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大阪地方裁判所 平成6年(ワ)499号 判決 1999年7月22日

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

一  被告は、別紙目録記載の加熱蒸散殺虫用器具及び加熱蒸散殺虫用薬液ボトルを製造し、販売してはならない。

二  被告は、前項の器具及び薬液ボトルを廃棄せよ。

第二  事案の概要

一  基礎となる事実(いずれも争いがないか弁論の全趣旨により認められる。なお、以下、書証の掲記は甲1などと略称し、枝番号のすべてを含む場合はその記載を省略する。)

1  原告の特許権

原告は、次の特許権を有している(以下、Aの特許権を「A特許権」、Bの特許権を「B特許権」という。)。

A(一) 発明の名称

加熱蒸散殺虫方法

(二) 出願日

昭和五九年一月三一日(特願平三―一〇七一四〇号)

特願昭五九―一六七六〇号の分割

(三) 公告日

平成五年九月一〇日(特公平五―六三四四一号)

(四) 登録日

平成一〇年三月一三日

(五) 特許番号

第二一三五三〇八号

(六) 特許請求の範囲(請求項1)

A特許権の特許出願の願書に添付した明細書(以下「A明細書」という。)の特許請求の範囲の記載は、本判決添付の特許公報A中の平成九年八月二六日付手続補正書(以下この特許公報部分を「A公報2」といい、同添付の出願公告に係る特許公報を「A公報1」という。)の該当欄記載のとおりである(以下、この特許発明を「A発明」という)。

(七) 効果

「本発明方法によれば、吸液芯の目づまりを惹起せず、該芯の長寿命化を可能とすると共に、これに基づいて殺虫剤の蒸散性(揮散量及び有効揮散率)を顕著に向上でき、長期間に亘って優れた殺虫効果を持続発揮させ得る。」

B(一) 発明の名称

吸液芯付容器、加熱蒸散型殺虫装置用キット及びこれらに用いる蒸散性持続化剤

(二) 出願日

昭和五九年一月三一日(特願平六―二一一五八五号)

特願平三―一〇七一四〇号の分割

(三) 登録日

平成九年一二月一九日

(五) 特許番号

第二七二九三五七号

(六) 特許請求の範囲

B特許権の特許出願の願書に添付した明細書(以下「B明細書」という。)の特許請求の範囲の記載は、本判決添付の特許公報B(以下「B公報」という。)の該当欄記載のとおりである(以下、請求項1の発明を「B1発明」、請求項2の発明を「B2発明」、請求項3の発明を「B3発明」といい、B1ないしB3発明を併せて「B発明」という。)。

(七) 効果

「本発明に係わる吸液芯付容器、加熱蒸散型殺虫装置用キット、蒸散性持続化剤の利用によれば、吸液芯の目づまりを確実に回避して、充分な殺虫効果を奏し得る殺虫剤濃度をもって殺虫剤を長期間持続して輝散させ得る。」

2  出願経過

A発明は、平成三年五月一三日に特願昭五九―一六七六〇号の特許出願(以下「原出願」という。)からの分割出願によって出願され、数回の補正を経て登録されたものである。

またB発明は、平成六年九月五日にA発明の特許出願からの分割出願によって出願され、数回の補正を経て登録されたものである。

3  A発明及びB発明の構成要件の分説

A発明及びB発明の構成要件は、次のとおり分説するのが相当である。

(一) A発明について

ア 殺虫液中に吸液芯の一部を浸漬して該芯に殺虫液を吸液させると共に、該芯の上部を間接加熱して吸液された殺虫液を蒸散させる加熱蒸散殺虫方法において、

イ 殺虫液に含まれる殺虫剤としてピレスロイド系殺虫剤を用い、

ウ 殺虫液に含まれる溶媒として脂肪族系の溶剤を含み且つ以下に記載の発熱体及び吸液芯の表面温度で蒸散するものを用い、

エ 前記吸液芯として以下に記載の発熱体及び吸液芯の表面温度での使用が可能であるものを用い、

オ 表面温度が七〇〜一五〇℃の発熱体にて

カ 上記芯の上部を表面温度が六〇〜一三五℃となる温度に間接加熱する

キ ことを特徴とする加熱蒸散殺虫方法

(二) B1発明について

サ 殺虫液を収容し吸液芯の一部を浸漬して該芯に殺虫液を吸液させ、

シ 芯上部の間接加熱により殺虫剤を蒸散させるための吸液芯付容器であって、

ス 3、5―ジ―T―ブチル―4―ヒドロキシトルエン(以下「BHT」という。)等の請求項掲記の化合物群から選ばれた少なくとも一種の化合物が入れてある。

セ ことを特徴とする吸液芯付容器

(三) B2発明について

タ 吸液芯の上部を間接加熱するための発熱体を備えた加熱装置と、

チ BHT等の請求項掲記の化合物群から選ばれた少なくとも一種の化合物を入れた殺虫液が収容された容器とからなり、

ツ 該容器内には吸液芯がその上部を突出した状態で挿入されている

テ ことを特徴とする加熱蒸散型殺虫装置用キット

(四) B3発明について

ナ 一部が液中に浸漬された吸液芯の上部を間接加熱することにより蒸散される殺虫液のための蒸発性持続化剤であって、

ニ BHT等の請求項掲記の化合物群から選ばれた少なくとも一種の化合物を有効成分とする

ヌ ことを特徴とする蒸散性持続化剤

4  被告の行為

(一) 被告は、別紙物件目録記載の加熱蒸散殺虫用器具(以下「イ号装置」という。)と、同器具に用いる加熱蒸散殺虫用薬剤ボトル(以下「イ号ボトル」という。)を製造販売している(以下、イ号装置及びイ号ボトルを併せて「イ号セット」という。)。

(二) イ号セットを用いた殺虫方法(以下「イ号方法」という。)の構成は、次のとおりである。

(ア) 薬剤ボトルBの吸液芯⑬は、その下部が殺虫液中に浸漬されており、その上部を器具Aの発熱体①で間接加熱して、吸液された殺虫液を蒸散させる。

(イ) 殺虫液に含まれる殺虫剤の主成分はフラメトリンであり、これはピレスロイド系殺虫剤である。

(ウ) 殺虫液に含まれる溶媒としてブチルジグリコールを用いており、これは脂肪族系の溶媒であって、以下に記載の発熱体①、金属リング②及び吸液芯③の表面温度で蒸散する。そして殺虫液は、そのほかに水を約26.5重量パーセント有している。

(エ) 吸液芯⑬は以下に記載する発熱体①及び吸液芯⑬の表面温度での使用が可能である。

(オ) 使用時における金属リング②の表面温度は、平均して一三五℃であり、発熱体(発熱素子)①の表面温度は、平均して約一六〇℃である。

(カ) 使用時における吸液芯⑬の表面温度は、平均して約一二〇℃である。

(キ) 以上を特徴とする加熱蒸散殺虫方法である。

(三) イ号セットの構成は次のとおりである。

(サ) D―T80フラメトリン1.3重量パーセント、水約26.5重量パーセント、ブチルジグリコール約71.7重量パーセントを含む殺虫液を収容した容器があり、吸液芯の上部を容器から突出させ、吸液芯の下部を殺虫液に浸漬して、該芯に殺虫液を吸収させている。

(シ) 芯上部を間接加熱するための発熱体を備えた加熱装置があり、芯上部の間接加熱によって殺虫液を蒸散させる。

(ス) 吸液芯溶殺虫液は、BHTを約0.5重量パーセント含有している。

(セ) イ号セットは、右(サ)の吸液芯付容器と、右(シ)の加熱装置と、右(ス)の殺虫液からなる加熱蒸散殺虫溶器具及び薬剤ボトルのセットであり、イ号ボトルは右(サ)の吸液芯付容器と右(ス)の殺虫液からなる薬剤ボトルである。

二  原告の請求

1  本件は、原告が、被告に対し、①イ号ボトル及びイ号セットはA発明の実施にのみ使用する物である、②イ号セットはB発明の技術的範囲に属する、③イ号ボトルはB1発明及びB3発明の技術的範囲に属するから、それらの製造販売はA特許権及びB特許権を侵害するとして、右各特許権に基づきそれらの製造販売の差止め及び廃棄を請求した事案である。

2  右原告の請求に係る対象物件、被侵害権利及び侵害態様の関係を整理すると、次のとおりである。

イ号セット

イ号ボトル

A特許権

間接侵害

間接侵害

B特許権

B1発明

直接侵害

直接侵害

B2発明

直接侵害

――――

B3発明

直接侵害

直接侵害

三  争点

1  A特許権関係について

(一) イ号方法はA発明の「溶媒」の要件(構成要件ウ)を充足するか

(二) イ号方法はA発明の発熱体の温度範囲の要件(構成要件オ)を充足するか

(三) イ号セット及びイ号ボトルは、A発明の方法の実施にのみ使用するものか

(四) A発明は全部公知の発明か

(五) A発明は無効事由を有するか

2  B特許権関係について

(一) B1及びB3発明についてイ号セットの製造、販売の差止めを請求できるか

(二) イ号セット及びイ号ボトルは、B発明の「間接加熱」するためのものとの要件を充足するか

(三) イ号セット及びイ号ボトルは、B発明の「殺虫液」の構成要件を充足するか

(四) B発明は全部公知の発明か

(五) B発明は無効事由を有するか

第三  争点に関する当事者の主張

一  争点1(一)(A発明における「溶媒」)について

【被告の主張】

1 A発明の構成要件ウでは、使用し得る溶媒について、「脂肪族系の溶剤を含み、且つ以下に記載の発熱体及び吸液芯の表面温度で蒸散するものを用い」るとされている。ところで、殺虫剤の輝散性持続という効果は、発熱体及び吸液芯の温度のみならず溶媒によっても左右されるものであるが、構成要件オ及びカで特定されている発熱体及び吸液芯の温度範囲で蒸散する「脂肪族系の溶剤」のすべてが、右温度範囲にて、A発明が目的とする良好な目詰まり回避作用を発揮することの裏付けは何ら開示されておらず、唯一客観的に裏付けられているのは脂肪族炭化水素のみである。したがって、A発明の構成要件ウの溶媒は、脂肪族炭化水素に限定して解釈されなければならない。

イ号方法における溶媒(構成(ウ))であるブチルジグリコールは、脂肪族炭化水素ではないから、イ号方法は、A発明の構成要件ウの溶媒を充足しない。

また、ブチルジグリコールを溶媒とする場合には、A発明の作用効果が生じていない(乙52、53)。

2(一) 原出願に添付された明細書においては、その特許請求の範囲では「殺虫剤の有機溶剤溶液中に」特定の化合物を配合した構成を採用しており、また、発明の詳細な説明においても、溶媒として有機溶剤を用いる場合のみが記載されているのであって、そこでは、有機溶剤を使用することを前提として、発熱体及び吸液芯の温度範囲を記載していた。

A発明は、原出願から分割出願であるから、そこにいう溶媒も、有機溶剤を使用することを前提としていると解すべきである。

(二) しかし、イ号方法における溶媒は、水であり、ブチルジグリコールは界面活性剤として添加されているにすぎない。そうでないとしても、イ号方法の溶媒は水とブチルジグリコールの混合溶媒である。これらはA発明の溶媒たる有機溶剤に該当しない。

(三) 原告は、イ号方法における溶媒は、有機溶剤たるブチルジグリコールに水を付加したものにすぎないと主張するが、殺虫剤の適切な揮散量を維持するために適切な発熱体及び吸液芯の温度範囲は、純然たる有機溶剤の場合と水性溶剤の場合とでは異なるところ(乙25、26)、A明細書で確認されている適切な温度範囲は、純然たる有機溶剤の使用を前提とするもののみである。したがって、A発明における溶剤は、純然たる有機溶剤のみを使用するものに限定されなくてはならない。

【原告の主張】

1 A発明の溶媒は、特許請求の範囲上、「脂肪族系の溶剤を含み」とのみされているところ、イ号方法で用いられているブチルジグリコールは脂肪族系有機化合物であるから、それが脂肪族系の溶剤に該当することは明らかである。

2 被告は、A発明の溶媒は脂肪族炭化水素に限定されると主張するが、本件発明の出願過程において、審査官から、「脂肪族系の溶剤」との表現を「脂肪族炭化水素」と改めるよう補正の示唆があったのに対し、出願人たる原告が意見書を提出し、それが認められて原文言が維持されたまま特許査定されたのであるから、A発明の溶媒が脂肪族炭化水素に限定されることはない。

3 また被告は、イ号方法における溶媒は水性溶媒であるからA発明の溶媒に該当しないと主張する。しかし、A発明においては、「溶媒として脂肪族系の溶剤を含み」とあるだけで、殺虫剤中に他のどのような成分を含むかは問題としていない。他にどのような成分を含もうと、A発明の作用効果を奏している限り、A発明と利用関係に立つだけのことである。そして、イ号方法においては、脂肪系有機化合物であるブチルジグリコールが有効成分たるフラメトリンを溶解しているのであるから、ブチルジグリコールが界面活性作用を有していようと、他に水が付加されていようと、イ号方法において脂肪族系の溶剤が使用されていることに変わりはない。

二  争点1(二)(発熱体の温度範囲)について

【被告の主張】

1 A明細書においては、公知の各種吸液芯を利用した吸上式加熱蒸散型殺虫装置を使用できる旨の記載があり、その例として、①自ら発熱を行う素材(及び加熱用部材)と吸液芯との間に空隙が存する加熱方式(狭義の間接加熱)のほか、②自ら発熱を行う素材と吸液芯との間にフェルト、細毛繊維等の熱伝達物質を介在させて加熱する方式(広義の間接加熱、乙3)が示されている。したがって、A発明における「間接加熱」とは、右①及び②の両者を含むと解すべきところ、②の場合においても「間接加熱」といえるためには、「発熱体」は、「自ら発熱を行う素材」の意味に解釈しなければならない(仮に熱伝達物質を含めて「発熱体」と解するならば、発熱体と吸液芯が直接接触することになり、発熱体の表面温度と吸液芯の温度との間に差異があることを前提とするA明細書の記載に適合しない。)。

2 イ号方法において自ら発熱を行う素材は発熱体(発熱素子)であり、その表面温度は平均約一六〇℃であるから、イ号方法は、A発明の構成要件オを満たさない。

【原告の主張】

発明Aにおいては、吸液芯に対向してこれを間接加熱する部材全体を「発熱体」と称しているのであり、このことは、発明Aにおける「発熱体」の目的が吸液芯を間接加熱することにあることからも当然である。被告は、発明Aにおける「間接加熱」の意義として①及び②の双方であると主張するが、①のみと解すべきである。

したがって、イ号方法において吸液芯に対向してこれを間接加熱する部材は、金属リング②を含めて樹脂ケース③で一つにまとめられた部材が「発熱体」に該当し、金属リングの表面温度は平均して一三五℃であるから、イ号方法は、A発明の構成要件オを満たす。

三  争点1(三)(間接侵害性)について

【被告の主張】

1 争点1(一)及び(二)のとおり、イ号のセットを使った加熱蒸散式殺虫方法(イ号方法)は、A発明の構成要件を充足しないから、イ号セット及びイ号ボトルが、その実施にのみ用いられることがないのは当然である。

2 特にイ号セットについては、次の理由からも、A発明の実施にのみ使用される物ではない。

(一) 製造段階では、イ号装置とイ号ボトルとは別々に製造され、イ号セットとして製造されるわけではないので、A発明の実施のみに使用するためにイ号セットが製造されることはあり得ない。

(二) 被告は、近時、イ号装置とは別の加熱蒸散殺虫用器具(検乙2における加熱装置。以下「ロ号装置」という。)及びイ号ボトルとは別の薬剤ボトル(検乙1における殺虫液ボトル。以下「ロ号ボトル」という。)の製造販売を開始したところ、販売段階では、後記3(二)のとおり、イ号装置はロ号ボトルと組み合わせて使用することが可能であり、その場合には、ロ号ボトルでは吸液芯が上部において略四角形状を呈していることにより、ロ号ボトルの吸液芯上部とイ号装置の金属リングとは略矩形状のコーナー部及びその近傍領域が接触状態になり、争点1(二)の被告の主張で述べた間接加熱(狭義)とならないから、右争点に関する原告の主張を前提とすれば、A発明の実施にのみ使用するために販売されるものではない。

3 また、イ号ボトルについては、次の理由からA発明の実施にのみ使用する物ではない。

(一) A発明に定める温度範囲外での使用が可能である。

(二) イ号ボトルはロ号装置と組合せて使用することが可能であるところ、ロ号装置は、イ号装置の金属リング②が略円筒形状をしているのに対し、略楕円形状を有しており、そのため、イ号ボトルと組み合わせたときに、イ号ボトルの吸液芯とロ号装置の金属リングが一部接触する状態となる。原告の主張によっても、金属リングと吸液芯とが接触して加熱する場合には間接加熱とはいわないから、ロ号装置とイ号ボトルを組み合せたときの加熱方法は、間接加熱ではない。

したがって、イ号ボトルは間接加熱方式のみに使用されるものではないから、A発明の実施にのみ使用される物ではない。

【原告の主張】

1 イ号セットについては、A発明の実施以外に他の用途があるとは考えられない。

2 イ号ボトルについてもA発明の実施以外の用途はない。

被告は、ロ号装置にもイ号ボトルを組み合わせて使用し得るとするが、ロ号装置は市場に出回っておらず、商品としての経済性が疑わしい。また、イ号セットの効能や持続性はロ号装置とイ号ボトルを組み合わせたものとは代替性がない。

四  争点1(四)(手続補正の要旨変更による全部公知)について

【被告の主張】

1 原出願の明細書(乙4)及びA発明の分割出願明細書においては、吸液芯の目詰まり回避効果は、殺虫剤の有機溶液中に特定の化合物を配合することによって発揮されており、その加熱温度範囲は、「従来のこの種装置の利用法と同様」であって、殺虫剤組成物が「蒸散し得る適当な温度に吸液芯を加熱すればよい」との評価を得るにとどまり、発熱体及び吸液芯の表面温度をコントロールすることによって、殺虫剤揮散量及び有効揮散率の向上を得る等とする技術的事項は全く開示されていなかった。

ところが、A発明の分割出願後の平成三年六月一一日付手続補正によって、吸液芯及び発熱体の表面温度を特定の温度範囲に設定することにより、目詰まり回避という作用効果を奏する旨が加えられたが、これは明らかに原出願の明細書及びA発明の分割出願明細書から当業者が化学上ないし技術上の常識として了解できる範囲を超えた要旨変更に該当する。

したがって、A発明の出願日は平成三年六月一一日とされるべきであるが、それ以前に公開された原出願の公開特許公報においては、A発明の構成のすべてが記載されているから、A発明は全部公知の発明である。

2 全部公知に係る発明の技術的範囲の解釈に当たっては、可能な限り限定解釈を行うべきであり、本件では、A明細書第3表に示された実施例のみについてA発明の技術的範囲が及ぶものと限定解釈すべきである。

他方、イ号方法は、右実施例とは異なるから、イ号方法は、A発明の技術的範囲に属しない。

【原告の主張】

被告の主張は争う。A発明の出願過程において要旨変更はない。

五  争点1(五)(未完成・構成不備)について

【被告の主張】

本件発明は、発熱体及び吸液芯の各温度を一定の範囲に設定することによって殺虫剤の総揮散量及び有効揮散率の向上を図るものであるが、たとえ吸液芯表面及び発熱体表面の各温度が特定の値に設定されたとしても、両者の位置関係、両者間に配置されている熱伝導素材の種類(広義の間接加熱の場合)、両者間の空隙の程度(狭義の間接加熱の場合)によって、殺虫剤の揮散状況は自ずと相違する。ところが、A明細書においては、右の事項について明らかにするところがないから、A発明は未完成又は不可欠な構成を開示していない。

このような場合、A発明の技術的範囲を特定することができないから、A特許権に基づく権利主張は許されない。

【原告の主張】

被告の主張は争う。また、特許権の侵害事件においては、特許された発明を前提として、その発明の構成を被告製品が備えているか否かを検討すべきであり、その発明自体を審査する場ではない。

六  争点2(一)(イ号セットの製造販売の差止請求)

【被告の主張】

B1発明は吸液芯付容器に関する発明であり、B3発明は蒸散性持続化剤に関する発明であるから、それらの直接侵害に基づいてイ号装置を含んだイ号セット全体の製造販売の差止めを求めることはできない。イ号装置とイ号ボトルとは、同一の箱に収納されているとしても、分離することは当然可能である。

【原告の主張】

被告の主張は争う。B発明の直接侵害に基づいてイ号セット全体の製造販売の差止めを求めることは可能である。

七  争点2(二)(B発明における「間接加熱」)について

【被告の主張】

B発明の対象物は、いずれも専ら「間接加熱」のために用いられることが要件とされている。しかし、争点1(三)での被告の主張のとおり、イ号ボトルはロ号装置と組み合わされて間接加熱以外の方法による加熱方式にも使用し得るものである。したがって、イ号ボトル及びイ号セットは、B発明の右要件を充足しない。

【原告の主張】

被告の主張は争う。また、イ号ボトルが間接加熱方式にのみ使用し得ることは、争点1(三)での原告の主張のとおりである。

八  争点2(三)(B発明における「殺虫液」)について

【被告の主張】

1 B発明における「殺虫液」の溶媒は、脂肪族炭化水素に限定されるべきであり、また、水を含有する場合は含まれないと解すべきである。この点については、争点1(一)に関する被告の主張2の趣旨がここでも妥当する。

2 特に溶媒としてブチルジグリコールを用い、有効成分としてフラメトリンを用いた殺虫液について、BHT配合の有無による揮発性持続効果の相違を調べたところ(乙52、53)、BHT配合の有無は、揮散性持続の効果を有しないことが明らかとなった。

3 また、イ号ボトルの割合で水を溶剤として含む場合には、BHTの添加による目詰まり回避・揮散性持続の効果が生じない(乙61、68)。

【原告の主張】

1 B発明における「殺虫液」の要件を被告主張のように限定解釈することは、B発明における特許請求の範囲の文言及び効果を無視するものであり、合理的でない。

2 ブチルジグリコールを溶媒として使用した場合にB発明の作用効果を奏しないとする点は、被告の実験方法が適切でなく、何ら根拠がない。

3 また、殺虫液の成分として水を付加した場合にもB発明の「殺虫液」の要件を充足する点については、争点1(一)に関する原告の主張3の趣旨がここでも妥当する。この場合にもBHTの添加による揮散性持続の効果は生じている(甲30、40)。

九  争点2(四)(全部公知)について

【被告の主張】

争点1(四)における被告の主張のとおり、A発明の出願日は平成三年六月一一日とされるべきであるところ、B発明の特許出願はA発明の特許出願からの分割出願であるから、B発明の出願日の平成三年六月一一日とされなくてはならない。

そうすると、B発明の構成は、出願日よりも前に公開されていた原出願の公開特許公報にすべて記載されているから、B発明は全部公知である。

したがって、B発明はその実施例に限定して解釈されるべきところ、その実施例中には被告セット及び被告ボトルと同一の構成を開示したものはないから、被告セット及び被告ボトルは、B発明の技術的範囲に属しない。

【原告の主張】

A発明の出願日が繰り下がることがないことは、争点1(四)における原告の主張のとおりである。

一〇  争点2(五)(進歩性欠如)について

【被告の主張】

B発明は、乙30ないし47の公知文献から容易に推考し得たものであり、明らかに進歩性を欠如している。したがって、B発明については、その技術的範囲を実施例に限定して解釈すべく、その場合には、イ号セット及びイ号ボトルは、その構成要件を充足しない。

【原告の主張】

被告の主張は争う。特許権侵害訴訟において進歩性の欠如を主張することは、主張自体失当である。

第四  争点に対する当裁判所の判断

一  まず、B特許権に関する争点のうち、争点2(三)(B発明の「殺虫液」)について検討する。

1  別紙目録によれば、イ号方法で用いるイ号ボトル中の殺虫液(以下「イ号殺虫液」という。)は、D―T80フラメトリン(以下「フラメトリン」という。)約1.3重量パーセント、ブチルジグリコール約71.7重量パーセント、水約26.5重量パーセント、BHT約0.5重量パーセントから構成されていることが認められるが、このうちD―T80フラメトリンが殺虫剤有効成分であり、BHTが添加剤であることは、当事者間に争いがない。

ブチルジグリコールの位置付けについては、被告は界面活性剤であると主張し、乙48によれば、親水基と親油基を有するブチルジグリコールは界面活性作用を有し、右殺虫液中においても、水の分子と水に溶けないフラメトリンの分子の双方と結びついてフラメトリンを水に可溶化させる一種の界面活性剤のような役割を果たしていると認められる。しかし、甲24及び25によれば、ブチルジグリコールは一般に溶媒として用いられることが認められ、溶媒とは「溶剤ともいい、溶液を構成する一成分で、溶質を溶かす媒質をいう」(甲25)ところ、殺虫液における溶質は殺虫剤たる有効成分(フラメトリン)であり、前記のとおりブチルジグリコールの親油基はフラメトリンの分子と結びついてそれを溶かしているのであるから、ブチルジグリコールは、界面活性作用を果たすと同時に、溶媒として存在していると認められ、甲27でもブチルジグリコールは有機溶剤として使用されているとされているところである。

次に、水の位置付けについては、被告は溶媒の一部であると主張し、原告は単なる付加物であると主張する。前記のとおり、溶質であるフラメトリンは、ブチルジグリコールの界面活性作用によって水にも溶けており、イ号ボトル中の殺虫液は透明、清澄な液状を呈している(乙48)のであるから、水は、イ号殺虫液中で溶媒として存在していると認められる。この場合、ブチルジグリコールと水は、いずれも溶質タルフラメトリンに対して溶媒としての性質を有しているから、両者は「溶剤が二種又は二種以上の物質の混合物であるとき」の混合溶剤に該当する(甲26)。

そこで、このように溶媒に26.5パーセントの水を含む場合にも、B発明の「殺虫液」に該当するかについて検討する。

2  この点についてまず、B発明の特許請求の範囲には、いずれも「殺虫液」とのみ記載されており、その溶媒について特段の限定を施す文言は付加されていない。

しかし、被告は、「殺虫液」は水を溶媒として含むものは含まれないと主張するので、B明細書の記載等を参酌して、この主張について次に検討する。

3  甲29によれば、B明細書には次の記載のあることが認められる。

(一) 従来技術とその問題点について

(1) 「長期に亘り殺虫効果を持続させ得る加熱蒸散方法として、殺虫剤を溶液形態で吸上芯(吸液芯)により吸上げつつこれを加熱蒸散させる方法が考えられ、事実このような吸液芯利用による殺虫剤蒸散装置が種々提案されている。これら装置は適当な容器に殺虫剤の溶剤溶液を入れ、これをフェルト等の吸液芯を利用して吸上げつつ該吸液芯上部より加熱蒸散させるべくしたものである。」(B公報【0003】)

(2) 「しかしながらかかる吸上式加熱蒸散型殺虫装置は、実際にこれを用いた場合、いずれも吸液芯の加熱によって殺虫剤液を構成する溶剤が速やかに揮散し、該芯内部で殺虫剤液が次第に濃縮され、樹脂化したり、芯剤が燻焼したりして、目づまりを起し引続く殺虫液の吸上げ及び蒸散を不能とし、長期に亘る持続効果は発揮できず、しかも殺虫効果の経時的低下を避け得ず、更に有効揮散率が低く残存率が高いものであった。このような吸上芯利用による加熱蒸散方法に見られる各種の弊害の生ずる原因としては、芯の種類及び溶剤の種類は勿論のこと、殺虫剤の種類、濃度、加熱条件等の多数が考えられ、上記弊害を解消することは困難であると考えられた。」(同【0004】)

(二) 発明の目的について

「本発明は、吸液芯の目づまり等を回避し、長期に亘る持続的殺虫効果を奏し得、しかも殺虫剤総揮散量及び有効揮散率の向上を計り得る吸液芯付容器及び該容器と加熱装置とからなるキット並びに之等に用いられる蒸散性持続化剤を提供することを目的とする。」(同【0005】)

(三) 殺虫液の殺虫剤について

「本発明において殺虫剤としては、従来より害虫駆除に用いられる各種薬剤をいずれも使用できる。」(同【0008】)

(四) 殺虫液の溶剤について

「上記殺虫剤は溶液形態に調整される。該殺虫剤溶液を調整するための溶剤としては、各種の有機溶剤、代表的には炭化水素系溶剤をいずれも使用できる。……上記炭化水素系以外の有機溶剤としては、例えばグリセリン……等を例示できる。」(同【0010】)

(五) 殺虫剤に添加する化合物について

「本発明は、以下の化合物群から選ばれた少なくとも一種を蒸散性持続化剤とするものであり、これらは吸液芯用殺虫液中に添加配合される。」(同【0012】)

(六) 加熱装置について

「之等の適用できる上記装置の構造は、例えば特公昭五二―一二一〇六号公報、実開昭五八―四五六七〇号公報等に記載されている。」(同【0015】)

(七) 加熱装置に用いられる吸液芯について

「上記装置に利用される吸液芯(1)としては、通常用いられる各種素材……のいずれでもよく……」(同【0017】)

(八) 加熱装置に用いられる発熱体について

「また上記装置に利用される発熱体としては、通常通電により発熱する発熱体が汎用されているが、これに限定されることなく、……公知のいかなる発熱体であってもかまわない。」(同【0018】)

(九) 加熱方法について

「上記装置の利用による薬液蒸散方法には、吸液芯用殺虫液組成物が吸液芯より蒸散し得る適当な温度の吸液芯を加熱することにより実施される。該加熱温度は、殺虫剤の種類等に応じて適宜に決定され、特に限定されないが、通常約七〇〜一五〇℃、好ましくは一三五〜一四五℃の範囲の発熱体表面温度とされ、これは吸液芯表面温度約六〇〜一三五℃、好ましくは約一二〇〜一三〇℃に相当する。」(【同0019】)

(一〇) 効果について

「かくして、本発明に係わる吸液芯付容器、加熱蒸散型殺虫装置用キット、蒸散性持続化剤の利用によれば、吸液芯の目づまりを確実に回避して、充分な殺虫効果を奏し得る殺虫剤濃度をもって殺虫剤を長期間持続して揮散させ得る。」(同【0020】)

(一一) 実施例及び比較例について

(1) 実施例としては、一四種類の「殺虫剤」と、沸点の異なる六種類の脂肪族炭化水素又はそれらの混合物から成る「溶剤」に、BHT等の六種類の所定の「化合物」を添加した六四種類の殺虫液(第1表)が示されている。

(2) 比較例としては、一一種類の「殺虫剤」と、沸点の異なる四種類の樹脂族炭化水素の「溶剤」から成る一四種類の殺虫液(第1表)が示されている。

(3) 右実施例及び比較例のそれぞれについて、容器に入れ、表面温度一四五℃の発熱体に通電して吸液芯の上側面部を一三五℃に加熱し、組成物資料の蒸散試験を行った。

(4) その結果(第2表)からは、「本発明蒸散性持続化剤を配合した殺虫液組成物を使用する加熱蒸散殺虫方法によれば、殺虫剤揮散量を顕著に向上でき、しかもこの向上された揮散量を、加熱開始より四〇〇時間後も殆ど低下させることなく持続発現させ得ることが明白である。」(【0035】)

4  次に、後掲各証拠によれば、B発明の出願日(すなわち原出願の日)の前には、当該技術分野において、次の技術が公知であったものと認められる。

(一) 吸液芯吸上型の間接加熱用加熱装置及びこれと一体をなす吸液芯付容器(乙1、2、30)。

(二) BHT等が殺虫剤を含む有機化合物の酸化反応及び重合反応を防止する機能を有すること(乙33ないし乙41)。

(三) 電気蚊取り用マットについて、①殺虫液の熱分解を防止するためにBHT等を添加して高い有効揮散率を達成すること(乙43、45)、②殺虫剤有効成分であるピレスロイドは安定性が低いことから、保存中の安定性を高めるために安定剤としてBHT等を配合すること(乙44)。

(四) 吸液芯吸上方式の加熱蒸散殺虫方法用殺虫液において、脂肪族炭化水素その他の脂肪族系の溶媒を使用すること(乙1、24)。

一方、右当時、吸液芯吸上式の加熱蒸散殺虫方法においては、長時間使用した場合に吸液芯の加熱蒸散部に殺虫剤の熱分解重合のために目詰まりが生じ、殺虫液の吸上量が減少し、蒸散量が減少する問題点があった(乙31)。

5  前記3でのB発明の明細書の記載からすれば、B発明において、吸液芯の目詰まりを回避し、殺虫剤の蒸散性を向上させるという作用効果は、殺虫液にBHT等の化合物を添加させる構成によって得られているものと認められ、その余の殺虫液の構成(殺虫剤及び溶剤)、加熱装置、発熱体、吸液芯については、公知のものを前提としていると解される。

そして、前記4での公知技術からすれば、このようなBHT等の配合は、マット式の加熱蒸散殺虫方法においては高い有効揮散率を達成する手段として知られていたが、それを既知の吸液芯吸上式間接加熱蒸散殺虫方法に適用した場合に、吸液芯の目詰まりを回避して殺虫剤の蒸発性を向上させる効果を有することは知られていなかったものと認められ、B発明は、その知見を得た上で加熱蒸散用容器等を提供した点に特徴を有するものであると解される。

6  ところで、前記3(一)のB明細書の記載からすれば、吸液芯吸上式の間接加熱蒸散殺虫方法においては、①容器に入れられた殺虫剤の溶剤溶液が吸液芯によりその上部に吸い上げられ、間接加熱により吸液芯の上部から殺虫液が揮散すること、②しかし吸液芯の加熱によって殺虫剤よりも溶剤の方が速く揮散するために吸液芯の内部に殺虫剤が濃縮して目詰まりが生じること、③このような問題点が生じる原因としては、芯の種類や溶剤の種類のほか、種々のものが考えられることが認められる。

このような吸液芯吸上方式による間接加熱蒸散殺虫方法の原理からすれば、殺虫液の溶媒の性質は、吸液芯に目詰まりを防止し、殺虫剤の蒸散性を向上させるという作用効果に対して重大な影響を与える要素であるというべきである。したがって、B発明の特許請求の範囲には単に「殺虫液」としか記載されていないが、その「殺虫液」の範囲は、それを構成する溶媒について、B明細書の記載から当該技術分野における通常の技術的知識を有する者が、BHT等の化合物を添加した場合に吸液芯の目詰まりを回避して殺虫剤の蒸散性を向上させるという作用効果を奏すると理解し得るものに限定されると解するのが相当である。

7  そこで次に、イ号殺虫液のように、溶媒として水を26.5パーセント含有するものが、B発明の「殺虫液」の要件を充足するか否かについて検討する。

(一) B明細書における溶媒に関する記載は、前記3(四)のとおりであって、脂肪族系炭化水素を初めとする有機溶剤が溶媒として開示されているにとどまる。また、実施例及び比較例においても、脂肪族系の溶剤のうち脂肪族炭化水素のみを溶剤とする殺虫液のみが開示され、それらについてのみ殺虫剤の蒸散持続性が確認されている。そして、一般に「有機溶媒」とは、「物質を溶解させるのに用いる液体状又は比較的融点の低い固体状の有機化合物の総称」とされ(東京化学同人「化学大辞典」。なお前記のとおり溶剤と溶媒とは同義語である。)、水が有機化合物に含まれないことは明らかであり、明細書の他の箇所においても、溶剤が水を含有する場合について示唆する記載はない。

また、前記4(四)のとおり、有機溶剤を吸液芯方式の間接加熱蒸散用殺虫液の溶媒として用いることはB発明の出願日前から公知であったと認められるが、本件全証拠によっても、水を溶媒に含む殺虫液を吸液芯吸上方式の間接加熱蒸散殺虫方法に使用することが公知であったとは認められない。

そうすると、前記のとおりB発明は、マット方式の殺虫方法について殺虫液の熱分解や酸化分解を防止する添加物として知られていたBHT等の化合物を吸液芯方式間接加熱蒸散殺虫方法に用いることによって、殺虫剤の揮散持続性が向上することを見出した点に特徴を有するものであり、また、B発明において溶媒は作用効果に重大な影響を与える要素であると考えられることからすれば、公知の溶媒でもなく、明細書にも何ら示唆のない水を溶媒として含む場合についてまで、所期の作用効果を得られると当業者が理解し得るとは考え難い(しかも、乙59〔35頁〕によれば、原出願に係る発明についてではあるが、明細書の実施例19、23及び24〔乙4及び甲29によればこれはB明細書における各実施例と同一である。〕と同様の吸液芯用殺虫組成物を作成し、吸液芯を利用した吸上式加熱蒸散型殺虫装置に適用したものでさえ、殺虫剤の揮散性持続効果を奏しないものが含まれていたことが認められる。)。

(二) また、乙26は、平成六年四月七日に原告が出願した発明に係る公開特許公報であるが、その「発明が解決しようとする課題」の欄においては、水を溶媒とする殺虫液(水性薬剤)について、「加熱蒸散用水性薬剤としては、①水及び殺虫化合物との溶剤の相溶性、②加熱蒸散時の蒸散性、の二つの大きな問題点を解決しなければならない。とりわけ②については、加熱蒸散用水性薬剤を吸液芯を使用して加熱蒸散させた場合に、蒸散開始から二〇日間を過ぎると急激に有効揮散率が低下する現象を生じるが、これは芯の目詰まりが起きているものと考えられ、このため吸液芯を使用する加熱蒸散方法を二〇日以上の長期にわたり使用するには適さなかった。加熱蒸散用水性薬剤を使用する場合においても、油性有機溶剤を用いている従来の加熱蒸散用薬剤と同程度の期間、長期にわたって使用できることが要求される。そのために、長期にわたって使用できる溶剤、添加剤などの選択、或いはその組成割合の選定を行うことが必要である。」(【0006】)とされているのであって、平成六年四月時点においても、水を溶媒として用いる場合に殺虫剤の蒸散性持続の効果を奏するためには、油性有機溶剤とは異なった考慮が必要である旨が原告自身の認識として示されている。

このような原告の認識は、当事者の認識と一致するものと考えられるところ、右の認識からしても、前記のようなB明細書の記載から水を溶媒として含む場合についてまで、所期の作用効果を得られると当業者が理解し得るとは考え難いところである。

(三) この点について原告は、水は単なる付加物にすぎず、イ号殺虫液と同じ割合でフラメトリンとブチルジグリコールと水を配合した試料について行った実験においても、BHTの配合によって殺虫剤の揮散持続性が向上する効果が得られたとして、甲30ないし32及び甲40を挙示する。

しかし、まず甲30及び31の実験の試料は、水が全体の五〇パーセント含有されているものであって、明らかにイ号殺虫液とはその構成を異にする。また、甲32の実験は、殺虫液を含むイ号ボトルの重量の経時的変化を測定したものにすぎず、直接に殺虫剤の揮散持続性を検証するものではない。

次に甲40については、試料の構成をほぼイ号殺虫液と同じくした上で、BHTを含有しないもの(調整品A)と0.5パーセント含有するもの(調整品B)について、一〇時間経過後、一一〇時間経過後、一七〇時間経過後、二九〇時間経過後、三九〇時間経過後、四七〇時間経過後、五九〇時間経過後における二時間当たりの殺虫剤の揮散量を測定したものである。同証拠中の表三―一は右測定結果を示したものであるが、そこから調整品A及びBの各経過時における測定揮散量の平均値の推移を抽出して表にした上、グラフ化すると別紙揮散量経過表のとおりとなる。そして、これによれば、たしかに両試料の揮散量は常に調整品Bの方が多くなっている。しかし、子細に検討すると、両者の差は加熱から一〇時間経過した時点で既に0.45〔MG/2H〕の差が生じているが、一〇時間しか経過していない時点で既に目詰まりによる差が生じるとは考え難い上に、B明細書第2表においても、比較例と実施例の間において一〇時間経過時点での揮散量はほぼ同じ範囲内にあることからすれば、一〇時間経過時点での差はBHTの配合による目詰まりの有無以外の要因によるもの(乙68では吸液芯の差が影響を与えることが示唆されている。)と考えるのが相当である。そうすると、それ以後の両試料の揮散量がどのように変化したかが重要になるところ、両試料の揮散量はほぼ同様の変化を示しつつ時間の経過によってむしろ差を縮めているのであって、B明細書第2表の実施例及び比較例の場合と比較すると、両試料による揮散持続性に差異があるとは認め難い(特にB明細書【0035】では加熱開始から四〇〇時間経過後の揮散量に着目している。)。甲40では、別の観点からも揮散持続性の相違を検討しているが(表三―二及び表三―三)、それらはB明細書第2表での効果の検証方法とは異なり、採用できない。

加えて乙61によれば、甲40とほぼ同様の試料及び方法で行った実験について、BHTの添加の有無によって揮散持続性に差がない結果が示されている。

したがって、イ号殺虫液が、BHTの添加による蒸散性の向上というB発明の作用効果を奏しているとは認められず、原告の主張は採用できない。

(四) 以上によれば、イ号ボトル中の殺虫液のように、26.5パーセントの水を溶媒として含む場合はB発明の「殺虫剤」に含まれず、現に右殺虫液はB発明の作用効果を奏してもいないのであるから、イ号セット及びイ号ボトルは、B発明の技術的範囲に属しない。

二  次に、A発明に関する争点1(一)(A発明における「溶媒」)について検討する。

1  イ号殺虫液の構成は、前記一1のとおり、水を溶媒として26.5パーセント含むものであるが、このような場合にも、A発明の「溶媒」に該当するかについて検討する。

2  この点について、A発明の特許請求の範囲においては、殺虫液に含まれる溶媒として脂肪族系の溶剤を含む且つ以下に記載の発熱体及び吸液芯の表面温度で蒸散するものを用い」とあるのみで、特に溶媒から水を含む場所を除外する旨の記載はない。

しかし、被告は、「溶媒」は水を溶媒として含むものは含まれないと主張するので、この主張について次に検討する。

3  明細書の記載について

甲1及び甲18によれば、A明細書には、次の記載があることが認められる。

(一) 従来技術とその問題点について

(1) 「長期に亘り殺虫効果を持続させ得る加熱蒸散方法として、殺虫剤を溶液形態で吸上芯(吸液芯)により吸上げつつこれを加熱蒸散させる方法が考えられ、事実このような吸液芯利用による殺虫剤蒸散装置が種々提案されている。これら装置は適当な容器に殺虫剤の溶剤溶液を入れ、これをフェルト等の吸液芯を利用して吸上げつつ該吸液芯上部より加熱蒸散させるべくしたものである。」(A明細書【0003】)

(2) 「しかしながらかかる吸上式加熱蒸散型殺虫装置は、実際にこれを用いた場合、いずれも吸液芯の加熱によって殺虫剤液を構成する溶剤が速やかに揮散し、該芯内部で殺虫剤液が次第に濃縮され、樹脂化したり、芯材が燻焼したりして、目づまりを起し引続く殺虫液の吸上げ及び蒸散を不能とし、長期に亘る持続効果は発揮できず、しかも殺虫効果の経時的低下を避け得ず、更に有効揮散率が低く残存率も高いものであった。このような吸上芯利用による加熱蒸散方法に見られる各種の弊害の生ずる原因としては、芯の種類及び溶剤の種類は勿論のこと、殺虫剤の種類、濃度、加熱条件の多数が考えられ、上記弊害を解消することは困難であると考えられた。」(同【0004】)

(二) 発明の目的について

「本発明は吸上式加熱蒸散型殺虫装置を利用して、吸液芯の目づまり等を回避し、長期に亘る持続的殺虫効果を奏し得、しかも殺虫剤総揮散量及び有効揮散率の向上を計り得る改良された加熱蒸散殺虫方法を提供することを目的とする。」(同【0005】)

(三) 殺虫液の殺虫剤について

「本発明方法において殺虫剤としては、従来より害虫駆除に用いられる各種薬剤をいずれも使用できる。」(同【0009】)

(四) 殺虫液の溶剤について

「上記殺虫剤は溶液形態に調製される。該殺虫剤溶液を調製するための溶剤としては、各種の有機溶剤、代表的には炭化水素系溶剤をいずれも使用できる……上記炭化水素系以外の有機溶剤としては、例えばグリセリン……等を例示できる。」(同【0012】)

(五) 殺虫剤に添加する化合物について

「本発明に用いられる吸液芯用殺虫液組成物は、上記殺虫剤の有機溶媒溶液中に、以下の化合物群から選ばれた少なくとも一種を目づまり防止剤として添加配合することができる。」(同【0014】)

(六) 加熱装置について

「本発明方法に利用できる上記装置は、例えば特公昭五二―一二一〇六号公報、実開昭五八―四五六七〇号公報等に記載されている。」(同【0017】)

(七) 加熱装置に用いられる吸液芯について

「上記装置に利用される吸液芯1としては、通常用いられる各種素材……のいずれでもよく……」(同【0019】)

(八) 加熱装置に用いられる発熱体について

「また上記装置に利用される発熱体としては、通常通電により発熱する発熱体が汎用されているが、これに限定されることなく、……公知のいかなる発熱体であってもかまわない。」(同【0020】)

(九) 加熱方法について

「上記吸液芯用殺虫液組成物を上記装置に適用して殺虫を行なう本発明方法は、上記組成物が吸液芯より蒸散し得る適当な温度に吸液芯を加熱することにより実施される。該加熱温度は、殺虫剤の種類等に応じて適宜に決定され、特に限定されないが、通常約七〇〜一五〇℃、好ましくは一三五〜一四五℃の範囲の発熱体表面温度とされ、これは吸液芯表面温度約六〇〜一三五℃、好ましくは約一二〇〜一三〇℃に相当する。」(同【0021】)

(一〇) 効果について

「かくして、本発明方法によれば、吸液芯の目づまりを確実に回避して、充分な殺虫効果を奏し得る殺虫剤濃度をもって殺虫剤を長期間持続して揮散させ得る」(同【0022】)

(一一) 実施例について

(1) 実施例としては、①一四種類の「殺虫剤」と、沸点の異なる六種類の脂肪族炭化水素又はその混合物から成る「溶剤」に、BHT等の六種類の所定の「化合物」を添加した六四種類の殺虫液(実施例15ないし78)、②一一種類の「殺虫剤」と、沸点の異なる四種類の脂肪族炭化水素の「溶剤」から成る一四種類の殺虫液(実施例1ないし14)が示されている(第1表)。

右実施例について、容器に入れ、表面温度一四五℃の発熱体に通電して吸液芯の上側面部を一三五℃に加熱し、組成物資料の蒸散試験を行った。

実施例1ないし20の結果(第2表)からは、「本発明組成物を利用する時には、殺虫剤揮散量を顕著に向上でき、しかもこの向上された揮散量を、加熱開始より二〇〇時間後及び四〇〇時間後も殆ど低下させることなく持続発現させ得ることが明白である。」(同【0035】)

(2) また、殺虫剤(ブラレトリン)と有機溶剤(特定の脂肪族炭化水素)によって調整した殺虫液について、発熱体の表面温度と吸液芯の表面温度とが所定温度となるように種々変化させて吸液芯を加熱し、該加熱による組成物中の殺虫剤の蒸散試験を行い、経時的な揮散量の推移を調べた(同【0036】)。

その結果(第3表)からは、「吸液芯の表面温度は満足するが発熱体温度が本発明範囲を外れる場合、殺虫剤揮散量が少なすぎて有効濃度に達しないばかりか、該揮散量にバラツキの生じることが判る。また、発熱体温度は満足するが吸液芯表面温度が本発明範囲を外れる場合、……一〇時間までの間は殺虫剤揮散量が多すぎ、逆に一五〇時間までの間は殺虫剤揮散量が少なすぎ、二〇〇時間までの間はほとんど揮散していないことが判る。之等に対して、発熱体温度及び吸液芯表面温度の両者を満足する本発明の場合、素晴らしい効果が得られることが明らかである。」(同【0039】)。

4  出願経過について

(一) A発明は、平成五年九月一〇日に出願公告されたが、このときの特許請求の範囲及び明細書の記載は、次のとおりであった(A公報1)。

(1) 特許請求の範囲

「【請求項1】殺虫液中に吸液芯の一部を浸漬して該芯に殺虫液を吸液させると共に、該芯の上部を間接加熱して吸液された殺虫液を蒸散させる加熱蒸散殺虫方法において、表面温度が七〇〜一五〇℃の発熱体にて上記芯の上部を表面温度が一三五℃以下となる温度に間接加熱することを特徴とする加熱蒸散殺虫方法」

(2) 明細書中の発明の詳細な説明の記載

前記3の記載とほぼ同じ。

(二) これに対して同年一一月四日以降、被告を含む四者からの特許異議が申し立てられた。これに対して原告は、平成六年九月五日付けで手続補正を行った(この内容は、特許請求の範囲中【請求項2】及び【請求項4】が補正された以外には証拠上定かでない。)が、平成八年三月八日、特許異議を理由あるものとする決定がなされ、同日、拒絶査定がなされた(乙22)。

右特許異議決定の理由は、A発明は公知文献に示された発明に基づいて容易に発明をすることができるものと認められるとの点にあったが、同時に次のように述べられていた。「なお、本願発明について主張されている、吸液芯の目詰まり等の回避、長期に亘る持続的殺虫効果の維持、殺虫剤総揮散量及び有効揮散率の向上という効果は、いずれも、芯の種類、溶剤の種類、殺虫剤の種類、濃度、加熱条件等の多数の条件により左右されることが知られているから、本願発明の実施例で示されている効果は、他の要素の移管にかかわらず、本願発明の発熱体の表面温度と被加熱部分の表面温度の特定の組合せのみで実現しているものとは認められないので、この効果が本願発明の効果であるとは認められない。」

(三) 原告は、平成八年四月五日、拒絶査定に対する審判を申し立て、その後平成九年八月二六日付けで特許請求の範囲を現在のものとする手続補正を行い(甲18)、右補正に係る特許請求の範囲によって、平成九年一〇月二二日、特許査定をする旨の審議がなされた(甲19)。

ところで、右補正に先立つ平成九年七月一八日、拒絶査定に対する審判を担当する審判官と原告の代理人弁護士との間で電話による連絡が行われ、審判官から原告代理人に対し、特許請求の範囲に関する補正案において、溶媒についての「脂肪族系の溶剤」という表現を「脂肪族炭化水素」とするよう示唆がなされた(乙23)。これに対して原告代理人は、同月二九日に意見書(乙24)を提出し、A発明の出願当時においても加熱蒸散殺虫方法に使用する殺虫剤用溶剤として種々のものが知られており、当初明細書に記載された比較例に記載された内容から、当業者であれば、本願出願当時加熱蒸散殺虫方法用殺虫剤に使用される溶剤として周知であったアルコール類やエーテル等の脂肪族系の溶剤を使用することを想到することは明らかであること、当初明細書から脂肪系族の種々の溶剤が記載されていたことを指摘して、脂肪族系の溶剤を使用することを特許請求の範囲に記載することは要旨変更とはならない旨の意見を述べた。

そして、右審判の審決(甲19)では、「本願発明においては、発熱体の表面温度を特定範囲のものとすることをも含めた上記構成を採用することにより、少なくとも一〇〇時間程度といった一定期間、吸液芯の目詰りを回避しつつ、殺虫効果を持続させるという、上記引用例記載の発明と比較して優れた効果が奏せられることは、明細書に記載されたとおりである」と説示された。(以上(二)及び(三)につき乙27にも基づく。)

5  以上に基づいて検討する。

(一) 前記A明細書の記載及び出願経過からすれば、A発明は、吸液芯方式の加熱蒸散殺虫方法において、一定の条件の下において発熱体と吸液芯表面温度を一定の範囲で組み合わせることによって、少なくとも一〇〇時間程度といった一定期間、吸液芯の目詰まりを回避して殺虫剤の蒸散性を持続させる効果を実現する点を要旨とする発明であるということができる。

ところで、前記4のとおりの特許異議決定、拒絶査定並びに平成九年八月二六日付手続補正に至る経緯及びその内容からすれば、右手続補正において、特許請求の範囲の記載に殺虫剤、溶媒及び吸液芯に関する構成が追加・特定されたのは、特許異議決定において、殺虫剤の揮散持続性の向上という効果は多数の要素によって左右されるから、発熱体の表面温度と吸液芯の表面温度との組合せのみによって右効果が実現されているとは認められないとされたことに対応するものであるものと考えられる。したがって、A発明の構成においてそれらの要素を特定することの技術的意義は、A発明の構成中の発熱体及び吸液芯表面の各温度を設定することが殺虫液の揮散持続性向上という効果を奏するための必須の条件を設定する点にあると解するのが相当である。

そして、このように解することは、右手続補正直前の審判官と原告代理人とのやりとりにおいて、審判官が、溶媒の内容を脂肪族炭化水素(明細書Aの実施例によって効果が裏付けられている溶媒はこれだけである。)に限定するよう示唆したのに対し、原告代理人が公知技術等を示して、当業者であれば公知の脂肪族系の溶剤一般についても想到することは明らかである旨の意見を述べ、結局、原告代理人の意見に沿う形で特許査定がされたという経緯からしても首肯し得るところである。

(二) しかるところ、吸液芯方式の加熱蒸散殺虫方法における殺虫剤の揮散持続性向上という効果を奏するか否かに当たって、殺虫液の溶媒が重大な影響を与えると考えられることは、先にB発明の検討において述べたとおりであるが、この理は、乙22の特許異議決定においても述べられているとおり、発熱体及び吸液芯表面の加熱温度と殺虫剤の揮散持続性との関係を考える場合でも同様に妥当するものである。そして、そのような状況の下で、明細書Aにおいては、脂肪族炭化水素のみを溶媒とする場合についてのみ実施例によってその効果が確認され、出願経過に照らしても、せいぜい出願日前から公知の有機溶剤についてその適用が考慮されたにすぎない。してみれば、先にB発明の明細書の記載等から26.5パーセントの水を溶媒に含む殺虫液がB発明の「殺虫液」に含まれないと解すべき旨述べたのと同様の趣旨により、A発明の特許請求の範囲においては、溶媒に関しては「脂肪族系の溶媒を含み」とのみあるが、少なくともイ号殺虫液のように溶媒として26.5パーセントの水を含有する場合は含まれないと解するのが相当である。

この点について原告は、イ号殺虫液の溶媒であるブチルジグリコールが脂肪族系の溶剤である以上、水は単なる付加物であって、利用関係が成立するにすぎないと主張するが、先に一7で述べたところからすれば、26.5パーセントの水を溶媒として含む場合には、もはや質的に異なる溶媒となっていると見るべきである上に、イ号殺虫液の場合にもA発明の効果を奏していると認めるに足りる証拠もないから、原告の右主張は採用できない。

6  したがって、イ号セット及びイ号ボトルを使用するイ号方法は、A発明の技術的範囲に属せず、イ号セット及びイ号ボトルを製造販売する行為は、A発明の間接侵害とならない。

第五  結論

以上によれば、その余について判断するまでもなく、原告の請求は理由がないから、主文のとおり判決する。

別紙

目録<省略>

揮散量経過表<省略>

特許公報<省略>

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