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名古屋高等裁判所 昭和44年(う)620号 判決 1970年2月19日

被告人 中平和宏

主文

原判決を破棄する。

被告人は無罪。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人服部優名義の控訴趣意書記載のとおりであるから、ここに、これを引用する。

所論の要旨は、本件においては、被告人に原判示のような注意義務はなく、したがって、原判決の認定したような過失はないから、原判決は、事実を誤認し、かつ、法令の適用を誤つたものである、というのである。

そこで、本件記録を調査のうえ検討するに、原判決の挙げている各証拠によると、本件事故現場である瀬戸市西松山町七五番地先の交差点は、南北に通ずる国道一五五号線(幅員約七・三メートル)に、北東から南西に走る市道(幅員約七・四メートル)が斜めに交差し、さらに、西方から右国道に達する道路(幅員約四・五メートル)が交差して形成されている五さ路の変形交差点(司法警察員作成の昭和四三年一〇月五日付実況見分調書及び原審検証調書にそれぞれ添付されている現場見取図参照)で、北から南へ向つてやや下り坂になつており、信号機が設置されていて、その表示により交通整理が行なわれていること及び被告人は、自動車運転の業務に従事していたものであるところ、昭和四三年一〇月五日午前一〇時過ぎ頃、大型貨物自動車(ダンプカー)に砕石約一一、四八〇キログラムを積載してこれを運転し、瀬戸市内の中水野方面から東松山町方面に向け、国道一五五号線を時速約四〇ないし五〇キロメートルで南進中、当時小雨が降つていて、路面が濡れて滑りやすい状況になつていたことや、本件交差点付近で道路が下り坂になつていることなどを考慮し、交差点にさしかかる手前から、あらかじめ時速を約二〇キロメートルに減速して、同日午前一〇時四五分頃、同交差点にさしかかつたところ、対面する信号機が丁度青色の燈火を表示していたので、右信号に従い、同交差点を直進しようとしたのであるが、その際、前方の交差点内を対進してくる大型貨物自動車があり、そのため、その後方の後続車両の見とおしが困難な状況であつたが、右対向大型車両の後方から自車の進路上に進出してくるような後続車両はないものと信じ、格別徐行して右後続車両の有無を確かめるなどの措置をとることもなく、前記速度のまま交差点に進入し、交差点北側横断歩道付近で右対向大型車両とすれ違つた際、同車両の後方から、北東方に通ずる市道に右折しようとして、自車の進路上に時速約三〇キロメートルで急に進出してきた柴田諒(当時四九年)の運転する原動機付自転車を、右斜め前方約一六・三メートルの地点で初めて発見し、急停車の措置を講じたが及ばず、自車前部を右原動機付自転車の左側面に衝突させて右柴田を路上に転倒させ、よつて同人に対し、頭蓋底骨折の傷害を負わせた結果、同日午後〇時一五分頃、同市西追分町一六〇番地公立陶生病院において、死亡するに至らしめたことが認められる。

そして、右認定の事実関係によると、被告人は、時速約二〇キロメートルという比較的低い速度で、しかも信号に従つて、本件交差点を直進しようとしたのであるが、原判決は、「右信号に従い直進するに際し、前方の交差点内を対進してくる大型貨物自動車のため、その後方の後続車両の見とおしが困難であり、しかも当時降雨中で路面が湿潤し、滑走しやすい状況にあつたうえ、同所はやや下り坂となつていたのであるから、自動車運転者としては、徐行して対向車両の動静を注視しつつすれちがうはもちろん、後続車両の有無を確かめ、状況により一時停止して交通の安全を確認しつつ進行し、もつて衝突等に因る事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、漫然前記速度(時速約二〇キロメートル)で右交差点に進入した過失により」云々と判示し、被告人に過失を認め、被害者の死亡の結果が被告人の右過失によるものである旨の認定をしているのである。

そこで、まず、前段認定の事実関係を基礎にして、被告人に原判示のような注意義務があるかどうかについて考察するに、被告人が、時速約二〇キロメートルで、青色信号に従い本件交差点を直進しようとしていたものであることは、前示のとおりであり、その際、本件柴田は、右交差点内を被告人の方に向つて対進してくる大型貨物自動車の後方を追従し、同交差点で右折しようとしていたものであることも、前記認定の事実関係に照らし明らかであるから、本件交差点で右折しようとする柴田は、直進車両である被告人車両の進行を妨げてはならないのである(道路交通法三七条一項)。しかるに、右柴田は、交通法規に違反し、しかも先行する大型車両に追従していて、対向直進車両である被告人車両からの見とおしが困難である状況をも全然意に介しないで、同交差点で右折しようとして、右大型車両の後方から突如被告人の進路上に進出し、その進行を妨げたのであり、右柴田の交通法規を無視した軽率無謀な行動が、本件事故の最も重要な原因となつていることは疑いをいれないところである。そして、たしかに、被告人において、原判示のような注意義務を尽くしていれば、本件事故の発生は避け得たか、仮に避け得なかつたとしても、事故の態様は異つたものになつたであろうと思われるから、その意味において、被告人の行動が事故の一因をなすものといえないこともないが、問題は、被告人に原判示のような注意義務を認めるべきかどうかである。

ところで、いわゆる信頼の原則の適用上、本件被告人のように、信号機の表示する青色信号に従い、交差点を直進しようとする大型貨物自動車の運転者としては、前方から対進してくる大型車両のため、その後方の後続車両の発見が困難な状況にあつたとしても、右後続車両の運転者が交通法規を守り、自車の通過を待つて右折進行するなど、安全な速度と方法で進行するであろうことを信頼して運転すれば足り、本件柴田のように、あえて交通法規に違反して、右折のため先行対進車両の後方から急に自車の進路上に進出して、その進行を妨げる車両などのあり得ることまでも予想し、徐行して対進車両の陰に隠れた後続車両の有無を確かめ、状況により一時停止して交通の安全を確認しつつ進行し、もつて衝突等に因る事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務はないものと解するのが相当である。

そうすると、原判決が本件被告人に対し「右徐行して後続車両の有無を確認し、状況により一時停止して交通の安全を確認するなどの業務上の注意義務」を課したのは、右注意義務に関する法令の解釈、適用を誤つたものといわなければならない。もつとも、原判決は、本件当時降雨中で路面が湿潤し滑走しやすかつたこと及び本件交差点がやや下り坂となつていたことをも、右注意義務の根拠として判示していること前示のとおりであるが、右判示のような状況は、一般的に減速義務の根拠とはなり得ても、原判示のような徐行ないし一時停止義務の根拠とはなし得ないものであり、まして原判示のような対向大型車両に後続する車両の有無を確認すべき注意義務などに直接結びつくものでないことが明らかである。そして、すでに認定したように、被告人は、本件交差点にさしかかる手前から、右判示のような天候、路面の状況を勧案のうえ、従前の時速を半減し、時速約二〇キロメートルという比較的低い速度で、本件交差点に進入しているのであつて、右速度は、前示天候、路面の状況に照らし、また、前示被告人車両の積載量を考慮にいれても、不当に高速であつたとは認められない。したがつて、被告人には、右天候、道路の状況に応ずる減速義務の違反があつたということもできない。

また、被告人は、前認定のとおり、対向大型車両とすれ違つた際、その後方から急に自車の進路上に進出してきた柴田の原動機付自転車を初めて発見しているのであるが、右すれ違い前は、右対向大型車両の後方の後続車両を見とおすことが困難な状況であつたのであるから、右柴田の早期発見について、被告人に欠ける点があつたとは認められないし、右柴田発見後に被告人がとつた急停車の措置に十分でない点があつたことも認められない。その他記録を精査しても、本件事故が被告人の過失によつて発生したことを認めるに足りる証拠はない。

しかるに、原判決は、被告人に前記のような業務上の注意義務があることを前提とし、被告人に過失があるとして、本件について被告人の業務上過失致死責任を肯認しているのであるから、この点において、原判決には法令適用の誤り及び事実誤認の違法があり、この誤りが判決に影響を及ぼすこと明白であるから、論旨は理由がある。

よつて、刑訴法三九七条一項、三八〇条、三八二条に則り、原判決を破棄したうえ、同法四〇〇条但書に従い、さらに判決する。

本件公訴事実(原判決摘示の罪となるべき事実と同一であるから、これを引用する。)については、前説示したところから明らかなように、結局犯罪の証明がないことに帰するので、刑訴法四〇四条、三三六条により、無罪の言渡しをすることとし、主文のとおり判決する。

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