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名古屋高等裁判所 昭和43年(ネ)636号 判決 1969年12月25日

控訴人(附帯被控訴人)

各務満喜子

外一名

右両名訴訟代理人弁護士

清田信栄

被控訴人(附帯控訴人)

各務八重子

右訴訟代理人弁護士

奥嶋庄治郎

被控訴人

貞国之雄

右訴訟代理人弁譲士

塚本義明

主文

一、附帯控訴人(被控訴人)各務八重子の本件附帯控訴を棄却する。

二、原判決主文第二項を除きその余を次のとおり変更する。

(一)  被控訴人各務八重子は控訴人各務満喜子に対し、別紙目録記載の建物を引き渡し、且つ昭和三八年九月一日より同年一二月末日まで一箇月金三、五〇〇円の、昭和三九年一月一日より昭和四一年一二月末日まで一箇月金四、二〇〇円の、昭和四二年一月一日より右建物引渡済に至るまで一箇月金五、一〇〇円の各割合による金員を支払え。

(二)  被控訴人各務八重子は控訴人各務米次郎に対し金八万二、八七〇円及びこれに対する昭和三八年九月一日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

(三)  被控訴人貞国久雄は控訴人各務満喜子に対し、別紙目録記載の建物を明け渡し、且つ昭和三八年九月一日より同年一二月末日まで一箇月金一、七五〇円の、昭和三九年一月一日より昭和四一年一二月末日まで一箇月金二、一〇〇円の、昭和四二年一月一日より右建物明渡済に至るまで一箇月金二、五五〇円の各割合による金員を支払え。

(四)  被控訴人貞国久雄は控訴人各務米次郎に対し金四万一、四三五円及びこれに対する昭和三八年九月一日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

(五)  控訴人らのその余の請求を棄却する。

(六)  控訴費用は、第一、二審を通じ控訴人らの請求に関し生じた部分(控訴費用を含む)は被控訴人らの負担とし、被控訴人(附帯控訴人)各務八重子の請求に関し生じた部分(附帯控訴費用を含む)は同被控訴人の負担とする。

(七)  右(一)ないし(四)については控訴人らにおいて仮に執行することができる。

事実《省略》

理由

一《省略》

二次に、控訴人らの被控訴人貞国に対する請求について判断する。

(一)  <証拠>を総合すると、昭和二二年八月頃岐阜市は戦災者引揚者救済住宅として、控訴人米次郎引揚者及び被控訴人八重子(戦災者)がその養母である訴外みつの承諾を得て提供した同人所有の土地上に一棟二戸建の家屋を建築したこと、右建築後間もなく右一棟二戸建の家屋のうち西側の一戸を控訴人米次郎が、東側の一戸(七坪五合)を被控訴人八重子が、岐阜市より各買い受け所有したこと、控訴人米次郎が買受所有した右西側の一戸が本件建物であること、右二戸は、土壁をもつて仕切られ、各戸に便所、玄関があり、それぞれ独立した住宅用家屋として利用できるものであつたこと、控訴人米次郎は営業により生計の資を得る考えでいたが、本件建物が営業に適さなかつたので、被控訴人八重子に懇請して同人所有の岐阜市日ノ出町一丁目一八番宅地二〇坪を無償で借り受けることになつたが右借受と交換的に本件建物を同被控訴人に無償で貸与することにし、本件建物買受後間もなくこれを同被控訴人に引き渡して同被控訴人をして使用させたこと、昭和二三年九月九日同控訴人と同被控訴人との間であらためて本件建物につき期間を同日より一三ヶ年(但し期間満了後同被控訴人より更に本件建物の使用方申込があつたときは同控訴人は支障ない限り引き続き同被控訴人をして使用させる特約があつたが後にこの特約を合意の上なくした)とする使用貸借契約が締結され、被控訴人八重子は、引き続き本件建物を占有使用していたが、昭和二六年一〇月頃本件建物及び隣接建物(同被控訴人が買受所有した前記東側の一戸)を被控訴人貞国に賃貸したこと(右賃貸契約は訴外みつが被控訴人八重子の代理人ととして被控訴人貞国と締結)、被控訴人貞国が右賃借により被控訴人八重子より本件建物及び隣接建物の引渡を受けた時は、本件建物と隣接建物との間の仕切壁は一部取り払われて片開戸がつけられて両者自由に出入できるようになつており、又本件建物の便所、隣接建物の玄関が取りこわされ、本件建物と隣接建物とが一戸の住宅として利用される状態を呈しており(右のような改造は被控訴人八重子において控訴人米次郎の承諾なくして行つたものである)、被控訴人らの間の右賃貸借は、本件建物と隣接建物とを一戸の住宅としてなされたものであること、本件建物については、昭和三一年九月一日家屋台張に一箇の建物として登載され、次いで昭和三八年九月二〇日控訴人米次郎において所有権保存登記を、同日控訴人満喜子において所有権移転登記を各経由していることが認められる。

(二)  右認定を左右するに足る証拠はない。右認定によれば、控訴人米次郎は昭和二二年頃本件建物の所有権を取得したことになる。しかし、右所有権は当時施行の民法第二〇八条に定める「数人にて一棟の建物を区分し各其一部を所有する」にあたるもので、いわゆる建物の区分所有権である。しこうして、建物の部分が区分所有権の客体となり得るには、当該部分が構造上の独立性と利用上の独立性とを有することを要するものであり、若し当該部分が右各独立性を失えば区分所有は解消するものと解すべきである。前記認定によれば、被控訴人貞国が昭和二六年一〇月頃被控訴人八重子より本件建物及び隣接建物を賃借した時には、既に本件建物と隣接建物との境界をなしていた土壁の一部が除去されて本件建物の構造上の独立性が失われ、又本件建物及び隣接建物について内部の改造が行われて本件建物及び隣接建物が一戸の住宅として使用される状態を呈していて本件建物の利用上の独立性も失われていたものというべきである。従つて、おそくとも被控訴人貞国が本件建物及び隣接建物を被控訴人八重子より賃借した時には、控訴人米次郎の本件建物に対する区分所有権は消滅しており、本件建物及び隣接建物は一個の不動産(以下一五坪の家屋という)として所有権の客体となり、控訴人米次郎及び被控訴人八重子は民法の附合に関する規定の類推により右一五坪の家屋を共有(各持分についてこれを定める証拠がないので各二分の一と推認する)するに至つたものというべきである。本件建物について前記のように家屋台帳に記載され、又控訴人米次郎及び控訴人満喜子において本件建物について前記のように各登記を経ているが、右家屋台帳の記載及び右各登記によつて所有権が生ずるものでないから、右記載及び各登記の存在は右判断の支障とならない。

(三)  本件建物についての控訴人らの右各登記の事実に<証拠>を総合すると、控訴人米次郎は昭和三八年九月一日その子である控訴人満喜子との間で本件建物を贈与する旨の契約をしたことが認められる。成立に争いのない乙第一、第六号証、甲第一号証が右認定の支障となるものでないこと控訴人らの被控訴人八重子に対する請求についての判断において説示するとおり(前記一の(一))であり、他に右認定を覆すに足る証拠はない。しこうして、右贈与契約当時控訴人米次郎の本件建物の所有権は一五坪の家屋の共有権(持分二分の一)に変つていたのである)から、右契約は右共有権を贈与するものとして効力を有するものとなすべく、従つて控訴人満喜子は一五坪の家屋について共有権(持分二分の一)を有するものである(本件建物が現在構造上及び利用上の独立性を有しないことは控訴人らの自認するところである)。

(四)  控訴人らの被控訴人貞国に対する請求は、本件建物が建築以来現在まで独立して所有権の客体となるものであるとし、本件建物の所有権が控訴人米次郎次いで控訴人満喜子に帰属したことを前提とするものであり、控訴人らが一五坪の家屋の共有権を有することを前提とするものでないが、共有権は単独所有権とその性質内容を同じくし、ただその分量、範囲において狭いものに過ぎないから、右請求は控訴人らの一五坪の家屋の共有権に基づくものを包含するものと解するのが相当である。そして、共有者の一人は、共有建物の不法占有による妨害を排除しその明渡を単独で訴求できるものである。《以下省略》(布谷憲治 福田健次 杉田寛)

別紙・目録《省略》

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