大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

名古屋高等裁判所 昭和37年(く)30号 決定 1962年10月12日

少年 F(昭一八・一二・九生)

主文

本件抗告を棄却する。

理由

本件抗告の趣意は、少年から差し出された抗告申立書に記載するとおりであるから、ここに、これを引用するが、その要旨は、少年は、原判示(1)の自動車を知人Bから運転してもよいと言われたので、これを運転したことはあるが、少年は、右自動車を窃取したことはないから、原保護処分決定には重大な事実の誤認がある、というのである。

所論にかんがみ、本件記録(少年調査記録を含む)を調査してみるのに、○藤○美の被害届、A、Mの各司法巡査に対する供述調書を総合すれば、少年が原判示(1)の自動車を窃取したものであることを肯認するに充分である。少年は、警察の取調以来、終始右非行を否認しているけれども、少年が本件自動車の盗難のあつた日時に近接する昭和三七年八月二日夜一〇時頃その勤務先である知多郡○○町大字○○所在の△△工業株式会社の寮より飛び出したこと、翌三日晩少年が再び右寮に戻り、同僚の工員Aを誘い出して、河和町に赴き、同所に置いていた本件自動車に右Aを乗せて運転したが、ガソリンが欠乏したので、同町附近にこれを乗り捨てにしたことは、いずれも、少年の自認するところである。してみると、少年は、本件被害発生の日時頃被害場所である前記○○町にいたのであり、その後間もないころ、本件盗品たる自動車を所持していたものであること明白であるところ、少年は、該自動車を所持するに至つた理由について、八月二日午後一一時頃以前鑑別所で知合つたBなる者と名古屋駅裏で偶然会つた際、同人から右自動車に乗つてもよいと云われて、合かぎを渡されたので、これを運転したまでである、と弁解する。しかし、少年は、右Bなる者の名前も住所も知らないというのであつて、果して実在する人物なりや否やも頗る疑わしいばかりでなく、仮りに実在する人物であるとしても、数年前鑑別所で知り合つた程度で、その名前も住所も知らず、格別交際した形跡もなく、偶然名古屋駅裏であつた者が、少年に対し格別の理由もなしに、自動車の合かぎまで渡して、勝手にこれを乗り廻してよいと言つたというがごときことは、甚だ不自然な事柄であり、少年が右自動車をBに無断で乗り捨てたことも首肯し難いところであるから、右弁解自体容易に信用し難いものがある。のみならず、少年の弁解を仔細に検討するときは、首尾一貫せず、いわゆる弁解のための弁解である、と認めざるを得ない。すなわち、少年は、当初警察官の取調に対し、Bより、「河和口に自動車が置いてあるから、行つて乗れ」と地図を書いて、その所在場所を教えて貰い、河和口に行つて車を見つけてこれを運転した旨弁解したが(少年の司法警察員に対する昭和三七年八月八日附弁解録取書)、その翌日には、Bに案内されて名古屋駅附近の○○小学校近くの銀行横の細道に置いてあつた自動車のところまで行き、名古屋から河和までこれを運転して行つた旨弁解を一変しており(少年の司法警察員に対する同年同月九日附供述調書)、右名古屋から河和までの運転についても、或いは、○○に自分の用があつたので行つたといい、(少年の検察官に対する昭和三七年八月一〇日附弁解録取書)、或いは、Bから頼まれて河和まで運転したといつている(原審昭和三七年九月一二日審判調書)のであつて、少年の弁解は、重要な点において食い違いがあり、とうてい採用することができない。原決定には、所論のような事実誤認のかどは存しない。

よつて、本件抗告はその理由がないから、少年法三三条に則りこれを棄却することとし、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 影山正雄 裁判官 吉田彰 裁判官 村上悦雄)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例