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名古屋高等裁判所 昭和40年(ネ)38号 判決 1975年11月17日

控訴人 安藤正美

右訴訟代理人弁護士 青柳虎之助

右訴訟復代理人弁護士 兵藤俊一

被控訴人 株式会社ナゴヤ洋服

右代表者代表取締役 中川健次郎

右訴訟代理人弁護士 原田武彦

右訴訟復代理人弁護士 高橋淳

被控訴人 北野儀

右訴訟代理人弁護士 原田武彦

高橋淳

被控訴人 吉田春乃

右訴訟代理人弁護士 岩田孝

右訴訟復代理人弁護士 安藤恒春

数井恒彦

深見章

主文

本件控訴を棄却する。

当審における控訴人の拡張請求部分を棄却する。

当審における訴訟費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、当審において訴を変更して、「原判決を取り消す。被控訴人株式会社ナゴヤ洋服(以下「被控訴会社」という。)は控訴人に対し名古屋市中区大須三丁目一五〇六番地宅地二六一・三五平方メートルのうち別紙図面表示(A)、(B)部分合計二〇七・四八平方メートルの地上に存する家屋番号一五〇六番木造瓦葺平家建店舗床面積一〇四・一三平方メートル(現況木造瓦葺二階建店舗兼居宅床面積約二〇三・八三平方メートル、二階約二四・七九平方メートル。以下「本件建物」という。)を収去して右(A)、(B)部分の土地を明渡せ。被控訴人吉田春乃は控訴人に対し本件建物のうち右(B)部分の土地上にある部分から退去して右(B)部分五二・七八平方メートルの土地を明渡せ。被控訴会社および被控訴人北野儀は、連帯して控訴人に対し前記(A)、(B)部分の土地につき一か月三・三平方メートル当り、昭和二七年一一月七日から同二九年一二月末日までは二〇〇円、同三〇年一月一日から同三一年一二月末日までは二五〇円、同三二年一月一日から同三三年一二月末日までは三二五円、同三四年一月一日から同三五年一二月末日までは三七五円、同三六年一月一日から同三七年一二月末日までは四四〇円、同三八年一月一日から同三九年一二月末日までは六六〇円、同四〇年一月一日から同四一年一二月末日までは八三〇円、同四二年一月一日から右土地明渡しずみにいたるまでは八六〇円の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求めた。

被控訴会社および被控訴人北野代理人は、控訴棄却並びに当審における新請求棄却の判決を求め、被控訴人吉田代理人は、「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張並びに証拠の提出、援用、認否は次のとおり補足するほか原判決事実摘示と同一であるから、右記載をここに引用する。

(控訴人の主張)

一  控訴人は、原審においては、原判決添付目録第一記載の土地(以下「本件係争地」という。)を昭和二一年五月名古屋既製服商業協同組合に賃貸し、該賃貸借が合意解除された後あらためて同二二年一一月六日原審相被告中川佐市に賃貸し、被控訴会社が右中川から本件係争地を転借している旨主張した。しかしながら、当審においては、控訴人は本件係争地を昭和二一年三月被控訴会社に賃貸し、爾来これが昭和二七年一一月五日まで存続していたものであると主張する。

二  すなわち、本件係争地は繁華街である赤門通りに面し、控訴人が独立して営業するために絶対に必要な土地であったから、終戦後多数の人からこれを借受けたいとの申込を受けたにかかわらず、控訴人の父忠太郎はことごとく拒否して来た。しかるに、前記組合の代表者であり、被控訴会社設立後その代表者にもなった田辺音松らが忠太郎を疎開先にまで訪ねて来て、前記組合の負債返済や組合員に生活の途を与えるため被控訴会社を設立するから、その建物の敷地として本件土地を短期間賃貸してもらいたいとの申入れをなした。右申入れに対しては、忠太郎も前記組合の一員であり、田辺に同伴して来た組合役員が忠太郎の親戚であったこともあって断りきれず、短期の賃貸借であるという同人らの言を信頼し、昭和二一年三月被控訴会社に本件係争土地を賃貸することにしたのである。従って、右賃貸借については、当初、権利金ないし保証金の授受がないことはもとより、明確な期間や賃料の定めもなく、契約書も作成されてはいなかった。被控訴会社は、その当初の定款の営業目的に示されているように、あらゆる種類の生活用品を場当り的に売買して暫らく時を稼ごうという意図で設立されたもので、長期に亘る存続を予定したものではなかった。けだし、被控訴会社のような実績のない会社には、既製服その他衣料品の配給は殆んどなく、前記組合の組合員らが被控訴会社の株主兼従業員として専門外の商品を取扱わねばならなかったが、これら組合員は一日も早く自己本来の営業に復帰専念したい希望を有しており、被控訴会社の運営には余り熱意がなかったからである。従って、本件係争地の地上に建築された本件建物も費用僅かに六万三〇〇〇円を要したにすぎぬ平家建で(現在一部二階建であるが、これは後日の増築にかかる。)、粗末なものであった。

三  右のごとくして、本件係争地の一時賃貸借が成立して一年半を経た昭和二二年九月ごろ、被控訴会社においては、社長田辺以下役員がそれぞれ自己の店舗で営業し得る情勢となったに反し、被控訴会社の業績は一向に挙らなかったので、会社を解散し、本件建物その他資産を三〇万円で控訴人に買い取ってもらおうとしたが、控訴人としては買取りの義務もなく、金策の目途も立たなかったので、右申出を拒否した。ところが、その際、被控訴会社の副社長であった前記中川において、被控訴会社の経営を引受け会社の負債を完済するから今後五年間だけ本件係争土地を被控訴会社に賃貸してもらいたい旨の申出をなした。控訴人としては、間もなく本件係争地上で営業を始めたい意向であったので、なお五年も賃貸しておくことには賛成できなかったのであるが、両親から結婚してから開業すればよいから五年位いは貸してやれと勧められ、結局、昭和二二年一一月六日、同日から五年間に限り前記一時賃貸借を存続せしめることとし、期間満了の際はただちに本件係争地の明渡を受けることを確約して右中川をして土地借用証(甲第一号証)を差入れさせたのである。なお、右甲第一号証には賃借人として中川佐市個人の署名捺印が存するが、右のような経緯で成立した証書であるから、中川は被控訴会社の代表者として署名捺印したに外ならず、右書証に表示された合意は控訴人と被控訴会社との間に成立したものである。本件係争地の賃貸借については、右の証書によりはじめて期間、賃料が明定せられ、かつ、その作成と同時に保証金五万円が被控訴会社から控訴人に交付されたものである。

四  本件係争地は、元来、裏門前町一丁目一番の四七宅地五〇坪の全部と同番の四五宅地五〇坪六合の東端部間口約一間一尺、奥行約一〇間以上合計約六三坪から成っていたのであるが、昭和二二年七月三一日付をもって、名古屋市から土地区画整理事業の施行として右宅地二筆合計一〇〇坪六合に対し八〇坪の仮使用地を指定する旨控訴人に通知があった(現地換地であって、右二筆のうち四五番の西端部間口二間、奥行一〇間の部分が削減されたものであり、被控訴会社の賃借部分には影響がなかった。)。しかしながら、控訴人は、被控訴会社の賃借権が前記のように一時使用を目的とするものであったから、仮使用地についてあらためて賃貸借契約をせず、従前の土地の賃貸借がそのまま存続することとし、しかも、被控訴会社の現実に使用する土地面積の削減を要求することもしなかった。

昭和二七年一一月五日、本件係争地の前記一時賃貸借は期限の到来により終了するにいたったので、控訴人は被控訴会社に対しその明渡を請求していたところ、同二九年一二月二五日付をもって名古屋市から控訴人に対し前記四五、四七の二筆の土地に対し換地予定地七九坪五勺の指定通知があり、換地予定地の範囲は前記仮使用地の範囲と同一であった。控訴人が、右換地予定地につき被控訴会社との間に賃貸借契約をしたことのないのはもちろん、被控訴会社において従前の土地四五、四七についての前記賃借権につき土地区画整理法八五条の規定による土地区画整理事業施行者に対する申告をなした事実も存しない。

五  前記中川は、昭和二二年一一月当時名古屋市中村区内の賃借店舗を家主から明渡を求められており、その急場をしのぐため前記のように被控訴会社の経営を引受け、その清算終了までの期間を目途として一時賃貸借の期間を五年と定め、よって本件建物を使用するようになったのであるが、右経営引受により被控訴会社の性格が一変し右中川のいわゆる個人会社となるや、前記期間経過とともに土地を無条件に明渡す旨の約定に違反し、今日まで延々三〇年に亘り本件係争地上に居すわっているものであり、控訴人の迷惑は一方ではない。そして、その間昭和四四年一〇月二〇日には換地処分が行われ、前記換地予定地は中区大須三丁目一五〇六番地宅地二六一・三五平方メートルとなったのである。

六  本件の事実関係は以上のとおりであって、昭和二一年三月控訴人と被控訴会社との間に締結された従前の土地裏門前町一丁目一番四五および四七のうち本件係争地約六三坪の一時賃貸借は、翌二二年一一月六日その期限を同二七年一一月六日まで(五年間)とすることに約定せられ、右期限の到来とともに終了したわけである。仮に、右賃貸借がその成立の当初において通常の賃貸借であったとしても、控訴人は昭和二二年一一月六日被控訴会社(代表者中川佐市)との間において、控訴人の本件係争地に対する喫緊の必要に基づき該契約の残存期間を五年間とすることに合意したのであり、右合意は有効であるから、右賃貸借も前同様昭和二七年一一月五日限り終了したものである。仮にしからずとするも、前記従前の土地につき昭和四四年一〇月二〇日換地処分がなされ、同日その効力を生じたため、被控訴会社が従前の土地について有していた未申告・未登記の土地賃借権は土地区画整理法一〇四条二項の規定により消滅に帰したものである。よって、控訴人は、被控訴会社に対し右換地大須三丁目一五〇六番地宅地二六一・三五平方メートルの所有権に基づきそのうち別紙図面表示(A)、(B)部分合計二〇七・四八平方メートル(本件係争地)の地上に存する被控訴会社所有の本件建物を収去し右土地を明渡すことを求める。なお、当審においては、鑑定の結果に基づき昭和二七年一一月七日以降の損害金の請求を当審における申立記載のとおりに改める(もっとも、本件係争地の一か月一坪当り賃料は昭和四五年一月一日以降一二〇〇円、同四七年一月一日以降一五〇〇円を下らないものであるが、本訴においてはその内金として請求するものである。)。

七  被控訴人吉田は、控訴人に対抗しうる何らの権原なくして本件建物のうち別紙図面表示(B)土地部分(五二・七八平方メートル)上に存する部分に居住しこれを占有しているので、右建物から退去して(B)土地部分を控訴人に明渡すことを求める。

八  被控訴人北野は、昭和二二年一一月六日控訴人との間で、被控訴会社の控訴人に対する本件係争地賃貸借上の債務につき連帯保証をする旨約したので、右保証債務の履行として、当審の申立記載のとおり、被控訴会社と連帯して昭和二七年一一月六日以降の損害金を支払うことを求める(原審においては、相被告中川の連帯保証人である旨主張したのを右のように変更する。)。

(被控訴会社および被控訴人北野の主張)

一  被控訴会社が、昭和二一年三月控訴人から中区裏門前町一丁目一番の土地を賃借したことは認めるが、その目的物件の面積は争う。賃借物件は本件係争地を含む間口六間半、奥行二〇間の一三〇坪の土地であった。本件係争地につき控訴人主張のとおりの経過で、仮使用地、換地予定地の指定、換地処分がなされたことは認めるが、その余の控訴人の主張は争う。

二  被控訴会社は、前記のように控訴人から一三〇坪の土地を賃借後、その一部たる本件係争地に本件建物を建築し、南側(奥)の部分を空地にしておいたところ、中川佐市が被控訴会社の代表取締役に就任した昭和二二年一一月ころ、控訴人から右空地を買ってくれとの申込が被控訴会社に対してなされた。しかし、被控訴会社としては、当時再建の緒についたばかりであったので、控訴人の右申込をことわり、その代り本件係争地以外の部分を控訴人に返還し、本件係争地のみを賃借することとしたのである。そして、当時すでに土地区画整理により仮使用地の指定がなされていたから、本件係争地のみを賃借するとの右合意は、すなわち、仮使用地について賃貸借をなしたものに外ならない。名古屋市のなした右仮使用地の指定が特別都市計画法ないし土地区画整理法に基づくものでなかったとしても、換地予定地(仮換地)の指定に準ずべきものであるから、右のように仮使用地を対象として賃貸借をなしその範囲を特定した場合には、後日特別都市計画法による換地予定地の指定がなされても、あらためて土地区画整理法八五条による借地権の申告をなす必要は存しないものというべきである。本件係争地の従前の土地についても昭和二九年一一月二五日特別都市計画法による換地予定地の指定がなされたが、仮使用地たる本件係争地に対する賃貸借は、右の理により右換地予定地に移行し、被控訴会社は申告をせずそのまま本件係争地を使用することができ、しかも右賃借権は換地処分とともに換地のうえに移行し、現に存続しているものである。

三  仮にしからずとしても、被控訴会社は、一筆の換地予定地の一部たる本件係争地につき賃借権ありと信じて換地予定地の指定のあった昭和二九年一二月二五日から一〇年間占有を継続した。しかも、被控訴会社は右占有の初めにおいて善意・無過失であったから、昭和三九年一一月二五日換地予定地たる本件係争地につき時効により賃借権を取得したものである。右賃借権は換地処分により換地たる本件係争地のうえに移行し現に存続しているものである。

四  仮にしからずとしても、被控訴会社が換地予定地につき賃借権の申告をしていないからその権利を失ったとの主張に基づく控訴人の土地明渡請求は権利の濫用として許されないものである。土地賃貸人たる控訴人は右のような瑣末な手続上のことから賃借権が消滅したりすることのないよう賃借人に協力すべきであるのに、自らこの協力義務を怠ったうえ申告のないことを理由に明渡を求めるごときは信義則にもとるものというべきである。

五  なお、後記被控訴人吉田の主張を援用する。

(被控訴人吉田の主張)

一  本件係争地の賃貸借は一時使用の目的をもってなされたものではない。本件建物は本格的なコンクリートの基礎を有する本建築であって、臨時設備などではない。その建築費用も当時としては巨額な三〇万円余りを要した。また、被控訴会社自体も既製服業者の生活の再建に資するため、煩瑣な手続と多額の費用を用いて設立されたものであって、控訴人のいうような一時的存続を予定されたものではなかった。他方、控訴人側は、昭和二一年当時はまだ疎開先にひきこもったままであり、前途の見透しも定かでなく、大都市においてすら土地に対する価値感が低かった頃であるから、本件係争地の用途について明確に自ら使用するとの決定を下していなかったものである。さればこそ、控訴人は甲第一号証の契約書作成当時被控訴会社との間に明確な五年後明渡の合意をしてはいない。同号証の文言からは五年という期間は地代据置期間として定められたとしか考えられないものである。

二  控訴人は、甲第一号証の作成された昭和二二年一一月六日から五年の経過をもって本件係争地を明渡すべき旨主張しているが、右文書の作成により本件賃貸借を五年後に終了せしめる趣旨の合意解約または明渡期限の猶豫の合意が成立した事実はない。当時、被控訴会社が控訴人から本件係争地の明渡を求められたことは全くなく、むしろ、被控訴会社の性格がそれまでと異なり中川佐市の個人会社に変質するため、新らたに五万円が控訴人に支払われ、前記賃貸借の将来への継続が確認されたものである。

三  控訴人は、昭和二二年七月三一日仮使用地八〇坪の指定を受けたが、同年一一月六日右仮使用地の具体的に特定された一部である本件係争地につき被控訴会社に賃貸することを確約し、該賃貸借を前提として昭和二七年一一月まで賃料を受領している。右仮使用地は後に換地予定地となったが、両者は法律上同一に取扱わるべきものであるから、右のように仮使用地につき賃貸借をなした以上、換地予定地につき賃貸借をなしたものと解すべきである。

仮にしからずとしても、被控訴会社が換地予定地につき権利の申告をしなかったことにより本件係争地の賃借権が消滅するものではない。すなわち、本件係争地は、いわゆる現地換地であって、かつ、減歩率は僅かであるから、被控訴会社が換地予定地中の大部分について使用収益をなさしむべきことを控訴人に請求しうる債権的権利を有することは明らかであり、控訴人は被控訴会社に対し本件係争地の全部の明渡を求めることが許されないことは当然である。また、被控訴会社は、本件において換地予定地に対する使用収益権を積極的に行使しているわけではなく、消極的に抗弁として賃貸借契約に基づく占有権原を主張しているのにすぎない。かかる抗弁を主張するについては換地予定地に対する現実の使用収益権がなくとも、潜在的な(従前の土地に対する)賃借権があればそれで充分であるといわなければならない。

その後、換地予定地であった本件係争地について換地処分がなされた。従って、換地予定地のうえに被控訴会社が有していた本件賃借権は換地のうえに移行した。仮に、被控訴会社が換地予定地につき使用収益権を有していなかったとしても、その間潜在的に存在していた従前の土地についての賃借権は、換地処分により換地のうえに移行し、換地についての賃借権として顕在化したのである。以上の次第で、被控訴会社は換地たる本件土地につき占有権原を有するから、控訴人の本訴請求は失当である。

(証拠関係)≪省略≫

理由

一  中区裏門前町一丁目一番の四五宅地五〇坪六合および同番の四七宅地五〇坪が控訴人の所有であること、被控訴会社がもと株式会社福屋と称していたところ、昭和二三年二月二八日現商号に変更し、同年三月一日その旨の登記を経由したこと、同二二年七月三一日名古屋市が右二筆の土地に対し二〇坪六合を削減して八〇坪を仮使用地として指定したこと、同二九年一二月二五日名古屋市長が特別都市計画法一三条に基づき右仮使用地と同一の土地を前記二筆の土地の換地予定地に指定し同時に地積を七九坪五勺と訂正したこと、同四四年一〇月二〇日換地処分が行われ、右換地予定地は中区大須三丁目一五〇六番地宅地二六一・三五平方メートルとなったこと、被控訴会社が右換地のうち別紙図面表示(A)、(B)部分合計二〇七・四八平方メートル(本件係争地)の地上に家屋番号一五〇六番木造瓦葺平家建居舗床面積一〇四・一三平方メートル(現況木造瓦葺二階建店舗兼居宅床面積約二〇三・八三平方メートル、二階約二四・七九平方メートル。以下「本件建物」という。)を所有して右土地を占有していること、以上の事実は当事者間に争いがない。しかして、被控訴人吉田において、被控訴会社から本件建物のうち別紙図面表示(B)部分を賃借し、その敷地たる本件係争地の(B)部分を占有していることは同被控訴人において認めるところである。

二  控訴人は、昭和二一年三月控訴人において被控訴会社に対し前記一番の四五および四七の土地のうち別紙図面表示(A)、(B)部分を一時使用の目的をもって賃貸し、次いで、同二二年一一月六日右賃貸借の期間を同日から五年間とすることに合意したから、右賃貸借は同二七年一一月五日限り終了した旨主張する。

よって審究するに、≪証拠省略≫を総合すれば次の事実を認定することができる。

1  本件裏門前町一丁目一番の四五および四七の土地並びにその南側に接続する一番の一六および四六の土地上には戦前控訴人所有の建物が存在して、他に賃貸され、その隣地において控訴人の父安藤忠太郎が既製服の販売業を営んでいたが、戦災によってこれら地上の建物はすべて焼失し、昭和二一年三月当時は右四五、四七、一六および四六の各土地は空地となっていた。控訴人は、昭和一八年一〇月応召し、同二一年八月復員したものであって、その間は知多郡長浦町に疎開していた右忠太郎が右土地の管理に当っていた。

2  ところで、訴外名古屋既製服商業協同組合(以下「訴外組合」という。)は、昭和二一年三月ころ、当時組合員が個人として既製服販売業を営むことができない状況にあったところから組合員を株主とする株式会社福屋(被控訴会社)を設立して衣料品配給業務、繊維製品その他生活用品の仕入販売等の営業をなすことを企図し、同月一一日訴外組合の組合長であった田辺音松ほか七名が発起人となって定款を作成し、同月二〇日公証人の認証を受け、同月二三日創立総会を開催し、取締役として田辺音松、中川佐市、安藤忠太郎ほか三名を選任し、社長に田辺、副社長に中川が就任し、同年四月五日会社設立の登記を完了した。

他方右発起人らは、被控訴会社の店舗兼事務所用地として前記控訴人所有の四筆の空地を選定し、右会社設立手続と平行して田辺音松、浅井喜一(発起人の一人で控訴人の親戚)らが右忠太郎の疎開先に出向き、同人に対し被控訴会社を設立する趣旨を説き前記土地の賃借を申入れ、かつ、将来被控訴会社において店舗兼事務所が不要になったときは控訴人にこれを譲渡してもよい旨言明した。当時忠太郎としては、焼失した自己の店舗を再建するほか、隣地たる四五および四七の土地において控訴人に同じ既製服販売業をさせる構想を有していたものの、控訴人自身も復員しておらず、土地使用の具体的計画はなかったところへ、訴外組合から右のような申入れを受けたので(忠太郎も訴外組合の組合員であり、組合長に在任したこともあった。)、これを承諾し、昭和二一年三月一八日被控訴会社代表者田辺音松と控訴人代理人安藤忠太郎との間に前記四筆の宅地のうち一三〇坪について、坪当り賃料月額を三円五〇銭とし、建物所有を目的とする賃貸借契約が成立した。しかしながら、当時被控訴会社の存続期間については、はっきりした見透しが立たず、右土地賃貸借の期間については何らの定めがなされなかった。

3  次いで、田辺音松は、その個人名義で同二一年三月二七日愛知県知事に対し建築申請書を提出し、同年五月三〇日建築認可証を受け、春日組こと春日忠男に請負わせて右借地上に被控訴会社の店舗兼事務所を建築した。これがすなわち本件建物(その後各所に手を加えられて現在の姿となった。)であるが、その床面積は一〇三・九五平方メートル、コンクリート打の基礎を有する木造平家建であり、その建築費用は約三〇万円を要し、その当時としては相当立派な建物であった。なお、前記発起人らが設立中の被控訴会社のためになした建物敷地の賃貸借は被控訴会社の設立とともにこれに承継された。

4  かくて、被控訴会社は、本件建物において営業を開始したのであるが、その株主兼従業員となった訴外組合の組合員が、次第に個人として本来の既製服営業をすることができるようになって来たに加えて、被控訴会社の業績が芳しくなかったため、右組合員らも被控訴会社の経営に対する熱意を失うにいたった。そして、早くも昭和二二年九月ころには被控訴会社の廃業が役員の間で問題となったのであるが、同人らは前認定のように借地契約の際本件建物が不必要になったときは控訴人に譲渡してもよい旨言明していた経緯を考慮し、まず控訴人および忠太郎(既に本件建物の隣地で既製服の店舗を開いていた。)に対し被控訴会社の経営を引受けてくれるよう懇請した。しかしながら、被控訴会社は当時三十数万円の債務を負担しており、その整理のためには相当の資金の投入を必要としたので、控訴人は、被控訴会社役員からの右申入を拒絶した。そこで、被控訴会社の役員らは再び協議の末、今度は中川佐市に対し被控訴会社の経営を引受けるよう説得した。中川は、別途控訴人と交渉し、前記賃借地を引続いて使用しうる見透しをつけた上右申出を承諾した。

5  右のごとくして被控訴会社を経営する方針を固めた中川は、役員または株主であった訴外組合の組合員をしてすべて手を引かしめ、自ら代表取締役社長となり、自己の縁故者を役員となし、昭和区塩付町の土地・家屋を売却するなどして得た資金を投入したので、被控訴会社は従来の性格を一変して、全く中川の個人会社となってしまった。そして、前記借地については、控訴人と被控訴会社との間で新規に土地借用証(甲第一号証)を作成し、目的物件は従前四筆の土地にまたがっていたのを一番の四七(宅地五〇坪)の全部および同番の四五(宅地五〇坪六合)の東端部間口約一間一尺、奥行約一〇間の土地(ただし、右については当時既に仮使用地の指定がなされていた。)となし、賃料は一坪当り一か月一六円、毎月二八日までに持参払、期間は同日より五年間と約定した。また右契約と同時に被控訴会社は控訴人に対し権利金として五万円を支払った。

6  右甲第一号証の契約書は控訴人側の起案に係るもので、中川は、右契約書に賃貸借期間として五年の記載のあることは承知していたが、同人としては相当の資金を投入して被控訴会社の経営を引受け、当時としては高額の権利金をも支払った関係上右期間の満了とともに右借地を明渡すことは考えておらず、右期間の約定を重視してはいなかった。そして、被控訴会社は前記のように商号を変更して営業を続け、当初の建物を増改築して現在の本件建物となした。しかしながら、控訴人は、昭和二七年一一月五日をもって右賃貸借が終了したとして被控訴会社に対し本件係争地の明渡を求めたので、遂に本件紛争の発生を見るにいたったものである。

以上のように認められ(る。)≪証拠判断省略≫(なお、≪証拠省略≫には、被控訴会社が昭和二二年一一月六日控訴人に支払った五万円は五年間の土地賃料の一時払である旨の記載があるが、≪証拠省略≫によれば、控訴人は右五年の期間内である昭和二六年一二月から同二七年五月までの一か月五〇〇〇円の割合による賃料を受領している事実が明らかで、右記載は信用できない。かえって≪証拠省略≫によれば、右金員が権利金として授受されたことが窺われる。)。

三  右認定の事実関係によれば、控訴人と被控訴会社との間の昭和二一年三月一八日の賃貸借は、たとい控訴人の代理人忠太郎が控訴人復員後目的物件たる土地上で控訴人に既製服販売業を営ませようと考えていたとしても、契約当時被控訴会社の存続期間について予測がたたず、控訴人側の土地使用の具体的計画もなかったところから賃貸借期間が定められなかったこと、地上に建築された事務所兼店舗が本建築の立派な建物であったこと等に照らし一時使用のための賃貸借であったとはいいがたい。しかして右当初の一三〇坪の賃貸借は、翌二二年一一月六日甲第一号証の契約書が授受されたことにより合意解約せられ、同号証により被控訴会社(中川佐市の個人会社となり従前とは性格を変えた。)との間に新契約が締結されたものと解されるのであるが、新契約についても被控訴会社が五年の期間満了とともに土地を明渡すことを承諾していたものとは認められず、中川においては被控訴会社が長期に亘り本件係争地を使用しうることを前提としてその経営を引受け、運転資金、権利金を投入するにいたったものであり、五年間のみの賃貸借であれば被控訴会社を引受ける意向はなく、従って五年の期間経過後も契約が存続することを予期していたと考えられること、地上建物が前記のように本建築であったこと等を参酌すると、これまた一時使用のための賃貸借とは解することができないのである。されば、昭和二二年一一月六日の契約により定められた五年の期間は借地法二条の規定に違反し無効であり、非堅固建物の所有を目的とする右賃貸借契約は同条一項の規定により右同日から三〇年存続することになったというべきである。

以上説示のとおりであるから右賃貸借が一時使用の目的に出たものであり、昭和二二年一一月六日から五年の期間の経過により終了したとする控訴人の主張は失当として排斥を免れない。

四  次に、控訴人は、本件係争地については、賃貸借契約成立後換地予定地の指定があり、さらにその後換地処分がなされたにかかわらず、被控訴会社は、その賃借権につき土地区画整理法八五条による権利の申告をなさず、従って土地区画整理事業施行者から換地予定地(仮換地)につき使用収益をなすべき部分の指定を受けていないので、同法一〇四条の規定により右賃借権は消滅に帰した旨主張する。

本件係争地を含む従前の土地である一番の四五および四七について、冒頭認定のとおり、順次、仮使用地の指定、仮換地の指定および換地処分が行われたところ、被控訴会社において土地区画整理事業施行者名古屋市長に対しその賃借権の申告をなさず、従って賃借権について仮に権利の目的となるべき土地の指定を受けていないことは弁論の全趣旨に徴し明白である。

しかしながら、特別都市計画法(土地区画整理法)に基づく換地予定地(仮換地)指定があった場合、換地処分がなされるまでの間に従前の土地についての未登記賃借権者において同法八五条一項による権利申告をせず、従って仮換地につき同法九八条による使用収益部分の指定を受けなかったため、換地処分の際換地について右賃借権の目的となるべき土地を定められなかったときも、右賃借権は消滅することなく、換地の上に移行するものと解するのが相当である。区画整理の施行により、地区内の土地の区画・形質が変更され、整理工事が完了すると、同法八九条一項に掲げられた標準により従前の土地に照応する換地の位置範囲は施行者によってなされる換地処分をまつまでもなく、区画整理の本質から客観的には整理後の土地のいずれかに定まっているというべきであり、施行者のなす換地処分はこの客観的に定まっている換地もしくは賃借権の目的たる土地の位置・範囲を確認し宣言するにすぎないものというべきである。しかりとすれば、申告すべき権利を有する者が前記申告をしないときは、区画整理の手続中は該権利が存在しないものとして取扱われる不利益を受けるのではあるが(同法八五条五項)、換地処分が従前の土地の上に存する権利関係をそのまま換地の上に移すことを内容とし、換地処分により、換地は公告の日の翌日から従前の土地とみなされることになる(同法一〇四条一項)ため、従前の土地の上に存する賃借権は未申告であっても換地処分により消滅することなく換地に移行し、賃借権者は換地について従前の土地に有していたと同じ内容の権利を有するにいたるのである。なお、同法一〇四条二項後段の規定は、関係権利者の同意による換地不指定清算処分(同法九〇条一項)、過小宅地、借地に対する換地不指定清算処分(同法九一条三項、九二条三項)等がなされた場合に関するものと解すべきであるから、前記結論を導くについて何らの妨げとなるものではない。よって、被控訴会社の本件賃借権は、換地処分とともに換地たる大須三丁目一五〇六番地宅地二六一・三五平方メートルの一部である本件係争地二〇七・四八平方メートル(当事者間では従来約六三坪として取扱われてきたが、測量の結果は添付図面のとおり六二・七五坪である。)の上に移行し依然存続しているものというべきである。

なお、控訴人は、従前の土地たる裏門前町一丁目一番四五および四七(合計一〇〇・六坪)の一部たる本件係争地を被控訴会社に賃貸していたところ、従前の土地が削減されて七九・二坪(二六一・三五平方メートル)の換地となったものであるから、被控訴会社の賃借権も本件係争地の全域に及ぶ理由はなく、換地の減歩率に応じ削減さるべきではないかとの疑いが生ずる。

しかしながら、前認定のように被控訴会社は当初から本件係争地約六三坪を賃借していたわけではなく、昭和二一年三月締結の当初の賃貸借契約においては四筆にまたがる一三〇坪の区域を賃借したのであり、翌二二年一一月六日右賃貸借を解約して本件係争地の範囲をあらためて賃借したのであるが、その時は既に従前の土地一番の四五および四七につき仮使用地の指定がなされ、本件係争地は仮使用地(現在の換地)の一部であったのである。しかして、仮使用地の指定なるものは、当時施行されていた特別都市計画法一三条の規定による換地予定地の指定ではないけれども、関係者の間において事実上これと同様のものとして尊重せられていたのであり、ほとんどの場合後に仮使用地がそのまま仮換地(換地予定地)に指定されたのであることは当裁判所に顕著な事実である(本件においても、仮使用地がそのまま換地予定地に指定された。なお、仮使用地の法律的性質については名古屋高等裁判所昭和四五年四月二七日判決・高等裁判所民事判例集二三巻二八九頁参照)。してみると、控訴人と被控訴会社との間において昭和二二年一一月六日従前の土地一番の四五および四七の仮使用地の一部である本件係争地につき賃貸借をなしたについては、当事者の意思は、土地区画整理による減歩の事実を契約内容に織り込み、仮使用地の一部たる本件係争地を契約の対象となし(法律上は従前の土地の賃貸借と解される。)、将来仮使用地が仮換地(換地予定地)として指定されるにおいては、本件係争地を該仮換地の一部として賃貸借を継続するにあったものといわなければならない。よって、被控訴会社の賃借地たる本件係争地を減歩率に応じて削減する必要は存しないものといわなければならない。≪証拠判断省略≫

五  以上説示のとおりであるから、被控訴会社の本件係争地に対する賃貸借契約が終了したことを原因とする控訴人の被控訴会社に対する建物収去・土地明渡・損害金支払の請求は失当として棄却すべきである。

六  被控訴人北野が、昭和二二年一一月六日控訴人と被控訴会社との間の本件土地賃貸借につき被控訴会社のため連帯保証をなしたことは同被控訴人において認めるところであるが、被控訴会社の本件係争地に対する土地賃借権が消滅していない以上、被控訴人北野に対する控訴人の損害金請求が失当であることは多言を要しない。また、被控訴会社から本件建物の一部を賃借している被控訴人吉田に対する控訴人の土地明渡請求も右同様その前提を欠き棄却を免れないこと明白である。

七  右と同旨に出た原判決は相当であり、本件控訴は理由がなく、控訴人の当審における請求拡張部分もまた理由がないからいずれも棄却することとし、民訴法三八四条、九五条、八九条に則り主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 宮本聖司 裁判官 川端浩 新田誠志)

<以下省略>

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