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名古屋高等裁判所 昭和48年(行コ)10号 判決 1976年1月29日

名古屋市瑞穂区中根町二の二〇

控訴人

村上国光

右訴訟代理人弁護士

竹下重人

同瑞穂区西藤塚一の四

昭和税務署長

被控訴人

高橋多嘉司

右指定代理人

伊藤好之

渡邊宗男

森重男

平松輝治

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、「原判決を取り消す。控訴人の昭和四二年分および昭和四三年分の所得税につき、被控訴人が昭和四五年七月四日付でなした各更正処分をいずれも取り消す。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は、主文同旨の判決を求めた。

当時者双方の主張、証拠の提出・援用・認否は、左記のとおり付加するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

(控訴代理人の主張)

本件土地がその譲渡時において事業用資産としての性質を失っていなかったものであることは、以下に述べる控訴人の家業たる農業の性格、控訴人家族の生活能力からみても裏付けられる。

一、控訴人はその父から承継した農地約一町歩を所有して農業に専従してきた者である。即ち、明治四四年八月出生、名古屋市立弥富小学校卒業、同市立瑞穂高等小学校一年中退後家業である農業に従事し、大正一五年春父死亡後は、単身で農業を続け、昭和一二年妻久子(大正三年生)と結婚し、爾後兵役に服した期間を除いて、農業に専従し六人の子女を養育してきた。

そのために、戦時中、敗戦直後には生計に苦しんだため、多数の子女を扶養することだけが精一杯であって、その教育を高めるだけの余裕はなく、むしろ少年時代から、農業の手伝いをさせることによって、家族全員の生計を保ち得た状態であった。

二、長男村上国弘は昭和一二年一一月生れ、昭和二八年名古屋市立萩山中学校卒業後直ちに農業に従事し、昭和四〇年結婚、昭和四〇年七月から鶏肉販売業(村上鶏肉店)開業、昭和四三年四月控訴人が開業したレストラン「むらかみ」の業務に従事、昭和四三年一二月有限会社“むらかみ”が設立され、取締役となる。

三、二男村上光久は昭和一四年二月生れ、昭和二九年三月名古屋市立萩山中学校卒業後直ちに農業に従事、昭和四〇年結婚、昭和四〇年から愛知郡東郷町において養鶏場の建設に従事し、同四三年頃完成、昭和四三年から西加茂郡三好町におけるブロイラー専用の養鶏場の建設に従事し、完成後はその経営を担当する。

四、三男村上重和は昭和一八年二月生れ、昭和三三年三月名古屋市立萩山中学校卒業後瑞穂区中根町(控訴人現住所隣地)において、養鶏業に従事、昭和四〇年近隣住民等の苦情のため、愛知郡東郷町への養鶏場の移転をはじめ、二男光久、四男三十志と共にその建設に従事し、昭和四三年頃養鶏場完成後はその経営を担当する。

五、四男村上三十志は昭和二〇年三月生れ、昭和三七年三月名古屋市立萩山中学校卒業後直ちに農業に従事、昭和四〇年より愛知郡東郷町における養鶏場の建設に従事し、昭和四三年より、村上鶏肉店の業務を手伝い、昭和四七年より同店舗の経営を担当する。

六、五男村上逸夫は昭和二二年九月生れ、昭和三五年三月名古屋市立萩山中学校卒業、昭和四一年三月愛知県立半田農業高等学校卒業後、村上鶏肉店の業務を手伝い、その間調理師学校に通い、免許を得て、昭和四三年四月レストラン“むらかみ”手伝い、昭和四三年一二月から有限会社“むらかみ”の業務に従事。

七、以上のように、控訴人の子女は長男から四男までは義務教育を終えただけで五男と長女がようやく高等学校まで進学し得ただけである。いずれも学校卒業後直ちに農業(養鶏等を含めて)に従事し、それに専念してきたので、経済事情が変化したからといって即座に事務員や工員に転職できるというものでもなく、また幼少の頃から家族だけでの勤労に従事してきたので、他人の中に入って働くということに対する性格的な不適性もあった。

八、昭和三九年中根南部に土地区画整理事業が開始され、他方同地区における住宅の密集度の向上があって同地域での養鶏業の経営を続けることは困難であると見とおされるに至ったとき、控訴人はその子女の将来について如何にすべきかに悩んだのである。そして子供達とも十分に協議した結果、農耕に使用できる土地については農作物の栽培を続け、その外に、養鶏場を適地に移転してそれを中心とした多角経営の農業を家族全員が協力して営む外に家族の将来の生活の途はないという結論と決意に達したのである。

従って、農業以外の事業を開始し、またはそれらの事業のための資金を得るための譲渡などは、控訴人の家業の状態、家族の生活能力等に照らして不可能(そのようなことをすれば財産を失い、子女は社会における生活の途に迷う結果となる。)なことであった。

九、そこで、控訴人は、本件土地が区画整理の対象となり、宅地として造成されることは知りながら、地域の土地所有者として右組合に加入せざるを得なかったのであるが、整理事業開始前には、宅地造成後もある程度の期間は農耕が可能であろうと考えていたのであって、組合設立の当初から本件土地が農耕の用に供し得なくなることを予知していたのではなかった。

しかし、昭和四〇年一〇月に仮換地として本件土地が指定され、使用収益が許された時には、その宅地造成のために使用された土が、山を掘り崩した礫土であったため、本件土地を農耕の用に供することは難しいのではないかと考えていた。

そこで、翌年である昭和四一年の春及び夏に南瓜等の栽培を試みたのであるが、やはり、農耕の用に供し得ないことが確認されただけであった。

一〇、控訴人は、養鶏場の移転、ブロイラー専門の養鶏場の建設・経営に家業の活路を見出すべく、昭和四〇年から愛知郡東郷町への鶏舎の移転作業を開始したのであるが、これには二男、三男、四男を従事させ、殆んど他人の労働を使用しなかった(財政的にその余裕がなかった)のである。

そして、更に三好町でのブロイラー専門の養鶏場の計画も立て、これらの建設のための用地・資材の購入資金を作るため、本件土地の売却が必要となり、不動産業者に依頼して努力した結果、順次売買が成立したものである。

一一、控訴人がレストラン業を開業するに至ったのは、養鶏場に併せて養魚場経営、養豚等が軌道に乗った後、その経営の連環としてであって、本件土地売却前ではない。

一二、原判決は、本件土地の使用・収益が可能となった後約二年から約二年八か月を経過したことによって本件土地は事業用資産たる性質が失われたものと認定したが、控訴人が昭和四一年中に本件土地に農作物の栽培を試みたことは原判決も認めているところである。

従来農地として使用された土地の区画整理がされた後において、その所有者が右土地をなお農耕の用に供すべく試みている間は、事業用資産としての性質を失わないものというべきであり、農業はその性質上一年を周期とするものであるから、土地が農業用資産としての性質を保有するか否かの判断も比較的長期にわたって考慮すべきものである。

一三、事業用資産の買換の場合の課税の特例に関する租税特別措置法の規定は、事業資本の実質の維持を図ったものであり、それは事業用固定資産の転換について考慮されているものであるから、買換が短期間に簡便には行われ難いことを見込んだうえの規定となっており、法令上事業用資産の譲渡と代替資産の取得、事業への供用までには、二、三年の余裕が与えられているのである(本件土地の譲渡、買換が直ちに右の要件に該当することを主張するものではない)。

(被控訴代理人の認否および主張)

第一認否

控訴代理人の当審における主張に対し、

一項ないし七項は不知

八項は「昭和三九年中根南部に土地区画整理事業が開始され」たことを認め、「農耕に使用できる土地については農作物の栽培を続け」ることを決意したとの点及び「従って、農業以外の事業を開始し、またはそれらの事業のための資金を得るための譲渡などは、控訴人の家業の状態、家族の生活能力等に照らして不可能(そのようなことをすれば財産を失い、子女は社会における生活の途に迷う結果となる。)なことであった。」との部分を否認その余は不知。

九項は否認する。

一〇項は不知。

一一項は否認する。

一二項は前段を認め、後段を争う。

一三項は租税特別措置法(昭和四四年法律第一五号による改正前のもの、以下同じ。)三八条の六に控訴人主張のような趣旨の規定があることは認めるが、右規定が「買換が短期間に簡便には行われ難いことを見込んだうえの規定」であることは争う。「法令上事業用資産の譲渡と代替資産の取得、事業へ供用までには、二、三年の余裕が与えられているのである。」との主張は、本件の争点に関係がない。

第二主張

一、 控訴人は施行地区内に土地を相当広く保有し、組合の設立に参画するとともに役員(理事)ともなり、当該整理事業を推進してきたものであって、当該地域において農業を継続して行なっていくことが先ず不可能な事態となったことは、整理事業開始のときを待つまでもなく自明の筈であり、そのことは当然子女を交えて日常の話題とされ、その認識の上に立って将来の事業計画を立てたものと考えられる。

二、 控訴人の主張によると、このような事態がみとおされるに至った時期が実際よりかなりのちであることになっており、またこの期におよんでも養鶏はともかくとしてなお農作物の栽培は継続していくことが可能であるとみていた、とするようであるが、自家用ならばとも角、農業という事業用の作物を栽培して所得を得んとすることは整理事業の本質からして実際上不可能なことであり、いずれも事実に反する。

三、 控訴人がその所有の土地を売却したり、あるいは他の物件を買い受けたり、建物等を建築して物件を取得した時期等を明らかにすると別表「資産の譲渡・取得等一覧表」のとおりである。

これによって明らかなとおり、控訴人は昭和四〇年四月一一日から同四三年六月四日まで、三年余の間に計一三回にわたりその所有の土地を売却しているのであるが、これらの売却は、いずれも整理事業開始後になされているものである。

このうち番号<1>から<4>の物件については被控訴人が租税特別措置法三八条の六の規定の適用を認めている。

しかしながら、このうち番号<6>から<13>の物件即ち本件土地については、控訴人主張のような事情(但し、控訴人の本件土地利用の意図がその主張のとおりであったとの事情をのぞく)を考慮に入れ、これをいかに善解しても事業用資産であったとはいい難い。

即ちこれらは被控訴人が前記のように適用を認めた物件のうち譲渡の時期が最もおそい番号<4>のときから起算しても更に約一年六月(番号<6>から約二年二月(番号<13>)経過してはじめて譲渡されたものであり、昭和四〇年一〇月一三日これらの土地が仮換地に指定され同月二〇日仮換地指定の効力が発生してこれの使用収益が可能となり各種事業の用に供することが可能となったときから起算するときは、約二年(番号<6>)から約二年八月(番号<13>)を経過してはじめて譲渡されたものである。

四、これらの期間における本件土地について考えてみると、それは控訴人が農業を除く各種事業に供することのできた土地であり、またそれを不適当とする事情があるならなんどきでも譲渡し得た土地であったが、実際には何の事業にも供せられることなく、また処分もされなかった土地である。換言すれば事業の用に供せられず控訴人に備蓄されていた資産である。このようにこの間事業の用に供せられず備蓄されていた理由はほかでもなく、要するに「自分の土地は売りたくない」という所有者の一般事情にあるのみで特別の事情があるわけではない(原審における控訴人本人尋問調書二四丁裏五行目)。

五、本件譲渡物件が租税特別措置法(昭和三二年三月三一日法律第二六号、但し昭和四四年法律第一五号による改正前のもの。以下単に「措置法」という。)三八条の六に規定する譲渡資産に該らないことについては次のとおりである。

(一) 本件係争年分(昭和四二・四三年分)に控訴人が譲渡した物件は、仮換地指定の効力発生の日から二年ないし二年八月も経過した後に処分されたものであり、この譲渡は愛知郡東郷町における養鶏場から生ずる廃鶏を有益に処分し事業拡張ができるレストラン(名古屋市瑞穂区中根町所在「有限会社むらかみ」経営のレストラン)経営を企画し、そのレストラン建設資金捻出のための手段方法として仮換地指定の効力発生後宅地として二年ないし二年八月も放置されていた本件物件を譲渡したものであるから、措置法三八条の六に規定する事業用資産の買換えに該当するものということはできない。

(二) 控訴人の主張は措置法三八条の六の規定を不当に拡張して解釈したことに基づくものであって全く採用し得ないものである。

即ち、同条に規定する譲渡資産は事業の用に供していた資産でなければならず単に一時的な耕作では足りないことは当然であるところ、本件物件は「ブルやなんかでギユツギユツやったところで………トラツクがビユンビユンと走ってまわるもんだでカチンカチン」になった土地について「土地を遊ばしておくのはもったいないからつなぎの意味で植えてみた」(当審証人村上国弘の証言)に過ぎないのであって、このような土地を農業という事業の用に供していた資産であるとは到底解し得ないのである。

土地区画整理事業は、宅地の利用増進を図るため区画整理区域内の土地の区画形質を変更させ、従前の農地はその形質を一変し宅地化するものであって、区画整理事業が開始された時点で(これを善解しても仮換地指定の効力が発生した時点で)既に農地の所有者は農業という事業の用に供することが不可能となるものである。

従って、その農地の所有者は右時点でその土地を農業以外の事業の用に供することは可能であっても、直ちに農業の用に供することはできず、仮に、その所有者に農業用として耕作する意思があるとすれば事実上、宅地化されている土地に毎年肥料を施したり耕したりするのでなければやはり農業という事業の用に供するとはいえない筈である。

(三) 控訴人は、本件土地を農業という事業の用に供すべく努めたといい、また農耕の用に供し得なかったことについては、子女が義務教育を終えて以来、農業に従事していたが区画整理で事業の転換を図るべく長年月を要したとして、家庭の事情を縷々述べているが、当審証人村上国弘の証言によれば、「土地区画整理で将来は宅地として売るつもりで造成に加わった」のであり「遊ばしておくのはもったいないからつなぎの意味で植えてみた」だけで結局「お金が要るので売った」事実が明確となり他方農業以外の事業の用に供した事実も全くないのであるから、本件物件は措置法三八条の六に規定する譲渡資産には到底該当しないものである。

(四) なお、本件譲渡物件は、公簿上、農地の体裁となっているけれども前記の通り現況は宅地であるから、措置法三八条の六に規定する譲渡資産には該らないということは当然である。

農地法によれば農地を他へ転用しようとする場合、その所有者は、転用することについて都道府県知事の許可を受けなければならず、転用しようとする時点で公簿上地目が農地であればすべてその所有者は右のような許可を受けなければならないのであるが、都道府県知事の許可は、農地法全体の趣旨に照らし、国民経済その他一般公共の利益に合致するよう運用され、実際の運用は、農林省で定めた農地転用許可基準(昭和三四年一〇月二七日付都道府県知事宛農林事務次官通達)により行われている。

これによれば、農地は第一種ないし第三種に区分されこのうち第三種農地を対象とする農地転用は原則として許可するものとされており、右転用許可基準の第一章第四の四項によれば、土地区画整理事業施行地区内にある農地は第三種農地とすることとされている。

しかして本件譲渡物件は、名古屋市中根南部土地区画整理事業施行地区内にあるから、前記の第三種農地に該るものであり、たとえ公簿上の地目が農地とされていたとしても第三種農地として他へ転用することを目的としているというべきである。

(被控訴人の主張に対する控訴代理人の反論)

一、控訴人が昭和四二年、四三年中に譲渡した旧弥富町井之元の土地(本件係争部分の土地)が、土地区画整理事業による仮換地の指定の効力発生後二年ないし二年八月も放置されていた、という被控訴人の主張は全く事実に反する。

控訴人は、仮換地指定後の農耕期(即ち昭和四一年の春、夏)に鶏糞等の肥料を施し、西瓜等の栽培をしてみたのである。それは単に「つなぎとしての試み」ではなく、長年農業によって生計を維持して来た控訴人の百姓としての執念であった。

二、中根南部地区の区画整理のために組合が設立され、控訴人もその役員に就任したこと、区画整理事業が、区域内の土地の区画形質に変更を加えて宅地化することを目的とするものであることは、被控訴人の指摘するとおりである。

しかしながら、控訴人は同区域内の土地所有者として右事業に反対することができず、しかも所有地積が大であったため、慣例に従って組合役員に就任しただけであった。

しかも敗戦前に施行された中根北部地区の区画整理では整理事業完了後も長年に亘って農地として使用を継続し得たこともあって、本件土地についても区画整理後は必然的に農地として使用し得なくなることまで予測していたわけではなかったのである。

本件土地について仮換地指定の効力発生時において、控訴人は多数の子女を抱え、その将来を苦慮していたが、自己の能力、子女の性格、教育の程度からしても、農業(米麦、蔬菜、養鶏を含む。)以外の事業への早急な転換は不可能と判断し、本件係争部分の土地の処分と、その売却代金による代替事業用資産の取得に努め、昭和四三年までかかってようやく所期の態勢を整えることができたのであった。

三、事業用資産の買換の場合の課税の特例の趣旨が実質的な事業資本の維持にあるとすれば、本件係争部分の土地のように、所有者本人の意思にかかわりのない、公共的事業の施行に伴って、現実に事業の用に供し得なくなった土地であって、その現実に事業の用に供していない期間が比較的短期間(農業にとって二年間というのは決して長期とはいえない)であったものについては、特例の適用を認めるべきである。

控訴人が本件係争部分の土地に施肥、栽培をしなかったのは昭和四一年の夏から後のことにすぎない。

四、控訴人は、可能なかぎり長期に本件係争部分の土地を農業(米、麦、蔬菜の栽培、養鶏)の用に供したかったのである。

(証拠関係)

一、控訴代理人は当審証人村上国弘の証言を援用し、当審で提出の乙号各証の成立を全部認めた。

二、被控訴代理人は乙第二号証、第三号証ないし第五号証の各一、二を提出した。

理由

一、本件につき更に審究した結果、当裁判所も控訴人の本訴請求を棄却すべきものと判断する。その理由は、左記の点を付加するほか、原判決理由説示と同じであるからここに引用する。

(控訴代理人の当審における主張について)

(一)  まず、本件土地は元来農地であつて区画整理がなされた後においてもその所有者によりなお農耕の用に供すべく試みられていたから、その間事業用資産としての性質を失わない旨主張する。原審における控訴人本人尋問の結果および当審証人村上国弘の証言(いずれも後記措信しない部分をのぞく)によると、控訴人方では本件土地埋立後に本件土地に南瓜、西瓜の作付をなしたものの如くであるが、それは土地を遊ばせておくのはもつたいないからという意味で行つたに過ぎず、従来通り生業としての農業経営により、所得を得る意思まで存したわけではなく、本件土地自体トラツクで運んできた山の土石で埋めたところをブルドーザーでならし固めて宅地化していて農業所得をあげ得るような肥培管理はなされなかつたことが認められ、前記各証拠中以上の認定に反する部分は措信できない。

以上の事実に、本件土地が仮換地指定後二年ないし二年八月で宅地とするため現実に他に売却された事実を総合すれば、このような土地を農業という事業用に供していたものと看做すべきでないことは明白である。そして措置法三八条の六に規定する譲渡した資産が事業用資産であるというためには現実に継続して自己の事業の用に供していたものであることを要するのであるから、本件土地については右条文を適用することはできないことも明らかである。

(二)  また、租税特別措置法の規定は、事業用固定資産の転換について考慮されているものであるから、買換が短期間に簡便に行なわれ難いことを見込んだうえの規定となつており、法令上事業用資産の譲渡と代替資産の取得、事業への使用までには二、三年の余裕が与えられているものであると主張するが、前記説示および先に引用した原判決認定事実のとおり、本件土地は譲渡時、既に事業用資産としての性質を失つていたのであるから、事業用資産の譲渡と代替資産の取得、事業への供用までの期間は、本件では問題とするまでもない。控訴人の右主張も理由がなく採用することができない。

二、そうすると、控訴人の本訴請求を棄却した原判決は相当であつて、控訴人の本件控訴は理由がないから、これを棄却することとし、控訴費用の負担につき民訴法九五条、八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 植村秀三 裁判官 寺本栄一 裁判官 大山貞雄)

<省略>

<省略>

※ 「取得資産の明細」中<2>~<11>は原告が確定申告書に添付して提出した取得財産明細書によつた。

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