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名古屋高等裁判所金沢支部 平成8年(ラ)57号 決定 1997年9月17日

抗告人 石川芳江 ほか5名

被相続人 柳本竜太郎

主文

一  原審判を取り消す。

二  本件を福井家庭裁判所に差し戻す。

理由

一  抗告の趣旨及び理由

本件抗告の趣旨及び理由は別紙即時抗告申立書及び準備書面記載のとおりである。

二  当裁判所の判断1一件記録によれば、次の事実が認められる。

(一)  抗告人らはいずれも父神田勝二郎(昭和52年11月29日死亡。以下「勝二郎」という。)と母神田靖子(平成7年9月12日死亡。以下「靖子」という。)との間の子であるが、母靖子には弟である被相続人柳本竜太郎(大正2年4月1日生。平成6年5月20日死亡)がいた。

(二)  被相続人は妻珠美と婚姻したが、両名の間には子がなかったため、昭和31年4月に抗告人戸山雄介(以下「雄介」という。)が被相続人夫婦の養子となった。

被相続人は、生存中様々な事業を手掛けたが、いずれもうまくいかず失敗を重ね、勝二郎が被相続人の求めに応じて同人に対し金銭的な援助をすることもあった。しかし、昭和52年11月に勝二郎が死亡し、昭和55年10月には被相続人夫婦と抗告人雄介は離縁した。それ以後、靖子や抗告人らは被相続人夫婦との交際を全く絶ってしまった。

なお、昭和58年4月に被相続人は妻珠美と離婚した。

(三)  被相続人は平成6年5月20日に死亡した。当時、靖子は88歳と高齢であったが、葬儀を主宰した弟の柳本友也の知らせにより葬儀には参列した。被相続人は死亡当時妻子がいなかったため、被相続人の相続人はその兄弟達であり、靖子もその一人であった。そして、被相続人には多額の負債があったため、柳本友也ら靖子以外の相続人は、平成6年中に被相続人に対する相続を放棄した。しかし、そのことは靖子や抗告人らに全く知らされなかった。

(四)  平成7年9月12日に靖子が死亡し、子である抗告人らはその相続人となった。

(五)  抗告人神田英明(以下「英明」という。)は、平成8年1月23日、町田隆史から、「自分は、被相続人所有の不動産について、所有権移転仮登記の本登記手続請求権があるが、靖子が被相続人を相続したので、この義務を履行してもらおうと思っていたところ、靖子が死亡したので、その相続人である抗告人らにおいてこの義務を履行してほしい。」旨の申し入れを受けた。抗告人英明は、この申し入れを受けて初めて、靖子が法律上被相続人の相続人となっていたこと、被相続人には多額の債務があって他の相続人らは相続放棄をしていたこと、靖子の相続人である抗告人らは靖子の相続を通じて被相続人の債務を承継する立場にあることを知った。他の抗告人ら4名は、平成8年2月下旬に、英明からこの申し入れの話を聞き、自分らが上記のとおりの立場にあることを知った。

(六)  そこで、抗告人らは、被相続人の相続財産(債務)を承継したくないとして抗告人代理人弁護士に相談し、同弁護士に委任して、同年3月14日、福井家庭裁判所武生支部に靖子に対する相続放棄の申述の受理を申し立てた(同庁平成8年(家)第××号ないし第×△号事件)。この申立ては、もっぱら、靖子に対する相続を放棄することにより被相続人の債務の承継を回避しようとの意図に出たものであり、申立書にもその旨が記載された。

(七)  しかし、上記裁判所は同年6月12日、抗告人らによる靖子の相続財産の処分(現金約300万円を抗告人らが分配)があり単純承認されたなどとして、上記二1(六)の申立てについて相続放棄の申述を却下した。

(八)  そこで、抗告人らは同年7月10日、上記裁判所に、改めて被相続人に対する相続放棄の申述の受理を申し立てた(これが本件である。)。

2 以上の事実に基づき検討する。民法915条1項本文は、相続放棄の熟慮期間をもって相続人が「自己のために相続の開始があったことを知った時から三箇月以内」と定めており、ここに自己のために相続の開始があったことを知るとは、相続開始の原因たる事実及びこれにより自己が法律上相続人となった事実を知ることをいうが、相続人がこれらの事実を知った場合であっても、3か月内に相続放棄等をしなかったことにつき特段の事情がある場合には、同条項の熟慮期間は相続人が相続財産の全部若しくは一部の存在を認識した時又はこれを認識しうべかりし時から起算すべきものと解される。本件の靖子の被相続人に対する相続については、上記二1(二)(三)の事実によって明らかな靖子と被相続人との交際状況や当時88歳という靖子の年齢等の事情に徴すれば、靖子は、被相続人の死亡から自己の死亡までの間、自己が法律上被相続人の相続人となったこと及び被相続人に相続財産(債務)が存在した事実を知らなかったものと推認することができ、したがって、靖子については、生前、被相続人に対する相続放棄の熟慮期間は進行していなかったというべきである。

そして、民法916条は、再転相続の場合における再転相続人の被相続人に対する相続放棄の熟慮期間をもって再転相続人が「自己のために相続の開始があったことを知った時」から3か月以内と定めているところ、本件のように、相続人(靖子)が法律上自己が被相続人(竜太郎)の相続人となったことを知らずに死亡し、生前被相続人に対する相続放棄の熟慮期間が進行していなかった場合には、相続により相続人のこの地位を承継する再転相続人(抗告人ら)は被相続人(竜太郎)に対する相続の放棄をすることができ、その場合の熟慮期間の起算点は、前期915条1項の「自己のために相続の開始があったことを知った時」と同様に解するのが相当である。本件においては、上記二1(五)のとおり、抗告人英明については平成8年1月23日に町田隆史から、他の抗告人らについては同年2月下旬に抗告人英明からそれぞれ抗告人らが被相続人の相続財産を承継する立場にあることを聞かされたのであるが、上記二1(八)のとおり、抗告人らにおいて福井家庭裁判所武生支部に被相続人に対する相続放棄の申述の受理を申し立てたのは5か月程経過後の同年7月10日である。

しかしながら、上記二1(六)のとおり、抗告人らは同年3月14日には上記裁判所に靖子に対する相続放棄の申述の受理を申し立てており、この申立ては、もっぱら靖子に対する相続を放棄することにより被相続人の相続財産(債務)の承継を回避しようとの意図に出たものであった。抗告人らとしては、靖子に対する相続放棄の申述が受理されれば、被相続人に対する相続放棄をするまでもなく、それによって被相続人の相続財産(債務)の承継を回避できるのであるから、その申述が却下されるまでの3か月以内に、抗告人らに対し予備的に被相続人に対する相続放棄の申述受理の申立てをすべきものと要求するのは相当でない。本件においては、抗告人らと被相続人との交際状況や本件申立てに至るまでの状況等の事情に徴すれば、靖子に対する相続放棄の申述受理の申立てが却下されたことによって、抗告人らとしては再転相続人として、自己のために被相続人の相続財産につき相続の開始があったことを知るに至ったものと認められる。そうすると、被相続人に対する相続放棄の熟慮期間は、上記二1(七)のとおり、靖子に対する相続放棄の申述が却下された平成8年6月12日から進行を開始したと認めるのが相当であって、抗告人らの同年7月9日になされた被相続人に対する相続放棄の申述受理の申立ては、その相続放棄の熟慮期間内になされた適法なものというべきものである。

三  結論

以上のとおりであるから、抗告人らの被相続人柳本竜太郎に対する相続放棄の申述受理の申立てについて、相続放棄の熟慮期間が経過しているとしてこれをいずれも却下した原審判は相当でない。

よって、本件抗告は理由があるから原審判をいずれも取り消し、抗告人らの各申述を受理させるため本件を福井家庭裁判所に差し戻すこととして、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 窪田季夫 裁判官 山口裕之 本多俊雄)

(別紙)

即時抗告申立書

抗告人ら代理人○○

原審の表示

福井家庭裁判所武生支部 平成8年(家)第160号、161号、162号、163号、164号、165号相続放棄申述事件

原審判告知の日

平成8年9月17日審判書謄本受送達

当事者の表示<省略>

抗告の趣旨

福井家庭裁判所武生支部が平成8年9月12日上記表示の原審事件につきなした

1 申述人らの相続放棄の申述をいずれも却下する。

2 申立費用は、申述人らの負担とする。

との審判はこれを取消し、

抗告人(原審申述人)らの相続放棄申述を受理する

との裁判を求める。

抗告の理由

1 原審判は、相続放棄申述の熟慮期間の起算点の認定を誤ったために抗告人らの申述を却下したものと思われる。

すなわち、本件熟慮期間の起算点は、抗告人らが母神田靖子の遺産につきなした相続放棄申述申立事件(原審平成8年(家)第××号乃至×△号)が平成8年6月12日却下され、これが抗告人らに告知された日とすべきである。

仮に然らずとしても、上記審判が原審に係属中は右熟慮期間の進行が停止されたものとして扱われるべきである。

2 尚、詳細な事実関係及び法律上の主張は追って提出する。

平成8年(ラ)第57号

抗告人ら代理人○○

準備書面

第1事実関係について

1 抗告人らの亡母神田靖子は、本件被相続人柳本竜太郎(以下竜太郎という)の姉であり、大正15年抗告人らの父神田勝元(後に勝二郎と変更)と結婚した。

2 竜太郎は、存命中諸種の事業に手を出して失敗を重ね、親族からも疎遠されるようになった。そして竜太郎の養子であった抗告人雄介(現姓戸山)とも離縁し、妻とも離婚し(このことは抗告人らもはっきりとは知らなかったことである)していて、親族との交際もほとんどない中で平成6年5月20日鯖江市内の病院で死亡したのである。

3 竜太郎は養子とも離縁し妻とも離婚して死亡したのであるから当時存命中であった亡母靖子は竜太郎の法定相続人の一人に該ってたわけであるが、当時竜太郎の葬儀や身辺の後始末は竜太郎の弟柳本友也が事実上処理しており、亡母靖子は、既に高齢であり竜太郎の相続人であるとの認識も遺産の有無についての関心も全くなかった。

4 実際には亡靖子を除く他の相続人のすべては、竜太郎の死後、相続放棄の手続を完了していたのであったが、亡靖子はそのような連絡は一切受けておらず、抗告人らも亡靖子の死後平成8年に入ってそのことを知ったのである。

5 そして亡母靖子のみは、相続放棄の手続の手続をすることもないまま(竜太郎を相続したとの認識もないまま)に平成7年9月12日死亡してしまい、抗告人らはその法定相続人となってしまったのである。

6 ところが平成8年に入り、抗告人らは突然竜太郎の債権者より竜太郎の再転相続人として不動産登記手続(仮登記の本登記手続)を求められ、初めて自分らが竜太郎の再転相続人になっていること及び亡母靖子以外の相続人はすべて相続放棄をしてしまっていることを知ったのである。

抗告人らは叔父である竜太郎が、生存中諸種の事業に失敗し、多額の債務を負担して死亡したらしいこと、そのため亡母靖子以外の相続人が相続放棄したと考えられることから、このまま竜太郎の債権者からの登記請求に応ずれば、相続を承認したものとみなされて、今後他の債権者からどのような債務の履行を求められるかも知れないことに多大の不安を抱いたのである。

7 そこで抗告人らは平成8年3月13日福井家庭裁判所武生支部に同庁平成8年(家)第××号乃至×△号事件をもって亡靖子についての相続放棄申述申立をした。

抗告人らとしては、亡母靖子には独自の遺産もなかったし、これを相続するつもりも全くなかったのであるが、亡母靖子についての相続放棄をすれば亡母の被相続人である竜太郎の相続義務から免れることができると考えたのである。

すなわち、抗告人らの上記申立は、もっぱら竜太郎の相続放棄をすることを目的としてなしたものであり、前期竜太郎の債権者からの申出がなければ亡母靖子のみについての相続放棄手続をすることなど全くなかったのである。

8 ところが上記事件の審尋において、抗告人神田英明が死亡前に母から贈与されていた金員をその死亡後他の兄弟に平等に分配したことが相続の承認に該るとの認定のもとに、上記申立は思いもよらず却下されてしまったのである。

9 そこで抗告人らは、右却下後直ちに、今度は竜太郎に対する亡靖子の相続放棄権の承継者の立場で、竜太郎を被相続人として本件申立をなしたものである。

10 以上の事実経過は、抗告人神田英明の陳述書2通に詳述したとおりであるので御覧願いたい。

第2法律上の主張

1 原審判は、本件申立の時期(平成8年7月9日)が竜太郎の債権者より不動産登記請求を受けた時より起算しても法定の熟慮期間(3ヵ月)を経過した後のものであるから許されないとの理由で却下している。

2 しかしながら、第1の7で述べたとおり、抗告人らが亡母靖子を被相続人として相続放棄申述申立をしたのは平成8年3月13日であり、これは竜太郎の債権者から登記請求を受けて、抗告人らが竜太郎の遺産について相続人としての登記義務者であることを知った日(同年1月23日)から起算して3ヵ月以内であった。

そして、この申立の実質的な目的は、亡母靖子の直接遺産についての相続放棄ではなく、亡母の被相続人竜太郎についての相続放棄を意図する以外の何ものでもなかったのである。

3 そうだとすると、抗告人らの竜太郎についての相続放棄の家庭裁判所に対する意思表明は、上記事件の申立をした平成8年3月13日と解することができるのであり、この申立は抗告人らが竜太郎の相続義務者であることを知った平成8年1月23日から起算して3か月以内であったのである。

4 上記事件は、抗告人神田英明が亡母の死亡前に贈与されていた金銭を、死亡後法事の席で分配したことをもって相続の承認と見なし、その申立を却下したのであるが、抗告人英明が亡母から金銭贈与を受けたのは明らかに死亡前であり、これは相続財産には該らないのである。

したがって抗告人らはこの却下審判に対して事実誤認を理由として抗告提起も考えたのであるが、抗告審の決定が出るまでに相当期間の経過が予想され、万一抗告審でも主張が認められなかった場合には、竜太郎についての相続放棄申述期間が更に延伸してしまうことを憂慮し、上記却下審判後これには抗告提起せず、竜太郎の再転相続について放棄申述することとし本件申立をしたのである。

5 すなわち抗告人らの本件申立の意図は、竜太郎についての相続放棄を目的としてなされた前件申立と継続一貫しているのであるから、このような事態において、申立期間を徒過したとして却下した原審の判断は、申立期間についてまことに形式的かつ杓子定規的解釈したものとのそしりを免れないのである。

この熟慮期間については、家庭裁判所の裁量でこれを伸長することができるとの民法第915条1項但書の規定の趣旨から考えても、どこまでも厳格に解釈せねばならないものではないと思料する。

そうでなければ、本件のようなケースにおいて、相続放棄申述が認められないとすれば、個人の尊厳とその意思の尊重を基調とする現行相続法の理念に悖ること甚しいものと言わねばならず、個人の幸福を重視する現代の社会通念に照らしても到底これを黙過することができない事態である(大阪高決昭和54.3.22・判時938-51参照)。

6 よって抗告審においては、相続法の真の理念に叶った正鵠を得た御裁決を御願いしたい。

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