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大津地方裁判所 昭和43年(ワ)20号 判決 1972年2月25日

原告 長谷等

右訴訟代理人弁護士 浅野亨

被告 磯崎信蔵

<ほか一名>

右両名訴訟代理人弁護士 奥村文輔

右同 金井塚修

右同 井上治郎

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一、申立て

一、原告

被告らは原告に対し別紙目録記載の建物を明渡せ。

訴訟費用は被告らの連帯負担とする。この判決は仮に執行することができる。

二、被告ら

主文同旨。

保証を条件とする仮執行免脱の宣言。

第二、主張

一、原告の請求原因

(一)  原告の先代長谷阿は、被告らの先々代磯崎真一に対し昭和一〇年七月一〇日別紙目録記載の家屋(以下、本件家屋という。)を賃貸した。長谷阿は昭和一一年三月一〇日死亡したので、原告が家督相続により本件家屋の賃貸人たる地位を承継し、磯崎真一は昭和二〇年一〇月二五日死亡したので、被告らの先代磯崎美稲が家督相続により本件家屋の賃借人たる地位を承継し、さらに同人が昭和三〇年一一月七日死亡したので、被告らが相続により右賃借人たる地位を承継した。

(二)(1)  本件家屋の一か月の賃料は、賃貸当初より昭和二二年八月までは五五円、同年九月から昭和二三年一〇月までは一三七円五〇銭、同年一一月から昭和二四年五月までは三四三円七五銭、同年六月から昭和二五年七月までは五五〇円、同年八月から昭和二六年九月までは一九、〇〇円、同年一〇月から昭和二七年一一月までは三、九〇〇円、同年一二月から昭和三七年一二月までは六、〇〇〇円、昭和三八年一月からは一五、〇〇〇円であった。

(2)  昭和四〇年一一月当時、本件家屋の一か月の賃料一五、〇〇〇円は、近隣の賃料に比し、また、公租公課の増加や物価の高謄のために低れんになっていた。そして、右当時の本件家屋の一か月の適正賃料は三六、〇〇〇円であった。

(3)  そこで、原告は、昭和四〇年一二月一日到達の書面により、被告らに対し本件家屋の賃料を同日より一か月三六、〇〇〇円に増額する旨の意思表示をした。

(三)  原告は、昭和四三年二月九日到達の書面により、被告らに対し昭和四〇年一二月一日より昭和四二年一二月三一日までの本件家屋の賃料合計九〇万円よりすでに受領ずみの三七五、〇〇〇円を控除した五二五、〇〇〇円を昭和四三年二月一五日かぎり支払うよう催告するとともに、右支払がない場合には本件家屋の賃貸借契約を解除する旨の意思表示をした。

(四)  しかるに、被告らは右催告に応じなかったので、本件家屋の賃貸借契約は昭和四三年二月一五日の経過とともに終了した。そこで、被告らに対し右賃貸借契約の終了にもとづき本件家屋の明渡を求める。

二、被告らの答弁

請求原因(一)の事実のうち磯崎真一が昭和一〇年七月一〇日に本件家屋を賃借したこと、原告が本件家屋の賃貸人たる地位を承継し、被告らが賃借人たる地位を承継したことは認める。同(二)の(1)の事実のうち本件家屋の一か月の賃料が賃貸当初より昭和二二年八月まで五五円であり、昭和二七年一二月から六、〇〇〇円となり、昭和三八年一月から一五、〇〇〇円になったことは認める。同(二)の(2)の事実は否認する。同(二)の(3)の事実は認める。同(三)の事実は認める。同(四)の主張は争う。

三、被告らの主張

(一)(1)  本件家屋の賃貸借契約においては「賃料は賃貸の日より二年間は一か月五五円とし、その後は当事者双方協議のうえ賃料額を協定する」旨の条項が約されていた。

(2)  右条項は借家法七条一項但書にいう特約に含まれると解すべきであるから、かかる特約がある場合には、賃貸人は賃料増額の請求にあたりまず賃借人と協議すべきであり、右協議を経ずに賃貸人が一方的に賃料増額の請求をしても無効と解すべきである。本件において、原告は被告らとなんら協議することなく、一方的に賃料増額の請求をしてるのであるから、増額の効果を生ずるものではない。

(二)  原告のした賃料増額の請求あるいは賃料支払の催告および停止条件付賃貸借契約解除の意思表示は信義則に反し無効である。

(1) 本件家屋は建築されてから相当長年月を経ており、そのため修理を要したり、改善を要したりする個所が多数ある。たとえば天井に隙間があり少し強風が吹けばその隙間から壁土が落ち、また季節により虫(腰細)が落ちたりして保健衛生上無視できない。また、所々に鼠の出入口があり商売用の商品(被告磯崎和子は本件家屋で菓子の小売業を営んでいる。)を食い荒される。原告は、被告らがこれらの修理を自己の費用でしたい旨申し出ても拒否し、さらに本件家屋を店舗として時代に適合できるよう内部改装をしたい(たとえば、表戸をシャッターにつけ替えるなど)旨申し出てもこれを厳禁する。このような状況の下に賃料の増額のみを請求することは信義則に反するといわなければならない。

(2) 原告は、もともと被告らより本件家屋の明渡をえたいと思っていたのであるが、その口実を設けるために従前の賃料の二・四倍にものぼる三六、〇〇〇円の高額賃料に増額する旨請求し、その不払を期待し、かつ、予測して停止条件付賃貸借契約解除の意思表示をしたものである。右は賃貸人に認められた賃料増額請求権を信義則に反して行使したものであり、ひいては賃貸借解除権も信義則に反して行使したものであって無効である。

(3) さらに、原告のした賃料増額の請求は右に述べたように従前の賃料の二・四倍にものぼる高額なものであったため、被告らは何とか緩和してもらいたい旨申し入れたが聞き容れられなかったので、従前どおりの賃料の供託をしてきた。このような場合に賃料債務不履行を理由とする賃貸借契約の解除は、信義則に反し許されない。

(三)  家屋の賃貸人より賃料増額の請求がされても、右増額を正当とする裁判が確定するまでは、賃借人は相当と認める額を支払えば足りるのであって、増額請求にかかる賃料を支払わなくても債務不履行の責を負うものではない。被告らは、原告のした賃料増額の請求ははなはだしく不当であると思ったので、従前の賃料を供託してきたものであって、賃料の支払を怠っているものではない。

(四)  原告のした賃料増額の請求は従前の賃料の二・四倍にものぼる高額のものであって、とうてい適正な賃料とはいえない。すなわち、まず、公租公課の値上りについてみるに、本件家屋の賃料が一五、〇〇〇円となった昭和三八年度と三六、〇〇〇円に増額請求のあった昭和四〇年度とを比較するに、本件家屋の固定資産税額は六、八六〇円で変りなく、その敷地の固定資産税額は昭和三八年度は一三、七五〇円、昭和四〇年度は一六、五〇〇円であり、その増加額は年間二、七五〇円(月額約二三〇円)にすぎない。また、前記(二)の(1)で述べたとおり本件家屋は老朽化し、修理を必要とするにもかかわらず、原告はこれを許さず、店舗としての改装などもとより許さない。さらに、近隣の賃料も一か月八、〇〇〇円から一五、〇〇〇円が多い。以上のとおりであって、一か月三六、〇〇〇円というのは余りにも高額すぎて、適正な賃料といえるものではない。

四、被告らの主張に対する原告の答弁等

被告らの主張(一)の(1)の事実は認めるが、同(2)の主張は争う。同(二)の事実は否認する。被告らは賃料の増額には応じられない旨一方的に回答して来たものである。同(三)の事実のうち被告らが従前どおりの賃料を供託していることは認めるが、その余は否認する。改正借家法七条二項は、昭和四一年七月一日以前に借賃の増額請求のあった場合には適用されないのであるから、賃料増額の請求がされた場合には、従前の賃料額と適正賃料額との差がわずかであるなど信義則上従前の賃料額の提供をもって債務の本旨に従った履行の提供とみられるような特別の事情がある場合のほか、賃借人は従前の賃料を相当であると考えても従前の賃料を提供しただけはで履行遅滞の責を免れるものではない。本件においては右のような特別の事情は存在しない。同(四)の事実は否認する。

第三、立証≪省略≫

理由

請求原因(一)の事実のうち磯崎真一が昭和一〇年七月一〇日に本件家屋を賃借したこと、原告が本件家屋の賃貸人たる地位を承継し、被告らが賃借人たる地位を承継したこと、同(二)の(1)の事実のうち本件家屋の一か月の賃料が賃貸当初より昭和二二年八月まで五五円であり、昭和二七年一二月から六、〇〇〇円となり、昭和三八年一月から一五、〇〇〇円になったこと、同(二)の(3)の事実、同(三)の事実は当事者間に争いがない。

また、被告らの主張(一)の(1)の事実も当事者間に争いがない。

さて、家屋の賃貸借契約において、賃料の増減額につき当事者双方が協議のうえ決定する旨の特約が結ばれている場合においても、当事者双方は借家法により認められている賃料の増(減)額請求権を放棄したものと解するのは相当でなく、右請求権を行使するにあたってはまず相手方と十分協議をつくし、その協議によって賃料を決定するよう努めるが、協議をつくしても決定できない場合には右請求権を行使することができるものと解するのが相当である。そして、右特約が結ばれている場合に、協議を経ることなく、ただちに賃料の増(減)額請求権が行使された場合には、たんに協議をするという作為義務に違反したことを理由に損害賠償義務を負うにとどまると解するのは相当でなく、原則としてそもそも賃料の増(減)額の効果が発生しないと解するのが相当である。けだし、右作為義務違反にもとづく損害額の算定はきわめて困難であり、損害賠償義務があるといってみたところで現実にはあまり意味がなく、右特約の存在を無視することにもなりかねず、また、賃借権は賃貸人と賃借人の信頼関係を基礎とする契約関係であるから、右特約に違反することは信頼関係を破壊するものとして評価されるべきであり、したがって、右特約に違反する賃料増(減)額請求権の行使は原則としてその効果を発生せしめないものと解するのが信義則にかなうからである。

≪証拠省略≫を総合すれば、原告はもともと被告らから本件家屋の明渡をえたいと思い、そのため調停を申し立てたいと思っていたこと(右明渡を求める理由として、原告は、本件家屋は古くて由緒ある家なので取り壊してみたいと思っており、また本件家屋を三万円や五万円で貸しておくことは不利益であるからと述べている。)、そして、明渡してもらうまでの間本件家屋の賃料を増額することにし、原告は昭和四〇年九月二九日ごろ被告磯崎信蔵に対し書面にて同年一〇月分からの賃料を一か月三五、〇〇〇円にする旨の意思表示をしたこと、その際、原告は被告らが右増額請求に応じてくれない方が明渡の調停をするのに有利となるので応じてくれては困るし、おそらく応じてこないだろうと思っていたこと、被告磯崎信蔵のほかに被告磯崎和子も本件家屋の賃借人たる地位を承継していたので、原告はあらためて被告らに対し賃料増額の請求をすることになったが、一か月三五、〇〇〇円への増額請求にも被告らが応じてこなかったので、より一層応じにくくするため昭和四〇年一二月一日到達の内容証明郵便により同日からの賃料を一か月三六、〇〇〇円に改定する旨の意思表示をしたこと、被告らは前記三五、〇〇〇円への増額請求にも応ぜず、昭和四〇年一〇月分より一か月一五、〇〇〇円の割合で供託するとともに、右三六、〇〇〇円への増額請求に対しては同年一二月三日ごろ到達の内容証明郵便にて増額には応じられない旨の回答をしたこと、原告は本件家屋のすぐ近隣に居住しているが、右二回の増額請求にあたり被告らと協議の機会をもったことはなく、昭和四一年の町内の新年宴会の席上磯崎信蔵が原告に対しいろいろお願いがあるといって盃をもってきたときなどはこれを受けることもしなかったほどであることが認められる。以上の認定を覆えすに足りる証拠はない。

右認定の事実にもとづいて考えれば、原告は賃料増額の請求をするにあたり被告らと協議をしなかったばかりでなく、被告らより本件家屋の明渡をえたいがために三五、〇〇〇円への増額請求からわずか二か月後に三六、〇〇〇円への増額請求を一方的にするなど賃料増額に関する協議特約の趣旨に著しく反する行動をとったものといわざるをえない。したがって、原告のした賃料増額の請求は、右協議特約に違反してその効果を発生しなかったものというべきであるから、原告の本訴請求はその余の点を判断するまでもなく理由がないことに帰する。

よって、原告の本訴請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 上田豊三)

<以下省略>

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