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大阪地方裁判所 平成10年(ワ)3014号 判決 1999年10月04日

原告

西出正治

右訴訟代理人弁護士

林千春

被告

東海旅客鉄道株式会社

右訴訟代理人弁護士

佐治良三

後藤武夫

加藤茂

中町誠

中山慈夫

主文

一  原告が、被告に対し、従業員としての雇用契約上の権利を有することを確認する。

二  被告は、原告に対し、金一四二万一七六七円及び平成一〇年四月一日以降本判決確定に至るまで毎月二五日限り金三九万三五二五円を支払え。

三  訴訟費用は被告の負担とする。

四  この判決は、第二項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

主文同旨

第二事案の概要

一  本件は、病気休職中であった原告が、復職の意思を表示しかつ現実に復職可能であるにもかかわらず、被告が、原告を、休職期間満了による退職扱いとしたことが、就業規則、労働協約等に違反し無効であるとして、原告が、被告に対し、従業員としての地位確認並びに未払い及び将来分の賃金の支払を求める事案である。

二  前提事実(特に掲記する他は争いがない事実)

1  当事者

原告は、昭和四一年四月一日、国鉄に準職員として採用され、同年一〇月一日付けで職員となり、天王寺鉄道管理局奈良運転所に配属となった後、昭和四七年六月二六日、新幹線総局大阪運転所車両掛けに転勤し、昭和六〇年三月一八日、新幹線エンジニアリング株式会社へ派遣となり、昭和六二年四月一日、国鉄の民営化により発足した被告に採用されてその社員となった。原告は、被告の社員となった後も、新幹線運行本部大阪第一運転所車両技術係兼総務部総務課勤務として引き続き新幹線エンジニアリング株式会社へ出向となり、新幹線車両の車両修繕業務等に従事した。同年六月一日、出向を免ぜられ大阪第一運転所に復職し、同年一〇月一日、組織改正に伴い大阪第二車両所車両技術係りとなり、平成六年六月一五日に本件発症(後述)で入院するまで、大阪第二車両所(以下「大二両」という。)で、新幹線車両の交番検査業務に従事していた。また原告は、昭和六三年三月一日付けで車両技術主任に昇進した。

また原告は、JR東海労働組合(以下「JR東海労」という)(ママ)の組合員であり、同組合新幹線地方本部大阪第二車両所分会(後に新幹線関西地方本部大阪第二車両所分会に組織変更)に所属し、本件発病(後述)の当時同分会分会長の職にあった(<証拠略>)。

他方、被告は、昭和六二年四月一日、国鉄の分割民営化に伴い発足した東海道新幹線をはじめとする旅客鉄道輸送等を業とする株式会社であり、愛知県名古屋市中村区内に本社がある。名古屋市に東海鉄道事業部、東京都に新幹線鉄道事業部、静岡市及び大阪市に支社があり、原告が勤務していた大二両は、右新幹線鉄道事業本部関西支社(以下「関西支社」という。)の下にある新幹線車両の検査等を行う現業部門である。

2  被告における病気休職者の扱い

(一) 就業規則

被告の就業規則では、事由別に八種類の休職制度を規定し、その中で社員が、業務災害又は通勤災害に起因する以外の傷病(以下「私傷病」という。)により引き続き九〇日間(勤続一〇年以上の社員は一八〇日間)欠勤し、なお、就業できないと認めた場合は「病気休職」を命ずることとしている(第三一条)。この病気休職の期間は三年以内とされ(第三二条)、休職者は社員としての地位を保有するが、その職務に従事しないとする(第三三条)。そして医師の診断書(会社の指定する医師の診断書を添える)に基づいて、傷病が治癒したことを会社が認めた場合に七日以内に復職を命ずることとし、休職期間満了後なお復職できない場合は第四一条第一項第二号の規定により退職することとされている(第三四条一項、二項)。

さらに、休職期間について、三年を超えない範囲内において、休養を要する程度に応じて定めることとするとともに、その休職期間が終了してもなお引き続き休養が必要と認められる場合には、休職期間を通算して三年を超えない範囲内において延長することとし(第三六条)、休職及び復職の判定は、会社の休職及び復職判定委員会(以下「判定委員会」という。)の判定に基づき会社が決定することとしている(第四〇条)。

(二) 基本協約の規定

平成三年八月三〇日、JR東海労と被告との間で総合労働協約として「基本協約」が締結された。この基本協約において、病気休職について第二章第三節第一二条以下で規定されているが、内容は被告の就業規則と同内容であり、現在(口頭弁論終結時)まで全く同様の規定である。

(三) 判定委員会規程

被告は、就業規則の規定に基づき、判定委員会規程を定めている。具体的には、被告のJR東海総合病院に判定委員会を設置し、委員長及び部内委員及び部外委員各一名で組織することとし、委員長に同病院の副院長を、部内委員に同病院の保健管理部長を、部外委員に委員長が選定し被告が嘱託として委嘱した者を、それぞれあて、また部外委員は精神障害者に対する判定を行う場合に出席を求めることとなっている(第二条)。判定方法としては、委員長及び委員の合議によることとされ、当該社員から提出のあった関係書類のほか、必要により主治医等関係者の意見を参考に判定を行う事ができることとなっている(第四条)。委員会の召集については、必要の都度、委員長が召集することとし、委員長が必要と認める場合は、主治医等関係者の出席を求めることができる(第五条)。開催手続について、勤務箇所長は、社員が病気休職となる場合及び病気休職中の社員が復職しようとする場合は、その三〇日前までに、当該社員から精密診断書等の関係書類の提出を受けた後、速やかに所属長に提出することとし、所属長は勤務箇所長から提出を受けた関係書類を添付して委員長に判定委員会の開催を要請することになっている。

3  原告の本件発症から病気休職発令さらに退職に至るまでの診断等の経緯

(一) 原告の血圧は、平成五年六月八日の定期健康診断で、最高血圧一五四、最低血圧九六であり、平成六年六月九日の定期健康診断では、最高血圧一六〇、最低血圧一〇〇であった。

(二) 原告は、平成六年六月一五日、大二両において交番検査上回り(客室内)作業中、JR東海六号車の座席に座り込んだため、救急車で大阪府摂津市内の昭和病院に運ばれ、脳内出血と診断され入院した(以下「本件発症」という。)。昭和病院の初診では、原告の意識レベルはJCSの分類でⅢ―一〇〇、右片麻痺2\5、失語症を呈し、頭部CTにより左視床出血が認められ、保存的治療を受けた(JCS{Japann Coma Scale}とは、意識障害の分類で、Ⅲ度は障害の程度がもっとも重く刺激しても覚醒しない障害である。Ⅲ度のうち一〇〇は痛み刺激をはらいのける動作をするものである。右片麻痺については後述)。

その後、同年八月八日に自宅のある三重県上野市内の岡波総合病院へ転院し、同年九月二七日に同病院を退院後、自宅療養と通院治療となった。

原告は、引き続き私傷病欠勤として欠勤し、欠勤日数が一八〇日を超えることになったため、同年一一月三〇日付けの精密診断書を会社に提出した。同日時点での原告の症状は、脳内出血(左視床出血)、内服加療、自宅安静で<1>右片麻痺4\5、<2>構語障害、<3>複視の後遺症が認められた。同年一二月八日精密診断書に基づいて判定委員会が開催され、「治療六ヶ月を要する。」と判定された。被告は、この判定を基に同年一二月一三日付けで病気休職を発令し、休職期間を平成七年六月一二日までとした。

(三) その後、休職期間の終了が近づく毎に原告から精密診断書が提出され、その都度判定委員会が開催され、その判定結果に基づいて病気休職期間の更新が行われた(平成七年五月一六日付けの精密診断書では、自宅安静で右<1>から<3>までの後遺症に加えて右感覚障害が認められるとされており、判定委員会は治療六ヶ月を要すると判断した。同年一一月一五日付けの精密診断書では、同じく右<1>から<3>の後遺症が認められ、日常生活は問題がないとされていた。判定委員会は脳出血の後遺症と高血圧があるため、治療継続三ヶ月と判断した。平成八年二月二三日付け、五月七日付け、一一月二一日付けの精密診断書では右<1>から<3>の後遺症に変化はなく、軽作業なら可能とされていた。判定委員会は後遺症が残存しているため治療継続と判断した。)。

原告は、平成九年四月二五日付けで、病気休職発令時と同様に「自宅安静が必要と認める」と診断された精密診断書(以下「四月二五日付け精密診断書」という。)を提出し、被告は、これに基づいて同年五月二一日に判定委員会を開催し、同委員会で「治療六ヶ月自宅安静加療が必要」と判定された結果を受けて、原告の病気休職の期間を同年一二月一二日まで更新する発令をなした。

原告は、平成九年一〇月二一日付けの精密診断書(以下「一〇月二一日付け精密診断書」という。)を提出し、右診断書には、<1>から<3>の後遺症に変化はないが、「軽作業なら行えるが右手の巧緻障害は認められる」、安静度の欄は「特別な規制はない」とされていた。被告はこれに基づいて同年一一月二〇日判定委員会を開催し、同委員会は、前回の四月二五日付け精密診断書とほとんど変化がないため「治療継続六ヶ月自宅安静が必要(加療)」と判定した。被告は、この結果を受けて、同月二七日に、休職期間が三年を超え、なお復職できないと判断し、同年一二月一三日をもって、原告を退職とすることを決定した(以下「本件退職扱い」という。)。

(四) 一〇月二一日付け精密診断書により判定した原告の後遺症は、以下のとおりである。

(1) 4\5右片麻痺

片麻痺とは、身体一側の上下肢にみられる運動麻痺である。4\5とは筋力を五段階に分けた麻痺の程度をあらわし、この場合八〇パーセントの筋力があるということである。

(2) 巧緻障害

巧緻とは、巧みでこまかいこと、精巧で緻密なことであり、原告の場合、右手を思うように細かく動かせない状態をいう。

(3) 構語障害(構音障害)

構語障害というのは、発語に関する神経や筋肉の障害によって起こり、うまくしゃべれないということである。患者自身は言葉の理解も正常で、言うことも、考えていることも正常であるが、思うように発語できない状態をいう。

(4) 複視

複視とは、左右の眼球に写る像が何らかの原因で、ひとつの像に合成できず左右眼の像がそのまま二重に見えるものである。複視には、先天性のものと後天性のものがあるが、原告の複視は脳出血による後天的なものである。

4  原告の本件発症時の給与月額は、基本給三三万五〇〇〇円、都市手当三万八五二五円、家族手当二万円の合計三九万三五二五円であった。

第(ママ)三争点

一(ママ) 原告に対する本件退職扱いの有効性(平成九年一一月二七日時点における原告の復職の可能性の有無)

二(ママ) 本件退職扱いの不当労働行為性の有無

三(ママ) 本件退職扱いの「障害者の雇用の促進に関する法律」等に対する違反の有無

第(ママ)四当事者の主張(略)

第三当裁判所の判断

一  争点1について

1  証拠(後掲)、前提事実(争いのない事実)及び弁論の全趣旨によれば以下の事実が認められる。

(一) 原告は、平成六年九月二七日、病院内でのリハビリを終了し、通院治療と自宅における日常生活でのリハビリによって機能回復訓練をおこなうため、岡波総合病院を退院した。そして退院後のリハビリとして、右足については右足首の固定化を防ぐための訓練と毎日の歩行訓練(午前三時間、午後二ないし三時間)を、右手については、畑仕事、大工仕事及びプラモデルの制作等をおこなった。

同年一一月に原告の自宅に来た大二両の当時の中川所長は、原告に対し「休職になる前に仕事に出てきなさい。場所は工具室がある。」と述べて、復帰を勧めたが、原告は当時まだ足に器具を使っていたこともあり、復帰に自信がなかったことから右申し出を断った。(<証拠・人証略>)。

(二) その後リハビリの結果、原告の後遺症は徐々に改善していった。歩行については、平成七年五月六日には一人歩きができるようになり、同年七月一一日には杖がなくとも歩けるようになり、平成八年七月には歩行が安定し改善されていた。複視については、平成七年二月四日には徐々に改善しており、平成八年八月九日には、たまに焦点があうことがあり、同年一〇月一六日には「眼球運動正常」と診断された。そして平成九年二月四日には自動車運転免許証の更新が認められている。さらに構語障害については、平成七年六月一三日には、わずかであると診断され、握力も平成八年一〇月一六日に正常との診断をうけた。加えて血圧についても、服薬によりコントロールされていた(<証拠・人証略>)。

また平成八年一月下旬には、復職にむけての準備として通勤回送に乗車すべく、鳥飼基地に行って鳥飼基地従業員証明書の発行を被告に依頼したが、原告が休職中であり、鳥飼基地の中で怪我をしても被告としては責任がとれないので困難であるとして断られた(<証拠・人証略>)。

さらに、平成九年七月三〇日には、リハビリの成果を確認すべく、妻とともに東京にいる友人のところへ旅行した(<証拠略>)。

(三) 平成九年七月一〇日、同年六月二四日付けで大二両所長に発令となった児玉所長が、社員管理上から原告に面会してその後の病状等について確認するため、原告の自宅に架電した。この時、原告が不在であったことから原告の妻と話をし、同年七月一七日か一八日に原告の自宅に伺いたいと伝えたが、原告が改めて大二両に出向くことになり、事前に原告が都合のいい日を連絡することになった。またこのとき原告の妻からJR東海総合病院での診断を希望する旨の話があった。同年七月一五日、児玉所長は、その後原告から何も連絡がないことから再度原告宅に架電し、七月一七日に名古屋へ出張するついでがあるので原告の自宅を訪れたい旨連絡したところ原告は都合が悪いので延期させて欲しいと応えた。

同日、関西支社管理部人事課へ牧野部長が職場巡視に訪れたため、打味課長が、同部長に原告の病気休職期間が同年一二月一二日で満三年になる旨を伝え、それまでの休職の状況等について説明した(<人証略>)。

(四) 同年八月六日の昼ころ、原告の妻から児玉所長に、原告と大阪まで来ているので都合がよければ面会したい旨の電話連絡があり、同日の一四時頃大二両で面会することになった。同日一三時四五分頃、原告と原告の妻が大二両を訪れ、児玉所長と大二両の仲田義明首席助役、佐々木勝彦事務助役(以下「佐々木助役」という。)の三人が、原告及びその妻と面会した。この面会において、原告の妻は、リハビリの質をさらに高めるために車両所に通わせて欲しい、職場復帰を一日でも早くさせてほしい、自分たちの意思だけでは復職は無理であることは分かっている、症状として階段の昇り降りに若干の不自由があることなどを述べた。これに対し、児玉所長は、右足首下がふらつき、地面を踏み体重をかけるまでに時間がかかるため歩行に時間がかかり、また尻をついて、両手で靴をもって靴の脱着をしており、さらに発語が明確でなく、ほとんど原告の妻が話をしているといった原告の状態をみて、原告の復職に消極的な態度を示し、やっぱり歩くときはふらっとして定まらない、身体障害者の社員も他の社員と同じ仕事をしており特別な配慮はしていないなどと述べた(<証拠・人証略>)。

(五) 同年一〇月一五日、児玉所長と佐々木助役は原告の状況を確認するため、原告と一緒に原告の主治医である三重県上野市の岡波総合病院の橋本医師と面会した。この面接時、橋本医師は、原告の症状は固定していること、保守作業に従事することは無理であるが、軽作業はできること、どこの会社でも復職させるのは義務ではないのかなどと述べた。これに対し、児玉所長は以前従事していた業務に復帰することは、無理であり、大二両では働く所はないと答えた(<証拠・人証略>)。

(六) 他方同日、牧野部長が職場巡視で関西支社を訪れた。このとき打味課長は、以前同年七月一〇日に原告からJR東海総合病院での診察を希望する旨の話があったことを児玉所長から聞いていたため、原告に同病院での診察を受けさせた方がいいか相談した結果、本人が希望すれば診察することになった。しかし、児玉所長から同年一一月一九日に電話で、同病院での診察の希望を聞かれた際に、原告は右申し出を断った(<証拠・人省略>)。

(七) 同年一〇月三一日、原告からそれまで提出されていた精密診断書とほぼ同内容の同月二一日付け精密診断書が大二両所長宛てに郵送されてきた。すなわち右精密診断書には、右片麻痺、構語障害、複視の各後遺症が記載され、また軽作業は可能であるが右手の巧緻障害があり安静度としては特別な規制はないとされていた。

同年一一月二〇日、本件判定委員会が開催され、「治療継続六ヶ月自宅安静が必要(加療)」と判定された。

同年一一月二五日、原告が、JR東海福祉会の見舞金を請求するために「病名:左視床出血、上記診断により通院加療中である。平成九年一一月一八日より更に一ヶ月間の療養を要す。」と記載された橋本医師作成の同年一一月二一日付けの診断書を提出しに大二両を訪れた。

同年一一月二七日、被告は、本件判定委員会の判定結果等に基づいて復職は不可能であると決定し、原告を、就業規則、基本協約に基づき同年一二月一三日付けで退職扱いとすることとした。

同年一二月一日、児玉所長と佐々木助役が原告の今後の生活設計のためにも会社の決定を早く伝えた方がいいと判断し、原告の自宅を訪れ、判定委員会の判定結果と一二月一三日付けで退職となることを伝え、それに必要な事務手続きを行うように求めたところ、原告が後日改めて大二両へ訪れることになった。

同年一二月一二日、原告は大二両を訪れ、「嘆願書」と題する文書を提出し、その際退職に伴う事務手続きを拒否した。

同月一七日、原告は大二両で退職発令通知等の受領は拒否したが、退職に伴う書類作成等の事務手続きを行った。この退職に伴う事務手続きは通常人であれば二、三〇分で終えることができる程度のものであったが、被告側の事務上の不手際もあったが、原告はその作成に約一時間半を要した(<証拠略>)。

2  以上の認定事実及び前提事実に基づき、平成九年一二月一三日時点での原告の復職可否を以下検討する。

(一) 原告は、その採用に際して職種を限定されてはいなかったこと、少なくとも平成九年八月六日には復職の意思を示していたことについては当事者間に争いはない。労働者が私傷病により休職となった以後に復職の意思を表示した場合、使用者はその復職の可否を判断することになるが、労働者が職種や業務内容を限定せずに雇用契約を締結している場合においては、休職前の業務について労務の提供が十全にはできないとしても、その能力、経験、地位、使用者の規模や業種、その社員の配置や異動の実情、難易等を考慮して、配置替え等により現実に配置可能な業務の有無を検討し、これがある場合には、当該労働者に右配置可能な業務を指示すべきである。そして、当該労働者が復職後の職務を限定せずに復職の意思を示している場合には、使用者から指示される右配置可能な業務について労務の提供を申し出ているものというべきである。

(二) そこで右の現実的可能性があると認められる業務の有無について検討する。

被告は、名古屋に本社があり、東京都に新幹線鉄道事業部を、静岡市及び大阪市等に支社を置き、従業員約二万二八〇〇人を要する大企業である。その事業内容も鉄道事業を中心に不動産売買等の関連事業を含め多岐にわたり、その職種も総合職(事務・技術)、一般職、運輸職(駅業務、車掌、運転士)等多様である(弁論の全趣旨)。

他方原告は、国鉄及び被告に就職後本件発症時まで、一貫して車両の検修業務に従事してきた。そして、前記認定によれば、平成九年一二月当時の原告の身体の状態は、<1>歩行については、多少のふらつきがあり、時間がかかるものの、杖なしに独立の歩行が可能であり、<2>握力も左手に比べて右手の方が弱いものの、健常人のそれと大差がなく、ただ右手指の動きが悪いため文字を書くなどの細かい作業が困難であり、<3>構語障害については、会話の相手方が十分認識出来る程度であり、<4>複視はあるものの、その程度は軽く、たまには焦点が合うこともあるというものであった。また血圧については、服薬により一定のコントロールが出来ており、やや高めながらも安定しており、健康管理を続ければ脳血管疾患の再発の危険性は少ない。

以上のような被告内での職務内容の変更状況や原告の身体の状況等を考慮した場合、原告が就労可能であったと主張する各業務のうち、少なくとも大二両における工具室での業務は就業可能であり、原告を交検業務から右工具室での業務に配置替えをすることも可能であったとするのが相当である。けだし工具室における勤務は、工具の貸出、保管業務というものであり、特別な知識、経験を必要とするものはなく、右業務については歩行や文字を書くことについて特にスピードが要請されるわけではないうえ、会話の相手方が十分認識できる程度であれば、工具の貸出、保管業務に支障をきたすとは考えられず、握力も正常の範囲内であるから一定重量の工具の貸出は可能であるからである。そしてこのことは、元大二両の所長であった中川所長が、原告に対し、復職を勧めた際に、工具室勤務を考えていると述べていたことなどからも認めうるところである。

(三) これに対し被告は、同場所での勤務は重量物の運搬、作業車両の運転等多岐にわたる業務であり、「右中度片麻痺」「複視」の後遺症がある原告に従事させうる業務ではない、また原告が指摘する障害のある社員や病弱な社員については、病気や障害と関係なく配属された者であるか、あるいは障害のため配属された者についても、その程度は原告の後遺症に比較すれば軽く、これらの者と原告を同じに評価しえないと主張する。

しかし、重量物の運搬については、一〇月二一日付け精密診断書によれば、原告の右片麻痺の程度は4\5であり八〇パーセントの筋力はあるとされていること、工具の貸出は、平成一〇年一一月以降工具室の担当者が必ずしも行わなくともよくなっており、実質上同様の業務方式の形態は右変更以前からおこなわれていたと認められること(<人証略>)、また車両の運転については、原告の複視の程度は軽く、自動車の運転免許の更新も出来ており、ターレット(運搬車)の運転もできなくはないと考えられ、その相当部分が可能であると認められ、特段工具室における業務に支障を生じるものではない。原告が行うことのできない作業があるとしても、身体障害等によって、従前の業務に対する労務提供を十全にはできなくなった場合に、他の業務においても健常者と同じ密度と速度の労務提供を要求すれば労務提供が可能な業務はあり得なくなるのであって、雇用契約における信義則からすれば、使用者はその企業の規模や社員の配置、異動の可能性、職務分担、変更の可能性から能力に応じた職務を分担させる工夫をすべきであり、被告においても、例えば重量物の取り扱いを除外したり、仕事量によっては複数の人員を配置して共同して作業させ、また工具等の現実の搬出搬入は貸出を受ける者に担当させるなどが考えられ、被告の企業規模から見て、被告がこのような対応を取り得ない事情は窺えない。そうであれば、少なくとも工具室における業務について原告を配置することは可能であり、原告について配置可能な業務はないとする被告の右主張は採用できないところである。

(四) 本件判定委員会は、一〇月二一日付け精密診断書とそれ以前の精密診断書に基づき、原告について、復職が出来ないとして「治療継続六ヶ月自宅安静が必要(加療)」と判定している。しかし、右復職不可との判定は、四月二五日付け精密診断書においては、現在の安静度が「自宅安静」とされていたのに対し、一〇月二一日付け精密診断書では、安静度について「特別な規制はない」とされており、四月時点よりも改善しているにもかかわらず、症状に変化がないとして五月二一日時点と同じ判定をしていること、判定委員会ではすでに平成八年二月二三日付けの精密診断書が提出された時点で原告の後遺症は固定していると判断していたこと(<人証略>)及び原告の血圧は投薬によりコントロールされており、新たな業務であるといっても工具室勤務については、その業務内容から特にストレスがかかるものとは認められないこと等に照らし、正当なものであったとはいえない。

被告は、平成九年一一月二一日付けの同年一一月一八日よりさらに一ヶ月の療養を要するとの橋本医師の診断書をもって、右本件判定委員会の判断が正当であったと主張するが、同診断書はJR東海福祉会の見舞金を受け取るために毎月提出されているものであり、橋本医師が、会社に復帰できず、無断欠勤とならないために書いて欲しいという原告の要望により書いたものであり、一〇月二一日付け精密診断書の方が正しいと証言していることに照らし、被告の右主張は採用しえない。

(五) 以上より、原告が休職期間中に復職ができないとした被告の判断は、右誤った本件判定委員会の判断に基づくものであること、前述のとおり当時の原告の状態からして客観的には少なくとも工具室勤務は可能な状態であったこと、前述のとおり、児玉所長らが、橋本医師から原告の症状が固定し、軽作業等可能であるとの判断も聞き、また右のような原告の状態をみているにもかかわらず、判定委員会の結論が出る以前において、復職させる場所がないとの判断を先行させていることに照らし、その判断に誤りがあるものといわざるを得ない。

従って、現実に復職可能な勤務場所があり、本人が復職の意思を表明しているにもかかわらず、復職不可とした被告の判断には誤りがあると言わざるを得ないから、被告による原告に対する本件退職扱いは就業規則に反し無効である。

二  被告による原告に対する本件退職扱いが、無効である以上、その余の点について判断するまでもなく、被告に対し、従業員たる地位の確認を求める原告の請求は理由がある。

そして原告の発症時の給料が、月額三九万三五二五円であるから(前提事実4)、平成九年一二月一三日以降平成一〇年三月末までの未払賃金の合計は、一四二万一七六七円となる(三九万三五二五円に三一分の一九を乗じたものと三九万三五二五円に三を乗じたものを加えたもの。)。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 松本哲泓 裁判官 川畑公美 裁判官 和田健)

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