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大阪地方裁判所 昭和45年(ワ)2098号 判決 1974年1月24日

原告 山中秀雄

<ほか五名>

右原告ら訴訟代理人弁護士 米田宏己

右原告ら訴訟復代理人弁護士 薄木昌信

被告 大阪府信用農業協同組合連合会

右代表者理事 磯村義一

右訴訟代理人弁護士 小倉慶治

右同 元地健

右同 岩淵利度

被告 株式会社大和銀行

右代表者代表取締役 寺尾威夫

右訴訟代理人弁護士 河合宏

右訴訟復代理人弁護士 網本浩幸

主文

一  被告株式会社大和銀行は、原告山中秀雄に対し、金五五三万六、八〇〇円およびこれに対する昭和四一年一一月二八日から支払ずみまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

二  原告山中秀雄の被告株式会社大和銀行に対するその余の請求および被告大阪府信用農業協同組合連合会に対する請求はいずれもこれを棄却する。

三  原告山中春子、同山中春次、同山中二郎、同山中梗子、同矢倉光雄の各請求はいずれもこれを棄却する。

四  訴訟費用中、原告らと被告大阪府信用農業協同組合連合会との間に生じた分は原告らの負担とし、その余の分はこれを二分し、その一を原告山中春子、同山中春次、同山中二郎、同山中梗子、同矢倉光雄の負担とし、その余を株式会社大和銀行の負担とする。

五  この判決は第一項に限り仮に執行することができる。

事実

≪省略≫

理由

一  事実の経過

原告らは、それぞれ株主として出資している山中鉄函が、その振り出した約束手形が不渡となったため、銀行取引拒絶の処分を受けたところ、右処分に至る手続に関与した被告信連には、原告らに対する契約上の、また被告銀行には、原告らに対する不法行為上の各責任がある旨主張する。そこでまず、事実の経過を明らかにするとつぎのとおりである。

1  山中鉄函は、満期を昭和四一年一一月二〇日、金額四五万四〇〇〇円、支払場所を株式会社協和銀行布施支店、受取人を新日本送風機とし、その他法定の要件を記載した本件手形一通を振り出した。新日本送風機は、右手形を訴外西尾重太郎に、右西尾はこれを割引のため二島農協にそれぞれ裏書し、さらに二島農協はこれを被告信連に、被告信連は被告銀行に、それぞれ取立委任のため順次裏書した。そして被告銀行は、満期日が日曜日であったところから、その翌日の昭和四一年一一月二一日に、右の手形を支払場所である協和銀行布施支店において呈示したところ、預金不足を理由に不渡となった。そこで協和銀行は、同年同月二二日右手形を被告銀行に返還した。以上の事実は当事者間に争いがない。

2  ≪証拠省略≫によると、つぎの事実が認められる。すなわち、

支払銀行たる協和銀行布施支店は、支払呈示を受けた二一日の午後三時か四時ごろに、山中鉄函に対し電話で本件手形が預金不足のために不渡となったことを連絡した。このとき山中鉄函は、はじめて本件手形の持出銀行(取立銀行)が被告銀行であることを知らされたが、その日は、協和銀行布施支店に対して、手形の買戻をする旨通知しただけで他に何らの措置をとらず、翌二二日の午前中に、山中鉄函の代表取締役である被告秀雄が、手形金同額四五万四〇〇〇円を、受取人である新日本送風機に持参し、同会社の代表取締役巽亀太郎にこれを交付して、本件手形の買戻を依頼した。新日本送風機は、右依頼に基づいて、同日午前中直ちに、二島農協に右金員を支払い、本件手形を買い戻した。そのころ、本件手形の取扱店である被告信連北河内支所の出納係河本清子(旧姓降旗)は、被告銀行枚方支店から、本件手形が預金不足で同支店に返還されてきたとの連絡を受けていたので、北河内支所次長杉山嘉市の指示により、二島農協に対してその旨の電話をしたところ、二島農協からは、担当者がいないので後から連絡するとの返事があったが、右電話の二〇分程後に、たまたま北河内支所で開かれる北河内地区農協職員体育部委員会会議に出席するため、二島農協の出納係で本件手形の担当者である菅井幹夫が同支所を訪れたので、右不渡の事実を知らせた。そこで、菅井は直ちに、同支所から二島農協に電話をかけ、本件手形の不渡撤回の申出があるかを確かめたところ、右申出があったということなので、同日午後一二時三〇分ごろ、同支所次長杉山に対し、手形の買戻が行われたことを話して不渡撤回の手続をとるように依頼した。右依頼を受けた杉山次長は、河本出納係に対し、不渡撤回手続をとることを被告銀行に依頼するように指示し、河本は直ちに、被告銀行枚方支店の出納係嶋田巧に対し、電話で本件手形の買戻があったことを通知して不渡撤回の手続をとるよう依頼した。

その際菅井から直接河本に対し、二島農協が、本件手形と同時に被告信連を通じて被告銀行に取立を委任し、東京手形交換所に廻っている手形が決済されたかどうかを調べて欲しい旨の申出があったので、河本はその調査も合わせて右電話で依頼した。河本は、それまでたびたび被告銀行に本件と同様の不渡撤回手続を依頼したことがあったが、いずれも電話によって右依頼をしており、不渡届撤回依頼書を提出してしたことはなかったので、本件の場合も電話での依頼のみで足りるものと考え、それでこれまでと同様に不渡の撤回がなされるものと信じていた。またその当時被告銀行は、不渡撤回を依頼する者に不渡届撤回依頼書を提出させることもあったが、多くの場合電話のみによって右依頼を受けていた。以上の事実が認められ(る。)≪証拠判断省略≫

3  ところで、その当時の大阪手形交換所交換規則および総会決議事項によれば、交換に持ち出した手形の返還を受けた銀行は、その返還事由が信用に関するものであるかぎり、所定の書式により、交換日から起算して第三営業日の営業時限までに、これを交換所に届け出ることになっているが、その中で信用に関する一定の不渡返還事由がある場合、すなわち預金不足、資金不足、取引解約後および取引なしの手形については、すべて所定の書式により、支払銀行および持出銀行の双方が、前者については交換日の翌営業日午前九時までに、後者については交換日の翌々営業日午前九時までに、それぞれ届け出なければならない(双方届)。そして届出を受けた交換所は、右いずれの場合も、交換日から起算して第四営業日(ただし異議申立を予想し得るものは第五営業日)に警戒報告(赤紙)にこれを掲載して加盟各金融機関に通知し、さらに第五日目の営業時限までに支払済通知がないときは、第六日目に取引拒絶処分として通知する。しかし双方届による場合は、持出銀行が、交換日の翌日営業時限までに不渡手形の代り金を受領し、または買戻の行われたことを認めたものについては、持出銀行は、この不渡届の消印欄に所定の「消」印を押捺して届出ることができ、これについては不渡届出がなかったものとみなされ、不渡処分は行われない取扱であった。

4  ところで、本件手形の不渡返還事由は預金不足であったから、双方届出の必要な場合であったところ、前認定のとおり被告銀行は、交換日の翌日である昭和四一年一一月二二日午後一二時三〇分ごろ、本件手形の買戻が行われたことを知ったのであるから、前記手形交換所の取扱に従って、不渡届の消印欄に所定の「消」印を押捺して届け出れば、不渡届出がなかったものとみなされ、不渡処分は行われないはずであった。しかるに前掲2の各証拠によると以下の事実が認められるのである。すなわち、被告銀行枚方支店の出納係嶋田巧が、被告信連からの買戻済の通知および不渡撤回の依頼があったことを失念したために、被告銀行は、不渡届の消印欄に所定の「消」印を押捺しないまま不渡届出をなし(不渡撤回手続をしなかったことは当事者間に争いがない。)、その結果昭和四一年一一月二四日、交換所は警戒報告にこれを掲載して加盟各金融機関に通知した。そして翌二五日の午後二時ないし三時ごろ、山中鉄函は、当時取引銀行であった幸福相互銀行から、不渡警戒報告が廻っているので事情を説明せよとの電話を受け、はじめて本件手形の不渡撤回手続がなされていないことを知った。山中鉄函としては、さきに、一一月二二日に新日本送風機との間になした依頼によって、警戒報告にまで至らないものと信じていたので、幸福相互銀行からの右電話連絡は甚だ意外であった。そこで、山中鉄函の取締役である原告春次は、直ちに被告銀行枚方支店および被告信連に赴き事情の説明を求め、さらに被告銀行枚方支店において、同日午後一〇時ごろから翌日の明方にかけて、被告銀行枚方支店係員小山照雄、同支店長野口、同支店出納代理石田、および被告信連北河内支所次長杉山等との間で、本件手形の不渡撤回手続がなされなかった事情およびその善後策について話合をしたが、その席で被告信連が被告銀行に買戻済の通知および不渡撤回手続をとるように連絡したかどうかが問題になり、被告信連は、連絡したと主張するのに対し、被告銀行はこれを否定し、相互に相手方の非を詰るばかりでいっこうに事態の真相は明らかとならなかった。ところで、その際被告銀行は、善後策として銀行錯誤による警戒報告取消の申請を出すべく原告春次に申し出たが、同春次は、右申請よりもまず、不渡届をした責任は被告らにある旨の証明文書を連名で提出するよう被告らに強く要求したところ、被告両名はこれを拒否したので話合は物別れに終った。そして、被告銀行は原告春次の右態度に反発した結果銀行錯誤による右取消届を提出せず、ついに昭和四一年一一月二七日、取引拒絶処分の通知が加盟各金融機関に対してなされた。以上の事実が認められ(る。)≪証拠判断省略≫

5  ところで、≪証拠省略≫によると、つぎの事実が認められる。すなわち、

前認定の原告春次と被告信連および被告銀行との話合が物別れに終った日である昭和四一年一一月二六日の朝、本件手形に関して警戒報告がなされていることを知った山中鉄函の債権者等が、同会社に債権取立のため押しかけてきたので、原告秀雄および同春次は、被告銀行布施口支店の係員多田に来社を求め、警戒報告が出されるに至った事情の説明をさせたが、債権者等は納得せず、その後さきに認定した取引拒絶処分の通知がなされたこともあって、昭和四一年一二月ころ、債権者等の間で私的な債権者会議がもたれるに至った。また、右処分以後山中鉄函は、銀行取引が完全に停止され、さらに債権者会議設立後においては、同会社の帳簿類の殆んどが右会議に持って行かれて、しかも、取締役である原告秀雄、同春次らが右会議に出席することは認められなかったから、取締役たる原告らとしては、この時点から、山中鉄函の清算もしくは再建の問題について関与する機会の一切を奪われてしまった。そして昭和四二年二月ころまでの間に、数回にわたり債権者会議が開かれたが、債権者等の歩調が揃わず最終的な解決には至らなかった。しかしその間に、右会議の結果選任された債権者委員の手によって、会社資産(不動産および機械類等)の殆んど全部を任意に処分されてしまった。また、昭和四一年一二月には訴外山本芳三から、昭和四二年には訴外株式会社高木商事から、それぞれ大阪地方裁判所に対して、山中鉄函に対する破産の申立がなされ、同裁判所は、昭和四二年一〇月四日、破産を宣告した。以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

二  被告信連に対する請求について

以上に認定したところが本件における事実経過の要旨である。さて、原告らは前述したとおり、被告信連には原告らに対する契約上の責任がある旨主張するので、まずその前提となる原告らと被告信連間の契約の存否について判断する。

ところで、山中鉄函は協和銀行布施支店から、昭和四一年一一月二一日の午後三時から四時ごろに、本件手形が預金不足のために不渡となった旨の電話連絡を受けたので、代表取締役たる原告秀雄が、翌二二日の午前中に、受取人新日本送風機に赴いて、手形金同額四五万四〇〇〇円を同人に交付し、手形の買戻方を依頼したこと、そこで新日本送風機は、二島農協から本件手形を買い戻し、二島農協は、不渡撤回手続を被告信連に依頼したこと、以上の事実は前記一・2に認定したとおりである。

右の事実によれば、本件手形の買戻および不渡撤回手続を依頼したのは法人たる山中鉄函自身と解すべきであり、原告ら個人でないことは明らかであるから、被告信連の原告らに対する契約上の責任を判断するに由ないといわざるを得ない。のみならず本件手形の買戻および不渡撤回手続に関する委任契約は、新日本送風機との間においてのみ成立したものであり、二島農協および被告信連が、買戻済の通知および不渡撤回を依頼したのは、原告主張のような第三者のためにする契約に基づく山中鉄函もしくは原告らに対する委任契約上の義務によるものではなく、二島農協は新日本送風機からの、被告信連は二島農協からの、それぞれの依頼を承諾したことによるものであって、原告らと被告信連との間には何らの契約も存在していなかったと解せざるを得ない。しかも前認定事実によれば、被告信連は被告銀行に対して、不渡撤回手続をとるように依頼したことが認められるから、被告信連には何らの債務不履行も存在しないのである。よっていずれの点からしても、原告らの被告信連に対する請求は、爾余の争点を判断するまでもなく失当というべきである。

三  被告銀行に対する請求について

つぎに、原告らは被告銀行に対し、不法行為上の責任がある旨主張するので判断する。

1  被告銀行枚方支店は、被告信連から取立委任を受けた本件手形を、昭和四一年一一月二一日、大阪手形交換所に支払呈示のため交換に持ち出したところ、支払銀行である協和銀行布施支店は、翌二二日の午前中に預金不足を理由として手形を返還してきたこと、そこで同支店は、直ちに本件手形が不渡となったことを被告信連に連絡したところ、被告信連は、同日の午後一二時三〇分ごろ、二島農協の依頼を受けて、同支店に対し不渡撤回の手続をとるように電話で連絡してきたこと、しかし、右の電話を受けた出納係嶋田巧は、不渡撤回の依頼の連絡があったことを失念したために、被告銀行は、不渡撤回手続をしないまま手形交換所に不渡届を提出し、交換日から起算して第四営業日にあたる昭和四一年一一月二四日に、警戒報告にこれが掲載されて加盟各金融機関に通知されたこと、その後、取消届も提出されないまま取引拒絶処分が確定したこと、以上の事実は前記一・2・4に認定したとおりである。

2  ところで、手形交換所による銀行取引拒絶処分は、その対象者の信用を甚るしく毀損し、倒産に追込み、ついに再起不能とならしめる危険性が大であり、しかも手形交換所に対する不渡届の提出および不渡撤回の手続は、交換所加盟金融機関のみが交換所に対してなすほかはなく、交換所に加盟していない当該不渡手形の所持人または手形債務者が、直接交換所に対してこれをすることは許されない建前であるから、かかる不渡処分に関する手続につき専権を有する金融機関、就中銀行が、その取扱手形につき不渡届を提出するについては、不渡事由の存否を十分に調査確認してこれを提出すべき義務があることは論を待たないところである。しかるに、被告銀行枚方支店は、前認定のように被告信連から、本件手形につき不渡撤回の手続をとるよう依頼を受けていたのであるから、不渡届の消印欄に所定の「消」印を押捺して届け出なければならないにもかかわらず、前記のとおり、被告銀行枚方支店の出納係嶋田巧が右依頼のあったことを失念したために、被告銀行は、右手続をしないまま漫然本件手形は不渡であるとして、その旨を大阪手形交換所に届け出で、その結果山中鉄函に対し警戒報告および取引拒絶処分を受けさせ、ひいては前記一・4・5に認定したとおりこれを倒産させるに至らせたものであるから、右山中鉄函の倒産は、被告銀行の過失に基づくものといわざるを得ない。したがって、被告銀行は、右倒産により原告のこうむった損害を賠償する義務がある。

右の点に関し被告らは、山中鉄函は会社設立後間もなく資金に窮して、高利貸からの借入金および融通手形によって資金繰りを行っていたものであって、倒産すべくして倒産したのであるから、本件手形の不渡による取引拒絶処分と原告らの損害との間には何ら因果関係はない、と主張する。しかし、≪証拠省略≫によれば、山中鉄函は昭和三六年頃工場拡張のため多額の設備資金を投入した結果、資金面でかなり逼迫し、高利金融を受けたり、融通手形を発行しているが、しかし売上げは順調に延び、昭和三八年度を除き、昭和三六年度以降黒字決算を示し、盤石とまではいえないが、とに角収支均衡した経営で推移していたもので、本件事故がなければ倒産のおそれはなかったことが認められるから右主張は理由がない。

3  ところで前記一の4、5の認定事実によれば山中鉄函は昭和四一年一一月二七日の取引拒絶処分を待つまでもなく、同年同月二四日の警戒報告により、倒産必至の運命に立至ったことが明らかである。けだし右警戒報告がなされたことを知った債権者は、同年同月二六日朝山中鉄函に取立のため殺到し、被告銀行布施口支店の係員多田が警戒報告がなされるに至った前記事情を説明したにかかわらず納得せず、山中鉄函の資産経理を掌握し、そのまま会社財産の処分、解体にまで至っているからである。山中鉄函の如く経営基盤がそう強固でない中小企業にとっては、一度債権者に生じた倒産の疑念を払拭するのは容易なことではなく、たとえ警戒報告が銀行錯誤による不渡届に由来することが債権者に判明したとしても、僅か四五万四、〇〇〇円の預金手当の不備が、手形不渡の事態を招くこと自体が、債権者にとって債権取立を急ぐ十分な理由となるのであって、このことは被告銀行の多田が警戒報告のなされた事情を説明したにかかわらず、債権者が納得しなかった事実により明らかである。したがってたとえ被告銀行が銀行錯誤により警戒報告取消の手続をとり、銀行取引拒絶処分を回避し得たとしても、山中鉄函の倒産は避けられなかったものと認められる。

右のとおり山中鉄函の倒産は前記警戒報告に起因するものであるが、≪証拠省略≫によると、本来手形交換所の警戒報告は、加盟金融機関のみを対象として、それのみに通知され、外部に公表されないことが建前となっていることが認められるから、現実がこの建前どおりであれば、右報告が外部にもれ、よって企業が倒産したということは金融機関にとって予想し得ない稀有の出来事であるということができ右報告がなされたことと倒産との間には相互因果関係を欠き、倒産によって生じた損害は特別事情によって生じた損害ということができる。しかし現実は本件事例が証明する如く、また警戒処分が外部に洩れた事実を認定する裁判例が他にもある(例えば当庁昭和四一年(ワ)第三六〇五号事件)ことによって窺知される如く、警戒処分はしばしば外部に洩れるものであって、少くとも金融機関にとっては、外部に漏洩するかも知れないことが、常に多分に予想されるものであるということができる。そして一旦漏洩すれば、債権保全に敏感な債権者の関知するところとなり、立所に債権取立に殺到するのが当然の推移である。本件において、山中鉄函の債権者がいかなる経路から前記警戒報告を関知し得たか明らかではないが、いずれにしてもこのことは被告銀行にとって全く予想し得なかったものではない、というべきである。そうだとすると、右警戒報告、したがってその原因となった被告銀行が当然なすべきであった取引拒絶処分廻避のための手続をとらなかったことと、山中鉄函の倒産、したがってこれにより原告らに損害が生じたこととの間には相当因果関係があり、右損害は特別事情に基づく損害ではなく、通常の損害であることは明らかである。よって次に、原告らの具体的損害につき考察する。

4  原告秀雄の損害について

(一)  さて、原告秀雄の主張する損害のうち、まず将来得べかりし利益の喪失について判断する。

≪証拠省略≫によると、原告秀雄は山中鉄函の代表取締役であったが、右会社の倒産後は、その痛手から身心ともに年をとり、他に就職もせず子供達からの援助を受けて生活していること、また、倒産当時においては年令が五九才であり、山中鉄函から給料として一か月一三万円の支給を受けていたが、さらに少くとも五年間は管理職として同額の支給を受け得るはずであったのに、本件手形についての不渡警戒報告に起因する山中鉄函の倒産のためにそれができなくなったこと、以上の事実が認められる。そこで、これをホフマン式により民事法定利率年五分の割合による中間利息を控除して計算すると、得べかりし利益は少くとも原告秀雄主張の金五二三万六八〇〇円を下らないと認められ、結局原告秀雄は、被告銀行の前記過失に基づく不法行為により、右同額の損害を蒙ったことが認められる。

(二)  つぎに、原告秀雄の精神的損害につき判断するに、≪証拠省略≫によれば、原告秀雄は、昭和二二・三年ごろから配電盤に附随する雲気製品の製造販売業を営み、同種の営業目的をもって昭和三一年に設立された山中鉄函においても、設立の当初から終始その代表取締役として右会社の経営にあたってきたこと、そのため山中鉄函の倒産によって、経済人としての信用は勿論永年親しんできた前記製品の製造販売業からも手を引かざるを得なくなったのみならず、生活の基盤すら一挙に失い、その精神的苦痛は多大のものがあったものと認められる。そこで、右事実に上来認定してきた諸事情および諸般の事情を併せ考えるとき、原告秀雄の精神上の苦痛の慰藉料は、三〇万円と認めることが相当である。

5  原告春子、同春次、同二郎、同梗子、同矢倉光雄の各損害について

右原告らは、山中鉄函の倒産によって、その所有株式数に対応する各出資金と同額の損害を蒙った旨主張する。

しかし、株式会社においては、一旦株式に変じた出資金を回収する場合は、何時如何なる時においても株式の券面額と同額で回収できるというものではなく、通常の場合は、当該会社の業績や資産内容を反映した株式の売買価格という形をとるものであり、清算の場合は、残余財産の分配という形をとるのであって、右いずれの場合も会社の資産状態によって決定される性質のものであることが明らかである。そうすると、出資金が株式の券面額という一定不変の金額で回収されるものでない以上、これを不法行為に基づく損害として請求する者は、不法行為当時の株式の価格について主張立証をすることが必要であると解するのが相当である。しかるに、右原告らはこの点についてはなんら主張立証するところがないから、結局その余を判断するまでもなく、右原告らの主張は失当というほかはない。

四  被告銀行の抗弁

1  被告銀行は、原告秀雄および同春次は、不渡処分を債権者に対する倒産の口実とする意図があってのことか、被告銀行に、その責任を認める旨の一札を書くことのみを要求し、不渡処分によって失われた山中鉄函の信用の回復につき不渡発表の取消発表を求めることもせず、損害の発生とその拡大を防止すべき何らの措置を講じなかったのに、損害賠償の請求をするのは権利の濫用である、と主張する。昭和四一年一一月二五日、被告銀行枚方支店における会合において、被告銀行が原告春次に対し、善後策として銀行錯誤による警戒報告取消の手続をとることを申し出たのに対し、同原告が右手続よりもまず不渡届をした責任は被告らにある旨の証明文書を提出すべきことを強硬に要求し、被告銀行が同原告の右態度に反発して、ついに右手続をしなかったことはさきに認定したとおりである。しかし原告春次は本件不渡処分を債権者に対する倒産の口実とする意図があって、右文書提出を強硬に要求したことを認め得る証拠はないしまた原告春次は右取消の手続を被告銀行がとることを拒否したことはないのであるから、被告銀行としては原告らの損害の発生を回避するため、原告らの申立がなくとも進んで右手続をとるべきである。更に仮に被告銀行により当時直ちに銀行錯誤による警戒報告取消の手続をとったとしても、所詮倒産は避けられず、したがって原告らの損害の発生並びにその拡大の防止をなし得なかったこともさきに認定したとおりであるから、被告銀行の右主張は理由がない。

2  つぎに被告銀行は、山中鉄函が、満期に手形支払資金を当座預金に準備しておかなかったのは、代表取締役たる原告秀雄と取締役たる同春次の過失であるから、損害額算定上斟酌されるべきだと主張するが、本件不法行為は、被告銀行が被告信連より本件手形が買戻された旨の通知を受け、不渡撤回手続をとるよう連絡を受けながら、過ってこれをなさず、不渡届をしたことにあるのであるから、手形支払資金を準備していなかったことは、右不法行為の成立並びに損害の発生とは関係がないことは明らかである。よって右主張は失当というべきである。

五  結論

以上の説示で明らかなように、原告秀雄の本訴請求は、被告銀行に対し、合計五五三万六、八〇〇円およびこれに対する不法行為の後であることが明らかな昭和四一年一一月二八日から支払ずみまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、被告銀行に対するその余の請求および被告信連に対する請求は失当であるからこれを棄却すべきである。また、原告春子、同春次、同二郎、同梗子、同矢倉光雄の各請求は、いずれも失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言について同法一九六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 野田栄一 裁判官 増田定義 山口毅彦)

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