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大阪地方裁判所 昭和58年(わ)6378号 判決 1984年10月26日

本店所在地

大阪府堺市北野田五二番地の一

有限会社ハマ

(右代表者代表取締役濱屋勉)

本籍

大阪府羽曳野市はびきの三丁目三一五番地

住居

同府藤井寺市小山藤の里町三番二二号

会社役員

濱屋勉

昭和七年一二月二八日生

右両名に対する各法人税法違反、濱屋勉に対する所得税法違反各被告事件につき、当裁判所は、検察官鞍元健伸出席のうえ審理を遂げ、次のとおり判決する。

主文

一  被告人有限会社ハマを罰金三〇〇万円に、被告人濱屋勉を懲役一年六月及び罰金一八〇〇万円に、各処する。

一  被告人濱屋勉がその罰金を完納することができないときは、金五万円を一日に換算した期間同被告人を労役場に留置する。

一  被告人濱屋勉に対し、この裁判確定の日から三年間右懲役刑の執行を猶予する。

一  訴訟費用は、被告人両名の連帯負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人有限会社ハマ(以下「被告会社」という。)は、大阪府堺市北野田五二番地の一に本店を置き、理美容業を目的とする資本金三〇〇万円の有限会社であり、被告人濱屋勉は、被告会社の代表取締役として同会社の業務全般を統括するとともに、大阪府下等においてスーパー理容高石等の名称で単独あるいは岩本省吾、松本春男らと共同で理美容店を営んでいるものであるが、

第一  被告人濱屋勉は、同会社の業務に関し、法人税を免れようと企て、公表経理上売上げの一部を除外するなどの方法により所得を秘匿したうえ、

一  昭和五四年一一月一日から同五五年一〇月三一日までの事業年度における被告会社の実際所得金額が一四五八万五五八円(別紙(一)修正損益計算書参照)あったのにかかわらず、同五六年一月五日、大阪府堺市南瓦町二番二〇号所在の所轄堺税務署において、同税務署長に対し、その所得金額は一〇三万九九〇二円の欠損で納付すべき法人税額は存しない旨の虚偽の法人税確定申告書を提出し、もって不正の行為により同会社の右事業年度における正規の法人税額四九八万六八〇〇円(別紙(二)税額計算書参照)を免れ、

二  昭和五五年一一月一日から同五六年一〇月三一日までの事業年度における被告会社の実際所得金額が一二七二万九二七六円(別紙(三)修正損益計算書参照)あったのにかかわらず、同五六年一二月二六日、前記税務署において、同税務署長に対し、その所得金額が一三四万五五三九円の欠損で納付すべき法人税額は存しない旨の虚偽の法人税確定申告書を提出し、もって不正の行為により同会社の右事業年度における正規の法人税額四三八万四〇〇円(別紙(四)税額計算書参照)を免れ、

三  昭和五六年一一月一日から同五七年一〇月三一日までの事業年度における被告会社の実際所得金額が五〇四万一一八六円(別紙(五)修正損益計算書参照)あったのにかかわらず、同五七年一二月二一日、前記税務署において、同税務署長に対し、その所得金額が二九六万二三四円の欠損で納付すべき法人税額は存しない旨の虚偽の法人税確定申告書を提出し、もって不正の行為により同会社の右事業年度における正規の法人税額一五〇万九〇〇〇円(別紙(四)税額計算書参照)を免れ、

第二  被告人濱屋勉は、自己の所得税を免れようと企て、単独あるいは共同経営の店舗の開設名義人に他人の氏名を借用して他人の事業であるかのように仮装するなどの方法により所得を秘匿したうえ、

一  昭和五五年分の実際所得金額が二八六七万五七五〇円(別紙(六)修正貸借対照表等参照)あったのにかかわらず、所得税確定申告書の提出期限である同五六年三月一六日までに大阪府富田林市若松町西二丁目一六九七番地の一所在の所轄富田林税務署長に対し、同申告書を提出せず、もって不正の行為により同五五年分の正規の所得税額一一四一万三七〇〇円(別紙(七)税額計算書参照)を免れ、

二  昭和五六年分の実際所得金額が三三一五万六一六四円(別紙(八)修正貸借対照表等参照)あったのにかかわらず、所得税確定申告書の提出期限である同五七年三月一五日までに所轄富田林税務署長に対し、同申告書を提出せず、もって不正の行為により同五六年分の正規の所得税額一四〇一万九一〇〇円(別紙(七)税額計算書参照)を免れ、

三  昭和五七年分の実際所得金額が六七五八万四一八一円(別紙(九)修正貸借対照表等参照)あったのにかかわらず、所得税確定申告書の提出期限である同五八年三月一五日までに所轄富田林税務署長に対し、同申告書を提出せず、もって不正の行為により同五七年分の正規の所得税額三六四〇万三〇〇円(別紙(七)税額計算書参照)を免れたものである。

(証拠の標目)

判示事実全部につき

一  被告人濱屋勉の当公判延における供述

一  同被告人の検察官に対する供述調書

一  収税官吏の同被告人に対する昭和五八年四月二七日付け、同年五月一九日付け、同年六月三〇日付け、同年九月二〇日付け(丁数が五丁のもの)、同月二四日付け、同月二七日付け(丁数が一三丁のもの)、同年一〇月一七日付け、同月二五日付け(丁数が一三丁のもの)各質問てん末書

一  証人福田昭雄の当公判延における供述

一  田中義人、福田昭雄(謄本、三丁目裏七行目から五丁目表一行目まで、九丁目裏一三行目から終わりまでを各除く。)、竜見治八郎の検察官に対する各供述調書

一  収税官吏の島田富紀枝、古賀兼三(二通)、山本日出夫、西尾淑子(同年六月二九日付け)、松本春男、佐藤小浜、田中義人(同年九月二九日付け)、福田昭雄(謄本二通、同年六月二一日付けは、八丁目裏九行目から九丁目裏後から三行目まで、一三丁目裏一〇行目から一五丁目表二行目までを各除く。同年九月一四日付けは、三丁目裏三行目から三丁目裏最終行まで、七丁目裏一四行目から八丁目表一〇行目までを各除く。に対する各質問てん末書

判示第一の各事実につき

一  検察官、弁護人、被告人共同作成の合意書面

一  濱屋久美子の検察官に対する供述調書謄本

一  収税官吏斉藤毅の同年一〇月一一日付け、同月一二日付け、同月一四日付け(簿外経費に関するもの)、同月一八日付け(簿外経費(2)に関するもの)、同月一三日付け(簿外給料に関するもの)、同年九月二六日付け、同月二二日付け、同年一〇月二四日付け(その他の是否認についてに関するもの)、同月二一日付け、同月一四日付け(固定資産の取得についてに関するもの)、山本啓二の同月一一日付け(源泉所得税の納付についてに関するもの)、横田恒男の同月二八日付け、浅井泰の同年五月二日付け各査察官調査書

一  被告会社作成の法人税確定申告書謄本三通

一  大阪法務局堺支局登記官安井惣七作成の法人登記簿謄本

一  押収してある総勘定元帳五綴(昭和五九年押第三七八号の123)、ノート二冊(同押号の4)、源泉徴収簿等六綴(同押号の5)

判示第二の各事実につき

一  収税官吏の被告人濱屋に対する昭和五八年四月二八日付け、同月三〇日付け、同年六月一〇日付け、同月一五日付け、同月一七日付け、同年七月六日付け、同月二六日付け、同年八月二三日付け、同月二九日付け、同年九月一二日付け、同月一六日付け(二通)、同月二〇日付け(丁数が一七丁のもの)、同月二七日付け(丁数が八丁のもの)、同月三〇日付け(三通)、同年一〇月六日付け(二通)、同月一一日付け(二通)、同月二一日付け(三通)、同月二五日付け(丁数が四丁のもの)、同月二九日付け(二通)、同年一二月八日付け(二通)各質問てん末書

一  証人川崎征男、同小坂一代、同秋道浩、同長屋一郎、同平本安恵の当公判廷における各供述

一  収税官吏の西尾淑子(同年四月二七日付け)、田中義人(同年五月二七日付け)、安藤孝子、船本守、磯辺信孝、田名ムツ子、浅田美智恵(二通)、久保恵嗣、木下恵美子、相本勲、古井文子(二通)、峰千恵子、首頭清子、大谷悦子、堤綾子、松木亮三(二通)、岸田宣子、鶴田實、片岡笑香、永野明雄、内田英二、中山信子(二通)、菊地昭子、前川光弘、森恒雄、小池知津子、福田昭雄(謄本三通、同年四月二七日付けは、三丁目表五行目から八丁目表一行目まで、八丁目裏二行目から九丁目裏終わりから四行目までを各除く。同月二八日付けは、一丁目裏一、二行目、四丁目裏二行目から七丁目表四行目までを各除く。同月三〇日付けは、五丁目裏一行目から七丁目表九行目まで、八丁目表一行目から八丁目裏九行目までを各除く。)、竹村明美(二通)、平本安恵、宇都宮三恵子、大久保一敏、木村八十枝、久野美代子、上田裕代、大家数代、浜屋雅之、竜見治八郎(二通)、生田潤一郎、大林正雄、池田洋一、小西民晃、神中英明、永井智美、竹之内広義、友成怜子、高山弘、西田賢治、菅生重政、太田芳貞、張英一、服部健三、利原保雄、森本イネ、辻清太郎、倉谷佐市、田中義人(同年五月一一日付け)、本庄孝輔、紙本要、辻雅代、和気三子、岩崎光江、平田悦三(二通)、浜屋久美子(謄本三通)、岩本令子(九通)、岩本省吾(謄本二通)に対する各質問てん末書

一  株式会社三和銀行富田林支店田中一郎作成の「確認書」と題する書面三通

一  収税官吏内野恭介(八通)、桧皮倍弘、宮崎安一、山本啓二の同年八月一〇日付け、同年一〇月二八日付け、同月二一日付け(三通)、同月一一日付け(建物附属設備(内装)の減価償却について(共同店)に関するもの)浅井泰の同年九月二七日付け、吉田進(四通、内二通は謄本)、松川幸一(一三通)、横田恒男の同年九月一一日付け、吉川正之(六通)、内野恭介・浅井泰、斉藤毅の同年一〇月二四日付け((有)ハマ勘定に関するもの)、同月一四日付け(簿外建物附属設備についてに関するもの)、同月一三日付け(未払費用に関するもの)、同月一七日付け(三通)、同月一九日付け、同月一八日付け(簿外経費(2)(年分)に関するもの)、関谷真一・高田道啓、高田道啓各作成の査察官調査書

一  川崎征男ら作成の昭和五七年一一月一三日付け不動産契約証書写

一  押収してある売上帳一冊(前同押号の6)

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人、被告人らの争う各争点についての当裁判所の判断の要旨は、以下のとおりである。

一  源泉所得税未納分について

検察官は、被告会社がその従業員に支給した簿外給料は、いわゆる税込給であると主張するのに対し、弁護人は、いわゆる手取給であって、右給料に対する所得税の源泉徴収もれ分は、いずれも被告会社の損金として計上すべきであると主張する。

そこで検討するに、被告人濱屋及び証人福田昭雄の当公判廷における各供述、収税官吏の同被告人、島田富紀枝、古賀兼三(二通)、山本日出夫、西尾淑子(同年六月二九日付け)、松本春男、佐藤小浜に対する各質問てん未書等によると以下の事実が認められる。すなわち、被告会社はその従業員に対して支給した給料のうち二分の一を公表計上したのみで、残りの二分の一を簿外給料としていたが、公表計上分に対応する所得税額を従業員からは徴収することなく、各従業員に食事手当として月額四、〇〇〇円を支給した形をとり、実際には右手当を現実には従業員に支給せず被告会社においてプールしてこれを従業員の所得税額の支払に充てており、結局従業員の所得税額は被告会社において負担していたこと、従業員においても給料は手取給であると解していたことが各々認められる。

検察官は、収税官吏の被告人濱屋に対する昭和五八年一二月八日付け(丁数が七丁のもの)質問てん末書において、所得税の源泉徴収もれ分につき同被告人が従業員から追加徴収する旨供述していることをその立論の根拠とするが、手取給であるかどうかは被告会社と従業員との間の雇用契約により決せられるものであり、被告人浜屋の認識は、その認定のための一資料にすぎず、決定的なものでないことはいうまでもない。

前記認定事実によれば従業員の給料が手取給であったことは明らかであり、検察官指摘の点も右認定を左右するに足るものではない。

検察官、弁護人、被告人共同作成の合意書面等によれば、被告会社の従業員の給料に対する源泉徴収もれ分は、一期二四九万三八四九円、二期三二八万五六四八円、三期三七二万六八九〇円と認められる。

従って、被告会社の簿外給料は、検察官主張額に右各金額を加算した一期三八五八万三五七〇円、二期三九五七万一八四四円、三期四三〇〇万四〇五七円と認定する。

二  未納事業税について

前記一で認定したとおり、従業員の給料についての所得税源泉徴収もれ分が経費として認められるため、事業税の課税標準が二期は一五二一万三〇〇〇円、三期が一二七二万九〇〇〇円となるので、未納事業税として二期一五一万五六〇円、三期一二一万二四八〇円を各認定する。

三  所得の帰属について

検察官は、簿外店舗についていずれも被告人濱屋の個人経営あるいは同被告人と岩本省吾らとの共同経営であり、その所得は同被告人個人に帰属すると主張するのに対し、弁護人は、右店舗は、いずれも被告会社あるいは被告会社と岩本らとの共同経営にかかるものであり、その所得はいずれも被告人濱屋ではなく、被告会社に帰属すると主張する。

そこで検討するに前掲各証拠によると以下の事実が認められる。すなわち、被告人濱屋は、昭和三五年頃から理美容店を経営するようになり、その後順次店舗を開設していき、岩本省吾との共同店舗もはじめることとなったこと、昭和五三年一二月には、それまで妻濱屋久美子の経営していた富田林の理美容店を引継いで有限会社富(代表取締役濱屋久美子)が、被告人濱屋の経営していた北野田、白鷺の各理美容店を引継いで被告会社(代表取締役被告人濱屋)が、各設立されたこと、その後も既設店舗の利益を投下して新規店舗の開設に努めたこと、被告会社の公表店舗もその他の店舗も営業方法は共通であり、各店舗の運営方法、給与体系等も全て同一であり異なる点は見受けられないこと、岩本省吾との共同店についても、被告会社設立後、開設された店舗に関しても従前と同様に共同経営者の岩本と被告人濱屋との間の話合いで決められており、関係書類も被告会社ではなく被告人濱屋個人として作成されていること、被告会社設立前の共同経営店についても被告会社設立後契約関係の変更は全くなされていないこと、岩本らも被告会社とではなく被告人濱屋との共同店であると認識していること、店舗を他へ譲渡した場合も被告会社ではなく被告人濱屋の名義が使用されていること(例えば収税官吏の生田潤一、辻雅代、岩崎光江に対する各質問てん末書参照)、被告会社の公表店舗については元帳が作成され法人税確定申告書も提出されているが、その他の店舗については会計帳簿は存せず、他人名義の虚偽の所得税確定申告書が提出されているにすぎないことが各々認められる。

次に被告人濱屋の認識について検討するに、被告人濱屋は、当公判廷では公表店舗以外の店舗は、いずれも被告会社の簿外店舗であると供述しているが、その理由としては、公表店舗と経営システムが同一であることを理由にあげているにすぎない。これに対し、被告人濱屋の捜査段階における供述をみると、被告会社の公表店舗は、被告人濱屋がはじめて開設した店舗であって、愛着が強く末永く存続させたかったので法人化したこと、その他の店舗については、税金を免れるため又業績不振であれば転売し易くするため被告人濱屋個人の簿外店舗とし、法人化しなかった旨供述をしており、その述べる理由も合理的であり、措信できるものと解するのが相当である。これに対し被告人濱屋の当公判廷における供述は、その理由が薄弱で必ずしも措信できない。

以上の各事実を総合すると、被告会社の公表店舗以外の店舗は、被告人濱屋個人の単独又は岩本との共同店舗と解するのが相当である。

前記認定のとおり被告会社の収益も被告人濱屋個人の店舗の開設資金等に投下されている。被告人浜屋の所得計算については、財産増減法が用いられているので、被告会社からの資金流入分は、これを除外して計算する必要があるところ、本件証拠上その流入資金を個別具体的に確定することは困難である。従って、各年度においては、最大限被告会社の収益全額が被告人濱屋個人の事業に投下されたものとして扱うのが所得計算上被告人濱屋にとって最も有利な計算方法であるので、被告会社の各月分の所得を計算して、これを被告人濱屋の所得計上控除するのが相当である。

検察官は、資金の流入のあった場合には、被告会社の帳簿に記載されているものは被告会社の所得とし、他は、被告人濱屋個人の所得として処理すべきであると主張するが、財産増減法においては、期中に他人資産の流入あるいは自己資産の流出のないことを立証することが不可欠であり、到底採用し難い見解である。検察官引用の判例も本件と事案を異にし、適切ではなく、検察官の右主張は採用しない。

前掲各証拠によれば、被告会社経営の店舗及び被告人濱屋個人の経営にかかる店舗の売上金は、いずれも月末〆で翌月初めに集金されたうえ一括管理されていると認められ、被告会社と被告人濱屋個人との資金を載然と区別することはできない。従って、各期首、期末の資産を確定し、これを一応被告人濱屋個人の資産として扱い、期中の被告会社の簿外資産の増加分をこれから差引いて、個人所得を計算するの外はない。収税官吏斉藤毅作成の昭和五八年一〇月二四日付け査察官調査書((有)ハマ勘定に関するもの)等によれば、ハマ勘定分としてこれが計上されている。

結局、被告会社からの資金流入は最大限考慮されており、この計算方法は被告人濱屋に最も有利なものであって、正当であることはいうまでもない。

四  貸付金について

検察官は、川崎征男に対する貸付金について、三期期末においては、二一四万七二〇〇円が存すると主張するのに対し、弁護人は、昭和五七年一一月か一二月に右川崎から一〇〇万円の弁済を受けているので、三期期末残は一一四万七二〇〇円にすぎないと主張する。

なるほど検察官指摘のように、収税官吏の被告人濱屋に対する昭和五八年九月二四日付け質問てん末書問一七においては、同被告人は未だ返済を受けていない旨の記載が存するが、右てん末書は、多数の貸付金について述べたものであって、記憶違いの余地も十分に考えられるところである。他方証人川崎征男及び被告人濱屋の当公判廷における各供述は、大筋において一致し、その内容も右川崎ら作成の昭和五七年一一月一三日付け不動産契約証書写にも裏付けられた具体的なものであり、単なる口裏合せの所産とは考え難く、これらの証拠に照らすと、右てん末書の信用性は必ずしも十分でなく、他に弁済のなかったことを証するに足りる証拠は存しない。従って立証のない以上、弁済のあったものとして扱うのが相当であり、弁護人の右主張は理由がある。川崎に対する貸付金については、三期期末残を一一四万七二〇〇円と認定する。

五  事業主貸について

1  専従者控除について

弁護人は、三期の濱屋雅之に対する給料一八〇万円中四〇万円については、所得税法五七条三項により必要経費として認められるべきものであり、事業主貸として計上すべきでないと主張する。

収税官吏の被告人濱屋勉(昭和五八年九月二七日付け、丁数が一三丁のもの)、濱屋久美子(謄本、同年一〇月一四日付け)、濱屋雅之に対する各質問てん末書、証人福田昭雄の当公判廷における供述等によると、濱屋雅之は、被告人濱屋の長男であり、同居をし生計を一にしていること、昭和五七年一月頃から同被告人の経営する天王寺美容に勤務するようになり、月額一五万円の給料を同被告人から受取っていたことが認められる。

弁護人指摘のように、昭和五九年法律五号による改正前の所得税法五七条三項によると、いわゆる事業専従者につき四〇万円を必要経費として算入することが認められている。しかしながら、同項の適用を受けるためには、同条五項により所得税確定申告書にその旨の記載の存することが要件とされている。前判示のとおり、本件においては確定申告がなされていないので、同条五項の要件を充たす余地は全く存せず、弁護人の右主張は採用しない。濱屋雅之に支給した給料一八〇万円については、必要経費として認められない以上、事業主貸として計上するのが相当である。

2  衣服家具代について、

検察官は、各期二〇〇万円を主張するのに対し、弁護人はこのような出費は存しないと主張する。

そこで検討するに、被告人濱屋は当公判廷において、このような出費は全く存しなかった旨供述するが、もともとこのような出費が全く存しないのは不自然であり、同被告人の右供述は、それ自体信用性に疑問が存するのみならず、収税官吏の濱屋久美子に対する昭和五八年一〇月一四日付け質問てん末書謄本に照らし、到底措信し難い。

収税官吏の同被告人に対する各質問てん末書は、収税官吏の中山信子に対する同年六月一三日付け質問てん末書、収税官吏内野恭介作成の同年九月三日付け査察官調査書にも合致し、その信用性は高いものと解される。右各証拠により、各期二〇〇万円を衣服家具代として認定する。

3  旅行費用について

検察官は、各期一〇〇万円と主張するのに対し、弁護人は各期六〇万ないし八〇万円にすぎないと主張する。

被告人濱屋は、当公判廷においては年に二回、一回につき三〇万円か四〇万円程度かかった旨供述し、捜査段階で一回五〇万円と供述したのは、経費として認めてもらうためであったと弁解する。しかしながら、経費と誤解した旨の右弁解は、収税官吏の同被告人に対する同年九月二〇日付け質問てん末書(丁数が一七丁のもの)問一七の記載に照らし措信し難く、同被告人の当公判廷における供述の金額も明確でないことに鑑みると、収税官吏の同被告人に対する各質問てん末書を措信するのが相当である。従って旅行費用としては、各期一〇〇万円を認定する。

4  義母小遣いについて

検察官は、被告人濱屋が義母坂本千代子に年額九〇万円の小遣いを渡していたので、同額を事業主貸として計上すべきであると主張するのに対し、弁護人はその金額を争い、一期九万円、二期三二万円、三期一三万円にすぎないと主張する。

この点について、同被告人は、収税官吏の同被告人に対する同年六月三〇日付け、同年一〇月二九日付け(丁数が一二丁のもの)各質問てん末書によると、ハーマ美容から月五万から一〇万円位の現金が小遣いとして出金されており、押収してある売上帳一冊(前同押号の6)にマスター(おばあさん)又はマスターと記入してあるのがこれにあたり、年間総額で九〇万円位になる旨供述していたが、当公判廷では、ポケットマネーを渡したり、ハーマ美容から出金したりして、月にして一、二万円、年間六、七回で合計一〇万円位にすぎないと供述をしている。

次に収税官吏の平本安恵に対する質問てん末書によると、同女は、時々一回二万から五万円をおばあさんに渡しており、前記売上帳にその旨を記載したと供述をしており、同女の当公判廷における供述も大概同旨である。

ところで同被告人の当公判廷における供述、濱屋久美子の同年一〇月一四日付け質問てん末書謄本によると、同被告人らは義母と同居しており、同女にはアパートの賃料収入もあること、同女は濱屋久美子から月二万円の小遣いを受取っていることが各々認められる。

右認定事実に照らせば、右収入に加えて年額九〇万円もの小遣いを同被告人から受取っていた旨の収税官吏の同被告人に対する前記各質問てん末書は不自然であって措信し難い。又、同被告人の当公判廷における供述もかなり曖昧であり首尾一貫性を欠き、単に過少である旨を供述しているにとどまり、前記平本の供述及び売上帳に照らし、その信用性は薄弱といわざるをえない。

前記売上帳によると、マスター(おばあさん)あるいはマスターとして記入の存するものは別紙(一〇)のとおりである。

平本は、このうちマスター(おばあさん)と記載のあるもののみが義母への小遣いであると供述するが、同被告人の当公判廷における供述によると、新規店舗開設の度に右店舗にはりついて陣頭指揮をしていた旨供述をしており、右売上帳記載の如く同被告人が頻繁にハーマ美容に出向いていたものとは解されず、収税官吏の同被告人に対する各質問てん末書で同被告人が供述するように、マスターとの記入も特にマスター(おばあさん)の記載と区別してなされてはいなかったものと解するのが相当である。しかし、金額一〇万円を越える分については、義母にそのような多額を渡したとの証拠は存しないので、同被告人自から集金したものと解するのが相当である。

右売上帳から一〇万円未満のマスター又はマスター(おばあさん)と記載のある出金を拾いあげると、昭和五六年六月から一二月までで合計二七万円(月平均約三万九〇〇〇円)、昭和五七年一月から一二月までで合計三五万円(月平均約二万九〇〇〇円)となる。同被告人自からポケットマネーを渡したこともある旨供述していることをも併せ考慮すれば月平均三万円の小遣いを義母に渡していたものと解するのが相当である。従って、義母小遣いとしては、各期三六万円を事業主貸として計上する。

5  子供小遣いについて

検察官は、子供の小遣いとして各期五〇万円を主張するのに対し、弁護人は、年額一二万円にすぎないと主張する。

同被告人は、捜査段階においては、子供一人の小遣いと買物代として年間約五〇万円を出費していたと供述していたが(収税官吏の同被告人に対する昭和五八年六月三〇日付け質問てん末書)、当公判廷においては、年間一〇万円から二〇万円位にすぎないと供述を変えている。

収税官吏の濱屋久美子(謄本)、濱屋雅之に対する各質問てん末書等によると、同被告人らの長男雅之は、昭和五四年三月高校を中退し、翌五五年三月専門学校を卒業し、他店に勤めたり、ブラブラしていた後、昭和五七年一月頃から同被告人経営の店舗(天王寺美容)の手伝いをするようになったこと、長女和美は、昭和五八年三月高校を卒業したこと、妻久美子から雅之には、在学中月一万円を、和美には月七〇〇〇円の小遣いが与えられており、この外に無心をされればその都度雅之に与えていたことが各々認められる。

以上認定の事実から考えると、雅之が昭和五五年三月専門学校を卒業し、天王寺美容の手伝いをするまでの間は、定職に就かず、定まった収入もなかったのであるから、同人が母のみならず父の同被告人からも無心をしていたものと解するのは何ら不自然ではない。これに長女和美への小遣いを加味すれば、年額五〇万円の小遣いを与えていた旨の同被告人の捜査段階における供述は、合理性を有し、信用性が認められる。これに比し、同被告人の当公判廷における供述は、漠然としており、到底措信し難い。従って、子供小遣いとしては、検察官主張額の各期五〇万円を認定する。

6  本人小遣いについて

検察官は、各期一二〇〇万円と主張するのに対し、弁護人は、各期三六〇万円にすぎないと主張する。弁護人はその理由として、同被告人は、新規開店の店舗に張りづめであり、到底遊ぶ閑はなく、その小遣いとしては、飲食費用、雑誌の購入代、衣服・靴等の身の回り品の購入費用があるにすぎず、月額多くても精々三〇万円であり、仮に同被告人が月々一〇〇万円を費消するとしても、その内三〇万円のみが本人の小遣いであり、その余の七〇万円は、同被告人の事業のために支出されたものであり、必要経費として認められるべき筋合のもので、事業主貸にはあたらないと主張する。

同被告人は、当公判廷においては、月二〇万ないし三〇万円の小遣いを使うが、その使途は、飲食費用、身の回り品の購入費用に過ぎず、自己と親しい関係にある片岡笑香、竹村明美、木村八十枝らには、年に一、二回小遣いを渡したり、衣服を買ってやったりしたことはあるが、金額的にはたいしたことはなく、又捜査段階で月一〇〇万円の小遣いを使うと供述したのは、必要経費として認められるものと勘違いしたためであると弁解する。しかしながら、同被告人は、自己の従業員であった片岡、竹村、木村とはいずれも親しい関係にあったのであるから、同女らとの旅行あるいは遊興、小遣い等に相当多額の出費をしているものと解するのが相当である。又、必要経費と誤解したとの点も、前記3で認定したように、到底信用することはできない。従って、同被告人のこの点に関する公判供述は措信し難い。

これに対し、収税官吏の同被告人に対する各質問てん末書は、具体的且つ合理的であり、関係者の供述からも一部裏付けられるところであり、十分措信するに足るものと解するのが相当である。

以上の次第で、本人小遣いとしては月額一〇〇万円を認定する。

六  他人名義の申告について

弁護人は、被告人濱屋個人経営の店舗のうち、従業員等の他人名義で所得税の確定申告をなし納税したものについては、いずれも同被告人がその出捐を負担しており、この部分については所得税逋脱の犯意が同被告人に存しないので、右金額を逋脱所得税額から減額されるべきであると主張する。

前掲各証拠によれば、同被告人は、自己経営の店舗のうち多くについては店長等従業員らの名義で所得税の確定申告をなし、納税をしていること、このような方法をとったのは、同被告人が自己の経営であることを税務署に発覚することをおそれたためであることが認められる。

元来、他人名義の申告が、所得税法に定める確定申告にあたらないことはいうまでもない。しかも、前記認定のとおり本件においては、脱税隠蔽の手段としてなされたものであって、同被告人に所得税逋脱の犯意に欠けるところのなかったことは明白といわざるをえず、弁護人の右主張は採用しない。

(法令の適用)

被告人濱屋勉の判示第一の一の行為時においては昭和五六年法律第五四号脱税に係る罰則の整備等を図るための国税関係法律の一部を改正する法律による改正前の法人税法一五九条一項に、裁判時においては改正後の法人税法一五九条一項に該当するが、犯罪後の法令により刑の変更があったときにあたるから、刑法六条、一〇条により軽い行為時法の刑によることとし、判示第一の二、三の各所為は、いずれも改正後の法人税法一五九条一項に該当し、判示第二の一の所為は、行為時においては昭和五六年法律第五四号脱税に係る罰則の整備等を図るための国税関係法律の一部を改正する法律による改正前の所得税法二三八条一項に、裁判時においては改正後の所得税法二三八条一項に該当するが、犯罪後の法令により刑の変更があったときにあたるから、刑法六条、一〇条により軽い行為時法の刑によることとし、判示第二の二、三の各所為は、いずれも改正後の所得税法二三八条一項に該当するので、所定刑中判示第一の各罪についてはいずれも懲役刑を選択し、判示第二の各罪についてはいずれも懲役と罰金とを併科し、情状により所得税法二三八条二項を適用し、以上は、刑法四五条前段の併合罪であるから懲役刑については同法四七条本文、一〇条により最も犯情の重い判示第二の三の罪の刑に法定の加重をし、罰金刑については、同法四八条二項により判示第二の各罪所定の罰金額を合算し、右加重した刑期及び合算した金額の範囲内で被告人浜屋勉を懲役一年六月及び罰金一八〇〇万円に処し、右罰金を完納することができないときは同法一八条一項により金五万円を一日に換算した期間同被告人を労役場に留置し、情状により同法二五条一項によりこの裁判確定の日から三年間右懲役刑の執行を猶予する。

被告人濱屋勉の判示第一の各所為は、いずれも被告会社の業務に関してなされたものであるから、被告会社については判示第一の一の行為につき右昭和五六年法律第五四号による改正前の法人税法一六四条一項により改正前の法人税法一五九条一項の罰金刑に、判示第一の二、三の各所為につき右昭和五六年法律第五四号による改正後の法人税法一六四条一項により改正後の法人税法一五九条一項の罰金刑に、各処すべきところ、以上は、刑法四五条前段の併合罪であるから同法四八条二項により合算した金額の範囲内で被告会社を罰金三〇〇万円に処する。

訴訟費用については、刑事訴訟法一八二条、一八一条一項本文により被告人両名の連帯負担とすることとする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判官 金山薫)

別紙(一)

修正損益計算書

自昭和54年11月1日

至昭和55年10月31日

<省略>

別紙(二)

税額計算書

有限会社ハマ

<省略>

別紙(三)

修正損益計算書

自昭和55年11月1日

至昭和56年10月31日

<省略>

別紙(四)

税額計算書

有限会社ハマ

<省略>

別紙(五)

修正損益計算書

自昭和56年11月1日

至昭和57年10月31日

<省略>

別紙(六)

修正貸借対照表(事業所得)

昭和55年12月31日現在

<省略>

修正損益計算書(総所得)

自昭和55年1月1日

至昭和55年12月31日

<省略>

別紙(七)

税額計算書

浜屋勉

<省略>

別紙(八)

修正貸借対照表(事業所得)

昭和56年12月31日現在

<省略>

修正損益計算書(総所得)

自昭和56年1月1日

至昭和56年12月31日

<省略>

別紙(九)

修正貸借対照表(事業所得)

昭和57年12月31日現在

<省略>

修正損益計算書(総所得)

自昭和57年1月1日

至昭和57年12月31日

<省略>

別紙(一〇)

<省略>

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