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名古屋地方裁判所 昭和48年(ワ)409号 判決

原告 吉川清

右訴訟代理人弁護士 水野幹男

同 高木輝雄

同 安藤巌

同 伊藤泰方

同 原山剛三

同 原山恵子

同 藤井繁

同 加藤洪太郎

同 二村豊則

同 内河恵一

同 加藤高規

同 冨田武生

同 浅井淳郎

被告 株式会社 大隈鉄工所

右代表者代表取締役 大隈孝一

右訴訟代理人弁護士 佐治良三

同 後藤武夫

右訴訟復代理人弁護士 太田耕治

主文

一、原告が被告に対して、労働契約上の権利を有する地位にあることを確認する。

二、被告は原告に対し、金四三七万四九二三円及び別紙(一)未払給与一覧表の各月欄記載の金員につきいずれも同月二六日から支払済みに至るまで年六分の割合による金員を支払え。

三、被告は原告に対し、金一二一万九三九〇円及び別紙(二)未払い一時金一覧表の一時金額欄記載の金員につき、いずれも同表支払日欄記載の支払日の翌日から支払済みに至るまで年六分の割合による金員を支払え。

四、被告は原告に対し、昭和五二年一月一日以降毎月二五日限り一月当り金一〇万五四〇〇円の割合による金員及びこれに対する毎月二六日から支払済みに至るまで年六分の割合による金員を支払え。

五、原告のその余の請求を棄却する。

六、訴訟費用は被告の負担とする。

七、この判決は第二ないし第四項にかぎり、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  原告が被告に対し、労働契約上の権利を有する地位にあることを確認する。

2  被告は原告に対し、金四八五万八三五〇円及び別紙(三)未払給与一覧表の各月欄記載の金員につきいずれも同月二六日から支払済みに至るまで年六分の割合による金員を支払え。

3  被告は原告に対し、金一七四万六八〇八円及び別紙(二)未払一時金一覧表の一時金額欄記載の金員につきいずれも同表支払日欄記載の支払日の翌日から支払済みに至るまで年六分の割合による金員を支払え。

4  被告は原告に対し昭和五二年一月一日以降毎月二五日限り一月当り金一二万四四五〇円の割合による金員及びこれに対する毎月二六日から支払済みに至るまで年六分の割合による金員を支払え。

5  訴訟費用は被告の負担とする。

6  2ないし4項につき仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求はいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

3  仮執行免脱宣言

《以下事実省略》

理由

一  原告がその主張のとおりの学歴を有し、その主張の日時に被告に入社し、実習生として、その主張の職場で稼働していたこと、被告の事業、従業員数が原告主張のとおりであること、原告が昭和四七年九月二八日に被告に退職願を提出し、被告がこれを即日受理したこと、以上の事実は当事者間に争いがない。

二  退職願提出に至るまで及びその後の経緯

(一)  (原告と訴外甲野との関係)

《証拠省略》を総合すれば次の事実が認められ(る。)《証拠判断省略》

原告は、大学時代民青に加盟していたが、被告入社後の昭和四七年五月初旬同期入社の実習生訴外甲野から民青新聞を渡され、同人が民青同盟員であることを知った。同人は、昭和四七年三月豊田工専を卒業して被告に入社したが、同年二月在学中に民青に加盟していた。

訴外甲野は、同年四月上旬被告に入社直後に、民青同盟東北地区の幹部訴外内藤某から、被告内における同盟員の拡大等の非公然活動に従事するようにとの指示を受けたが、もともと、民青の思想信条に共鳴し、政治活動をするべく加盟したのではなく、友人に誘われて、民青のリクレーション活動や学習会に参加するべく、加盟したにすぎなかったことと、生来内気の性格であるため非公然活動など性に合わぬと考え、四月中旬訴外内藤に宛てて民青を脱退したい旨の手紙を出したが、却って、同人から東北地区事務所に呼出され、民青同盟員として活動するよう説得、激励され、生来の内気な性格からこれに逆らうことができず、余儀なく脱退申入を撤回した。

かくて、訴外甲野は不本意ながら非公然活動に従事することになり、訴外内藤の指示で前記のとおり原告に民青新聞を渡して接触し、五月中旬原告と訴外甲野は東北地区事務所で会合し、被告における非公然活動を申合せ、訴外内藤の指導の下に、原告主張のとおりの構成、分担の下に班会議(くるみ班)を組織し、数回に亘り、班会議を開催した。

くるみ班は、東北地区の要請により、民青員を被告内で一名、被告外で一名各増員拡大することを目標にしたが、その成果が上らず、班会議の席上訴外内藤からその旨叱責されたので、それ以来リーダー役の原告は、訴外甲野に対し、「互に積極的に拡大活動を推進しよう。君は、同期生に働きかけたらどうか、自分はボーリング仲間に働きかける。」と具体的な拡大方法を教えたり、時には、具体的な成果を尋ねたりするようになった。

訴外甲野は、民青脱退を思い止まったものの、脱退したいとの本心は変らず、班会議に出席し、会費の徴収役の任務は忠実に果すものの、積極的な拡大活動など思いもよらず、訴外内藤や原告から、絶えず活動状況を監視されているようで心理的に負担を感じ、さりとて、生来の内気な性格上再び脱退のことを訴外内藤に持ち出すことも出来ず、原告にこの悩みを打開けることもできず(打開ければ訴外内藤に通報され、逆に説得される)、内心懊悩煩悶し、不眠の夜が続くようになった。

一方、原告は、訴外甲野が拡大活動に消極的であることは知っていたものの、内心右のように煩悶しているとは全く知らず、訴外甲野に対しては、従前どおり民青の同志として接していた。七月下旬ごろ、訴外甲野は、六ヵ月同盟費を滞納すれば民青から除名される民青規約を利用し、民青から除名される方法で脱退の実を上げようと決意し、七月下旬に八月分の同盟費を支払った後は、一切同盟費を支払わないこととし、かつ、八月以降の班会議開催は一時中断することになっていたことと、九月から実習先が大口工場に変り、大口寮に入居することになったことを利用し、できるだけ原告ら同盟員との接触をさけることにした。

訴外甲野は、この方針に従って行動し、東北地区事務所からの会計担当者会議出席要請等の連絡にも応じないようにし、九月初旬の原告との間の大口寮での班会議開催の約束も、当日不在にして流会にさせた。

原告は、この訴外甲野の態度に不審を抱いたためか、九月二〇日事前の連絡なしに大口寮に訴外甲野を訪ね、同人の民青活動の消極性を指摘したうえ、二四日に訴外甲野宅で班会議を開くことを提案した。訴外甲野は、これに対し拒否することが出来ず、内心は、事態が自分の思うように行かず、民青からの脱会も思うに任かせぬ成行に絶望した。

九月二四日(日曜)午後四時ごろ原告は訴外甲野の自宅にあらかじめ架電の上自宅に帰っていた同人を訪問し、(右訪問の事実は当事者間に争いない)同人に対し九月分の同盟費を請求し、民青新聞やビラを渡したうえ、「最近元気がないようだがどうしたか。活動はもっと積極性が必要だ」と忠告した。

これに対し、訴外甲野は、気弱な性格のためか、これに対し反論することもせず脱退の意向の表明もせず、当初の同盟費滞納の方針を貫くこともせず、言われるままに九月分の同盟費を支払った。その後は二人で会社の仕事の話や、高速道路鏡ヶ池線問題(予定線敷地につき付近住民の反対運動があり、社会問題化しており、訴外甲野の自宅も同線の予定地に含まれていた)等の雑談をして約一時間程で原告は辞去した。

訴外甲野は、結局折角の決心にもかかわらず、原告ら同盟員との関係を断つことができず、絶望の度を増し、一方原告は、訴外甲野のこのような内心の葛藤に気づかなかった。

訴外甲野は、ことの性質上職場の上司や恩師、両親等に打開け相談する決心もつかず、身退に窮し、同日午後六時ごろ夕食後に自宅を出た後、大口寮に帰寮せず、後記のとおり失踪するに至った。

以上に認定した事実によれば、原告と訴外甲野は、同期入社で共に民青に所属し、被告内において班会議を組織し、非公然活動に従事していたこと、無理のない形で民青から脱退しようとして、昭和四七年七月下旬ごろから意識的に班活動から遠ざかろうとした訴外甲野を、班のリーダーとしての立場から原告は、大口寮や訴外甲野宅において督励忠告をしたこと、これに対し、訴外甲野は、男らしく脱退の意思を表明することもできずに、内心を原告に秘匿したまま、民青脱退は不可能であると思い込み絶望の挙句失踪したことが明らかである。

してみると失踪の原因は、原告にあるというよりは、寧ろ訴外甲野の女性的ともいうべき生来の気弱さにあるというべきである。

従って、原告が後記のとおり訴外甲野失踪の原因に思い至らなかったとしても、原告を責めることはできない道理である。

(二)  (退職届作成に至る経過―被告の甲野捜索と原告に対する事情聴取)

《証拠省略》を総合すれば次の事実が認められ(る。)《証拠判断省略》

(1)  (九月二五日月曜日の経過)

(イ) 訴外甲野は二四日夜大口寮に帰寮せず二五日には無断で大口工場に出社しなかった。このことを午前一一時ころ通報により知った本社人事一課の高橋主任は直ちに課員に命じて訴外甲野宅へ電話させたが第一回目は通じず、午後一時頃の二回目の電話で訴外甲野の父太郎より、訴外甲野は二四日夕方に帰寮すると言って自宅を出たとの返事を得た。そこで高橋主任は大口寮及び大口工場に再確認の照会をした後、午後三時ころ、本社実習工場に稼働中の同期入社の大学卒実習生にも照会の電話をなしたところ、応待に出た原告が他の同期生にも照会の上誰も知らない旨の返事をした。

高橋主任は、訴外上村宅に再電話して二四日の訴外甲野の様子について尋ねたところ甲野父は「訴外甲野の様子に変った点はなかったが、午後四時頃大隈の社員かは不明であるが、吉川という年令二二~二三才の小牧の人が甲野を訪ねてきた」旨の話をしたので、高橋主任は社員名簿で吉川姓を捜し訪問者は、年令的には原告らしく思われたので念の為原告に甲野宅訪問の有無を尋ねるべく実習工場に電話して、その旨原告に尋ねたが、原告からは「行っていない」と否定された(原告が右のように虚偽の返事をしたのは、原告と訴外甲野が民青同盟員であることを知られる恐れがあると突嗟に判断したためと思われる)。

(ロ) その後、高橋主任と棚橋副主任は、訴外甲野父の同意を得たうえ、午後五時過ごろ大口寮の訴外甲野の部屋を調べかつ同室の訴外三田に、訴外甲野の日ごろの様子を尋ねたりした。その結果訴外甲野の所在については何の手がかりも得られなかったが、訴外甲野は日常孤独内気な性格で同僚との交際も殆んどないことが判明した。また、その際訴外甲野や原告の氏名が記載されている大学ノート一冊を発見した。そこで高橋主任らは、その名前をメモするとともに前述の原告の訴外甲野との面会否定の返事に疑念を抱き、この点を確認するべく原告の履歴書を持って午後八時ごろ訴外甲野宅を訪問した。訴外甲野の両親は高橋主任らより原告の履歴書添付の写真を見せられ昨日の訪問者は原告である旨確認した。

また、高橋主任と棚橋副主任は、甲野の所在の手がかりを得るため訴外甲野の部屋を調べたところ、一見して民青活動資料と分る訴外甲野の民青加盟確認書、民青新聞領収書、同盟費納入帳、ビラ、学習結果を記載した大学ノート一冊等が発見された。訴外甲野の父太郎は民青資料を見て非常に心配し、昨日訪ねてきたことを会社に隠している原告が息子の家出の鍵を握っているに違いないから、原告によく事情を尋ねてほしい旨高橋主任らに懇請した。

高橋主任らは甲野宅を辞した後、合田人事部長宅を訪れこれまでの経過を報告し、合田人事部長と相談のうえ、原告から今晩中に事情聴取をすることにした。

一方、原告は、前記のとおり訴外甲野の無断欠勤に伴い前日の訴外甲野宅訪問の有無を高橋主任から照会され、民青活動を被告に知られないため、これを否定したが、訴外甲野の両親にも口裏を合せてもらおうと午後九時三〇分ごろ訴外甲野宅に電話して、訴外甲野の父太郎にその依頼をなし、その理由説明のために面会の申込をしたが、却って、訴外太郎から面会の理由につき詰問され、拒否された。

その直後の午後一〇時五〇分頃、棚橋副主任が原告方を訪ね、共にタクシーで棚橋副主任宅へ赴いた(右事実は当事者間に争いがない)。

(ハ) 棚橋副主任宅において、午後一一時ごろから午前一時ごろまでの間高橋主任、棚橋副主任は原告に対し、昨日甲野宅を訪問しているのに否定した理由、訴外甲野の行方に関する手がかりについて尋ねた(右事実は当事者間に争いがない)。

原告は、昨日の甲野宅訪問の件は、会社に判明している以上これを認める外ないとして、これを認めたうえ、謝罪し、その理由については訴外甲野と鏡ヶ池線の問題について話し合ったことを会社に知られたくなかったからである旨返答し、訴外甲野の失踪の原因及び行方についての心当りはないと答えた。また昨日した訴外甲野との会話の大要についても答えたが、民青活動に関する件は、当初の意図どおり何も話さなかった。

午後零時過ころ、棚橋副主任は、甲野宅に電話し、訴外甲野父より原告が甲野宅に前記工作電話をしたことを聞知し、(右事実は当事者間に争いがない)原告に対し右電話の理由を詰問した。原告は、再度鏡ヶ池線の問題を話し会ったことを会社に知られたくなかったからである旨弁解したが、高橋主任らは原告の右の説明には納得せず、原告に対する疑惑を益々深め、訴外甲野の行方について、何か知っているのではないかと追及を繰り返した。

しかし、原告の弁解返答は従来と同じであったので、当夜の調査は打切られた。

なお、原告は、昨日の甲野訪問を否定した理由について、当初訴外甲野は刑事々件にまきこまれている可能性もあり、自分がその容疑者にされると困ると思ったからとも答えた形跡がある。

(2)  (九月二六日火曜日の経過)

同日高橋主任、棚橋副主任の前日の調査結果の報告に基づき、合田人事部長、長坂、清水人事第一、二課長らは協議し、訴外甲野の実習先の職制や実習生を対象に社内調査をする一方、原告に対する疑惑を解明するべく引き続き原告から事情聴取することにした。また、訴外の甲野親族方面の照会は訴外甲野の両親に委ねることにした。

右社内調査によるも失踪の手がかりは得られず、一方訴外甲野父太郎は、同日午後棚橋副主任と共に千種警察署に出頭して「家出人捜査願」を提出した。このとき、訴外甲野父は棚橋副主任に対して「訴外甲野の机の引き出しの内から現金が三万円程紛失している。この点を原告に一度聞いて欲しい」旨依頼した。

これより先原告は当日午前八時三〇分頃被告応接室において長坂課長、高橋主任、棚橋副主任から交替で事情聴取された。同日の事情聴取は昼の休憩時間を除き午後四時四五分頃まで続けられた。長坂課長らは原告が甲野捜索の手がかりについて何か隠しているものと判断し、原告に対して「甲野君の両親も心配しておられる、会社も甲野捜索の手がかりを一刻も早く知りたい」とか「昨日の原告の言動は不審である。鏡ヶ池線の問題は新聞にも取り上げられているし、まして甲野宅自身の問題でもあるのだからその事で話し合ったことを会社に隠す理由はなく昨日の不審な言動の理由としては納得できない」との考えを述べて、原告甲野にの行方の手がかりを尋ねた。

原告は、当初は昨夜と同様の弁解を繰り返し、「鏡ヶ池線の問題は政治問題でもあり会社はこれに関心を持つことを嫌っていると思ったから」と答えていたが、再三の追及により、甲野訪問を秘匿しようとした理由の説明に窮し、口数も少なくなった。

かくて、訴外甲野の行方についての調査は何らの成果が得られない一方、被告側の原告に対する疑惑はいぜんとして解消されなかった。

(3)  (九月二七日水曜日の経過)

当日高橋主任は、同期生からの事情聴取を行う一方、原告の要請のある二四日甲野宅訪問後の原告自身の足取り調査のため名古屋市立北図書館の閉館時間等を調べたりし、また棚橋副主任は原告宅を訪れ同人の母に九月二四日の原告の外出時間等を尋ねるとともに、原告が甲野失踪の心当りを素直に言ってくれるよう説得してもらいたい旨依頼した。

一方、長坂課長は、原告の大学時代の恩師である武藤教授を訪ね同様な説得を依頼した。

他方同日も午前八時ころより、被告応接室において長坂課長、高橋主任、棚橋副主任らが交替で原告の事情聴取にあたった。

長坂課長らは、原告が訴外甲野と共に民青に所属していること、甲野失踪直前の訪問者であって、しかも訪問の事実を秘匿しようとして、訪問の事実を否定し、ついで訴外甲野父に工作電話までしていること等から、原告が訴外甲野失踪の原因ないし行方について重要な情報を知りながらことさらにこれを秘匿しているに相違ないとして、原告を追及し、前日の訴外甲野父太郎の依頼に基づく訴外甲野の貯金の一部が紛失していることも尋ねたが、原告は貯金紛失の点は明確に知らない旨答えた外は、原告の応答は従前と同様であった。

原告としては、原告と訴外甲野が民青に所属していることを被告が知っているとは夢にも思わず、このことを被告に知られないため、二四日甲野訪問は班会議のためであるとはどうしても言えず、工作電話の真の理由を説明するわけにはいかず、甲野失踪について全く心当りのない原告が、その旨述べても、当然のことながら被告側を納得させないばかりか、却って疑惑の度を増すばかりであった。

かくて、原告に対する事情聴取は、一向に進展しないので、合田部長が午後四時四〇分頃直接原告に面接したが結果は同様であった。

そこで、合田部長は原告に対するこれ以上の追及は成果なしと考え、追求に終止符を打つべく、原告が二四日甲野宅訪問につきこれを否定していたことと、工作電話の件等につき謝罪を要求すると共にこれを文書化し、合わせて訴外甲野との交友関係の一切をも記載することを要求した。

原告はこれを承諾し、同所で約三時間を費やして原告主張どおりの内容を有する謝罪文と題する書面を作成した。その後合田部長、長坂課長らは右謝罪文を一読した後、原告に表題を「謝罪文」から「甲野進一君の失踪事件に関するお詫び」と書き改めるとともに、段落ごとに①ないし④の番号を振り、かつ、甲野との交友関係につき他にかくしていないことを誓う、甲野の失踪と自分は無関係であることを固く誓う、高橋主任に対する虚偽の返事及び訴外甲野父に対する工作電話は就業規則に照らし懲戒に値するものでこれを甘受すること及び以上の内容を天地神明にかけて誓い、偽りがあった場合は如何なる処分も受ける趣旨の文言を書き加えるように指示した。そこで原告は右指示に従って更に約二時間費やして前記謝罪文を書き直した。午後一〇時三〇分ごろ右書き直された文書(以下詫び書という)を一読した合田部長は長坂・清水両課長とともに原告に対し、「詫び書きの内容に間違いがないかどうか」と念を押し、原告はことの成行上「絶対に間違いはない、もし間違いがあると分れば退職する」旨言明した。合田部長は原告の右言明を聞き、直ちに詫び書きに追記として右趣旨の文言を附加することを要求したので、原告は、右要求に従って追記を書けば訴外甲野との関係をこれ以上追求されず民青のことも知られずに済むと考え、やむなく、「詫び書きの内容に偽りのあったことがわかった場合は会社の処分を受ける前に、潔く自分から身を引きたいと思う」旨書き加え、同部長の指示により、その末尾に指印した。その後原告は、合田部長から右追記部分につき、その文言どおりであるか否かにつき念を押されたうえ午後一一時頃退社した。

(4)  (九月二八日―木曜日の経過)

原告は、同日午前八時頃応接室において、合田部長、長坂・清水両課長、高橋主任及び棚橋副主任らと面接し、昨日の詫び書きにつき再度念を押されたうえ、社外調査に協力することとなり、先づ棚橋副主任とともに訴外甲野宅に赴き、九月二五日の工作電話の件等につき訴外甲野父に謝罪した。その後両名は、訴外甲野の高専時代の同級生四名をその各勤務先に訪ねたが、何の手がかりも得られず、午後四時四〇分ころ帰社した。

また、長坂課長は、訴外甲野の高専時代の教官数名を訪ねたが、格別の手がかりが得られなかった。

ここにおいて、合田部長は、最後の手段として、甲野宅及び大口寮に置いてあった民青資料を取り寄せ、これを切札として原告に提示し、果して原告が詫び書の文言どおり訴外甲野の失踪の原因につき何も知らないのかどうか結着をつけることを決意した(民青資料についてはこれより先高橋主任、棚橋副主任が検討していたが、甲野失踪の原因についての手掛りらしき記載は発見できなかった)。

そこで、被告応接室において、合田部長・長坂・清水両課長は、原告と面接し、清水課長が原告の面前に甲野君の部屋から見つかった書類であるとして民青資料を提示した。

ここにおいて原告は、種々の偽言をしてまで守ろうとした民青活動の秘匿が失敗に帰したことを知って狼狽し、なす術を失い沈黙すると共に、訴外甲野との関係について民青活動のことを詫び書に記載しなかったことは、追記にいう偽りにあたるとされても致し方ないと考え、訴外甲野の失踪には関係ないが退職する旨の意思表示をなすに至った。

合田部長は、詫び書作成に至る経緯及び民青資料を提出した直後に原告が退職の意思表示をしたことに徴し、右意思表示をした理由を察知したものの、従前の取調べにより原告を大学卒の幹部社員として適当でない人物との心証を得ていたこともあって、民青関係を秘匿していただけのことなら退職の必要はないと一応慰留したものの、訴外甲野の行方の判明を待たず二、三日熟考の機会を与えることもせず直ちに退職届の用紙を取り寄せ、原告がこれに記入するや、即時これを受理した。

その夜、原告は退職の経緯の一切を当時被告の社員訴外後藤徹らに相談し、その結果、右退職は被告の仕組んだ功妙な罠に外ならぬものとして、撤回することを決意するに至った。

(5)  (九月二九日―金曜日の経過)

原告は被告に赴き、長坂課長らに昨日の退職届は強迫に基づくものであるから撤回する旨申し出たが会社は右申し出を拒絶した。

被告は、訴外甲野捜索のため新聞による捜査広告を翌三〇日の朝刊に掲載されるように手続きを行った。

同日午後三時頃訴外甲野父太郎から、訴外甲野の所在が判明した旨の電話連絡を受け、被告は千種警察署にその旨連絡するとともに新聞広告掲載の依頼を取り消した。

(三)  訴外甲野失踪後の同人の行動

《証拠省略》によれば次の事実が認められる。

(一) 訴外甲野は九月二四日午後六時ころ、自宅を出て、隠岐島へ向けて夜行で出発し、翌二五日の朝、境港に到着し、境港午前九時発の連絡線(乗船名簿には友人の名前を記入)で隠岐島浦郷に一二時二〇分に到着し、昼食後、徒歩で摩天崖に赴き、浦郷発一六時三〇分の連絡線で境港に戻り、夜行で翌二六日の早朝に京都に着きその日は一日中京都で過ごし、ついで田沢湖に赴くこととし、同日の夜行で京都を出発し、翌二七日の夕方田沢湖駅に到着した。同駅から、バスで田沢湖畔に至り、それから湖畔の道路を徒歩で田沢湖レークサイドホテルに赴き一泊した。(宿帳には本名を記入)翌朝、田沢湖駅発の列車に乗り、同日夜一〇時頃、上野に到着し、その夜は上野で野宿し、翌二九日の午前中に自宅に電話し、所在を告げ、浦和の叔母に上野駅に迎えにきてもらうように伝言を頼み、その夜は浦和で一泊した。そして翌三〇日の午後七時ころ自宅に戻った。

その夜被告の長坂課長・高橋主任に問われるまま先に認定したような民青及び原告との関係、失踪の動機について語ると共に、隠岐島の摩天崖において投身自殺しようとしたが死への恐怖から果せず、また田沢湖畔の道路を歩きながらベンザの大瓶一本分の錠剤全部を飲んだが服毒自殺の目的を果せなかったと語り、退職届を提出したので、右届は同日受理された。

以上に認定した事実によれば、訴外甲野が真に自殺を決意し、それを実行せんとして失踪したのかどうかは疑問の余地が存するけれども、(自殺行ではなく逃避行と見る方が自然と考えられる)訴外甲野が両親にも被告にも行方を告げずに失踪したことは間違いない事実と認められ、本件全証拠によるも訴外甲野の失踪が、被告と共謀の上でなした狂言芝居であると認定することは到底できない。

以上の認定の趣旨に反する原告本人尋問の結果部分はたやすく信用できない。

三  退職願提出に至るまでの事実関係に基づく綜合的考察

(一)  以上に認定した事実によれば次の事実が明らかである。

(1)  訴外甲野の失踪の原因は民青からの脱退は不可能であると悲観し絶望したことにあるが、同人はその内心を原告に知られないよう振舞っていたため、外見上は平素と変らず、従って、原告は訴外甲野の失踪の原因については全く心当りがなかった。

(2)  訴外甲野の失踪は、真実の失踪であって、被告と共謀した芝居ではない。

(3)  原告は、非公然活動の性質上訴外甲野と自分との民青活動については絶対に秘匿しなければならぬとの考えから、訴外甲野失踪の前日に訴外甲野宅を訪問したことをも秘匿しようとして、会社職制の調査に対し、訪問の事実を否定し、更に訴外甲野父太郎に工作電話をしたため、被告及び右訴外太郎から疑惑を抱かれ、前記被告人事担当者らは原告が訴外甲野失踪の原因ないしその行方について重要な情報を知りながらことさらに秘匿しているに相違ないとして、九月二五、二六、二七日と三日に亘り社内調査の重点を原告一人にしぼり、原告との間に押問答を重ねたが、両者の間は平行線を辿るばかりで進展しなかった。

前記詫び書は、この事態に終止符を打つべく、合田人事部長の要請により原告が作成したものである(右文書作成の目的は、先に認定した事実及び証人合田初太郎の証言によれば、従来の原告の言動に対する反省と、訴外甲野との交友関係の一切を記載させると共に、その内容に偽りがないことを誓約させることによって、原告の言動に責任をもたせると共に、万一の事態発生に備えて、訴外甲野の両親等に対し提示する被告の調査結果の一資料たらしめようというにあったことが認められる)。

詫び書中の追記は、当初、原告において詫び書の内容に間違いは絶対ないと言い切った手前、間違いがあると分れば退職すると言ったことから、合田部長がそれを文章として附加するようにと要請したため附加されたものであった。

(4)  原告が退職する旨意思表示をしたのは、九月二八日に合田部長、長坂、清水両課長と面接中、清水課長が民青資料を提示した直後である。そして、原告は、訴外甲野との交友関係中民青活動のことを秘匿していたことが詫び書にいう偽りに該当し、追記の文言どおりに責任をとらざるを得ずとの考えに基づいて、右意思表示をしたのである。

一方合田部長らは詫び書作成の経緯及び民青資料提示直後の退職の意思表示であることに徴し、原告の右意思表示の理由を察知していた。

(二)  そこで考えるに、詫び書作成の経緯及びその文言内容に徴すると、追記の趣旨は、原告が、訴外甲野の交友関係中同人の失踪の原因と考えられる事実を知りながら、これをことさら秘匿していることが判明した場合には、退職するということであり、単に訴外甲野と民青活動を共にしていたという事実のみの秘匿は、右の場合に該当しないことは明白である。但し、訴外甲野の失踪の原因が民青活動にあることを原告が認識していれば、民青活動の秘匿は、右の場合に該当することになる(従って詫び書は信義則ないし民法九〇条等に違反する文書とは言えない)。

してみると原告は、退職の意思表示につき動機の錯誤があったものというべきである。

そして、右動機は、合田部長らにおいて原告の退職の意思表示の理由を察知していたことに照らし、黙示的に表示されたものというべきである(詫び書作成についての合田部長らの意図は前記のとおりであるが、これに加えて、詫び書に追記部分が加筆された時点において、民青資料により原告が訴外甲野と共に民青に所属していることを承知している被告側は、民青のことは知られていないと思い込み、あくまでこの点だけは秘匿しようとして詫び書にも一切これを伏せている原告に対し、もし、民青資料を提示すれば、原告は追記の文言上退職せざるを得なくなるであろうとの計算、認識を有していたと推認できる。のみならず従来の取調べの経過からして大学卒の幹部社員としては不適当と考えた原告をこの機会に退職させるべく、原告の右動機の錯誤を利用せんとした形跡も濃厚である。訴外甲野の失踪の原因ないしその行方が判明しない時点で退職届を即時受理したこと、翌朝の原告のした退職届撤回の意思表示を即時拒否したことはこれを裏づけるものである。

そして、どのような事態になろうとも、民青関係のことは絶対に秘匿しなければならぬと考えていた原告にとって、突然被告側から民青資料を提示されれば、被告側の慰留は表面上のものにすぎず、被告側の真意は詫び書の趣旨からして慰留の言葉とは反対に原告の退職を望んでいるに相違ないと考えたとしても無理からぬものというべく、事実被告側の内心は右のとおりであったのであるから、原告の退職の意思表示につき重大な過失ありとはなし難い道理である。

以上の説示に反する原被告双方の主張は採用できない。

従って、本件退職届の提出が法的には解雇に当るとの原告の主張は失当であるが、合意解約無効の主張中動機の錯誤の主張は、理由があるから、その余の点につき判断するまでもなく、原告は退職願提出日の翌日である昭和四七年九月二九日以降も被告の従業員の地位を有していることは明らかである。

四  未払賃金及び未払一時金

(1)  被告は、昭和四七年九月二九日以降原告の従業員としての地位を争い原告の就労を拒否していることは当事者間に争いがないから、原告は民法五三六条二項により被告に対して同日以降の未払い賃金及び未払い一時金請求権を有するものというべきである。

(2)  そこで、未払賃金について算定する。

被告の賃金が基準内賃金(本給、職務給、家族手当)と基準外賃金(時間外勤務手当、夜勤手当、特殊作業手当、交通手当、その他の手当)から組成されていること、職務給の区分及び被告における昇給が組合との協定に基づき本給定期昇給、職務給ベースアップ、職務級昇格昇給に分けて毎年一回四月一日に実施されること(但し職務給の昇格昇給が毎年なされるとの事実は除く)は当事者間に争いがない。

また、原告の昭和四七年四月入社時の本給が一万五八五〇円であり職務給が四万一、五五〇円(職務等級は三級二号)であったこと、原告と同期入社の大卒の昭和四八年四月以降昭和五一年四月までの本給昇給額が別紙(五)の本給(A)欄のとおりであることも当事者間に争いがない。

ところで、《証拠省略》によれば、原告の昭和四七年七月ないし九月の各賃金がそれぞれ五万八五〇〇円、六万三四八〇円、六万五九七〇円であったことが認められ、右事実からすると右三ヶ月の平均賃金は六万二六五〇円であると認められる。

被告は右賃金中交通手当、時間外手当は控除すべきであると主張するけれども、民法五三六条二項、労基法一一条、一二条の法意に照らし、右主張は採用できない。

従って、原告は昭和四七年一〇月から同四八年三月までは毎月六万二六五〇円の賃金請求権を有する。

そこで、昭和四八年四月以降の賃金について考えるに、《証拠省略》によれば、被告は、毎年四月の賃金改訂期に組合との協定により昇給を実施していること、協定の内容は、総賃上額の平均額、本給定期昇給、職務給ベースアップ、職務給昇格昇給の各平均額、基準内賃金の年令別の最低保障額が定められ、この内職務給ベースアップ額は賃金支給規程中の職務給表の金額を一律に改訂することにより実施されること、本給昇給分は、前記平均額のみが定められ、査定部分、最低保障部分等の定めは存しないこと、職務給昇格昇給については、平均額の定めはあるものの、級・号についての進級基準の定めは全く存しないこと原告は、本件退職届提出以前組合員であったこと、以上の事実が認められ、他にこれに反する証拠は存しない。

右事実によれば、原告も、組合員として右協定の効力を受けるというべきところ、右協定中職務給ベースアップについては職務給表の改定により組合員全員に一律に適用されるのであるから、原告の職務給ベースアップも、被告のその旨の意思表示を要せず、自動的に右職務給表の改定に応じて増額されたものと解するのが相当である。

つぎに本給昇給分については、平均昇給額のみが定められていることは前記のとおりであるから具体的個別的配分額は被告の裁量に委ねられているとみるべきところ、原告と同期入社の大卒者の昭和四八年度から同五一年度までの本給昇給額は、被告主張のとおりで全員一律であることは、当事者間に争いがない。

原告は、被告の責に帰すべき事由により就労を拒否されているのであるから、特段の事情なき限り、原告と同期入社の大卒者と同程度の成績は上げ得たこと、従って、本給昇給分につき右大卒者と同額の本給昇給がなされたであろうことは明らかであるから、原告は、被告のその旨の意思表示を要せず、右各本給昇給時に同金額の昇給をしたものと解するのが相当である。

つぎに、職務給昇格昇給については、平均額の定めはあるものの、級号についての進級基準の定めは全く存しないことは前記のとおりであり(《証拠省略》によれば、被告の賃金支給規程中六―二に「職務給は、毎年四月一日付で職務段階が昇格した場合別表2により昇給を行う」旨の定めが存することが認められる)、従って、職務給昇格昇給は、本給昇給分と異なり、組合員全員が必ず昇給するとは限らず、原則として被告の自由裁量により決定されるものと解する外はない。

もっとも、原告と同期入社の大卒者の昇格の実情が被告主張のとおりであることは当事者間に争いがないが、就業規則、協約等に右実情に即応するような昇格の適用についての具体的基準が存する旨の主張も立証もない本件においては、大卒者の前記実情のみから直ちに、原告が右実情と同一の昇格をしたと認めることは困難である。

従って、当然に昇格による賃金債権を取得したことを前提とする原告の請求部分は理由がない。

これを要するに、原告の本給昇級は、毎年同期入社の大卒社員の本給昇給と同額づつ昇給したというべきであるが、職務給についてはその等級は三級二号であり、毎年、同等級の職務給額が改訂増額された金額分だけ昇給したものというべきところ、《証拠省略》によれば昭和四八年度から同五一年度までの三級二号の職務給額は別表(五)の職務給(B)金額欄記載のとおりであることが認められるので、結局、原告は昭和四八年四月から同五一年一二月まで各年度毎に別表(五)の毎月賃金欄記載の賃金支払請求権を有し、昭和五二年一月からは毎月一〇万五四〇〇円の賃金支払請求権を有することになる。

ところで、被告が昭和五〇年一月から六月まで毎月二日の、同一〇月は三日の、同一一月、一二月は各六日の昭和五一年一月、二月は三日の操業短縮を実施したことは当事者間に争いがない。右事実よりすれば、原告が被告会社に引き続き勤務をしていたとしても他の従業員と同様に右操業短縮により賃金カットされることになるから、その分は右の賃金より控除すべきである。

《証拠省略》によれば昭和五〇年一月から六月までの賃金カットは操業短縮一日当り基準内賃金日額の二〇%であること、同期間の被告一月当りの所定労働日数は二一・七日であることが認められる。

右事実によれば月当りの賃金カット率は

1/21.7日2日×0.2=0.0184となる

また、同五〇年一月から三月までの原告の基準内賃金が八万八四五〇円であること、同四月から六月までのそれが九万八六〇〇円であることは前記認定のとおりであるから原告の同五〇年一月から三月までの毎月の賃金カット額が

88,450円×0.0184=1,627円(円未満四捨五入、以下賃金・一時金の計算も同様)となり右各月の原告の賃金は八万六八二三円となること、及び同じく同年四月から六月までの賃金カット額が

98,600円×0.0184=1,814円

となり右各月の原告の賃金は九万六七八六円となることは計数上明らかである。

また同じく前掲各証拠によれば、昭和五〇年一〇月、一一月、一二月の賃金カットは操業短縮二日目までは基準内賃金日額の一〇%、同三日目以降は同日額の五%であることが認められる。右事実によれば同年一〇月の月当りの賃金カット率は

(1/21.7日×2日×0.1)+(1/21.7日×1日×0.05)=0.0115

となるところ原告の同月の基準内賃金は九万八六〇〇円であるから同人の賃金カット額は

98,600円×0.0115=1,134円

となり同月の原告の賃金は九万七四六六円であること、及び同年一一月、一二月の月当り賃金カット率は

(1/21.7日×2日×0.1)+(1/21.7日×4日×0.05)=0.0184

となるところ原告の右各月の基準内賃金は九万八六〇〇円であるから同人の右各月の賃金カット額は

98,600円×0.0184=1,814円

となり右各月の原告の賃金が九万六七八六円であることは計数上明白である。

また前掲各証拠によれば昭和五一年一月、二月の賃金カットの方法は前記昭和五〇年一〇月と同じであること昭和五一年一月から被告会社の月当り所定労働日数が二一・五日に改正されたことが認められる。右事実によれば右各月の月当りの賃金カット率は

(1/21.5日×2日×0.1)+(1/21.5日×1日×0.05)=0.01162

となるところ右各月の原告の基準内賃金は九万八六〇〇円であるから同人の右各月の賃金カット額は

98,600円×0.01162=1,146円

となり右各月の原告の賃金が九万七四五四円であることは計数上明白である。

以上を要するに昭和四七年一〇月から同五一年一二月までの原告の未払給与は別紙(一)未払給与一覧表記載のとおりでありその総合計は四三七万四九二三円である。

(3)  (未払一時金について)

原告が被告と組合の協定の効力を受けることは前記のとおりであるところ、右協定に基づく昭和四七年下期以降、同五一年下期までの被告における各一時金の支払日、配分方法及び原告と同期入社の大卒者の調整分が原告主張のとおり全員一律であることは当事者間に争いがなく右期間の原告の基準内賃金は前記のとおりであるから原告は右各一時金の内支給額が基準内賃金等に対する一定の係数を乗じることにより直ちに算出可能な基準内賃金比例分等及び全従業員一律分については右各協定の効力によりその支払請求権を取得したものというべきである。

ところで右各一時金の内調整金について原告は少くとも同期入社の大卒者の調整分と同金額である旨主張するが、前記のとおり昭和四七年度を除く他の年度においては原告と同期入社の大卒者とは職務等級が異なるので同金額と認めるのは困難である。もっとも、調整分の支給方法は配分基準によるものとされていること、及び調整分支給額の全従業員平均は基準内賃金比例分の七分の三であることは当事者間に争いないけれども原告と同期入社の大卒者の調整分が右の平均支給額より低いことに徴すると右の基準が直ちに原告に適用されるものとは認められず、他にその算定方法について何らの立証がないから計算不能という外はない。

但し、昭和四七年度下期一時金の調整分については、同年度の原告と同期入社の大卒者との職務等級が同じであり、かつ、原告と同期入社の大卒者の同下期の調整分が全員一律に二万六〇〇〇円であるから、前記本給昇給額の認定の説示と同様の理由により、原告は同期入社の大卒者と同額の調整分支払請求権を有するものと解するのが相当である。

なお《証拠省略》によれば昭和五〇年上期一時金は同年六月一〇日に六六%、七月二五日に一六%、八月二五日に一八%と分割支給されたことが認められる。

よって原告の右各一時金額及びその支払日は別紙(二)原告の一時金一覧表の一時金額欄及び支払日欄記載のとおりとなり一時金の総合計は一二一万九三九〇円である。

(4)  (遅延損害金について)

被告が工作機械の製造販売等を業とする株式会社であること、被告の給料日は毎月二五日であることは当事者間に争いがない。

してみると、原告と被告間の本件労働契約は、商人たる被告が営業のためにするものと推定され、右契約に基づく原告の被告に対する賃金債務の遅延損害金の利率については商事法定利率によるべきであるから、原告は被告に対して未払給与及び将来の賃金については毎月二六日から支払済みにいたるまで、未払一時金については前記各支払日の翌日から支払済みに至るまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払請求権を有する。

五  結論

以上の次第であるから、原告の本訴請求は主文掲記の限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条但書を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 松本武 裁判官 戸塚正二 林道春)

〈以下省略〉

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