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名古屋地方裁判所 昭和50年(ワ)836号 判決 1977年2月08日

原告

瀬尾茂夫

右訴訟代理人

岡田正哉

被告

石原健年

右訴訟代理人

初瀬晴彦

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実《省略》

理由

一原告が原告土地を所有し右地上に原告建物を建築して爾来これに居住してきたこと、被告が原告土地の南東側に隣接する被告土地を所有し、右地上に昭和四九年七月三〇日建築確認を得たうえ、被告建物を建築し、これを完成したこと、は当事者間に争いがない。被告本人尋問の結果と弁論の全趣旨により被告建物の建築着工は同年九月ころ、完成は昭和五〇年四月末ころであると認められる。

二原告は、右の被告建物により、日照、通風の阻害を被り、圧迫感を受けるとして被告の建物建築による右日照阻害等をもつて不法行為を構成するものとして、その受けた損害の賠償を請求する。

ところで南側土地の利用権者(所有権者を含む。以下同じ。)がその地上に建物を建築することは、それ自体は土地利用権の行使にすぎず、それにより北側家屋の日照、通風等を阻害しても、それだけで直ちに不法行為が成立するものではない。けれども日照、通風等の居住環境要素の確保も快適で健康な生活に必要な生活利益として法的保護の対象になるものであるから、土地利用権者が利用権の行使としてその利用地に建物を建築することにより、隣人が享受していた日照、通風等の生活利益を阻害することになる場合には、土地利用権と隣人の有する上記生活利益がいわば対立衝突するものである。そしてこの間を調整するためには、実質的公平の原理に従つて考えるのが相当であり、土地利用権の行使により日照、通風等が阻害される程度、日照阻害等による被害の性質、程度、地域性、公法上の規制基準違反の有無、加害者の意図、動機、加害回避の可能性、被害回避の可能性その他諸般の事情を検討し、日照、通風等の生活利益の阻害を受ける被害者において、社会生活上一般に受忍すべき限度を越えたものと認められるときには、右生活利益の阻害が違法となり、不法行を構成するものと解すべきであるが、右の限度を越えない限り、生活利益の阻害があつても違法ではないものと解される。

三そこで右の各事情について順次検討する。

(1)  被告建物による日照、通風等の阻害の程度

(イ)  <証拠>を総合すると次の事実が認められ<る。>

(一) 原告土地および被告土地の形状および面積は、別紙目録および別紙図面(一)記載のとおりであつて、原告土地は、北東から南西にかけての辺が北西から南東にかけての辺よりも相当に長い細い土地であること、被告建物は、木造瓦葺二階建で建築面積73.71平方メートル(従つて建ぺい率0.30)、延べ面積118.42平方メートル(従つて容積率0.48)、高さ7.05メートルであり、その形状は別紙図面(一)に示すとおり原告土地との境界線から約二メートル(一部分のみ約一メートル強)程度の間隔をあけて建てられた縦(南西から北東にかけて)約一一メートル、横(北西から南東にかけて)約6.5メートルのほぼ長方形の建物であつて、うち北東側の端から南西へ向つて約四メートル弱の間は平家でその他は全部二階建となつていること、一方原告建物は、別紙図面(一)に示すように被告土地との境界線から1.9メートルの間隔をあけて約7.5メートル四方のほぼ正方形の鉄筋コンクリート造陸屋根二階建の建物であり、被告土地から遠い北西側の約半分位のみが二階建となつており、南東側の約半分は平家であること。

(二) 冬至および夏至における被告建物による日影状況は別紙図面(二)記載のとおりであつて、冬至の午前九時には原告建物のほぼ全部が被告建物により日影になるが、その後漸次西側部分から回復に向い、午後一時ころには全く被告建物による日影がなくなること、なお二階部分への被告建物による日影は殆どないこと、また冬期間をすぎると漸次日照阻害の程度は弱まり、夏至においては被告建物による原告建物への日影はないこと。

(三) もつとも原告建物に対する日影は、いわゆる複合日影であつて、右に記載したような被告建物によつて生ずるもののほかに、岡田建物によつて生ずるものがあり(岡田建物によつても日影が生ずることは争いがない。)、冬至においては、右岡田建物により、遅くとも午前一一時前ころより西南部から日影になりその後漸次東側に影が伸びて午後二時ころには一階の南東側部分全体が日影になること、右のように複合日影により、冬至近くの冬期間においては、原告建物の一階は、午後西側から建物の南西部に日がさすものの、それ以外の部分は殆ど日影になつていること、右のような日影は、午前一一時ころまでは主として被告建物により生ずるものといえるが、その後は岡田建物による部分がしだいに多くなり一二時を過ぎると主として岡田建物により生ずるものということができ、午後一時ころ以降は岡田建物によつてのみ生ずるということができる(しかし冬期間をすぎると、右の複合日影による日照阻害の程度も弱まり、夏至においては日照阻害はない)。

(ロ)  因みに、<証拠>によると、名古屋市は市内の中高層建物の建築に関し建築主等に対し日照障害等に対する配慮義務を定めた「名古屋市日照等指導要綱」を昭和四九年三月二〇日から施行した(もつとも右要綱は、第一種居専用地域についていえば、高さ一〇メートル以上または四階建以上の建物について適用があるもので、本件の被告建物には適用がない。)が、右要綱によると、原告土地および被告土地は日照保全地域第一種として冬至の午前九時から午後三時までの間日照時間として四時間以上(但し敷地境界線から真北方向に対して水平距離が六メートルの地点の地盤面から1.5メートルの高さの位置におけるもの)を確保することを要し、また隣地への二時間以上の日影の範囲は、敷地境界線外の水平距離で真北方向に対して六メートル以下であることが定められていることが認められるところ、<証拠>によると、被告建物は概ね右の基準にも合致していることが認められる。

(2)  日照等の阻害による被害の性質、程度

<証拠>を総合すると、上記のような日照阻害や被告建物により採光が妨げられることにより、原告方では照明のための電力費、暖房費などを若干余分に要するようになつたこと、原告が被告建物により圧迫感を受けることを訴えていることが認められるほか原告が日照阻害等による強い不快感をもつていることは弁論の全趣旨により認められるが、原告ないしその家族等に対する健康被害等その他の被害については、これを認めるに足りない。

(3)  地域性

原告土地および被告土地を含む一角の土地は、第一種住居専用地域および第一種高度地区に指定され、建ぺい率四〇パーセント以内、容積率六〇パーセント以内に各制限されていることは、当事者間に争いがなく、第一種住居専用地域たることから、建築基準法により建物の高さは、特別の例外を除き、一〇メートル以内に制限され(同法五五条)、また昭和四七年九月一六日名古屋市告示第二八六号により第一種高度地区の建築物の各部分の高さの最高限度は、当該各部分から真北方向にはかつた敷地境界線までの水平距離の1.5分の一に五メートルを加えたもの以下でなければならない旨のいわゆる北側斜線制限の存するものである(前掲乙第七号証)。(右の告示による制限は建築基準法五六条一項三号による第一種住居専用地域内の「建物の各部分の高さは当該各部分から隣地境界線までの真北方向の水平距離に1.25を乗じて得たものに五メートルを加えたもの以下」という制限よりも一層きびしいものである。)

(4)  公法上の規制基準違反の有無

被告建物が建築基準法その他の公法上の規制に違反した点のないことは、<証拠>を総合して認められる。

じ 加害者の意図、動機

被告本人の供述によると、被告は被告建物建築にあたり一級建築士訴外山田喜七郎に設計を依頼して同人の設計により建築したものであるが、被告自身としては設計、建築の依頼にあたり原告建物への日照阻害などの影響を十分検討したものとはいいがたいことが認められるけれども、<証拠>を総合すると、被告および設計を依頼された山田は、次のようなことを種々考慮して被告建物の設計、建築をしたものであること、すなわち、被告土地の南東に面する幅員一一メートルの道路は、将来交通量も多くなり騒音が激しくなることも予想されること、右道路の更に南東側は第二種高度地区に指定されていたから高二〇メートルの高さの建物の建築が許されるところ、右道路をはさんで被告土地の向う側(南東側)の土地には、当時、医院建設予定地との看板が設置してあつたので、被告としては右の最高限度に近い高さの建物が右土地に建設されることを予想せざるをえなかったこと、被告家は、被告夫婦のほか被告の両親(建物建築前は別居、建築後同居)、長男(昭和三六年一月一〇日生)、次男(同三八年二月一九日生)、長女(昭和四六年九月一九日生)の七人であり、右のような家族構成を考慮し、将来の増築の余地を残すこと、一般的に建物の建築の際には敷地の南側を多く空けるのが通常であり、被告土地の効率のよい利用のためにも南東側を多く空けるのが望ましいこと、などを考慮したうえ、被告土地上の上記認定の個所に被告建物を建築することとしたものであり、被告が必要もないのに、隣地の原告を害する意思で、被告建物を前記場所に建築したものではないことが認められ、右認定を動かすに足りる証拠はない。もっとも<証拠>を総合すると、被告は被告土地の南角に車庫を、その北西側に物置(一辺三メートル、一辺二メートルの長方形)を作ったことが認められるが、<証拠>によると、被告の当初の計画では、車庫は被告土地の北角(玄関の西北ないし北側)に設置することを予定していたが、右部分を堀り下げたところ、原告の擁壁の基礎の部分が若干被告土地にはみ出していることが判明したため、原告からの要望書(甲第二号証)が被告に送付されたこともあって原告との間の紛争を惹起しまたは悪化させることを慮って急きよ現在の位置に設置するよう変更したものであり、物置についても当初の被告の心づもりでは被告建物の北西側に既製品等を使用して小型のものを作ることとしていたが、被告の父親が既製品の小さいものではいけない旨述べたこともあり、現状のような大きさの物置を現在の位置に設置することとしたものであることが認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。従って車庫、物置を現在の位置に作つたとの点も、被告が被告建物を現在位置に建築するについて害意がなかったとの前記認定を動かすに足りるものではない。

(6)  加害回避の可能性

<証拠>を総合して検討すれば、原告主張のように被告建物を約四メートル南東方に移動した位置に建てることは物理的には可能であり、もしそうしたならば、原告建物への日照阻害は相当程度軽減されるであろうことが認められ、<る。>しかし右のような位置に建物を建てることにより、被告は、前記の被告が被告建物を現在の位置に建てることが利益であるとする理由とした諸点の反面の不利益を受けることになるものであり、殊に本件のような市街地で地価も安価とはいえない場所において、日影になつて利用価値に乏しい北西側に多くの部分を空けることは、それだけでも、被告にとつてみれば、不利益であることは明らかである。よつて原告主張のように、被告が約四メートル南東に被告建物を建てたとしても、それにより被告が受ける不利益が殆ど考えられないということはできない。

(7)  被害回避の可能性等

原告が原告建物を建築した際には、既に岡田建物が現在の場所に建つていたことは、当事者間に争いがなく、原告本人の供述によれば、原告が本件場所に建物を建れば右岡田建物による日照阻害が相当程度生ずることは当然知悉しまたは予見しえたことであること、原告建物は建築する際建べい率など何らかの法規上の制限に若干牴触することが判明したので、制限違反となることを免れるため、被告土地の前所有者から被告土地のうち原告土地との境界線から南東へ幅二メートル程の部分を建築中のみ借地することにより原告建物を建築したこと、が認められる。また被告土地は当時空地であつたから建物が建築されることは当然予想されるとともに、一般に建物を建てる場合に南側を多く空け、北側は少ししか空けないのが通常であることからすると、将来被告土地に建てられる建物により原告土地のうちの東南側部分の日照が阻害されるおそれのあることも十分予見できたことと思われる。従つて原告土地のように、北東から南西にかけての辺が長く、細長い土地に建物を建築する場合には、建築すべき建物の形状を土地の形状に合せて細長い形にして南東側部分により多くの空地を作る等自ら日照等の確保に配慮をしてしかるべきものと考えられるが、原告においてこれらの点に配慮をした形跡はない。

(8)  先住関係等

<証拠>を総合すると、被告は昭和四六年五月被告土地を買受けたが、その当時既に原告建物が建つていた(昭和四六年一月ころ完成した)こと、また岡田建物は原告が原告土地を買受けた当時には、未だ建つていなかつたが、上記のように原告建物を建築する際には既に建つていたこと、しかし原告建物の設計は、昭和四五年春ころなしたので、右設計当時は未だ岡田建物は建つていなかつたこと、が認められ、これに反する証拠はない。また被告建物は昭和五〇年九月ころ着工し、昭和五一年四月ころ完成したことは上記のとおりである。

(9)  原告と被告との折衝等経過

<証拠>を総合すると、次の事実が認められ、これに反する証拠はない。被告は、被告建物建築着工にあたり、設計監理者である訴外山田喜七郎および建築業者らとともに原告方へ赴き原告の妻に対し着工の挨拶をしたこと、しかしその際には被告建物が木造二階建の建物であることでもあり、被告らは被告建物の構造、規模等について説明したり建築について了解を求めたりすることはせず、単に隣接地の居住者に対する挨拶をしただけにとどまつたこと、その後原告において昭和五〇年二月一〇日ころ到達の要望書なる書面(甲第二号証)により、南(正確には南東方)に四メートル位被告建物を移動する等の方法により日照等の阻害を防止ないし軽減する措置をとるよう要求するとともに被告において検討した結果を同月二五日までに返答するよう求めたこと(右の要望書なる書面を原告が右のころ被告に送付し到達したことは争いがない)、右の書面による要求以前には、原告において、被告に対し日照等の阻害防止等につき何らかの要求ないし働きかけをしたことはなかつたこと、原告の右申し入れ当時、被告建物の建築工事は、外周りについては、荒壁も塗り終え窓ガラスも入つて、大半終了し、主として内装工事が残つている状態であつたこと、そこで被告は、同月二一日ころ到達の書面(甲第三号証)により、右のような状態にある建物を移動させるためには多額の費用を要することや上記のように被告が南東側を多く空けたについては、種々の理由があることなどを説明したうえ、原告の申し入れを拒否したこと、これに対して原告は、同年三月一日付の書面により、右の被告の書面に記載された被告の主張に逐一反論するとともに裁判により日照権侵害の不当行為を糺弾する所存であるなどと述べたこと。

四以上認定の事実に基づいて考える。

原告建物は、被告建物により上記三(一)記載のとおりの日照の阻害を被るものであり、両建物の位置関係からすると、被告建物により通風にも影響を受けることは否定しがたく、更に原告は被告建物により圧迫感を受ける旨訴えている。また被告建物の南東側には空地部分があつて原告主張のように被告建物を現在の位置よりも約四メートル南東方に移動した位置に建築すれば、日照阻害の程度は相当軽減されるものである。また原告が先住していたものであるとの点も十分考慮しなければならない。

しかしながら原告建物対にする日照阻害は、岡田建物による部分も多く、被告建物による日影は、冬至の午前九時には原告建物のほゞ全部におよぶがその後漸次西側部分から回復に向い、冬至における原告建物に生ずる日影のうち午前一一時ころまでは主として被告建物により生ずるもののその後は岡田建物により生ずる部分が多くなり、午後一時ころからは専ら岡田建物により生じているものであり、日照阻害の程度も一年を通じて二階部分には殆ど日照阻害はなく、また冬至においては一階部分に上記の日照阻害はあるものの、冬期間を過ぎると日照阻害の程度は弱まり、夏至においては原告建物全体に全く日照阻害はないのである。更に被告建物は、いわゆる中高層建物等ではなく、高さ7.5メートルの通常の木造二階建居宅であつて建築基準法等公法上の規制にも違反していない。たしかに被告建物は敷地の北西端に接近して建てられてはいるが、原告土地との間に概ね二メートルの距離を空けており(一方原告建物も被告土地との境界線から1.9メートルしか空いていない)、被告が右の位置に建物を建てたについては、原告に対する害意がないのはもちろん、被告なりに理由のあるところであり、他方原告において原告建物建築の際、岡田建物により被る日照等阻害や将来被告土地に建築が予想される建物による日照阻害等からの被害回避のために考慮検討した形跡もない(もつとも原告は被告建物建築中に被告に対し、日照阻害を防止、軽減するために、建物を約四メートル南東方に移動させる等の措置をとることを要求したが、その時期は既に被告建物の外周りが完成に近くなつてからで遅きに失つたきらいがある)。

これらの点を総合して考察すると、被告建物による日照の阻害は、未だ被害者においてこれを受忍すべき限度を超えているものとは断じがたいものというべきである。また通風の阻害や圧迫感も、両建物の間が約四メートル空いていること、原告建物、被告建物ともに同じ二階建であることなどからすれば、その程度は低いものであり、その他上記諸点を考慮すると、未だ被害者において受忍すべき限度を超えていないものというべきである(なお被告の建物建築による上記日照、通風の阻害等が権利の濫用となるものでないことは、右の説示に照らし明らかである)。<以下省略>

(岡崎彰夫)

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