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大阪地方裁判所 昭和55年(ワ)7069号 判決 1982年11月25日

原告

磯野敏一

原告

磯野信子

右原告ら訴訟代理人

細川喜信

的場智子

被告

学校法人追手門学院

右代表者理事

行田一典

右訴訟代理人

樫本信雄

竹内敦男

主文

原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  原告ら

1  被告は原告磯野敏一に対し金二五七四万九四五六円、原告磯野信子に対し金二三三八万二一五六円及びこれに対する昭和五五年一〇月一五日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言。

二  被告

主文と同旨の判決。

第二  当事者の主張

(請求の原因)

一  当事者

被告は私立学校法に基づき設立された学校法人で追手門学院小学校(以下追手門小学校という)を設置し、これを管理運営しているものである。訴外亡磯野寛将は昭和四〇年九月二六日、原告磯野敏一、同信子の長男として出生し、昭和五二年四月一日当時追手門小学校六年に在学していた児童であつた。

二  事故の発生

1 寛将は昭和五二年三月三一日から被告の主催する太平洋少年親善使節団(以下使節団という)の一員としてアメリカ合衆国ハワイ州に旅行していたが、現地時間の翌四月一日午前〇時一〇分頃宿泊していたホノルル市所在のパークショアホテル一五階付近北側から路上に転落し、同三五分死亡した。

2 右事故に至つた経緯は次のとおりである。

被告は一年おきに太平洋少年親善使節団として追手門小学校、同中学校在学生をアメリカ合衆国ハワイ州に派遣していたが、昭和五二年度のそれは、三月三一日から四月六日までの日程で、追手門小学校の教頭である訴外浜守義久を団長として実施され、寛将も右使節団に加わつた。

寛将らは日本時間の昭和五二年三月三一日午後一〇時三五分東京空港を飛び立ち、日本時間の翌四月一日午前五時(現地時間の三月三一日午前一〇時)にアメリカ合衆国ハワイ州ホノルル空港に到着し、市内観光後宿泊先である一八階建てのパークショアホテルに入り、寛将は同級生の奈良信宏とともに同ホテル一五階一五一〇号室を割り当てられた。寛将は就寝のため、同日午後八時四〇分、右部屋に入室し、午後一〇時三〇分頃就寝し、その後前記の事故により死亡した。

三  被告の責任原因

1 本件事故当時原告らと被告との間には追手門小学校で寛将に教育を受けさせることを主目的とする在学契約が成立していた。従つて被告には右契約の付随義務として原告らに対し、学校生活すべての面において寛将の生命、健康に危害が生じないように万全の注意を払い、環境を整備して諸々の危険から寛将を保護すべき契約上の責務(以下安全配慮義務という)がある。そして本件ハワイ旅行は被告における教育活動の一環として計画されたもので、国際的な視野を広め、国際親善を深めることを目的とした学校行事であつたから、本件旅行についても被告が原告らに対しその安全配慮義務を負うことはいうまでもない。

2 しかして、右安全配慮義務の具体的内容を本件ハワイ旅行に則していえば次のとおりである。

(一) 被告は小学校五年生(新六年生)の児童について時差ボケによる精神、身体の影響を心理学、児童医学の両面から深く研究し、万一の場合の児童の異常行動を予知し、その対策を立てるべきであつた。

(二) 被告はハワイ旅行を行うにあたり、小学生の宿泊に適した旅館(ホテル)を選定すべきであつた。

(三) 仮にやむをえずパークショアホテルのような大人向き高層ホテルに子供らを宿泊させる場合でもハワイが日本国内に比べて治安が悪いことは周知の事実であり寛将のような自己を危険から防衛する能力の劣つている小学生を多人数宿泊させるのであるから、昼間の行動のみならず、宿舎到着後の夜間の行動についても十分な安全監視態勢を確立して本件旅行に臨むべきであつた。即ち被告は全児童を一つの階に泊め児童の宿泊した部屋の両端の部屋に先生らの監視人が宿泊し、児童の就寝中は先生らは寝ないで児童を監視すべきであつた。もしそれが不可能であれば不寝番に代わる措置として廊下の両端部分に綱をはつたり、木柵のバリケードを作る等し、児童が外に出られないようにするか又はその綱に鈴をつけたり、柵にブザーをつける等して先生らが就寝中であつても児童の異常行動に気付く方法をとるべきであつた。

(四) 被告はパークショアホテルの一五階の非常口に小学生でも十分理解できる様に外に出ると風が強く、又階層も高いので極めて危険である旨の日本語の注意書を設置すべきであつた。

(五) 被告は児童に対し、高層ビルの危険、時差ボケの恐しさ、外国の治安の悪さ等安全面での教育を十分に実施すべきであつた。

3 ところが被告は次に述べるとおり、前記安全配慮義務の履行が不完全であり、そのため不審者の児童の部屋への接近又は児童の寝ぼけ行動による事故を防止することができず、寛将を前記のとおり死亡させたものであるから、被告は原告らに対し在学契約上の債務不履行(不完全履行)に基づき後記五の原告らの損害を賠償する義務がある。

まず2の(一)の時差については全然調査研究をせず、従つて万一の児童の異常行動に対する対策も立てなかつた。次に2の(二)について、被告は宿泊先としてパークショアホテルを選んだが、同ホテルは一八階建ての高層ホテルであつて、児童の墜落死の危険性が大であるうえ、管理上子供が一人で宿泊できない大人・紳士用のホテルであつて到底小学生の宿泊に適したホテルとはいえない。2の(三)については使節団は被告の恒例行事として一年おきに実施されていたものであつて、本件ハワイ旅行の日程もかなり以前より予定されていたのであるから、ホテルと交渉することにより全児童を一つの階に宿泊させることも決して不可能ではなかつた。被告は児童を一つの階に宿泊させるようにホテル側と交渉しようともせず、先生らに児童の安全のため寝ないで児童を監視させることもしなかつたし、就寝中における児童の異常行動に気付く手段を全く講じなかつた。被告は2の(四)の注意書を設置しなかつた。2の(五)については被告はハワイ旅行出発前にホテル内の安全等についてほとんど教育しなかつた。被告が児童のためにしたことは次の極めて不十分な巡視のみであつた。寛将が就寝のため一五一〇号室に入室後津田先生が午後一〇時一〇分から同四〇分までの三〇分間に一八階から九階を巡視しているが、廊下を走る団員がいないか騒いでいる部屋がないかをみるために各階の廊下を歩いた程度であり、一五階部分を巡視したのはわずか一、二分にも満たないものであつて、それ以後巡視していない。又寛将の所属する第三班のリーダーの珠数先生は自己の部屋の電話番号を教えたのみで巡視等はしていない。北畑先生はあくまで衛生担当員であつて、午後一〇時一〇分頃一五〇七号室の自室に入室する際、一五一〇号室の前を通過したにすぎず、特別の巡視はしていない。

四  因果関係

一五一〇号室から本件転落場所である非常階段に通じる通路まで約二八メートルの距離があるので、もし仮に被告が十分な監視態勢をとつていたならば、非常階段に向う(あるいは何人かによつて非常階段の方へ連れ去られる)寛将を発見することは極めて容易であるし、外部者が寛将らの部屋に近づくのを防止できたはずである。そうすれば本件事故も起きなかつた。

五  損害<以下、事実省略>

理由

一請求原因一の事実は当事者間に争いがない。

二同二の事実は寛将がパークショアホテル一五階付近北側から路上に転落したこと、訴外浜守義久が使節団の団長であつたことの二点を除き当事者間に争いがない。

右争いのない事実に<証拠>を総合すれば

1  被告の主催する太平洋少年親善使節団は学校行事であつて、昭和五二年度のそれは第六回目であり、参加者は追手門小学校四、五、六年生、中学生及び父兄の合計一三〇名、職員リーダーが一三名で追手門小学校教頭の浜守義久が副団長、同校校長の林淳が団長であつたが、林は都合により参加しなかつたので、浜守義久が事実上使節団の最高責任者となつてハワイに旅行した。旅行日程は昭和五二年三月三一日から四月六日まで、右旅行は任意参加であつたが、ほとんどの児童がこれに参加しており、寛将もこれに参加した。使節団の団員を九班に分け、各班におおむね二名のリーダー(教師)をつけていた。寛将、奈良信宏は第三班(男一三名女一二名計二五名)に所属し、そのリーダーは津田克彦、珠数弘一両先生で、津田は女子を、珠数は男子を担当した。

2  使節団は日本時間の昭和五二年三月三一日午後一〇時三五分東京空港を飛び立ち、現地時間の同日午前一〇時(日本時間の翌四月一日午前五時)にアメリカ合衆国ハワイ州ホノルル空港に到着し、市内観光後宿泊先である一八階建てのパークショアホテルに入り、寛将は同級生の奈良信宏とともに一五階の別紙一五階平面図記載のとおりの位置に所在する一五一〇号室を割り当てられた。同日夕食を終えた後、寛将を含む第三班の児童は、津田、珠数両先生から諸注意を受け、寛将は奈良とともに午後八時四〇分頃一五一〇号室に入つて入浴し、しばらく勉強した後バスルームの電灯はつけ、部屋のベランダ側の電灯や枕許の電灯を消し、ドアはダブルロックして午後一〇時半頃就寝した。

3  ところが翌四月一日ホリディインホテル(パークショアホテル西隣で位置関係は別紙図面のとおり)九階の宿泊客がパークショアホテルの非常階段付近を人が落ちて行くのを目撃し、同日午前〇時一〇分頃パークショアホテル宿泊客が同ホテル北側専用ガレージへの通路にパジャマ姿、裸足の寛将が倒れているのを発見し、フロントに連絡した。フロントからの連絡により使節団本部は右事故を知つた。寛将は午前〇時三五分死亡し現地警察署の捜査にも拘らず今もつて転落原因は不明である。

以上の事実が認められ<る。>

三請求原因三の1の事実及び2のうち(三)前段のハワイが日本国内に比べて治安が悪いこと、被告に使節団に参加した小学生らのために十分な安全監視態勢を確立すべき注意義務があつたことは当事者間に争いがない。

ところで原告は、安全配慮義務の具体的内容として右の他、請求原因三の2の(一)(時差ボケ対策)、(二)(小学生向け旅館の選定)、(三)後段(不寝番等の措置)、(四)(日本語による注意書設置)、(五)(安全教育)をするべき義務があるに拘らずこれを怠つた旨主張するのに対し被告は小学六年生を学校行事としてハワイ旅行に引率、宿泊させる場合においては旅行出発前に十分生命健康に危険のないよう注意を尽くした上、宿泊時においても各階に教師の部屋をとり、児童の就寝後も前記津田に午後一〇時一〇分頃から四〇分頃まで一八階から九階まで各階を巡視させ異常のないことを確認させたのであるから、それ以上に原告主張の不寝番等の措置をとり児童を監視する義務はない旨抗争する。

思うに小学六年生は幼児や小学校低学年の児童と比較すれば、心身の発達も相当進み、判断能力、行動能力も備わりつつあるから、児童自身が高層ホテルのベランダが危険であると判断し、そこに近寄らないようある程度自己規制をなしうるものと解されるから、被告としては、旅行出発前に危険箇所に近寄らないよう十分注意し(この限度で請求原因三の2の(五)の安全教育をする義務があると解される)児童の宿泊した階に教師の部屋をとり、児童の就寝後にも巡視し、異常のないことを確認した以上、危険の発生を予測できる特段の事情がない限り、原告主張の不寝番等の措置をとり児童を監視する義務を負担するものでないことはもとより、日本語による注意書を設置すべき注意義務も負担するものではないと解するのが相当である。そして、原告主張の時差ボケ対策は、<証拠>によれば、時差ボケとは時差四、五時間以上の地域をジェット機で移動することにより生ずる軽い心身の変調のことであるが被告が後記注意義務を履行した以上、特に時差ボケ対策をとらなければならない程の事情は認め難く、また寛将の転落死の原因が時差ボケによる異常行動であるとの証拠もない。

次に(二)の小学生向け旅館(ホテル)の選定であるが、宿泊施設には時に大人向き、子供向きという区別があるわけではないし、本件ホテルへの宿泊それ自体健康な児童の生命、身体に危険をもたらすとは認められず、右注意義務も存在しない。

次に被告が右注意義務を履行したかどうか検討する。津田先生が午後一〇時一〇分から同四〇分まで一八階から九階を巡視したこと、北畑先生が一五〇七号室の自室に入室する際一五一〇号室の前を通過したことは当事者間に争いがない。右争いのない事実に<証拠>を総合すれば

1  被告は昭和五一年秋頃児童を通じて使節団の案内書(乙第八号証)を父兄に手渡し、使節団への参加を勧誘した。そして参加者のために「ハワイ旅行のしおり」(乙第七号証)を作成交付し、同年一二月一一日その説明会を開き、昭和五二年三月五日には使節団の壮行会を行つた外、同年二月から三月にかけて参加者の集会を六、七回開き、旅行中の団運営、旅行の心得、機内、ホテルでのエチケット、保健安全等旅行において注意すべき事項を教え、ホテルの宿泊については、部屋にいる時は必ずロックし、鍵を置いて外出したり、鍵をなくさないこと、ノックがあつた時は相手を確認すること、他人の部屋のノックを控えること、絶対にベランダに出ないこと、部屋から部屋への往来は禁止し、又走つたりふざけたり勝手なことをしないこと、身体の調子が悪い時や困つたことが起きた時はすぐリーダーに連絡すること、外出は必ずリーダーと共にし、無断外出は絶対にしないこと、ホテルでは転落しないように注意することなどの諸点につき注意を与えた。

2  三月三一日午後二時クインカピオラニホテルでオリエンテーションを行い、使節団本部の釣田先生より寛将を含む団員に対し、入浴の仕方、エレベーターの使用法、ロビー、廊下での態度、危険箇所、部屋の鍵ならびに自由行動に関する各注意がなされた。そして午後三時三〇分右オリエンテーション終了後、同じくクインカピオラニホテルで班別集会が行われ、津田先生から寛将ら第三班の者は各人の部屋割、珠数、津田、北畑の各先生の部屋番号などを教えられ、鍵に注意すること、危険場所への立入禁止、ホテル内でのマナー、団体生活の注意などを受けた後パークショアホテルに入り昼寝をした。夕食及び自由行動の後、午後八時三〇分頃、珠数、津田両先生は部屋の往来の禁止、ベランダに出ないこと、鍵に注意し、部屋は必ずロックすることの注意を再度した上早く寝むるよう言つた。

3  被告は団員の宿泊する部屋がある階のうち、六、七階、九ないし一二階、一四、一五階、一七階に先生の部屋をとり、団員の管理をしていた。津田先生は児童らが入室し、既に就寝したと思われる午後一〇時一〇分頃から四〇分頃まで一八階から九階まで南側の非常階段を降り各階を巡視したが、何等異常はなかつた。又北畑先生も午後一〇時二〇分頃一五一〇号室の前を通り、自室である一五〇七号室(位置関係は別紙一五階平面図のとおり)にもどつたが、別に異常はなかつた。

以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

右認定の事実によれば、被告は団員に対し、旅行出発前に前記のとおり諸々の注意をなし、旅行当日もオリエンテーション、班別集会、夕食後の三回にわたつて注意しているうえ、寛将の宿泊した階に教師の部屋をとり、児童の入室後も巡視をし、異常のないことを確認している上、寛将に危険が迫つていることを予測しうる特段の事情もうかがえない本件においては、被告に安全配慮義務の不履行はないものと解される。

四そうすると、その余の点について判断するまでもなく原告らの本訴請求は理由がないのでこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条本文を適用して主文のとおり判決する。

(岡村旦 熊谷絢子 大工強)

(別紙)図面<省略>

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