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名古屋高等裁判所 平成7年(う)220号 判決 1996年5月22日

本籍

愛知県幡豆郡一色町大字赤羽字上郷中一二四番地一

住居

名古屋市千種区唐山町二丁目三七番五号

医師

高須克彌

昭和二〇年一月二二日生

本籍

愛知県幡豆郡一色町大字赤羽字上郷中一二四番地一

住居

右同所

医師

高須登代子

大正一〇年三月三一日生

右両名に対する各所得税法違反被告事件について、平成七年三月三〇日名古屋地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告人高須克彌に関する部分につき原審弁護人から、被告人高須登代子に関する部分につき検察官及び被告人高須登代子からそれぞれ控訴の申立てがあったので、当裁判所は、検察官河野芳雄出席の上審理し、次のとおり判決する。

主文

原判決中、被告人高須登代子に関する部分を破棄する。

被告人高須登代子を懲役一年八月に処する。

原審訴訟費用は、相被告人高須克彌と連帯して被告人高須登代子に負担させる。

被告人高須克彌の本件控訴を棄却する。

理由

被告人高須克彌(以下「被告人克彌」という。)の本件控訴の趣意は、弁護人宮道佳男、同後藤昌弘が連名で作成した控訴趣意書に(第一回公判期日で事実誤認の主張は、結局法令の解釈適用の誤りを主張するものと釈明した。)、検察官の本件控訴の趣意は、名古屋高等検察庁検察官宮田子忠雄提出の名古屋地方検察庁検察官矢野収蔵作成の控訴趣意書に、これに対する答弁は弁護人福岡宗也、同中西英雄が連名で作成した答弁書及び補充答弁書に、被告人高須登代子(以下、「被告人登代子」という。)の本件控訴の趣意は、弁護人福岡宗也、同中西英雄が連名で作成した控訴趣意書にそれぞれ記載のとおりであるから、これらを引用する。

第一法令の解釈適用の誤りの主張について

各弁護人の所論は、被告人克彌の秘書二名は、所得税法二四四条一項所定の業務主の「代理人、使用人その他の従業者」の使用人に該当しないし、右両名が被告人登代子の指示に基づき被告人克彌の一部診療収入を除外して被告人登代子に渡し、被告人克彌やその使用人がその残りの収入等に基づいて所得を計算の上確定申告して所得税を免れたとしても、二四四条一項、二三八条一項のほ脱犯は成立しないのに、原判決が、鈴木及び神森は二四四条一項所定の使用者に該当し、右両名が被告人克彌の各診療所で手術料として受領した現金収入を一部除外し、それを帳簿書類等に記帳しないなどの行為は、事前の所得秘匿行為に該当するとして、被告人登代子に二四四条一項、二三八条一項の共謀共同正犯が成立するとしたのは、判決に影響を及ぼすことの明らかな法令の解釈適用の誤りである、というのである。弁護人宮道、同後藤の所論は、被告人登代子、鈴木及び神森には二四四条一項、二三八条一項のほ脱犯が成立しないから、納税義務者である被告人克彌には右条項の業務主責任が成立しないし、事業主として何ら過失もないのに、原判決が業務主責任が成立するとしたのは、判決に影響を及ぼすことの明らかな法令の解釈適用の誤りである、というのである。

そこで、記録を調査して検討すると、原判決挙示の証拠によれば、原判決の法律の解釈適用は相当として是認することができるし、(補足説明)で説示するところ(以下「補足説明」という。)も相当として是認することができる。すなわち、鈴木及び神森は、業務主である被告人克彌の二四四条一項所定の使用人であり、被告人登代子の指示に従い、被告人克彌の所得税を免れるため、担当診療所で患者から手術料として受領した現金を一部売上除外し、除外した手術料につき日計表に記帳せず、それ以降の経理事務を担当する者にこのような記帳の日計表等を送付し、これに対応する診療収入のみを銀行の指定口座に振り込んだが、右の行為は事前の所得秘匿行為に該当する。そして、事情を知らない他の事務員は、記帳された日計表等に基づき各種帳簿に記帳し、税理士がこれらに基づき確定申告して所得税を免れたから、鈴木らには各診療所での右各行為に対応してそれぞれ行為者として二四四条一項、二三八条一項のほ脱犯が成立する。被告人登代子は、被告人克彌の使用人ではないが、使用人である鈴木あるいは神森に指示して右事前の所得秘匿行為をさせ、除外した診療収入を自己の下に届けさせて管理運用していたから、被告人登代子には、ほ脱した所得税全額につきほ脱犯の共謀共同正犯が成立する。被告人克彌には、右ほ脱犯の業務主としての責任が問題となり、管理監督者として過失があるから、業務主責任が成立する。以下、個別の所論に即して補足説明する。

一  各所論は、二四四条一項の「代理人、使用人その他の従業者」とは、立法目的に照らし納税業務者の納税義務に関係する代理人、使用人、従業者と限定して解釈すべきである、納税業務に関係しない者が納税義務者の収入を除外し、納税業務に関係する使用人がその収入除外を知らないで所得を計算の上確定申告して所得税を免れてもほ脱犯は成立しない、という。

しかし、右所論には到底賛同することはできず、この点に関する補足説明一の2、3項は相当として是認することができる。若干補足すると、前記条項の「代理人、使用人その他の従業者」は、文理上納税義務者の収入及び必要経費の計算や、確定申告の作成を担当する者など納税業務に直接関係する者に限定されるものではないし、実際、所得税を不正に免れるには、収入及び必要経費の計算や確定申告書を作成する段階で所得を虚偽過少に工作するほか、それより前の段階で収入を除外したり必要経費を仮装計上するなどして所得を虚偽過少に工作する方法によることもできるから、納税業務に直接関係しない使用人が、所得税を免れるため右のような事前の所得秘匿行為をし、他の使用人が右行為に気付かないまま各種帳簿を記帳し、これに基づいて確定申告をした結果業務主が所得税を免れれば、所得税法上右行為者にほ脱犯が成立するというべきであり、関与者が納税業務に直接関係しない使用人の場合には所得税法が右行為者の処罰を予定していないとはいえない。

二  各所論は、鈴木や神森は被告人克彌の納税業務に従事する使用人ではなく、両名の診療収入の除外などの行為は事前の所得秘匿行為に該当しない、とし、弁護人宮道、同後藤の所論は、鈴木や神森の右各行為は業務性に欠けている、という。

しかし、この点に関する補足説明の1、2項は相当として是認することができる。若干補足すると、関係各証拠によれば、(1) 被告人克彌は、昭和四九年から母親である被告人登代子が営む高須病院の副院長として勤務するかたわら、同五一年名古屋市内に「高須クリニック」の名称で美容整形外科を専門とする診療所を開設し、同五二年高須病院が医療法人社団福祉会高須病院(以下、「高須病院」という。)となった後も、同五四年大阪市、同五六年東京都、同五八年広島市、同六〇年札幌市、同六一年横浜市、同六二年仙台市及び福岡市に診療所を設置し、各診療所で医師に診療行為をさせるほか、自ら各診療所を巡回して診療に当たっていた、(2) 被告人克彌は、節税対策のため人材派遣などをする株式会社名古屋メディカルプレス(代表取締役大橋行雄)を設立し、同社から各診療所に看護婦や事務員を派遣し、派遣された看護婦に看護業務を事務員に受付事務、診察料及び手術料の受領、これらを集計する日計表の作成等を担当させ、受領した診療収入は翌日には被告人克彌の銀行口座に振り込ませ、各診療所では小額の支払いに充てる現金のみを管理させることにし、それ以外の事務は愛知県幡豆郡一色町内の高須病院内で右会社から派遣された事務員に担当させ、各診療所から送付される日計表等に基づいて各種帳簿の記帳、診療収入の集計、銀行口座に振り込まれた金員の管理、各診療所の貸借料や派遣料等の支払い、毎月の売上収入や必要経費を集計した試算表の作成等の事務をさせ、税理士にこれらの資料に基づき確定申告書を作成させることにした、(3) 鈴木及び神森は、株式会社メデイカルプレスの従業員であり、鈴木は名古屋市以西の、神森は横浜市以遠の診療所の事務の責任者として、被告人克彌の巡回診療に随行して秘書の業務をするとともに各診療所での看護婦や事務員の採用、事務員の指導監督、診察料や手術料の集計と日計表の記帳、高須病院の事務員への日計表等の送付、集計した現金の銀行振込等の事務を担当していた、(4) 鈴木及び神森は、被告人克彌の母親で高須病院の理事長及び院長である被告人登代子から、経営が安定したら被告人克彌に分からないように診療収入を除外して持参するようにとの指示を受け、被告人登代子が被告人克彌に無断でその診療収入を除外して管理運用し、被告人克彌には除外した残りの診療収入等で確定申告させて所得税を免れようとしているのを知りながら、同六〇年初めから同六二年の年末までの間、鈴木は名古屋市以西の診療所、神森は仙台市の診療所を除く横浜市以遠の診療所において、二重まぶたや包茎などの手術料を自ら除外したり他の事務員に除外させ、除外した患者のカルテには各診療所の事務員だけが手術の有無が分かる方法で診療日付等を記載し、手術に関する事項を記載せず、除外しない手術料等のみ日計表に記帳し、ファクシミリで高須病院の事務員にこれを送付し、翌日には記帳した日計表等を送付し、除外した残りの現金を前記銀行口座に振り込んだ、(5) 被告人克彌は、各診療所での日々の手術料等の診療収入に全く関心を示さず、診療が終わるとテレビ出演に出掛けたり次の診療所に移動してしまい、日計表の記帳内容や銀行口座への振り込み金額を調べることもせず、高須病院の事務員にも各診療所の実情を調査させたり監督させることもしなかった、そこで鈴木及び神森は、長期間にわたり右の方法で手術料を除外し、除外した現金を自宅に持ち帰り、その中から医師に対する簿外給料や事務員らに対する簿外福利厚生費を支払い、ある程度まとまると被告人登代子に引き渡すことを繰り返していた、以上の諸事実が認められる。

右諸事実によれば、鈴木及び神森は、前記会社の従業員とはいえ、担当診療所での被告人克彌の診療に随行し、診察料や手術料の集計、日計表の記帳、診療収入の送付等の事務を担当していたから、いずれも被告人克彌の二四四条一項所定の「使用人」と認められる。そして、高須クリニックでは経理事務のうち、各診療所の事務員が前記の事務を担当し、高須病院の事務員がそれ以外の事務を担当し、両者が分担して効率的に経理事務を処理しようとしていたのであるから、鈴木及び神森は、担当診療所における経理事務を担当していたものと認められる。次に、鈴木及び神森が前記診療所で手術料収入を一部除外し、除外した手術料を日計表に記帳せず、前記銀行口座に振り込まない行為は、事前の所得秘匿行為に該当することは明らかであるし、業務性に欠ける点もない。ところで高須病院の事務員は、事情を知らないまま送付された日計表等に基づいて各種帳簿を記帳し、税理士も記帳された各種帳簿等に基づき申告書を作成して確定申告し、被告人克彌はその結果所得税を免れたのであるから、鈴木及び神森には、前記診療所における診療収入除外に対応して、行為者として二四四条一項、二三八条一項のほ脱犯が成立する。

三  弁護人福岡、同中西の所論は、前記二項の所論を前提に、被告人登代子は、鈴木や神森に被告人克彌の診療収入の除外を指示したとしても、鈴木及び神森にほ脱犯が成立しない以上、その共犯のほ脱犯は成立しない、という。

しかし、二項で説示したとおり、鈴木及び神森には前記診療所における診療収入除外に対応して行為者としてほ脱犯が成立するし、被告人登代子はほ脱した全額についてほ脱犯が成立するとの補足説明三の5項も、相当として是認できる。若干補足すると、関係各証拠によれば、被告人登代子は、高須病院の理事長及び院長として働いていたが、長男の被告人克彌がその診療収入を宣伝費等に使用してしまわないうちに、各診療所での診療収入を一部除外させて自ら管理運用し、被告人克彌には除外した残りの診療収入等で確定申告させて所得税を免れさせようと企て、鈴木及び神森に担当診療所での診療収入の除外を指示し、前記のとおり診療収入を除外させ、簿外で支払った給料等を除いたものを自己の下に運ばせ、仮名又は借名で投資信託や債券等を購入して管理運用していたことが明らかである。そうすると、被告人登代子は、被告人克彌の二四四条一項所定の「使用人その他の従業者」ではないが、使用人である鈴木あるいは神森と共謀の上、二四四条一項、二三八条一項の罪を犯したものであるから、使用人等の身分のない者が使用人に加担して所得税をほ脱する共謀共同正犯が成立し、ほ脱した所得税全額につきその責任を免れない。

四  弁護人宮道、同後藤の所論は、前記二項の所論を前提に、所得税法は、生計を別にする母親が子供に無断で収入を除外するほ脱犯など予定しておらず、右行為はほ脱犯の構成要件に該当しないから、被告人克彌の業務主責任も生じない、また、被告人登代子、鈴木及び神森の行為は被告人克彌の診療収入である現金の窃盗あるいは横領であるから、被告人克彌は、母親や従業員の右犯罪を予見することは不可能であり、業務主として管理監督上の過失もない、という。

しかし、三項で説示したとおり、被告人登代子には前記ほ脱犯が成立するし、所得税法は、使用人によるほ脱については行為者とともに業務主の処罰を規定しているのであり、納税義務者の母親が使用人と結託して納税義務者に無断で所得税をほ脱することが多いとはいえないが、所得税法が右態様によるほ脱犯を予定していないとか、右行為が構成要件に該当しないとはいえないし、この場合に限り業務主責任が生じないとはいえない。

次に、予見可能性及び過失の存否の点につき、この点に関する補足説明四項は相当として是認することができる。若干補足すると、確かに、被告人克彌とすれば、母親である被告人登代子が、息子である自己の診療収入を無断で除外すると予測することは困難であるかもしれない。しかしながら、事務員である鈴木あるいは神森の右診療収入除外行為は、事情によっては窃盗あるいは横領を構成する疑いがある処分行為であり、被告人克彌の診療日には各診療所に多数の患者が訪れ、その手術料の合計も多額に上がるのであるから、診療所で働く事務員が手術料を一部除外し、これを日計表に記帳せず銀行口座に振り込まない事態は十分予見することができたと認められる。そして、被告人克彌とすれば、各診療所及び高須病院内の経理事務の分担体制や鈴木及び神森を信頼していたとしても、各診療所での日計表の記帳、現金管理や送金業務にも注意を払い、手術した内容と件数、当日の診療収入合計額と銀行振込金額、カルテの記帳などを確認し、多忙なため自分ではできないのであれば他の者に依頼して定期的あるいは随時に確認させれば、相当多額の手術料が除外されていたことを容易に発見することができたし、そうすればそれまでに除外された診療収入を回収し、以後の除外行為を防止できたと認められる。しかるに、被告人克彌は、各診療所における日常の経理事務について全く注意を払っていなかったのであるから、業務主として管理監督責任を尽くしたとはいえず、過失があると認められる。

以上によれば、論旨はいずれも理由がない。

第二被告人登代子に対する量刑不当の主張について

検察官の所論は、被告人登代子を懲役三年、四年間執行猶予に処した原判決の量刑はその刑の執行を猶予した点で著しく軽きに失する、というのである。

そこで、記録を調査し当審における事実調べの結果を合わせて検討すると、本件は、被告人登代子が被告人克彌の経営する診療所のうち名古屋市以西を担当する鈴木や横浜市以遠を担当する神森に指示して被告人克彌に無断でそれぞれ診療収入を除外させ、除外した残りの診療収入や必要経費により確定申告させ、三年間で合計八億七六五七万円余の所得税をほ脱させたという事案である。被告人登代子は、高須病院の理事長及び院長として収入を得ていたが、息子の被告人克彌が整形外科や形成外科の技術を生かし、新たに高須クリニックを営み、金融機関から資金を借り受けて各地に診療所を次々に設置し、大量の宣伝活動をして診療希望者を募ることに批判的で、被告人克彌のなすがままにさせれば得た収入も宣伝費などに使ってしまい、不測の事態が生じたときにこれに対応することができないと考え、被告人克彌の診療収入を無断で除外し、自己の下に届けさせて管理運用し、被告人克彌にはその残りの診療収入に基づいて確定申告させて所得税を免させたものであり、その犯行動機に格別酌むべき点ではない。犯行態様も、被告人克彌の身辺で多様な事務を担当する鈴木や神森に指示を与えられる立場を利用し、被告人克彌に分からないようにそれぞれの裁量で診療収入を除外するように指示し、長期間にわたり除外させて自己の下に届けさせ、高額の現金が届けられるようになった後も一定限度にとどめるように指示もしないでそのまま受け取り、これらを利用して仮名や借名で投資信託や債券等を購入して管理し、税務調査が行われる際には右債券等を他人に預かってもらい簿外資産があることが発覚しないようにするなどしており、その犯行態様は悪質である。ほ脱税額の合計は極めて高額であるし、ほ脱率も昭和六〇年度約五四パーセント、同六一年度約九八パーセント、同六二年度約九六パーセントと高率である。これらによれば、被告人登代子の刑事責任は重大というべきである。

なお、原判決は、(量刑の理由)において、ほ脱税額等が多額に上ったことについてはバブル経済の影響を無視できず、割り引いて考える必要がある、と指摘する(二七頁六行目から同頁九行目、二九頁二行目から同頁四行目)。しかしながら、本件ほ脱期間は昭和六〇年一月から同六二年一二月までであり、必ずしもバブル経済期と一致しないし、被告人克彌の収入増加の原因がどうあれ、自らの判断で選択して収入除外をした被告人登代子の刑事責任にこれが直接影響するものではないから、原判決の右説示には賛同できない。

そうすると、被告人克彌の不測の事態に備え、診療収入を除外しこれを管理運用した母心自体は理解できなくはないこと、後記のとおり被告人克彌は本税、重加算税、延滞税を支払ったこと、犯罪の成立を争ってはいるが、診療収入を除外させてその所得税を免れさせたこと自体は認めて反省し、高須病院の理事長や院長を辞任したこと、前科もなく、長年医師として活動し医療活動を通じて社会に貢献し、各種団体や寺院等に寄付を重ね、阪神大震災でも本件の反省を込めて蓄財していた七〇〇〇万円を寄付したこと、相当高齢でありその健康状態も優れないこと、原判決後も反省を深め、引き続き各種団体に寄付をしていることなど被告人登代子に有利な情状を十分考慮しても、前記刑事責任は重大であって、原判決の量刑は刑の執行を猶予した点で著しく軽きに失して不当であるといわざるを得ない。論旨は理由がある。

第三被告人克彌に対する量刑不当の主張について

弁護人宮道、同後藤の所論は、被告人克彌を罰金二億円に処した原判決の量刑は重すぎて不当である、というのである。

そこで、記録を調査し当審における事実調べの結果を合わせて検討すると、被告人克彌は、各診療所での診療のほか執筆、テレビやラジオへの出演などで多忙であったとはいえ、各診療所での日計表の記帳などに全く注意を払わず、相当長期間にわたり高額の診療収入が除外されていたことに気付かなかったから、監督責任を怠った過失は大きいといわざるを得ない。前記ほ脱税額、ほ脱率、右過失の程度などを考慮すると、その刑事責任は決して軽視できない。

そうすると、被告人克彌に無断で被告人登代子らが所得税をほ脱したこと、被告人克彌は、犯罪の成立を争っているが、修正申告の上本税、重加算税及び延滞税を完納し、診療所での受付業務にコンピューターを導入するなどして再発防止に努めていること、被告人登代子の診療所を病院に続いて医療法人に組織替えし、建物を改築したり診療科目を増加させたこと、美容整形の分野で活躍し、各種論文や医学啓蒙書を多数発表していること、各種団体に寄付を重ね、阪神大震災でもボランティア活動を行ったこと、前科もないこと、申告済みの所得から不動産投資をしたものの不動産市況の悪化から相当な負債を抱えていること、原判決後も日本美容外科学会の会長に赴任し、医療の発展に寄与していること、原判決が確定すれば医業停止処分も予想されることなど所論指摘の情状を十分斟酌しても、被告人克彌を罰金二億円に処した原判決の量刑が重すぎて不当であるとはいえない。なお、所論は、業務主責任の罰金額は、納税義務者によるほ脱犯における罰金額と比較し桁違いに小額にすべきであるというが、独自の立論であって、懲役刑に併科される場合の罰金刑の金額と業務主責任の罰金の金額を単純に比較するのは適切ではないから、所論は到底採用することはできない。論旨は理由がない。

第四被告人らに対する判決について

被告人克彌の本件控訴は理由がないから、刑訴法三九六条により棄却する。被告人登代子の本件控訴は理由がないが、検察官の本件控訴は理由があるから、刑訴法三九七条一項、三八一条により原判決中被告人登代子に関する部分を破棄し、同法四〇〇条ただし書により、当裁判所において更に判決する。

原判決が認定した事実に、被告人登代子に関して原判決掲記の法条(刑種の選択、併合罪の処理を含む。ただし、刑法は平成七年法律第九一号による改正前の刑法と改める。)を適用し、処断刑期の範囲内で情状全般を考慮し被告人登代子を懲役一年八月に処し、原審における訴訟費用につき、刑訴法一八一条一項本文、一八二条を適用して相被告人克彌と連帯して被告人登代子に負担させることとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 土川孝二 裁判官 安江勤 裁判官 柴田秀樹)

平成七年(う)第二二〇号

控訴趣意書

所得税法違反控訴事件

被告人 高須克彌

平成七年一二月一日

弁護人 宮道佳男

弁護人 後藤昌弘

名古屋高等裁判所 御中

原判決には、事実誤認並びに法律解釈の違法があり、破棄を免れない。また、仮にそうでないとしても、原判決は被告人両名に過重な刑を課したものであり、量刑不当で結局破棄を免れない。以下論点に従い詳述する。

第一 高須登代子の従業者性

一 検察官は、高須登代子が高須クリニックの従業者であるとの前提で本件公訴を提起し、弁護人はこれを争っていたところ、原審は以下の通り認定し、検察官の主張を退けた。

二 原審は、

<1> 高須登代子は、昭和六〇年から昭和六二年当時、大橋事務長から毎月のように高須クリニックの収入額や利益額の報告を受けていた。

<2> 高須克彌は名古屋、大阪、東京などにおける高須クリニックの開設資金調達の為に銀行借入を行っているが、その際に高須登代子が右借入の連帯保証人となり、また、所有する土地を担保に差し入れている。

<3> 高須登代子は高須克彌の希望により、高須病院勤務の鈴木を高須クリニックの事務員とすることを承諾した。

<4> 高須登代子は大阪・東京・広島の高須クリニックの開設に当たり職員の採用面接をしたが、それ以外のクリニックの新規採用や追加採用の面接を行っていない。

<5> 高須登代子は、東京高須クリニックで職員多数が辞めた際、同所の一事務員であった神森に電話をかけて責任者にすると述べ、神森は同責任者となった。

<6> 高須登代子は、高須クリニックの医師がアルバイトとして高須病院にも勤務する場合には採用面接をしたが、高須クリニックのみに勤務する医師の面接には立ち会ったわけではない。

<7> 高須登代子は高須病院の理事長兼院長であり、診療などに多忙であり、医師としての収入を有し、高須克彌の指揮監督の下に高須克彌の業務に関し労務を提供したことはないし、高須クリニックから給料・報酬等を受けとったこともない。

<8> 高須克彌は各地のクリニックの場所の設定、その設備内容等について、高須登代子に相談せずに自分で決めた。右<4>以外に、高須クリニックの看護婦や事務員の採用、給料及び賞与の査定は、鈴木、神森及び大橋らが行っていたのであり、高須登代子は鈴木から相談を受けて職員採用者の選定について意見を述べたことはあるが、高須登代子が常に関与するような体制にはなかった。

<9> 事業開始時において、高須登代子が高須克彌にマネージメントしてやると言ったとの証拠もあるが、前記認定以外の行為により高須登代子が高須クリニックのマネージメントをしていた旨の証拠はない。

以上の九点の事実を認定した上で、

高須登代子は、高須クリニックの事業運営に対し一定の関与は認められるものの、他方その関与の度合いは薄いものであり、登代子は高須クリニックから収入を得ていないこと、高須クリニックの日常的業務に関与していた訳ではないことなどからして、登代子は事実上その法人又は人の組織内にあって、その業務に従事する者とはいえないと解される。また右<1>認定の報告を受けた点について、報告を受けそれを基に登代子が指示し実行に移す体制があったとは認められず、それだけでは経理面に関与していたとはいえない。

登代子には、鈴木、神森、大橋に対し事実上の影響力があり、登代子は右影響力によって、鈴木及び神森に高須クリニックの収入除外を指示し、実行させていたことが証拠上明らかであるけれども、右影響力があっても、収入除外以外にはそれを行使しておらず、この点から登代子を従業者と解することは相当ではない。

旨判示している。

三 原審の右認定は、大橋の供述調書に関する判断を除いては、高須登代子と高須クリニックとの関係を正当に判断しているものであり、肯認し得るものである。高須登代子は高須クリニックの業務に関しては、事実上の関係はあっても、法的に評価される関係にないことはもはや明確であると言うべきである。

第二 鈴木、神森の使用人性について

一 原審は、所得税法二四四条一項の従業者等は納税業務に関係する事務を担当する者に限定されるべきであるとの弁護人の主張に対して、「けだし、所得税法二四四条一項は、従業者等について右のような限定を加えていないのであり、弁護人主張の解釈は明文の規定に反する」と判示し、事実上の「使用人」が即所得税法二四四条一項の「使用人」に該当する旨の判断を示している。

しかし商法上の使用人概念と所得税法上の使用人の概念とが常に必ず一致するのであろうか。弁護人としては、鈴木及び神森が高須クリニックにおける商法上の使用人概念に該当することは争うものではないが、それが即所得税法二四四条一項の使用人概念に該当することについては認め難いものである。同じ文字が用いられても法律を異にすることにより、その概念を別にすることは法律学においてよくあることである。殊に刑罰法規の場合には罪刑法定主義により制限解釈の方法が取られることは言わば常識である。

商法上の使用人概念には、番頭から手代、丁稚、女中、掃除夫、子守、雑役夫まで有り得る。これらがすべからく所得税法二四四条一項の使用人に該当すると考えることは、余りにも粗雑な法律解釈であると言わねばならない。原審は高須登代子の従業者性に関して緻密なる認定をしているが、この点に関しては一転して粗雑な認定をしているものであり、法律解釈を誤ったものと言わざるを得ない。

以下、「使用人」の概念について、弁護人の意見を詳論する。

二 所得税法にいう「脱税行為」の構成要件について

犯罪とは、構成要件に該当する違法かつ有責な行為を言い、犯罪認定の基礎事実である。それでは、所得税法にいう脱税行為の構成要件とは何であろうか。

脱税行為とは偽り又は不正の行為により所得税を免れることをいう。そして脱税行為の構成要素に該当する行為は、故意に真実に反する税務申告書を提出することである。それ以前の、売上金の除外秘匿・帳簿への虚偽記載は言わば脱税の予備的行為に過ぎず、直接構成要件に該当するものではない。売上金を除外し正規の会計に入金せず、又正規の帳簿に記帳しなくても、申告時において正規の申告が行われている限りは犯罪とはならないものであるし、未遂にもならないからである。

次に、構成要件該当性としての「行為」とは、主観的要素を当然含んでいる。故意又は過失である。脱税については故意のみが処罰されるし、脱税の場合単なる「故意」以上に「目的」が要求されるから脱税は目的犯である。

また、構成要件該当性としての「行為」には、主体の存在が予定されている。立法論理上主体の存在しない行為は有り得ない。脱税の場合、主体は納税義務者であり、身分犯である。

本件においては、高須クリニックこと高須克彌が納税義務者であり、本来の脱税犯罪は、高須克彌が脱税の目的を以て偽りの税務申告書を提出することにより成立するはずのものである。

三 両罰規定の成立の要件について

1 ところで、所得税法二四四条は、「人の代理人、使用人、その他従業者が、人の業務又は財産に関して脱税行為をしたときは、行為者を罰するほか人に対して罰金刑を科する」旨定めている。

両罰規定の問題点は、「従業性」と「業務性」にある。従業者が業務に関して脱税行為をなしたことが犯罪の成立要件であり、「従業者性」と「業務性」とは相互に関連した概念として検討されなければならない。

2 この点、検察官の論告の構成は次の通りである。

<1> 「その他の従業者」の範囲については、広く法人又は人の業務に従事するすべての者を包括する概念で、業務主たる納税義務者の雇人の補助者、法人の代表者でない実質的な経営者、事業の事実上の統括支配者、業務主の家族、同居人なども含まれる。

<2> 「業務に関し」については、行為者が主観的に業務主の事業の目的を遂行するためになしたその結果が業務主に及ぶものであることを必要とするとされるが、業務主のためにする必要はなく、業務主の意思に反し私利をはかる意思を持っていた場合でも、その行為が業務主の業務を遂行するものと認められれば足りる。

右の通り、「従業者性」と「業務性」に関して、検察官の論旨は極めて広い解釈を示すものであるが、右の二要件に対して別々に解釈をする点については誤っていると言わざるを得ない。「従業員性」と「業務性」とは密接関連するものとして総合的に解釈すべきであり、罰則適用上の「二重の絞り」と理解されるべきである。例えて言えば、家族・同居人の類いは、業務に従事していてはじめて「従業者」と認定される可能性があるのであり、業務に関与していない家族・同居人が業務とは全く無関係に脱税行為を行った場合、罰則の適用は有り得ないものである(福田平 行政刑法・法律学全集八六頁)。

3 また、前自治省税務局税務管理官野上敏行著「脱税事件の調査の理論と実務」(ぎょうせい出版)では、「業務主体の刑事責任が無制限に追及されるということではなく、税法所定の当該業務主体である法人等の目的事業の遂行上必要な業務範囲内で行われた違反行為に限られる」とされている。

所得税法は、申告納税制度の維持と円滑な徴税を確保する目的のもとに両罰規定を定めているものであり、立法技術上当然罰則の対象者(法の被命令者)が存在する。それは第一に納税義務者であり、ついで従業者であるが、申告納税の事務を担当する者以外の者までも対象者とすることは有り得ない。現実にも、税務署は納税申告時期に公正円滑なる納税のために納税義務者あるいは納税事務担当者を集めて税務講習会を開催して脱税の防止を教育しているが、末端の雇い人まで集めることをしていないのである。

現実の問題として考えても、仮に商店の末端集金人が、横領着服の意思で集金した金員を着服し又は集金を遺失したので失態を繕うため経理担当者に対して債権が消滅したとの架空の報告をし続けたり、架空の伝票操作をしたりした結果、納税の申告時期に売上金過少の税務申告書が提出された場合、集金人と雇い主は所得税法違反の両罰規定に問われるであろうか。集金人は前者では横領に問われ、後者では問責されないが、過少申告加算税などが賦課されることは別として、所得税法違反は発生しない筈である。納税義務者である雇い主並びに納税事務を担当する経理担当者に脱税の認識がない以上所得税法違反を問えないからである。換言すれば、税務申告を担当しない者がいくら脱税の目的を有して売上金を除外秘匿してもそれは業務性と関連せず、本来構成要件の予定するところではないのである。

尤も判例では、「たとえ行為者において横領の目的を持っておこなわれたものであったとしても両罰規定の業務に関し違反行為をしたるという要件に少しの影響も及ぼすものとは解せられない」とするものもある。入場税法に関する最高裁昭和三二年一一月二七日判決、物品税法に関する最高裁昭和三七年二月二二日判決などである。しかしこれらの判例の事例を個別具体的に検討してみると、いずれも横領行為者自身が納税申告事務担当者である場合であり、前記集金人の事例には当然には適用できないものばかりである。

4 以上の通り、「従業者性」と「業務性」の二重の絞りから解釈するに、両罰規定の対象者は、納税義務者と申告納税業務を担当する者に限定されるべきである。なお付言すれば、最高裁昭和五八年三月一一日判決は、「その他の従業員には、当該法人の代表者ではない実質的な経営者も含まれる」と法人税法に関して判示している。これも、「従業者」の概念については、経営を実質的に掌握し、納税申告義務を支配している者に限定する趣旨と解釈できるものである。

原審は、右のような「従業者性」と「業務性」の二重の絞りについて何等判断を示していない。使用人であれば即、所得税法二四四条の使用人となる、との前提であるから当然といえば当然であるが、右の構成が法論理として正しいと言えるものではないことは明らかである。

三 鈴木美由紀及び神森良子は、使用人又はその他の従業者であるのか。

鈴木美由紀と神森良子は、高須克彌の従業員ではあるものの、高須クリニックの「現場の責任者」に過ぎないものであり、患者との対応・手術の準備などを主として行い、金銭関係については売上金の集金と一色への送金事務を担当しているのみである。各クリニックの日常の細々とした買い物を除き、金銭支払いの権限を有しているわけではないし、売上金についても即日一色へ送金するシステムであって、金銭の保管の権限すらも無いのである。

高須クリニックにおいては、給料・買い掛け・家賃・税金・借入金など一切の業務上の支払いは一色の大橋事務長が担当しているのであり、税務申告事務についても、一色で大橋事務長らが行っており、鈴木・神森はいささかも担当していない。されば、鈴木・神森両名ともに、前記に引用した集金人の立場と何等変わるところがないのである。されば、所得税法の規定する公正な申告納税義務を担うべきものとして法律上予定される従業者は大橋事務長らであり、鈴木・神森は使用人又はその他の従業者には当たらないと言わざるを得ないのである。

四 寺沢税理士・大橋事務長について

高須クリニックにおいては、高須克彌が納税義務者であり、「人」である。両罰規定においては、納税義務者以外にその主体範囲が拡張され、代理人、使用人、従業者までその主体となるが、右に述べた通り、高須クリニックにおける通常の「脱税行為者」たりうる者は、高須克彌を除けば税務申告を担当する寺沢税理士・大橋事務長のみである。

しかし、既に述べた通り脱税犯罪が目的犯である以上、脱税の目的を持った主体たりうべき者が偽りの税務申告をすることにより脱税犯罪は成立するのであり、その目的を有しない者の申告行為は脱税の構成要件に該当するものではない。本件においては、寺沢税理士も大橋事務長も、いずれも脱税の目的など全く有していないのであり、構成要件該当性そのものが欠けているのである。

五 以上詳論したとおり、寺沢税理士や大橋事務長には構成要件該当性が欠けており、また、鈴木や神森については、所得税法二四四条一項にいう「使用人」には該当しない。しかるに原判決は、弁護人が詳論した右主張に対し、格別の理由をつけないまま、単純に商法上の使用人概念は、所得税法二四四条一項の使用人概念と同一との前提に立って判決しているものであり、法律解釈を誤ったものである。

なお付言すれば、原審は弁護人の主張に対して次のように述べている。

「所得税法二四四条一項は、従業者等について限定を加えていないのであり、弁護人主張の解釈は明文の規定に反する。納税業務に関係する事務を担当する者が、帳簿や伝票類等の書類と実際の収支が合致しているか否か実態調査せず帳簿や伝票類等の書類だけで、右事務を行う場合、右事務担当者以外の従業者等が虚偽の伝票等を作成することにより、脱税となりうるが(本件の場合、まさにこの事実であり、制限説をとると情を知らない納税業務担当者を利用した間接正犯となる)、このような場合において従業者等を処罰しなければ脱税を無くすことができない。弁護人の解釈によれば、納税義務者や納税業務担当者に実権のない者を据え、他の実権にある者が脱税を行った場合、だれも処罰されないことになるが、それは極めて不当である。また納税業務担当者でなくても従業者等であれば、業務主は十分監督可能であり、業務主に不当な結果を強いることはない」

原審の右判示は、弁護人の主張に対して正面から答えようとするものではなく、結果の不合理性の故に採用できないというに過ぎない。しかし、所得税法二四四条は、行政法ではあるが、刑罰法規である。かりそめにも刑罰法規である以上は、その解釈に際しては、慎重厳格なる姿勢が必要である。罪刑法定主義は近代刑法の大原則であり、裁判所としては、当該行為に関して、法条に定める構成要件に該当するか否か、また結果の当・不当などについては考慮するべきではない筈である。過去に、いわゆる電気窃盗に関して、「電気が財物にあたるか」という議論がなされた。最終的には、電気窃盗を無罪にすることは不当との考えにより、立法的に解決されている。法律を人間が作っているものである以上、社会事象の変化などにより従前の法規範に不備が生じたり、また、時には立法当時には予想されていない事件が発生することは珍しいことではない。しかし、こうした結果の不当性については法改正により対処されるべきものであり、「結果として無罪とすることが不当であるから」との理由により構成要件を歪曲して有罪・無罪を判断することは司法の姿勢としてありうべき姿ではないのである。

また、原審が危惧する事案については、まさしく間接正犯の理論により有罪の認定が可能な場合であり、本来処罰されるべき者を無罪として野放しにする結果をもたらす事はないのである。弁護人は、有罪の者を無罪にせよ、と主張しているのではない。罪刑法定主義の近代刑法の大原則に則り、有罪の者には有罪を、無罪の者には無罪を、と主張しているのである。

具体的な比較衡量においても、集金人が売上集金を着服横領し帳票を操作した場合、原審の考えでは、常に集金人は使用人だから雇用主は脱税の刑事責任を免れないとの結論に至るが、罪刑法定主義並びに責任主義から考えて正当であろうか。所得税法は、申告納税制度を前提として公正な徴税制度を維持するため、脱税行為に対して罰則を定めているものであり、立法趣意はそこに限定されている。末端の社員が行う諸々の金銭不明瞭行為に対しては、「従業者性」と「業務性」の観点から限定解釈を行うものであり、脱税の結果が発生しているとの一事のみによって罰則を発動させるものではない。所得税法は行政刑法の分野であるが、憲法の罪刑法定主義の適用があることは論を待たないのである。

以上述べた通り、所得税法二四四条一項の「使用人」には、商法でいう「使用人」の全部が当然含まれ、例外がないとの趣旨の原審判決には弁護人としては承服できないところである。

第三 両罰規定の過失責任問題

原審は、高須克彌が鈴木・神森両名に任せきりで、高須クリニックにおいては使用人等による脱税違反行為を防止するのに必要な体制はとられていなかったことが認められ、業務主である高須克彌に過失があることは明らかである、と認定している。しかし、所得税法二四四条一項にいう「使用人」には該当しない鈴木・神森及び、従業者ですらもない高須登代子の故意犯罪にまで、高須克彌の監督責任は及ぶのであろうか。

両罰規定は、自己責任原則・罪刑法定主義に違反して無効であるとの学説も有力に主張されているが、多数説は納税義務者の従業者に対する管理監督上の過失責任と理解している。当然ながら、所得税法違反にいうその監督責任の対象については、脱税行為の予見可能性及び回避可能性の観点からみても、納税業務に携わる従業者、すなわち、所得税法二四四条一項にいう「使用人」に対する監督責任である筈である。しかしながら、本件の場合、高須登代子・鈴木美由紀・神森良子はいずれも従業者に当たらないのであり、そもそも両罰規定適用の前提を欠くものと言わざるを得ない。

過失責任の概念を拡張して、とにかく高須克彌が厳重に前記三人の行動を監督しておれば脱税を防止できたとの意見もあり得ようが、それは法律論ではなく、ただの結果論に過ぎない。前記の集金人が売上金を横領した事案にこの意見を適用すれば、集金人は横領で有罪、雇用主又は会社は脱税で有罪の結論となるが、後者の結論を聞いたことはない。この点は失火の罪に関しても同様であり、失火の場合に防火責任者の過失責任が問われる事例がある。防火責任者は自己又は補助者をして防火管理業務を行っているものであり、補助者の過失による失火の場合には監督責任を問われるのである。しかしこの場合でも、補助者が放火した場合にまで監督責任は問われることはない。特段の事情の無い限り、補助者の放火という犯罪行為についてまでは予見可能性が無いからであり、放火行為の防止までは監督責任を認めがたいからである。通常の防止管理システムにおいては、補助者の放火までは予定されていないし、失火に関する処罰規定もこれを予定していないところである。

本件でも所得税法の人的物的射程距離を考察しないと法律の解釈を誤るであろう。本件脱税は、高須登代子らの窃盗横領という故意犯罪により敢行されているのであり、経営者たる高須克彌には雇い人や実母の故意犯罪の防止まで予見することなど不可能である。

第四 本件の具体的妥当性

一 所得税法の脱税の構成要件該当性を近代刑法の罪刑法定主義の視点から解釈すれば、高須登代子らの行為は、納税義務者でも従業者でもない者の売上金除外秘匿行為であり、偽りの税務申告に何等関与しておらず、所得税法上違法の評価を受けない。従って当然両罰規定の発動はなく、高須克彌に責任は発生しないところである。

かかる結論は法論理上当然であるが、結果が不当であるとの指摘はありうる。万が一、発覚していなければ徴税の公正が確保されないままで高須克彌が巨額の利益を享受する結果になると指摘するむきもあろう。

二 しかし所得税法は、申告納税制度の維持と徴税の確保を目的として立法されたものであり、その規定する罰則は講学上の行政刑法であり、立法技術の性格上罰則の被命令者が存在する。

それは第一次的に納税義務者であり、第二次的に使用人その他の従業者である。適正な納税申告義務を負担する者即ち納税申告担当者以外に被命令者は存在せず、納税義務者又は従業者以外の者が脱税の原因事実を発生させてもそれは法の予定しないところなのである。

脱税犯罪は、脱税の犯意が強固でありかつ計画的に敢行するが故に悪質として重く処罰される立法理由が存在するのであるが、高須克彌の立場に立って考察すれば、まず納税義務者として脱税の認識が無く、又税務申告担当者である寺沢税理士・大橋事務長にもその認識がなく、事務員を含めた税務申告担当者グループの誰も違法の認識を抱いていないのである。この状況下で脱税の重罰を甘受せよとは、法は命じないところである。実際高須克彌・寺沢税理士・大橋事務長にとっては今回の脱税摘発は寝耳に水のことであり、脱税の認識・目的は全くなかったにもかかわらず、今般刑事被告人の地位に立たされているものである。

三 検察官は脱税の結果の重大性を強調するが、所得税法の解釈としては無罪であるし、高須克彌は既に修成申告の本税の納税を完了して国庫の損害は回復しているのである。更に進んで被告人高須克彌は重加算税の納税まで完了しており、結果として国庫を潤沢にし徴税秩序を回復せしめているのである。結果の重大性を論ずるのであるならば、所得税を脱税したとの認識がなく、いわんや法規範に触れる認識を全く欠いた状態でありながら、多額の重加算税を課せられた被告人高須克彌の立場も考慮されてしかるべきではなかろうか。

四 本項の最後に本件事件の特殊性について触れておく。

本件は極めて特殊な事案である。生計を別にする母親が息子の将来を心配して売上金を除外秘匿したものであり、所得税法の脱税規定の予定せざるところである。

稀な事案には稀な配慮が必要であり、所得税法違反としては被告人両名に無罪の判決を下すべきである。所詮本件の動機は親子の心情にあり、法は家庭に入らずとの諺もある。本税はおろか重加算税まで納税を完了させていることに鑑みれば、被告人両名を無罪とする結論は、法を納得せしめるであろう。

刑法理論で構成要件該当性を判断し、定型性なしとして処罰の対象から除外することがあるが、本件はその稀な一例としても可と考える。

第五 量刑不当について

一 脱税額について

原判決は、所得税額とほ脱額とを比較して、ほ脱率が五四パーセントないし九八パーセントにも上る高率であることを量刑の理由として述べているが、右は我が国における累進課税制度の結果に過ぎない。被告人高須克彌の売上金額は、昭和六〇年度は金一六億三四四九万八二九四円、昭和六一年度は金二〇億九六七五万五八八七円、昭和六二年度は金二〇億五四二二万〇一三〇円という莫大なものであり、売上金額と比較すれば、ほ脱額の数値は、昭和六〇年度は八・九パーセント、昭和六一年度は二〇・八パーセント、昭和六二年度は一四・四パーセント、平均すれば、一四・七パーセントに過ぎないのである。

このように、本件においては、被告人高須克彌が莫大な売上を計上しており、我が国の累進課税制度と相俟って、結果として所得税額に比してほ脱額が高額になったのに過ぎないのであり、全体の売り上げ額と比較すれば、さほど高率なものではないのである。そもそも、我が国のような高度の累進課税制度の下では、被告人高須克彌のように極めて多額の所得を計上している被告人に関する脱税事件において、その情状について結果として現れた所得税額とほ脱額とを対比し、そのほ脱率の高低を論ずる事は適切ではないと言わざるを得ない。かかる特殊な事案においては、その犯情を検討する上で比較対象とすべき売上額との対比であり、これについては右に述べた通り、それほど高率とは言えないのである。

この点原判決はバブルの影響もあったことを理由に述べており、これ自体は正当なものであるが、やはり量刑上なお過重に過ぎると言わざるを得ない。

二 脱税事犯における国家財政の影響について

検察官は、脱税事犯における国家財政に与える影響について述べているため、この点について付言する。本件に関していえば、国家財政に与える影響に関する検査官の主張は事実に反する。被告人高須克彌は本件事件発覚後、修正申告により、以下の納税している。

<1> 昭和六〇年度分

本税 金一億六二三九万一〇〇〇円

重加算税 金四四五五万円

延滞税 金三五四八万九一〇〇円

計二億四二三四万〇一〇〇円

<2> 昭和六一年度分

本税 金四億六一二一万五一〇〇円

重加算税 金一億三二六八万一〇〇〇円

延滞税 金七一七〇万七三〇〇円

計六億六五六〇万三四〇〇円

<3> 昭和六二年度分

本税 金三億一四〇四万八〇〇〇円

重加算税 金一億〇六二八万八〇〇〇円

延滞税 金二六八七万二七〇〇円

計四億四七二〇万八七〇〇円

右納税額は総額で金一三億五五一五万二二〇〇円もの巨額なものである。これに対し被告人高須克彌が免れた税額は、昭和六〇年度分が金一億四五四一万二九〇〇円、昭和六一年度分が金四億三六〇〇万五六〇〇円、昭和六二年度分が金二億九五一五万二〇〇〇円合計金八億七六五七万〇五〇〇円であり、被告人高須克彌は結果的に正規の納税額よりも金額にして金四億七八五八万一七〇〇円、割合にすれば五〇パーセント以上多く納税しているのである。国庫の被害は十分過ぎるほどに回復されているのである。

なお、付言すれば、被告人高須克彌がこのように多額の納付をすることとなった背景として、行政罰としての重加算税の存在がある。既に述べた通り、被告人高須克彌は本件犯行について全く知らなかったのであり、にもかかわらず重加算税の納付を強いられた。今般、両罰規定により更に金二億円の罰金刑が宣告されたが、これにより被告人高須克彌は、最終的には本来の納税額よりも六億七八五八万一七〇〇円も多い金員を徴収される結果となるのである。この点はむしろ被告人高須克彌にとって、有利な情状として考慮されるべきところである。

三 売上除外手口の悪質性に対する反論

原判決は、鈴木・神森両名の行った売上除外手口が悪質である旨量刑の理由において述べているが、この点は被告人両名の情状としては不適切なものと言わざるをえない。被告人高須克彌も被告人高須登代子も、具体的な売上除外の方法を指導したことは全くないのであり、除外の方法については鈴木・神森両名がそれぞれ独自に工夫して行ったに過ぎないからである。既に述べた通り、被告人高須克彌は本件売上除外を全く知らなかったのであるし、被告人高須登代子にしても、この点まで指示命令したことはないのであるから、この点を被告人両名の不利な情状として斟酌すべきではない。

むしろ、被告人高須克彌に関して言えば、本件売上除外については言わば被害者であり、自己の関与しないところで売上除外が行われ、結果として現在被告人の身の上となっているものであり、この点は有利に評価されこそすれ、不利な情状として論難されるべき筋合いのものではないのである。

四 高須克彌の生い立ち・医師としての貢献度

高須克彌は高須登代子の長男として生れたが、中学生の時に医師の父親を病気で失い、母親に育てられてきたが、医師として地域医療に貢献する母親の姿を見て成長し、自分も医師になりたいとの希望を抱き学問に専念して昭和大学医学部に進学し、医師国家試験に合格し又医学博士の称号も得るほどの努力家である。ひとえに医師として患者のために日夜貢献する母親の後姿をみて育った所以である。

高須克彌は親孝行であり、若いから東京にも魅力を覚えたが、母親を安心させるために卒業後間もなく帰郷して高須医院の若院長となり、又近代的病院経営法を導入して個人病院に過ぎなかったものを医療法人高須病院として規模を大幅に拡大し、幡豆地方では有名な総合病院に発展させ、救急医療から寝たきり老人のリハビリ医療まで幡豆地方の医療水準を向上させるなどの功績がある。特に整形外科が専門である高須克彌は幡豆地方では希少なリハビリ専門病棟を開設するなど貴重な専門医師として地元から尊敬されている。

高須克彌は整形外科が専門であったが、その後形成外科・美容外科の分野に進み、全国的高須クリニックチェーンを作り上げるなどの手腕を振るった。美容外科という科目は通常の医療とは異なる性格であることから外道とか金儲けとか批判する者がいないわけではないが、この法廷に提出された高須克彌出版目録・論文目録から明らかなように、身体又は容貌の欠損に苦悩する患者のために美容整形手術を施すことが、これからの心身のトータル医療としてとても重要なことであり、高須克彌はこの先覚者の一人と言うべきである。

高須克彌の社会への貢献は、医療活動以外に医療知識の普及活動にも認められる。世間には言い伝えと称して間違った治療法を行い逆に悪化する事例が後を立たない。例えば火傷の傷にアロエを貼って化膿させる、紅茶キノコを飲んで食中毒に至るとかである。又危険な健康法が世間に流布されている。アルカリ健康食品、断食療法とかであるが、高須克彌は著作でこれらの健康法の危険性を指摘して世に警鐘を鳴らしている。原審の法廷で紹介した著作だけで一八冊あり、いかに高須克彌が精力的に著作活動をしていたか明らかである。

又、高須克彌医学論文目録によると、高須克彌は整形外科の新手術法について新方式を積極的に開発し、学会で発表を続けている。日本美容外科学会に発表した論文だけでも一七本あり、高須克彌の学術研究に対する熱心な姿勢が窺われる。特に従来からのシリコンプロテーゼ使用の手術の危険性を指摘して自己脂肪を使用する新手術法を開拓して発表し、医学の先駆者の役割を果たしている。高須克彌の医師としての能力は卓抜するものがあり、優秀な医師にしか授与されない認定医の資格を日本形成外科学会、日本整形外科学会、日本美容医学学会から受けている。

高須克彌はこれまで公益のための寄付行為を継続しており、その結果、総理大臣、一色町長、愛知医科大学などより表彰状・感謝状を受けている。又近時の阪神大震災により、高須登代子は長年の蓄え金七〇〇〇万円を全部被災者に対する義捐金として寄付することにしたが、これには高須克彌も大いに賛同し、老後の生活は息子が面倒見るから被災者のために寄付しなさいと提言した経過もあった。更には、高須克彌は自らが現役の医師であるので、ボランティア活動により被災者救援活動を行おうと決意し、友人の美容外科グループに呼び掛け、火傷、外傷に苦しむ被災者のために無料手術を企画し、新聞雑誌にも大きく報道されたところである。かかる高須親子の救援活動は特筆すべき価値があるものである。右の通り、高須克彌の医師としての貢献度、学会・社会全般に対する寄付には顕著なものがあり、有利な情状として更にしん酌されるべきである。

五 原判決も量刑の理由にて認めるところであるが、高須克彌が活躍して発展していた時代はバブル経済と重なっていた。高須克彌は株式投資とは全く無縁であったが、不動産投資は相当行っていた。これは当時の銀行が勧誘していたものであったが、高須克彌に限らず世間全体が不動産投資に走っていたものであり、高須克彌一人の誤算を非難できないところである。

高須克彌とその関連会社の債務は、平成五年で合計四八億円残っており、現在元利金の返済は年間八億五〇〇〇万円にのぼっている。勿論手取り金額での返済は不可能であるから、精力的に不動産処分を急いでいるが、不動産市況の悪化から困難な情勢である。福岡のマンションは三億五〇〇〇万円で購入して二億円で手放し、五億円のホテルは三億円で手放している。名古屋駅西の高須クリニックビルにしても一〇億円以下の値段しかつかない状況である。負債四八億円、資産一五億円というのが実態である。経常収支を見ても美容整形業界の乱立の影響で売上が極端に減少しており、経費の節減によって対処している訳であるが、これも後向きであり限界がある。

高須克彌は罰金二億円を判決されているが、右の通りの資産状況では到底納付不可能である。高須克彌が元気な内は働き続けることができるが、高須家男子の短命の家系から将来を想像すると空恐ろしいものを覚える。罰金の金額認定に当たってはこのような高須克彌の現在の資産状況を十分考慮され、支払可能な金額でなければならないと考える。又判決の結果は、厚生省の医道審議会の医師免許停止処分に即時反映される例となっている。判決が重ければ当然停止処分も重く、高須克彌に長期の停止処分が下されれば、高須クリニックの経営は破綻し、家族・従業員は路頭に迷うこととなる。美容整形の特質から言って患者は高須克彌個人の人気・信用に重きをおいて来院するものであり、代診の効かないものなのである。

六 高須克彌は脱税摘発後システムを変更し、IBMのコンピューターを導入して受付納金から本店記帳までを一貫合理化して経理の明瞭化に改め、再犯の防止に努力している。現在高須克彌は模範的納税者であり、多額の税金を国庫に納付してその責任を十分果たしている。

七 原審は、求刑と比較して軽い罰金ではあったが、前記のような高須克彌の経済状態から言えば、その金額は極めて過重なものであり、被告人高須克彌にとってもその支払は極めて困難なものである。ことにわが国の高度累進税率を考えると、二億円蓄えるためには奴隷のような労働が必要となり、過酷に過ぎるものと言わざるを得ない。

そもそも本件は過失犯であり、故意犯罪とは異なるものである。違法性も有責性も著しく低いのであり、既に述べた通り過失の有無すら問題とせざるを得ない程である。しかしながら、原判決における罰金額の算定は故意犯のそれと基本的には変わっていないのであり、過失犯において故意犯罪と同等な罰金を判決することは、法の適正に反する結果になるものと言えよう。これまでの両罰規定適用の事例と言えば、会社役員が脱税行為を犯して会社が罰金刑を受けると言う事例がほとんどであるが、この種類の事案であるならば会社役員に故意がある以上、会社に対して故意犯罪と同等な罰金金額を課することにも合理性は有り得よう。しかし本件は個人営業主に対する過失犯を前提とする両罰規定の適用という稀な事例であり、これまでに量刑基準のない事案である。原審は、この点を考えて、求刑罰金三億円に対して二億円という些か低額の判決をしたものと思われるが、刑法立法の根本思想から言えば、殺人罪と過失致死罪の刑の軽重の違い(死刑から罰金までという天地の違い)なども考慮すると、故意犯罪と過失犯とは桁が違う差があるべき筈である。

過去の罰金例をみると、脱税事件の罰金の基準は、脱税税額の三割から三分の一であり、求刑三億円はそれを基準にしているようである。個人脱税では、懲役とこの基準の罰金を受け、法人の脱税では、役員など行為者の懲役と法人に対するこの基準の罰金を受ける事となる。この量刑基準は故意の脱税事件について集積形成されていたものであるが、本件のような過失犯は前例がなく、量刑基準は存在しない。この発想は高須登代子と高須克彌とを一体と見做して、刑のみを分割したものと言わざるを得ない。しかし、故意犯罪の高須登代子と過失犯の高須克彌とを一体に見ることができるのであろうか。又一体と見て刑のみを分割することができるのであろうか。脱税の罰金は、行政罰のようなもので、主体の故意過失の有無など責任要素に関係なく脱税税額のみによって算定される、との見解もあるかもしれないが、罰金は純然たる刑事罰であり(ことに本件では被告人高須克彌にとっては二億円もの金額は労役場留置を現実の可能性とするものである)、責任の存在が処罰の根拠であり、責任の大小が罰金の大小となるべきである。

また、既に述べた通り高須克彌は、本税・重加算税・延滞税合計で金一三億五五一五万円納付している。正規の納付と比較すると合計四億七八五八万円納付している。これ以上に更に罰金二億円となれば、結果としては二重処罰と同じこととなる。行政罰と刑事罰が併せて下される場合、二重処罰の禁止として憲法違反との学説が唱えられた。この学説に対してはそれぞれが別の機能を果たすものであるから二重処罰の該当しないとの理由で辛うじて違憲性を免れている。高須登代子に対する懲役、高須克彌に対する罰金が、別の機能を果たすものとすれば、高須克彌に対する罰金は、高須克彌の故意・過失の主観的有責要素その他情状全般を考慮して量刑されなければならない。とすれば、被告人高須克彌に故意が無い以上、被告人高須克彌については故意の事案の基準と比較して桁違いに低額でなければならないはずであるが、原審はこの点意識がないようである。弁護人としては、故意犯罪と過失犯との質的相違に立脚する量刑基準に従い、高須克彌に対しては桁違いの罰金でなければ、量刑不当に至ると考えるものである。

控訴趣意書

被告人 高須登代子

右の者に対する所得税法違反被告事件につき、平成七年三月三〇日、名古屋地方裁判所が言い渡した判決に対し、先に被告人から控訴の申立をしたが、その理由は左記の通りである。

平成七年一二月四日

主任弁護人 福岡宗也

弁護人 中西英雄

名古屋高等裁判所 御中

原判決には、所得税法第二三八条第一項、第二四四条第一項の規定の解釈、適用を誤った違法があり、これが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、破棄を免れないものと思料する。以下その理由について詳論する。

一 原判決は、被告人は、所得税法第二四四条第一項所定の「その他の従業者」には該当しないが、鈴木美由紀及び神森良子は、同条所定の高須克彌の「使用人」であることは明らかであり、「使用人」という身分を有する鈴木及び神森と共謀の上、本件脱税の犯罪を行ったのであり、刑法六五条一項、六〇条により、共謀共同正犯として所得税法違反の刑事責任をおわなければならないとし、右各条のほか、所得税法二四四条一項、二三八条一項を適用して、被告人に対し懲役三年、執行猶予四年の判決を言い渡した。

二 しかし被告人の本件所為は、所得税法二四四条一項、二三八条一項には該当しないものであり、原判決は右各規定の解釈適用を誤ったものである。

1 所得税法二三八条一項は、「偽りその他不正の行為により・・・・・所得税を免れ」と規定している。

したがって構成要件該当性としての脱税行為とは、偽った税務申告をすることである。売上金の除外、帳簿の虚偽記載等の不正行為それ自体は、構成要件該当の行為とは言えず、それらの不正行為は予備的行為に過ぎない。そのような不正があっても、申告に際して正しい申告が行われるならば、同条違反の成立する余地はないからである。

右構成要件に該当する行為の主体は、「所得税を免れ」とある点からも明らかな通り、納税義務者であり、本件においては高須克彌である。

また所得税法には、過失を罰する旨の規定はないので、ほ脱犯においては、故意犯のみが処罰の対象であり、かつそれは所得税を免れる目的でなされる目的犯である。

したがって本件においては、右規定に該当する者は、納税義務者たる高須克彌のみであり、同人が脱税目的の下に、申告内容に不正のあることを認識しながら、敢えて不正な税務申告をした場合に同条の違反となるのである。

2 所得税法二四四条一項は、「・・・人の代理人、使用人、その他の従業者が、・・・・人の業務または財産に関して二三八条・・・・の違反行為をしたときは、その行為者を罰するほか・・・・・人に対して当該各条の罰金を科する」と規定され、脱税行為の主体が、納税義務者のみならず、その代理人や使用人、従業者にまで拡大されている。

しかしここに言う「代理人や使用人、従業者」とは、前述の通り、二三八条に規定する構成要件該当の違反行為は、偽りその他不正の税務申告をすることにあり、売上除外等の不正行為自体は構成要件を充足するものではなく、その予備的行為に過ぎないものであること、所得税法の罰則規定の立法趣旨は、申告納税制度を前提とした税収の確保と公正な徴税制度の維持にあること、所得税法は真実に反する申告のすべてを処罰の対象としているわけではなく、その場合でも、加算税制度を設けて、加算税のみを科することによって公正な徴収制度の維持をはかっていること、等を総合勘案するならば、「納税業務に関係する代理人や使用人、従業者」の意味に限定して解すべきであり、納税業務に関係しない従業者が不正行為をし、そのことを知らずに真実に反する申告がなされて、結果として脱税が発生したとしても、それは本来右規定の構成要件の予想するところではないというべきである。

納税業務とは関係のない従業員が、納税義務者の意思とは無関係に、脱税目的の不正行為を行うということは通常にあり得ないことであり、たとえそのような不正行為があっても、納税業務担当者にその意思がなければ、申告の際にチェックされて偽りの申告という目的は達し得ないのであるから、これにより立法目的は十分達せられるのである。

もっとも事業主や納税業務担当者が過失によってこれを看破できなかったときは、結果として過少申告となるが、本来ほ脱犯の処罰の対象は故意のみであることや、純粋な誤りによる過少申告の場合にも、過失のある場合がほとんどであるが、加算税のみが科せられて刑罰は科せられていないことからしても、このような場合にまで刑罰を科する合理性はなく、加算税を科することによって、税収の確保、公正な徴税制度の維持という立法目的は達せられるのである。

3 原判決は、所得税法二四四条は、従業者に右のような限度をくわえていないので、右のように解釈をすることは、明文の規定に反すると判示する。

しかし法律の解釈は、文理解釈のみでなく、立法目的に照らした目的論的解釈がなされるべきであり、文理上は何らの制限がなされていない場合でも、法律概念としては限定的な解釈の行われることは何ら珍しいことではなく、これをもって明文の規定に反するものとは言い得ない。

4 また原判決は、右のような解釈によれば、本件のように納税業務担当者以外の者が不正行為を行った場合に、これを処罰しなければ脱税を無くすことはできないとか、納税義務者や納税業務担当者に実権のない者を据え、他の実権のある者が脱税を行った場合誰も処罰されないことになるが、それは極めて不当であると判示する。

しかしながら、およそ罪刑法定主義のとられる近代国家においては、怪しからん行為、不当な行為であれば、これをすべて処罰するのではなく、一定の立法目的実現のために、構成要件に厳格に規定された行為のみを処罰の対象としているのであり、しかも構成要件に示される行為とは、通常起こり得る定型的行為のみを予想しているのであって、定型外の行為については、たといそれが処罰を免れる結果となって不当であっても、これを処罰の対象とはしないとするところに意味があるのであり、結果が不当だからといって構成要件をいたずらに拡大解釈をすることは罪刑法定主義の根本原理に反し許されないものと言うべきである。

したがって刑罰法規の解釈に当っては、その立法目的との関連のもとに、構成要件を厳格に解釈して処罰の範囲を明確にすることこそ肝要なのであり、いやしくもその範囲が不明確になるような解釈はとるべきではないのである。

5 原判決の指摘する納税業務担当者以外の者が虚偽の伝票を作成する場合においては、税務申告のためには、その前提として決算が行われるのであり、その決算が適正になされる以上そのような不正が発覚しないということは稀なのである。また実力のない者を納税義務者、納税業務担当者にして実権を有するものが脱税を行うと言うケースについても、実際問題として、納税業務担当者、例えば決算を行う経理事務担当者との共謀なしに脱税行為を行うということは通常はあり得ないのである。

前述の通り、所得税法二三八条一項のほ脱犯の本来的な構成要件は、その規定の立て方からしても、故意犯のみが処罰の対象であることから考えても、納税義務者が、その申告内容が事実に反するものであることを知りながら、敢えて「不正な申告」をして所得税を免れるものであり、不正を承知の上で不正な税務申告をするところに本質的な可罰性があるのであり、同法二四四条が「二三八条の違反行為」と規定する以上、右の「不正と知りつつ不正な申告をする」というほ脱行為の本質は二三八条の場合と異なるところはなく、ただ大規模な事業主体においては、高度な分業化が進み、納税義務者がすべてを承知していることは不可能であることに鑑み、行為主体を納税義務者以外の一定範囲の者に拡大したものというべきである。

ところで税務申告の前提としてなされる決算は、通常は適正になされており、適正に決算がなされている限り、納税義務者もしくは納税業務担当者以外の従業者による不正行為はその段階でチェックされるので、通常は不正な申告という脱税行為は、納税業務関係者の関与なしには起こり得ないのである。このことは現実に発生する脱税事件のほとんどは、経理担当者との共謀によるものであることに照らしても明らかである。

したがって右二四四条が規定する、納税義務者以外の従業者等の行うほ脱行為の定型は、納税業務の担当者とそれ以外の従業者が共謀の上、不正行為が行われ、申告業務の関係者によってその不正であることを知りながら不正な申告が行われる場合であり、申告業務に関係する従業者に不正行為の関与も、その認識もなくして結果として事実に反する申告がなされる場合は、不正な申告というほ脱行為の定型には該当しないものというべきである。

このように解しても、現実に発生する脱税事件のほとんどは、納税業務の担当者が関与しているのであるから、処罰の対象となるし、本件のように不正はあっても処罰の対象となし得ない場合があるとしても、それは稀有の例であり、その場合でも加算税は科せられるのであるから、それによって税収の確保と公正な徴収制度の維持という立法目的は十分達せられるのである。

もし、かかる限定解釈をとらないとするならば、所得税法二四四条は、不正な申告というほ脱犯罪の本質的な構成用件を極めて曖昧なものとするものであり、実質的には罪刑法定主義を保障した憲法三一条に違反するものと言わざるを得ないであろう。

三 以上の次第で、所得税法二四四条一項の使用人又は従業者とは、納税業務に関係する使用人もしくは従業者と解すべきところ、本件において、鈴木美由紀、神森良子はかかる使用人もしくは従業者には該当しないので、被告人が同人らと共謀して本件売上除外の行為を行ったとしても、被告人の所為が右規定並びに同法二三八条に違反するものとは言い得ないのであり、この点原判決は右各規定の解釈、適用を誤った違法があるものというべきである。

そしてこの誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、原判決を破棄して被告人に対し無罪の判決を賜りたく、本件控訴に及んだものである。

以上

平成七年(う)第二二〇号

控訴趣意書

所得税法違反 高須登代子

右被告人に対する頭書被告事件につき、平成七年三月三〇日名古屋地方裁判所刑事第三部が言い渡した判決に対し、検察官から申し立てた控訴の理由は、左記のとおりである。

平成七年一二月七日

名古屋地方検察庁

検察官検事 矢野收藏

名古屋高等裁判所刑事第一部 殿

原判決は、罪となるべき事実として公訴事実(平成六年三月二二日付け訴因変更後の公訴事実)と同旨の事実を認定し、量刑の理由として、本件のほ脱税額、ほ脱率、方法・態様、動機、被告人が首謀者であることに言及し、「被告人の刑事責任は相当重く、被告人の場合、逋脱税額等にかんがみ、実刑の可能性もないではない。」としながら「逋脱税額等が多額に上ったのは、バブル経済の影響を無視できないわけで、量刑に当たっては逋脱税額等は割り引いて考える必要がある。また、被告人は、長年患者本位の医師として稼働し、女手一つで高須克彌を育て上げると同時に、医療活動を通じて、長期間にわたり地域住民の医療や健康に貢献してきたこと、本件脱税発覚を契機に克彌らに多大の迷惑をかけたことを反省し、高須病院の院長及び理事長を辞任して自宅で謹慎の日々を送っていること、従前から福祉施設や学校などに寄付してきたが、今回の阪神大震災の惨状を目の当たりにして、七、〇〇〇万円を贖罪寄付したこと、現在七三歳の高齢であり、昭和五六年以降愛知医科大学に高血圧症、狭心症、大腸ポリープなどのため度々入院し、現在も高血圧症と狭心症を中心として継続して通院治療を受けていることなどの事情が認められる。」旨判示し、「これらの事情を参酌すると、再犯のおそれは殆どない登代子を一般予防の見地を強調して実刑に処するより、日常生活の中で更生の機会を与えるのが刑政に適うものと考え、その刑の執行を猶予することとした。」として、検察官の懲役三年六月の求刑に対して、「被告人を懲役三年に処する。この裁判確定の日から四年間その刑の執行を猶予する。」旨の判決を言い渡した(記録六四五丁表ないし六四六丁裏、六九一丁表、七二九丁表ないし七三二丁表、七四一丁裏ないし七四四丁表)。

しかしながら、本件は、長期間にわたる租税ほ脱の一環であり、ほ脱額も三期分で合計八億七、六〇〇万円に達する大規模なものであること、その動機は、専ら自己や子孫のため蓄財を意図したものであること、犯行の手段・方法は、被告人が従業員らに直接指示して売上除外をするなど悪質である上、犯行露見を防ぐため、種々工作をしており巧妙であること、被告人が中核となって敢行したこと、本件犯行の社会に及ぼした影響は甚大であり、同種事案における量刑と比べても本件のそれは均衡を欠くこと等の事実に徴すると、原判決の刑の量定は、著しく軽きに失して不当であるから、到底破棄を免れないものと思料する。

以下、その理由を述べる。

第一 本件は、長期間にわたる租税ほ脱の一環であり、ほ脱税額、ほ脱税率いずれの点に徴しても大規模である。

一 被告人は、三代続いた医師の家系にあって、実母の意思を継ぎ、被告人本人の所得税をほ脱していたところ、実子が所得税を納める時期を迎えるや、その所得についてもほ脱を続け、申告納税制度の精神を踏みにじったもので、本件は、長期間にわたる租税ほ脱の一環であり、被告人の責任は重大である。

1 被告人は、愛知県幡豆郡一色町において、医師をしていた父原田政彦、同母高須いま(以下、「いま」という。)の長女として生まれ、昭和一七年三月医師の資格を取得、翌一八年から、いまが経営していた高須医院に勤務していた。

同一九年三月医師松崎省吾と婚姻、同二〇年一月長男克彌、同二四年六月長女みどりが生まれたが、同三二年六月夫省吾は病没した。そのため、いまが被告人の財産を管理しながら、克彌、みどりの面倒を見、被告人は診療に専念した。その間、中学校卒業と同時に高須医院に住み込みで働いていた鈴木美由紀(以下、「美由紀」という。)を見込み、夜間の高等学校に通わせたり、看護婦の資格を取らせるなど面倒を見ながら、医業に関する事務を教え込んだ。

ところで、いまは、被告人の診療報酬について、カルテの一部を破棄して、収入から除外し、所得税をほ脱するようになり、美由紀に、「登代子先生には言っちゃいけないんだよ。」などと言いながら、「こういうふうに、分からないように分からないように、少しずつためていくんだよ。」などと脱税の手ほどきをした。

その後、被告人は、いまが脱税していることを見抜き、その手法を見習い、同様の手段を用いて自ら所得税をほ脱するようになった(記録八四一丁の八一七裏ないし八一八裏、八二五表、裏、八六七表、八七八裏ないし八七九表、九〇一表、裏、八四二丁の三一表ないし三七表、六六表ないし六九裏)。

2 被告人は、昭和四九年、克彌の要望を容れて、高須医院を規模を大きくし高須病院と組織替えし、それまでの木造から鉄筋コンクリート造り四階建てにし、診療科目にそれまでの産科、婦人科、内科、小児科の四科に整形外科、理学療法科を加え、同人を副院長として迎え入れた。

しかし、克彌は、一色町の一地方医師としてくすぶっていたくない、世界的に有名になりたいとの思いから、その足掛かりとするため、同五一年六月、名古屋市内に整形外科、形成外科高須クリニック(以下、「名古屋クリニック」という。)を開業した。被告人は、克彌から名古屋クリニック開業の計画を知らされた際、売名を第一に考える同人の将来を心配し、当初難色を示したが、結局、「私がマネージメントしてやる。」などと言い、同人の事業の資金面、医師・看護婦・事務員の採用・配置等の人事面、経理申告面、財産管理等、診療以外の部門を被告人が掌理することにして、右開業を承知した。

克彌は、その後、本件について、名古屋国税局の査察が行われるまでの間に、同五四年、大阪市内(以下、「大阪クリニック」という。)に、同五六年、東京都内(以下、「東京クリニック」という。)に、同五八年、広島市内(以下、「広島クリニック」という。)に、同六〇年、札幌市内(以下、「札幌クリニック」という。)に、同六一年、横浜市内(以下、「横浜クリニック」という。)に、同六二年、仙台市内(以下、「仙台クリニック」という。)及び福岡市内(以下、「博多クリニック」という。)に、順次同クリニック(以上の八クリニックを総称し、以下、「高須クリニック」という。)を開業した(記録八四一丁の七四八表ないし七五〇表、七六三表、裏、七八七裏ないし七八九表、八〇〇裏ないし八〇三表、八一七裏ないし八一八表、八二六表ないし八三〇裏、八六七表ないし八六九裏、八七九表ないし八八〇裏、八四二丁の七五裏ないし七六裏、四九六裏、四九九裏ないし五〇一裏、六七一表)。

3 被告人は、克彌が名古屋クリニックを開業するに当たり、いわば子飼いの美由紀に「ようけ税金出してたら大変だ。クリニックがある程度軌道に乗ったら、分からない方法で現金売上げを除外し、持って来るように。」と言い含めた上、克彌に「とっておきだけど、お前に貸してやる。」などと言って、同女を同人の秘書として送り込み、同五三年ころ、同人の収入が増えたことを見計らい、美由紀に「そろそろ除外するように。」と指示した。その結果、美由紀は、被告人やいまの手法に習い、カルテの一部を破棄して現金収入を除外し、これを被告人に届けるようになった。しかし、間もなく、右手法は患者から問い合わせがあった場合やトラブルが発生した際に対応に困ることからカルテは残し、美由紀のみに手術をしたことが分かる記載をし、余人には、同手術をしたこと、したがって、これに伴う収入があったことが分からないようにした。そして、経費を賄える程度の現金を残し、その余を除外し、次第に除外金額を増やしていった。

一方、克彌は、前記のとおり、大阪、東京各クリニックを順次開業し、その間、被告人は、大阪クリニックの事務員として採用した神森良子(以下、「神森」という。)を東京クリニックに配置換えしてその事務責任者とし、同五七年ころ、美由紀に加え、神森に対しても、売上除外を指示した。しかし、神森は、売上除外の経験がなかったことから、同女には、二重まぶたや包茎など後日問題が起きることの少ない手術を対象として売上除外すること、その方法として「カルテを廃棄すること、できるだけたくさん、半分くらいは除外すること、除外に関するメモなどは作成しないこと、除外した金は、貯金などにせず、保管しておくこと。」など細かく指示した。神森は、被告人の指示どおり、翌五八年ころから除外を始めたが、その後、同女は美由紀同様、患者のトラブル等に備えてカルテは残し、自分だけに分かるように、その記載の仕方を自ら工夫していった。

そして、克彌が、前記のとおり、全国に高須クリニックを順次開業するにつれ、被告人は、美由紀を名古屋、大阪、広島、博多の四クリニックの、神森を横浜、東京、仙台、札幌の四クリニックの事務責任者とし、右両名に、後記のとおり仙台クリニックを除く、高須クリニックで売上除外をさせた(記録八四一丁の二二表、二四裏、三六表、四八裏、八〇二裏ないし八〇三表、八一九表ないし八二〇裏、八六七裏ないし八七〇表、八七四裏ないし八七六裏、八九九表ないし九〇七裏、八四二丁の八裏ないし九表、二二表ないし二五表、三六表ないし四八裏、六五裏ないし六九裏、七五裏ないし七六裏、一七四裏ないし一八〇裏、一八六裏ないし一八九裏、一九一裏ないし一九五表、二〇七裏、二〇九裏ないし二一九表)。

4 以上のとおり、被告人は、被告人本人が納税義務者となった当初から脱税をし続けていたのであり、本件は、これを長男克彌の所得にまで拡大させたもので、本件は、被告人の租税制度に対する挑戦的思考に深く根ざす長期間にわたる悪質な犯行の一環であって、被告人の責任は厳しく糾弾されるべきである。

二 本件は、まれに見る高額な租税ほ脱事案であり、ほ脱税率も高く、悪質である。

本件は、被告人が関与した租税ほ脱事実のうち、克彌の所得に関する、昭和六〇年から同六二年の三年度分を起訴したものである。

右事実に限っても、

昭和六〇年度分は、正規の所得税額二億六、六〇四万四、三〇〇円のうち、一億四、五四一万二、九〇〇円(ほ脱税率約五五パーセント)をほ脱

同六一年度分は、正規の所得税額四億四、二八一万一、三〇〇円のうち、四億三、六〇〇万五、六〇〇円(ほ脱税率約九八パーセント)をほ脱

同六二年度分は、正規の所得税額三億四九二万四、二〇〇円のうち、二億九、五一五万二、〇〇〇円(ほ脱税率約九七パーセント)をほ脱

し、その合計は、八億七、六五七万五〇〇円に上り、ほ脱率の平均は、実に約八六パーセントと高率である(記録七二九丁表ないし七三二丁表)。

ちなみに、名古屋地方検察庁で受理した同六〇年から同六二年の間に行われた租税ほ脱事犯のほ脱税額等は、本件を除くと別紙1記載のとおりであり、ほ脱税額一億円未満の事犯が一一件、同一億円以上五億円未満の事犯が六件であり、五億円以上の事案は、ほ脱額六億八、一五一万八、五〇〇円のもの一件のみであり、ほ脱額の平均は、一億五、五〇〇万円弱、ほ脱率の平均は八七パーセントである(控訴審において補充立証予定)。

右事実に照らしても、本件は、ほ脱率が高く、右期間中におけるほ脱額が最高の、まれに見る大規模脱税事犯であることが明白である。

第二 本件犯行の動機は、専ら自己や子孫のための蓄財を意図したものであり、何ら酌量すべきものはない。

被告人は、高須クリニックの利益が順調に上がっていると見るや「正しい申告をして多額な税金を納めていたのではいつまで経っても財産はふやせない。」、「いくら稼いでも税金に持っていかれるので馬鹿らしい。」、「克彌は仕事一途の人間で金銭感覚というか、経済観念にうとく、借金をしてでも事業を拡張したいといった気持ちが強いことから、私が財産管理をしなければ、高須家がつぶれてしまう。」との動機から、同クリニックの収入が自費支払いによる現金であって、犯行が露見することはないと見定め、克彌の所得税をほ脱することを企てたものである(記録八四一丁の八一七表、裏、八三八表、裏、八七三裏ないし八七四裏、八七七表、裏、九〇一裏ないし九〇二表)。

右犯行動機は、被告人の自分勝手な私利私欲に基づいたものであり、反倫理性・反社会性は高く、犯行動機において、酌量すべきものはない。

第三 犯行の手段・方法は、被告人が従業員らに直接指示して売上除外をするなど悪質である上、犯行露見を防ぐため、種々工作をしており巧妙である。

一 犯行の態様は、計画的であり、卑劣、かつ、巧妙である。

被告人は、美由紀、神森両名の性格、能力を見極め、自分の意のままになることを見越して、売上除外を指示したが、神森に対しては、その経験がなかったことから比較的手術が簡単で、一回の診療で終わり、後日患者とのトラブルが生じることのない包茎や二重まぶた等の手術について除外し、その分のカルテは残さないことなど、細かく指示し、同女から仙台クリニック勤務の看護婦が国税局職員と交際中であると聞くや、脱税の発覚をおそれ、除外を控えさせるなど心憎いばかりの気配りをした(記録八四一丁の八二一表、八三七表、八七七表ないし八七八表、八八一表、裏、九〇一裏ないし九〇二表、八四二丁の二一二表ないし二一三表)。

被告人は、克彌に高須クリニックの収入を全部知らせると残らず使ってしまうと思い、美由紀、神森に対し、克彌には内緒にするように指示している(記録八四一丁の九〇二表)。これは、高須クリニックの経営者である克彌に累が及ぼさないように配慮したものというべきあり、それだけに被告人の責任は重大である。

二 右診療収入の除外方法は、前記のとおり、まず、被告人、美由紀がいまの手法を見習い、神森に対しては、被告人が教示し、カルテを廃棄することにより、実行していた。しかし、この方法は、患者から経過が思わしくないなどの理由で問い合わせやトラブルがあった事態に対処するときに支障があることから、最小限カルテを残す必要があり、美由紀、神森は、外部には除外していることが発覚しない方法を工夫していた。その方法は、初診日、あるいは診察日の日付けスタンプを押す位置、相談内容を記載する位置、患者の住所、氏名を記載する際の線の太さ等を微妙に変えるなどして、非除外分と区別できるようにしていた。しかも、被告人は、美由紀と神森に対し個別に除外を教示したことから、右両名がそれぞれの工夫でカルテの記載をしたため、各クリニックで細工方法が異なっており、一つのクリニックで不正が発覚しても、他のクリニックには波及しないようになっていた。

その上、昭和六〇年に高須クリニックが税務調査を受けるや、同女らは、その状況を見て、更に工夫を凝らし、より巧妙に記載方法を変えたために、カルテの記載から除外事実を見破ることは極めて困難であった(記録八四一丁の三八裏ないし四〇表、八四二丁の三六表ないし六九裏、一二四裏、一九三表ないし一九四裏、一九六表ないし一九八裏)。

三 被告人は、売上除外した現金を美由紀、神森に指示して、隠匿保管させ、できる限り手元に置かないようにした。そして、美由紀に対しては、高須クリニックの患者を高須病院で手術する際に同女が同病院に来る機会を利用したり、証券会社の外務員から利回りの良い商品があるなどと聞いた場合に右現金を持参させ、その際、右現金をビニール袋で包みそれを紙袋に入れて、外部から分からないようにさせた。神森に対しては、被告人が、上京する機会に、宿泊するホテルに同女を呼び付け、売上除外金を持参させた。

被告人は、美由紀から受け取った現金は、自宅二階の寝室ベッド横の小型金庫に、神森から受け取った現金は、一階仏間の大型金庫に分けて隠匿保管し、一、二週間のうちに、証券会社に連絡し、仮名あるいは借名で投資信託にしたり債券を購入した。そして、税務調査の機会に多額の投資信託、債券が発見され、本件犯行が発覚することを避けるために、右購入した投資信託、債券を美由紀や被告人の秘書兼看護婦の鈴木明美(以下、「明美」という。)に指示し、隠匿保管させていた。被告人の意を受けて、明美は、これを自宅洋服だんすの奥に隠し、美由紀は、昭和五九年ころまでは、顔見知りがいることから地元名古屋の銀行は避けて、大阪市内の三菱銀行梅田支店の貸金庫に預け、そのうちに同銀行の窓口係員に顔を覚えられたことから自宅天井近くの棚、あるいは、同六三年七月末ころからは、愛知県西尾市内所在の同女の妹方や姉方に預けるなどして隠匿保管していた(記録八四一丁の八四〇裏ないし八五一裏、八八一裏ないし八八五裏、九〇七裏ないし九一三表、一〇一五表ないし一〇一九裏、一〇二二表ないし一〇二四表、八四二丁の五一表ないし五八裏、七四三表ないし七四六裏)。

四 以上のとおり、自らが高須クリニックの経営について克彌以上の発言力を有していて、美由紀、神森が被告人に服従せざるを得なかった弱い立場を利用し、本件犯行を敢行したものであり、右両名は、その立場上、被告人の意を受けるため、心を砕き、犯行露見を防ぐため考え得る限りの工夫をしたのである。自己の優位な立場を利用して弱者を犯罪に巻き込んだ本件犯行の態様は極めて卑劣である。要するに、被告人は違法行為の発覚を免れるための手段を尽くしていたものであって、犯行は、計画的、かつ、巧妙であり、その責任を厳しく糾弾する必要がある。

第四 本件は、被告人が中核となって敢行した悪質事案である。

一 被告人は、克彌が名古屋クリニックを開設するに当たり、同人から、その可否の意見を求められて結局承諾するや、開業資金を借り入れる際に保証人となり、最も信頼していた美由紀を克彌の秘書として送り込み、同人を監視させるなど、高須クリニックの創業時からその経営に関して隠然たる力を持っていた。その後、克彌が各地にクリニックを開設するに当たっても、同様その資金手当のための保証人となった外、診療所を開設する場所の選定、事務員、看護婦、関与税理士の選任及びこれらの者に対する給与、賞与、医師に対する裏給与の支払い、人事配置等について助言し、株式会社名古屋メディカルプレス等克彌が税務対策のため設立した関係法人設立等にも関与した。そして、高須クリニックからの克彌の収入について、日々の売上げを記載した日計表に目を通し、高須病院の事務長兼高須クリニックの事務監督者大橋行雄(以下、「大橋」という。)から、同クリニックの収支状況、経理、所得税確定申告の状況について報告を受けるなど、その経営の推移を監視していた(記録八四一丁の七四九表、裏、七六二表ないし七六三裏、七七二裏、七八一裏ないし七八二表、七八七表ないし七八八裏、八〇一表ないし八〇六表、八二六裏ないし八二七表、八二八裏ないし八三六表、八六八裏ないし八六九裏、八七〇表、裏、八八〇表、裏、九〇四表、裏、一一〇七表ないし一一〇八表、一一一一表、裏、八四二丁の八一裏ないし八二表、九六裏ないし九九表、一二〇表、裏、一三九表、裏、一八一表、裏、二二七裏、二六六表ないし二六九表、二八九裏ないし二九七裏)。

被告人が、右のように克彌の営む高須クリニックの経営に終始深く関与した結果、高須病院が本院であり、高須クリニックはその傘下の分院であるかの如き観を呈するなど(記録八四一丁の七六三表)、被告人は同クリニックの営業上、大きな影響力を有していた。

二 被告人は、高須クリニックの売上除外を指示するに際し、まず、美由紀が中学校を卒業以来、被告人の下で住み込みで働き、利発で被告人の気持ちをよく察し、口が固いと見込んでいたことから同女に売上除外をさせることにした。そして、同女から、患者の来診状況、収支状況について報告をさせ、昭和五三年ころ、テレビの宣伝が奏功し、収入が増加したのを見計らって、同女に売上除外の実行を指示した。その後、神森についても、美由紀と同様の能力があることを見込み、看護婦との仲たがいの際、その仲裁に入り、辞職まで考えたのを慰留し、看護婦を配置換えし、神森を東京クリニックに残して、従業員の使い方を教示し、横浜以東の高須クリニックの事務責任者の地位に就けた。そして、美由紀の場合と同様に患者の来診状況等の報告をさせた上、同五七年ころ、売上除外の実行を指示した(記録八四一丁の八一八表ないし八一九表、八七四裏ないし八七六裏、八四二丁の一七八裏ないし一七九裏)。

三 そして、美由紀、神森両名に右売上除外させた現金の中から高須クリニックの医師に対する裏給与を支払わせた残余すべてを折りを見て持参させ、被告人の判断で、投資信託、債券を購入し、ハワイのマンションを購入するなどして資産化し、これを管理していた(記録八四一丁の八八一裏ないし八八六裏)。

四 以上のとおり、被告人は、自ら「高須クリニックにおけるゴッドマザー」と称する(記録八四一丁の八八一裏)ように、高須クリニックの営業開始からその営業に深く関与した上で、経費を支払った残りの財産を可能な限り秘匿することを企て、同クリニックの収支状況を観察しながら、美由紀、神森に恩を着せて売上除外を指示し、これによって得た現金で投資信託、債券、マンションを購入するなどして、ひそかに資産化していたが、その間、実際の経営者である克彌には累が及ばないように配慮していたものであり、本件は終始被告人が中心となって敢行したものである。

ところで、原判決は、被告人は、所得税法上、克彌の従業者に該当しないとした(記録七三七丁表ないし七四〇丁表)が、これは、克彌が実子であり、被告人自らも医師としての収入があることから、克彌から報酬等を得る必要がなかった上、むしろ、克彌を監督する立場にいたからである。すなわち、被告人が経営者本人に勝るとも劣らぬ権限を有し、従業者という概念では評価し尽くし得なかった地位にあったことをもって、原判決は右のような判断をしたものであり、誠に至当というべきであるから、その責任は右実態に即して考えるべきである。

第五 一般予防の見地からも被告人に対しては厳罰に処するのが相当である。

一 直接国税ほ脱犯に対する科刑の在り方について

国民は、憲法上納税の義務があり、租税負担は、法律の定めるところによるが、国民の租税力に応じて公平に分配されなければならない。租税公平主義は租税法律主義とともに、租税法全体を貫く基本原則であり、同一の担税力を有する者には、同一の租税負担を科するのが原則であって、租税法規に定められた事由以外の個人的事情によって租税負担が加重減免されることはない。我が国においては、大衆が納税主体となっており、納税者の申告に課税標準を確認し税額を確定させる効果を認めるという民主的な申告納税方式が採用され、右租税法の目的を遂げるために国民の良心に大きく期待しているのである。

しかして、脱税事犯は、国家財政基盤を揺るがし、行政施策の円滑な遂行を妨げるばかりでなく、他の納税義務者の負担を増大させ、国民全体の不利益において不当に利得する犯罪であって、国民の租税均衡平等負担利益を侵害する重大な反社会的・反道徳的自然犯である。

このような社会倫理規範に照らせば、その違反行為に対する刑罰は、刑法犯同様に責任主義原理に立脚してその反倫理性を重視し、同種脱税事犯の発生を予防する一般予防機能にその重点が置かれるべきである(板倉宏「租税刑法の性格(下)」、判例タイムズ一八七号三〇ページ以下)。

ところで、租税公平主義及び申告納税方式を採る我が国において、高額所得者、特に医師の納税については、個人として医業又は歯科医業を営む者が社会保険診療報酬の所得計算につき、所得税法の一般原則の例外を設け、有利な必要経費を認められ、税法上の優遇措置が執られている(租税特別措置法第二六条)こともあって、国民の関心の的になっている。現に毎年高額納税者が公示され、被告人及び克彌の納税地である西尾税務署においても、本件犯行が行われた昭和六〇年から同六二年分の所得について、地方新聞紙上、「医師ベスト一三位まで」、「ベスト一〇すべて医療関係者」等の見出しで、医師が高額な所得を得ていることが報じられているのであるが、その中にあって、売上除外しても、なお、同六〇年分においては、克彌一位、被告人一三位、同六一年分においては、被告人一八位、克彌二五位、同六二年分においては、被告人一八位、克彌二二位と高位を占めたことが報道されている。

しかるに、医師による、ほ脱税額が八億円を超える極めて多額の脱税事犯に対し、原判決のごとく、執行猶予の寛刑をもって臨むことは、国民の間における租税負担の公平に対する信頼を著しく損ない、刑事司法に対する信頼も失い、誠実な納税者の納税意欲を阻害する結果を招くことになりかねないのであって、その社会的影響力は、計り知れないものがあり、到底許すことはできない。

二 同種事案との比較

本件のほ脱税額は、前記のとおり、三期分合計で八億七、六五七万円余と極めて多額であり、また、ほ脱率も平均で八六パーセントにも上る高率である。同種事案の刑の均衡は、刑事司法に携わる者にとって、刑事政策上重大関心事でなければならないが、租税ほ脱犯に対する量刑の場においては、租税公平主義の要請は、できる限り尊重されるべきである。すなわち、「個人的事情のいかんを問わず租税法規上、同一の担税力を認められて、同一の課税がなされた者につき、これをほ脱した場合の刑罰がその個人的事情によって極端に区々になることは、租税公平の原則を乱し、納税者の納税意欲を阻害する結果を招く虞なしとしない。したがって、租税ほ脱に対しては、ほ脱の大小に比例した量刑がなされること」(東京高等裁判所平成六年三月四日判決、判例時報一四九九号、一四三、一四四ページ)が重視されなければならない。

ちなみに、平成元年以降判決が言い渡されたほ脱額が六億円を超える脱税事犯の量刑事情は、別紙2記載のとおりであり、いずれも実刑判決が下されている(控訴審において補充立証予定)。

しかるに、本件は、右のとおり、ほ脱額、ほ脱率とも大規模であり、その計画性、犯行の態様とも悪質であって、刑の執行を猶予することは、同種事案に比して著しく均衡を失するものであり、実刑以外に科すべき刑はない。

第六 原判決に対する反論

一 原判決は、「本件での逋脱税額等が多額に上ったのは、一見バブル経済と無関係かのごとくであるが、やはりバブル経済のさ中には美容整形による売上げが増加したことにより、除外された売上も莫大なものになったという意味において、本件脱税にバブル経済の影響の存していることは無視できないわけで、量刑に当たっては逋脱税額等は割り引いて考える必要がある。」と判示している(記録七四二丁表、七四三丁表)。

ところで、バブル経済とは、「一般的には、経済が実態以上に泡(バブル)のように膨らんだ状態を指すが、より厳密には、株価、地価さまざまな資産の価格などが、それらの合理的評価の基礎になる利子、利回り、収益性、生産性といった基礎的条件(ファンダメンタルズ)を大幅に上回っている状況を言う。」とされ、「こうしたバブルの根本原因は、八七年(昭和六二年)二月のルーブル合意以後の日銀の超低金利政策にあった。」とされる(イミダス一九九四年版六七ページ)。本件は、昭和六〇年から同六二年の三年分の収入について、売上除外をして所得税をほ脱したものであり、右「ルーブル合意」以前から行われていたものであって、少なくともその二年分はバブル経済のさ中にあったものではない。もともと、被告人は、実母いまの手法を習って、高須医院の時代から自ら所得税を免れ、克彌の所得税についても、高須クリニック開業当初から、脱税を敢行していたものである。本件は、被告人の租税制度に対する挑戦的思考に基づき永年敢行された犯罪の一部が発覚したものであり、ほ脱額が多額に上ったのは、被告人の右のような思考とその実践の結果であって、バブル経済とは、全く無縁である。

売上除外は、被告人の意思により、美由紀、神森に指示してさせたものである。これをやめさせることも、その程度を押さえることも、被告人の意思で決定できたのであるから、売上増加の原因が経済環境の影響を受け売上げが増加し、事業主にとってぎょうこうであったとすれば、これを国に還元すべきである。これを機に税のほ脱をし、あるいは、ほ脱額を増加させる行為などは、むしろ強く非難すべきである。被告人は、バブル経済のさ中ではない昭和六〇年は正規の所得の五五パーセントをほ脱していたところ、同六一年は九八パーセント、同六二年は九七パーセントと、所得の殆どをほ脱しているのであり、ほ脱額が高額になったのは、そのためである。これをバブル経済の影響のためとした原判決は、その前提を誤っているばかりではなく、そもそも好況等の理由で寛刑を言い渡すことは、脱税行為を正当化することにもなりかねず、強いては、申告納税制度を破たんに追いやることにもなるのであり、断じて容認できない。

なお、本件は、前記第一の二のとおり、同期間の名古屋地方裁判所管内におけるほ脱額が最も高額な悪質事案である上、ほ脱額が六億八、一〇〇万円余の事案(別紙1番号11)にあっても、懲役刑の実刑判決が言い渡され、確定している。

二 原判決は、「被告人は、昭和一七年に医師免許を取得し、愛知県の一色町内で長年患者本位の医師として稼働し、女手一つで克彌を育て上げると同時に、学校医を務めるなど、医療活動を通じて、長期間にわたり地域住民の医療や健康に貢献してきた」と判示している。しかし、医師は、「医療及び保健指導を掌ることによって公衆衛生の向上及び増進に寄与し、もって、国民の健康な生活を確保する」(医師法第一条)使命があり、親がその子女を養育するのも、当然の義務である。国民は皆それぞれの立場において、応分の社会的貢献をしており、また、女手一つで子女を養育している者も多数いるのである。右判示のような事柄は、被告人に特有なことではなく、多額脱税事件の首謀者として敢行した者の刑の執行を猶予する情状に値しない。

しかも、被告人は、前記のとおり、自らの所得税と克彌の所得税をほ脱するためにカルテを廃棄し、あるいは、内容虚偽の事項を記載していたのである。診療録の記載とその保存(医師法第二四条)は患者に正しい医療を施すために必要不可欠であるのに、被告人は、自己及び克彌の不正な蓄財のため、患者を犠牲にすることもいとわなかったものである。現に高須クリニックの患者の診療上、手術後出血が止まらないとか、化膿したなどの訴えがあった場合に、その対応に苦慮する事態が生じていた(記録八四一丁の九八七裏ないし九九二表、九九八表ないし一〇〇〇裏、一〇〇三表ないし一〇〇四裏)のであり、患者本位の医師として稼働していたものとは到底言えない。

三 原判決は、「本件脱税発覚を契機に克彌のため、高須家のために良かれと思ってした収入除外が裏目に出、克彌らに多大な迷惑をかけたことを反省し、平成元年四月に高須病院の院長及び理事長を辞任し、わずかな医師としての仕事のほかは自宅で静かに謹慎の日々を送っている。」と判示している(記録七四三丁裏)。しかし、納税は、国民の基本的義務(憲法三〇)であって脱税行為は、誰のためでもいかなる場合であっても「良かれと思って」なす行為ではないのであるから、これを肯定的に捉える場合もあり得るかのような原判決の態様は極めて遺憾であるし、脱税が発覚したことを「裏目に出た」と評するにいたっては論外である。

また、被告人の「申し訳ない」旨の言辞は、経営者でありながら脱税行為を放任し、あるいは、脱税の実行をした克彌、美由紀、神森に対する気持ちを表した(記録八四一丁の九一五表、裏)のであって、本件が国家社会に及ぼした影響については何らの言及もないのであるから、被告人には、心底からの反省の念が欠如していると言わざるを得ない。

また、被告人が高須病院の院長及び理事長を辞任したのは、被告人の長女の夫廣正彦(昭和二二年生まれ)に跡を継がせる時期が来たからであり(記録八四二丁の四七三表ないし四七四表)、謹慎という点についても、診療行為を減少させたほか、特段に具体的行為はなく、前述のとおり、反省の念が欠如している者については、右のようなことをもって、有利な情状とすることはできない。

四 原判決は、「従来からことあるごとに福祉施設や学校などに現金や品物を寄付してきたが、今日の阪神大震災の惨状を目の当たりにして、反省の証として、自身の老後に備えて約五〇年間に営々と蓄えた金員の全てである七、〇〇〇万円を贖罪寄付した。」と判示している(記録七四三丁裏)。

しかし、被告人はその供述するところに限っても「年収四、〇〇〇万円くらいあった。」のであり、本件脱税犯行当時である昭和六一年ないし同六三年分の被告人の年収は、医療法人社団福祉会理事長としての給与に不動産所得及び配当所得等を合計して、同六一年分が約六、二七〇万円、同六二年分が約六、一六八万円、同六三年分が約六、三三八万円の高額に上り、同理事長退任後である平成六年度の被告人の年収は、同病院医師としての給与に不動産所得及び配当所得等を合計して五、三〇三万円あった(控訴審で立証予定)。また、本件が発覚した当時、被告人は二〇数億円のいわゆる裏財産を管理していたのであるから(記録八四一丁の七六四表)、「(七、〇〇〇万円は)私が五〇年ほど前から蓄えてきたものを全部解約して作ったものです。」旨の被告人の供述(記録八四二丁の七七五表ないし七七六裏)は、余りにも事実とかけ離れており、これを鵜呑みにした原判決は明らかに誤っている。被告人が老後に備えて営々と蓄えた金額が幾らであるかについては、被告人が医師となって以来継続して脱税したことを考慮して確定する必要がある。

そもそも、寄付による贖罪を認め、これを過大に評価して、寛刑を言い渡すことは、貧富の差によって刑の軽重に差をつけることになりかねないのであるから、行った犯罪の種類、被告人の資産形成状況、その内容・額、世論の動向等を洞察し、これを情状に反映させることの可否、その程度については慎重に考慮することを要する。しかるに、国の諸施策は毎年会計年度に歳入歳出を予算編入し国会の議決を経て行われるところ、租税は、国の歳入の重要部分を占めている。したがって、租税は、その時々において正しく申告し、実行されなければ、国の施策を滞らせ、国民全体がその影響を受けることになる。脱税により、国家財政の歳入を免れながら、これを被告人の好みにより寄付したからといって、既に犯した脱税の罪を贖うことにはならない。すなわち、租税ほ脱事犯については、寄付と贖罪はなじみ難いのであり、これを過大に評価し、寛刑を言い渡すことは、刑事政策上弊害を生み出す原因となりかねず、到底認容し得ない。

五 原判決は、「被告人は、現在七三歳の高齢であり、昭和五六年以降愛知医科大学に、高血圧症、狭心症、大腸ポリープなどのため度々入院し、現在も高血圧症、狭心症、大腸ポリープなどのため度々入院し、現在も高血圧症と狭心症を中心として継続して治療を受けていることなどの事情が認められる。これらの事情を参酌すると、再犯のおそれの殆どない被告人を一般予防け見地を強調して実刑に処するより、日常生活の中で更正の機会を与えるのが刑政に適う。」と判示している(記録七四三丁裏、七四四丁表)。

しかし、刑の執行を猶予するか否かは、刑法第二五条に定める執行を猶予することができる情状があるか否かによるのである。この情状は、犯情が軽微である場合に、執行を猶予することによって、再犯の防止が期待されるか否かによるものであって、本件のように行った犯罪が重大、悪質な場合は、それだけで刑の執行を猶予されることは許されないと言うべきである。

現に、前述した別紙2番号4に徴すると、紅谷和助は、判決確定時(平成六年四月五日)六九歳であり、同番号16の竹井博友は、確定時(平成四年五月一二日)七一歳であり、被告人と同年代の年齢七〇歳前後の高齢者の脱税事犯についても、ほ脱額が多額に上るものは実刑判決に処せられているのであって、これが正しい量刑の在り方である。

また、被告人は、本件脱税事犯で裁判になってからもなお高須病院で患者の診療活動に当たり(記録八四二丁の一三八表、六九一裏ないし六九二表)平成五年五月一七日、胆石、胆のう炎、胆のう周囲膿瘍により、愛知医科大学病院において、入院治療を受け、同年六月二五日退院後、主として、高血圧、狭心症を中心に同病院において、通院治療を受けていたが、右退院後は、一週間に一回くらい高須病院において、診療業務に従事し、その後段々回数を増やし、同六年二月二五日ころには、週三回の診療業務に従事していた(記録八四一丁の一一〇五・一一〇六「高須登代子殿の臨床経過」と題する医師小林作成の書面一通、八四二丁の一三八表、四八三表、六九一裏ないし六九二表)。

さらに、被告人は、現在(平成七年一〇月)もなお、週に、月曜日・水曜日・木曜日の三回、高須病院において、小児科・内科・婦人科の各診療科目の担当医師として診療活動に従事しているほか、同病院近くの一色町大字赤羽字郷中一四番地所在の真宗大谷派・親宣寺の赤羽別院改修落慶法要(同月七・八日開催)の稚児行列に参列する等の地域活動にも従事している(控訴審で立証予定)。

原判決が、被告人は高齢であるとか、入・通院治療を受けていることに言及したのは、刑事訴訟法第四八二条第一号、第二号を念頭に置いたものと推測される。しかし、自由刑執行停止の趣旨は、自由刑の純化を図り、その執行を純粋に受刑者個人の身体的自由のはく奪に限り、受刑者に刑を超える不当な不利益を与える場合に、検査官の指揮によって執行を停止することができるとしたものである(注釈刑事訴訟法第四巻六〇三ないし六〇四ページ)。もとより、この判断は、刑の執行指揮をする段階で、検察官が判断する事項である。

そして、右に論述したとおり、被告人は、服役に耐ないほど老齢、病弱ではない。

最後に再犯の可能性についていえば、被告人は、長年にわたり、脱税をしていることからも明らかなように、その性行は強固であると認められること、被告人の反省の言辞は、税に対する正しい認識に基づく心底からの反省とは言えないこと、本件が、高須クリニックの使用人に指示して敢行されているように、脱税は自ら手を下さなくとも、高齢者でも可能であること、被告人は、高須病院からの報酬に加え、多額の財産を有しており、それによる利子、賃料、株式配当等の収入があること(記録八四二丁の三三二表、裏)、克彌は、コンピューター導入により再犯の防止策を講じたというが(記録八四二丁の六五三表)、コンピューターの操作は人間がするものであるから、これをもって脱税を完全に防止することは困難であること等に徴すると、原判決のように「再犯のおそれの殆どない」等と断ずることは到底できない。

以上、本件犯行は極めて悪質である上、被告人については、再犯が危惧されるのであって、実刑をもって臨むほかない。

第七 結論

以上、本件は、ほ脱額が極めて多額な大規模な脱税事案である上、被告人が終始中心となって画策し、被告人に忠実な事務員に指示して売上除外を実行させるなど犯行の手段・方法が計画的・巧妙であること、優遇税制が国民の関心の的となっている医師による犯行であり、社会に及ぼす影響も重大であることから、被告人に対しては厳罰をもって臨むべきであるのに、原判決は、事実を直視せず、または、採るに足らない情状を被告人に有利に過大に評価したため、検査官の求刑より下回る刑の執行を猶予したものであって、その刑の量定は、同種事案の量刑事情に比較しても著しく軽きに失し不当であるから、これを破棄して更に適正な判決を求めるため、控訴に及んだ次第である。

別紙1

昭和60年から同62年の間の会計年度における名古屋地方裁判所管内同種事件量刑調査表

<省略>

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別紙2

同種事件量刑調査表

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