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名古屋地方裁判所 昭和44年(ワ)216号 判決

原告

金井道男

被告

岩田武夫

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一申立

(原告)

一  本位的請求

被告は原告に対し、金二、〇四六万二、八九四円及びこれに対する昭和四三年一〇月一一日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

との判決並に仮執行の宣言を求める。

二  予備的請求―その一

被告は原告に対し、金一、二六〇万四、四一〇円及びこれに対する昭和四三年一〇月一一日より完済まで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

との判決並に仮執行の宣言を求める。

三  予備的請求―その二

被告は原告に対し、金八五七万〇、七八六円及びこれに対する昭和四三年一〇月一一日より完済まで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

との判決並に仮執行の宣言を求める。

(被告)

原告の各請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

との判決を求める。

第二主張

(原告)

一  交通事故の発生

原告は、昭和四三年一〇月一一日午後六時三〇分頃名古屋市中区西川端町二丁目四八番地内交差点で普通乗用自動車に塔乗し、赤信号で停止していたところ、岩田一妻が運転して来た普通乗用車に追突された。その結果、原告は頸部挫傷、外傷性脳頸症候群、第三腰椎横突起骨折の傷害を負つた。

二  責任の帰属

岩田一妻は被告の次男で、同人が運転していた自動車は被告の保有に係るものであるから、自賠法第三条により、被告は原告が負傷したことによる損害を賠償すべき義務がある。

三  損害

(イ) 原告は本件事故当時、港区に於て「若草ホテル」というホテルを経営していた。

ホテルは客室七つを持ち、その料金は宿泊が一泊二、〇〇〇円、休憩は二時間に付き一、〇〇〇円で、一日の売上げが二万円を下ることはなく、従つて、一カ月では六〇万円を下ることはなかつた。

右ホテル営業は、原告の妻と二人の女子従業員を以つて為されており、従業員の給料、冷暖房費、クリーニング代、その他の維持費を控除しても、なお少なくとも売上げの四五パーセント(二七万円程度)の利益があつた。

ところで、原告が本件事故により入院した昭和四三年一一月七日から約半年間は、原告に付添看護したり、金策に走りまわつたり等の仕事のため、原告の妻がホテルの帳場にいつも出ていることが出来ず、又ホテルは夜一〇時以降の客が多いのであるが、原告の妻は病弱で、特に網膜剥離症のため、片眼を失明しており、他眼も同じ症状があつて、夜間仕事は出来ないため(事故前は夜の一一時以降は原告が帳場に座つていた)などの事情で、右期間中は店を閉じていた。

右期間中、ホテル営業を一時休んだことによる逸失利益は少なく見積つても金一六二万円(60万円×45%×6カ月)に達する。

その後も、ホテルを開けたり、閉めたりの状態が続いており、前記期間中の休業のため、固定客(名古屋港に近いため、名古屋港に入港した船員の家族が主人に会いに来て数日間泊つていくという場合が多く、その様な客が常時ホテルの半数近くを占めていた)を失つたこともあつて現在もホテルから得られる収益は、事故前の半分にも満たない状態である。

(ロ) 原告は、港区内の最も繁華な場所である港小路の入口で「サロンエイト」というバーを経営しており、原告自ら同店のバーテンをして、女子従業員(ホステス)を常時六~七名程度雇い、その堅実な経営方針が受けて大いに繁昌し、月々少なくとも一〇〇万円を下らない売上げを得ていた。

バー経営の場合、少なくとも売上げの五〇パーセント(従つて、原告の場合は五〇万円を下らない金額)の純利益が得られるのであるが、原告が本件事故により入院したため、店を一時閉めざるを得なくなり、六カ月位は完全閉店の状態であつた。

従つて、右期間の逸失利益は少なくとも三〇〇万円(100万円×1/2×6カ月)を下らないものがある。

その後、原告は生活費を得るために長男に手伝わせたり、自らも時々店に顔を出したりして、ホテルの手伝いをしていた女の子一人と臨時雇の女の子一人計二名を使つて、細々と店を再開したが(従前のホステスは全員閉店中に店をやめてしまつた)ホステスの数からもわかるように、売上げの激減は防ぎようがなく、現在の売上げは一カ月二〇~三〇万円程度である。

原告が店に顔を出さなくても、バーテンを雇い、ホステスを増やして、従前通りの規模の経営を復活させればいいようなものであるが、本当に熱心にバーを経営してくれるバーテンを見出して雇うことは不可能に近く、又原告の堅実な経営方針にそつて働いてくれる質の良いホステスを見付けることも極めて困難であり、又、本件事故により原告が腰を痛めているので、働きまわれない事情もあり、そのため現在の様な貧弱な営業状態が続いている状況である。

店を開けてから現在までの約二〇カ月間(昭和四四年五月ごろから、昭和四六年二月ごろまで)に至る間は従前の売上げのせいぜい三分の一程度の売上げしか得られなかつたのであるから、その間の逸失利益は少なくとも三三〇万円(100万円×1/2×1/3×20カ月)となる。

(ハ) 原告が事故前に得ていた利益の使途

原告は前記の如く、ホテル及びバーを経営して月々少なくとも七七万円を下らない収入を得ていたものであるが、その利益は次の如き用途に支出されていた。

銀行の掛金及び利息の支払

(1) 原告は、昭和三九年八月ごろ、前記若草ホテルを開店したが、同ホテルの敷地購入代金及び建物建築代金として約金一、七五〇万円を支出した。

そして、右金額の内、金一、〇九〇万円を銀行借入れによつてまかなつた。

この借入金を昭和三九年五月ごろから、昭和四二年二月ごろまでの間に分割弁済して、この間左記のとおり、金六九八万円の元本を日歩二銭八厘の割合による利息の支払をした(詳細は別表の通り)(元本の借入及びその弁済)

(イ) 昭和三九年五月一四日借入金三〇〇万円、昭和四二年二月一六日現在の残額金四五万円(甲第一九号証)

(ロ) 昭和三九年八月二四日借入金三五〇万円、昭和四二年二月一六日現在の残額金七五万円(甲第二〇号証)

(ハ) 昭和三九年一二月八日借入金二〇〇万円、昭和四二年二月一六日現在の残額金九五万円(甲第二一号証)

(ニ) 昭和四〇年一〇月二六日借入金九〇万円、昭和四二年二月一六日現在の残額金五七万円(甲第二二号証)

(ホ) 昭和四一年三月一五日借入金一五〇万円、昭和四二年二月一九日現在の残額金一二〇万円(甲第二三号証)

以上合計金一、〇九〇万円の借入金、昭和四二年二月一六日現在の残金三九二万円

(利息の支払)

(イ)の借入金に対して、昭和四二年二月一六日までに金六四万七、六一六円支払(別表及び甲第二四号証参照)

(ロ)の借入金に対して、右同日までに金七〇万四、三四〇円支払(別表及び甲第二五号証の一、二)

(ハ)の借入金に対して、右同日までに金四六万五、二七六円支払(別表及び甲第二六号証の一、二)

(ニ)の借入金に対して、右同日までに金一二万八、二五三円支払(別表及び甲第二七号証)

(ホ)の借入金に対して右同日までに金一五万五、三七六円支払(別表及び甲第二八号証)

以上合計金二一〇万〇、八六一円を支払つた。

(2) 右元本及び利息は、昭和三九年五月から、昭和四二年二月にかけて月々払込まれたものであり、その払込みの詳細は別表のとおりであるが(但し、元本の分割弁済経過については、銀行に保管されているはずの記録が見付からないため昭和四二年二月までの弁済総額を月数で割つて、一カ月の平均弁済額を算出した)、これによつて明らかな如く、原告は昭和四一年三月ごろから、昭和四二年二月ごろまでの間は、月々銀行に平均金三二万五、八七〇円程度の支払を為していたのである。

この支払は、いずれも原告経営のバーとホテルの収益をもつて為していたものである。

(3) その後、昭和四二年二月二二日に前記(1)の如く、(イ)~(ホ)の未返済金額を合計して、これに八万円を加えて元本を金四〇〇万円とし、月々一〇万円づつを分割弁済する更改契約を銀行との間で為した上で(甲第二九号証)月々支払いを為して来たが(甲第三〇号証)、本件事故により収入が途絶え、貯蓄による生活が続いて、ついに銀行に対する月金一〇万円の支払いも困難になつたため、昭和四四年一二月二五日には残本金一九〇万円について、毎月金五万円宛の分割弁済とする旨の更改契約を為したのである(甲第三一号証)。

その他、原告が月々支出していた経常支出(ホテル、バーの維持費は含まない)は次の通りである。

(1) 子供三人(当時中学三年、中学二年、小学校三年)の教育費として金二万一、五〇〇円

右の内訳は、女の子二人のピアノ授業料金五、〇〇〇円、男の子のバイオリン授業料三、〇〇〇円、女の子の華道授業料二、〇〇〇円、書道授業料一、五〇〇円、私塾授業料二人分八、〇〇〇円、ソロバン授業料二、〇〇〇円

(2) 乗用車の月々の分割弁済金五万五、〇〇〇円

(3) 車庫代 七、〇〇〇円

(4) ガソリン代 五、〇〇〇円

(5) 保険掛金 五、〇〇〇円

(6) バー借地料 九、〇〇〇円

(7) 組合費及び行楽用積立金 六、〇〇〇円

(8) その他の経常生活費(ホステスの食事代を含む) 金一〇万円

以上合計金二〇万八、五〇〇円

以上の如く、銀行への支払、経常生活費を合わせると、昭和四一年三月ごろから、昭和四二年二月ごろまでの間の月々の支出は平均して金五三万四、三七〇円となる。

月々得られる金八〇万円程度の収入の内、右の支出を除いたその余の部分は、臨時の支出や貯蓄、原告の小遣、交際費等にまわされており、銀行への支払が減つた昭和四二年二月以降は、その浮いた部分が貯蓄にまわされていたのである。

(一) 入通院中の逸失利益 金七九二万円

(イ) ホテル経営の分

ホテルの名称 名古屋市港区所在「若草ホテル」

売上金額 一ケ月につき金六〇万円以上

利益率 売上げの四五%

本件事故による入通院のための休業期間 六ケ月

その損害額 金一六二万円

(ロ) バー経営の分

バーの名称 名古屋市港区所在「サロンエイト」

売上金額 一ケ月につき金一〇〇万円以上

利益率 売上げの五〇%

本件事故による入通院のための休業期間 六ケ月

その損害額 金三〇〇万円

その後の売上減少による損害 金三三〇万円

100万円×1/2×1/3×20ケ月=330万円

(二) 入通院中の慰謝料 金一五〇万円

入院 昭和四三年一一月七日から昭和四四年二月三日までの二ケ月二八日

通院 退院後は二年余の間ほぼ一日置きの割合で通院

(三) 後遺症による損害

(イ) 逸失利益

後遺症の内容・程度 腰痛、自賠等級一二級該当

労働能力喪失率 一四%

喪失期間 一〇年以上

損害額 金一、〇二七万六、三五八円

77万円×12ケ月×0.14×7.944(ホフマン係数)=10,276,358円

(ロ) 慰謝料 金六〇万円

(四) 治療費 金三一万六、五三六円

昭和四四年九月一日から昭和四六年一月三一日までの間の原告負担分

(五) 以上の合計 金二、〇六一万二、八九四円

(六) 自賠責保険からの給付 金一五万円

(七) 差引請求金額 金二、〇四六万二、八九四円

(予備的請求原因―その一)

(一) 入通院中の慰謝料、後遺症の慰謝料、治療費は右の本位的請求と同じ 合計金二四一万六、五三六円

(二) 休業中の逸失利益

収入額 前記ホテル、バーの分を含めて月額金五三万四、三七〇円

但し、少くとも、原告が月々銀行に返済していた金三二万五、八七〇円と原告の月々の生活費金二〇万八、五〇〇円の合計額により前記経営による純益と認むべき金額

休業期間 六ケ月

損害額 金三二〇万六、二二〇円

534,370円×6=3,206,220円

(三) 後遺症による逸失利益 金七一三万一、六五四円

534,370円×12×0.14×7.944=7,131,654円

(四) 以上の合計 金一、二七五万四、四一〇円

(五) 自賠責保険からの給付 金一五万円

(六) 差引請求金額 金一、二六〇万四、四一〇円

(予備的請求原因―その二)

(一) 入通院中の慰謝料、後遺症の慰謝料、治療費は前記本位的請求と同じ 合計金二四一万六、五三六円

(二) 休業中の逸失利益

収入額 前記ホテル、バーの分を含めて月額金三二万五、八七〇円

但し、少くとも、原告が月々銀行に返済していた金額は、原告の前記経営による純益と認むべき金額

休業期間 六ケ月

損害額 金一九五万五、二二〇円

(三) 後遺症による逸失利益 金四三四万九、〇三〇円

325,870円×12×0.14×7.944=4,349,030円

(四) 以上の合計 金八七二万〇、七八六円

(五) 自賠責保険からの給付 金一五万円

(六) 差引請求額 金八五七万〇、七八六円

四 結論

よつて、請求の趣旨記載の金額及びこれに対する本件事故当日から完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

五 被告の主張(七)の弁済の事実は認める。

(被告)

一  請求原因の認否

請求原因一のうち、傷害の内容については不知、その余は認める。

同二のうち、岩田一妻が被告の次男であることは認めるが、その余は争う。

同三の事実は争う。

二  被告の主張

(一) 傷害の因果関係

原告は、本件事故前にも、昭和四三年四月二七日交通事故によつて負傷している。本件事故当時は未だ前事故による傷害は完治せず治療中であつた。原告が主張する負傷中、頸部挫傷、外傷性脳頸症候群は前事故によるものである。

従つて、原告主張の入通院は、前事故のためのものか、本件事故のためのものか、判然としない。

また、本件追突は全く軽微なものであり、原告主張のような横突起骨折が生ずる筈がない。

(二) 逸失利益について

1 原告主張のような期間の休業があつたとは証拠上認められない。

2 本件事故と原告主張のホテル、バーの休業とは因果関係がない。

閉店をせずとも可能な筈である。

3 原告の昭和四三年度分申告所得額は金一四九万五、〇〇〇円である。原告の主張額はこの一〇倍にも当る。このような過少申告が税務署に看過される筈はない。

また、税務申告は所得の一割しか申告せず、交通事故により被害を蒙つたときその一〇倍もの金額を請求するというのは、健全な国民感情に合致しないばかりか、かかる納税者は権利の保護を受けるべきではなく、権利の濫用である。

(三) 後遺症による損害について

原告の後遺症は労災等級一二級である。この程度の後遺症でバーテンの仕事に支障を来すということはあり得ない。

(四) 治療費について

前の事故による治療費も含まれているからその全額を被告に負担させることは不当である。

(五) 予備的請求について

原告の支出を即収入とするのは論理の飛躍がある。蓋し、原告及びその家族に従前より匿名の預金があり、これを表に出せば直ちに税務署から預金の出所を追及されるので、匿名の預金額を銀行から借りたことにして、これを匿名預金で返還する方法があるからである。(この方法は、利息分だけ損するが税金を納めるより利益であるとの考えに基づく。)この方法は日常頻繁に行われているところである。

(六) 被告の賠償態度

被告は、本件事故の賠償について誠心誠意をつくし、治療費は昭和四四年八月分まですべて立替えて支払い、入院中の諸雑費にも誠意をつくし、必要とされる期間毎日付添家政婦をつけてきた。

(七) 弁済

右のほかに、被告は原告に対し、逸失利益乃至は慰謝料として、つぎのとおり、合計金一一四万五、〇〇〇円を支払済である。

昭和四三年一〇月一八日 金三〇万円

同年一一月二九日 金四四万五、〇〇〇円

昭和四四年一二月二〇日 金四〇万円

第三証拠関係〔略〕

理由

一  (交通事故とその態様)

請求原因一の事実は、傷害の内容部分を除いて、当事者間に争いがない。

〔証拠略〕によれば、本件追突事故は、原告車(普通乗用自動車)が交差点手前で黄信号になつたため停止したところへ岩田一妻運転の自動車が追突したもので、それまで岩田一妻は時速一五―二〇キロメートルの速度で原告車のうしろを、約一〇メートルの車間距離で走行して来たところ、偶々、左後方から進行して来た他の乗用自動車(タクシー)に気をとられて、一瞬前方の注視をおろそかにしたため、原告車の後方約三・三メートルの距離に至つて原告車の停止に気付き、急ブレーキを踏んだが間に合わず、原告車の後部に追突するに至つたものであること、当時、路面は平坦な舗装道路で乾燥していたことが認められる。

二  (責任の帰属)

岩田一妻が被告の次男であることは当事者間に争いがなく、〔証拠略〕によれば、岩田一妻は本件事故当時一八才の中京高校生で、同人が運転していた自動車は被告の保有に係るものであつたことが認められるから、自賠法第三条により、被告は本件事故によつて原告が負傷したことによる損害を賠償すべき義務がある。

三  (損害)

〔証拠略〕を綜合すれば、つぎの事実が認められる。

(一)  原告の負傷と治療経過

(イ)  本件事故前の負傷と治療経過

原告は、本件事故前の昭和四三年四月頃、自動車を運転していたところへトラツクにかぶせられて溝に落ち、同月三〇日から名古屋市港区所在の中部労災病院で診療をうけていた。その病名は、四月三〇日から受診の整形外科では頸部挫傷、同年七月二二日から併行診療の神経科では頸部捻転、頭部外傷後遺症ということであつた。右傷病の治療のため、原告は右整形外科にその後、同年五月に五回、六月に四回、七月に六回、八月に五回、九月に五回、一〇月には七日に通院して、なお同科において治療中であつた。原告の主訴は首を動かすと痛みがあるということであつた。神経科では、原告は、頭痛、頭がボーツとする。睡眠障害、右肩のしびれ感を訴えており、諸検査の結果、右の側頭部の中程と後部、後頭部の辺の脳の機能の幾分の抑制状態、右首の付け根あたりから肩、上腕にかけて知覚の低下、痛覚・温覚・冷覚のやや低下が認められたが、整形外科的な症状が主体であろうとの判断からその後の治療は同科においてはなされていなかつた。

(ロ)  本件事故による負傷と治療経過

前示のとおり、昭和四三年一〇月一一日原告は停止したところへ追突をうけた。追突して来たのは普通乗用自動車で、その自動車は時速一五―二〇キロメートル程度のスピードで進行して来ていたものであつた。緩速というべき速度である。原告は事故当日から名古屋市港区所在の中部労災病院に通つて診療をうけた。始めは、肩、胛の痛み、肩の知覚異常を訴えていたし、追突を受けたということであつたので、病院では首の部分の治療を中心に考えていた。ところが同月二八日頃になつて、腰の痛みを訴え、通院ができないということであつたので「それでは入院して貰つて治療しましよう。」ということになり、病室の都合で、同年一一月七日から同病院に入院するようになつた。レントゲン撮影の結果原告には第三腰骨横突起骨折のあることが分り、この骨折と頸部挫傷、外傷性脳頸症候群が原告の傷病名とされた。本件事故の追突が前示のとおり一五―二〇キロメートルの緩速であつたこと、事故後の診察で当初の間は原告は腰の痛みを訴えていないこと、骨折があつた場合に患部の痛みが一〇日以上も経過してから始めて出てくることは通常考えられないこと、追突によつて骨折まで生ずるというのは稀有というべきことを考え合せると、この第三腰骨横突起骨折が本件事故によつて生じたものとは当裁判所は遽かに断定し難い。〔証拠略〕にはこれを肯定する部分もあるけれども、その中の新鮮な骨折であつたという部分は、本件事故後レントゲンの撮影がなされるまでに一〇日以上の時日が経過しており、その間原告は通院していたのであるから、本件事故以外の原因が介在する余地が全くない訳ではないし、その余の部分は起り得る可能性があるという域を出ないものであるから、この証言部分をもつて右の判断を左右するに足らない。

入院後、原告に対しては整形外科における骨折の治療が主となつてなされ、それに神経科における脳神経症状の治療が併せ行われた。神経科では一一月一五日に診療、同月一九日に脳波検査が行われ、一二月一二日頃から投薬による治療がなされていたが、ロンベルク症候が陽性であるという以外には、これといつた他覚的所見は認められなかつた。原告は、頭痛、頸部痛、腰痛、視力低下を訴えており、同科での病名は外傷性頭頸症候群とされていた。原告がこの神経科で治療を受けた(その間の治療実日数は、一二月が六日、昭和四四年一月が七日、二月が四日、三月が六日、四月が四日、五月が五日、六月が七日、七月が一〇日、八月が三日、九月が三日、一〇月が二日、一一月が二日、一二月が一日)のは昭和四四年一二月四日頃までであつた。その頃、原告の症状は完全に治癒とは言えないが(腰部痛があつたので)、全体として、非常に快くなつているという状態であつた。

原告は、前記入院後、右のとおり整形外科における骨折の治療―ギブスベツト着床による安静、温浴、温湿布等―を主として受け、昭和四四年三月一三日同病院を退院した。退院後も、原告は、同年三月に一四日、四月に二二日、五月に二二日、六月に一六日、七月に一五日、八月に一三日、九月に八日、一〇月に一五日、一一月に一二日、一二月に一八日、昭和四五年一月に一四日、二月に一八日、三月に一五日、四月に一八日、更にその後も同病院に通院し、昭和四六年二月二四日の原告本人尋問当時、俗に言うギツクリ腰のような症状で、周期的に膝に痛みのあることを訴えている。

以上の事実並に判断によれば、原告は、本件事故によつて頸部挫傷、外傷性頭脳頸症候群の傷害を負い、その程度は、それ丈では通院して治療をうければ足る程度のもので、その症状は右傷病の病理に照し、長くとも六ケ月程度の経過をもつて治癒したものと認めるのが相当である。

被告は、本件事故後の治療には、それ以前の事故による傷害に対するものも含まれていると主張し、その治療が未だ継続中であつたことは前示認定のとおりであるが、整形外科におけるものは別として、〔証拠略〕によれば、神経科の判断としては「頭部外傷後遺症としては、労災の認定はおそらくしないと思います。」というのであつてほゞ治癒していたものと認められるから、前示判断の、本件事故に因る傷害のための治療の限度においては、さきの交通事故による分は含まれていないと認めるのが相当である。

(二)  治療費

原告は、昭和四四年九月一日から昭和四六年一月三一日までの期間の治療費を請求しているが、前示のとおり、本件事故による傷害は事故後凡そ六ケ月を経過した昭和四四年四月一一日頃までには治癒したものというべきであるから、この請求は理由がない。

(三)  逸失利益

原告は、本件事故当時四一才で、「バー・サロンエイト」と「若草ホテル」を経営していた。

バー・サロンエイトの経営は昭和三二年頃から始めたもので、店は港区港本町三丁目一番地にあり、本故事故当時で店の広さは約四・五坪、原告がマスター兼バーテンをしており、六人のホステスがいた。若草ホテルの経営は昭和三九年頃から始めたもので、店は港区西倉町一丁目五番地にあり、七室の客室を備え、泊り二、〇〇〇円、休憩二時間で一、〇〇〇円の料金で、本件事故当時、原告の妻と二人の女子従業員(特に忙がしい時はその外にパートで雇つていた。)がその業務に当つていた。

本件事故当時及びそれ以前の、右バー及びホテルの売上帳、金銭出納帳その他の経営に関する帳簿類は現存しない。原告は昭和四二年分から青色申告の方式で所得税の確定申告(それまでは白色)をしていた。原告の申告所得額は、昭和四二年分が金三七万円余、昭和四三年分が金一四九万五、〇〇〇円、昭和四四年分が金四〇万円であつた。そうすれば、右各申告当時には原告の前記バー及びホテルに関する経営の諸帳簿は整備されており、その後に至つてそれが紛失若くは廃棄されるに至つたものと推定される。而して、昭和四三年分の所得申告期日は本件事故発生の後に属すること、昭和四二年分のそれと比較すると一挙に四倍以上になつている点において、一応の疑念が存しないではないが、他に確実な反証のない本件においては、昭和四三年分の所得は金一四九万五、〇〇〇円程度のものであつたと認めるのが相当である。原告は入院(一一月七日)後、ホテルを閉め、バーの方もしばらくは女の子に委せて営業していたが間もなく店を閉めたので、右所得は一一月七日前後までのもので、月額にすると平均して金一四万五、〇〇〇円程度のものであつたと認められる。

原告は、その本人尋問において、右経営における収益がホテル、バーを合せ月額平均金七七万円程度であつたと供述しているが、前示青色申告の額が帳簿類の整備されていた筈のものであることを考えれば、右供述部分は遽かに措信し難い。また、原告は、銀行に対する借入金の弁済利息の支払いが月々金三二万五、八七〇円になつており、その外に月々金二〇万八、五〇〇円程度の経常支出(子供の教育費、自動車の月賦金、車庫代、ガソリン代、保険掛金、借地料、組合費、行楽積立金、生活費)をしていたから、右合計の金五三万四、三七〇円若くは少くとも銀行支払分の金三二万五、八七〇円の収益を挙げていたことは間違いないと主張するけれども、支出費用の調達は他に匿名預金の利用或いは別口の借入れによつても可能な余地のあること、前示のとおり原告の申告は青色申告の方法によるもので帳簿書類が整備されていた筈のものであることを考え合せると、これ等金額が直ちに原告の前示経営による収益によるものであつたと断定するのは相当でない。

原告は、前示のとおり、昭和四三年一一月七日の入院前後からホテル及びバーの店を閉め、昭和四四年三月一三日退院後の同年四月頃からこれらの店を再開するようになつた。この事実と前示原告の負傷と治療経過、就中、原告が本件事故によつて蒙つたものと認められる負傷の内容と程度及びその治療経過を併せ考えて見ると、原告が本件事故によつてホテルを閉めなければならない丈の負傷を負つたとは言い難く、相当因果関係があるとは認め難い。他方、原告はバーでマスター兼バーテンの仕事をしていたのであるから、前示本件事故による傷害によつてこの営業活動に支障の生じた筈のものであることは明らかである。而して、前示傷害の内容、程度、治療経過と、バーの経営者、マスター、バーテンとしての労働内容とその性質を考え合せれば、原告が本件事故によつて喪つたものは、平均して、右バーにおける収益のうちの五〇%程度のもの、その期間は、本件事故発生の時から六ケ月程度と認めるのが相当である。

ところで、前記原告平均月額収入金一四万五、〇〇〇円のうちどれ丈のものがバーの分であるかを明確にする証拠はない。しかしながら、原告本人尋問の結果によれば、バーとホテルの収益額の比率は六五対三五程度のものであつたと認められるので、原告が本件事故によつて喪失した利益と認むべきものはつぎのとおりになる。

145,000円×0.65×0.5×6=28,2750円

(四)  慰謝料

本件事故の態様、原告負傷の内容、程度、治療経過、本件事故発生後の原告に対する被告の金員支払状況その他本件に顕れた一切の事情を斟酌すれば、原告が被告に対し慰謝料として請求し得べきものは金一二万円と認めるのが相当である。

(五)  損益相殺

以上の合計は金四〇万二、七五〇円となるところ、これ等の損害について被告が合計金一一四万五、〇〇〇円の支払いをしていることは当事者間に争いがないので、これを控除すれば残額はもはや存しない。

四  (予備的請求について)

原告は、本訴において予備的請求(その一、二)をしているが、これ等はいずれも本件事故による損害額の算定方法について異なる方法を主張しているに止まるものであり、それ等の主張の採用し難いことはすでに判示したとおりであるから、この上更に別個の請求としての判断を示すべき要を見ない。

五  (結語)

以上の次第であるから、原告の本訴請求は失当として棄却すべきである。

よつて、訴訟費用の負担については民訴法第八九条に従い、主文のとおり判決した。

(裁判官 藤井俊彦)

別表

〈省略〉

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