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名古屋高等裁判所 昭和53年(ネ)338号 判決 1979年6月27日

控訴人 篠田守

右訴訟代理人弁護士 阿久津英三

被控訴人 渡辺芳子

右訴訟代理人弁護士 伊藤好之

主文

本件控訴を棄却する。

ただし、被控訴人の請求の趣旨訂正により、原判決主文第一項を次のとおり変更する。

別紙目録記載の土地につき、被控訴人が、賃貸人を控訴人、賃料を月額一万七七二七円、期間を昭和五二年一〇月二六日から二〇年、目的を普通建物所有とする賃借権を有することを確認する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

(申立)

一  控訴人

原判決を取り消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

二  被控訴人

主文第一、四項と同旨(なお、当審において主文第三項のとおり請求の趣旨を訂正した。)。

(主張)

一  被控訴人の請求原因

1  被控訴人の先代渡辺儀三郎と控訴人の先代篠田幸蔵との間に、昭和元年ころ、別紙目録記載の土地(以下本件土地という。)につき、幸蔵を賃貸人、儀三郎を賃借人とし、普通建物所有を目的とする賃貸借契約が締結された。

2  被控訴人は、昭和一九年五月一日、儀三郎死亡に伴う相続により同人の本件土地賃借人としての権利・義務を承継したところ、昭和三三年九月五日、昭和簡易裁判所において、幸蔵と被控訴人間に、本件土地の賃借権の存続期間を昭和三二年一〇月二六日以降二〇年とする旨の調停(同裁判所昭和三三年(ユ)第三六号事件)が成立した。しかして、控訴人は、昭和三四年九月七日、幸蔵死亡に伴う相続によって同人の本件土地賃貸人としての権利・義務を承継した。なお、本件土地の賃料は、昭和五一年中に控訴人、被控訴人間の合意により月額一万七七二七円と改定された。

3  被控訴人は、前項の存続期間が満了する昭和五二年一〇月二五日ころ控訴人に対し、契約更新の請求をしたが、その当時本件土地上には建物が存在していたので、本件土地の賃貸借契約は更新されてさらに二〇年間継続することとなった。

しかるに、控訴人は、右契約は既に終了していると主張して被控訴人の本件土地に対する賃借権の存在を争う。

よって、被控訴人はこれを有することの確認を求める。

二  請求原因に対する控訴人の認否

本件土地の賃貸借契約が更新されたとの主張は争うが、その余の事実はすべて認める。

三  控訴人の抗弁

1  昭和四三年一月九日、名古屋地方裁判所において、控訴人と被控訴人間に、本件土地の賃貸借につき次の(1)、(2)のとおりの内容の調停(同裁判所昭和四一年(ユ)第一一五号事件)が成立した。

(1) 被控訴人が本件土地上に既存するその所有の建物の大修繕をするには控訴人の書面による承諾を受けなければならない(調停条項八項)。

(2) 被控訴人が前項に違反したときは、控訴人は、被控訴人が本件土地の賃借権を放棄したものとみなし被控訴人に対し直ちに本件土地上の建物の収去と本件土地の明渡を請求することができる(調停条項九項)。

ところが、本件土地上に存在した被控訴人所有の建物は、昭和五二年二月一三日、火災によりその床、柱、屋根、壁の一部を残して焼失した。そこで、被控訴人は、同年五月ころ、控訴人の書面による承諾を受けることなく本件土地上において建物の復元工事(以下本件工事という。)をした。

本件工事は前記調停条項八項にいう大修繕に該当するので、控訴人は、同工事完了当時被控訴人に対し、同九項に則り建物収去と本件土地の明渡を求めた。これにより被控訴人の本件土地に対する賃借権は消滅した。

2  仮にこの主張が認められないとしても、控訴人は、被控訴人の契約更新の請求に対し遅滞なく異議を述べたものであり、かつ、右異議を述べるについては正当事由があるので、右賃借権は昭和五二年一〇月二五日の経過とともに期間満了によって消滅した。

右正当事由の根拠となる事情は次のとおりである。

(1) 本件工事は賃借土地上の建物滅失後残存賃借期間をこえて存続すべき建物の築造というべきものであるところ、控訴人はこれにつき遅滞なく異議を述べたのにかかわらず、被控訴人は工事を断行した。

(2) 被控訴人は、昭和四三年に前記調停が成立する以前において、しばしば本件土地の賃料の支払を怠り、またその賃料増額についても円満な話合に応ぜず、さらに長期にわたり故意にその行方をくらましていたこともあったため、本件土地の賃貸借に関する紛争の解決は常に調停申立あるいは訴提起によらざるをえなかった。

(3) これらの被控訴人の態度は賃貸借契約当事者間の信頼関係を破壊するものである。

四  抗弁に対する被控訴人の認否と主張

1  その1のうち、本件工事が調停条項八項にいう大修繕に該当するとの主張及び賃借権が消滅したとの主張は争うが、その余の事実はすべて認める。

本件のように建物が火災により焼失した場合の復元ないし新築工事については同条項はそもそも適用の余地はないものである。

仮に、かかる場合にも同条項が適用されるとしても、本件土地の賃貸借が終了するいわれはない。すなわち、被控訴人は、本件土地上の既存建物焼失のためこれに居住しえなくなったので、その復元ないし新築を企図したものの、控訴人にその施工を反対され、やむなく名古屋地方裁判所において、その施工につき控訴人の妨害を禁止する旨の仮処分決定を得たうえ、従前の建物より小規模の建物を建築して本件工事を完了したものである。これらの事情に照らすと、本件工事施行はいまだ賃貸借の基礎である当事者間の信頼関係を破壊する性質のものとはいえず、そうであれば、控訴人としては、調停条項九項により賃貸借の解消を主張することはできないものと解すべきである。

2  同2のうち、控訴人が契約更新の請求に対し遅滞なく異議を述べたこと、本件工事が賃借土地上の建物滅失後残存賃借期間をこえて存続すべき建物の築造というべきものであること、右築造につき控訴人が遅滞なく異議を述べたのに被控訴人が工事を断行したことは認めるが、正当事由があるとの主張は争う。

本件工事施工は、前項で主張したとおり当事者間の信頼関係を破壊する性質のものとはいえないので、控訴人においてこれにつき異議を述べたとしても、更新拒絶の正当事由となすことはできない。また、被控訴人は、昭和四三年に調停が成立する以前の一時期一身上の都合でやむなく本件土地上に存した建物に居住していなかったことがあり、そのため控訴人からの賃料増額請求の意思表示を受けることができず、訴を提起されたことがあるが、右調停成立以後は賃貸借契約当事者間の信頼関係を破壊するような行為はなんらしていない。

(証拠関係)《省略》

理由

一  被控訴人の先代渡辺儀三郎と控訴人の先代篠田幸蔵との間に、昭和元年ころ本件土地につき、幸蔵を賃貸人、儀三郎を賃借人とし、普通建物所有を目的とする賃貸借契約が締結されたこと、被控訴人が昭和一九年五月一日相続により儀三郎の賃借人としての権利・義務を承継したこと、昭和三三年九月五日昭和簡易裁判所において、幸蔵と被控訴人間に、本件土地の賃借権の存続期間を昭和三二年一〇月二六日以降二〇年とする旨の調停(同裁判所昭和三三年(ユ)第三六号事件)が成立したこと、控訴人が昭和三四年九月七日相続により幸蔵の賃貸人としての権利・義務を承継したこと、本件土地の賃料が昭和五一年中に控訴人、被控訴人間の合意により月額一万七七二七円と改定されたこと、被控訴人が右存続期間満了のころ控訴人に対し契約更新の請求をしたこと、その当時本件土地上には建物が存在していたこと、控訴人が右賃貸借契約は既に終了していると主張して被控訴人の本件土地に対する賃借権の存在を争っていること、以上の事実は当事者間に争いがない。

二  よって、控訴人の抗弁につき順次検討する。

1  その1―調停条項違反に関するもの―について

昭和四三年一月九日名古屋地方裁判所において、控訴人と被控訴人間に、本件土地の賃貸借につき、(1)被控訴人が本件土地上に既に存するその所有の建物の大修繕をするには控訴人の書面による承諾を受けなければならない(調停条項八項)、(2)被控訴人が前項に違反したときは、控訴人は被控訴人が本件土地の賃借権を放棄したものとみなし被控訴人に対し直ちに本件土地上の建物の収去と本件土地の明渡を請求することができる(調停条項九項)との内容の調停(同裁判所昭和四一年(ユ)第一一五号事件)が成立したこと、昭和五二年二月一三日本件土地上に存した被控訴人所有の建物が、火災により、床、柱、屋根、壁の一部を残して焼失して滅失したこと、被控訴人が、同年五月ころ、控訴人の書面による承諾を受けることなく、残存賃借期間をこえて存続すべき建物を築造し、もって本件工事をなしたこと、控訴人が本件工事完了当時被控訴人に対し右調停条項九項に則り建物収去と本件土地の明渡を求めたことは、当事者間に争いがない。

ところで、被控訴人は、右調停条項八項は本件のように建物が火災により焼失した場合の復元ないし新築工事についてはそもそも適用の余地はないと主張するが、この主張を肯認すべき的確な根拠はない。かえって、同条項は、火災等の場合を除くとかあるいは所定の大修繕とは通常の朽廃の進行過程においてその必要が生じたものに限るとかの約定が存在する等特段の事情のない限り、該大修繕を必要とするに至った原因のいかんを問わず適用されるべきものであり、また、大修繕という中には建物滅失の場合の新築もこれに含まれるものと解するのが相当である。してみれば、本件工事が同条項に違反するものであることは明らかである。ただ、かく解したとしても、同条項違反のすべての場合に右調停条項九項による賃貸借契約消滅の効力を生ぜしめるのは相当ではなく、この効力が発生するか否かは、該所為が賃貸借契約の基調をなす当事者間の信頼関係を破壊するに至る性格のものであるかどうかを考慮して決すべきものとするのが契約の合理的解釈上自明の理というべきである。

ところで、《証拠省略》を総合して考えると、本件土地上に従前存在し、前記火災によって焼失した建物は、木造瓦葺平家建て床面積は約五〇平方メートル(ただし、登記簿上は三〇・五七平方メートル)であり、昭和二〇年ころこのうち床面積約三〇平方メートル部分が建てられ、昭和三三年ころ床面積約一五平方メートル部分が、さらに昭和四三年ころ同約五平方メートル部分が各増築されてできたものであるところ、右火災当時なお賃貸借の残存期間をこえてさらにかなりの期間存続しうるものであったこと、右火災は、当時被控訴人から従前の建物の一部を借用していた訴外下里某の失火によるものであったこと、被控訴人は従前の建物の焼失によりこれに住むことができなくなったものの、他に住居がないためやむなく、焼け残った屋根にシートをかぶせて一時雨露をしのいでいたが、その矢先の昭和五二年二月一九日ころ、控訴人から、その書面による承諾がない限り本件土地上に建物を新築することあるいは新築に等しい大修繕をすることを厳禁する旨及びこれに違反したときは賃貸借契約を解除する旨記載した内容証明郵便を受領したこと、そこで被控訴人は、同年三月二五日ころ、控訴人に対し、焼け残った部分を利用して従前の建物に近い程度に復元工事をしたいとして承諾を求めたが、これを拒絶され、ただ、被控訴人において本件土地につき賃借権その他なんらの占有権原のないことを承認したうえ、被控訴人のみが居住するための最少限の簡易な建物を建てることなら承諾する、なお、その場合においても、その建物に他人を同居させず、また相続人にもこれを承継使用させないこと及び使用損害金として当時の賃料たる月額一万七七二七円を支払う等の条件を付する旨の返答を得たこと、被控訴人としては、この旨をうけ容れることは到底できず、やむなく名古屋地方裁判所において、控訴人による工事妨害禁止の仮処分決定を得たうえ、焼け残った、柱、壁をも利用して本件工事を完了したが、できた建物は従前の建物より小規模で、木造スレート葺平家建床面積二八・五三平方メートルであったこと、以上のとおり認められ、右認定を左右しうる証拠はない。

右事実関係に照らすと、被控訴人が本件工事をなしたのはまことにやむなきものであったし、これをなした経緯やその規模等においてもなんら不当とすべき点はないものといわなければならない一方、控訴人が被控訴人からの工事承諾の要求を拒絶したについてはしかるべき理由があるとすることはできないのであって、これを要するに、本件工事を目して当事者間の信頼関係を破壊するに足りるものとなすことはできず、控訴人としては前記調停条項九項により賃貸借契約消滅を主張するをえないものというべきである。

よって、控訴人の抗弁1は理由がないので採用することができない。

2  その2―更新拒絶に関するもの―について

控訴人が被控訴人の契約更新の請求に対し遅滞なく異議を述べたことは当事者間に争いがない。

そこで、この異議を述べるにつき正当事由があるかどうかについて考える。

本件工事が賃借土地上の建物滅失後残存賃借期間をこえて存続すべき建物の築造というべきものであり、控訴人において遅滞なく異議を述べたのに断行されたものであることは当事者間に争いがないが、該工事を目して当事者間の信頼関係を破壊するに足りるものとなしえないことは前段で認定したとおりである。そこで、なお本件土地の賃貸借に関する紛争の経過等の事情について検討するに、《証拠省略》を総合すると、控訴人の先代幸蔵は、昭和三三年五月、被控訴人を相手方として、三〇年の賃貸借期間が満了したことを理由に建物を収去して本件土地及びその他の賃貸土地を明け渡すよう求めた調停申立をなし、同年九月五日、本件土地については賃貸借を継続する旨、その期間は昭和三二年一〇月二六日以降二〇年とする旨等を定めた調停(前記昭和簡易裁判所昭和三三年(ユ)第三六号事件)が成立したこと、控訴人は、昭和三八年一〇月二九日、被控訴人を被告として、名古屋地方裁判所に本件土地の賃料増額請求の訴を提起したが、当時被控訴人は本件土地上の建物に居住しておらず、控訴人にはその住居所が不明であったので、事前に当事者間で賃料増額につき交渉をすることができなかったうえ、右訴訟事件においても被控訴人に対する各種送達はすべて公示送達によって処理されることとなり、昭和三九年一〇月二一日、同裁判所において相当額の増額を認容する判決言渡があってこれが確定したこと、被控訴人は、一人暮らしの身であるので、昭和三五、六年ころ自己を養親とする養子縁組の話があったが、養子となる者の素行が悪く被控訴人を脅迫する言動にまで至ったため、一時身をかくすにしかずと考えて、そのころの前後約六年間控訴人にも居所を知らせないまま本件土地上の建物を出て勤務先の寮その他に居住していたこと、その間の留守番としてまた控訴人との連絡に当たらせるため当初知人を右建物に住まわせたが、同人がしばらくして被控訴人の予期に反し無断で退去してしまった等の事情で右連絡はほとんど行われなかったこと、また、被控訴人は、家出当初より控訴人に対し、本件土地の賃料を郵送していたが、右確定判決のあったことを知らなかったので、それ以後も従前の額の賃料の郵送を続けたこと、そこで、控訴人は、昭和四一年四月四日、被控訴人を被告として、右判決による増額分の賃料不払によって賃貸借契約を解除したことを理由に、建物収去本件土地明渡請求の訴を提起したが、その後間もなく被控訴人が右建物に帰住したので、右訴訟事件は調停(前記名古屋地方裁判所昭和四一年(ユ)第一一五号事件)に付され、昭和四三年一月九日、本件土地の賃貸借を継続する旨及び前記調停条項八、九項その他のことを定めた調停が成立したこと、右調停成立以後前記火災に至るまでの九年余の間には本件土地の賃貸借に関し被控訴人の債務不履行その他の不信行為はもとより当事者間になんらの紛争もなかったこと、なお、控訴人は、みずから本件土地を使用することを必要とするものではないうえ、本件土地以外に、約一六五〇平方メートルの自己所有土地を現に他に貸与しているほかかつて他に貸与していて現在は返還を受けている土地約三三〇平方メートルを所有していること、一方被控訴人は、本件土地上の建物を生活の本拠としており、他には居住すべき建物もこれを建てうる土地も有しないこと、以上の事実を認めることができ、右認定をくつがえすに足りる証拠はない。右認定以外に、控訴人のいうような、被控訴人において、本件土地の賃料の支払を怠ったり、賃料増額について円満な話合に応じなかったり、故意に行方をくらましたりしたことの証左はなく、その他正当事由の存在をうかがわしめる事情の立証はない。

以上のような状況に照らして判断するに、本件工事施工が、前説示のように、当事者間の信頼関係を破壊するまでには至らないとしても、これを契約更新を阻止するための正当事由の根拠の一つとして考慮することはもとより可能であり、また被控訴人が六年間の長期にわたり控訴人に対し自己の所在を不明ならしめ、その間控訴人との連絡方法の講じ方が十分でなかったことは明らかで、このため現実に賃料増額のための交渉や増額後の賃料支払に支障を生じているのであって、この点は賃貸借当事者間の信頼関係に大いなる影響を及ぼすべく、右正当事由の根拠の一つとして考慮されるべきものである。しかしながら、本件工事に関する前叙の経緯等や右所在不明後にそれまでのいきさつを前提としたうえで賃貸借を継続する旨の調停が成立し、その後九年余の間なんらの紛争もなかったこと、しかして、本件は不慮の火災を原因とするこれまでに生じたことのない性質の紛争であることその他上来認定の諸般の事情を合わせ勘案すれば、いまだ更新についての異議の正当事由を肯認することはできないものといわなければならない。

よって、抗弁2も理由がないので採用することができない。

三  してみれば、被控訴人の本訴請求は理由があるのでこれを認容すべく、これと同旨に出た原判決は相当であって本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし、なお、被控訴人の請求の趣旨訂正により主文第三項のとおり原判決主文を変更することとし、民訴法三八四条、八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 三和田大士 裁判官 浅野達男 伊藤邦晴)

<以下省略>

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