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大津地方裁判所 昭和61年(ワ)537号 判決 1988年4月18日

原告

上田茂行

右訴訟代理人弁護士

井上博隆

被告

株式会社新潮社

右代表者代表取締役

佐藤亮一

被告

後藤章夫

右被告両名訴訟代理人弁護士

多賀健次郎

中村幾一

主文

一  被告株式会社新潮社は、原告に対し、「フオーカス」誌上に別紙一記載の謝罪広告を、見出し部分は四号活字、その余の部分は五号活字をもつて、本判決確定後すみやかに一回無料で掲載せよ。

二  原告に対し、被告株式会社新潮社は金一〇〇万円、被告後藤章夫は金二〇万円及び被告らは右各金員に対する昭和六一年一一月二一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告の被告らに対するその余の請求を棄却する。

四  訴訟費用は、これを五分し、その一を被告らの、その余を原告の各負担とする。

五  この判決は、第二項に限り仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告株式会社新潮社は、原告に対し、本訴判決確定後最初に同被告が発行する「フオーカス」誌上に別紙二記載の「記事取消並びに謝罪広告」を、見出しは二号活字をもつて、その他は三号活字をもつて、一回無料で掲載せよ。

2  被告らは、各自、原告に対し、金五〇〇万円及びこれに対する昭和六一年一一月二一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告らの負担とする。

4  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告は、昭和六一年七月六日施行された参議院議員選挙(以下「本件選挙」という。)滋賀選挙区の自由民主党公認候補者として立候補したものである。

(二) 被告株式会社新潮社(以下「被告会社」という。)は、週刊誌等の発行等を目的とする株式会社であつて、「フオーカス」との名称を付した週刊誌を発行しているものである。

被告後藤章夫(以下「被告後藤」という。)は、被告会社発行の週刊誌「フオーカス」編集、発行人として右週刊誌の編集及び発行に従事していたものである。

2  「フオーカス」誌上における記事の掲載と同誌の頒布

被告後藤は、被告会社の業務の執行として、編集、発行した昭和六一年六月二〇日付「フオーカス」誌(発売同月一三日頃)二四頁に、「マズシイ国のマズシイ政治―“金権候補”に“土下座候補”」なる大見出しをつけ、「で、「雌伏10年」の後、再登場した上田候補の“金権体質”は変わつたのか?「去年の春、市議クラスに50万円ずつ持つて出馬の挨拶をしてまわつた。」(保守系県議)、「この時、二階堂に1億円払つたというね。また公認料として1億5000万円払つたとも聞いている。県連段階では3人が公認申請をしていたが、結局、金の力で上田に決つた」(県連関係者)、金権体質は何一つ変わつていないというのである。」等と同週刊誌に対する匿名者の談話の形式で記事(以下「本件記事」という。)を掲載し、これを全国の不特定多数の者に販売した。

3  損害

「フオーカス」誌に本件記事が掲載されるや、原告は、支持者はもとより、知人や一般県民から追求を受け、また弁解を迫られることになつた。しかし、被告会社が有力な報道機関であつたことから、本件記事が事実無根のものであることを、この人達に納得させることは容易なことではなく、原告の社会的評価はもとより、参議院議員候補者としての資質について著しく疑問をいだかせることになり本件選挙においても大差で落選する結果となつたのであり、本件記事の掲載、頒布により原告は著しく名誉を毀損され、多大の精神的損害を被つた。以上の事情から、原告の被つた右の精神的損害に対する慰藉料は金五〇〇万円を下らない。

よつて、原告は、被告会社に対し、違法に原告に加えられた損害の賠償として、原告の名誉を回復するために「フオーカス」誌上に請求の趣旨第一項記載のとおりの謝罪広告を掲載すること並びに、被告らに対し、慰藉料金五〇〇万円及び昭和六一年一一月二一日から完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1(一)、(二)及び同2の事実は認める。

2  同3の事実は否認する。

3  なお、原告は民法七二三条に基づき、損害賠償と共に「フオーカス」誌上に「記事取消並びに謝罪広告」を求めている。

しかしながら、本件記事は、客観的資料に基く事実の報道及び事実の批判を内容としており、執筆者の事実確認並びに確認事実に基く批判が主観的に過ぎ若干客観性を欠くとしても、その取消並びに謝罪広告を求める程の違法性はない。

右の「記事取消並びに謝罪広告」の文案は被告らの思想、良心の自由に基く事実の認識、倫理的価値判断に対し、これが取消並びに謝罪を強制するものであり、最大判昭三一・七・四民集一〇・七・七八五の少数意見並びにこれを支持する学説をまつまでもなく、憲法一九条違反であり、したがつて民法七二三条所定の「適当なる処分」に該らない。

よつて、本件記事により、原告に何らかの被害を与えたとしても、その賠償の方法は本来の金銭賠償の方法に止め、「記事の取消並びに謝罪広告」による賠償請求は棄却されるべきである。

三  抗弁

本件記事は公共の利害に関する事実並びに同事実に基く論評であり、その報道目的が公益を図る目的に出た場合に該当する。そして、その報道する事実は真実であるか、本件記事作成者がその事実を真実と信ずるについて相当の理由がある。したがつて、本件記事は、違法性を欠くか、免責事由を有する。

1  本件記事の公共性及び公益性

本件記事は、当時昭和六一年七月六日施行の参議院議員選挙に滋賀選挙区の自由民主党公認候補者として立候補していた原告に係るものであつて、本件記事内容は「候補者に関する事実に係る」ものである。

2  本件記事の真実性及び真実と信ずるについての相当性

(一) 本件記事の構成は、選挙運動中の原告の写真と解説記事とからなる。

解説記事は「見出し」と「本文」とからなる。「見出し」は、本件記事の報道内容を端的に示すものであり、「マズシイ国のマズシイ政治―“金権候補”に“土下座候補”」とある。“土下座候補”は原告とは関係がない。本文記事中に、「本邦の政治劇は哀しいまでにマズシイ。」とあるように、党利党略優先の政党、人物識見よりも所謂三バン(看板、地盤、鞄)による候補者選定、手段方法を選ばぬ選挙活動は選挙制度の病弊としてつとに指摘されるところである。本件記事は昭和六一年七月の衆、参同日選挙戦にあらわれた相も変わらぬ病理現象として「“金権候補”に“土下座候補”」を報じたものである。

本文記事中において、「で、『金権体質』は変つたのか?」と疑問を投げ、その前段(一、二段目)において、原告及び原告の父訴外上田茂男(以下「茂男」という。)の従前の金権体質を略述し、後段(三、四段目)において、今回の参議院滋賀選挙区の候補者として立候補した原告の行動、県連段階における公認決定の経過から判断して「金権体質は何一つ変つていないというのである。」と信ぜざるを得ないとしたものである。

(二) 原告の過去の選挙戦における金権体質

原告は昭和四七年一二月施行の衆議院議員総選挙(以下「四七年選挙」という。)において若冠二五歳で当選した。

原告は昭和二二年四月出生、昭和四五年三月慶応大学経済学部卒業、田中角栄事務所で秘書を二年勤めた。四七年選挙において史上最年少で当選したが、徹底した金権選挙で多数の選挙違反者を出して話題を呼んだ。

当時滋賀全県区(定数五名)の現役は、自民党が山下元利(当時五一歳)、宇野宗佑(同五〇歳)、草野一郎平(同六六歳)の三人、それに民社党の西田八郎(同五〇歳)、社会党の後藤俊男(同五〇歳)であつた。自民党の山下、宇野は当確。原告が出れば草野は票の食い合いで危ない。へたをすると三議席から二議席になるかもしれないという選挙情勢であつた。

右選挙は、昭和四七年七月八日成立の第一次田中内閣のもとでの総選挙であり、原告は当初自民党の公認をとれなかつた。地元の自民党代議士が反対したからである。しかし、最終的には田中角栄首相の裁断で公認を獲得した。その裏では原告の父茂男が莫大な政治献金をしたと地元では伝えられている。当時選挙参謀として招かれた訴外奥屋英明(故矢尾喜三郎・社会党議員秘書)は選挙公認料を「二億円か、あるいはもうひとケタちがうのか?」と述べている。原告の四七年選挙出馬では、一〇億円とも二〇億円ともその資金が取り沙汰された。

四七年選挙における滋賀県全体の選挙違反の検挙数は六〇件七〇名、そのうち、上田派が五七件六六名となつている。そのひとつ、同県東浅井郡湖北町は上田派の大量選挙違反を出したことで有名になつた。一七人の町議のうち、一四人が検挙され、このうち七人が、昭和五〇年暮、大津地方裁判所で有罪を宣告された。逮捕されたなかには議長、副議長も入つていた。上田派の後援会支部長を兼ねる議長が現金やガソリンクーポン券を大量にバラまいたのである。この事件をきつかけに町民が議員リコール運動を起こし、町議側は結局総辞職する羽目に追い込まれた。保守的な風土では全く異例のことで、湖北町は一段と有名になつた。右は氷山の一角に過ぎない。右選挙前年から後援会が五〇も六〇もバタバタと作られ、ライター、ネクタイピン、フトン、コタツカバー、カバン、ハンドバックが地元有権者たちに大量に配られた。

議員秘書以外見るべき政治的経歴もない、地盤もない、若冠二五歳の青年であつた原告が熾烈な衆議院選を勝ち抜くためには、金力以外に頼るものはないのである。

(三) 父茂男の金権体質

原告の右選挙当選に父茂男の財力が預つて力があつたことは明白である。そして、茂男の財力は「県政と癒着した土地ころがしで暴利を貪ぼつて」形成されたという。

茂男に係る「滋賀県政最大の黒い霧事件」「県政と癒着した土地ころがし」とは次のような事件である。

(1) 茂男は東浅井郡虎姫町の生まれで、貧困のうちから戦後身を起して昭和三一年に上田建設株式会社を創設し、京都府下の住宅分譲などで当て、昭和四〇年頃から滋賀県庁に出入しはじめ、当時副知事だつた訴外野崎欣一郎と知り合つた。昭和四一年訴外野崎が知事に当選するとともに関係は次第に深まり、二期八年に及ぶ野崎県政下、その「金脈」として滋賀県の“陰の知事”とうわさされるほど密接な間柄になつた。

(2) 県土地公社を巻き込んだ“土地ころがし”の黒い噂は昭和四六、七年ごろからささやかれていたが、事件として取り上げられたのは、四九年の知事選で野崎知事から訴外武村正義知事に政権が移つた直後の一二月で、社会党の県連本部三役が上田建設株式会社社長の茂男(以下「上田社長」ともいう。)から多額の現金を受け取つていたことが表面化し、一挙に噴き出した。

(3) 茂男の“土地ころがし”事件の経過は次の通りである。

昭和四九年

一一月八日 武村正義知事誕生。野崎欣一郎の三選阻止、初の革新県政を樹立。

一二月一三日 社会党県本部の“黒い霧”クローズアップ。本部三役(除名)に、上田社長から多額の現金が動いていたことが表面化した。

昭和五〇年

二月三日 社会党県本部が上田建設グループと土地開発公社の土地ころがし疑惑を指摘。五〇〇億円にのぼる負債が明らかとなつた。

二月二五日 県土地開発公社対策委員会(会長・桑原正信滋賀大学長)が発足。

二月二七日 共産党県委員会がびわこニュータウンの実態調査を発表。

三月三日 社会党の黒い霧問題で京都の革新グループが上田社長を公職選挙法違反などで告発。

三月一〇日 社会党県本部と滋賀地評が上田社長と高橋勉・元同本部書記長を公職選挙法違反と名誉毀損で大津地検に告訴。

四月一日 野崎前知事が台湾旅行の途次急死。

五月三〇日 「びわこニュータウンの土地契約を破棄または解除せよ」と公社対策委が答申。

六月一一日 上田建設グループの日本レースが公社に「四億円を支払え」と土地代支払い請求訴訟を提起。

七月一四日 同訴訟第一回口頭弁論。「契約は公序良俗に反し、当時の公社幹部に代理権の乱用がある」と公社が契約の無効を主張。

一〇月三〇日 前公社副理事長の井上良平・自民党県議が土地業者から三〇〇万円を受け取つた収賄容疑で滋賀県警に逮捕された。

一一月二二日 井上県議を背任容疑で再逮捕。

一二月四日 上田社長の自宅・上田建設ビルなどの捜索。

一二月一一日 県警は背任共犯容疑で上田社長の逮捕状を用意、入院先の京大病院で事情聴取を開始しようとしたが病院側からストップがかかり、一時見合わせ。

一二月一二日 土地ころがしに一役買つていた飛島建設・飛栄産業・東海土地建物の大手三業者を捜索。

一二月一三日 伊吹建設本社など捜索。

一二月一五日 大津地検は井上県議を、竜王町岡屋の土地買収にからみ背任容疑で追起訴。土地ころがしを背任罪で起訴するのは全国でも初めて。

一二月一七日 河内義明県道路公社理事長(前土地開発公社理事長)が責任をとつて辞任。

一二月二四日 井上県議、五一日ぶりに保釈。

一二月二九日 上田社長、京大病院から富田病院に転院。

昭和五一年

三月七日 上田社長の病室、側近の自宅など計一四ケ所を捜索。

三月二三日 上田社長の入院先、富田病院で臨床尋問に入る。

四月七日 河内前理事長ら公社幹部五人を背任容疑で送検。

(4) 最終的には四四七億円の土地ころがしの契約が明るみに出て武村知事の諮問機関である県土地開発公社対策委員会が一切の契約凍結を答申した。

この事件は刑事、民事の事件として異例の事件であるが、道義責任を強く問う事件として全国的に大きく報道され、県民でも知らぬもののない程の大事件である。

事件の首魁・上田社長はもちろんのこと、長男で田中角栄秘書から衆議院議員へ何段も飛び超えて議席を持つた原告にも批判の目が向けられ、原告は、昭和五一年一二月の衆議院選挙(以下「五一年選挙」という。)で落選、茂男は刑事事件は問われぬまま民事だけ示談となつて決着、事件の風化とともに、またこの人も忘れられていた。

(四) 本件選挙における候補者選考過程

(1) 当時の背景事情

ア 昭和六一年夏に予定されていた本件選挙の候補者選びが難航、自民党滋賀県連が大ゆれにゆれた。自民党は先の昭和五五年の選挙で現職の望月邦夫を擁し必勝を期しながら、社、公、民三党と労働四団体(地評、同盟、中立、新産別)が推す山田耕三郎(当時、大津市長から出馬)に僅差で苦杯を喫した。今回は武村正義滋賀県知事の衆院転出も予想され、後任知事への色気も取りざたされている山田耕三郎(現、参院議員)が前回の選挙母体である労働四団体への立候補の辞退を申入れ、参院選出馬の可能性は薄いと見られていただけに、自民党県連は早々と候補者選びの作業に着手した。しかし、数回の選対委員会を開いてもなお決定できず、最終決定を昭和六〇年一一月一六日に持ち越した。

イ この公認候補に自薦、他薦でノミネートされたのは有村國宏(県議)、奥村展三(県議)、原告の三名であつた。有村、奥村両県議は共に宇野宗佑衆議院議員のひきいる宇野派に属しており、原告は田中角栄元首相の秘書をやつていた関係もあり、中央サイドで田中派に属している。

ウ 県自民党の勢力分布を見ると、中曽根派の重鎮である宇野宗佑と、田中派の重鎮で、故堤康次郎の後継者である大蔵官僚出の山下元利と、それぞれの系列に属する地方議員がある。原告は田中派の山下元利の系列と考えられる。

一方、昭和四九年の県知事選に革新共闘で野崎現職知事を破つてから三選を重ねてきた武村正義は次期衆院選に出馬を考えており、前記両派の外に新たな勢力が加わり、宇野派の推す有村、奥村両候補と田中派の推す原告との間で複雑な様相を呈し、前記アの通り候補者選びは難航していた。

エ 滋賀県自民党選対委員会が県連段階における衆・参候補者の党公認の推薦を決定する。

その委員の顔触れは、国会タイムス(一九八六年六月一日号)記事掲載の通り、自民党所属の衆参両議員、県議、町長、市議、町議等で構成される。党県連の推薦決定に基いて党本部において公認手続がとられるのであるが、県連段階における推薦決定が先決であることは当然のところである。

(2) 原告の公認決定の経緯と本件選挙の施行

ア 五一年選挙の一〇年後の昭和六一年春先から原告後援会の看板が県下のあちこちに目につくようになつて来た。本件選挙(参院選)の自民党公認申請が出され、前記(1)アのような自民党候補者選出難航の状況を現出するに至つたのである。

イ 原告は昭和六〇年一〇月、二階堂自民党副総裁を時局講演会を兼ねて原告の応援に招き、更に同年一一月鳩山邦夫衆議院議員(田中派)等を講師に招いて「はげます会」を開催と、たてつづけに公認取りの圧力とも思えるデモンストレーションを活発に行つた。

ウ 原告は更に選対委員の獲得のためにその構成員である県議、市議、町議に対して猛烈な工作をした。

エ 有村、奥村、原告の三名で争われた党公認問題は、同派系ということもあつて土壇場で宇野県連会長の奥村おろしが成功し、有村、原告の決戦投票が行われた結果、原告二四票、有村一三票、欠席一名、白票一で原告の公認推薦が決定した。

オ 前記(三)において述べたごとく、滋賀県民をして全国の笑い種にした上田土地ころがし事件の当事者茂男の後継者であり、金まみれの選挙によつてただの一回衆議院議員選挙に当選した以外見るべき政治的経歴のない原告を右公認推薦決定においてここまで推す必要が自民党県連にあつたかどうか、原告で当選出来ると信じている者が選対委員の中に何人いたか、恐らくいなかつたのではないか。敗北こそ信じて疑わない厭戦気分が充満していたのが滋賀県自民党員であつた。

カ 昭和六一年六月一八日本件選挙(参院選)公示。自民党公認として原告、社・公・民から山田耕三郎、共産党から林としろうが立候補。同月二一日衆院選公示。自民党から宇野、山下、武村が立候補。七月七日の衆参同時選挙に向け選挙戦がスタートするに至つた。

キ 衆参同時選挙という好条件にかかわらず、また衆議院においては、宇野、山下、武村と自民党公認候補者は全員当選にかかわらず、原告は社・公・民の山田耕三郎に惨敗を喫する結果となつた。

(五) 本件記事掲載に至る経緯

本件記事は、国会タイムス(昭和六〇年一一月一五日発行、同六一年三月五日発行)等を端緒として我が国選挙の病理現象の一事例として取り上げたのである。

(1) 昭和六一年二月五日発行の国会タイムスの記事中、「常軌を逸した上田支持!」なる中見出しの段落の冒頭記事「上田公認決定直後、自民党県連関係者の間で、上田候補が公認の取付け、選対委員抱き込みのため相当の金を撒いたと噂が立つた。出所は選対委員会周辺だと思われるが、そういえば今回の公認紛糾をひもとくと状況証拠としてそれを裏付けるにいたるいくつかの不審な点がある。」は、原告が公認の取り付け、選対委員抱き込みに相当の金を使つたことを示唆している。

一〇年前に、金権選挙、土地ころがしスキャンダルによつて政治生命を失つた原告を公認候補と推さなければならない必然性は全くない。

滋賀県の政治的風土の欠陥、上田支持派の金権体質、強引とも思える中央からの支援、県内自民党派閥の複雑さは、金が動くことによつて、選対決定、党公認が左右される可能性があることを否定し得ない。

(2) 本件選挙戦突入前後、対立する各陣営から種々の文書が配布される。中には全くの誹謗中傷記事に過ぎないものがあるが、怪文書にしては真実を伝えているのではないかという文書もある。

そのうちの一つに原告関連企業である上田建設グループの「法人・市民税の大口滞納欠損分」として数億円の損害を地元自治体に与えておりながら、自民党公認獲得のために公認料として一億五〇〇〇万円を支払う約束をし、当初七〇〇〇万円を支払い公認が実現した時に残金を支払つたという情報をのせた文書があつた。

四七年選挙に原告の父は原告の公認料として金二億円を支払つたことを選挙参謀の奥屋英明に述べている。

(3) 右情報を端緒とし、昭和四七年金権選挙と土地ころがし疑惑の基礎資料を参照しながら、被告記者が与、野党地方議員、選挙関係者、新聞記者等から取材した結果、二階堂副総裁に対する一億円献金、市議クラスに対する五〇万円持参の情報がもたらされた。

しかも、右の取材先は、複数かつ信頼度の高い情報源である。かかる情報はことの性質上公然とはならず、暗々裡に語られるのである。また、情報源は匿名を条件とする。選対委員会決定前の強引とも思える二階堂副総裁、田中派議員の来県応援は、原告の中央工作の存在を示唆する。また選対委員の顔触れ、決戦投票の強行は、選対委員である県、市、町議に対する根廻しを示唆する。

(六) 以上のとおり、原告の過去の選挙戦における金権体質、原告でなければならない必然性の欠如、強引とも思える中央からの支援、選挙に多額な金を要する保守党の金権体質、党利党略、派利派略が先行する地方政治の現実、それにつけ込む金権候補の存在、ミニコミ紙の報道は、本件記事の取材結果によつて得た公認料、党最高幹部への献金、選対委員に対する金銭的工作の情報を本件記事執筆者が真実と信ずるについての相当性を担保するものである。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1の事実は認める。

2  同2については争う。

なお、原告は、「市議クラスに50万円ずつ持つて、出馬の挨拶をしてまわつた」こと(以下「五〇万円の挨拶まわり」という。)も無いし、二階堂氏に一億円払つたこと(以下「二階堂氏への献金」という。)もないし、公認料として一億五〇〇〇万円を支払つたこと(以下「公認料支払」という。)も一切なく、また、公認が金の力で決まつたこと(以下「金の力による公認決定」という。)もなく、したがつて、本件記事は真実ではなく、また本件においては、本件記事を真実と信じるについて相当の理由もない。

第三  証拠<省略>

理由

一請求原因1(一)(二)、同2の事実はいずれも当事者間に争いがない。

二次に、同3の事実はひとまずおき、先に抗弁について検討する。

1  ところで、民事上の不法行為たる名誉毀損については、その行為が公共の利益に関する事実に係り、且つ、専ら公益を図る目的に出たものである場合、摘示された事実が真実であると証明されたときは、右行為には違法性がなく、また、その事実の真実であることが証明されなくても、当該行為者においてその事実が真実であると信じたことにつき相当の理由があると認められるときは、右行為には故意もしくは過失がなく、不法行為は成立しないものと解すべきである(最高裁判所昭和四一年六月二三日第一小法廷判決、民集二〇巻五号一一一八頁参照)。以下本件についてこれを検討する。

2  抗弁1(本件記事の公共性及び公益性)について

抗弁1の事実は当事者間に争いがないことからみて、本件記事は公共の利害に関するものであることは明らかであり、しかも、「フオーカス」誌における本件記事の掲載と同誌の頒布は、他に特段の事情の認められない本件においては、被告らが報道機関としての使命感から公益を図る目的に出たものにほかならないものというべきである。

3  同2(事実の証明)について

(一)  前提となる事実の認定

<証拠>を総合すると、以下の事実が認められる。

(1) 原告の政治的経歴

原告は、昭和二二年四月出生し、昭和四五年三月慶応大学経済学部を卒業して、田中角栄代議士の秘書をつとめ、昭和四七年一二月施行の衆議院議員選挙滋賀全県区に立候補し、若冠二五才で初当選した。しかし、右選挙において、原告陣営から買収等の選挙違反者が多数出たため、原告は莫大な金を使い金権選挙をして当選した金権候補であるとして多数の週刊誌等のマスコミに大きく報道されて世間で騒がれた。原告は、その後、五一年選挙において落選した。

(2) 原告の父茂男に係るいわゆる土地ころがし事件

原告の父茂男の経営する上田建設株式会社等の上田建設グループと滋賀県土地開発公社等との間の土地売買契約は、茂男による地価つり上げ目的の転売が介在しており、県政との癒着であるとして世間の評判になり、同公社幹部と茂男は刑事訴追を受けるに至り、その刑事裁判は現在も係属中である(以下「土地ころがし事件」という。)が、これは、茂男の金権体質をあらわすものであり、その長男である原告は、茂男の財力にものを言わせ四七年選挙において金権選挙をしたとして、週刊誌、新聞等のマスコミにおいて、概ね抗弁2(二)に副う内容の報道が大々的になされた。

なお、土地ころがし事件については、昭和五三年九月末頃茂男に代つて原告が上田建設グループ企業の代表取締役に就任し、上田建設グループが滋賀県土地開発公社等の主張をほぼ認め、同公社等との間で従前の土地売買契約を解除し、一部は適正価格で右公社等が買収契約を締結することとして和解が成立し、民事上は全面的に解決し、この解決については、当時新聞等でも好意的に報道された。

(3) 原告の本件選挙出馬の経緯

原告は、昭和六〇年一月頃本件選挙に立候補を決意し、その後関係者に挨拶まわりをしていたが、自民党内部では他にも本件選挙立候補予定者が二名おり、同党滋賀県連内部において同党公認候補の座をめぐつて三者の争いとなつて右公認決定が難航し、同年七月から一一月にかけて計八回の選挙対策委員会会議が開催され、最終的には原告と宇野宗佑衆議院議員が押しており宇野派と目される有村國宏県会議員との両者の間の決戦投票の結果、原告が本件選挙における滋賀選挙区の自民党公認候補として決定されるに至つたが、このことで同県連内部でしこりを残すことになつた。そして、右決定が難航した経過の一端が当時新聞等でも報道された。

右決定までの間、原告の応援のため、原告の結婚式の仲人であり田中派の会長である二階堂進自民党副総裁(同年一〇月)や田中代議士の秘書時代の同僚である鳩山邦夫衆議院議員(同年一一月)らが来県した。

(4) 本件選挙の施行とその結果

昭和六一年六月一八日本件選挙が公示され、同年七月六日右選挙が施行され(衆院選との同日選挙)、衆院選では自民党公認候補が投票総数の61.2パーセントを獲得し、定数五名のところに三名当選したにもかかわらず、参院選(定数一名)では自民党公認候補の原告は投票総数の31.1パーセントを獲得したにとどまり、社・公・民が擁立した候補(五五パーセントを獲得)に大差で破れた。

(5) 被告会社及び「フオーカス」誌の性格、影響力

被告会社は文芸関係等の出版物や「週刊新潮」との名称の週刊誌等を編集発行する有力な出版社であり、「フオーカス」誌は、被告会社が昭和五六年にこの種の出版物としては我国で最初に創刊し、発行部数も多く購読者のみならず社会一般に影響力の大きい写真週刊誌である。

(6) 本件記事掲載に至る経緯

ア 昭和六一年六月には衆参同時選挙施行が取り沙汰され、国民の大きな注目を集める選挙になることが予想されていたので、「フオーカス」誌の編集者らとしては、右選挙に関する記事を同誌へ掲載することを企画した。

イ これに先立ち、フオーカス編集部が定期的に購入している雑誌で、永田町の情報等政治に関する情報を掲載している「国会タイムス」誌の昭和六〇年一一月一五日号には、自民党滋賀県連における本件選挙の公認候補決定をめぐる紛争が現地ルポとして掲載され、また、これと関連して触れられていた土地ころがし事件については、「上田茂男は刑事事件は問われぬまま民事だけ示談となつて決着」と記載されていた。

昭和六一年二月五日号の同誌には、昭和六〇年一一月に実施された滋賀県自民党選対委員会において自民党公認候補を決めるに至つた原告と県会議員有村國宏との間における決戦投票の内情の暴露記事が現地ルポとして掲載され、各公認候補者の勢力分析とこれに基づく右投票結果の推測一覧表、並びに「上田(原告)公認決定直後、自民党県連関係者の間で、上田候補が公認候補の取りつけ、選対委員抱き込みのため相当の金を撒いたと噂が立つた。出所は選対委員会周辺だと思われる」との記事が掲載された。

更に、「フオーカス」誌編集部に一方的に定期的に届けられている情報誌で、主に兜町を中心にした株式取引者に対して裏情報等を提供し、東京都新宿区の発行所から月二回の割で発行されている「新政経情報」誌の一九八六年(昭和六一年)六月一日号には、「上田茂行は(原告)、またまた金権体質を露呈し、公認料として一億五千万円を支払う約束をしたという。当初七千万円を払い、公認が実現した場合に残金を払うということだつた、と地元消息通はいう。」との記事とともに、原告の父茂男の経営する上田建設グループ企業の倒産による三億一千五百万円余の税金の滞納問題の記事とが併記され、原告らは税金を踏み倒して自民党公認の資格を買つたとの批判が掲載された。

ウ 右(2)の記事を端緒として、原告及びその父茂男に着目した「フオーカス」誌編集部は、昭和六一年六月四日(水曜日)の企画会議において本件記事を企画し、週刊誌等のバックナンバーが揃い整理されている大宅文庫から原告及び茂男に関する基礎的資料を収集することとし、四七年選挙前後と五一年選挙前に発行され原告の金権選挙ぶりと茂男に係る土地ころがし事件をセンセーショナルに批判した週刊誌数誌の記事を入手した。

エ 右企画にのつとり、「フオーカス」誌編集委員野木正英(以下「野木記者」という。)と編集部員高橋弘康(以下「高橋記者」という。)の二名(以下「記者両名」という。)は取材班を編成し、昭和六一年六月六日(金曜日)午前、東京から滋賀県へ現地取材に訪れ、県議会議員に対し、自民党滋賀県連選対委員であるかどうかを考慮せず取材するとの方針を立て、高橋記者が県立図書館において県議会議員名簿をコピーし、自民党滋賀県連内部における原告の本件選挙における自民党公認候補決定に至る経緯、特に買収工作等の金銭が使われたのではないかどうかについて、記者両名が分担して県議会議員から取材することとし、また原告事務所に架電して原告のスケジュールを聞いた。

なお、右県会議員らへの取材に先立ち、事前の知識を得るため、地元新聞社二社から、本件選挙における原告の公認決定に至る経緯を取材したが、二社とも、公認決定に際し金が動いたという噂は聞いているが詳しくはわからないとのことであつた。

オ 野木記者の取材

野木が取材にあたつた県会議員は自民党系三人、野党系一名であり、同月七日(土曜日)、まず野党系の県会議員にその事務所において二時間面接取材し、原告の公認決定にあたり一億五〇〇〇万円の公認料の金が動いたとの話を聞いているかと尋ねたところ、同僚の自民党系の県会議員から聞いているとの回答を得たほか、右野党系の県会議員から、二階堂氏が原告の応援に来県するにつき原告側は一億円を支払つており、このことは宇野派の県会議員が暴露しているとの新情報や、また原告は昭和六〇年春頃から選対委員の抱き込みに動き金も使つていたようだとの情報を得た。

次に野木記者は、宇野派二名(うち選対委員一名)、山下元利(衆議院議員・田中派)派の自民党の県会議員一名から取材し、二階堂氏への献金及び公認料支払の有無について聞いているかを尋ね、宇野派の県会議員二名からは聞いているとの返答を得たがその情報源については聞き出せなかつた。これに対し、山下派の県会議員からは聞いていない旨の返答を得た。

なお、野木記者は、山下派イコール原告派だと理解していた。

更に、野木記者らは取材に当つていないが、自民党滋賀県連会長河本嘉久蔵は、公認料支払について否定している。

カ 高橋記者の取材

高橋記者は、予め聞いていた原告のスケジュールに基づき、昭和六一年六月七日午前七時半頃、カメラマンを同行して国鉄(当時)野州駅駅頭で演説中の原告を写真撮影し、引き続き原告を追跡し、午前八時頃守山駅でも右同様写真撮影した。この際、原告の秘書は、右カメラマンに対して身分を尋ね、当時正式に取材申込をしていた新聞社の記者らに対してと同様、原告と朝食を一緒にするよう誘つたが、右カメラマンはこれを断り身分も明かさなかつた。

同記者は、同日夕方、まず民社党系の県会議員にその自宅で面接取材し、各県会議員の党派別、派閥別を聞き、更に同県会議員から、知人の市議会議員が原告から五〇万円を差し出されたが買収に応じず返したと聞いているとの情報を入手したが、どこの市議会議員かについては教えてもらえなかつた。また二階堂氏への献金と公認料支払についてはよくわからないとの返答を得た。自民党の県会議員については、同日、原告の以前の選挙において参謀の一人であつた田中高雄県会議員に自宅で面接取材したが、公認料支払及び二階堂氏への献金については否定の返答を得た。

しかし、同月八日、選対委員である宇野派のある県会議員にその自宅で面接取材したところ、原告が昭和六〇年三月頃、湖北地方、アズミ川から虎姫にかけての市議クラスに五〇万円を渡したと聞いているし、二階堂氏が原告の応援に来県するにあたつては、事前に、直前、当日にも、五〇〇〇万円とも一億円ともいう金額の金の献金がなされたであろうという話を聞いているとの新情報が得られた。

他に宇野派の県会議員(うち選対委員は一名)二名に対して電話取材をしたが、二階堂氏への献金についてその有無を尋ねたところいずれも聞いているとの回答を得、湖北地方の市議クラスに五〇万円が流れた事実の有無について尋ねたところ、一名はわからないと答え、他の一名からは聞いているとの返答を得たが、公認料支払の有無について尋ねたところ、よくわからないとの返答であり、これを肯定する者はいなかつた。

なお、二階堂進衆議院議員は、同人に対する原告からの献金の事実を否定しており、また、この点に関し同議員に対する裏付取材が「フオーカス」誌側から試みられた形跡は見当らない。

更に、滋賀県の湖北地方にはアズミ川と呼ばれる地名はなく、安曇川はアド川と呼ばれているし、また、湖北地方の安曇川町から虎姫町の間には「市」はなく、したがつて市議会議員はそもそも存在しない。

キ 原告に対する面接取材の申込

記者両名は、昭和六一年六月八日(日曜日)午後七時頃、大津市内の原告の後援会事務所を訪れ、原告に対する面接取材を申入れたが、原告及び担当者は不在で返事が得られず、連絡先として宿泊先である大津市内の琵琶湖ホテルと帰京後の東京の電話番号を書き置いて退去し、右ホテルで待機していたが連絡はなかつた。

翌九日(月曜日)昼過ぎ野木記者が東京へ帰つたのち、高橋記者は右事務所に架電したが原告及び担当者が不在のため原告への取り次ぎを頼み、同日夕方新しい取材先へ移動のため大津市内を離れ、国鉄(当時)京都駅から右事務所へ架電したところ、小川と名乗る人物から後に再度架電するよう指示を受け、午後七時過ぎに架電したところ長浜市内の原告事務所に架電し川村と連絡を取るよう指示を受け、右事務所に架電したが川村の帰りがわからず、結局東京の野木宛に連絡を依頼して次の取材先へと出発した。

なお、川村は、当時、原告の長浜事務所で手伝いをしていた学生アルバイトであつた。

(7) 本件記事の「フオーカス」誌への掲載と同誌の頒布

同月一三日(金曜日)発行の「フオーカス」誌同月二〇日号の原稿の締切日は同月一〇日(火曜日)であり、この時までに原告から連絡はなく、事前に収集された情報誌や週刊誌等の基礎的資料と滋賀県下における記者両名の取材結果に基づいて本件記事が「フオーカス」誌に掲載され同誌が頒布されるに至つた。

(8) 本件記事の本件選挙への影響

原告は、本件選挙中、対立候補の本件選挙運動用の滋賀県選挙委員会の証紙の貼付されたビラの中で「フオーカス」誌の本件記事が取り上げられ、同誌が「マズシイ国のマズシイ政治、と極めつけています。」旨引用され、多数の有権者に右ビラが配られた。

以上の事実が認められ、右認定に反する<証拠>は採用できず、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

(二) 右認定事実によるも、五〇万円の挨拶まわり、二階堂氏への献金、公認料支払、金の力による公認決定についてこれを真実と認めるには至らず、他にこれを真実と認めるに足る証拠はない。

(三) 次に、被告会社らにおいて、「フオーカス」誌に本件記事を掲載し、同誌を頒布するにあたり、本件記事中の前記(二)の諸点につき真実であると信じたことは前認定の諸事実から推認しうるので、ここでは、そのように信じるにつき相当の理由があつたか否かについて検討する。

前認定の事実からすると、四七年選挙当時、金権候補としてマスコミによる大々的報道で騒がれ、その従前のイメージがその後も消え去らず尾を引いていた原告が、五一年選挙の落選後約一〇年を経て本件選挙に立候補したところ、被告会社らにおいて原告に対して従前同様金権候補ではないかとの疑念を抱いたこと自体は、公共の利害に関して報道することをその使命とする報道機関としては首肯しうるところである。

しかしながら、本件記事は、その内容及びこれが掲載された「フオーカス」誌の発行日が本件選挙告示直前という時期からみて、本件選挙に立候補を予定している原告にとつて極めて重大影響を与えるものであり、その掲載にあたつては十分な取材と取材結果の綿密な分析が求められること、本件記事掲載の資料となつた情報源である情報誌は、一部の狭い社会でのみ知られているにすぎず、世間一般に高い信憑性を得ている出版物ではなく、またその記載内容は、現地ルポと称しながら、現地では容易に知りうる点について明白な誤りが存在すること(前記(一)(6)イ)、記者両名の現地取材の結果、一部の県会議員から、予め情報を入手していた公認料支払について肯定する供述が得られたほか、新たな情報として、二階堂氏への献金と五〇万円の挨拶まわりの二点が得られているものの、このように名前の判明している二階堂進衆議院議員に対して裏付取材をした形跡はなく、また、これらの情報の確実性、真実性、その情報源の信頼性を検討、吟味するに足りる突つ込んだ質問なりが必ずしもなされているとは言い難いので(一例を挙げると、予め入手していた前記新政経情報によると、公認料支払は、当初七〇〇〇万円、公認実現後八〇〇〇万円支払の約束との分割支払となつていたが、記者両名の現地取材においては、単に総額について知つているかを聞いているのみで、更に予め入手していた支払方法についてまで質問してはいない。)、深く掘り下げた取材とは言えず、右取材結果は、概ね、単なる噂話程度に過ぎないものであるし、記者両名は、予め知りえた事項については取材の相手方に対して最初からその事実を摘示してその有無を確認する取材をしているのであつて、取材の相手方から話を引き出す取材に比らべるとその信用性は一般に劣ると考えられるし、得られた情報も、湖北地方の安曇川町から虎姫町の間には「市」はないにもかかわらず、市議クラスへの五〇万円の挨拶まわりの如く客観的事実と明白に異つているし(前記(6)カ)、同記者らは、安曇川(アド川)をアズミ川と呼んだり、湖北地方の安曇川町から虎姫町の間に「市」が存在すると考える(前同)など、地元の地理すら十分に理解しておらず、また、地方政界の人脈、派閥分析についても、同じ田中派であるから山下派イコール原告派ととらえるなど表面的、皮相的な観測にとどまつていること、記者両名の取材の相手方(前記(6)オ、カ)は、自民党の県会議員については原告と自民党公認の座を争つて破れた宇野派の県会議員が多く、偏つており、野党議員にしても、本件選挙における対立候補の擁立状況からみて、敵対的関係にあると推認できるので、それらの情報については慎重な検討、吟味が必要であるし、記者両名の取材の主眼は公認決定の経緯であるにもかかわらず、取材の相手方として、公認決定に直接影響を与えうる選対委員かどうかを余り考慮に入れておらず、取材の相手方選択ないしその信用性評価につき注意深さを欠く面が存在すること、記者両名の現地取材の中心は県会議員に対する取材であり、これに費した日数は、同月七日、八日の二日間と短期間であり、その間に新しい情報が得られたものの、同月一〇日の原稿締切り期限に制約され、一部は面接取材ではなく電話取材となつていること(前同)、記者両名は、原告の事務所を訪れ原告に対する取材の申込みをしているものの、これは昭和六一年六月八日午後七時頃であつて、翌九日昼過ぎには野木記者において速くも東京へ帰り、高橋記者も夕刻には次の取材先に赴くため大津市を離れて京都駅へ行つてしまつており(前記(6)キ)、同月一〇日原稿締切りとの取材スケジュールを重視し、本件選挙の公示前で多忙な時期にある原告側の事情の配慮に欠けるもので、このことは、記者両名が来県した同月六日には原告事務所に架電して、原告のスケジュール、所在を聞き出し、翌七日には原告を追つて写真撮影をしていること(前記(6)エ、カ)や、右訪問の際、相手方に対して原告らの連絡先を書き残しているが、取材事項を具体的に摘示して右連絡メモに書き記してはいないこと(前記(6)キ)、をも考え合わせると、右事務所訪問後の高橋記者による原告事務所への数回の電話による取材の申入れを考慮しても、原告に対する取材の申入れとしてはおざなりと言われてもやむを得ないこと、本件記事は、取材の相手方が話として聞いているとの文章形式になつているものもあるが、その内容は、具体的に事実を摘示し、余りにも断定的になつていること、以上の諸点が考察しうる。

以上を総合すると、被告会社らにおいて、本件記事中の前記(二)の諸点を真実と信じたことにつき相当の理由があるものとは言い難い。そうすると、被告会社らにおける本件記事の「フオーカス」誌への掲載と同誌の頒布は原告の名誉を侵害し民事上の不法行為を構成するものと言わざるを得ない。

三賠償すべき慰藉料及び謝罪広告の掲載について

前認定の被告会社の出版業界における高い地位、「フオーカス」誌の性格とその発行部数及び社会一般に与える影響力の大きいこと、本件記事の掲載・頒布の時期が本件選挙の告示の直前であり、対立候補の選挙ビラに本件記事が引用されて本件選挙に利用され、これによつて原告は精神的に相当の苦痛を被つたこと等を勘案すると、本件記事の掲載・頒布によつて原告が被つた精神的苦痛に対する慰藉料は、同誌の出版社である被告会社に対して金一〇〇万円、同誌の編集・発行人である被告後藤章夫に対して金二〇万円をもつて相当と思料し、原告の名誉回復措置としては、被告会社名をもつて、被告会社が発行する「フオーカス」誌上に、見出し部分は四号活字、その余の部分は五号活字をもつて謝罪広告を一回無料で掲載すれば足りると考えられる。

四結論

以上によると、原告の本訴請求は、被告株式会社新潮社に対し金一〇〇万円、被告後藤章夫に対し金二〇万円及び被告両名に対し右金員に対する本件不法行為の後であること明らかな昭和六一年一一月二一日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払並びに被告株式会社新潮社に対し「フオーカス」誌上に別紙一記載の謝罪広告を、見出し部分は四号活字・その命の部分は五号活字をもつて、一回掲載することを求める限度において、理由があるから認容し、その余は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官西池季彦 裁判官新井慶有 裁判官玉置健は退官につき署名押印できない。裁判長裁判官西池季彦)

別紙一 謝罪広告

本誌昭和六一年六月二〇日号二四頁に「マズシイ国のマズシイ政治―“金権候補”に“土下座候補”」なる見出しのもとに掲載した記事のうち、「去年の春、市議クラスに50万円ずつ持つて、出馬の挨拶をしてまわつた。」「二階堂に1億円払つたというね。また公認料として1億5000万円払つたとも聞いている。県連段階では3人が公認申請をしていたが、結局、金の力で上田に決つた」との部分は、事実に反し、昭和六一年七月施行の参議院議員選挙滋賀選挙区の自民党公認候補であつた上田茂行氏に対する世人の認識を誤らせ、同氏の名誉を著しく傷つけるものであります。

よつてここに同氏に対する右記事部分を取消し、同氏の名誉と信用を失墜させたことに鑑み、深く陳謝の意を表します。

株式会社 新潮社

上田茂行殿

別紙二 記事取消並びに謝罪広告

本誌昭和六一年六月二〇日号二四頁に「マズシイ国のマズシイ政治―“金権候補”に“土下座候補”」なる見出しによる記事中、「再登場した上田候補の“金権体質”は変わつたのか?」「去年の春、市議クラスに50万円ずつ持つて、出馬の挨拶をしてまわつた。」「二階堂に1億円払つたというね。また公認料として1億5000万円払つたとも聞いている。県連段階では3人が公認申請をしていたが、結局、金の力で上田に決つた」「金権体質は何一つ変わつていないというのである。」等と記述し、上田茂行氏が市議クラスに50万ずつ持つて出馬の挨拶をしてまわつたり、二階堂氏に1億円払つたり、公認料として1億5000万円払つたと思わせる記事を載せ、上田茂行氏が金権候補と断定する記載を載せたが、上田茂行氏が、市議クラスに50万ずつ持つて出馬の挨拶をしたことも、二階堂氏に1億円払つたことも、公認料として1億5000万円払つたことも一切なく、上田茂行氏は金権候補者であるとの事実は無かつたので、ここに同氏に対する記事を取消し、同氏の名誉と信用を失墜させたことに鑑み、深く陳謝の意を表します。

株式会社 新潮社

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