社の一人株主であるJEC及びJECの全額出資者である西村和弘には、原告会社の経営内容改善のために役員を変更するなど適宜の方策を採用する機会が何度もあつたこと、(6)西村和弘及びJECから何らの指示のない状態で昭和五六年三月から同年九月にかけて被告近藤正彦が行つた新しい販路開拓などのための活動は、成功はしなかつたものの、原告会社の代表取締役としての妥当な努力であつたと評価できること、(7)右努力が成功せず、昭和五七年一月当時、原告会社は抵抗器製造の再開が不可能になつていたもので、被告ら及び長男近藤俊彦としては、自分達の生活を維持するためには、工場の維持管理を放棄して他に働きに出るなど、原告会社の経営を放置せざるを得ない状況に追い込まれていたこと、(8)昭和五六年一二月の役員会開催の企画は、西村和弘からの応答がなく、実行されないまま、昭和五七年一月を迎えたものであることなどの事情が認められる。

右のような原告会社の経営状態と意思決定の実情を前提にすると、急速にスクラップ化が進行している機械装置をできる限り早い時期に良い値段で他へ売却し、その結果空いた本件建物の一部を他に賃貸して賃料収入を図るという被告らが採用した方法は、奇抜ではあるが、これに優る方法を直ちに考え難く、やむを得なかつたこととして是認することができるというべきである。このような措置の採用につき、事前に承諾を得、事後に通知をするのがより妥当であつたと思料されるが、昭和五六年初め以降の西村和弘及びJECの対応を見ると、被告らばかりに責めを負わすことは相当でないというべきである。したがつて、被告らには、代表取締役又は取締役としての、善管注意義務ないしは忠実義務の違反はないと認める。

3  まとめ

右の次第であつて、原告の本訴請求のうち、取締役の善管注意義務ないしは忠実義務違反を内容とする債務不履行に基づく損害賠償請求は、理由がない。

二被告らの本件建物部分に対する不法占有に基づく賃料相当損害金の支払請求について

1  原告の本件建物の所有

請求原因4(一)の事実は、当事者間に争いがない。

2  被告らの本件建物部分の占有

<証拠>によれば、被告らは、本件建物部分を、昭和五六年六月一日から昭和五七年五月中旬ころまでは原告会社の工場として使用占有し、同月中旬ころから昭和五九年六月一九日ころまでは自分達の住居としても使用占有していた事実を認定することができ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

3  業務執行としての占有、事務管理としての占有

<証拠>によれば、抗弁2の事実を認定することができ、この認定事実を覆すに足りる証拠はない。被告らは、昭和五七年五月中旬ころ以降、本件建物部分を自分達の住居としても使用しているが、業務執行ないしは事務管理の一方法として肯認できるので、右自己使用をもつて右認定を覆すに足りない。

4  まとめ

右の次第であつて、原告の本訴請求のうち、被告らの本件建物部分に対する不法占有に基づく賃料相当損害金の支払請求は、理由がない。

三結論

よつて、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官富田守勝)

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