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大阪地方裁判所 昭和54年(ワ)572号 判決 1983年5月20日

原告

甲山月江

右訴訟代理人

桜井健雄

武村二三夫

関根幹雄

藤田正隆

甲田通昭

被告

右代表者法務大臣

秦野章

右指定代理人

高田敏明外五名

主文

被告は、原告に対し、金二〇六五万六七〇五円と内金一九一五万六七〇五円に対する昭和五一年二月一七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は、これを三分し、その一を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

この判決は第一項に限り仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  原告

1  被告は、原告に対し、金四二三四万九六四四円と右の内金四〇三四万九六四四円に対する昭和五一年二月一七日から支払済みまでの年五分の割合による金員を支払え。

2  仮執行の宣言。

二  被告

1  原告の請求を棄却する。

2  原告の請求を認容した仮執行宣言付判決が言い渡される場合において担保を条件とする当該仮執行免脱の宣言。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告の次男亡甲山二郎の死亡

(一) 亡甲山二郎(以下、二郎という。)は、昭和五一年二月一日殺人未遂の容疑で逮捕され、即日大阪府警浪速警察署に留置され、同月三日大阪地方検察庁検察官田中森一の請求に基づく勾留状の執行により大阪拘置所に移監された。二郎は、同拘置所入所後保護房に収容されたが、興奮して精神錯乱の状態にあり、寒中にもかかわらず房中ですぐに上半身裸又は全裸になり、以後意味不明の独言を言う、大声を発する、便器に頭部を突つ込む、下着、ミカンの皮を便器に押し込む等の異常な行動をなし、さらに睡眠、食事もほとんど取らず(一日二時間一五分以上の睡眠を取つたことはなく、不眠の日が五日間あり、また、食事は全三七食中一六食は全く取つていない。)身体を震わすという状態が続き、身体の衰弱が進行していつた。

(二) 同月五日二郎に面会を求めて同拘置所を訪れた友人のKは、看守に、二郎が過去に精神障害を起こしたことがあり、その再度発症の恐れがある旨説明し、当時の主治医等の診察を申し入れたが、拒否された。同月九日に至つて二郎は、同拘置所の常勤職員である中田外科医の診察を受けたところ、同医師は、至急精神科医の診察を受けるよう看守らに指示した。その後二郎は、症状が進行し、意識の低下、変容が進んだことから、同月一三日同拘置所の非常勤医である臼井節哉精神科医の診察を受けたところ、同医師は、二郎に意識障害があつて精神分裂病の疑いがあると診断したが、「二郎の症状の経過如何によつては専門施設で医療処遇することが必要である。」旨の報告とクロルプロマジン剤(コントミン)投与の指示をなし、右指示に基づいて同月一四日、一五日に計四回の右薬剤の注射が行われたにとどまつた。

(三) 同月一三日田中検察官の請求に基づいて二郎に対し勾留期間の延長がなされたが、この頃から二郎の体重は著しく減少して一段と身体が衰弱し、身体の動きは緩慢になつてしやがみ込んだりぐつたりするといつた状態が多くなり、同月一五日にはその動きも止まり、身体を横たえていたところ、一六日午前二時頃拘置所保護房内で死亡するに至つた。

(二郎の死因)

二郎は、二月の厳寒期に、保温設備がなくて、換気扇によつて直接外気が入る保護房内に収容されたところ、同人は非定型精神病に罹患していて、前記のように意識障害に陥り、食事、睡眠もほとんど取らず、ほとんど全裸で過しており、また、同月一四日、一五日に投与されたクロルプロマジンは体温を低下させる副作用があること等を勘案すると、二郎は、凍死であると認めなければならない。このことは、二郎の死後の解剖による死体所見において、凍死に顕著な血液鮮紅色等が報告されていることからも裏付けられる。

2  被告の責任

(一) 大阪地方検察庁検察官田中森一の過失

大阪地方検察庁検察官田中森一は、二郎に対する勾留請求を行つた者で、同人に対する勾留の執行の指揮者であるところ、およそ勾留執行の指揮にあたつては、被疑者の心身の健康を害することのないように、被疑者が拘置所での勾留執行に耐え得る心身の状態にあるか否か調査し、勾留執行に耐え得なければ、その執行を停止させ、又は被疑者を釈放し、少なくとも病院に移送するなどの措置を採る義務がある。しかるところ同検察官は、同月一〇日二郎を取り調べるために同拘置所に赴いた際、二郎が保護房内で食事を散乱させ、全裸で徘徊して「権力云々」とわめき続けているのを現認したものであるから、速やかに二郎が勾留執行に耐える健康状態かどうかを調査すべきであり、右調査を行えば、二郎が拘置所における勾留執行に耐え得ない健康状態であることを容易に確認し得たはずと思われるが、右の調査措置を講じなかつたばかりか、同月一三日には右状態にある二郎を引続き拘置所内に拘置すべく勾留期間延長の請求さえしたのである。こうした不当な勾留執行指揮が、二郎の房中における凍死の一因をなしたことは、否定すべくもない。

(二) 大阪拘置所看守らの過失

(1) 大阪拘置所看守らは、勾留の執行者として、被拘禁者の身体の安全と身柄を適切に管理する義務があるところ、看守らに左記のように右義務に違反した過失がある。即ち、

二郎は、大阪拘置所に入所当初から全裸になる、高笑するなどの異常行動をとつていて、精神障害の症状を呈していたところ、同拘置所看守らは、二郎の右状態を逐一監視し、記録していたので、右状態を十分知つており、また、二郎の面会に訪れた武内和世から二郎が過去に精神障害を起こしたことがあり、その発症の恐れがあると聞かされ、同人に精神障害の疑いがあることを十分認識していたものである。しかも看守らは、二郎が入所当初から右精神障害のため睡眠、食事をほとんど取らず、厳寒期に保温設備のない保護房で全裸になるなどして身体が衰弱していることを把握していたのであるから、早急に医師に精神科医の診療を受けさせるべきであつたといわねばならない。しかるに、同月九日、中田医師が診察するまで慢然、これを放置し、さらに同医師から至急精神科医の診察を受けさせるよう指示を受けながら、一三日臼井精神科医が診察するまで放置し、その結果二郎の精神障害の症状を進行させて凍死させるに至つたものである。

(2) また看守らは、二郎が先に述べたように睡眠、食事をほとんど取らず、厳寒期にほとんど全裸でい続けて衰弱し、特に二月八日以降はしばしば身体を震わせていたことを確認していたから、このまま放置すれば同人が衰弱死する危険のあることも予見し得たものもいわねばならない。それ故、二郎の身柄を保温設備のない保護房から拘置所内の他の適当な場所に移し、栄養を補給し、衣類を着用させて保温を維持するなど同人の生命保持に必要な措置を講ずべきであり、少なくとも医師の診察の際は右状態を説明して適切な指示を受けるべき義務があつた。しかるに、こうした措置を講ずることなく慢然放置したのみならず、厳冬期の二月に保護房内の換気扇を必要以上に作動させ、そのため低温の外気が微風となつて直接房内に流れ込み、二部の体温低下を促進させ、二郎の凍死をもたらしたものである。

(3) 二郎は、二月一三日以降ますます身体の衰弱が著しく、身体の動きが緩慢となり、ことに同月一五日以降は全く身動きもしなくなつた。こうした同人の動静は、テレビ装置によつて看守らが視認し得るようになつていたものである、しかるに看守らは、右の異常な情況を臼井医師に報告して指示を求めることも再度の来診を求めることもせずに放置したものであり、二郎の動静を十分監視しえていたかどうかも疑わしい。

(三) 大阪拘置所の所長井田滋清の過失

(1) そもそも拘置所長は、勾留の執行機会たる拘置所全体の統括責任者として全職員を総括し、拘置所内の被拘禁者の身柄を安全、適切に管理すべき義務がある。本件事案において大阪拘置所長井田滋清は、二郎入所以来同人の精神、身体の異常な状況を十分認識し得る地位にあったのであるから、同人の動静を十分監視し、又はこれにつき適宜報告を求め、栄養補強、保温、睡眠などについてより一層適切な処置を採るよう各看守に指示し、また、二郎の前記状態からみて早急に精神科医、特に同人がかつて治療を受けた主治医による診療を受くべく手配し、さらに、二郎を収容していた拘置所保護房は、外界から遮断されていて常時看守が監視しており、厳寒期にも保温設備が備わつておらず、精神病患者にとつて環境劣悪の場所であつたところ、二郎の精神障害は重症であり、一三日に診察した臼井医師は、経過いかんによつては専門施設での医療処遇が必要との報告もしていたのであるから、同医師の指示に従い精神病院へ転送、入院させる手続を採るべきであつた。しかるにこうした措置を全く講ずることなく、その結果として二郎の凍死を招いたものである。

(2) 同拘置所は、相当数の精神病患者を収容していながら、該疾患の専門医が不在のため、二郎の治療が遅れ、かつ臼井医師の来診後も事態の変化について専門医の具体的指示を仰げなかつたのである。少なくとも二郎のような重度の精神病患者について、上記のように物的、人的設備が不十分な施設に収容し続けたことは、拘置所としての医療体制の不備であるといわざるを得ず、この改善処置を怠つた点に所長の過失を認めなければならない。

(四) 大阪拘置所の非常勤医師である臼井節哉の過失

(1) 臼井医師は、二月一三日同拘置所において二郎を診察したが、当時同人は全裸に近い姿であつて、ほとんど睡眼、食事を取らず、錯乱状態にあつて身体の衰弱は著しく、しかも、拘置所の保護房という精神病に基因する意識障害者にとり劣悪の環境に置かれていたことは、前述のとおりである。そして同医師も、二郎の症状について意識障害を認め、精神分裂病の疑いがあると診断したが、意識障害は、自己防衛機能、即ち摂食、睡眼、保温といつた生命保持に必要な本能的機能の低下を招くものであるから、右症状の二郎については、早期に拘禁状態を解いて精神病院へ入院させるよう看守らに指示すべきであつた。それが望めなかつたのであれば、応急対策として拘置所内でより環境良好の場所に移転させ、栄養補給、睡眼、保温などについて適切な措置を講ずるよう看守らに指示し、自らも栄養剤の投与など適切な治療をなすべき義務があつた。しかるにこうした措置を講ずることを怠つたため二郎が死亡したものである。

(2) 同医師は、二郎診察後看守らにクロルプロマジン剤の投与を指示したが、この薬剤は体温を低下させる副作用があることが開発当初から判明していた。それ故、保温設備のない保護房に全裸に近い姿でいる右状態の二郎に対しては投与すべきではなく、もし投与するのであれば、事前に十分身体的諸検査を行い、保温が十分なされていることを確認した上、投薬指示にあたつてはその旨十分注意を与えることが必要であつた。しかるに同医師は、こうした配慮を欠いたまま右薬剤の投与を指示したため、看守によつてその注射がなされ、二郎の体温低下をもたらし、同人の凍死を促進したものである。

(五) 検察官田中、拘置所長井田、拘置所看守らが被告国の公権力の行使にあたる公務員であることは、明らかであり、また、臼井医師も、当時大阪拘置所医務部医療課非常勤医師としての地位にあつて、右地位に基づいて本件診察等が行われ、同人も被告国の行使に当たる公務員と認めるに妨げない。本件は、右公権力の行使に当たる上記公務員らの過失によつて二郎を死らしめた案件であるから、被告国は、国家賠償法上の賠償責任を免れぬものである。

3  損害

(一) 二郎の逸失利益 金二六三四万九六四四円

二郎は、昭和一七年七月二六日出生し、昭和三八年四月広島大学に入り、その在学中から下層労働者解放運動に関心を寄せ、やがてこの運動に挺身するようになつたもので、非定型精神病に罹患していたが、同病は心意的要因が落ち着く中で再発が防止され、治癒される率が高く、同人は、逮捕当時西大阪ゴルフセンターに勤務していたもので、通常の労働能力を有していたといえる。従つて、昭和五一年賃金センサス第一巻第一表によると、二郎の死亡時の年齢三三歳、就労可能年数三四年で、同年齢の勤労者の平均賃金は月額二二万四五九一円であり、単身者としての生活費五〇パーセントを控除して同人の逸失利益を新ホフマン法で計算すれば、左のとおりとなる。

22万4591円×12月×0.5×19.5538(新ホフマン係数)=2634万9644円

(二) 二郎の慰藉料 金一〇〇〇万円

前記諸事情を勘案すると、厳寒の中、食事も睡眠もほとんど取れない状態で保温設備の備わつていない拘置所保護房に放置され、苦しみ抜いて死亡した二郎の精神的苦痛を慰藉するのに相当する金額は、一〇〇〇万円を下ることがない。

(三) 原告は、二郎の実母であつて、唯一の相続人であり、同人の死亡により右(一)、(二)の損害賠償請求権を相続により取得した。

(四) 原告の慰藉料 金四〇〇万円

二郎は、母の原告に迷惑がかからぬよう苦学して大学に進学した、親思いの子であつた。原告は、このかけがいのない息子を思いがけぬ原因で失つたもので、その精神的苦痛は大きく、これを慰藉するのに相当の金額は、四〇〇万円を下ることがない。

(五) 弁護士費用 金二〇〇万円

原告は、被告の不法行為により本訴提起を余儀なくされたものであり、右提起にあたり原告は、原告訴訟代理人らに対し、勝訴したら請求認容額の五パーセントを弁護士費用として支払う旨約した。

4よつて、原告は被告に対し、国家賠償法に基づく損害賠償として、金四二三四万九六四四円と内金四〇三四万九六四四円に対する二郎死亡の日の翌日である昭和五一年二月一七日から支払済みに至るまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する被告の認否及び主張

1  二郎の死亡について

(一) 二郎が昭和五一年二月一日殺人未遂の容疑で逮捕され、同月三日田中検察官の請求に基づく勾留状の執行を受け、大阪拘置所に移監されたこと、入所以来二郎が興奮し、原告主張の言動をとつたことがあること、即ち、通常人と同程度の睡眠を取つておらず、食事を拒否したり、房中で上、下半身又は全身裸体になつたことがあり、同月九日便器に頭部を突つ込み、一時的にではあるが、身体を震わしたことがあることは認める。

二郎は、拘置所収容中、全三七食のうち五食分を摂取しなかつただけで、残りはほとんど食べており、残飯を房内に散乱させたことがあるかもしれないが、以上は、特に異常な現象でなく、全収容者の三分の一位の者が体調等の理由で一部を食べ残しているのが実情である。

(二) 同月九日に中田医師が二郎を診察して精神科医の診察を指示したこと、一三日臼井医師が二郎を診察して原告主張の診断と報告をなし、クロルプロマジン投与を指示したこと、一四、一五日に右薬剤の注射が打たれたことは認める。

(三) 同月一三日二郎に対し勾留期間延長がされたこと、二郎は、一五日から身体を横たえることが多くなり、一六日午前二時頃死亡したことは認める。

(二郎の死因について)

二郎は、非定型精神病の既往歴を有していたところ、これが拘置所在監中に再発し、極度に悪化してその激症ともいうべき急性致死性緊張病に罹患し、死亡したものである。

即ち、典型的な急性致死性緊張病は、二週間から数ケ月の前駆期があつて一般の精神分裂病にみられる症状を呈し、続く第一期に厳しい精神運動興奮状態がみられ、第二期に入ると右興奮が漸次原始的となつて意識混濁の発現となり、昏迷状態を示し、循環器障害がひどくなつて高熱を出し、その後短期間に呼吸停止又は循環失調で死亡するとされている。

二郎は、昭和五一年二月一日同居中の友人をバット及び包丁で瀕死の重傷を負わせたということから、既に非定型精神病の再発があり(前駆期)、次いで二月三日から一二日までは精神興奮状態にあつて衝動行為、多弁、徘徊等があり、一三日頃から意識混濁が発現して、ぼんやりしやがみ込んだり、横臥する等の行動をとつた後、死亡したもので、右の過程は、急性致死性緊張病の症例に符合するものである。

2  被告の責任について

(一) 検察官田中森一の過失について

被告国の公権力の行使に当たる公務員たる大阪地方検察庁検察官田中森一が二郎に対する勾留請求をなし、その勾留状の執行指揮をしたものであること、二月一〇日同拘置所保護房で二郎がわめくなど異常な行為をしていることを現認したが、勾留執行停止等原告主張の措置を採らず、勾留期間延長の請求をしたことは認める。しかし、二郎の死亡につき同検察官の過失を問う原告の主張は、当たらない。

検察官は、勾留の執行停止につき裁判所に意見を述べることはできるが、仮に勾留執行停止の請求をしても、それは裁判所の職権発動を促す意味をもつにすぎない。要するに検察官には、勾留執行停止の権限、義務もないし、その職権発動を促す義務も、釈放の権限、義務もないのである。また検察官は、被疑者に対する勾留状の執行の指揮はするが、現実には被疑者は拘置所職員の管理下に置かれるところ、拘置所は、医師の資格を有する常勤、非常勤職員を擁し、被疑者の心身の状態を配慮しつつその身柄の拘束を継続する体制を整えているのであつて、被疑者の健康状況を観察しつつ状況に応じてしかるべき措置を採るべき注意義務は、第一次的に拘置所職員が負つているのであり、検察官にはない。

さらに田中検察官は、二月一〇日二郎の異常な行為を現認したが、精神分裂病の罹患を考えた反面、同人がそれまで反権力闘争を行つて来た経歴をもつていたことから、仮病を使つているのではないかとの疑いを抱いていたのであり、いずれにしても、二郎が早期に死亡するとは思いもかけなかつたものである。

(二) 大阪拘置所看守らの過失について

(1) 大阪拘置所の看守らは、原告の主張するとおり被告国の公権力の行使に当たる公務員であるが、二郎の死亡につき過失の廉はない。

大阪拘置所においては、昭和四九年三月頃から赤軍派関係の被告人が中心となつて「獄中者組合」と称する組織を結成して、房扉の乱打、シュプレヒコール、全裸となつての出廷拒否等を行つていたのであり、二郎の入所当時も右のような運動は相当活発に展開されていた。元「釜共闘」の活動家である二郎が右運動に同調することは、十分に予測されたところ、同人は、入所直後職員に暴行を加えようとして保護房に収容され、その後も大声を発する、房扉等を乱打するなどの行為を続けていた。また、一般に右のような異常行動を続けて責任能力の減免や勾留執行停止等による釈放を企図する被疑者、被告人が多数いたのである。看守らは、二郎の異常な行動についても、精神異常の疑いもあるが詐病の疑いもあると考えて経過観察を続け、医師の診察を受けさせなかつたものであり、この点に過失はない。

(2) 二郎が保護房収容中全裸もしくはそれに近い状態になつたことがあるのは認めるが、担当看守はこれを発見するやすぐ着衣させているので、体熱の放散はさしたるものではなく、また、看守らが寒中に、二郎を収容した保護房の換気扇を作動させたことは認めるが、それは、炭酸ガス等による房内の空気汚染を除去するために講じた必要最小限の措置である。

原告は、看守らに、二郎が衰弱して死亡することを予見し得たというが、当たらない。看守らは、医学に関して素人であり、二郎の死因は、急性致死性緊張病という珍しいものであつて、到底同人の早期死亡の恐れを感知することは不可能であつた。仮に二郎の死因が凍死であつたとしても、それは、クロルプロマジンの体温低下作用、低気温、着衣の不十分、疲労、空腹状態が総合的に作用し、複雑な条件の下に起こつた特異な症例であり、特にクロルプロマジンの注射が凍死の重要な誘因となつたのであるが、この注射の副作用について注意を喚起している成書は少なく、看守らが右副作用を知ることは困難であつた。また、大阪市内の二月の午前六時の気温は、三日から一三日までは0.5度ないし2.6度と極めて低かつたが、一五日には8.6度と急上昇しており、しかも、二郎のいた保護房内の気温は、外気の影響をさほど受けることなく、一二度前後以上に保たれており、さらに看守は、一五日にこれまで房中で相当時間全裸でいても無事であつた二郎に布団上・下一組、毛布三枚、メリヤス上・下一組、毛糸チョッキを新たに与えて着用させていた。このような状況のもとで看守らが二郎の早期死亡の恐れを予見することは、到底不可能であつたといわねばならない。

また、二郎の保護房収容中の喫食状況は、前記のように特に異常であつたものでなく、同人に対し強制的な栄養補給の処置を採らなかつた点に過失はない。

さらに、看守らは、二郎に対し、寝具七回、衣類五回の交換をしたところ、二郎はなおかつ裸体で過ごしていたのであるが、同人に常時衣類を着用させるには、戒具を使用したりして同人の身体に実力を行使するほかはなかつたところ、戒具使用についてはこれが許される要件が具備していなかつた。結局二郎が裸体になることを防止する手段、方法はなかつたのであり、この点に看守らの過失を問うことはできない。

(3) 看守らが臼井医師に二月一三日以降二郎の状態を報告したり再診を求めたりしなかつたことは認めるが、同日以降二郎の身体の衰弱が特に激しくなつたという原告の主張事実は、争う。

精神障害者、特に粗暴行為に出る者に対する治療法としては、通常クロルプロマジン等の向精神薬を投与して精神状態の鎮静化を図る方法が採られるのであり、本件においても、臼井医師の指示に基づき、一四日、一五日の朝夕二回計四回にわたり二郎に対する右薬剤の注射がなされたところ同人は、次第に精神状態が鎮静し、第三回目の注射実施後の一五日の午後一時以降は布団を掛けて寝る等完全に落ち着いたと認められた。しかも、二郎は、昭和四八年一月入所した際も、一時不食、脱衣、放歌等の異常行動を一〇日間続けたことがあるが、その後無事保釈により出所しているのであつて、このような異常行動をとる収容者は他にもいるが、本件のように死亡した例は、かつて皆無であつた。従つて、二郎の右状態を観察していた看守らは、前記経験等から、注射の薬効が顕われ、不眠が解消されて精神状態も鎮静化していると認め、臼井医師の一週間後の再診を待てば足りると判断して、その状況を同医師に報告したり、再診を要請したりしなかつたもので、以上の点につき看守らには何ら非難されるべきところはない。

(三) 井田所長の過失について

被告国の公権力の行使に当たる公務員たる拘置所長が、拘置所の全職員を総括して拘置所内の破拘禁者の身柄を安全、適切に管理すべき義務があるという一般論は、原告主張のとおりである。

しかし、前記看守らの過失に関する被告の主張が当たらないのと同様に、井田所長にも二郎の死について予見可能性がなかつたし、また、二郎入所後同人に詐病の疑いがあると考えたのも、二月一三日以降二郎にクロルプロマジンの薬効が顕われて精神状態の鎮静化が進んでいると考えたのももつともであつて、早急に二郎の主治医等精神科医の診察を受けさせなかつたり、臼井医師に再診を要請しなかつた点に非難されるべきところはない。さらに、井田所長が拘置所の医療設備をもつてしては二郎の生命の安全を期し難いとまで判断し得る状況はなかつたもので、病院入院の手続を採らなかつた点に過失を認めることもできない。

(四) 臼井医師の過失について

大阪拘置所の非常勤医たる臼井医師が二月一三日二郎を診察し、意識障害を認めて精神分裂病の疑いがあると診断し、同人に対するクロルブロマジンの投与を指示したことは、認める。

しかし、同医師が診察した時点では二郎の栄養状態は普通で、動作の中に力強さがあつて、人工的な栄養補給を必要としなかつたのであり、一般に精神障害の場合クロルプロマジン等で精神状態の鎮静化を図れば、食事、睡眠を取つたり着衣することができるようになるのである。従つて、二郎につき特別の栄養補給をしたり、睡眠、保温等について看守に指示したりしなかつたことを捉えて臼井医師を非難するのは相当でない。

また、精神障害者に対する治療方法としては、まず向精神薬を投与して精神状態の鎮静化を図る必要があり、クロルプロマジンは、そのために古くから精神病患者に広汎に使用されてきた薬であるが、これを投与しても副作用として体温が低下して、その結果死亡する症例はみられず、製品名のコントミンの説明書にも保温に留意すべき旨記載はなく、低体温化の副作用は、それ程重篤なものと考えられていなかつたのである。それ故これを二郎に投与させたことについて臼井医師に過失はない。

さらに、二郎の主たる死因は、急性致死性緊張病と考えられるところ、同病の場合、専門病院においてすら効果的な治療方法はないとされている。それ故、仮に拘置所内で同人に対し特別の栄養補給、保温等の措置を講じ、あるいは病院に入院させていたとしても、二郎が死亡した公算は大きく、結果回避の可能性を肯定することは困難である。

仮に二郎の死因が凍死であつたとしても、前記のように、本件は諸事情が総合的に作用して起こつた特異な凍死であり、一般の精神科臨床医にすぎない臼井医師において右凍死を予見することは不可能であつた。

3  損害について

(一) 二郎の逸失利益について

二郎が昭和一七年七月二六日出生したものであることは、これを認める。同人は、非定型精神病に罹患していて、合計五回の入院歴があり、治癒しても再発の可能性が高く、通常の労働能力を有していたとは認められない。同人がゴルフ練習場で働いていたという原告の主張事実は、知らないが、仮に原告の右主張のように勤務していたとしても、その賃金は月平均七万二八二四円であつて、非定型精神病再発防止に必要な医療費及び生活費を上回るものではない。

(二) 二郎、原告の慰藉料について

二郎は、勾留状に基づき適法に収容されていたところ、精神病により脱衣するなどして自ら死を招いたものであるから、同人が大阪拘置所在監中苦しみ死亡したことにより固有の精神的損害を被つたとなす原告の主張は、失当である。また、原告が二郎の母親で唯一の相続人であることは認めるが、精神障害者の二郎の保護義務者であつたわけで、二郎に治療を受けさせるとともに、監督する義務があるところ、同人が犯罪を行い何度も入院措置を受けたことを知りながら放置し、その結果同人の精神病の再発、悪化、右の状態における犯罪行為という事態の発生に至つたもので、以上の点につき原告には重大な過失があり、その慰藉料についての主張は失当である。

(三) 過失相殺

仮に被告に損害賠償責任があるとしても、賠償額の算定にあたつては、二郎及び原告に前記のとおり重大な過失があることを参酌すべきである。

第三  証拠関係<省略>

理由

一  二郎の大阪拘置所入所から死亡するまでの経過等について。

1二郎は、昭和五一年二月一日殺人未遂の容疑で逮捕され、同月三日大阪地方検察庁検察官田中森一の請求に基づく勾留状の執行を受け、大阪拘置所に拘置されて保護房に収容されたところ、興奮して、大声を発したり、意味不明の独言を言つたり、食事を拒否したり、裸になつたことがあり、通常人と同程度の睡眠を取つておらず、同月九日に中田医師が、一三日に臼井医師がそれぞれ二郎を診察し、同日勾留期間延長がなされたが、一六日午前二時頃保護房で死亡したこと、以上の事実は、当事者間に争いがない。

2右争いのない事実に加え、<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

(一)  二郎は、昭和五一年二月一日殺人未遂の容疑で逮捕され、同月三日勾留状の執行を受け、大阪拘置所に拘置されたが、入所直後看守に暴言を吐いて暴行を働こうとしたため、保護房に収容された。入室後同人は興奮して、上半身裸や全裸となり、大声をあげて房内を徘徊したり、房扉、壁を蹴つたり、たたいたり、意味不明の独言を言つたり、奇声を発したりなどの行動をとり続け、寝具を破つたり、飯粒を房内に撒き散らすこともあつた。

(二)  同月五日に友人のKが二郎と面会すべく拘置所を訪れたが、面会は許可されず、その際同女が受付係にかつて二郎が精神病に罹患して入院したことがある旨告げて、その時の精神科の主治医による診察を申し入れたが、拒否され、同女はその後九日、一二日にも同様の申入れをしたが受け入れられなかつた。

(三)  二郎は、拘置所入所後ほとんど睡眠を取らず、特に五日から九日までは興奮のため全く睡眠しておらず、その後も一日に一、二時間眠るだけで、安静にしている時間も数時間のみであり、疲労が積つて壁にもたれたりすることが多く、身体が衰弱していつた。七日頃から床の上に脱糞して、便を手でつかんだり、洗面所の中に頭を突つ込んでなめるなどの異常な行動をとり、意味不明の独言が多くなつて意識の低下が高じ、錯乱状態に近い精神症状を呈する一方で、房扉を蹴るなどの積極的な行動が少なくなり、身体の動きは不活発になつていつた。七日夕刻看守が二郎にメリヤスの下着を着用させたが、同人は数時間後にこれを脱いで元の裸になり、その後八日、一〇日にも衣類が提供されたが二郎は着用せず、その頃からたまに毛布をかぶることはあるが、ほとんど全裸の状態を続けており、また、時に房内に食事を散乱させることもあつて、摂取も不十分であつた。そして、身体を震わし、腕や身体をこすつたり動かしたりすることが多くなつて、寒さに反応するようになつた。

(四)  九日午後二郎が洗面所に顔を入れたまま身動きしなくなつたことから拘置所に常勤している中田外科医が同人を診察し、至急精神科医の診察を受けさせるよう看守に指示した。一〇日田中検察官が拘置所を訪れ、二郎の取調をしようとしたが、同人は、房内を徘徊してわめき続けており、取調できなかつた。二郎は、この頃からしばしば食事を房内に散乱させるようになつた。

(五)  一一日は房内を激しく徘徊して大声で叫んだり房扉などを蹴るなどして再び精神的興奮が激しくなつたが、一三日頃から房内をよろよろ徘徊したり布団の上に坐り込んだりして動きが不活発となり、身体の衰弱が顕著になつた。同日勾留期間の延長がなされ、午後拘置所の非常勤医の臼井精神科医が、拘置所の要請で二郎を診察すべく訪れたが、その診察に際し動静視察表などを調べることなく、准看護士の看守から簡単な説明を受け、房内で右状態の二郎を二、三分間問診した後、「同人に幻覚、妄想、意識障害があつて、精神分裂病の疑いがある」と診断した。そして、同医師は、看守に、向精神薬のクロルプロマジン剤の三日間の筋肉注射と、一週間の経口投与を指示し、さらに、「症状の経過如何によつては二郎を専門施設で医療処遇することが必要である」旨の報告をしたが、さらに進んで具体的にどういう点に注意してどういう措置を採るべきか等の指示を看守らに与えなかつたし、また、看守らも同医師に対し、動静視察表を示して経過説明をして採るべき措置の指示を求めたりはしなかつた。臼井医師の右指示に基づいて、一四、一五日の朝夕合計四回、一回五〇ミリグラムのクロルプロマジンの筋肉注射が二郎に対して施行された。

(六)  一四日になつて二郎は、全裸で徘徊して奇声を発したり大声をあげたりすることは、従前どおりであつたが、さらに飯粒を床に撒き散らし、塗りつぶしたりして食事も十分取らず、布団の上に坐り込んだりうずくまつたりすることが多くなつて、心身ともにその活力を失つたことが顕著となり、衰弱度がさらに高まつた。一五日に至つて症状はさらに悪化し、終日食事を取らず、はいずり回つたり、しやがみ込んだり、布団の上にうずくまつたりしていて、つぶやくような独言を言うのみであつた。夕刻にメリヤス下着と毛糸のチヨツキを着用させられたが、意識もうろうとしていて、ぼんやり横たわつた状態が続いた。そして一六日午前〇時頃にはぐつたりした格好で目を半開きにしており、その後うずくまる様な格好で手足や身体を震わしたりしていたところ二時頃には身動きもなくなり、そのまま保護房内で死亡するに至つた。

以上の事実が認められ、<反証排斥略>、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

被告は、二郎は保護房収容中全三七食のうち五食分欠食しただけで、他はほとんど喫食していたと主張し、<証拠>にはその旨の記載もある。しかし、前認定のとおり、二郎は、時々食事を房内に撒き散らすこともあつたし、動静視察表には「配食」の記載があつて「喫食」の記載がないものが多く、「配食」の記載すらないところもあり、(二郎が昭和四八年一月一九日から二九日まで同拘置所に収容された際の動静視察表)ではほとんど「喫食」と記載されていることと対比すると、「配食」と記載された分が全部喫食に繋がるかどうか疑わしい。むしろ、前記認定にかかる二郎の房中における衰弱状態の進行度、特に、いずれも二郎の生前を撮影した写真であることに争いのない<証拠>と、いずれも二郎の死体を撮影したことに争いのない<証拠>を対比して認められる二郎のるいそう状態に徴すれば、同人は、余り喫食していなかつたものと認める方が相当であり、被告の右主張は採り得ない。

二  二郎の非定型精神病の罹患について

<証拠>によると、二郎は、一六歳の時精神病が発病して精神病院に入院したことがあり、その後非定型精神病に罹患して昭和四五年一月から四月まで東京足立病院に措置入院して治療を受け、退院後夏頃から大阪七山病院の木村医師によりカウンセリングなどの治療を受けていたが、同疾病が再発して昭和四七年一月から二月まで東京陽和病院に入院し、その後昭和四九年一一月同疾病が発病して東京松見病院、大阪光愛病院に入院し、同年一二月から昭和五〇年一月まで前記七山病院に入院して治療を受け、一旦治癒して退院したが、昭和五一年二月一日同居中の友人をパツトで数回殴打し、文化包丁で前頭部を突き刺して瀕死の重傷を負わせ、逮捕、勾留されて大阪拘置所に収容されたものであることが認められ、その後同所で死亡するまでの二郎の状態は、前認定のとおりである。以上の事実を総合すれば、同人が同拘置所収容時既に非定型精神病に罹患していたことは疑いを容れない。

<証拠>によると、非定型精神病とは、精神分裂病、そううつ病、かんしやくの定型的精神病以外の症状を呈する精神病であつて、病像としては幻覚、妄想を有し、錯乱状態になつて意識障害を起こすもので、急激に発症するが短期間で完治して人格欠損を残さないことが認められる。

三  二郎の死因について

<証拠>によると、凍死に陥りやすい条件として、外的状況としては風速、湿潤等体熱が逸散しやすいこと、身体的状況としては空腹、飢餓(特に食事を取らない場合起こる低タンパク、グリコーゲン不足)、疲労、精神不安定、内臓の機能低下等があり、凍死の場合の死体所見の特徴としては、血液鮮紅色、心臓血の流動性(軟凝血塊を含む)、胃・十二指腸粘膜の出血、肺断面の紅色調等があり、一般に死亡直後の体温(直腸温)が二五度以下であることが基準となることが認められる。

前記一の認定事実、並びに<証拠>によると、二郎の拘置されていた二月三日から一六日までの時期は厳寒期であり、その期間の大阪市の最低気温の平均値は2.5度で、特に七日は0.7度、二〇日、一三日は0.2度と低かつたが(但し一五日は7.6度に上昇)、保護房内には暖房設備はなく、同房内の高さ二〇ないし五〇センチメートルの位置に縦、横約三〇センチメートルの大きさの換気孔があつて、外庭に通じており、右期間中一日六ないし八回、一〇分間ずつ換気が行われ(四、五、一三、、一四日は夜間も行われた。)、外気が直接保護房内に流れ込んでいたことが、また二郎は非定型精神病に罹患していて、収容中ほとんど睡眠を取らず、ほとんど裸の状態が続き、十分な食事摂取も行わず、特に一五日は欠食しており、身体の衰弱が激しかつたが、一四、一五日の朝夕二回ずつ、体温低下の副作用のあるクロルプロマジンの注射が一回五〇ミリグラムあて打たれたことが認められる。さらに、<証拠>の二郎の死体解剖所見では、左室凝血を含む血液鮮紅色、肺表面・割面の鮮紅色、胃粘膜の発赤が認められ、他に特に異常な所見はないというのであり、<証拠>には「四方が死体解剖中、死亡直後の直腸内温度は二二度と聞いた」旨の記載もある。

以上によると、二郎の拘置所入所から死亡までの状況は<証拠>掲げられた凍死に陥りやすい条件に一致し、また二郎の死体所見は、凍死の場合の死体所見の重要な特色を備えており、結局、二郎は、前記外的条件と身体的条件が相乗的に作用して体温低下を来たし、凍死したものと認められる。

被告は、二郎の死因について急性致死性緊張病を主張し、<証人>の各証言中には右にそうかのような部分も存在する。しかし、<証拠>によると、急性致死性緊張病は、非定型精神病と同一の範疇に属するが、実例の少ない稀有の疾病であつて、その身体的特徴として肢端チアノーゼ、血圧低下、高熱等が報告されているが、<証拠>の二郎の死体解剖の所見ではチアノーゼはなく、<証拠>の動静視察表には高熱についての記載はなく、さらに<証拠>には、二月一四日午前の二郎の血圧は一五〇ないし一一〇であつた旨の記載があり、これらを勘案すると二郎が急性致死性緊張病に罹患していたと断ずるには未だ疑問がある。いずれにせよ、二郎の死因に関する前認定を覆すに足る証左はない。

四  被告の責任

(大阪拘置所の所長井田滋清、看守ら、並びに、非常勤医師臼井節哉の過失)

1一般に、被疑者らを拘禁する拘置所においては、被拘禁者の身柄を適切に管理する責務を有しているが、かかる被拘禁者に対する医療については、拘禁の性質上被拘禁者の行動の自由を制限し、疲病にかかつた被拘禁者が自由に外部の診療を受けるのを制限することができる反面として、拘置所長、看守ら拘置所職員は、その責務において被拘禁者の生命、身体の安全のため、その病状に応じた適切な措置を講ずべきことは当然のことといわなければならない。

特に被拘禁者が精神病にかかつた場合、拘置所での拘禁の性質上被拘禁者は行動の自由を制限され、常に看守らから監視され、厳格な対応を受け、特に保護房にあつては孤立状態であつて信頼できる話し相手がいなくて、精神病についての重要な治療方法の一つであるカウンセリングの施行が困難であり、また、精神障害者が自己の症状を的確に愁訴することを望めず、従つて、重症患者の場合拘置所での治療には限度があり、一般論として専門の医療機関に転送することにより治療を受けさせるのが望ましいといえる。しかし、被疑事実の重大性等諸般の事情から右措置が相当でなく、拘置所で拘禁を継続するのがやむを得ない場合もあると思われるが、そうした場合には、精神病の特殊性を充分考慮し、常時被拘禁者の動静に注意を払い、臨機、適切な治療を受けさせるよう格別の配慮をなすべきものであるといわなければならない。

2これを本件にみるに、前記認定事実によると、二郎は非定型精神病に罹患していて、拘置所保護房に収容された直後から裸になつて前記の異常な行動を続けていたもので、かなり重症な状態であつたが、さらに二郎には幻覚、妄想、意識障害が起きていて自己防衛機能が減退し、自ら生命保持に必要な処置を採ることができず、厳寒期、暖房設備がなく、しばしば換気が行われて外気が直接流れ込んでいた保護房にあつて、睡眠をほとんど取らず、食事も充分摂取せず、特に八日頃以後は終日ほとんど全裸の状態であつて、衣類を差し入れても着用せず、時々身体を震わしたりしており、一三日頃から身体の衰弱が激しくなつて、臼井医師の診察後クロルプロマジンの注射が打たれても症状は改善せず、一四日には動作が鈍くなつて坐り込むことが多くなり、一五日に至つてさらに症状は悪化し、食事を全然取らず、ほとんどしやがみ込んだり、うずくまつている状態が続いていたというのである。

<証拠>によると、二郎の収容されていた保護房にはテレビカメラが備え付けられていて、看守らが常時同人の房内での動静を監視し得る人的、物的の体制が備わつており、現実に看守らは、三〇分毎に視察表に記載する程同人の動静を逐一監視していたことが認められる。それ故拘置所長、看守らは、二郎の極度に異常な行動を認識し、又は容易に認識し得たはずであり、このままの状態では保護房に収容を続けていれば、同人の健康に重大な障害が生ずるであろうことは、十分予測できたものといわなければならない。しかも、臼井医師も一三日には不明確な表現ではあるが経過によつては専門施設での医療処遇が必要との報告をしていたことでもあるので、担当の看守ら、並びに、これに対する監督その他拘置所全体の事務総括者たる所長は、おそくとも右の報告を受けた後にあつては二郎を専門の精神病院に入院させる手続を採るべきであつたといわねばならず、それが不可能であつたことを窺わせる資料は、本件の証拠上見当らない。仮にそれがなんらかの事由により望めず、拘置所で拘禁を続けざるを得なかつたとしても、一四、一五日の時点で臼井医師から採るべき具体的措置の指示を受けるなり、同医師に再度の診察を要請するなりし、また、拘置所に常勤している医師に受診させ、さらに二郎に対する監視、保護の体制を強化し、強制的に衣類経を着用させ、拘置所内の他の暖房設備のある場所へ移すなどして十分保温に努め、その他強制的に栄養補給をするなりして、同人の身体に不測の事態が生ずることないよう臨機、適切な措置を講ずる格別の配慮をなすべきであつたと断ずべきである。しかるに所長、看守らは、一五日の夕刻二郎に衣類を着用させたけれども、同人の死亡に先立つ二日ばかりの時期における対処は、同人の健康保持のために必要であつたと思われる前認定の職務上の注意義務を怠つたとしかいいようのないものである。

3被告は、二郎が気温低下している時に全裸でいても何事もなく経過したのに、かえつて精神科医の診察を受けてクロプロマジンの注射を打たれた後、気温が上がつて衣類を着用された時期に凍死したものであつて、そうした結果を予見することは、所長、看守らにとつて不可能であつた旨主張する。

しかし、前記認定のように二郎の身体の衰弱は激しかつたところ、一三日に同人を診察した臼井医師はクロルプロマジンの投与を指示したが、同薬剤は、精神状態を鎮静化する効用があるが、それだけでは凍死を防止する効果はないところ(むしろ体温低下作用もある。)、一四日以降も症状は何ら改善されず、むしろ悪化の方向を辿つたのであつて、その時期にたまたま気温が上がり、夕刻になつて衣類を着用させたからといつて、その程度のことで同人の症状悪化が阻止されると考えたとすれば、それは楽観的に過ぎる。被告の右主張は、採用することができない。

また、二郎は、昭和四八年一月入所の際も同様の異常な行動をとつていたが、その後無事出所しており、精神障害者に対する治療法としては通常クロプロマジン等向精神薬を投与して精神状態の鎮静化を図る方法が採られていて、二郎に対しても右注射が打たれ、その後薬効が顕われて精神状態が落ち着いたと認めたもので、その状態を臼井医師に報告したり再診を要請したり、その他の措置を講じたりしなかつた点に過失はない旨主張する。

しかし、<証拠>によると、二郎は昭和四八年一月一九日拘置所に入所後数日間は大声をあげたり、徘徊したり、房扉を蹴つたりしたことはあつたが、収容中ほとんど喫食していて睡眠もよく取つており、身心ともに健康で身体の衰弱がなかつたことが認められ、今回の二郎の身心の状態は右状態と比べて異つていて、異常な状態を呈していたことは明らかであり、また、被告も認めるようにクロルプロマジンの注射が二郎の体温低下に一誘因となつたものであるところ、<証拠>によると、右薬剤は高揚している精神状態を鎮静させる効用があつて、薬効が顕われれば精神状態が落ち着き、自ら着衣して睡眠も食事も取れるようになり、それ故臼井医師も着衣等について特に指示を与えなかつたというのであるが、二郎は、右注射を打たれた一四、一五日も睡眠は余り取らず、一五日は喫食せず、その身心の状態も「はいずる」、「うずくまる」、「意識もうろう」という状態であつて、とても注射の効果が顕われて精神状態が鎮静化したとはみなし得ず、精神障害が著しくて身体の衰弱が進んだという状態であつたことが認められる。従つて、二郎は前回の入所の時と異つて精神障害、身体衰弱が激しくなつていて、一五日は危篤状態ともいえる状況であつたのに、右状況を観察していた看守らが注射の効果が顕われて鎮静化したと判断したのは極めて安易であつて、二郎の動静を死ぬまで観察していながら一五日の夕刻着衣させた以外何らの手当もしなかつたというのは軽卒のそしりを免れず、被告の主張は採用し得ない。

4また、臼井医師は、一三日に二郎を診察したが、同人の精神障害が進行していて身体の衰弱も激しく、<証拠>によると、同医師も二郎の精神病が重症であることがわかつていたというのであり、また前記のように拘置所保護房は精神病患者の治療について限度があることは、当然認識していたといわねばならない。それ故同医師としては、拘置所長に対し、二郎について精神病院での医療処遇を上申すべきであつたと思われる。仮に早急に右措置を採ることができず、拘置所での治療を継続しなければならないのであれば、同医師自身が常時二郎の傍にあつてその監視、治療に当たることは望めないであろうから、看守らに対しては、同医師が注射を指示したクロルプロマジンに体温低下の副作用があることも認識させ、その他、着衣の強制等保温につき格別の配慮をなすべき旨注意を与え、症状変化に応じて講ずべき具体的措置を指示し、場合によつては同医師への経過報告を怠ることのないよう徹底させる義務があつたものといわなければならない。同医師がこうした措置を講じなかつたのは、過失であつたことを否めない。

5大阪拘置所長、看守らが公権力を行使する公務員であること、臼井医師が同拘置所の非常勤医であることは当事者間に争いがなく、同医師も、同拘置所の被拘禁者の診察に関しては公権力を行使する公務員というを妨げない。そして前記認定の諸般の事実関係によれば、二郎の死亡は、拘置所長、看守、臼井医師ら拘置所職員の各過失に基づく医療体制の不備が原因をなしたものと断ずべきである。従つて被告国は、国家賠償法第一条第一項により、右の死亡に基因する損害を賠償する責任を負うものといわなければならない。

五  損害

1二郎の逸失利益

金七一五万六七五〇円

二郎が昭和一七年七月二六日出生したものであることは、当事者間に争いがなく、<証拠>によると、二郎は、昭和五〇年一月末日七山病院退院後、六月一日から逮捕される直前の昭和五一年一月三一日までの八ヶ月間西大阪ゴルフセンター株式会社に臨時雇用されて勤務しており、その間の賃金は平均月金七万二八二四円であつたことが認められる。<証拠>によると、非定型精神病は急激に発症して悪化するが、短期間で改善されて完治し、その後は患者は通常の労働能力を有すること、さらに、右疾病の発病を繰り返す者も加齢するに従つて精神状態も落ち着き、発病する率も低下していくことが認められる。それ故、二郎が非定型精神病に罹患していても相当の労働能力は有しており、少なくとも右西大阪ゴルフセンターに勤務していて得た程度の収入は、同人の喪失した得べかりし利益の算出の根拠とするに足りるものというべきである。

他方、前記認定事実によると、二郎は、昭和四五年一月から死亡するまでの六年間、三回非定型精神病が発病して約六ヶ月入院していたものであるから、退院後直ちに通常人と同程度の稼動ができないことは推測されるところであり、通常人より稼動可能期間を若干短く算定するのが相当と認められる。

以上により、二郎は死亡時三三歳であつたが、就労可能年数を通常人より八年短い二六年と算定し、単身者としての生活費五〇パーセントを控除して、同人の逸失利益を新ホフマン法で算出すると、次のようになる。

7万2824円×12月×0.5×16.379

(新ホフマン係数)=715万6705円

2二郎の慰藉料 金八〇〇万円

二郎は、前記のとおり、非定型精神病にかかつていたところ、厳寒期に暖房設備のない保護房の中で、ほとんど全裸で、食事も充分取れず、そとんど睡眠も取れない状態でいて、身体が衰弱していき、しかも看守らが常時観察していたのに、適切な治療を受けられず、若年の身で凍死したものであり、その肉体的、精神的苦痛を推察するに難くなく、これを慰謝するために支払を要すべき額としては金八〇〇万円をもつて相当と認める。

3相続

原告が二郎の実母であり、その唯一の相続人であることは、当事者間に争いがない。よつて原告は、二郎の被告国に対する右損害賠償請求権を全部相続により取得したものということができる。

4原告の慰藉料 金四〇〇万円

原告本人尋問の結果によると、二郎の父(即ち原告の夫)は、二郎が幼少の頃死亡したため、原告は貧困の中、女手一つで二郎を育てたものであるところ、原告は、武内和世の連絡により初めて二郎が大阪拘置所に拘禁されていることを知り、二月一六日面会するため同拘置所を訪れたところ、初めて二郎の死を知らされたことが認められる。その他前認定の諸般の事情を勘案すると、突然息子を失つた原告の精神的苦痛を慰謝するために支払を要すべき額は、金四〇〇万円をもつて相当と認める。

5弁護士費用 金一五〇万円

原告が、本訴の提起と訴訟の遂行とを原告訴訟代理人らに委任したことは当裁判所に顕著であり、本件事案の内容、認容額、訴訟の経緯等諸般の事情を考慮すると、被告の不法行為と相当因果関係のある損害としての弁護士費用は金一五〇万円と認めるのが相当である。

6被告の過失相殺の主張は、理由がないものである。

前記認定のように、二郎は拘置所に収容された当初から非定型精神病に罹患していて、意識障害が起きて自己防衛機能を失つており、自ら生命を保持するための措置を採ることができない状態だつたのであり、その死亡が客観的には自己の招いたものである面のあることを否定し得ないけれども、これをもつて被告の賠償額に減少を施すべき事情となすことは、相当でない。

また被告は、原告につき精神障害者の息子の二郎に対する保護監督義務の懈怠を云々するが、二郎が死亡当時既に三三歳であつたことは、前述のとおりであり、本件の事案における同人の異常な原因、態様の死亡の事態が、いかなる意味においても母親たる原告の支配可能の事情の下に生じたことの立証はない。

六以上の次第で、原告の被告国に対する請求は、金二〇六五万六七〇五円と、右の内金一九一五万六七〇五円に対する不法行為のあつた後である昭和五一年二月一七日から支払済みまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余の請求は理由がないからこれを棄却することとし、なお、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条を、仮執行の宣言につき同法第一九六条をそれぞれ適用し、被告の仮執行免脱の宣言の申立を不相当と認めて却下することとし、主文のとおり判決する。

(戸根住夫 大谷種臣 木下秀樹)

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