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名古屋地方裁判所 昭和51年(ワ)2668号 判決

原告

山之口英二

原告

山之口ミツル

原告

山之口幸子

原告

山之口直樹

右法定代理人親権者母

山之口幸子

右四名訴訟代理人

成田薫

成田清

内河惠一

湯木邦男

秋田光治

被告

右代表者法務大臣

住栄作

右指定代理人

鹿内清三

外三名

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告山之口英二及び同山之口ミツルに対し各金一六五万円、同山之口幸子に対し金一、四〇〇万円、同山之口直樹に対し金一、五〇〇万円並びに右各金員に対する昭和五〇年七月四日から各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  (当事者)

(一) 原告山之口英二(以下、原告英二という。)は亡山之口敏美(以下、敏美という。)の父、原告山之口ミツル(以下、原告ミツルという。)は敏美の母、原告山之口幸子(以下、原告幸子という。)は敏美の妻、原告山之口直樹(以下、原告直樹という。)は敏美と原告幸子との間の子である。

(二) 被告は、名古屋市中区三の丸四丁目一番一号に国立名古屋病院(以下、単に国立病院という。)を設置し、これを運営しているものである。〈中略〉

3  (被告の責任)

(一) 敏美は、昭和五〇年六月一九日、国立病院に入院した際、被告との間で、敏美の身体の異常につき医学的解明を加え、これに対する十分な医療行為を行なうことを内容とする診療契約(以下、本件契約という。)を締結した。

(二) 被告は、本件契約に基づき、高度な医療知識及び医療技術を用い、難治な疾患に対しては、各科の協力体制を確立し、全体的有機的治療を行なうべき債務を負つた。〈以下、省略〉

第三  証拠〈省略〉

理由

一(当事者間に争いのない事実)

1  請求原因1の事実は、当事者間に争いがない。

2  請求原因2の各事実のうち、敏美が田中病院で診察を受けたこと、田中医師の紹介で国立病院に転院することとなり、昭和五〇年六月一九日、同病院の内科に入院したこと、敏美は、同病院に入院した当初は、自力で洗面、食事等のできる状態であつたこと、同月二八日まで、敏美の症状に重篤な変化のなかつたこと、同日、児玉医師が病室に来室して、「患者は普通に寝ているのではない。昏睡状態に入つたのだ。」と述べたこと、同月三〇日午前一一時ころ、原告英二が、児玉医師に対し、敏美の病状の説明を求めたこと、敏美は、次第に全身的な黄疸及び腹部膨満症状が著しくなり、同年七月一日午前一時ころ昏睡状態に陥つたこと、宮田医師が敏美を診察し、このままでは危ないとして、血液の交換をするために五〇名から六〇名の献血者を直ちに集めるように指示した後、敏美を手術室へ運んで交換血漿療法実施の準備を始めたこと、同日、宮田医師が献血者から採血したこと、敏美が脳波検査を受けたこと、第一回目の交換血漿療法が実施されたこと、同月三日午前一時ころ、敏美の左足に施されていた注射針の部分から血液が相当漏れて左足からシーツまで汚れ、原告英二らがその旨を看護婦に伝えたこと、このあと鷲野医師が病室に来室したこと、同日午前七時ころ、児玉医師が病室を訪れ、原告英二を廊下に呼び出したこと、同日午後零時ころ、須賀医師が病室を訪れ、原告英二らに対し、「病室は私の受持の七階七七〇号室に今日の午後四時までに移つてもらいます。」と述べたこと、次いで上園看護婦長が原告らに話をしたこと、同日午後、原告らが宮田医師と会い、同医師に対し、「この病院で頼れるのは宮田先生だけだ。宮田先生の病室に移していただけなければ、敏美はすぐ鹿児島へ連れて帰ります。」と述べたこと、宮田医師が、「私が責任をもつて治療を続けます。とりあえず病室は七階七七〇号室に移つて下さい。敏美さんが独りで飯を食べれるようになるまでお互いに頑張りましよう。」と述べたこと、敏美が、七月四日、七七〇号室で第二回目の交換血漿療法を受けたが、効を奏することなく、同日午後一〇時五分、同病室において死亡したこと、以上の各事実については、いずれも当事者間に争いがない。

3  請求原因3(一)の事実は当事者間に争いがない。

4  請求原因4の事実のうち、敏美の生年月日が昭和二〇年二月一五日であることは当事者間に争いがない。

二(敏美の疾病及び治療について)

〈証拠〉に前記当事者間に争いのない事実を併せると、敏美の症状は以下12記載のとおりであり、かつ、同人はB型肝炎ビールス感染による甲型肝硬変に罹患しており(但し、その罹患時期は、証拠上明らかではないが、後記1のとおり、敏美が田中病院に入院した時点では既に罹患していた疑いが強い。)、これに起因する消化管出血により死亡したものと認められ〈る。〉

なお、敏美が田中病院で肝炎との診断を受けていたことは後記1のとおりであり、〈証拠〉によれば、敏美が、死亡後剖検に付され、「直接死因は(肝性昏睡)消化管出血、その原因は亜急性肝炎」との死亡診断書が作成されたことが認められるのであるが、〈証拠〉によれば、右死因の記載は、剖検の際の肉眼所見に基づく暫定的な診断結果に過ぎず、その後の組織標本に対する検査の結果等から前記肝硬変の確定診断が得られたことが認められるのであるから、右死亡診断書の記載は、敏美の疾病が肝硬変であるとの前記認定の妨げとはならない。

1  敏美は、昭和五〇年四月一九日、咳が出る旨を訴えて田中病院で初診を受け、気管支炎と診断されて同病院に通院していたところ、肝炎に罹患している疑いが濃厚となり、同年五月二一日、同病院に入院し、諸種の検査を受けたほか、点滴等の治療を受けたが、次第に黄疸及び腹部膨満等の症状が著しくなり、同月二六日の検査結果が別紙検査成績表(一)のとおりであつたことから、同月二八日、肝炎の診断が下され、その後、更に症状が悪化したため、同年六月一九日、田中医師の紹介により国立病院の内科に転院した。なお、同日の検査結果は、別紙検査成績表(二)のとおりであるが、右各検査結果によれば、敏美の血清中のチモール(正常値は零ないし四U/cc)、クンケル(正常値は四ないし一〇U/cc)、グルタシン酸オキザロ酸トランスアミナーゼ(GOT・正常値は八ないし四〇U/cc)、グルタミン酸ビルビン酸トランスアミナーゼ(GPT・正常値は五ないし三五U/cc)等がいずれも異常な高値を示していることが認められるところ、〈証拠〉によれば、これはいずれも重篤な肝疾患の徴候と認めることができ、かつ前記のとおり黄疸、腹部膨満がみられたのであるから、敏美は、田中病院入院中から既に相当重篤な肝疾患(〈証拠〉によれば肝硬変である疑いが強い。)に罹患していたものと推認することができる。

2  敏美の国立病院入院後の症状及び治療等は、次のとおりである。

(一)  昭和五〇年六月一八日ころ、須賀医師は、田中医師から、肝炎で入院中の患者で、黄疸が強くて腹水があり、経過の思わしくない患者がいるとの電話による紹介を受けたが、同医師の受持病棟に空床がなかつたことから、児玉医師にその旨を連絡した。児玉医師は、当時、多くの重症患者を抱えていたものの、受持病棟である西六階をやりくりして、同月一九日に敏美を入院させることとし、同医師が主治医として敏美の診療を担当することになつた。

(二)(1)  同月一九日、敏美が国立病院に入院したので、同病院の岩花医師が敏美を問診したところ、同人から昭和五〇年四月中旬から倦怠感が出現し、五月に入つて食思不振、不眠があり、尿の色が褐色となり、更に黄疸に気がつき田中病院に入院したこと、田中病院での診療にも拘らず、黄疸は次第に増強し、次いで六月一〇日から腹部膨満、乏尿が出現し、口渇があり、三日前から三八度台の発熱があつた旨の訴えがあり、また、同日午後二時前後ころ、須賀、児玉及び宮田の三医師が敏美を診察したところ、同人の目、皮膚等全身が茶褐色傾向を帯びるほど黄疸が強く、腹部膨満が著明で腹水があり、家族に肝炎が多発する家系ではないかとの疑いが持たれた。そして、田中病院における検査結果もほぼ敏美の訴えどおりで前記のような異常値が示されていたことから、主に診察にあたつた児玉医師は、敏美の疾病は亜急性肝炎より肝硬変である疑いがより濃厚であると診断し、これに対する診療をすることとなつた。

なお、国立病院では、昭和五〇年五月ころから、須賀医師の発案により、肝性昏睡に陥つた患者に対し交換血漿療法を必要とする場合にこれを担当する肝性昏睡治療チームが組まれていたのであるが、宮田医師は、同チームのメンバーであり、交換血漿療法の中心者であつたため、須賀医師から事前連絡を受けて敏美に対する右診察に加わつたものである。

(2)  同月二〇日午前六時ころ、敏美の肝機能検査及び一般血液検査のため採血が行なわれ(その結果は、同月二四日に判明し、別紙検査成績表(三)のとおりである。)、腹水の検査成績は、比重1.012、リヴアルタ(一)、蛋白量0.6、細胞種類は殆んど好中球で他は少数の組織球のみ、腫瘍細胞なしであり、同日午後、心電図検査(その結果は、同月二三日判明し、異常なし。)及び胸部レントゲン撮影が実施された。また、同日、肝炎ビールスの検査が実施されたが、その結果オーストラリア抗原(+)の反応が出た。

(3)  同月二三日午前九時三〇分ころ、児玉医師が診察したところ、敏美の腹水に変化はなかつたが、同人から、排便回数が多く、右下腹部圧痛及び口渇の訴えがあつた。

なお、同日、消化器診断センターにおいて定例の症例検討会が開かれたが、その場で敏美の疾病について、亜急性肝炎は否定し切ることができないが、肝硬変である疑いが強く、現在のところ交換血漿療法の必要はないが、肝性昏睡に陥つた場合に備えて同療法の準備をしておく必要がある旨の話が出たところ、特にこの意見に異論は見られなかつた。

(4)  同月二四日、児玉医師は敏美を診察し、食道及び胃の透視を行なつたところ、食道には静脈瘤らしい所見が認められたが右食道静脈瘤は、肝硬変に見られる臨床症状であることから、肝硬変罹患の考えを一層強くした。

(5)  その後、敏美は、同月二八日まで意識も明瞭であつたため、交換血漿療法の必要性が認められず、入院当初から同月二八日までは、内服薬の投与、点滴注射などの保存的肝庇護の治療が行なわれるに止まつた。

(6)  同月二九日、午前六時三〇分ころ敏美は、意識は明瞭であつたが、「今日は何月何日であるか。」との問に対して「分らない。」と答え、全身の倦怠感が強度であつた。同日午前一一時ころ、児玉医師が自宅から病棟へ電話で問い合わせると、意識明瞭、食思良好、気分よしとのことであつた。

(7)  同月三〇日午前五時三〇分ころ、敏美は、失禁し、「うるさいなあ。」と言うのみであり、同日午前八時三〇分ころ、児玉医師が診察したところ、意識混濁し、「ばかやろう。」を連発し、体動激しく、大声を発するので、他の入院患者の安静を妨げないため及び敏美に対する治療看護を容易にするため、同日午前一一時一〇分ころ、同人は、四人部屋から個室に移された。

なお、児玉医師は、原告英二に対し、肝硬変症で昏睡に入ると予後は非常に悪いこと、昏睡に対し現在の保存的療法で改善が見られない場合には、交換血漿療法による治療もあるが、肝硬変であるときは適応でない旨を説明した。

そして、同日午後一時三五分、敏美の体動はおさまつたが、当直していた宮田医師は同日午後一二時ころ夜勤看護婦長から、敏美が肝性昏睡に陥つて暴れている旨を聞き、敏美を診察したところ、同人は、痛覚刺激に対しては「痛い。ばかやろう。」と言つて反応するが、呼名に対しては応答がなく、肝性昏睡三度であると認められたことから、宮田医師は、先に肝性昏睡治療チームで決められたところに従い、交換血漿療法を採るか否か意見を聞くべく児玉医師の自宅に電話を入れたが連絡がとれず、ついで須賀医師の自宅へ電話を入れたところ、同医師から同療法に入るよう指示があつたので、その準備にとりかかつた。

(8)  翌七月一日午前零時五分ころ、宮田医師は、原告英二に対し、敏美に対して交換血漿療法を実施する旨を説明してその了承を得たうえ、同日午前零時五〇分ころ、看護婦に対して、敏美の血液検査及び脳波検査等をするように指示し、同日午前一時四八分から午前二時四三分まで敏美の左手の動静脈シャント手術を実施した。そして、敏美は、同日午前九時三〇分ころも意識混迷が認められ、同日午前一一時四五分ころには神経反射の低下が認められたことから、同日午後一時二五分から同日午後四時三七分まで、第一回目の交換血漿療法が実施された。

(9)  第一回目の交換血漿療法実施直後は、敏美の意識に改善は見られなかつたが、同日午後五時五〇分ころ、体動があり、原告らが「いうことを聞かないと家に連れて帰る。」と言うと、「連れて帰つてよ。」と返答できるようになり、翌七月二日は痛覚のみ反応があり、翌七月三日は、再び呼名に応答できるようになつた。しかし敏美は、その後、再び意識が悪化し、同年七月四日午後一時には呼名に対して応答なく、痛覚反応のみの状態となつた。

なお、同年六月三〇日、血清アミラーゼ検査(検査結果は、一八四U/dl・正常値は、六〇ないし一六〇U/dl)、翌七月一日、二日及び四日にそれぞれ血液検査及び出血傾向についての検査が実施されたが、血液検査の結果は、別紙検査成績表(四)(七月一日に三回実施されたうちの一回目分)、(五)(同月二日検査分)及び(六)(同月四日検査分)に各記載のとおりであり、出血傾向検査の結果は、七月一日及び二日は無、同月四日は有であつた。

(10)  ところで、宮田医師は、同年七月二日午後一時ころ、原告英二から敏美の予後と今後の治療について説明を求められたので、意識が回復しなければもう一度交換血漿療法をしなければならない旨説明していたが、翌七月三日須賀医師から、原告英二が第二回目の交換血漿療法の実施を希望していること、同医師もそれが望ましいと考えている旨連絡をうけ、一方宮田医師自身、一旦同療法をとつた以上敏美が快癒するか死亡する迄はこれを反覆実施すべきであると考えていたことから肝性昏睡治療チームに計つたうえ、敏美に対する第二回目の交換血漿療法の実施を決定した。ところが、当時、敏美の入院していた西六階内科病棟には敏美のほかにも重症患者が多数おり、同病棟で外科的療法である交換血漿療法を実施することについて、同病棟の看護婦から繁忙であることや同療法実施に伴う肝炎ビールスの伝染による危険から難色を示される等したこともあつて、児玉医師も同病棟での実施に消極であつたため、宮田医師と須賀医師が話合つて、当日比較的重症患者の少なかつた東七階病棟(須賀医師の受持病棟)に敏美を転床させることとし、その旨が原告英二に伝えられた。

(11)  東七階病棟の七七〇号室に転床後、翌七月四日午後一時二〇分から午後七時までの間、同病室において第二回目の交換血漿療法が実施されたが、その後も敏美の意識は回復せず、同日午後一〇時五分、敏美は死亡し、翌七月五日、剖検に付された。

三(被告の責任について)

1 敏美の治療にあたつた国立病院の医師及び看護婦らは、いずれも、本件契約についての被告の履行補助者であると認められる(本件契約の締結につき、当事者間に争いのないことは、前記一3のとおりである。)ところ、原告らは、敏美に対する検査及び治療の点において右履行補助者に履行の懈怠があり、本件契約に債務不履行があると主張するので、この点について判断する。

(一)  敏美の疾病が甲型肝硬変であつたことは前記のとおりであるところ、〈証拠〉を綜合すると、肝硬変の一般症状及びこれに対する一般的治療方法は次のとおりであることが認められ〈る。〉

(1) 肝硬変は、(イ)結節の形成、(ロ)間質性隔壁の形成、(ハ)肝小葉構造の改築及び(ニ)慢性の病変で定義付けられるところの肝が硬い結節状となる疾病であり、そのうち、長与及び三宅の分類による甲型肝硬変(壊死後性肝硬変)は、広汎な肝細胞壊死とその瘢痕化、残存肝細胞の結節性再生を主体とする肝硬変で、その成因は、ビールス肝炎または中毒性肝障害である。肝硬変の典型的な自覚症状はなく、初発症状は多様であり、全身倦怠、体重減少、易疲労感、腹部膨隆等の漠然とした症状で始まることが多いが、臨床症状としては、肝血流障害に起因する門脈圧亢進(腹水、側副血行路の発達に基づく食道静脈瘤等が出現する。)及び肝内外血管短絡(脳神経症状、血中アンモニア上昇が出現する。)、肝実質機能低下に起因する種々の代謝系の異常(貧血、出血傾向、黄疸等が出現する。)等がある。肝硬変の予後は一般に悪く、腹水出現後の一年生存率(昭和四七年当時)は五〇%強、肝性昏睡後の一か月生存率(昭和四七年当時)は五〇%未満であり、肝硬変による死亡の原因の大部分は、肝性昏睡及び消化管出血の一方または両方である。

(2) 肝硬変に限らず、慢性肝疾患の治療法には、(イ)安静等の一般的治療、(ロ)高蛋白食の投与等の食事療法及び(ハ)肝の生理的再生能の賦活及び病態の進展阻止を目的とする薬物療法の三原則があり、これらの相乗によつて初めて治療の効果が期待されるが、いずれも対症療法の域を出ないものであり、それによる一般状態の回復を待つ以外にないとされている。このうち薬物療法としては、抗炎症作用、線維化の阻止等を目的とする副腎皮質ステロイド剤の投与・腹水対策としての利尿剤、カリウムの投与、消化管出血防止等を目的とするビタミンK、硫酸マグネシウムの投与及びカナマイシン等の抗生物質の大量投与等がある。

(3) 肝障害の結果、脳代謝障害から意識障害すなわち肝性昏睡が発症することがある。そして、肝性昏睡後の予後が悪いことは前記のとおりであるところ、これに対する治療としては、高アンモニア血症の原因、誘因の除去、前記消化管出血の防止のほか、意識障害発現後における低蛋白食の投与等がある。

(4) 交換血漿療法は、血液中の血漿成分のみを大量に交換輸血する療法であり、主として肝性昏睡からの回復を目的として実施されるものである。同療法のうち赤血球と血漿とを分離する方法である3C・PEは宮田医師らの考案にかかるものであり、この3C・PEによる交換血漿療法により、患者の赤血球は患者に再び返され血漿のみが交換されるのである。

一般に、交換血漿療法は、肝性昏睡に適応があるとされているが、肝硬変には意識の一時的改善以外には適応がないとの医学的見解が有力であり、また、同療法実施後の予後(特に生存率)については医学上の見解が分れている。

ところで、3C・PEによる交換血漿療法実施についての宮田医師らの症例報告によれば、全八例のうち、劇症肝炎患者一例につき救命が認められたほかは、亜急性肝炎患者一例につき肝性昏睡からの覚醒(但し、七日後、肺炎を合伴して死亡。)が、肝硬変患者六例中三例に一時的な意識の改善(同六例は治療後一ないし一八日間生存後、死亡。)が認められたに止まつており、かつ、右一例の救命例は、昭和五〇年八月二二日に実施されたものであるから、本件の敏美に対する実施以前には、3C・PEによる救命例はなかつたことになる。

(二) そこで、本件について検討すると、敏美に対して、六月二〇日、七月一日、同月二日及び同月四日に血液検査が実施された他、腹水や肝炎ビールスの検査等がなされたところ、〈証拠〉によれば右各検査は肝障害についての検査として必要な項目をほぼ網羅していることが認められ、かつ、六月末日ころまでは、敏美に顕著な意識障害が見られず、この間小康状態が続いていたことは前記二2のとおりであるから、六月二〇日から同月末日までの間、被告が敏美の血液検査等をしなかつたとしてもこれをもつて直ちに検査の懈怠があつたとは認めることはできず、また、最初の肝性昏睡の後は、ほぼ連日、敏美の血液検査が実施されており、肝性昏睡からの回復および予防に際しての検査義務は十分に尽されていたと認められる。従つて、原告らの検査義務不履行の主張は、これを採ることができない。

(三)  次に敏美に対する治療の当否について検討する。

(1)  〈証拠〉を綜合すると、敏美に対し、六月二八日までは、肝機能保護強化の目的で、一〇%オイトリット五〇〇cc、タチオン六〇〇mg、ビタミンC一〇〇mg、カチーフN三〇mgが連日投与され、同月二八日からは、これに加えてアドナ、トランサミン等が投与され、六月一九日から同月二九日までは、胃透視が実施された同月二四日を除き、連日高蛋白食が投与され、意識障害の顕著となつた六月三〇日にはこれを止め、翌七月一日からは絶食とし、更に腹水対策としてラシックス、リンデロンが連日投与されたことが認められる他七月一日及び同月四日に交換血漿療法が実施されたことは当事者間に争いがないところ、このうちの薬物療法及び食事療法のいずれもが、敏美に対する治療の目的に適つたものであることは、前記認定の医学的知見に照らし十分に首肯し得るものであると認められる。また、敏美が甲型肝硬変であるとの確定診断が得られたのが同人の死亡後であること、交換血漿療法は肝性昏睡からの回復を目的として実施されるものであることは前記のとおりであるから、未だ敏美に対する適応のないことが断定できず、かつ、肝性昏睡三度の昏睡からの回復の必要が現実化し、これについて原告ら敏美の家族から強い要望のあつた七月一日及び同月四日の段階における右二度にわたる交換血漿療法の実施は、適切な時期に最大限の治療が尽されたものと解することができるところである。このように、本件全証拠によつても、国立病院医師らの見解の対立等によつて、現実に敏美に対してなされるべき治療が阻害されたとは認められず、却つて、〈証拠〉によれば、二度にわたる交換血漿療法の実施には、児玉医師、宮田医師、須賀医師及び鷲野医師が協力してこれに当つたことが認められるのであるから、結局、敏美に対する治療の点についても、被告に本件契約の債務不履行があつたと解することはできない。なお、〈証拠〉によれば、七月一日に、「明後日からカナマイシン1.5g」投与すべき旨指示されたことが認められ、その後、これが投与されたことを認めるに足りる証拠はないが、この段階でカナマイシンを投与したとしても敏美の死亡の結果を避け得たか否かが疑わしく、前記三1(一)(2)のとおり、カナマイシンは消化管出血防止の目的で使用されるところ、肝性昏睡後の七月一日及び二日の時点では敏美に出血傾向が認められなかつたのであるから、このことのみで、被告に治療義務違反があるとすることはできない。

(2) また、肝性昏睡治療のためのアンモニア増強因子の除去であるが、敏美の死因が消化管出血であることは前記二のとおりであるところ、〈証拠〉によれば、この消化管出血の原因は、主として食道静脈瘤の破裂、血中プロトロンビン減少等による出血傾向に起因する消化管粘膜面からの出血等であるが、これと肝性昏睡との関係について考えると、前記三1(一)(1)のとおり、消化管出血も肝性昏睡も肝硬変による肝機能不全に由来する点において軌を一にし、ときに消化管出血が肝性昏睡を誘発することはあるが、いずれにしても肝機能不全を原因とする独立した疾患であり、仮りにアンモニア増強因子除去等により肝性昏睡を防止でき得たとしても、それによつて肝機能自体が改善されるのでない限り消化管出血を防止でき得ることにはならないのである。そして、肝機能自体の直接的な回復とりわけ門脈圧亢進の改善のための適切で抜本的な療法がないことは前記三1(一)(2)のとおりであり、かつ、〈証拠〉によれば、敏美に対する第一回目の交換血漿療法実施後は、同療法を含む各種肝性昏睡対症療法の実施により、同人の血中アンモニアも別紙検査成績表(五)及び(六)のとおり、一応正常値(四〇ないし七〇μg/dl)を保つていたことが認められるのであるから、結局、児玉医師がこれと言つたアンモニア増強因子除去療法をせず、また七月一日以後もこれが充分に尽されなかつたとしても、それらが敏美の消化管出血による死亡と結びついたとは認定できず、従つて、この点に関する原告らの主張は失当である。

2  次に国立病院の医師らが医師らの間の見解の対立等から敏美や原告英二らに対し常軌を逸する不当な言動をなし、同人らに著るしい精神的苦痛を被らせ、また、このために交換血漿療法の実施時期を誤つたと主張するので判断する。

(一)  まず、原告英二本人尋問の結果及び弁論の全趣旨を綜合すると、原告英二らは、国立病院の医師らの対応、言動等を次のように受け取めて理解していたものであることが認められる。

(1) 敏美は肝疾患の治療を受けるため、国立病院に入院したのであるが、原告英二らは、罹患疾患が肝炎であるならば治癒も可能であると考えていたところ、六月二一日及び同月二三日の二度にわたり、児玉医師から、敏美は肝硬変だから助かる見込のないことを告げられ、強い精神的衝撃を受けた。そこで、原告英二らは、児玉医師から了承を得て、敏美を実家のある鹿児島へ連れ帰ろうとしたが、七月一日に至り、敏美の容態が急激に悪化したため、看護婦を呼んだところ、宮田医師が初めて病室に来室して敏美を診察した。宮田医師は、敏美を診察した後、交換血漿療法を施せば四人に一人は助かるから献血者を集めるよう原告英二らに指示したことから、同原告らは、これを聞いて感激し、最後の望みを宮田医師に託した。

(2) ところが、原告英二らの依頼を受けた献血者が採血中、児玉医師がやつてきて、原告英二や献血者の一人に対し、執拗に交換血漿療法の中止を求め、原告英二らを激怒させた。

(3) また、第一回目の交換血漿療法を終えた後である七月三日午前一時ころ、敏美の左足部の点滴針がはずれて出血し、シーツが汚れたため、原告英二らがその旨を看護婦に伝えたところ、鷲野医師が病室へ来たが、同医師は、点滴針を右腕部に差し換えたのみでシーツを交換せず、原告英二らから副木を当てて欲しい旨を要望されてもこれを拒絶する態度をとり、同原告らが再度懇願してやつと足用の長い副木を当てたばかりか、夜中に自分を起さないようにと述べたので、原告英二らは、同医師に対して強いいきどおりの感情を持つた。

(4) さらに、第二回目の交換血漿療法実施の直前である七月三日午前七時三〇分ころ、児玉医師が原告英二を呼び出して、右療法の実施の中止を強く求めたばかりか、同日午後零時ころ、須賀医師が病室に来て病室の移動を勧告し、更に、上園看護婦長が病室を訪れて原告英二らに、今後は敏美の治療に協力しないと告げた。

(二)  しかしながら、〈証拠〉を綜合すると、国立病院の医師らの間には、確かに交換血漿療法の敏美に対する実施、適応等につき見解の一致しなかつた部分もあつたことが認められるものの、他方、証拠上認められる国立病院の医師らの対応、言動等は、次のとおりであつたことが認められるのである。

(1) 児玉医師は、内科医としての長年の経験等から、敏美については、初診当時から亜急性肝炎よりも肝硬変であると考えており、かつ、田中病院の検査データや先に認定のとおり黄疸が高度で腹水もたまつていることから予後はかなり悲観的であると予測し、原告英二や同幸子にその旨を伝えた、また同医師は、敏美が肝硬変である以上交換血漿療法は適応でないと考えていたことに加えて、同療法を実施するためには医師の他に二名の看護婦が五ないし七時間にわたつて専従せねばならず、当時多数の重症患者を抱えた同医師の病棟にとつて人的及び時間的に大きな負担になるばかりか、ビールス感染の心配もあつて、看護婦ら内科スタッフの協力も得にくい情況にあつたことから、肝性昏睡治療チームにより同療法の実施が決つた直後に原告英二に対し、同療法の実施を思い止まるように説得し、さらには、二度目の同療法実施に際しては宮田医師の外科病棟へ移るように求めた他、敏美への献血に協力して来院した警察官の一人に対し、交換血漿療法を実施するのは望ましくないと述べた。もつとも、原告英二らがこれを肯ぜず、同療法が二回にわたつて実施された際には、児玉医師も宮田医師に協力してこれに立会い、点滴等を担当した。

(2) 宮田医師は、七月一日午前零時過ぎころ、原告らに対し、「敏美は肝硬変の疑いが強いが肝炎であるかもしれず、肝炎であれば交換血漿療法の実施により五人に一人くらいは助かることもある。」と説明しているが、この説明は、六月一九日午後の宮田、児玉及び須賀の三医師による診察結果、同月二三日の症例検討会の検討結果とも合致し、敏美が肝硬変であるとする児玉医師の説明とも必ずしも予盾するものではない。

(3) 上園看護婦長は、七月三日原告英二に対し、看護婦達は敏美の治療に酷使されており、これ以上交換血漿療法の実施に協力できないと申入れたのであるが、これは同療法の実施が前記のように児玉医師担当病棟の看護婦の負担となつており、本来外科でなされるべき治療に協力するには限度があると考えたものである。また、鷲野医師は、深夜であることから体位変換を要するシーツ交換は避けた方が良いと考え、これを翌朝に持ち越したものである。ただ、この折、同医師は真夜中に自分を起さないようにとの趣旨のことを述べたが、これは緊急入院患者があり、付き切りでいることはできないことを強調するつもりの発言であつた。

(4) 七月三日、須賀医師は原告英二に対し当時内科には重症患者が多数あつて敏美に対してだけ特別な診療をすることはできないと告げ、さらに、児玉医師が敏美の転室を求めたこともあつて、自分の受持病棟ならば多少は手が空いていることを原告英二に説明し、敏美を受持の東病棟へ転室させた。第二回目の交換血漿療法は同病棟で行なわれた。

(三)  このようにみてくると、原告らの主張する国立病院における常軌を逸した処置というのも、事実は必ずしも原告ら主張どおりではなく、敏美の回復を切望し、国立病院に期待する原告らの心情から生じた誤解に基づく部分もあると認められる。

(四) ところで、国立病院のように多数の医師を擁する医療機関において、複数の医師が協同して特定患者の治療にあたる場合、その治療方針等につき、医師間の医学的見解が異る場合のあることは、医学が日々進歩発展しつつある一方未解明の分野も少なくない科学領域である以上、やむをえないところであるが、このような情況において、医師間では充分な検討と意思の疎通をはかり、治療に混乱をきたさないように努めるのは勿論、そのことから患者や家族に対し混乱や動揺を与えないように配慮すべきことは当然である。ただ、実際問題としては、右のような病院においては、通常主治医制が設けられており、主治医は患者を受持患者として第一次的に治療することになつているのであるから、患者の診断及び治療については、この主治医が優先的な方針決定権を有するものというべきであり、また、諸般の事情から医師間の見解が統一されないまま、医師がそれぞれの考えにのみ従つて患者や家族に対応し、説明をしたとしても、その内容が医学的に合理性をもつ以上、これによつて患者や家族に精神的打撃を与えるものであつても、医師がそのような打撃を加えること自体を意図するというような特別な事情があれば格別、医療行為及びその結果と無関係にそのような対応や説明が、履行補助者としての義務不履行になると解することはできないというべきである。結局、そのために患者や家族が不快感や場合によつては精神的苦痛を被つたとしても、それは医師の倫理上の問題として考えるべきものであつて、法的責任に結びつくものではない。

(五)  そこで、右のような観点から国立病院医師らの原告英二らに対する前記認定のような対応言動について検討する。

(1) 第一に、前記認定のとおり、第一回目の交換血漿療法実施以前には、原告英二らと主治医である児玉医師との間には同医師の悲観的な発言にも拘らずまがりなりにも信頼関係が保たれていたのに、その後、原告英二らが宮田医師の見解及び指導のみを尊重し、これに従うようになつたのは、前記のとおり、宮田医師が児玉医師と異り多少なりとも回復の可能性がないわけではない旨を示唆したことから、原告英二らは、まさに藁をもつかむ気持で宮田医師に強い期待をかけ、以後、敏美の予後についての消極的な見解を持ち、加えて交換血漿療法の中止を求める児玉医師に対して敵対感にも似た心情を抱くに至つたものと認められる。

(2) しかしながら、敏美死亡後の確定診断は甲型肝硬変であり、この点の児玉医師の見解に誤りはなかつたのであつて、この診断と前記内科病棟の事情から交換血漿療法の中止を求めたことも医学的見地からは非難すべき点はないといわざるをえない。他方、七月一日から同月四日までの間では、敏美の疾病の確定診断ができず、宮田医師の亜急性肝炎の可能性も否定し切れないとの診断も誤診とまで言い切ることはできず、かつ肝硬変であつても、肝性昏睡からの一時的覚醒に同療法は有効であるとの宮田医師の見解も直ちに不当であるとすることはできないばかりか、比迄の認定事実からすれば、同医師は繁忙の中で使命感をもつて積極的に同療法を実施し、児玉医師も結局はこれに協力したのであつて、国立病院の医師らが、現実に敏美に対する診療を拒絶ないし妨害したことのないことは前記認定のとおりである。

(3) また、上園看護婦長の申入れについても、前記のような病棟内の事情を、そのことにつき何ら責められるべき立場にはない患者家族に直接持込んだことについては、批判を免れないのであるが、ただ、交換血漿療法は外科的療法であることから、当時多忙を極めていた内科病棟の看護婦がその実施に消極的姿勢をとらせる一因となつたもので、これを体して同婦長が前記の申入れをしたことはそれなりの事情のあつたところである。

次に、鷲野医師の態度発言も原告英二らの気持を傷つけるものであつたが、その本意は前記のとおりであり、かつ敏美に対する治療の上で実習を与えたとは認められないところである。

(4) 須賀医師は、肝性昏睡治療チームのチーフとして、第二回目の交換血漿療法の実施につき、医師や看護婦の間に消極的動向があつたことから、この混乱を回避して同療法を実施するため、自らの受持病棟へ敏美を移したうえ、これを行つたもので、これが最善の方法であつたか否かはともかく、同療法を円滑に実施するための対処としては充分理解できるところである。

(5) このように、国立病院の医師や看護婦らが、結果的に原告英二らの気持を逆撫でし、これを深く傷つけるような対応をしたのも、医学上あるいは病棟運営上の観点からはそれなりの理由があつてのことで、故意に原告英二らを混乱させ、精神的苦痛を与えようとしたものではないと認められるところである。しかしながら、前記認定のような医師や看護婦らの原告英二らに対する言動の中には、その一部に同原告らの誤解もあつたとはいえ、患者の状態が切迫し不安動揺の極にあつた家族に対するものとしては甚だ配慮を欠いたものがあつたことは否定できず、まして、医師や看護婦らが前記のように原告英二らに接するにあたり、事前に内部で充分な意見調整を尽した節の殆んど窺われないことからすると、その感は一層強いところである。原告英二本人尋問の結果によると、原告英二らは国立病院側の言動に苦慮して病室で親族会を開いたことが認められるが、このこと自体極めて異常なことといわざるをえないのであつて、このように瀕死の身内を前に困惑、不安、さらには憤怒の情抑え難いものがあつた原告英二らの心情には同情を禁じえないところで、かかる事態の繰り返されることのないことを強く望むところであるが、さりとて、これによつて敏美に対する治療行為及びその結果が阻害されたことはなく、かつ医師や看護婦らに前記のような不当な意図のなかつた以上、右のような各医師や看護婦の原告英二に対する対応、言動をもつて、被告に診療契約上の義務違反があつたとすることはできないところである。

3  原告らは、予備的主張として、被告には、適応でないのに敏美に対する交換血漿療法を実施したこと及びその実施に際し説明義務を怠つた点に本件契約の債務不履行がある旨を主張する。

交換血漿療法の肝硬変及び亜急性肝炎に対する適応は、既に認定のとおりであるところ、敏美に対する同療法の実施時においては、敏美が肝硬変であつたことを確定することができず、反面亜急性肝炎である疑いも払拭できなかつたことから、宮田医師をはじめとする肝性昏睡治療チームは、亜急性肝炎であれば、僅かながらも救命の可能性もあるとし、二回にわたつてこれを実施し、現に第一回目の交換血漿療法の実施によつて若干ながら敏美の反応状態に改善が見られたのである。また、同療法の実施が患者に大きな肉体的負担をかけるものであることは、証人児玉三千男の証言からも認められるのであるが、同療法の実施が敏美に死の転帰をもたらしたとは本件全証拠によつても認められないところである。

また、同療法の実施に際し、医学的見地からこれについて患者ないしはその家族に説明すべき義務の有無であるが、同義務の存否の点は一応措くとしても、国立病院医師が原告英二らに対し、同療法による身体侵襲の程度や範囲、その危険性や予後等について、早い時期に充分に時間をかけて説明を尽していれば原告英二らの国立病院医師らに対する感情も前記認定のもとは余程異つたものになつていたと推測されるものの、この説明の如何によつて、敏美に対し施された同療法の内容やその後の効果等要するに治療上の結果について差異が生じたとは認められないところである。即ち、その実施時期、方法において医学的見地からこれが不適切であつたと認められないことは前記のとおりであり、ただ、肝硬変症には一時的覚醒以上の効果を期待できなかつたのに、実施時点で敏美が同症に罹患していると確定診断できなかつたために、先に認定のように、宮田医師が五人に一人は助かると説明し、原告英二らに強い期待感を抱かせながら結局救命効果を挙げることができなかつたというに止まるものである。とすると、仮に本件において原告ら主張のような医師の説明義務を肯定するにしても、その説明が必らずしも充分でなかつたことが実際に実施された交換血漿療法による治療上の結果を左右するものではなかつたのであるから、結局これらの点に原告ら主張のような債務不履行があつたと解することはできない。〈以下、省略〉

(宮本増 森本翅充 夏井高人)

検査成績表(一)〜(六)〈省略〉

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