大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

名古屋高等裁判所 昭和35年(お)3号 判決 1961年5月27日

請求人 李順錫

主文

本件について、再審を開始する。

理由

本件再審請求の理由は、弁護人原田武彦提出の再審請求書に記載するとおりであるが、その要旨は、申立人に対する有罪判決の理由となつている、昭和二九年三月二六日午後一〇時ころ、名古屋市中村区西柳町二丁目所在のキヤバレー「安全地帯」における熊谷三千雄に対する殺人未遂事件は、申立人の所為ではなく、当時申立人と同キヤバレーに同行していたその友人高木正一が真犯人であるところ、申立人に対する前記の裁判が第一審及び原審に係属していた当時所在不明であつた右高木正一及び当時その犯行現場に居合わせた神農清志の所在が原判決確定後漸く判明したので、ここに、刑訴法四三五条六号により再審の申立に及ぶ、というのである。

ところで、原判決は、申立人は、昭和二九年三月二六日午後一〇時ころ、名古屋市中村区西柳町二丁目所在の当時キヤバレー「安全地帯」において、客の熊谷三千雄(当時一九年)と些細のことから口論して憤激し、同人を同店裏口に連れ出し所携のジヤツクナイフ(証第一号)を取り出したところ、熊谷がやにわに逃げ出したのでこれを追跡し、同人が同店横側通路内に転倒するや傍にかけ寄り、殺意をもつて、右手に持つたジヤツクナイフで同人の左側背部第九肋間他一ヶ所を突き刺したが、同人が逃げ出したため、同人に全治一ヶ月間を要した左背部刺創等の傷害を負わしめたのみで、その殺害の目的を遂げなかつた、という事実を確定し、申立人を懲役一年六月に処したものである。

さて、申立人は、司法警察員に対する第一回供述調書及び検察官に対する第二回供述調書においては、右事実について、自白していたのであるが、第一審の公判にいたり右自白を翻し、この事件の真犯人は、当日申立人を右キヤバレーに誘つた高木正一であり、同人は、申立人に対し、「ただ殴つただけであるから、(警察に連れていかれても)一晩位で出れるから、身替りになつてくれ」と頼むので、申立人としては、「近所の年上の者(申立人を指す)と、年下の者(高木正一を指す)とが一緒に遊びに行つて、若い者が喧嘩をして警察に引張られたということになると、一緒に行つた年上の者として具合が悪いので、直ぐ出られるものならと思い高木の身替りとなることを引受けた」といい、又「申立人の母と高木の使用主である金粉伊とは義姉妹の関係を結んでおり、(朝鮮の風習では)義姉妹は、真の姉妹以上に親密につき合つて行かなければならない間柄の者であるが、そのような申立人の母と特別の関係にある金粉伊方の若い者(高木を指す)を入れて(留置されること)、申立人が入らないことは悪いことだと思い、かつ又高木が直ぐ出られるからというので、申立人としては、この事件を犯したものではないが、同人の身替りになることを引受けたものである」と述べるにいたつたものである(第一審第一三回公判調書参照)。

然るに、第一審判決は、申立人に対し無罪を言い渡し、その理由とするところは、詳細、委曲をつくしたものであるが、これを要約すると、(イ)申立人が前記熊谷三千雄を刺創するに至つた動機は、申立人と熊谷とが前記キヤバレー安全地帯の便所で顔を合わせた際、両者の間に口論を発したということになつているが、便所の中で両名が喧嘩したというような事実は認められない。(ロ)しかし、その喧嘩の原因は、熊谷が他の客の馴染のダンサーと踊つたということに発するものとされているが、申立人は、事件当夜初めて安全地帯に出かけたもので、馴染のダンサーがあろうはずはなく、熊谷の踊の相手をしたダンサー外山美智子は高木正一の馴染の女である。従つて、高木については喧嘩の原因になる事情が備わつているが、申立人については、そのような事情は存しない。(ハ)キヤバレー安全地帯の裏口の喧嘩で、熊谷を同所に呼び出し、同人に刺創を加えた者が、何人であるかは、熊谷自身も確認せず、その語るところは、唯、三人の男(申立人、高木正一及び神農清志を指す)のうちで一番背が低く、空色がかつた青のソフトを冠つた者である、というだけであるが、安全地帯裏口の喧嘩で熊谷に向つて立つていた者が申立人と高木正一及び神農清志の三人であり、この三人の中、背の非常に高い神農を除いて、申立人と高木正一のいずれがその犯人であるかを確認するに足りる証拠はない。(但し、犯人は同裏口に最も近い所に場所を占めていた男と思われるが、その男が申立人であつたと断定すべき証拠はない。)(申立人と高木とではその背恰好に一見して判るほどの高低の差はなく、申立人の方が高木よりいく分低かつたものとしても、熊谷のいう一番背の低い男、即ち、申立人と断定することは危険である)(ニ)熊谷を刺創する際に用いられた兇器はジヤツクナイフ(証第一号)であるが、それは、当夜高木正一が携行していたものではないかを疑うべき事情が存する。(ホ)熊谷が刺創された後、右ナイフを安全地帯の申立人と高木正一の着席していた客席の下から発見した者は、高木正一であるが、同人が何が故にその所在を承知していたものかについて、首肯すべき事情は認められない。(ヘ)事件後申立人と高木正一が警察に連行される途中、同人らの間に事件について何らかの打合わせをする機会は充分あつたものと認められる。(ト)申立人に対する事件が起訴されるや弁護料等は高木正一と特別の関係のある前記金粉伊の方で支出されているし、他にも同女の方で申立人に対し、金銭的援助をしている形跡もあり、申立人が高木に頼まれて、本件の犯人として、その身替りを買つたという供述も強ち否定できない、として、高木正一こそが本件の真犯人ではなかつたかと深い疑問をとどめながら、申立人に対し、証拠不充分として結局無罪を言い渡したのである。そして、この間において、本件において、最も重要な関係人である高木正一については、同人の作成名義となつている昭和二九年三月二六日付司法警察員に対する事実上申書が存するのみで、同人は事件の翌日以降所在をくらましたため、捜査過程においても右上申書を除き同人に対する取り調べはなされず、第一審公判においても、同人に対する証人喚問は不能となり、そして又、これ又事件の真相を承知しているものと思われる神農清志についても、同人の所在不明のため、何らの取り調べもなされず、申立人に対する第一審の審理は終結せざるを得なかつたのである。いずれにしても、高木正一並びに神農清志の両名は、第一審裁判所において、喚問の必要を認めながらも、遂にその目的を達し得なかつた証人であつたことは、第一審の審理の経過に徴し明白である。

次に、原判決は、右第一審判決に事実誤認ありとして、これを破棄したうえ自ら事実の取調をして自判し、その引用の各証拠を綜合して、熊谷三千雄を証第一号のジヤツクナイフで突き刺した犯人は、当夜キヤバレー「安全地帯」に来ていた客で、同店又は本件犯行現場に居た高木正一、申立人及び神農某の三人連れの男のうち、帽子を冠つていた一番背の低い男であると認められるところ、そのいわゆる帽子を冠つていた一番背の低い男は申立人である、と断定して加えて、前述の被告人の司法警察員に対する第一回供述調書、検察官に対する第二回供述調書中の各自白調書はいずれも真実を述べたもので、充分信用できる、として結局、被告人の有罪を積極的に認めたわけである。さて、原判決がその引用の証拠により前記の事実を認定したことの当否は、原判決に対する申立人の上告が最高裁判所において棄却され既に確定した以上、原判決引用の証拠、及び原裁判所及び第一審裁判所が取り調べた証拠を前提とする限り、当裁判所において、とやかくいうことの許されないことは、勿論である。(判決の確定力)

然し、それにしても、申立人は、原審においても、第一審同様本件の真犯人は高木正一であり、申立人は同人の身替りとなつたものであると主張し、原判決においても、申立人を本件犯行の真犯人と断ずるについて、直接の証拠のなかつたことは、その全審理の経過に徴し明白なところであつたのである。

従つて、原審としても、本件について直接最重要な関係者である高木正一並びに神農清志の両名を証人として取り調べるべきであつたわけであるが、同人らは、当時なおその所在が判明せず、遂に、これを証人として喚問することを得ず、原審としては、斯る事実上の理由に基きその限度で審理を終結し、当時得られた限りの証拠で心証を形成せざるを得なかつたものである(以上の次第も、原審の審理経過に徴し容易に窺知できるところである。)

ところで、原判決確定後、申立人の努力により漸くその所在が判明した高木正一こと黒田義男(以下高木正一という)並びに神農清志こと姜清志(以下神農清志という)に対する当裁判所の各証人尋問の結果は、果してどうであつたか。

証人高木正一の供述内容は、極めて把捉し難いものであり、弁護人や申立人の質問にあい自己の立場を弁解することのみに終始し、その供述内容は二転、三転し、要領を得ないものとなつていることが先ず当裁判所の注意をひくのである。然し、その供述の中で、同人が当夜キヤバレー「安全地帯」の裏口で行われた健ちやんこと申立人と氏名不詳の相手方との喧嘩の現場にかけつけた理由については、当時キヤバレーの中で何かワツと喧嘩する様子があつたので、そこに行つてみたというのであるが、(もつとも、ある時は同人は、申立人に引張られてその場に行つたのだ、とも答えている。)しかも、その喧嘩に全然関係のない高木正一が同所で申立人と喧嘩の相手となつている者(その数は二、三人であつたとも数人であつたともいつている)に対し「お前達は何だ」といつてその喧嘩の中に入り、喧嘩の相手になつたこと迄は認めているのであり、右裏口における申立人と相手方との喧嘩の状況についても、両者は取つ組み合い、殴り合いの喧嘩をしており、そのうち、申立人も相手方も各自のポケツトに手を入れるのは見たが、それから何が起つたかは知らない。然し、相手方は直ぐ散つていつてしまつたので、高木もそのまま自席に戻つたが、その自席に引き返えす途中相手の男の一人が裏口から入つた通路の所で苦しんでいるのを見て酒にでも酔つているのではないか、と思つた、というのであつて、第一審及び原審において熊谷三千男が述べている喧嘩の状況とは全然異つている。(そこでは、犯人は、熊谷の後を追つて顛倒した同人の背部からジヤツクナイフで突き刺したことになつている。)=もつとも高木は、その点について更に突込んで質問すると、申立人か神農かのうちいずれか一人が喧嘩の相手の男の後を追つたとも述べている=<そして又、高木がある場合に述べているように、右裏口における喧嘩の際、同人と申立人及び神農の三人が相手方と向い合つて、高木も相手方に対し「お前ら何だ、どうしたんや」とまでいつて相手方との間に応酬があつたとすれば、高木がその場の喧嘩の状況を全然知らない、と、供述しているのも不可解である。<次に、高木が申立人に対しその主張しているが如く身替りとなつてくれるよう依頼したとの点については、高木としては、この事実を極力争つているが、同人も又その喧嘩の直後右裏口附近又は取調べのため当初警察官に連行された交番所の中であつたか、とにかく、その何れかで、申立人に対し、高木としては外国人登録の手続をしていないので、事件のかかり合いになつては困る、と洩らしたことがあることまでは認めているのである。<同人が証言しているとおり同人が本件の事件に全然無関係だつたとすれば、事件のかかり合いになるのを恐れたというのも解し兼ねるところである>しかも、申立人が本件により起訴され、やがて保釈となつて出所した後、或は、原審で有罪判決を受けた後、高木は京都又は甲府市等で屡々申立人と会い、同人に対し絶えず連絡先を教えていた事実も認められるのであり、殊に、原判決後申立人が有罪となるや、高木は、申立人に対して申しわけのないことをした、直ちに警察に自首して出るから、と陳謝していたのではないかと疑える節すらあるのである(申立人提出の高木の筆になるメモ参照)。更に、当夜高木正一がキヤバレー「安全地帯」においてナイフ(いわゆる飛び出しナイフかと思われる)を携行していたことは、第一審公判廷における証人外山美智子の供述及び同人の検察官に対する供述調書によるも明認できるところであるのに、高木は、この点を頑として否定しているのであり、何が故に同人がこの事実をそれ程むきになつて否定するのか、却つてその真意が疑われてくるのである。(第一審判決は、当夜高木が所持していたナイフは本件犯行に使用された証第一号のジヤツクナイフではなかつたかと推量していることを思え、)しかも、同人の供述からすれば、申立人が本件犯行に使用したものと原判決の認定した証第一号ジヤツクナイフの存在並びにその所在については、関知するところがないはずであるのに、高木が笹島の巡査派出所からひとりでキヤバレー「安全地帯」の同人らの着席していた客席に赴き、直ちにこれを探し出していること(この事実は古田清の検察官に対する供述調書、第一審第三回公判廷における証人山田正男の供述に徴するも明認できるところである。)については、何ら首肯すべき理由を述べていないのである。次に、高木正一の国籍や経歴、家族関係について、同人の答えていることは、不可解千番であるが、同人が何かと陳弁しているに拘らず、第一審判決で申立人の弁護費用を支出負担したと認定されているかの金粉伊は、高木の当時の雇主であつたという関係に止まらず、実は同人の母親ではなかろうかとの強い疑問も抱かれるのである。(このことを更に積極的に推論すれば、申立人が高木の身替り犯人だという主張を肯定し、金粉伊が高木の母親だということになれば、金粉伊が申立人のため、その裁判の際の弁護料を支出、負担したということも容易に納得できる次第である、といいたくもなるのである。)以上の次第であつて、高木正一に対する当裁判所の証人尋問調書中の同人の供述は、申立人の主張を積極的に肯定すべき証拠とはなし得ないにしても、少くとも、その主張が虚偽の、いい加減の出たら目のものでないことを推認させるに足りる証拠であることは、否定できない。

次に、証人神農清志の証言内容は、どうであろうか。彼のいうところはこうである。同人は本件事件当日女友達を同伴してキヤバレー「安全地帯」に出かけた。そして、二階の客席から下を見たら階下の踊場の近くの席で高木正一と申立人がビールを飲んで居るのが目についたのであるが、同人らとは予て友人の関係にあつたので、その席に出かけてビール一、二杯を御馳走になつた。そして、二階の自席に戻つて暫くすると、高木正一が喧嘩を始めたから来てくれと神農を呼びに来て階下にかけ降りたので、ボーイに喧嘩の場所を聞きそれが同キヤバレーの裏口であることが判つたので同所に行つてみた。ところが、そこに行く途中、裏口に出る通路の角の所に申立人が一人で立つて居り、裏口では高木が相手の男と向い合つていた。申立人はそこから、三米位離れた所に立つて居り、神農も同人の傍に寄つて行き、高木と相手の男との喧嘩の様子を見ていた。高木と相手の男とは殴り合いの喧嘩をしていたが、そのうち、相手の男は通路の方に逃げ出し、高木がその後を追つた。そこで、神農は一対一の喧嘩で相手の男も逃げてしまつたので、喧嘩を済んだものと思い、申立人を誘い、酔をさますため近所を暫く歩いて自席に戻つたら、その五、六分して警察官が来た。申立人は、喧嘩の際、終始神農の傍に居り、喧嘩の中に入つたことはなく、高木が相手の男を追つた後も、その後を追わず、神農と一緒に散歩して、階下の席に戻つていつた。相手の男が、その時、傷をうけたかどうかは知らない。神農は、その当時自動車のセールスマンをして居り事件後、直ちに北海道千歳方面に出張し、一年半位経つて名古屋に帰えり、申立人が当夜の事件で裁判を受けていることを知り、同人が相手の男を刺したということは、とうてい考えられないことなので、不審に思い高木に詳しく事情を聞こうと思つたが、同人の所在は不明になつていた。神農と申立人とは、高木が相手の男と喧嘩をする際、その場から三米位離れた所に立つていたのであるから、申立人が相手の男をナイフで刺すということは絶対に考えられない。なお、申立人と高木とは背恰好も殆んど同じで、どつちが高いとか、低いとかいうことは、判然いえない。以上のとおりであるが、神農の証言によれば、申立人が本件の犯人でないことは確実だ、ということになる。もつとも、神農の証言内容は、熊谷三千雄の第一審及び原審における各供述とそごするところもある。即ち、喧嘩の際、熊谷は三人の男(神農、申立人並びに高木がそれである)と向い合つた。三人のうち一人は、背の高い男だつた、とはつきり述べ、しかも、この並んで向い合つていた三人の男のうち一人(一番背の低い男)がナイフを抜いて、熊谷を刺した、と述べているのであつて、この点は、明らかに、前記神農の証言内容とくいちがつている。然し、熊谷も当夜かなり飲酒酩酊していたことは本件記録上明らかであるし、同人の供述は、その点については、警察、検察庁の取調を通じ一貫して変つていないのであるが、その司法警察員に対する供述内容は、この点に関する限り申立人の司法警察員に対する供述ともかなり一致するものであつて、あるいは、先に取調をうけた申立人の供述に調子を合わせて作られたものではないかとも思われるのである。しかも、熊谷も当夜喧嘩で相当昂奮していたであろうことは容易に推知できることであるから、神農の前記供述と熊谷の供述の、果していずれが真実であるかは、にわかに断定し難いところといえるのである。

そうしてみると、高木正一及び神農清志の各証言の得られた現在、原判決の引用する証拠により、本件の犯人は、申立人、高木正一及び神農清志の三人のうち、一番背の低い帽子を冠つていた男(右三人のうち客観的に一番背の低い男は申立人であり、当夜帽子を冠つていたのは申立人だけであつたことは本件記録上否定できないが、熊谷三千雄が第一審公判廷で証人として述べている、犯人と目すべき男の冠つていた帽子の色と、申立人が当夜冠つていた帽子の色とが違つていることは、第一審判決が詳細に指摘しているとおりである)ということから、直ちに、犯人は右の条件に該当する申立人である、と推論することには、重大な疑問がある。否、進んで、更に積極的な立言をすれば、前記神農及び高木の各証言によれば、申立人がこれまで主張してきたところこそ真実であつて、同人は高木正一の身替り犯人を買つて出たものではなかろうかという疑いが濃厚に存するもの、といえるのである。

従つて、右両名の証言は、刑訴法四三五条六号にいう有罪の言渡を受けた者に対して無罪を言い渡すべき明らかな証拠というべく、しかも、それが原判決確定後新に得られたものである以上、本件は右刑訴法の条規の定める事由がある場合に該当するので、同法四四八条一項に則り主文のとおり決定する。

(裁判官 影山正雄 谷口正孝 中谷直久)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例