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名古屋高等裁判所 昭和53年(ネ)354号 判決 1983年5月30日

第一審原告(第三五四号事件控訴人、第四一一号事件被控訴人) 甲野三郎

右訴訟代理人弁護士 桜川玄陽

第一審被告(第三五四号事件被控訴人、第四一一号事件控訴人) 甲野一夫

右訴訟代理人弁護士 泉昭夫

主文

一  第一審原告の控訴に基づき、原判決中「原告のその余の請求を棄却する。」とある部分を次のとおり変更する。

1  第一審被告は第一審原告に対し、いずれも昭和二三年七月三一日時効取得を原因として、別紙物件目録記載(三)の土地につき所有権移転登記手続を、同(四)の土地につき第一審原告の持分を八〇〇三分の九〇とする持分移転登記手続をせよ。

2  第一審原告のその余の請求を棄却する。

二  第一審被告の控訴を棄却する。

三  原判決主文第一項を左のとおり更正する。

第一審被告は第一審原告に対し、いずれも真正なる登記名義の回復を原因として、別紙物件目録記載(一)及び(二)の土地につき各所有権移転登記手続をせよ。

四  訴訟費用は第一、二審を通じてこれを五分し、その二を第一審原告の、その余を第一審被告の各負担とする。

事実

第一当事者双方の申立

(第一審原告)

一  控訴の趣旨

1 原判決中、第一審原告敗訴部分を取消す。

2 第一審被告は、第一審原告に対し、農地法三条による愛知県知事の許可を受けたうえ、いずれも真正なる登記名義の回復を原因として、別紙物件目録記載(三)の土地につき所有権移転登記手続を、同(四)の土地につき第一審原告の持分を八〇〇三分の二〇七三とする持分移転登記手続をせよ。

3 訴訟費用は第一、二審とも第一審被告の負担とする。

との判決を求め、選択的に次の判決を求める。

1 原判決中、第一審原告敗訴部分を取消す。

2 第一審被告は、第一審原告に対し、いずれも昭和二三年七月時効取得を原因として、右目録記載(三)の土地につき所有権移転登記手続を、同(四)の土地につき第一審原告の持分を八〇〇三分の二〇七三とする持分移転登記手続をせよ。

3 訴訟費用は第一、二審とも第一審被告の負担とする。

二  答弁

第一審被告の控訴を棄却する。

三  なお、別紙物件目録記載(一)及び(二)の各土地に関する請求につき、選択的に左の請求を追加する。

第一審被告は、第一審原告に対し、同目録(一)の土地については昭和二一年一月、同目録(二)の土地については昭和二三年七月の各時効取得を原因として、いずれも所有権移転登記手続をせよ。

(第一審被告)

一  控訴の趣旨

1 原判決中、第一審被告敗訴部分を取消す。

2 第一審原告の請求を棄却する。

二  答弁

第一審原告の控訴及び当審における拡張請求を棄却する。

第二当事者双方の主張

一  第一審原告の請求原因

1  別紙物件目録記載の各土地(以下、個別に「本件(一)、(二)、(三)、(四)の土地」或いは総称して「本件各土地」という。)は、もと亡甲野太郎(以下「亡太郎」という。)の所有であった。

2  第一審被告の亡父甲野一郎(以下「亡一郎」という。)と第一審原告とは、右亡太郎の子(亡一郎が長男で、第一審原告が三男)である。

3  第一審原告は、昭和二〇年一一月頃亡太郎から、本件(一)の土地及びその地上にあった鶏舎の贈与を受け、昭和二一年一月頃その引渡を受けて右鶏舎を改造し、今日まで居住している。

4  亡太郎は昭和二一年二月六日死亡したので、長男亡一郎がこれを家督相続し、従って本件(一)の土地の所有権移転登記手続義務をも承継した。

5(一)  亡一郎は、亡太郎から約三町六反の農地(小作させていた農地を含む。)等を家督相続したが、自作農創設特別措置法(以下「自創法」という。)による農地買収が行われる以前の亡一郎所有の農地面積は少くとも三町一反七畝一二歩であった(別紙農地目録記載の農地と小作地として買収された農地二反一畝一二歩を合計したもので、地目の如何にかかわらず現況農地を意味する。もっとも、右農地のうち、本件(一)の土地は、そのうち一七坪が建物敷地として使用され、他は耕作の用に供されていたが、仮に右土地が全部現況宅地と認定されたとしても、農地買収以前の亡一郎所有の農地面積は三町一反四畝一一歩はあったことになる。)。

(二) しかるところ、昭和二二年一二月の愛知県農地委員会の議決によれば、亡一郎が保有しうる農地(現況農地)は二町二反(右議決前は二町四反)であったので、約九反四畝一一歩が超過面積となり、これが同法による買収の対象とされることになった。

(三) そこで、亡一郎は、昭和二三年二月頃、右保有限度を超過することとなる農地等、即ち、(イ)愛知県渥美郡渥美町大字堀切字東松一番ないし五番の田五筆合計二反五畝(以下、田・畑等の所在は大字までは同じなので、字名以下で表示する。)、(ロ)字宮ノ前四四番の畑七畝四歩(本件(三)の土地)、(ハ)字三角原一番一五の畑五反のうち二反、(ニ)字今田原一番一の山林一反五畝一歩(うち約一反は現況農地)(本件(二)の土地)、(ホ)字土ノ花五二番の畑二畝二八歩、(ヘ)字浦一八番一、二及び一九番一、二の畑合計一反、(ト)字中島西渕一〇番及び一二番の田合計一反、以上総合計九反三歩を、第一審原告の生活維持のため同人に財産分けとして贈与することにし、その旨を伊良湖岬村農地委員会に届出をなし、第一審原告にもこのことを伝えた。そして、亡一郎は、第一審原告に対し取りあえず右(イ)ないし(ハ)の農地を引渡し、第一審原告はこれを耕作し始めた。

(四) 次いで、昭和二三年七月、財産分けのための親族会議が開かれた際、亡一郎は、訴外甲野竹夫、同甲野松夫らの立会の下で、第一審原告に対し、前記のうち(イ)ないし(ホ)の農地・山林合計七反三歩(うち農地面積は六反五畝三歩)を正式に贈与し、その頃右(ニ)及び(ホ)の農地等を引渡し、第一審原告はこれが耕作を始めた。なお、残りの前記(ヘ)及び(ト)の土地については、亡一郎は後日正式に贈与するとのことであった。

ちなみに、亡一郎は、右贈与を行ったことにより、前記保有農地のうち九反四畝一一歩を買収されるべきところを、二反一畝一二歩を買収されただけで済んだものである。

(五) しかして、第一審原告は、先妻乙山春子と昭和二一年二月一七日に婚姻届をなし、これとともに分家届をなしたところ、右分家届をなした当時は亡一郎の農業を手伝っていて独立の農家とはいえなかったが、右農地の贈与を受けた時から独立の農家となり、昭和二三年度後期から地元大字堀切の自治会費を支払うことになった。

(六) また、これより先、第一審原告は、昭和二一年九月三〇日に先妻春子と協議離婚し、昭和二三年六月に現在の妻夏子と結婚(届出は同二四年五月六日)したが、亡一郎は、右夏子に対し、婚姻前に仲人甲野松夫を通じ、結婚したときは夫婦のために居宅を新築し、その敷地も与えること、同人らの生活を保証すること等を約束したほか、生活に必要な農地はすでに第一審原告に贈与してあると伝えていた。

(七) ところで、渥美町土地改良区は、昭和四八年一二月一三日、土地改良法による換地処分により、亡一郎所有の従前の畑九筆(字丸池二八番、三〇番、六二番及び六三番、字土ノ花五二番一(昭和四五年三月二三日に前記贈与にかかる土ノ花五二番から分筆)、字三角原一番一五、字荒古五四番一、五四番二及び七三番)合計八〇〇三平方メートルに対する換地として、本件(四)の土地を指定した。

しかして、右従前の畑九筆のうち、字土ノ花五二番一の畑九〇平方メートル及び字三角原一番一五の畑の一部一九八三平方メートルの合計二〇七三平方メートルは、第一審原告が前記贈与により所有権を取得したものであるから、第一審原告は本件(四)の土地につき八〇〇三分の二〇七三の持分を有するものである。

6  第一審原告は、次に述べるとおり、本件(一)ないし(三)の各土地の所有権及び本件(四)の土地の前記持分権を時効により取得した。そこで、第一審原告は、本訴請求原因として、前記各贈与と右取得時効を選択的に主張する。

(一) 第一審原告は、遅くとも昭和二一年一月本件(一)の土地を亡太郎から贈与を受けたものと信じてその引渡を受け、以来昭和二七年頃には右土地上に居宅を増築するなどして同土地を所有の意思を以て平穏且つ公然に占有使用し、しかも右占有の始め善意にして過失がなかったから、右占有開始時点から一〇年となる昭和三一年一月の経過により、本件(一)の土地の所有権を時効により取得した。

(二) また、第一審原告は、昭和二三年七月亡一郎から前記5項記載の(イ)ないし(ホ)の各土地の贈与を受けたものと信じてその引渡を受け、以来右各土地を所有の意思を以て平穏且つ公然に占有使用し、しかも右占有の始め善意にして過失がなかったから、右占有開始時点から一〇年となる昭和三三年七月の経過により、本件(二)及び(三)の各土地の所有権を、また、本件(四)の土地についての従前地である字土の花五二番一の畑九〇平方メートル及び字三角原一番一五の畑の一部一九八三平方メートルの所有権を時効取得したことにより、本件(四)の土地についての前記持分権をそれぞれ時効により取得した。

仮に、第一審原告に右占有の始め過失があったとしても、右占有開始時点から二〇年となる昭和四三年七月の経過により、本件(二)及び(三)の各土地の所有権並びに前同様の経緯により本件(四)の土地の前記持分権をそれぞれ時効により取得した。

7  以上のとおり、本件各土地は、受贈ないし時効取得により第一審原告の所有に属するものであるにもかかわらず、右各土地につき、いずれも昭和五〇年七月七日受付をもって第一審被告のため所有権取得登記がなされている(ちなみに、右各土地については、昭和四五年ないし四七年の間に亡一郎名義に保存登記がなされたうえ、いずれも昭和五〇年七月二日付売買を原因として第一審被告に対する右所有権移転登記がなされたものであり、なお亡一郎は、右の翌年たる昭和五一年二月一九日に死亡したものである。)。

8  そこで、第一審原告は第一審被告に対し、

(一) 本件各贈与に基づく真正なる登記名義の回復を原因として、本件(一)及び(二)の各土地につき所有権移転登記手続を、並びに、いずれも農地法三条による愛知県知事の許可を受けたうえ、本件(三)の土地につき所有権移転登記手続を、本件(四)の土地につき第一審原告の持分を八〇〇三分の二〇七三とする持分移転登記手続を各なすことを求め、且つこれと選択的に、

(二) 本件各取得時効を原因として、本件(一)ないし(三)の各土地につき所有権移転登記手続を、本件(四)の土地につき第一審原告の持分を八〇〇三分の二〇七三とする持分移転登記手続を各なすことを求める。

二  第一審被告の答弁

1  請求原因1項は認める。

2  同2項は認める。

3(一)  同3項は争う。

(二) 第一審原告は、渥美町大字堀切地内の川瀬病院の離れで先妻春子との婚姻生活を送っていたものであるが、右春子との離婚話(昭和二一年九月三〇日協議離婚)が出てから長女春代の養育問題が起り、亡太郎の妻花子が右春代を養育することになったため、第一審原告は、右春子と別居し、本件(一)の土地上にあった鶏舎を改造してこれに移り住むことになったものであるが、その頃には亡太郎は死亡していた。従って、第一審原告は亡太郎から右土地を贈与されてこれに居住することになったものではない。現に亡一郎は、昭和二六年頃右土地上に煙草用の乾燥室及び豚舎を建築したが、第一審原告から何らの異議も出なかったもので、このことは右贈与のなかったことの一証左である。

4  同4項は、亡太郎が昭和二一年二月六日死亡し、長男亡一郎が家督相続をしたことは認めるが、その余は否認する。

5(一)  同5項は、亡一郎が亡太郎から農地等を家督相続したこと、亡一郎が二反一畝一二歩の農地を買収されたこと、第一審原告が昭和二一年二月一七日に先妻春子との婚姻届をなすとともに分家届をなしたこと、同年九月三〇日右春子との協議離婚届をなしたこと、昭和二四年五月六日に現在の妻夏子との婚姻届をなしたこと、本件(四)の土地は第一審原告主張のとおり昭和四八年一二月一三日土地改良法による換地処分により従前地九筆に対する換地として指定されたものであることはいずれも認めるが、その余は争う。

(二) 本件(二)ないし(四)の各土地((四)については厳密にはその従前地の一部)に関する第一審原告の受贈の主張は、次のとおり不条理である。

(1) 先ず、亡一郎の所有農地については、第一審原告主張の別紙農地目録及び甲第二五号証(作成者不明であって信用性に疑問はあるが)に記載の農地から、次のものは除外すべきである。即ち、

(イ) 字奥瀬古三九番の畑三〇〇平方メートル(本件(一)の土地)は、昭和一〇年頃に鶏舎が建てられ、その後第一審原告がこれを改造して居住しており、昭和二三年当時は現況宅地であった。

(ロ) 字西原二五番一及び二五番三、字左夕原三番、字今田原一番一(本件(二)の土地)の四筆はいずれも地目山林であり、一部開墾中の部分を除き、ほとんど山林として植林等がなされた状態であったので、以上の四筆合計五二〇一平方メートルは農地として取扱われなかった。

(ハ) 字通長五九番の田四九五平方メートルは、大正五年頃訴外甲野梅夫に売却され、同人が耕作していた。

そして、これらを除外すると、亡一郎の所有農地は自創法による保有限度の範囲内であったから、第一審原告の贈与動機の主張は理由のないものであり、却って、かかる贈与をなせば一郎自身がその農業の基盤を失う結果となったものである。

(2) 次に、本件(二)ないし(四)の各土地所在の渥美郡伊良湖岬村における農地買収計画は昭和二二年九月頃にすでに確定しており(農地買収計画承認申請書)、続いて買収手続がなされているので、右各土地を第一審原告に贈与することにしたという時期も、又親族会議で正式に贈与したという時期も、右買収計画とは無関係となるし、そもそも、第一審原告主張のような贈与によって農地買収を免れうる筈がない。

(3) 加えて、第一審原告の主張に添う贈与証書や農地委員会への届出書もなく、固定資産税・各種負担の支払も第一審原告はしていないのであり、そのうえ、第一審原告が贈与を受けたと主張する程度の農地では独立して農業経営するための財産分けとしては到底不十分なものであったことや、第一審原告自身に農業を営む気持も能力もなかったこと等にあらわれているとおり、第一審原告の右各土地の使用は一時的な使用貸借関係にすぎなかったものである。

(三) 右のとおり、本件(二)ないし(四)の各土地は、亡一郎が第一審原告に貸与したに過ぎないものであるから、仮に第一審原告が占有していたとしても、それは他主占有であるのみならず、そもそも第一審原告は、本件(二)及び(三)の各土地を農地として使用しておらず、その他主占有すら継続していないものであり、また、本件(四)の土地(その従前地)を耕作したこともない。

6(一)  同6項は争う。

(二) 本件(一)の土地は、上記のとおり、亡一郎が乾燥室及び豚舎を建築するなどしてその大部分を占有してきたもので、第一審原告がその一部を占有していたとしても他主占有であり、且つ、その占有も継続していない。又、本件(二)ないし(四)の土地についても、自主占有ないし占有継続等の事実の認められないことは前記のとおりである。

7  同7項は、第一審原告が本件各土地を所有するとの部分を除いて認める。

三  第一審被告の抗弁

1  仮に、本件各土地につき第一審原告主張の贈与或いは時効取得が認められるとしても、第一審被告は昭和五〇年七月二日に亡一郎から右各土地の贈与を受けており、登記手続上は上記のとおり同日付売買を原因として同月七日受付による所有権移転登記手続を経由したので、第一審原告は第一審被告に対し、その所有権或いは持分権の取得を主張することはできない。

右に対し、第一審原告は再抗弁として通謀虚偽表示ないし背信的悪意者の主張をなすが、いずれも争う。亡一郎は、農家の常として、後継者育成並びに相続税対策(税の優遇措置がある。)のため、長男である第一審被告に生前贈与したものであって、殊に第一審被告のきょうだいはすべて女子であったから、右の必要性は益々大きく、いずれにせよ、亡一郎から同被告への前記贈与及び登記は、真実その意思をもってなされ、且つ何ら不信義な目的をもってなされたものではない。

なお、仮に亡一郎の第一審被告に対する右贈与が無効であるとすれば、第一審原告は、第一審被告に対し、右所有権移転登記の抹消登記手続を求めうるにとどまり、本件各土地を自己名義にすることを求めるためには、第一審被告(相続放棄をしている。)以外の亡一郎の相続人に対し請求するほかないから、本訴請求は失当である。

2  仮に、右登記欠缺の抗弁が認められない場合には、本訴請求中、本件(一)、(三)及び(四)の土地につき受贈による真正登記名義の回復を求める請求について左記を主張する。

即ち、右各土地はすべて地目が畑であるから、その所有権移転については農地法三条による知事の許可が必要であるところ、右許可申請についての協力請求権は、本件(一)の土地については、その贈与がなされた昭和二一年一月から一〇年となる昭和三一年一月の経過により、また本件(三)及び(四)の各土地については、その贈与がなされた昭和二三年七月から一〇年となる昭和三三年七月の経過により、それぞれ時効により消滅したので、右請求は失当である。

なお、第一審原告は再抗弁として承認による中断を主張するが、右承認の事実は否認する。

四  第一審被告の主張及び抗弁に対する第一審原告の答弁

1  主張に対して

(一) 本件(一)の土地の贈与に関して

亡一郎が昭和二八年頃右土地上に乾燥室及び豚舎を建築した際、第一審原告は同人から借用証をとってその敷地を貸与したものである。

(二) 本件(二)ないし(四)の各土地の贈与に関して

(1) 愛知県農地委員会は、昭和二二年一二月に在村地主の農地保有限度を二町二反と決定し、これに基づき各市町村農地委員会で買収計画が立てられたのであるから、第一審被告主張の同年九月の買収計画は後日変更されているものである。従って、昭和二三年当時、亡一郎が右保有限度を超過する前記農地を買収される可能性があたことに変りはない。

(2) 農村における親族間で農地・山林の分与(贈与)がなされる場合、これについての書面を作成することこそ異常であって、書面など作成しないで現実の引渡をしているのが実情である。

また、農地委員会宛の届出書も現存しないが、本件七反三畝の土地のうち現況農地六反五畝三歩が遂に買収されることなく済んだという事実こそ、右届出がなされたことの何よりの証左である。もし、亡一郎が右七反三畝の土地を第一審原告に貸与してこれを耕作させていたものであって、そしてこの旨を農地委員会に届出ていたものであれば、右六反五畝三歩は、その後昭和二七年三月三一日まで続けられた伊良湖岬村における農地買収において、国に買収されていた筈である。

(3) 本件各土地の公租・公課につき、これを第一審原告が負担せず、亡一郎が負担することになったのは、昭和二三年七月の親族会議において、亡一郎は字宮裏一五番の土地に第一審原告の家屋を新築して与えることを約したが、第一審原告の収入が少ないので、右家屋の完成までは本件各土地の公租・公課を亡一郎において負担することも定められたからであるが、亡一郎は右約束を履行せず且つ本件各土地の名義変更もなさなかったので、右公租・公課は名義人である亡一郎側において負担したまま今日に至ったものである。

2  抗弁に対して

(一) 抗弁1は、本件各土地につき第一審被告主張の売買を原因とする所有権移転登記手続がなされていることは認めるが、その余は争う。

(二) 抗弁2は争う。本件(一)の土地は現況が宅地であるから、これが所有権移転につき農地法三条による許可は不要である。

また、本件(三)及び(四)の各土地は、本件贈与がなされた昭和二三年七月当時は末だ亡一郎の所有名義とはなっていなかったため、昭和二四年初頃、亡一郎と第一審原告との間において、右各土地の所有名義を第一審原告に移転するための諸手続(農地法三条による愛知県知事に対する所有権移転許可申請手続を含む。)は、亡一郎が相続地を自己名義にすると同時に行うとの約定が成立した。従って、右各土地についての知事に対する許可申請の協力請求権は、右各土地が亡一郎名義となった時より行使しうるから、右請求権の消滅時効もその時から進行すると解すべきところ、本件(三)の土地が亡一郎名義となったのは昭和四七年一一月一〇日であり、本件(四)の土地が同人名義となったのは昭和四五年五月一六日(但し、この当時は土地改良法による換地処分前であり、字三角原一番一五を含む従前地につき同人名義の保存登記がなされた。)であるから、右請求権が一〇年の時効により消滅する以前に本訴が提起されたことは明らかである。

五  第一審原告の再抗弁

1  仮に第一審被告が亡一郎から本件各土地の贈与を受けたとしても、右は両者による通謀虚偽表示であり、然らずとしても、第一審被告はいわゆる背信的悪意者であるから、第一審原告に対し登記の欠缺を主張することはできず、従って、第一審原告は第一審被告に対し登記なくして、本件各土地の所有権ないし持分権の取得を対抗することができる。即ち、

(一) 第一審被告は、亡一郎の法定推定相続人として、同人が死亡したときは、第一審原告のために本件各土地につき所有権ないし持分権の移転登記手続をなすべき義務を負う者であったところ、第一審原告が亡一郎を相手方として、昭和五〇年三月二八日、本件各土地等につき所有権移転登記手続を求める訴訟(豊橋簡易裁判所昭和五〇年(ハ)第一八〇号)を提起した後、その口頭弁論期日には、第一審被告は必ず傍聴し、右事件が調停に付されてからは、第一審被告が亡一郎に代って調停期日に出頭していたものである。しかるに、第一審被告は、右調停中の昭和五〇年七月七日に、亡一郎所有のほとんどの農地につき自己名義に所有権移転登記を経由したが、その際本件各土地についても前記の如く所有権移転登記を了したものである。

(二) 右のとおりであるから、第一審被告は、本件各土地の贈与を受けこれにつき所有権移転登記を了した当時、右各土地につき不動産登記法五条にいう「他人ノ為メ登記ヲ申請スル義務アル者」には直接該当しないにしても、これに準ずる者であったことは明らかであり、しかも、第一審被告は、第一審原告が前に右各土地の贈与を受けたことを知っていたものであり、その上で前記訴訟の解決の衝に当たりながら、あえて右各土地の贈与を受けたものであるから、第一審被告は、いわゆる背信的悪意者であり、第一審原告の本件所有権及び持分権の取得につき、これが登記の欠缺を主張しうる第三者には該らない。従って、第一審原告は第一審被告に対し、登記なくして、本件所有権及び持分権の取得を主張することができる。

2  仮に、本件(三)及び(四)の各土地についての愛知県知事に対する所有権移転許可申請の協力請求権が本件贈与のあった昭和二三年七月に発生し、その時から消滅時効が進行するとしても、第一審原告は、亡一郎に対し、昭和二四年初頃から毎年のように直接或いは人を通じて右各土地の所有名義を第一審原告に移転するための手続をなすよう請求し、亡一郎は、その都度近いうちに右手続をするからといってこれを承諾し続けてきたものであって、昭和四九年中頃に至って初めてこれを拒絶したにすぎないから、亡一郎は、おそくとも昭和二五年頃から同四九年中頃に至るまでの間、毎年のように右各土地についての右請求権の存在を承認し続けていたものというべきである。従って、右請求権の消滅時効は右期間中は毎年のように中断されていたものであるところ、本訴が提起されたのは昭和五一年三月一八日であるから、第一審被告の前記消滅時効の抗弁は失当である。

第三証拠関係《省略》

理由

一  本件各土地がもと亡太郎の所有であったこと、第一審被告の亡父一郎と第一審原告とは亡太郎の子(亡一郎が長男で、第一審原告が三男)であること、亡太郎が昭和二一年二月六日死亡し、長男亡一郎が亡太郎から農地等を家督相続したこと、第一審原告が、同年二月一七日に先妻乙山春子との婚姻届をするとともに分家届をしたが、同年九月三〇日に右春子との協議離婚届をしたこと、また昭和二四年五月六日に現在の妻夏子との婚姻届をしたこと、亡一郎が自創法により二反一畝一二歩の農地を買収されたこと、本件(四)の土地は第一審原告主張のとおり昭和四八年一二月一三日土地改良法による換地処分として従前地九筆に対する換地として指定されたものであること、第一審被告が本件各土地につき昭和五〇年七月七日に同月二日付売買を原因として所有権移転登記手続を経由したこと、亡一郎が昭和五一年二月一九日死亡したこと、以上の各事実はいずれも当事者間に争いがない。

二  本件(一)の土地の贈与の存否及び同土地の現況

《証拠省略》を総合すると、第一審原告は、昭和一二年に戦地で負傷し、以来病院を転々として療養生活を送っていたが、地元の渥美病院を退院した頃の昭和二〇年一〇月に先妻春子と結婚し、川瀬病院の離れで婚姻生活に入ったが、同年暮頃父太郎から、本件(一)の土地上に存在した鶏舎を居住用に改造するために贈与を受け、その際、財産分けとして右土地をも併せて贈与を受けたこと、第一審原告は、右鶏舎を住居に改造して翌昭和二一年一月頃からこれに移り住み、昭和二七年頃には一部増築し、今日まで居住していること、右贈与当時の右土地の状況は右鶏舎の敷地部分を除き残部は畑となっていたが、以後残部も建物の敷地及び駐車場等に利用され、現況は宅地となっていること、以上の各事実が認められ(る。)《証拠判断省略》、(《証拠省略》によれば、亡一郎は昭和二六年頃に右土地の一部に乾燥室等を建て、昭和五〇年頃にはこれを取壊して、その跡地を現在第一審被告において駐車場に利用していることが認められるが、《証拠省略》によれば、右乾燥室等の建築については、亡一郎は第一審原告の承諾を受けているものであることが認められ、また、《証拠省略》によれば、右跡地の利用については、第一審原告が昭和五二年六月名古屋地方裁判所豊橋支部に第一審被告を相手方として提起した立入禁止仮処分事件における裁判上の和解により、本件訴訟が終了するまでの仮の措置として使用しているものであることが認められる。)。

三  本件(二)及び(三)の各土地並びに本件(四)の土地の持分についての贈与の存否

1  《証拠省略》を総合すると、次の各事実が認められる。

(一)  亡一郎は、亡太郎所有の農地(小作させていた農地を含む。)等を家督相続したが、自創法による農地買収が行われる以前の亡一郎所有の農地面積は、地目にかかわらず当時の現況が農地であるものを含めて、合計約三町一反一畝七歩であった(別紙農地目録記載の現況農地二町九反五畝二六歩((同別紙に合計二九、三〇四・二二平方メートルとあるのは誤算であり、合計二九、二九一・二二平方メートルが正しいので、これを換算したもの。))と亡一郎の被買収農地二反一畝一二歩を合計した面積三町一反七畝八歩から、本件(一)の土地の三畝一歩は当時の現況は宅地と認定し、また、字西原二五番一の畑二八八平方メートルのうち約三畝は当時の現況は山林と認定し、これらを差引いたものである。)。

(二)  ところで、亡一郎は、昭和二二年一〇月二日、伊良湖岬村農地委員会が同年九月一日作成した農地買収計画により、前記保有農地のうち小作地としていた農地二反一畝一二歩を買収されたが、同年一二月の愛知県農地委員会の議決によれば、当地方の農地保有限度面積は二町二反(右議決前は二町四反)と定められたので、亡一郎の保有農地はなお約六反九畝二五歩が超過面積となり、これが自創法により買収されることが予想された。

(三)  そこで、亡一郎は、右被買収面積相当の農地等を弟らである二男の訴外亡二郎(当時すでに戦死していたので、その妻子)と三男の第一審原告に財産分けとして贈与しようと考えその意向を伊良湖岬村農地委員会に届出た。

(四)  そして、亡一郎は、昭和二三年七月頃、親族が寄り合った際、訴外甲野竹夫(亡一郎及び第一審原告の妹の夫)及び同甲野松夫(右竹夫の従兄弟)らの立会の上で、第一審原告に対し、(イ)字東松本一番ないし三番の田合計一反五畝、(ロ)字宮ノ前四四番の畑七畝四歩(本件(三)の土地)、(ハ)字今田原一番一の山林一反五畝一歩(うち現況畑が約一反)(本件(二)の土地)、(ニ)字土ノ花五二番の畑二畝二八歩(本件(四)の土地の従前地の一部)、以上合計四反三歩(うち現況農地は合計三反五畝二歩)を贈与し、その頃これらの引渡をした。

また、二男の亡二郎分として、(イ)字東松本四番及び五番の田合計一反(字飛越三九番及び四〇番の田合計一反と交換されたもの)、(ロ)字三角原一番一五の畑のうち二反、以上三反を贈与することとし、ただこの分は、右二郎の妻子が実際には農業を営むことがなかったので、第一審原告にとりあえず耕作させることにした。

ちなみに、亡一郎は、右各贈与を行ったことにより、前記保有農地につき再度の買収は免れた。

(五)  しかして、第一審原告は、先妻春子と結婚して分家届をしたときは、亡一郎の農業を手伝っていて独立の農家とはいえなかったが、右農地の贈与を受けこれが耕作を始めたときから独立の農家として扱われ、昭和二三年度後期分より地元渥美町堀切の自治会費を支払うことになったし、耕作地にかかってきた灌漑工事費等も負担してきた。

2  《証拠省略》中、前項の認定に反する部分は、前掲各証拠に照らして採用できず、他に右認定を覆えすに足る証拠はない。その理由は次のとおりである。

(一)  昭和二二年当時の亡一郎の保有農地等について

先ず、第一審原告主張の別紙農地目録記載の農地等は、前記土地改良法による換地処分以前の従前地によるものであるから、換地があったものについても重複することはない。

そこで、亡一郎が右当時に同目録記載の農地等(それが第一審原告主張のとおりすべて現況農地であったと認められるか否かについては後記(二)に述べる。)を所有していたか否かについては、《証拠省略》に照らすと、結局、第一審被告も、(イ)字通長五九番の田四九五平方メートル、(ロ)字奥瀬古四一番の畑八九平方メートル、(ハ)字荒古五四番二の畑二九平方メートルの三筆を除き、他はすべてこれを亡一郎の所有であったと認めているものである。

そして、右三筆の農地についても、《証拠省略》によれば、亡一郎は前記農地買収以前にこれらの農地を所有していたものと推認され、この認定を左右する証拠はない。

(二)  右農地等の現況について

昭和二二年当時の現況につき争いのあるものについては、次のとおりである。

(1) 善治組五九番の畑六六七平方メートル

右土地は地目が畑であることと、《証拠省略》によれば昭和二九年頃の亡一郎の耕作地を摘記したものと認められる《証拠省略》に照らすと、全部が現況畑であったと認めるのが相当であり、これに反する《証拠省略》はにわかに措信できず、他に右認定を覆えすに足る証拠はない。

(2) 字宮裏一〇番の畑一四五平方メートル

右土地は地目が畑であることと、《証拠省略》に照らすと、現況畑であったと認めるのが相当であり、これに反する《証拠省略》はにわかに措信できず、他にこれを左右するに足る証拠はない。

(3) 字奥瀬古三九番の地目畑三〇〇平方メートル(本件(一)の土地)

前記第二項に認定の如く、鶏舎を改造した建物の敷地部分を除き畑に使用されていたが、全体としては現況宅地と認定するのが相当である。

(4) 字西原二五番一の畑二八八二平方メートル及び二五番三の畑一六平方メートル

《証拠省略》によれば、昭和二〇年五月に地目山林に変更した旨の各登記が昭和四四年二月九日になされているが、《証拠省略》によれば、右二五番一については、そのうち約二反六畝が現況畑で、残余の約三畝は現況山林であったと認めるのが相当であり、また右二五番三は現況畑であったと認めるのが相当であって、これに反する《証拠省略》はにわかに措信できず、他に右認定を覆えすに足る証拠はない(《証拠省略》には右二五番一の耕作面積は五〇〇平方メートルと記載されているが、右は前記認定の如く昭和二九年頃の耕作状況を表わしたものであるから、これによって直ちに同年頃より相当以前の昭和二二年頃も同様の状態であったと推認することは出来ない。)。

(5) 字左夕原三番二の山林七八三平方メートル

《証拠省略》によれば、現況畑(桑畑)であったと認めるのが相当であり、右認定に反する《証拠省略》はにわかに措信し難く、他に右認定を左右する証拠はない。

(6) 字今田原一番一の山林一四九〇平方メートル(本件(二)の土地)

《証拠省略》によれば、右土地のうち約一反は現況畑であったと認められ、右認定を左右する証拠はない。

(三)  第一審被告は、渥美郡伊良湖岬村における農地買収計画は昭和二二年九月頃にすでに確定し、引続き買収が行われているので、第一審原告の主張する贈与は時期的に見ても右計画とは無関係であり、また右のような贈与によって農地買収を免れうる筈がない旨主張する。

しかして、《証拠省略》によれば、亡一郎は右買収計画によって農地二反一畝一二歩を買収されたものであるが、右は小作地買収であったことが認められる。そして、《証拠省略》によれば、伊良湖岬村における農地買収は昭和二二年三月三一日から同二七年三月三一日までの間において一三回に亘って行われていることが認められ、この間の昭和二二年一二月には前記の如く農地保有限度も二町二反に変更になったものであるから、右保有限度を超えた亡一郎の農地は買収の対象となったものである。しかるところ、《証拠省略》によれば、農地委員会へ出された亡一郎の前記贈与の届出が真実のものであれば、農地委員会においても農地買収の際に考慮していたものであることが観取される。

(四)  また、第一審被告は、贈与証書や農地委員会への届出書もなく、第一審原告において固定資産税も負担していないから、その主張の贈与があったとはいえない旨主張する。

しかしながら、本件が農村地域における親族間の贈与であること、また、自創法による農地買収という公的事情が贈与の重要な動機となっているので、右贈与の存否が後日当事者間で争いとなるという懸念はさほど抱かなかったであろうと思われることに照らすと、贈与証書や届出書が存在しないことをもって、未だ前記贈与の認定を覆えすに足りない。

また、第一審原告において固定資産税を負担していない点については、《証拠省略》によれば、夏子と第一審原告との結婚話が持ち上った際、第一審原告は鶏舎を改造した建物に居住しており、経済的にも貧困の状態にあったので、亡一郎は仲人を通じ夏子に対し夫婦のため新居を建築する旨伝えてあったが、昭和二三年七月に前記贈与が行われた際に右新居建築の話が出たとき、亡一郎は右新居が建築されるまでは本件各土地の固定資産税も自分の方で負担する旨述べていたところ、右新居は建築されず、本件各土地についての名義移転もなされずに来たため、固定資産税も所有名義人である亡一郎側において支払い、今日に至ったものであることが観取される。従って、固定資産税不払の点も前記贈与の認定を覆えすに足りない。

さらに、第一審被告は第一審原告が農業を営む気持や能力がなかった旨主張するが、《証拠省略》によれば、第一審原告ら家族は、農業を主とし、みそ・たまりの小売商を副業として生計を立ててきたものであることが認められるので、右主張は採用できない。他に前記贈与の認定を左右するに足る証拠はない。

なお、農地調整法四条二項三号に規定する農地買受適格の基準面積については、昭和二四年九月二七日愛知県知事告示第七九〇号により二反歩と定められたが、それ以前においては特に定めがなかったことは、当裁判所に顕著であるから、右買受適格の点で第一審原告主張の贈与が支障を来すものではなかった。

3  本件(四)の土地に関する第一審原告の権利関係について

前記土地改良法による換地の結果、第一審原告は前記贈与を受けた従前地の割合により本件(四)の土地の持分を、従ってその移転請求権を取得したものと解するのが相当である。そうすると、第一審原告の右請求権の持分割合は八〇〇三分の九〇となる。

四  第一審被告主張の贈与の存否

第一審被告が、本件各土地につき、昭和五〇年七月七日、登記簿上は同月二日付売買を原因として、亡一郎より所有権移転登記を経由したことは当事者間に争いがなく、《証拠省略》によれば、第一審被告は、昭和五〇年七月二日亡一郎から、本件各土地の贈与を受けたものであることが認められ、この認定を左右するに足る証拠はなく、また、右贈与が亡一郎と同被告間の通謀虚偽表示によると認むべき確証は存しない。

五  以上に認定したところによれば、本件(一)ないし(三)の各土地の所有権及び本件(四)の土地の持分八〇〇三分の九〇は、亡一郎の生前に第一審原告と第一審被告に二重に譲渡されたこととなるところ、第一審被告はすでにこれらにつき所有権取得の登記を経由したものであるが、第一審原告は、第一審被告は背信的悪意者であって、第一審原告の登記の欠缺を主張することができない旨主張するので検討する。

《証拠省略》によれば、第一審被告は亡一郎の長男で同人が死亡した昭和五一年二月一九日当時まで同人と同居して来たこと、第一審原告は亡一郎に対し昭和二四年頃から再三に亘って前記受贈土地の名義変更を請求してきたところ、その都度同人はこれに応ずるかの如き態度を示しながら、昭和四九年頃になってこれを拒絶するに至ったこと、そこで第一審原告は本訴提起前の昭和五〇年三月二八日豊橋簡易裁判所に亡一郎を相手方として本件各土地につき所有権移転登記手続を求めて提訴したところ、右訴訟の口頭弁論期日には第一審被告は必ず傍聴し、また右訴訟が調停に付されるや、第一審被告は亡一郎に代って調停期日に出頭していたこと、以上の各事実が認められ、これを左右するに足る証拠はない。

これらの事実によれば、第一審被告は、亡一郎から本件各土地の贈与を受けた当時、右各土地がすでに第一審原告に贈与されていたこと、従って亡一郎が贈与者としての義務を負担することを知っていたものと推認するのが相当である。しかも、第一審被告が亡一郎から本件各土地の贈与を受けたのは、右訴訟が提起されてからわずか四ヵ月後で右調停中の時期であり、また、《証拠省略》によると、その後亡一郎が昭和五一年二月一九日に死亡すると、第一審被告は直ちに相続を放棄している事実が認められることをも併せ考えると、右被告への贈与は、亡一郎の第一審原告に対する贈与者としての義務を承継することを回避しつつ、しかも、相続開始による本件各土地の所有権の取得に代えて、予め生前に、将来相続開始後第一審被告に帰属するであろう財産を取得する趣旨で行われたものと推認するに難くないところである。

以上に認定したところによれば、亡一郎の相続人としてのその権利義務を承継すべき地位にあった第一審被告は、亡一郎が本件(一)ないし(三)の各土地の所有権及び本件(四)の土地の持分八〇〇三分の九〇をすでに第一審原告に贈与し、贈与者としての義務を負担していたことを知りながら、右義務を承継することを回避するため、相続による所有権取得に代えて、生前贈与により本件各土地の所有権を取得しようと図ったものであり、他方、第一審原告が右受贈土地につき所有権取得の登記を経由しなかったことにつき格別非難さるべき事情も認められないから、かかる事情の下で第一審被告が第一審原告の登記の欠缺を主張してその所有権の取得を否定することは、不動産登記法五条に準ずる背信的行為に該るものと解するのが相当である。従って、第一審被告は第一審原告の登記の欠缺を主張することはできず、その反面、第一審原告は、所有権移転登記の未経由にかかわらず、贈与による所有権取得をもって第一審被告に対抗することができるものと解すべきである。

しかして、第一審原告は、本件(一)(現況宅地につき農地法三条による愛知県知事の許可は不要)及び(二)(山林)の各土地につき、前記贈与により所有権を取得したものであるから、右各土地につき所有権に基づき、登記名義人である第一審被告に対し、真正なる登記名義の回復を原因として、所有権移転登記手続を求めることができるというべきである。

しかしながら、本件(三)及び(四)の各土地は農地であるから、これにつき所有権を移転するには農地法三条による知事の許可が必要であるところ、右許可申請義務者は、右各土地((四)の土地については前記持分)の贈与者である亡一郎の相続人であって、第一審被告ではないから、右各土地につき第一審被告に対し右許可を得たうえ所有権移転登記手続をなすべく求める第一審原告の本訴請求は、すでにこの点において失当として排斥を免れない(第一審原告としては、右許可申請義務者の協力を得て右許可を受けたうえ、第一審被告に対し所有権移転登記手続を求めるか、又は右協力も得られない場合には、右の者と第一審被告の双方を相手方にして提訴すべきものであった。)。

六  そこで進んで、本件(三)及び(四)の各土地((四)については前記持分)についての第一審原告の時効取得の有無を検討する。

1  《証拠省略》によれば、第一審原告は、昭和二三年七月に亡一郎から本件(三)の土地及び字土ノ花五二番の畑二畝二八歩の贈与を受け且つその引渡を受けて以来これを耕作し、本件(三)の土地については昭和四九年頃まで、また字土ノ花五二番の畑については昭和四〇年頃までこれを続けたこと、右各土地の引渡を受けた際第一審原告はこれらの土地の所有権を得たものと信じていたところ、その間過失と咎むべき事情も存しないことが認められるので、第一審原告は、昭和二三年七月頃から右各土地を所有の意思をもって平穏且つ公然に占有し、しかも右占有の始め善意にして過失がなかったというべきであるから、右占有を開始してから一〇年となる昭和三三年七月の経過をもって、右昭和二三年七月(そのうち確実な同月末日)にさかのぼり、右各土地の所有権を時効取得したものというべきである。

ところで、右のうち字土ノ花の畑については、他の八筆の土地と共に減歩のうえ本件(四)の土地に換地されていることはさきに認定のとおりであるから、右換地がいわゆる原地換地であるか飛換地であるかを問わず、第一審原告は、本件(四)の土地につき、右土ノ花の土地相当の八〇〇三分の九〇の割合による共有持分を右時効により取得したものと解するのが相当である(原地換地の場合でも、数筆の従前地に対し減歩のうえ一筆の土地が換地され、その従前地中に時効取得された土地が存する場合には、結局時効取得部分の形状が不確定となることは免れないが、しかし、かかる結果は隠れたる時効取得地が存する場合には避けえないものであるから、右のような場合、時効取得した土地の所有者とその余の土地の所有者との間に、換地による共有関係が成立すると解するのほかない。)。

2  しかし、本件(四)の土地の従前地のうち第一審原告の主張する字三角原一番一五の畑中の二反については、前記第三項に認定したところによれば、第一審原告の占有は当初から使用貸借に基づくものであったというべく、従ってその占有は他主占有であって、その後これが自主占有に変更したと認むべき証拠もないから、右土地、従ってこれに対応する本件(四)土地の持分の時効取得の主張はこの点において失当である。

3  しかして、第一審被告が亡一郎から本件各土地の贈与を受けた当時本件(三)の土地及び字土ノ花五二番の土地がすでに第一審原告に贈与されていたことを知っていたものと推認するのが相当であることはさきに判示のとおりであり、また、《証拠省略》によれば、第一審被告は第一審原告が右の両土地を前記認定の時効期間に亘って耕作してきたことを知っていたことが認められるので、第一審被告は第一審原告の前記取得時効の事実を知っていたものと認めるのが相当である。そして、土地所有権の争いにつき取得時効が援用されることはよくあることであり、このことは相手方においても当然予想してかかるところといえるから、第一審被告は、亡一郎が時効による所有権移転義務を負担していたことを知りながら、右義務の承継をも回避せん意図の下に前記自己への贈与を受けたものと推認されるので、かかる事情の下においては、前同様に第一審被告は第一審原告の登記の欠缺を主張することは許されないと解するのが相当である。それ故、第一審原告は、前記時効による所有権の取得をもって第一審被告に対抗することができるものと解すべきである。

しかして、時効による農地所有権の取得には農地法所定の許可を要しないと解すべきであるから、第一審原告は、前記時効の完成により、本件(三)の土地の所有権及び本件(四)の土地の八〇〇三分の九〇の持分権を取得したものである。よって、同原告は、右(三)の土地の所有権及び右(四)の土地の持分権に基づき、登記名義人である第一審被告に対し、右時効取得を原因として、所有権移転登記手続及び持分権移転登記手続を求めることができるというべきである。

七  結論

以上のとおりであるから、第一審原告の第一審被告に対する本訴請求は、本件(一)及び(二)の各土地については、いずれも真正なる登記名義の回復を原因として、また、本件(三)及び(四)の各土地((四)は持分八〇〇三分の九〇)については、いずれも昭和二三年七月末日時効取得を原因として、各所有権ないし右持分権の移転登記手続を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当として棄却すべきである。

よって、第一審原告の控訴に基づき、原判決中右と異なる部分を主文第一項のとおり変更し、第一審被告の控訴は理由がないからこれを棄却すべく、なお原判決主文第一項につき登記原因を明らかにするためこれを更正し、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、八九条、九二条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小谷卓男 裁判官 寺本栄一 裁判官三関幸男は転任につき署名押印することができない。裁判長裁判官 小谷卓男)

<以下省略>

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