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大阪地方裁判所 昭和48年(ワ)5103号 判決 1978年2月23日

原告

藤村實

<外七名>

右八名訴訟代理人

清水直

松島英機

<外三名>

被告

株式会社ピロビタン総本社

右代表者

芳陵平八郎

被告

日本企業開発株式会社

右代表者

芳陵平八郎

被告

芳陵平八郎

被告

峰修

被告

佐野三郎

右五名訴訟代理人

高沢嘉昭

吉田孝夫

主文

一  被告株式会社ピロビタン総本社、同日本企業開発株式会社、同芳陵平八郎、同峰修は原告藤村実に対し各自金五五〇万円及び内金四八〇万円に対する昭和四八年七月一一日から、内金二〇万円に対する同年一二月一〇日から、内金五〇万円に対する本判決言渡の日の翌日からそれぞれ支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告株式会社ピロビタン総本社、同日本企業開発株式会社、同芳陵平八郎、同峰修は原告大岩旦枝に対し各自金五五〇万円及び内金四八〇万円に対する昭和四七年七月三日から、内金二〇万円に対する同年一二月一〇日から、内金五〇万円に対する本判決言渡の日の翌日からそれぞれ支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

三  被告株式会社ピロビタン総本社、同日本企業開発株式会社、同芳陵平八郎、同峰修は原告松田弘明に対し各自金三三五万五〇〇〇円及び内金三〇五万円に対する昭和四七年五月一六日から内金三〇万五〇〇〇円に対する本判決言渡の日の翌日からそれぞれ支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

四  被告株式会社ピロビタン総本社、同日本企業開発株式会社、同芳陵平八郎、同峰修は原告長坂四郎に対し各自金四七三万円及び内金四三〇万円に対する昭和四七年一月二二日から、内金四三万円に対する本判決言渡の日の翌日からそれぞれ支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

五  被告株式会社ピロビタン総本社、同日本企業開発株式会社、同芳陵平八郎、同峰修は原告榊原国男に対し各自金四〇九万七五〇〇円及び内金三七二万五〇〇〇円に対する昭和四七年二月一〇日から、内金三七万二五〇〇円に対する本判決言渡の日の翌日からそれぞれ支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

六  被告株式会社ピロビタン総本社、同日本企業開発株式会社、同芳陵平八郎、同峰修は原告早川鎬平に対し各自金四七三万円及び内金四三〇万円に対する昭和四七年四月九日から、内金四三万円に対する本判決言渡の日の翌日からそれぞれ支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

七  被告株式会社ピロビタン総本社、同日本企業開発株式会社、同芳陵平八郎、同峰修は原告老平辰一に対し各自金二九一万五〇〇〇円及び内金二六五万円に対する昭和四七年三月一日から、内金二六万五〇〇〇円に対する本判決言渡の日の翌日からそれぞれ支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

八  被告株式会社ピロビタン総本社、同日本企業開発株式会社、同芳陵平八郎、同峰修は原告加藤喜久元に対し各自金三〇四万七〇〇〇円及び内金二五七万円に対する昭和四七年五月一六日から、内金二〇万円に対する昭和五〇年八月一九日から、内金二七万七〇〇〇円に対する本判決言渡の日の翌日からそれぞれ支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

九  原告らのその余の請求を棄却する。

一〇  訴訟費用はこれを三分し、その二を被告株式会社ピロビタン総本社、同日本企業開発株式会社、同芳陵平八郎、同峰修の負担とし、その余を原告らの負担とする。

一一  この判決は一項については原告藤村実において金一〇〇万円の担保を供するときは、二項については原告大岩旦枝において金一〇〇万円の担保を供するときは、三項については原告松田弘明において金六〇万円の担保を供するときは、四項については原告長坂四郎において金九〇万円の担保を供するときは、五項については原告榊原国男において金八〇万円の担保を供するときは、六項については原告早川鎬平において金九〇万円の担保を供するときは、七項については原告老平辰一において金五〇万円の担保を供するときは、八項については原告加藤喜久元において金五〇万円の担保を供するときは、仮に執行することができる。

事実《省略》

理由

一被告総本社が商業登記簿上の記載によれば「ピロビタン商標権の使用を認めることによりその対価を受けること」を主たる事業としている会社であり、被告企業開発が同じく「被告総本社の販売網である代理店の開拓及び設置指導」を主たる事業としている会社であること、被告芳陵が被告総本社の代表取締役であつてピロビタン関連会社を含めて最高の指揮監督責任者としての地位にある者で、被告峰が被告総本社監査役であつたと共に被告企業開発の代表取締役であつた者で被告芳陵の右腕的存在であつたこと、被告佐野が長野県小諸市にピロビタン営業所を開いている者であることは当事者間に争いがない。

二被告総本社の目的が、(一)ピロビタン商標権の使用を認めることによりその対価を受けること、(二)不動産売買及び貸借、(三)金融業、(四)前各号に付帯する一切の業務、となつていたこと、被告企業開発の目的が、(一)被告総本社の販売網である代理店の開拓及び設置指導、(二)宣伝広告の代理業、(三)不動産売買及び管理、(四)発酵乳の製造工場の経営、(五)損害保険代理業、(六)自動車損害賠償保障法に基づく保険代理業、(七)上記に付帯する一切の業務となつていたこと、右被告両社がピロビタン販売網の組織作りとして、人口百万人の地域にボトリング工場一か所を設置し、かつその地域を更に三万人ないし六万人の地域に区分して営業所を設置し、右営業所を更に人口五千人の地域に区分し専売店を設置するよう計画していることは当事者間に争いがない。

<証拠>を合わせ考えると、次の事実を認めることができる。

1  訴外本社は、昭和四一年九月二七日設立され、当時三〇歳の被告芳陵がその社長となり乳酸菌飲料ピロビタンの製造販売を開始したが、その販売網の開拓、設置指導を別企業とするため昭和四四年二月一三日被告企業開発を設立し、さらに訴外本社をピロビタンの製造販売の業務のみを行わせるため昭和四五年七月一六日被告総本社を設立し、ピロビタンの商標権をこれに集中し、後記ボトリング工場、営業所との契約関係業務もこれに移したが、同年秋以降訴外本社の社会的信用が低下したこともあつて昭和四六年八月七日訴外ピロビタン製造株式会社(昭和四九年一〇月一一日商号をジヤパンフーズ株式会社と変更登記した。以下訴外製造という。)を設立し、訴外本社の乳酸菌飲料ピロビタンの原液の製造販売の業務もこれに移した。他に訴外ピロビタン総合資材株式会社、同ピロビタン商事株式会社、同株式会社ピロ企画、同ピロ建設開発株式会社、同ピロビタン航空株式会社も設立された。これらピロビタン関連企業のうち、被告総本社、同企業開発、訴外製造(訴外製造が設立されるまでは訴外本社)が一本となつて乳酸菌飲料ピロビタンの宣伝普及販売及びその系列企業というべきボトリング工場、営業所、専売店の開発組織化を業とし、このボトリング工場、営業所、専売店とともにピロビタン・グループを形成している。

前記のように被告総本社、被告企業開発はそれぞれ別個の法人格を持ち、商業登記簿上は別個の目的を有するものとして記載され、業務内容も建前としては別個となつているが、同じ建物を事務所として用いていたこともあり、役員にも社員にも両社に共通している者が多く、実質的にはかさなり合つた仕事をしている。

被告芳陵は、かつて乳酸菌飲料ピロンの営業所及びボトリング工場を経営した知識、経験に基づいて訴外本社を設立して乳酸菌飲料ピロビタンの製造販売を始めた者で、被告総本社の設立時から今日まで終始取締役でありその間昭和五〇年八月二五日から昭和五一年一月一九日までの期間を除けば常に代表取締役であり、被告企業開発の設立時から今日まで終始取締役でありその間昭和四六年八月一一日までと昭和五一年一月一七日以降はその代表取締役であり、その他ピロビタン関連企業の最高指揮監督責任者としての地位にある者で、被告峰は、被告総本社の設立時から昭和四九年八月三一日まで監査役、同年九月一日以降取締役であり、被告企業開発の設立時から今日まで終始取締役でありその間昭和四六年八月一一日から昭和五〇年三月二七日までその代表取締役でもあつた者で、主に被告芳陵の右腕的存在としてボトリング工場、営業所との仮契約及び本契約につき中心的役割を果していた者である。

被告佐野は、昭和四五年四月四日訴外本社との間でピロビタン営業所契約を締結し、長野県小諸市で営業所を経営している者であるが、その経営以外に後記認定のとおりボトリング工場、営業所契約者を勧誘するための事業説明会にしばしば出席して体験談を述べたり、その後の個別的勧誘に関与して被告総本社から多額の開発手数料を得ている者である。

2  被告芳陵及び被告峰及び同人らが代表していた訴外本社、被告総本社、被告企業開発(以下総称して被告らという。)がピロビタンの販売網の拡大のために行つた営業所契約者募集の方法は訴外本社設立当初とその後では若干変化して来ているが、その間一貫してフランチヤイズ・システムによる経営形態であることを前面に出して宣伝して来たことに特色がある。すなわち、フランチヤイズ・システムとは、被告らの説明によると、「特色のある商品(ピロビタン)のサービス販売テクニツク(販売所を母体にしたスーパー結成の方法など)を開発した企業が、フランチヤイザー(親会社)となり、フランチヤイジー(加盟店)に対して一定地域での独占企業権(ライセンス)を与える旨の、加盟店契約を結ぶシステムであり、加盟店はこの契約によつて一定地域内での独占営業権を取得するが、その営業にあたつてはフランチヤイズ・チエーンとしての同一性を守るために指定の条件があり、その範囲内で営業しなければならない。しかし経営はあくまで加盟店が行うものであり、契約条件の範囲内で経営の手腕を発揮できる余地がある」というのであり、さらに「その利点として、加盟店としては①本部指揮を中心とする完全な標準化方式であるため資力さえあればその業界の知識や経験がなくても営業できる。②限られた資本組織の力を利用できるので大資本に対抗できる。③すでに実証されている経営方法を利用することができるので中小企業の危険負担が軽くなる。④安定収入が得られる。⑤本部が大資本で商品を購入するので運転資金が少なくてすむ。」というのである。

そして、ピロビタン営業所契約もかかるフランチヤイズ・システムによる地区独占販売権を取得する契約であるが、その契約締結に当り、支払うべき地区権利金、ロイヤリテイ、ないし契約金と称する金員は、一定地区のピロビタン独占営業権、被告総本社から継続的に営業指導を受ける権利、商品前渡を受ける権利、増本奨励金を受ける権利を総合したものの対価であると説明していたのである。

被告らは、ピロビタン・グループの具体的な組織構成として、頂点に被告総本社、その下に被告企業開発、訴外製造など関連企業を置き、訴外製造が兵庫県尼崎、埼玉県加須、北海道手稲の三個所でピロビタン原液を製造し、この下にその原液を薄めて瓶詰にするボトリング工場を人口百万人を単位に一個所設け、その下にこれを販売する営業所を人口六万人または三万人を単位に一個所設け、その下に各家庭に配達する専売店を人口五千人を単位に一個所設ける。このボトリング工場、営業所、専売店についてはいずれも地域独占販売制、すなわち前記のフランチヤイズ・システムをとり、被告総本社との間で契約を結びその際その営業権を取得するに当つて同被告に地区権利金(ロイヤリテイ、契約金ともいう。)を支払わせるという図式を一貫して採つて来たのである。

3  被告らが営業所契約者を募集するに当つて行つていた手段方法は、チラシを配布して事業説明会を開催し、その出席者の自宅を訪問するなどして個別的に契約締結を勧誘するというものであるが、それらの具体的なやり方については被告芳陵、同峰ら被告両会社の幹部が企画立案した全国的に画一化したパターンで行つていたもので、昭和四七年初め頃から同年七月頃にかけてのパターンの内容は、次のとおりであつた。

(一)  チラシの配布

まず、各地で広く読まれている新聞の折込広告のチラシで事業説明会を開催する旨を宣伝拡布するが、そのチラシの作成、新聞への折込配布はすでに契約した営業所長やボトリング工場経営者の費用をもつてこれに当らせる。しかしそのチラシの内容については営業所契約後の後記研修の際に参考資料として配布したサンプルによつて行うようにさせ、そのサンプルと「日時、場所だけを変えるのは良いがその他の内容も変えるときは事前に被告総本社の了解を得なければならい。」として画一化したものにするよう指導し、その折込日を事業説明会の何日にするかまで指導し統一する。

(二)  チラシの内容

チラシには事業説明会の主催者が被告企業開発であること及びその住所電話番号を明記して責任の所在を明らかにするか、ピロビタンに関する記載は全く入れず、新事業の紹介であることに終始一貫させる。標題として用いられた大文字の文章は、「あなたにお金儲けを教えます」「将来性ある確実に儲かる新事業の説明会」「少ないお金で確実に儲かる商売の説明会」というのが多く、その内容として「時代を先取りする新しい商法です。激動する現代、景気に左右されません。将来、増々需要は増大する一方です。」「短期間で数拾億円の資産を築いた話題の青年社長芳陵平八郎の商法を公開」「地域独占販売、店舗不要。多角経営につながる不況に強い商法です。」「農業の副業としても充分成り立ちます。」などと記載し、少ない資金で大きな利益が得られるとし、「資金四〇万円。八〇万円。二五〇万円。四〇〇万円。それぞれの資金に応じての商売がございます。利益例えば四〇万円で、三か月ないし六か月後月収一五万円以上、一年後月収二〇万円以上、将来この数倍の利益が得られます。」などと具体的な利益に関する数値まで記載する。このチラシを読んだ者には、公的なあるいは経営コンサルタントの会社による説明会であるかのように錯覚した者が多く、それほど儲かる事業とはどんな事業であろうか、芳陵平八郎なる人物はどんな人物かと興味を持つ者も多く、現在の商売に行きづまりを感じている者らの関心をひく記載がなされている。そして、事業説明会の会場としては各地の一流ホテル、公共施設が明記されている。

(三)  事業説明会

事業説明会の会場には受付があり、出席者はそこで被告企業開発の名が印刷してある説明会出席者芳名表に記入することを求められる。その記入すべき項目は姓名、年令、現住所、電話番号、職業、資力、現住所略図などであり、出席者は軽い気持でこれに記入するが、被告ら及びその説明会の開催準備をした営業所長らはこの芳名表により営業所契約まで持ち込める可能性の有無、契約する場合の金額等の一応の目安とする。事業説明会には被告芳陵、被告企業開発の次長松下梅次郎、営業部長の八谷が出席することが多く、東海地方の事業説明会では被告芳陵、松下両名が出席した会が圧倒的に多く、他に被告総本社あるいは被告企業開発の本社、支社から社員が一、二名出るほか、ボトリング工場長、営業所長が数名参加している。その中には身体障害者でありながら小諸営業所長をしている被告佐野、小岩営業所長をしている訴外猪田裕三などがいる。まず、右社員や松下、八谷など前記説明担当者が金融情勢、フランチヤイズ・システムの一般的な解説をし、成功した事業の具体例を紹介して経営者としての必要条件等を説明する。その後被告芳陵など本説明担当者が被告芳陵がどのようにして無一文から数拾億の資産を築いたかを話し、これがピロビタンという会社を作つたことによるものであることを明らかにし、このピロビタンの商品紹介、ピロビタン・グループの組織構成、ピロビタン商法の有利な点などを説いた後、しかし将来はピロビタンの製造販売にとどまらず、スーパーチエーンを経営し、流通革命を起すことを企図していること、そのための店長を募集しているが、まず、ピロビタンを販売することによつてその資金を蓄積して貰うことなどを説明するが、出席者はその段階ではじめてこれがピロビタン営業所長募集のための説明会であることに気づく。そこで、帰りたい人は帰つてもよい旨何回かいうが、非常に魅力的な話であるために、商売替え等を考えている者は、もう少し詳しく聞きたいという気持にさせられる。会場には経営者の必須条件、中小企業経営者の一六のポイント、フランチヤイズ・システムのプラス点とマイナス点、フランチヤイズ・チエーンの利点と実例についてのポスターが貼られ、本説明担当者の説明が始まつてからはピロビタンに関するポスターも貼られ、残つている者にピロビタンの広告パンフレツトや被告芳陵が有名人と対談している新聞、雑誌が配られ、これを読んだ出席者は、被告芳陵の話が単なる夢ではないと考えるようになる。被告芳陵が出席しない事業説明会でも、松下あるいは被告総本社または被告企業開発の社員が被告芳陵とほぼ同様な内容の説明をしている。

事業説明会の準備はすでに契約しているボトリング工場長や営業所長に当らせるが、集会者は、それらの者の準備によるものとは全く気がつかない。

(四)  映画の上映

事業説明会では映画が上映されるが、昭和四七年初め頃以降はほぼ「明日をめざして」という標題の映画が上映されているが、その映画の内容はその解説から抜粋すると、概略次のようなものである。

「ここに小さな企業がある。それがわずかの間にこんなに大きくなつた。ピロビタングループである。そして更にこのように大きくなろうとしている。その秘密は何か。君が少ししか資金がなくてもピロビタン・グループに参加して経営者となり高い収益をあげたいのならば、君だけにその秘密を教えよう。」

「ピロビタン総本社は交通便利な大阪の駅前第一ビルにある。新進気鋭の実業家芳陵平八郎社長は、過去幾たびの失敗と転職を重ねて来たが、その経験を生かして、『金儲けのこつ教えます』『中小企業経営者16のポイント』というアイデアをひつさげ、昭和四一年頭の働きを良くするピロビタンの製造と販売にのり出し今日の財を成した。」

「現在は大量生産大量販売の時代です。これらの企業は大資本によつてのみ営まれている。ところが皆さんには少ししか資本がない。現在百万や五百万でどんな商売ができるのだろうか。これではライオンに向うネズミでとてもたち打ちできない。ではどうするか。千対一なら一の資本を千集めれば千対千になるではないか。すなわち小資本の組織化が必要だ。その組織はどんな組織がいいか。それがピロビタン・グループのフランチヤイズ・システムだ。」

「組織図を見ると、ピロビタン総本社、工場、営業所、専売店、消費者とありきたりの組織のように見えるが、実は内容が違う。まず組織を支えるピロビタンという商品を見よう。これは大脳生理学の権威林たかし博士の理論を実証した荒冷政雄博士の研究開発に基づく絶対他に類のない独自の商品だ。頭の働きには興奮物質と抑制物質が必要だ。これらは、タンパク質がグルタミン酸となり、更にGABAとなりそのGABAから作られる。興奮物質を作るにはビタミンB1B12パントラ酸が必要であり抑制物質を作るにはビタミンB6が必要だ。この頭の働きを良くするビタミン類に健康と美容を増進するLリジアスパラギンサン塩、ロイヤルゼリーを乳酸菌で薄めたのがピロビタンである。このピロビタンを弾丸として、全国に三千店の生活センターを作るのだ。」

「ピロビタン総本社は人口五千人に一個所だけ専売店を認め、独立営業権を与える。専売店は区域外に売つてはいけない。又、他の区域からも絶対入つて来ないようにしてある。なぜか。過当競争と無駄な労力を避けるためであつて、過当競争で苦しい商売をしている例は皆さんの周囲にいくらでもみられる。」

「その専売店の一つ設備というものもいらなければ、人を雇う必要もない。少ない資金で素人でも良い。営業方法、営業技術等すべての知恵を本社から受け、そのまま動けば良い。」「本社、工場、営業所、専売店と営業方針は一貫しているが、経済的には独立採算制なのだ。だから専売店は自分の営業努力が直接自分の利益となるので、普通の会社の社員と異なるのは目に見えている。しかも常に本社の大きな資本の援助と指導が後だてとしてある。」「一店の配達目標は最低五百本、軒数で約二百軒、五時間程度の労働だ。一本の収入は売値の約三分の一で五百本で大会社の係長クラスの収入、七百本、軒数で約三百軒で課長クラス。千本、軒数で約四百軒で部長クラスの収入が得られるようになつている。」「ところで彼は配達で毎日家庭を訪問し顔なじみとなる。それならその信用で日用品の御用聞きから生活のコンサルタントまでできないだろうか。主婦が留守でも空ビンという便利な連絡ポストがある。ピロビタンの収入に、この御用聞きから、コンサルタントまでの収入がプラスされる。収入はすべて月末に現金で入つてくるので経営は安定する。売掛や手形決済の心配はない。これも重要なポイントの一つである。領収書は宝くじの様になつており、毎月高価な商品がもらえるので、主婦の人気を集めている。このような専売店を将来は全国に一万五千店置く方針だ。」

「一区域五千人に一専売店で一二店ある地域、すなわち人口六万人に営業所を一つ置く、営業所ももちろんフランチヤイズ・システムで営業は本社の方針どおりに従うが、これも独立採算制の事業だ。」「これはある営業所。一二の専売店をしつかりと掌握し、ピロビタンの拡張販売に従事する。ところで営業所長になる君は、専売店を作ることが一番むづかしいと考えるに違いない。しかし本社の大きな資本の援助と指導の後だてがあるので、一二の専売店を作ることはさほどむづかしいことではないのだ。所長は意欲と希望に燃えて働く。ピロビタンからの収入は小売値の五分の一で一専売店五百本として一二店では六千本。月一八万本。粗利益七二万円。これは大会社の重役あるいは社長の収入だ。この高収益でたちまち蓄積される資本をどうするか。ここにピロビタングループの夢と理想がある。」

「その資本をもとに生活センターを作る。安くて良い生活物質をピロビタンの愛飲者と、地域の住民の六万人に供給するためだ。高い収益と生活センターの実現をめざす営業所を全国に千五百。コンビニエンス・ストアーを三千店置くのが将来の目標だ。」

「営業所にピロビタンを供給するのは各地方にあるボトリングと呼ばれる工場だ。本社直属の原液工場から冷蔵車で送られて来た原液をここで瓶詰する。ボトリング工場は独立した事業体で営業所を統括している。工場と営業所は、常にピロビタン輸送車で結ばれている。一方、ボトリング工場と原液工場は原液輸送車で結ばれ、しかも帰りは空車である。それを利用して生活物質を運べばよい。するとボトリング工場は生活センターを結ぶ物質の集約センターになるわけだ。ボトリング工場、すなわち集配センターは全国に百か所設立が目標である。」

「ピロビタンという特色ある商品を販売しつつ、生活センター網で流通革命をねらうピロビタングループのフランチヤイズ・システムである。本社、支社、本社直属の原液工場、地方にあるボトリング工場、営業所、そして専売店が今や全国にひろがつた。」

そして、被告芳陵が各地の事業説明会に出席のため飛行機でとびまわる画面が象徴的にピロビタングループの発展ぶりを印象づけている。

(五)  個別的勧誘

事業説明会が終る頃、松下、社員、営業所長らは前記芳名表をもとに出席者一人一人に更に具体的な話をするために会場に残るよう、あるいはホテルの一室に来るよう、又は訪問して説明したい旨言葉をかける。事業説明会を聞いただけで営業所契約を結ぼうと考える者はほんどいないが、更に具体的な話を聞いてみようかと考える者も少なくない。

そして、その個別的勧誘に際して説明する内容も、あらかじめ企画された全国的に統一されたものである。その概要は次のとおりである。

営業所契約を締結するには地域独占販売権を取得する対価、すなわち地区権利金(ロイヤリテイ)として六万人人口の場合に四八〇万円(昭和四七年五月頃までは四三〇万円)を支払う必要があるが、これは短期間のうちに回収でき、大きな利益を挙げることができる。すなわち六万人人口の場合には人口五〇〇〇人に一店の割合で専売店を設置できるから最高一二の専売店を設置でき、各専売店から地域独占販売権の対価として四〇万円ずつ(昭和四七年五月頃までは三〇万円ずつ)を取得できるから、最高四八〇万円(同じく三六〇万円)を入金しうる。営業所として一定の成績をあげれば、被告総本社から増本奨励金が出されるが、それは一本につき四〇〇円である。営業所の利益はピロビタン一本につき四円であり、専売店が人口の一割に売ることは従来の統計上容易とされているから一日に五〇〇本売るのはそう困難ではなく、従つて、もし専売店を一二店作つたとすれば一日に六〇〇〇本となり、金額にして一日二万四〇〇〇円、一か月七二万円の粗利益となり、その場合の諸経費を三〇万円とみても純利益四〇万円余となる。右四〇万円を三年間積み立てると一五〇〇万円になり、それを元金にして三年後には「コンビニエンス・ストア」を設立することも可能であり、「コンビニエンス・ストア本部」より直接卸して貰つた各種商品を一般消費者に売ることができ、さらに多くの利益が得られる。専売店作りは全く心配はいらない。事業説明会を開くとたくさんの人が集まり、むしろ断わらなければならない位であり、もしできないときは契約違反ということになるから本社から来て指導してくれるし、全く心配はいらない。一専売店の一日の売上げは全国平均が七〇〇本位であるから五〇〇本というのは最低である。諸経費三〇万円には営業所長の給与二〇万円を含み、他に冷蔵庫一台買う程度であるから純利益金四〇万円というのはまるまる残る計算である。増本奨励金は当初の生活費にあてることができる。

右のように具体的な数字をあげて説明したうえ、被告佐野などは「私のような身体障害者がこんなに儲けているんですから、まして健康なあなたならもつと大きな利益があげられます」という話をする。また「現在この地域は契約希望者が殺到しているから急いで契約しなければ折角のチヤンスを逃がすことになる。」と述べ、とにかく仮契約だけでもしておいてはどうかとすすめる。

(六)  契約の締結

仮契約は大阪駅前第一ビル内の被告企業開発の本社で行う。そして個別的勧誘に当つた営業所長らがこれに同行するが、その際同人らは、本社、工場、営業所などを見学したうえで契約するか否かきめた方がよいが、希望者が多いから手付金として五〇万円位を持参していた方がよいとすすめるので見学に訪れる者の多くは現金で五〇万円位を持参している。本社では豪華な応接間に通され、被告芳陵、同峰、松下、田代和夫らのいずれかと会い、その後高級外車で工場、営業所、研修所を見学させるが、それは定まつた見学コースであつて営業所には身体障害者などがいて私でも月七〇万円の利益を挙げていると説明し、壁には専売店の売上げの伸びを示す棒グラフなどが貼つてある。本社で話を聞いているときに今丁度社長が有名人とテレビ対談をしている時間だといつてテレビをかけたり、丁度かかつて来た電話に儲かつてしようがない、売上げがどんどん伸びているなどと話をする。これまで迷つていた者もこれらによつて、事業説明会、個別的勧誘で聞かされた話は真実間違いのないことと確信して、持参した五〇万円位を手付金として支払いピロビタン営業所仮契約を締結する。その際被告総本社と取交わす仮契約書には、第一条に甲(被告総本社)はピロビタンの販売に関し乙(契約者)に対し特定の地域において営業所としての販売行為を約し、乙はこれを受諾したと記載され、第二条に第一条の販売地域の設定に伴い、乙は甲に対し地区権利金○○円を支払うことを承諾し手付金として○○円を支払い甲はこれを受領したと記載され、第三条に第二条の手付金及びこの営業所仮契約書の有効期間は昭和○○年○月○日までとしその期日迄に権利金の残額○○円を乙は甲に支払い本契約することとする。手付金の有効期日迄に残額を納金されない場合は手付流れとし、手付金の返還は一切ないものとし、この営業所仮契約書も自動的に消滅しこの効力はなくなるものとすると記載されている。

契約者は、手付金として五〇万円位の大金を支払つているので有効期間として定められた一〇日ないし半月後位までに大半が残金を支払つて本契約をすることになる。その際に応待した者は被告峰であつた場合が多いが、残金を全額支払うまでは契約書は見せない。事前に契約書を見たいという者に対しては、以前ヤクルトなど他企業のスパイに見られて損害を受けたことがあるから契約金を全額支払つてからでなければ見せられないと拒否する。そこで残金全額を支払うとこれを金庫に入れてから、営業所契約書を持つて来て契約者の署名捺印を求める。その際第二条、第三条に金額が記入されているが、それは地区権利金の金額を地域独占販売営業権の対価、開発に要した手数料、営業所育成費に分割した金額として記載してあり、この点に不審を抱いた契約者が問いただすと、税務対策上であつて他意はない旨答え、他の契約条項の詳しい説明は研修所で行うから心配はないと述べて署名捺印を急がせるし、一緒に来ている契約者が残金を払うとすぐ署名捺印して出て行くので、何となくせかさせた気持で契約者は署名捺印することになる。

4  ところが、右3の営業所契約者の募集勧誘にあたつて行つている説明内容には真実に反する点が少くない。その点を具体的に指摘すると次のとおりである。

(一)  地区権利金の支払以外にも多額の資金を必要とすること

営業所契約者は、二〇名位の単位で本契約後直ちにないしは一か月後位までの間に被告総本社の主催する約一週間の研修を受ける。その際まず経費が莫大にかかること知らさせる。すなわち、事業説明会、個別的勧誘を通じて「営業所を経営するには、被告総本社に地区権利金として支払う金員のほかには資金を要せず、店舗設備等も不要で強いていえば営業所に冷蔵庫一つあれば良い。」と説明され、大多数の契約者は地区権利金さえ支払えば足ると考えて、無理をして貯金をおろし、借金をし、資金としては他に残つていない状態で契約締結に及ぶわけであるが、研修の際、専売店を募集するための説明会を開くについても会場の借賃、新聞折込広告代、印刷代、被告会社らから講師を呼ぶための旅費日当、映写機の借賃、ピロビタン宣伝のパンフレツト、雑誌代等一回の説明会につき二〇万円位の費用がかかること、営業を開始するにあたつては店舗を賃借する費用、保冷車、営業所用のピロビタン冷蔵庫の購入費(二〇万ないし三〇万円)、専売店に卸す必要本数の三倍のピロビタンの瓶代(一本一一円五〇銭)、そのケース代、ピロビタンの運搬費を負担しなければならず、これら営業に必要な物は関連会社である訴外ピロビタン総合資材株式会社から買わなければならず、結局地区権利金のほかに数百万円の資金が必要であり、ことに右訴外会社から買付けを義務づけられている物品は名刺、領収書、用紙等で、いずれも市価より高いことをはじめて知らされる。増本奨励金も専売店の増本ということになれば、営業所は受取つた金員をそつくりそのまま専売店に渡すよう義務づけられており、しかも一日の販売数量が一三〇〇本以上でそれを二か月以上維持した場合にはじめて支払うという条件付きのもので、当初の生活費にはとても当てることができない。専売店が営業所に対して支払う四〇万円の独占営業販売権の対価についても全額営業所に入るわけではなく、四〇万円の内訳は、契約金一五万円、育成料一五万円、手数料一〇万円となつていて、営業所は右育成料一五万円をもつて専売店の受ける研修費用を支出し、冷蔵庫及びピロビタンを無償で配布するサンプル等を買い与えなければならず、専売店募集につき他人の力を借りると手数料一〇万円を支払わなければならず、結局、営業所に入る金は契約金一五万円のみであることを教えられる。

これら研修の際の講義で多くの契約者は、契約前の説明と違つて、地区権利金のほかに多額の資金が必要であることを知り、愕然とするが、ごく少数の者を除き多額の契約金を支払つている以上、少しでもこの投下資本を回収するために専売店作りに専念するほかないと考える。

(二)  専売店作りが極めて困難であること

各営業所長は、研修の際の指導に従つて、一回あたり二〇万円位の費用を投じて事業説明会を開催するが、なかなか専売店はできず、数回の説明会によつても一店もできない者が少なくなく、専売店のできた場合でも、その専売店を一年以上維持できた営業所は数少ない。しかも専売店が一店で人口の一割である日配五〇〇本に達することは至難なことであつた。そのため営業所を閉鎖してしまつた者が大半であり、営業所契約をした者のうち三年以上経営が続けられた者は一割に満たず、しかも、経営を続けている者のうち日配六〇〇〇本に達している者はほとんどない。

専売店作りについての被告本社の指導というのも、研修所における講義では誇大・虚偽の宣伝をして募集勧誘することであり、他は有料で講師を派遣してくれる程度であり、また増本についての指導というのも引越そば作戦のようにピロビタンやサービス品を無料でくばることなどであり、しかもそれは営業所が有料で購入して行わなければならないものであつて、営業所にとつて被告総本社が強力なバツクアツプになるとの説明とは全く逆である。

(三)  営業所契約者の実態が説明内容と全く違つていたこと

被告芳陵、被告峰、被告企業開発、訴外本社、被告総本社、昭和四六年以前においても、前記パターンと本質的には同じパターンで営業所、ボトリング工場契約者を募集勧誘し、地区権利金と称する金員を取得して来たが、すでに昭和四四年秋頃以降には右権利金を詐取されたとして被告らにその返還を求める契約者が続出し、関西主婦連、消費者運動団体がこれを問題化し新聞でも取上げたことがあるにもかかわらず、被告らは事業説明会による宣伝拡布に力を注ぎ、販売実績の挙らない営業所に対しては努力が足りないとして営業所契約を解除し、同じ地域につき新たな営業所契約者を募集し続けて来た。

昭和四五年一〇月頃には、関西ボトリング経営者の村松憲三、四国ボトリングの中村近市、東海ボトリングの牧野らが中心となり、訴外本社の営業課長であつた鳥丸正靖、役員であつた原正、企画室長であつた雑賀繁明がボトリング契約、営業所契約が余りにも虚構の宣伝に基づいて勧誘し、被害者を作り出しているとして訴外本社を退社して右ボトリング経営者に協力し、右ボトリング工場の傘下の営業所もこれに同調して全国ピロビタン被告者同盟を結成し、被告芳陵らを刑事告訴した(この告訴に基づく被疑事件については、大阪地方検察庁は昭和四八年三月一八日不起訴裁定をした。)。

昭和四五年頃は営業所は、日本全国で一八〇位であつたが一営業所の販売実績は日配平均一〇〇〇本に満たず、赤字を出していない営業所はほとんんどなかつたのに、被告らは当時の新聞に「経営者大募集」なる一頁の全面広告を出しその中で「ピロビタンを売るのにはそうむずかしい技術はいらない。ピロビタンを弾丸にして小型スーパー網を組織する計画であり、ピロビタン営業所は全国で五二〇、工場は四三ある」旨の非常に派手な広告をしていた。

そして、その頃訴外本社は、四国ボトリングの中村近市に対し河北新報に対して実配数の一〇倍以上の日配があり、ますます拡大しつつある旨虚偽の報告をするように文書をもつて強制したことがある。

(四)  虚偽であることを知りながら宣伝していたことについて

被告芳陵は昭和四七年二月号の財界展望における斉藤栄三郎(経済評論家)との対談において、「私も会社がちつぽけなときはほんとにホラを吹いたものなんですよ。そうしないと格好がつかないんですね。」「とにかく格好だけでもやつていると、ひよつとすればという可能性があるわけです。だから、最初はホラを一生懸命吹いて、格好だけつけまして、中味はがらんどうで何もないんですね。そのうちにだんだんと中味が埋まつていつたわけなんです。私は中味が埋まつてしまつたら、ホラ吹くのはやめて小さくなろうと思つていた。」「人間ホラを吹いてもいいと思うんですよ。その中の十分の一が完成すればいいと思つてやつているんです。」と述べているが、これが被告らの営業所契約者の募集に当つてなした宣伝広告の基本的態度である。経済雑誌に登載された有名人との対談というのも、実は対談記事を作つておいてこれを売り込むという方法で登載されたものが少なくない。

被告芳陵の右記事にいう誇大・虚偽広告の例としては、すでに昭和四四年七月当時の新聞広告で、ピロビタンは日配本数約百万本、全国にボトリング工場三〇社、営業所は八百か所を越える。そのほか全国三千のスーパーマーケツト、流通センター百か所を有すると宣伝していたのであり、このような宣伝広告費として被告総本社は一年間に五億を越えるような莫大な金額を投入しているのである。

そして、このような欺瞞的な宣伝広告や虚飾に満ちた事業説明会を続けて営業所契約者に地区権利金名義で多額の金員を支払わせることに対して批判的な発言をした訴外本社の営業課長鳥丸正靖や企画室長であつた雑賀繁明に対し、被告芳陵は、それは安つぽい正義感であつて企業家の考えではない、かれらはピロビタンという企業が伸びるためのこやしなのだ。権利金収入があるからこそこの企業は存続できるのではないか、かえつて営業所がつぶれた方が新たな契約者を募集できそれにより権利金が入つてくるから会社にとつて有利であるとの説得をしていた。また右雑賀繁明が中心になつて撮影した株式会社ピロ企画の真実に近いPR映画は被告芳陵の気に入らず、採用されるに至らなかつた。

前記映画「明日をめざして」では専売店等の現在の活動状況を撮影したものであるかのように説明しているが、実はモデルを使つて撮影したものであつて何ら真実の活動状態を撮影したものではない。

(五)  「頭の働きを良くするピロビタン」なるキヤツチフレーズが使用禁止されたこと

営業所契約者が契約を結ぼうとした動機の一つにピロビタンが他に類のない乳酸飲料であつて「頭の働きを良くする」効果があるとの宣伝を信じ、すぐれた商品を扱う事業であることに魅力を抱いたことにもあるが、このキヤツチフレーズが誇大広告、不当表示ではないかと国会、日本消費者連盟、主婦連等でしばしば問題とされ、公正取引委員会でもとりあげられたため、被告総本社は昭和四八年一月二五日付業務通知をもつてこのキヤツチフレーズを使用することを取りやめ「自然といのちを大切に」というキヤツチフレーズに改めるように指示したのでピロビタンの特色が失われるに至つた。また多くの乳酸菌飲料が出まわつているため消費者の口が肥えているうえ、資金不足からくる商品管理配達態勢の不備もあつてピロビダンは臭いとか味が悪いとの世評もあつた。

(六)  仮契約及び本契約の勧誘にあたつて作為がなされていたこと

契約前の見学コースに入れられた営業所は被告総本社直営の営業所であつて総本社の社員があたかも地区権利金を支払つた経営者であるかの如き態度で見学者に接し、実際とは著しく異なつてあたかも収益を挙げているかの如きグラフを貼布し、かつそのように説明させていたり、契約者が本社で説明を聞いているときに実況放送であるかのように見せたテレビ対談はあらかじめ宣伝用にとつていたビデオテープによるものであり、電話での応待ぶりも被告会社らの社員による仮装の問答によるものであり、契約書の署名捺印を急がせた際に一緒に来ていた契約者というのが同じく社員による演技であるというように契約者を錯覚させるような芝居がなされていた。同じ地域の契約希望者が何人もいるかのように見せかけるのも実は作為である。

スーパー一号店は昭和四四年一一月二五日に建設され、開業したが、スーパーについては素人ばかりであつたので、赤字続きで結局一年ほどで閉店したが、見学者を案内するルートに入つていた。またフードサービスカーによつて家庭用品の販売をしているかの如き宣伝をし、右車を見学者にも見せていたが、実際には吹田の被告総本社の敷地内に五台を止めていたにすぎなかつた。

(七)  契約書の内容が説明と違つていたこと

被告らは契約金を全額支払うまで契約書を見せず、署名捺印の段階でも一般の契約書と変わりないかの如く説明していたが、その条項にはいろいろ問題がある。

まず、第二条、第三条で地区権利金を独占販売営業権の対価、開発手数料、営業所育成費に三分していることにつき被告峰らは税務対策上であると説明していたが、実際に解約する段階になると被告総本社は第一八条五項により返還の対象となるのは独占販売営業権の対価として受領した金額のみであると主張して地区権利金の五割にも満たない、しかも被告らにおいて一方的に区分した金額しか返還しようとしない。

第八条では契約者は契約締結後三か月以内に営業所を設置し、販売を開始しなければ権利を放棄したものとみなして、その営業権は自動的に消滅するものとすると規定しているが、前記のように専売店作りが極めて困難であることに照らすとこの条項は苛酷な内容を定めたものといえる。

第九条では販売到達責任量として営業開始後六か月以内に人口の二パーセント、一年以内に四パーセント、一年六か月以内に六パーセントと規定しているが、実情に照らし同じく苛酷な内容といえる。

第一〇条では契約者は自己の営業地域内において要する宣伝費を負担するとあるが、テレビ、ラジオによる宜伝費として一か月三万ないし四万円がこの規定によつて負担させられる。

第一八条四項では契約者が契約書の各条項に違反せずに解約した場合でも被告総本社の返還金は解約後一〇年間据置きで以後一〇年間で均等返還し利息は付さないという契約者にとつては極めて不利な内容のことが規定されている。実際には一〇年間の据置は行つていないが、その場合でも被告らは右規定を寛和する恩恵的扱いであるかのように振舞うことになる。また、いざ解約した場合には、被告本社から契約書どおり履行していないから損害金を請求するといわれて、右金額すら容易に返還して貰えないのが実情である。

(八)批判の動きを封じようとしていること

前記のような営業所契約者の募集に対する批判の動きは昭和四四年頃から絶えないのであるが、被告芳陵らは営業所の成績が挙らないのは営業所長の努力が足りないからであり、これを詐欺呼ばわりするのは、ピロビタン組織を乗つ取ろうとする策謀であるから、これに乗ぜられないようにと警告を発して批判の動きを封じ、ボトリング工場同志営業所同志の横の連絡を妨げようとし、またマスコミが乗つ取りの陰謀に乗せられて悪宣伝しているために最近の業績が良くないが一時的な現象であると宣伝している。

<証拠>中以上の認定に反する部分は、右認定に用いた各証拠と比較して信用するこどができず、他に以上の認定を覆すに足りる証拠はない。

以上の認定事実によれば、被告芳陵、同峰を中心とする被告総本社、同企業開発の役員幹部が昭和四七年初め頃から同年七月頃にかけて自らないし他を指揮監督して行つていた営業所契約者の募集、勧誘方法は、契約締結の意思決定に重要な影響を及ぼす事実につき故意にこれを隠蔽して開示告知せず、かえつて虚偽の事実を真実であるかのように誇張して告知することによつてピロビタンについて予備知識のない無知な一般大衆を欺罔し、その結果営業所契約を締結させ、地区権利金名義(前記認定事実によれば、当時高額の対価を支払うにふさわしい地域独占販売権という利益状態が確立していたとは到底認められない。)で金員を騙取するものであつて詐欺行為として民法七〇九条の不法行為に該当するものと解するのが相当である。

なお、証人佐野三郎、同安田雅彦、同光田晴三の各証言には、同証人らが営業所を赤字なしに経営している旨の供述部分があるが、この供述部分が真実であつたとしても、前記認定に用いた各証拠によれば、一専売店の売上を日配五〇〇本以上にすること、五〇〇本以上の売上のある専売店を一二店作ることは一般の者にはほとんど不可能なことであると認められ、従つて仮にごく少数の者(証拠上は数百の営業所のうち一〇に満たない営業所)にとつて宣伝どおりの実績を挙げることができたとしても(しかもそのためには真実に反する誇大宣伝の必要がある。)、大多数の者にとつて実現不可能なことを誰にでも確実に可能であると断言することは欺罔行為であると解するのが相当であり、このような手段によつて無知な者の正常な判断を誤らせ、それによつて無知な者を決断させてその結果地区権利金名義で一定の金員を交付させることは詐欺行為ということができるから、右各供述部分は前記認定を左右するものとはいえない。

被告らは、営業所契約者に対し開業準備のための指導を研修所で行つているし、商業上の契約は将来の可能性に賭けるものであるから宣伝どおりの実績のあがらない場合があつても詐欺とはいえないと主張するが、研修所において宣伝どおりの実績を挙げうるような十分な指導をしていたといえるかについては大きな疑問があり、むしろ実情に反する誇大宣伝をすることによる専売店獲得の方法を指導したにすぎず、また商業上の契約が将来の可能性に賭ける面があることは否定できないとしても、契約するか否かの意思決定を左右する重要事項について真実を開示、告知せず、むしろ虚偽の数値を具体的に示して確実に儲かるとか、儲かつて儲かつて仕方がないとの誇大・虚偽の宣伝を行うことは、社会通念上許された商業上の宣伝方法を著しく逸脱したものと解するのが相当であつて、この点の被告らの主張は採用することができない。

また被告らは、事業説明会は、ボトリング工場長ないし営業所長が主催したもので、個別的勧誘も被告らがしたものではないというが、前記認定事実によれば、事業説明会がボトリング工場長ないし営業所長の費用及び労力によつて準備され、個別的勧誘も右の者らによつて行われたことも少くないが、それはボトリング工場ないし営業所長が、新たな営業所契約者の勧誘に成功した場合には被告総本社から高額の開発手数料が貰えるという利益のためにしたという側面があるにすぎず、新たな営業所契約者は被告総本社との間で契約して同被告に対して地区権利金を支払うのであつて、その中から被告総本社が開発手数料と称する金員を右ボトリング工場長ないし営業所長に支払うのであり、また外部の者に対しては右事業説明会や個別勧誘は被告企業開発ないし被告総本社が主催して行つている旨の表示しかしておらず、しかも被告らはかかる表示をすることを右ボトリング工場長らに指導徹底させていたのであるから、これらの事実に徴すれば、形式的にも実質的にも被告らが主催したものと解するのが相当であり、この点の被告らの主張も採用することができない。

被告らは、専売店ができなければ、自分で配達してもよいのだから営業所経営が不可能とはいえないというが、被告らが営業所経営者を募集するにあたつては、専売店を育成指導するのが営業所の役割であつて、営業所が直接配達してもよいが、それは営業所本来のあり方ではないとの説明をし、それゆえに契約者は高い地区権利金を支払つても営業所を経営するのが有利であると判断して契約するに及んだのであるから、かかる契約締結時の説明に徴すれば、営業所が自ら配達するほかないという状況は、契約の目的を達しえないものと解するのが相当である。

そこで、次に原告らが、被告らから右のようなパターンの勧誘を受けたか否かについて判断する。

三原告藤村に対する被告らの行為について

請求原因3(一)のうち原告藤村が昭和四七年六月九日静岡市のホテルニユー八州園の説明会に出席したこと、同説明会において被告企業開発次長松下梅次郎及び被告芳陵の各講演があつたこと、ピロビタンの商品及び企業内容についての映画を上映したこと、営業所長らの体験談があつたこと、同月一一日松下が原告松田と共に原告藤村宅を訪問し事業内容の説明をしたこと、同月一三日同原告が松下の案内で名古屋市の中村営業所を見学し、同月一五日大阪市の被告総本社、工場、研修所を乗用車に乗つて見学し、同日被告企業開発で仮契約し、仮契約金五〇万円を支払い、同月三〇日さらに五〇万円、七月一〇日に残金三八〇万円を支払つて本契約をしたことは当事者間に争いがない。

<証拠>を合わせ考えると、次の事実が認められる。

1  原告藤村は、昭和四七年六月七日頃新聞の折込広告のチラシに被告企業開発主催の、短期間で数拾億円の資産を築いた被告芳陵の商法の公開がある旨の記載のあるのを見て、経営コンサルタントの企業説明会かと考え、同月九日会場である静岡市のホテルニユー八洲園に出かけ、受付で要求されるまま説明会出席者芳名表に記入をして入場した。説明会が始まると、まず被告企業開発次長の松下梅次郎が経済情勢一般について話をするとともに、この不況時に儲かる商売は仲々ないが、商売のやり方によつては儲かる事例もあり、被告芳陵はそのような新商売をしてわずかの期間で数十億円儲けた青年社長であるとして紹介し、かわつて被告芳陵がピロビタンという他に類のない頭の働きを良くする乳酸菌飲料を弾丸にして全国にコンビイニエンス・ストアというスーパー網を作る計画をすすめている旨の講演があり、その間に前記PR映画明日をめざしての映写が行われた。その後資料として財界の有名人と被告芳陵が対談している週刊誌、月刊誌が配られた。その説明会が終つて、原告藤村が帰ろうとしたとき何人かが近寄つて来てもつと詳しい説明をしたいからいつ訪ねたらよいかと聞くので一一日なら家に居ると答えて帰宅したが、若干興味をもつた程度であつた。

2  同月一一日右松下が静岡営業所長で研修を終えたばかりの原告松田を連れて原告藤村方を訪ね、同原告に対しメモ書きをしながら営業所を経営するといかに容易に儲かるかを具体的な数字を挙げて、例えば一二の専売店がそれぞれ一日五〇〇本ずつ販売すると六〇〇〇本の売上げがあり一本四円のマージンであるから一か月七二万円の粗利益があり、所長の給料二〇万円、経費一〇万円を差引いても四〇万円の純益が残る、これを三年間ためると一五〇〇万円となるのでこれを資金としてコンビニエンス・ストアーを作ることができる、これが最低の線である、そして一二の専売店を作るのは容易なことでむしろ希望者を断わらなければならないほどである、一専売店が日に五〇〇本というのは最低の数量であり、被告佐野は身体障害者でありながら八〇〇〇本ないし一万本の日配をしているから健康な人ならもつと儲かるはずである、六万人人口の営業所の権利金は四八〇万円であるが、専売店を一店作れば四〇万円の権利金が入つてくるから、一二店作れば四八〇万円はすぐ戻つてくる。増本奨励金も一本四〇〇円であるから最初は六〇〇〇本であつたとしてもそれだけで二四〇万円の増本奨励金が入つてくるわけでこれが当初の生活資金となる。経費としては冷蔵庫一台二〇万円程度で足りる、と説明したうえ、このように儲かる事業であるため希望者は大勢いるが、あなたは理想的だと思う。原告松田は自分がやろうかやるまいかと迷つていううちに他の人に地域をとられ、やむなく隣の地域で営業することになつた、今回の説明会でも大勢の人がやりたいということであるから早く契約しないと焼津でも地域の獲得ができないかも知れない、仮契約だけでも早くした方がよい、とすすめた。原告藤村は話だけでは信用できないから、実際に営業しているところを見せて欲しいといつたところ、松下は、もつともなことだとして名古屋の中村営業所を紹介した。そこで、原告藤村は、同月一三日右中村営業所を訪ねたところ、昭和四七年二月から四か月間に日配四〇〇〇本以上に伸びており、専売店の中で一番多く売つている店は一〇〇〇本位になつていると説明された。

これらの説明によつて、原告藤村は松下の前記説明は間違いがないものと考え、松下のいう地区権利金とわずかな経費を投資して営業所を経営すれば、格別の努力をしなくても短期間のうちに相当な利益が挙げられるものと確信し、営業所契約を締結する決心を固めた。

3  原告藤村は、昭和四七年六月一五日被告企業開発の本社を訪ね、松下に対し営業所契約のための手付金五〇万円を交付したところ、松下はこれを金庫に入れてから被告総本社との間での焼津市の六万人人口地域のピロビタン営業所仮契約書を示してこれに署名捺印を求めたので、原告藤村はこれに署名捺印したが、この書面には地区権利金四八〇万円と記載されており、その一通を貰つたが、後日本契約の際にこの書面の返還を求められ、原告藤村はこれを被告総本社に返還した。

仮契約締約後原告藤村は高級外車で工場、研修所を見学した。

そして、原告藤村は同月二九日被告総本社宛に契約金の内金として五〇万円を送金した。

4  原告藤村は、昭和四七年七月一〇日被告企業開発の本社において被告峰に対し契約金三八〇万円を渡し、その後被告峰から営業所契約書を示されてその署名捺印を求められたが、文章が難解で読むのに時間がかかつていたところ、被告峰は研修の際に具体的に説明するから心配はないといし、後の人も待つているし、同じ時間に呼ばれていた人は金を払うとすぐ出て出て行くので、原告藤村は読むのを途中でやめた。ただ第二条に地域の独占販売営業権を受けるための対価として二〇〇万円、第三条に開発に要した手数料として四〇万円、営業所育成費として一二〇万円と記載され、他に被告企業開発作成の領収証による開発手数料一二〇万円と細分されているので、不審に思つて尋ねたころ、被告峰は税務対策であつて他意はない旨答えた。

5  原告藤村は本契約を締結した後直ぐ研修所に入り、一週間の研修を受けた。ところが、その研修の講義内容はピロビタングループのシステム、製品知識、販売方法、専売店の募集方法等であつたが、原告藤村が事業説明会や松下の個別的勧誘の際に聞いた話とはだいぶ違う点があつた。それまでの話では経費としては、冷蔵庫を一台買うほかにはかからないということであつたのに、事業説明会を開くにも一回に二〇万ないし三〇万円かかり、宣伝用の物品から瓶代、運送料まで何にでも金がかかるということであり、増本奨励金の内容も全く違うものであることを知り驚いた。

しかし、契約金として四八〇万円も支払つている以上、開業して少しでも回収するほかないと考え、研修終了後専売店を作る作業の前に営業所の所長代理をしてくれる人、あるいは共同経営してくれる人を親戚、知人を通じて探しているうちに、八月一〇日の朝刊で前日国会の参議院決算委員会で公明党の黒柳議員が、ピロビタンの商法が「フランチヤイズ制を悪用した詐欺行為ではないか」と質問し、中小企業庁次長が「関係者から事情を聴いているが、極めて遺憾な事件だ。」と答え、公正取引委員会の委員長及び通産大臣が十分調査する旨答えたこと、日本消費者連盟も同日ピロビタン商法は「誇大表示で景品表示法違反の疑いがある。」として公正取引委員会に被告総本社を告発したことのニユースが大きく取りあげられたので、知人から「お前何をいつているのやこんな会社やないか」といわれてすつかり信用を失い、その後原告藤村は他の事業説明会に出席して、右報道が誤りであるかどうか検討したが、結局被告らを信用することができないと考えるようになり、また、以前に焼津市で見崎清一郎という者が営業所契約を締結したが営業がなりたたず廃業したことのあるのを知り、開業すればますます損害を大きくするものと考え、営業所を開業するには至らなかつた。<以下、省略>

四原告大岩に対する被告らの行為について

請求原因4(一)のうち原告大岩が昭和四七年六月一六日大田区民会館で行われた説明会に出席したこと、その後同原告が同月一八日小岩営業所、同月二〇日被告総本社東京支社、同月二三日大阪の両被告会社本社に行き同日被告企業開発において被告総本社宛に仮契約金五〇万円を支払い、その後四三〇万円を支払つて本契約をしたことは当事者に争いがない。

<証拠>を合わせ考えると、次の事実を認めることができる。

1  原告大岩は、昭和四七年六月一四日頃読売新聞の折込広告のチラシに被告企業開発主催の「少ないお金で確実に儲かる商売の説明会」を行う旨の記載のあるのを見て、同月一六日会場である大田区民会館に出かけ、受付で要求されるまま説明会出席者芳名表に記入をして入場した。会場には黒板があり、ポスターやチラシが張つてあり、被告総本社東京支店の山田孝から一時間半位にわたつて企業とはこうあるべきだとか経営者の心構えとかについて抽象的な説明があり、被告企業開発の社員伊藤が映画明日をめざしての映写をはさんでピロビタンについて説明した。主催者側としては、右山田らのほか池上営業所長の太田、板橋営業所長の長田、小岩営業所長の猪田、横浜の営業所長の宮里等が出ていた。

2  説明会が終わつた頃右猪田が原告大岩の脇に来てメモ書きをしながらピロビタン営業所を経営するといかに容易に儲かるかを具体的な数字を挙げて説明したが、そのメモ書きは原告藤村に対して松下がしたそれと全く同一であり、話の内容もほとんど同じであつた。ただ、原告大岩は右猪田に対し増本奨励金に関し、一本二〇円で売るピロビタンについてどうして四〇〇円もの奨励金が貰えるのかと質問したところ、二〇円というのは一日の単位であるから一か月続けば六〇〇円になり、これが毎月続くのだから四〇〇円というのもそんなに高いとはいえないと答え、また原告大岩があなた方はこのような事業説明会の手伝をするについて相当の報酬を貰うのですかと質問したところ、猪田は怒つた口調で、これは他の商売と違つて我々は同志なんだ、外の商売人は商売敵として相手を見るが我々は地域独占販売権を保障され越権することも他人から越権されることもないから、誰かが説明会を開くといえばすぐ飛んで行つて手伝うのだ、皆手弁当で足代も自弁で来ているのだと答え、また原告大岩が現在人を集めようとしても仲々集まらず、専売店をする人なんかいないのではないかと質問したのに対し、猪田はそれは違う、今日の説明会では一四、五人しか来ていないがこんなに少ないのは珍らしいのであつて私がやつたのでは一度で専売店が一二、三軒できたが、これはまああなたがやるときの参考にいいますが一回の説明会で埋めなくてよいのですよ、中には屑も掴んじやいますから、二、三回やつて良い人を選んだ方が良いですよと忠告し、さらに横浜の方では来月あたりから大々的に説明会をして募集することになつてますからあなたもやるんなら早くやつた方が良いですよとすすめた。

しかし、原告大岩は営業所の経営の実体を見た方がよいと考えて、同月一八日猪田の小岩営業所を見に行つたところ、五、六坪の店に造付けの冷蔵庫があり壁に棒グラフで専売店の一店一店の配達数量が示されており、それを指しながら猪田がご覧のように五〇〇本に満たないような専売店はない、自分は勤め先をやめて銀行から借金をしてロイヤリテイを支払い、営業所を始めたが予定日より早く借金を返済することができた、こういうことならもう一つ地域を買つておいたら良かつたか、そう思つたときには近くはもう買えなくなつていた、と説明した。

原告大岩はこの説明を聞いて猪田のいう地区権利金とわずかな経費を投資して営業所を経営すれば、格別の努力をしなくても、短期間のうちに相当な利益が挙げられるものと確信し、営業所契約を締結する決心がついた。しかし研修後にわかつたところによれば、猪田の営業所に貼つてあつたグラフは全く仮装のもので、また猪田は原告大岩を被告総本社に紹介したことで数十万円の手数料を取得していることがわかつた。

3  原告大岩は、昭和四七年六月二三日被告企業開発の本社を訪ね、常務の田代和夫に対し地区権利金四八〇万円の手付金五〇万円を交付し被告総本社との間で横浜市港北区日吉本町中心の六万人人口地域の営業所仮契約を締結した。この時であつたか本契約の時であつたか応接室で芳陵社長の対談番組があるとのことでテレビを見せられたが、後にこれがビデオであつたことがわかつた。仮契約締結後高級外車で工場と研修所を見て廻つたが、その車の運転手も被告芳陵に心酔し切つている風で被告会社のことも大変宣伝していた。

4  原告大岩は、昭和四七年七月三日被告企業開発の本社において被告峰、田代と会い契約金残金四三〇万円を渡し、その後営業所契約書に署名捺印したが、その際契約書に地域の独占販売営業権を受けるための対価として二〇〇万円、開発に要した手数料として一六〇万円営業所育成費として一二〇万円と区分されているので不審に思つて尋ねたところ、被告峰は税務対策であつて他意はない旨答えた。

5  原告大岩は、その約一週間後に研修所に弟の大岩治夫と一緒に入り研修を受けたが、そこで講義を聞いてこれまで説明を受けていたことと相当違つていることに驚いた。その内容は原告藤村が聞いたものと同じであつた。また自分の支払つた地区権利金の三分の一が説明会で口を聞いた人に手数料として行つてしまつていてまるで権利金稼ぎみたいなことをされたことがわかつて愕然とした。しかし、多額の契約金を払つてしまつていることでもあり、やるほかないと考えた。

そこで、原告大岩は研修所から帰つて昭和四七年八月九日専売店募集のため事業説明会を開いた。研修で配布されたチラシのサンプルと同一内容のチラシを新聞に折込み、研修で指導された手続方法に従つて準備したところ一二、三人が集まつた。そこで被告総本社東京支社の社員が講師で来て事業説明をたが、その席上では原告大岩は一言も発することはなかつた。その集つた人の中で二、三人がやつてみようと申し出てくれたが、翌一〇日前記の国会での黒柳発言が新聞報道されたため、皆に断わられてしまつた。原告大岩は専売店を作ることは人を欺すことになると考えたが、ピロビタン自体は頭の働きを良くする飲料だと考え自分で設備、備品を購入し、自ら配達する準備をしたが、間もなくキヤツチフレーズの頭の働きを良くするというのは誇大広告であるとの公正取引委員会の指摘があつたため、全く経営の魅力を失ない、結局販売するに至らなかつた。

右の認定を左右するに足りる証拠はない。

五原告松田に対する被告らの行為について

請求原因5(一)のうち原告松田が昭和四七年五月二日静岡市のホテルニユー八洲園の説明会に出席したこと、同説明会において松下及び被告芳陵の各講演があつたこと、ピロビタンの商品及び企業内容についての映画を上映したこと、営業所長らの体験談があつたこと、右説明会の翌日頃右松下、訴外中村及び被告佐野が同原告宅を訪問し、ピロビタンの商品について説明し営業所開設を勧誘したこと、同原告は、同月七日大阪の被告総本社へ行き工場、研修所、被告企業開発を見学したうえ仮契約を締結し、仮契約金六〇万円を支払い、同月一六日、残金二四五万円を支払つて本契約をしたことは当事者間に争いがない。

<証拠>を合わせ考えると、次の事実を認めることができる。

1  原告松田は、昭和四七年五月一日頃朝日新聞の折込広告のチラシに被告企業開発主催の、小さな資本で大きな儲のできる事業の説明会を行う旨の記載のあるのを見て、どんな説明会かと関心をもち、同月二日会場である静岡市のホテルニユー八洲園に出かけ、受付で要求されるまま説明会出席者芳名表に記入して入場した。会場には主催者側として松下、被告芳陵、同佐野がおり、まず松下の経済情勢一般についての話があり、次いで紹介されて被告芳陵が立ち正面に張紙した記載内容について説明し、ピロビタンという商品の話、資本に応じて営業所の権利を取得して経営するのが確実に儲る事業であるという話をした。その講演の中間で映画「明日をめざして」の映写があつた。なお、被告芳陵はピロビタンを売る以外にもより金儲けの方法があるが、それは契約を結んだ後でなければ教えられないともいつた。説明会は約二時間であつたが、原告松田はこれらの話を聞いて計算上では儲かるようになつているが、仲々そんなに儲かるものではない。話がうますぎると思つて会場を出ようとしたとき、被告佐野が原告松田にもつと詳しく話をしたいのでいつ訪ねたらよいかと聞くので、明日の一〇時頃なら家に居ると答えて帰宅した。

2  翌五月三日松下と大伸ボトリングの中村が原告松田方を訪れ、メモ書きしながらピロビタン営業所を経営するといかに容易に儲かるかを具体的に数字を示して説明したが、そのメモ書きは原告藤村に対して松下がしたそれと全く同一であり話の内容もほとんど同じであつた。ただ専売店一店から支払を受ける権利金の額が三〇万円となつていた点が違う程度であつた。原告松田は、専売店を作ることは難しいのではないかと質問したところ、松下は専売店なんかは本社に委しておいたらやつてくれるし、簡単にできるから心配はいらないと答え、費用も冷蔵庫のほかにほとんどかからないと話した。しかし、原告松田の妻が大反対であつたので断わつた。翌四日にも中村が他に一名連れて説得に来たが、原告松田がやはり専売店作りに自信がないというとそれは本社に委せなさい。それで出来ないようならそれはフランチヤイズの契約違反になるから大丈夫だと断言したが、原告松田の妻が反対したので断わつた。ところが、一日おいて六日に原告松田が外出しているうちに被告佐野が来ていて妻に映画「明日をめざして」を映写してみせており、原告松田が帰宅すると、同原告に対し専売店は簡単にできるし、説明会には大勢集つて来て専売店を希望する者が多く断わるのに困るぐらいであり、とにかく面白いほど儲かるというので、原告松田も、それほどまでにいうのならば一度被告会社の本社に行つてみようかという気持になつた。

3  原告松田は昭和四七年五月七日被告佐野からすすめられるまま郵便局の六〇万円定期預金通帳を持つて同被告と一緒に大阪の被告総本社を訪ね、被告峰に会つていろいろ話を聞いて契約する決心がつき地区権利金三〇五万円の手付金の趣旨で右通帳を渡して静岡市大岩地区中心の四万人人口地域の営業所仮契約書に署名捺印し、高級外車で工場や研修所を見学して廻つたが、原告松田は工場も研修所も立派なので安心した。

4  原告松田は、仮契約の際被告峰から一〇日以内に本契約をするようにいわれていたので、五月一六日残金の二四五万円を現金で持つて被告総本社、被告企業開発の各本社を訪ね、被告芳陵、同峰に会い、仮契約の際に渡していた通帳を受けとり郵便局でその六〇万円をおろし、右現金と合わせた三〇五万円を被告峰に渡した。同被告はこれを受取つてから被告総本社との営業所契約書を持つて来た。同原告は署名捺印する前に一条ずつ読んでいると被告峰が「まあ契約書といつたらどこの契約書も同じようなものでまあ読んだらわかりますがね。」「詳しいことは一週間研修するときに全部教えるから。」というし、同原告が支払つた契約金三〇五万円を独占販売権をうけるための対価一二六万五〇〇〇円、開発手数料一〇二万円、営業所育成費七六万五〇〇〇円に分けて記載しているのも税務対策だというので、これらを信用して署名捺印した。

5  原告松田は、同年六月三日から九日まで研修を受けた。この研修の内容は、原告藤村らが受けたものとほぼ同じであつたが、これによつて原告松田は、これまで説明を受けた内容と随分違うことがわかつて来た。増本奨励金についても専売店は三〇〇本以上、営業所は一三〇〇本以上の日配を継続した場合でないと出さないというのであり、それまでは最初の一本から出ることを前提とした話であつたので、研修の途中で研修生の中からこれではネズミ講のようなやり方で詐欺ではないかという者が出て来た。それに対し後日被告芳陵が大剣幕で詐欺とは何事か叱りつけその発言をした研修生を首にし、皆の前で卒業証書は渡さなかつたので、他の研修生は恐怖心でもはやそのような発言はしなくなつた。原告松田も大金を払つていることだし、何とかするほかないと考えた。

原告松田は研修で受けた指導に従い、二〇万円以上もの費用をかけて八月中旬に第一回の事業説明会を行つたが専売店はできず、第二、三回は九月に静岡地区の他の営業所長五人と共同で事業説明会を開いたが結局専売店は一店もできなかつた。たまたま山田某という知合いが専売店をやつていたが一日八〇本で、これではとても生活できないというので、これを引取り直接配達をすることにし、さらに一一月三一日から一二月二九日まで注文取をした結果一日三六〇本程度になり、翌年一月から五月まで継続して販売したが、とても利益が生ずるような状況ではなく、しかも次第に落本するので、結局廃業するに至つた。<以下、省略>

六原告長坂に対する被告らの行為について

請求原因6(一)のうち原告長坂が昭和四七年一月一一日半田市商工会議所の説明会に出席したこと、同説明会において松下及び被告芳陵の各講演があつたこと、ピロビタンの商品及び企業内容についての映画を上映したこと、同原告が大阪の被告総本社、工場、研修所等を見学し、被告企業開発において仮契約を締結し、同時に仮契約金五〇万円を支払い、かつ同月二二日に残金三八〇万円を支払つて本契約をしたことは当事者間に争いがない。

<証拠>を合わせ考えると、次の事実を認めることができる。

1  原告長坂は、昭和四七年一月九日頃新聞の折込広告のチラシに被告企業開発主催の、金儲けの講演がある旨の記載のあるのを見て、同月一一日会場である半田市商工会議所に出かけ、原告藤村らが受けたと同じような経過により同じような内容の松下、被告芳陵の講演を聞き、映画明日をめざしての映写を見た。

2  同月一六日滋賀営業所長の瀬古和雄及び名古屋市中村営業所長の服部英一が原告長坂方を訪ね、同原告に対し原告松田が松下から受けたと同様に営業所を経営するといかに容易に儲かるかを具体的な数字を挙げて説明した。ただ六万人人口の地域の営業所契約の地区権利金は四三〇万円ということであつたが、非常に儲かる事業だというので、営業所をやつてみようかという気持になつた。

3  原告長坂は、同月一九日右服部の案内で被告総本社を訪ね、工場、研修所を高級外車に乗せられて見学し、被告企業開発で地区権利金四三〇万円の手付金五〇万円を支払い、被告総本社との間で六万人人口地域の営業所仮契約を締結した。

4  原告長坂は、同月二二日被告企業開発で被告峰に残金三八〇万円を渡し、その後営業所契約書に署名捺印した。

5  原告長坂は同年二月一七日から一週間研修を受けた。その際講義で聞いた内容がそれまでの説明と随分違つていることに驚いたが、その状況は原告松田らの場合とほぼ同じであつた。

しかし、原告長坂も大金を借金までして支払つているので、やつてみるほかないと考えて、帰宅後四月一九日に半田で、五月一日に刈谷で、五月二四日碧南で、六月九日刈谷でと合計四回の事業説明会を開いたが、専売店は一店しかできず、しかもその専売店も権利金が払えないというので、原告長坂が権利金を立替えることにして研修費用その他の費用を立替えて支払つた。専売店としてはもう一店が、説明会とは関係なく知合いの紹介ででき、権利金も受取つたが、その専売店が思うようにピロダタンが売れないとして小言が多いためその権利金を返還してしまつた。しかしともかくそのようにして営業をはじめたが最高のときで日配五五〇本どまりで費用ばかりかさむので、昭和四八年一〇月一六日被告総本社に対し対象地区を三万人人口地域に縮小する手続をとつたが、権利金の一部返還は受けられず、昭和四九年二月頃には日配二〇〇本位にまで落ちたので廃業した。結局この営業期間中利益は全く出なかつた。<以下、省略>

七原告榊原に対する被告らの行為について

請求原因7(一)のうち原告榊原が昭和四七年一月二〇日頃愛知県安城市で行われた説明会に出席したこと、右説明会で営業所長より説明を受けたこと、同原告がその後仮契約金五〇万円を支払い、さらに同年二月一〇日残金三八〇万円を支払つて本契約をしたことは当事者間に争いがない。

<証拠>を合わせ考えると、次の事実を認めることができる。

1  原告榊原は、昭和四七年一月二一、二二日の両日中日新聞の折込広告のチラシに被告企業開発主催の、儲かる事業説明会がある旨の記載のあるのを見て、同月二三日会場である安城市のレストラン「フキ」にひやかしのつもりで出かけ、原告藤村らと同じような経過により、同じような内容の説明を被告企業開発の企画課長佐藤真文、柳瀬英雄から聞き、映画「明日をめざして」の映写を見た。その際専売店一店当りの全国平均日配本数は七〇〇本であり控え目にみても五〇〇本は簡単にできるなどという説明があり地元の営業所長として安城南営業所の大嶋貞夫、安城北営業所の石川マサコ、豊田営業所の田代一成が紹介された。

2  一月二四日夜右大嶋、石川両名が原告榊原方を訪ね、同原告に対し原告長坂が瀬古、服部から受けたと同様な説明を受けた。そして、一週間にわたる研修で営業の仕方を十分に教えて貰えるから素人でも簡単に金儲けができる、営業所長は一日二、三時間働けばよいなどとすすめられたので、原告榊原も営業所をやつてみる気持になつた。

3  原告榊原は一月二八日右石川と一緒に大阪の被告総本社を訪ね、工場、研修所を高級外車に乗せられて見学し、被告企業開発で地区権利金四三〇万円のうち手付金五〇万円を支払い、被告総本社との間で刈谷市の東部六万人人口地域の営業所仮契約を締結した。

4  原告榊原は、二月一〇日再び右石川と一緒に大阪の被告企業開発に行き被告峰に残金三八〇万円を渡し営業所契約書に捺印した。その際地区権利金四三〇万円を地域独占販売権の対価一七七万五〇〇〇円、開発手数料一四五万円、営業所育成費一〇七万五〇〇〇円に分けて記載されていたが別に気にとめなかつた。被告峰は「契約書には被告総本社に都合のいいように書いてあるが、別に心配することはない。要はピロビタンを売つて下さればよいことです。」と説明し、被告総本社の指導どおりにやれば誰でも簡単にできるといつた。

5  原告榊原は二月一七日から一週間の研修を受けたが、その際講義で聞いた内容がそれまでの説明と随分違つていることに驚いたが、その状況は原告長坂らの場合と同じであつた。ことに地区権利金四三〇万円を支払つたのになお営業を始めるまでに大金がいるということであつた。しかし今さらどうすることもできないから、やるだけやるしかないと考え、研修後四月七日知人に話をして専売店になつて貰つたが資金の都合で権利金三〇万円は出世払としその研修費用四万円は原告榊原が支払い、その後五月一日刈谷勤労会館で、刈谷東、高浜、碧南各営業所と合同で第一回目の事業説明会を行い、同月二四日碧南市民会館で、刈谷東、碧南、半田各営業所と合同で第二回目の事業説明会を行い、六月九日刈谷勤労会館で刈谷東、碧南各営業所と合同で第三回目の事業説明会を行い、八月四日名古屋相互銀行で刈谷東、知立、豊田各営業所と合同で第四回目の事業説明会を行つたが、結局この四回を通じて一店の専売店もできなかつた。その間被告総本社からテレビ、ラジオによる宣伝費の支払請求などがあり、知人の専売店一店ではどうしようもないので安城南営業所にこの分を依頼して引受けて貰い、昭和四七年一一月三〇日被告総本社に解約を申入れた。

被告総本社との間で何回か折衝した後すでに支払ずみの地区権利金四三〇万円に対し昭和四八年一月一七日小切手額面三五万円、同年五月一一日小切手額面二二万五〇〇〇円によつて合計五七万五、〇〇〇円の返還を受けるのにとどまつた。

右の認定を左右するに足りる証拠はない。

八原告早川に対する被告らの行為について

請求原因8(一)のうち原告早川が昭和四七年三月名鉄グランドホテルで行われた説明会に出席したこと、右説明会に被告芳陵が出席し事業についての一般的講演を行つたこと、右説明会でピロビタンの映画が上映されたこと、営業所長の体験談があつたこと、原告早川がその後大阪へ出かけ、被告総本社、工場、研修所、被告企業開発を見学し、かつ被告企業開発においてピロビタン営業所契約の仮契約を締結したこと、同原告はその際仮契約金五〇万円を支払い、その後同年四月九日本契約を締結し、契約残金三八〇万円を支払つたことは当事者間に争いがない。

<証拠>を合わせ考えると、次の事実を認めることができる。

1  原告早川は、昭和四七年三月中旬頃中日新聞の折込広告のチラシに被告企業開発主催の、青年実業家が三年間ほどで三四億円儲けた新商法の紹介がある旨の記載のあるのを見て、その一、二日後に会場である名鉄グランドホテルに出かけ、原告藤村らと同じような経過により同じような内容の説明をボトリング工場の社長藤田、被告芳陵、中村営業所の服部、滋賀営業所の瀬古から聞き、映画「明日をめざして」の映写を見た。

2  その後右藤田、瀬古の両名が原告早川方を訪ね、同原告に対し原告長坂が瀬古、服部から受けたと同様な説明を受けた。そして、ピロビタンは間違いなく売れる商品であること、地区権利金を支払うことにより地域の販売独占権が与えられるから、これだけの利益が挙げられるものであること、経費はほとんどかからず車を一台買う位であるから借金してでも四三〇万円支払えばよく、あとは本社から製品も貸し与えられると説明され、営業所をやつてみる気持になつた。

3  原告早川は、その一、二週間後に大阪の被告総本社を訪れ、工場、研修所を高級外車に乗せられて見学し、被告企業開発で被告峰に対し地区権利金四三〇万円のうち手付金五〇万円を支払い、被告総本社との間で名古屋市緑区佐京山中心の六万人人口地域の営業所仮契約を締結した。その際ビデオどりのテレビ対談を見せられ、また被告峰から「四三〇万円払える能力のある人だつたら私共より力がある。あなただつたらできますよ。」と励まされた。

4  原告早川は四月九日に被告企業開発で被告峰に残金三八〇万円を渡し営業所契約書に署名捺印した。その際地区権利金四三〇万円を一方的に地域独占販売権の対価一七七万五〇〇〇円、開発手数料一四五万円、営業所育成費一〇七万五〇〇〇円に分けて記載されていた。

5  原告早川は本契約後一週間ほどたつて一週間の研修を受けたが、その際講義で聞いた内容がそれまでの説明と随分違つていることに驚いたが、その状況は原告長坂らの場合と同じであつた。原告早川としては地区権利金を返還して貰えるのならばやめたいと思つたが被告ら側は返す意思がないようだつたので、とにかく一応やつてみようと考えた。研修から帰つて説明会を一回開いたが専売店は一店もできず、費用がかかるので、個別訪問で専売店を勧誘し、八、九月頃二店でき、開業したが、最高の本数のときで七〇〇本程度でしかもその中にはサービスの本数も含まれ、専売店の生活がなりたたず、終始本社からはテレビ、ラジオの宣伝費の請求もあるので、昭和四九年正月前後頃廃業した。<以下、省略>

九原告老平に対する被告らの行為について

請求原因9(一)のうち原告老平が昭和四七年一月頃豊橋グランドホテルで行われた説明会に出席したこと、その後同原告が被告総本社へ出かけ営業所契約の仮契約金五〇万円を支払い、さらにその後残金二一五万円を支払つて本契約をしたことは当事者間に争いがない。

<証拠>を合わせ考えると次の事実が認められる。

1  原告老平は、昭和四七年一月中旬頃中日新聞折込広告のチラシに被告企業開発主催の、資金が少なくて儲かる商売についての説明会がある旨の記載のあるのを見て、丁度会社員をやめ、独立して商売しようと思つていた矢先でもあつたので、所定の日に会場の豊橋グランドホテルに出かけ、原告藤村らと同じような経過により同じような内容の説明を被告芳陵、被告会社の役員八谷、被告佐野らから聞き、映画「明日をめざして」の映写を見た。その際一二の専売店を作ることは本社のバツクアツプがあるので心配はいらない。特別に努力しなくても普通にやつていれば生活費を除いて一か月四〇万円は残り、三年後にはコンビエンス・ストアが開けるとの説明があつた。原告老平は金がかかりすぎるから自分には向かないと考えて帰宅した。

2  その説明会の翌日被告佐野が原告老平に対し「説明会に君のほかもう一人が同じ地方から来ていたが君の方が若いので、是非営業所をやつて欲しい。」「ついては詳細を話したいので一度来て欲しい。」と連絡して来たので、原告老平はその日のうちに被告佐野の指定したグランドホテルに出向いた。そこで被告佐野は原告松田が同被告から受けたと同様の説明をしたうえ、三万人人口の場合は専売店を六店作るが一店から三〇万円の権利金を貰えるし、増本奨励金が一本四〇〇円の割合で入つてくるので、有利な商売である、もう一人の人に先を越されることがないよう早く仮契約をするように、専売店作りについては本社がバツクアツプするからと強くすすめた。そこで原告老平も営業所をやつてみる気持になつた。

3  原告老平はその三日後大阪の被告企業開発で地区権利金二六五万円のうち手付金五〇万円を支払い、被告総本社との間で新城市の三万人人口地域の営業所仮契約を締結した。

4  原告老平は、その約一〇日後に被告企業開発に行き工場等を見学し、被告峰に残金二一五万円を支払い、営業所契約書に署名捺印した。その際に地区権利金二六五万円を地域独占販売権の対価一一〇万円と諸開発手数料八八万五〇〇〇円営業所育成費六六万五〇〇〇円に三分してあるのは税務対策のためだと説明があつた。

5  原告老平は、昭和四七年二月一七日から一週間の研修を受けたが、その研修の内容は原告榊原の研修の内容と同じであつた。やはり原告老平もそれまでの説明と随分違つていることに驚いたが、資金を出してしまつた以上、やつてみるほかないと考え、研修後豊川営業所の宮本と共同で三〇万円ほどの費用をかけて説明会を開き、昭和四七年三月終頃二店の専売店ができ、四月と五月にも一店ずつ合計四店の専売店ができた。そこで、原告榊原は八月頃から販売を始め、四店合計で七〇〇本ほど売れるようになり最高のときは日配一六〇〇本に達したが、これでは専売店は食べて行けないというので昭和四七年一二月に一店、昭和四八年一月一店、同年三月に一店が順次やめてしまい、同年八月には日配三〇〇本ほどになつてしまつたので原告老平も営業所を廃業してしまつた。この間みるべき利益はほとんどなく、赤字続きのときが大部分であつた。<以下、省略>

一〇原告加藤に対する被告らの行為について

請求原因10(一)のうち原告加藤の夫が豊川市立体育館で行われた被告企業開発主催の事業説明会に出席したこと、その後昭和四七年四月一五日同人が同原告の代理人として被告総本社へ出かけ営業所契約の仮契約金五〇万円を、さらに同年五月一六日残金二一五万円を支払つて本契約をしたことは当事者間に争いがない。

<証拠>を合わせ考えると、次の事実を認めることができる。

1  原告加藤の夫加藤照美は、昭和四七年三月末頃中日新聞の折込広告のチラシに被告企業開発主催の事業説明会がある旨の記載のあるのを見て、当時照美が健康を害し妻である原告加藤でもできる仕事はないかと捜していた矢先であつたので、所定の日に会場の豊川体育館に出かけ、原告藤村らと同じような経過により同じような内容の説明を被告総本社の取締役田代和夫らから開き、映画「明日をめざして」の映写を見た。照美は帰宅後原告加藤に事業説明会に行つて来たことを話したが、それ以上には話はすすまなかつた。

2  ところが、その後営業所長の宮城善紀と原告老平が原告加藤方を訪ね、主として宮城が原告老平に訴外佐野が説明したと同一内容の話をしたが、原告加藤はその話からすれば、病弱の夫照美をかかえてでも何とか営業所経営ならばできるかも知れないと考えるようになつた。宮城らは六万人人口地城の契約を強くすすめたが、原告加藤は照美と相談のうえ資金もないので三万人人口の地域の営業所契約をすることにきめた。

3  訴外加藤照美は、同年四月中旬原告加藤を代理して被告企業開発で地区権利金二六五万円のうち手付金五〇万円を支払い、被告総本社との間で豊川市の西部地区の三万人人口の地域の営業所仮契約を締結した。

4  原告加藤は、同年五月中旬頃被告企業開発で被告峰に対し残金二一五万円を支払い、営業所契約書に署名捺印した。その際に地区権利金二六五万円を一方的に地域独占販売権の対価一一〇万円と開発手数料八八万五〇〇〇円、営業所育成費六六万五〇〇〇円に三分して記載してあるのを知つた。

5  原告加藤は、その後一週間の研修を受けたが、その研修で聞いた内容がそれまでの説明と随分違つていることに驚いた。その状況は原告早川らの場合と同じであつた。しかし、原告加藤は腹をきめて研修まで受けに来たのだから専売店作りを第一に専念しようと心にきめた。そこで研修後第一回の事業説明会を宮城と一緒に開いたが専売店は一店もできなかつた。そのうちに知合いの元牛乳屋をしていた人が乳酸菌飲料を取扱つたことがあるが、地区権利金を出してそんなものを販売したことはないしおかしいというし、また被告総本社からテレビ、ラジオの宣伝費の請求もありこのままにしていたのでは経費がかさむばかりだと考え開業するのをやめることにした。原告加藤は被告総本社に対し解約を申入れ、すでに支払ずみの地区権利金二六五万円の返還につき折衝した後、同被告は昭和四九年八月二九日同原告に対し小切手で八万円のみを支払つた。<以下、省略>

一一右三ないし一〇で認定した各事実を前記二で認定判断したところに照らして案ずるに、原告らがそれぞれ営業所契約を締結したのは、いずれも、被告芳陵、同峰を中心とする被告総本社、同企業開発の役員幹部が企画立案し被告芳陵、同峰が自らないし社員や既に契約ずみのボトリング工場長、営業所長らを指揮監督して行つていた詐欺行為というべき営業所契約者の募集、勧誘方法の一環としてなされた勧誘行為によつて欺罔され、これによつてその意思決定をしたためであると解するのが相当である。

そうすると、被告芳陵、同峰は原告らに対し直接の不法行為者として、ないしは被告総本社、同企業開発の社員、ボトリング工場長、営業所長が営業所契約者の募集、勧誘の業務を行うにつきその指揮監督をした者として、民法七〇九条、七一五条二項に基づき原告らが営業所契約を締結したことに関連して蒙つた損害を賠償する義務があるものといわなければならない。

そして被告総本社は代表取締役である被告芳陵が営業所契約者の募集、勧誘の業務を行うにつき原告らに右損害を加えたのであるから同法四四条一項に基づき、被告企業開発は代表取締役であつた被告峰が営業所契約者の募集、勧誘の業務を行うにつき原告らに右損害を加えたのであるから、同規定に基づき、いずれもその損害を賠償する義務があるものといわなければならない。

原告松田は、被告佐野に対しても損害の賠償を求めており、前記五の認定事実によれば、被告佐野が原告松田に対し真実に反する説明をして勧誘したことが認められるのではあるが、<証拠>によれば、被告佐野自身は営業所を経営することにより当時相当の収益を挙げていたことが認められるので、前記二の認定事実に徴すれば同被告の例は全国的にみると極めて稀な例ではあるけれども、同被告が果して全国的な営業所の実態を把握していたか否かには(被告芳陵らは実態を隠すような営業方法をとつていたので、被告佐野が知りうべき状況にあつたか否かについても)疑問があるので、被告芳陵、同峰と同列に論ずることはできない。従つて、原告松田の被告佐野に対する本訴請求はこれを肯認することができない。

被告芳陵、同峰、同総本社、同企業開発の負担する右損害賠償債務は不真正連帯債務と解することができる。

一二そこで以下損害の額について判断する。

まず、前記三ないし一〇の認定事実によれば、原告らは営業所契約を締結するに当り、正確にはその締結の直前までに地区権利金名義で被告総本社に対しそれぞれ前記認定の金員を支払わされたのであるから、原告らは被告芳陵、同峰の詐欺行為である不法行為によつて右金員相当額の損害を蒙つたものということができる。

被告らは地区権利金としてその金額を受領したのではなく、地域の独占販売営業権の対価、開発手数料、営業所育成費を合わせた金員として受領したのであつて、原告らが主張する地区権利金というのはその独占販売営業権の対価として金額が明示されていた金員部分のみがこれに当ると主張するが、前記認定のとおり、むしろ契約締結前の説明では、地区権利金とは一定地城の独占営業権、継続的営業指導、商品前渡に伴う保証金的意味を含めたものであると説明されており、原告らはそれまで被告らがいうような三分方法については何ら知らされておらず、また被告峰は契約書上三分しているのは税務対策上であつて他意はない旨説明していたことが認められるのであるから、原告らとの関係では被告総本社は全額を地区権利金名義で受領したとみるのが相当である。

<証拠>によれば、原告長坂、同榊原は訴外本社宛の誓約書と題する書面において、ロイヤリテイには開発手数料及び育成資金が包含されていることを認識している旨の記載があるが、この書面の体裁及び日付、弁論の全趣旨を合わせ考えると、原告長坂、同榊原が研修を受ける際に所属等を明らかにするための必要書類として署名捺印したものであつて、右の点についてその書面のもつ意味を十分理解していたものとはみられないから(しかも被告総本社に対する書面でもない。)、前記認定判断を左右する証拠とはいえない。

原告らのうち原告松田、同長坂、同榊原、同早川、同老平は、若干の期間営業を行つたのであるが、前記認定事実によれば、右原告らはいずれも大金を支払つている以上、開業して少しでもその投下資本の回収をしなければならないとのせつぱ詰つた状況のもとで営業を始めたのであるが、そのために要した諸経費が大きかつたため、右投下資本の一部でも回収できるほどの収益を挙げた者はいなかつたのであり、しかもこれが当然予想されるべき帰趨であつたことに鑑みると、開業の有無を問わず原告らは地区権利金として支払つた金員相当額の損害を蒙つているものと解するのが相当である。

一三<証拠>によれば、原告老平は被告総本社に対し本来契約違反で没収されるはずの権利金の返還を約束して頂き有難い旨の念書を差入れたことが認められるが、原告老平本人尋問の結果と対比すると、同原告が権利金の返還を受けたいがため被告総本社の指示するがままに、自己の意に反して作成したものであることが認められ、損害賠償請求権を放棄したものとは解することができず、また<証拠>によれば同被告が同原告に対し昭和四九年五月一五日五三万二五〇〇円の権利金の返還に関する約定証を交付したことが認められるが、原告老平本人尋問の結果と対比すると、同被告の一方的意思によつて作成したものにすぎないことが認められるから、前記認定判断を左右する証拠とはいえない。

<証拠>によれば、原告榊原が被告総本社に対し大変損害を掛けて申訳ないとか、自分はピロビタンによる被害者とは思つていない等の書面を提出していることが認められるが、原告榊原本人尋問の結果と対比すると、いずれも同原告が権利金の返還を受けたいがため被告総本社の指示するがままに、自己の意に反して作成したものであることが認められ、損害賠償請求権を放棄したものとは解することができず、<証拠>によれば、被告総本社は同原告に対し昭和四九年五月一一日一二〇万円の権利金の返還に関する約定証を交付したことが認められるが、原告榊原本人尋問の結果と対比すれば、これは被告総本社の一方的意思によつて作成交付したものにすぎないことが認められるから、前記認定判断を左右する証拠とはいえない。

<証拠>によれば、原告加藤が被告総本社に対し大変損害を掛けて申訳ない旨の書面を提出していることが認められるが、原告加藤本人尋問の結果と対比すると、同原告が権利金の返還を受けたいがため被告総本社の指示するがままに自己の意に反して作成したものであることが認められ、損害賠償請求権を放棄したものとは解することができず、<証拠>によれば被告総本社が原告加藤に対し昭和四八年四月九日八八万円の権利金の返還に関する約定証を交付したことが認められるが、原告加藤本人尋問の結果と対比すれば、これは被告総本社の一方的意思によつて作成交付したものであることが認められ、しかも<証拠>によれば、被告総本社は昭和四九年八月二九日一方的意思によつて右約定証による履行期を延期し、前記認定のように額面八万円の小切手を交付したほかは四〇万円の二通の権利金の返還に関する約定証を交付したにとどまることが認められるから、いずれも前記認定判断を左右する証拠とはいえない。

そうすると、被告らは原告藤村に対し地区権利金相当額の四八〇万円、原告大岩に対し同じく四八〇万円、原告松田に対し同じく三〇五万円、原告長坂に対し同じく四三〇万円、原告榊原に対し地区権利金相当額四三〇万円から返還を受けた五七万五〇〇〇円を控除した三七二万五〇〇〇円、原告早川に対し地区権利金相当額の四三〇万円、原告老平に対し同じく二六五万円、原告加藤に対し地区権利金相当額の二六五万円から返還を受けた八万円を控除した二五七万円を損害金として支払わねばならないものというべきである。

次に原告大岩は、別紙損害額一覧表番号3ないし8、原告松田は同34、10、11、原告長坂は同10、11、13、原告榊原は同10、11、13、原告早川は同10、11、15、16、原告老平は同10、11、13、15の損害の賠償を求めているが、これらの損害として主張するものはいずれも開業するに当つて、あるいは営業中に要した費用であるところ、前記認定の事実に徴すれば、原告らは研修の際に被告らのそれまでの説明が誇大かつ虚偽のものであることを知り、ないしは知りうべき状況となつたにもかかわらず、曲がりなりにも自らの判断で研修後に支出したものと解されるから、仮りに原告ら主張のように右各費用の支出があつたとしても、これと被告らの前記詐欺行為にあたる勧誘方法との間に相当因果関係を肯認することはできない。

次に原告藤村は同表番号9、原告松田、同長坂、同榊原、同早川、同老平は同12の損害の賠償を求めているが、その根拠が明らかでなく、かつ全立証によつてもこれを認めるに足りる証拠はない。

また、原告らは、同表2、20の損害の賠償を求めているが、その根拠が明らかでなく、かつ全立証によつてもこれを認めるに足りる証拠はない。

原告榊原は、<証拠>を提出し、本件地区権利金支払のため農協より借金しその利息相当の損害を蒙つたと主張して同表14の損害の賠償を求めているが、右書証によれば「サカキバラジユンイチ」が借主であることは認められるが、原告榊原が借主であるとは認められないので、同原告の損害としてこれを肯認することはできない。なお、原告早川は<証拠>を提出し、本件地区権利金支払のため西尾信用金庫より借金しその利息相当の損害を蒙つたと主張するが、右書証によれば「マルキシヨクヒン」が借主であると認められるにとどまるから、これを同原告の損害として肯認することはできない。

更に原告らは、同表番号17の損害として慰藉料の請求をするのでこの点について検討するに、原告藤村、同大岩、同加藤については前記三、四、一〇の各認定事実に徴し、営業所契約を締結したが、営業を開始することができず、その間精神的な苦痛を蒙つたであろうことは容易に推認することができるので、被告らの前記不法行為の態様、原告藤村、同大岩、同加藤各本人尋問の結果により認められる一切の事情を合わせ考えると、原告藤村、同大岩、同加藤については、それぞれ二〇万円をもつてその精神的苦痛を慰藉するのが相当である。

しかしながら、原告松田、同長坂、同榊原、同早川、同老平については、前記五ないし九の各認定事実に徴し、曲がりなりにも開業したのであり、経費が収入を上廻つていたことは前記認定のとおりであるとはいえ、若干の収入もあつたのであり、その他一切の事情を斟酌すると、地区権利金相当額を超えて精神的苦痛の賠償を肯認するのは相当ではないと解する。

原告藤村、同大岩、同松田、同長坂、同榊原は、また別紙損害額一覧表番号19の損害として訴訟関係実費の賠償を求めているが、訴訟関係費用は、弁護士費用を除き特段の事情がないかぎり、法定の訴訟費用の負担の規定によつて償われるべきものと解すべきところ、本件においてはかかる特段の事情について主張立証がないので、この点の請求は肯認することができない。

更に、原告らは同表番号18の損害として弁護士費用の賠償を求めているので、この点について検討するに、原告らが本訴を提起し、その訴訟を維持、追行するため弁護士を委任することを余儀なくされたことは弁論の全趣旨に徴して明らかであり、本件事案の難易、請求額、認容された額その他諸般の事情を斟酌すると、原告らそれぞれの前記認容額の一割、すなわち原告藤村については五〇万円、原告大岩については五〇万円、原告松田については三〇万五〇〇〇円、原告長坂については四三万円、原告榊原については三七万二五〇〇円、原告早川については四三万円、原告老平については二六万五〇〇〇円、原告加藤については二七万七〇〇〇円が弁護士費用として被告らの本件不法行為と相当因果関係に立つ損害と解するのが相当である。

<証拠>には、原告長坂、同榊原、同早川、同老平が専売店から権利金名義で金員を受領している旨の記載があるか、この記載部分が真実に合致するものであることについては十分な立証がなく、仮にこの記載に真実に合致する部分があつたとしても、それは当該原告らと専売店との間で処理すべき問題であり、また同号証には原告長坂が開発手数料を被告総本社から受領している旨の記載があるが、この記載部分が真実であることについては十分な立証がなく、仮にこの記載が真実であつたとしても、被告らはこれを本訴請求を妨げる事由としては主張していないし、被告らがその開発手数料を含む金員を支払つた営業所契約者らにその賠償をした後であるならばともかく、当然には右認定の損害額を減額すべき事由には当らないと解すべきである。

一四原告は、予備的主張として被告総本社に対し瑕疵担保責任、不当利益返還責任を主張するが、すでに認定判断した金額を上廻る請求部分については、その請求を理由づける事実の主張立証がないので、これを肯認することができない。<以下、省略>

(小倉顕)

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