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名古屋地方裁判所 昭和37年(ヨ)980号 決定 1962年8月24日

申請人 谷輸忠彦

被申請人 杉浦商店こと杉浦操 外一名

主文

被申請人らは申請人に対し仮に金二一六、三六〇円及び昭和三七年八月一六日より申請人の退院まで毎月一五日および毎月末限り各金一万五千円を支払え

(裁判官 松本重美)

仮処分申請書

申請の趣旨

被申請人らは申請人に対し仮に金二一六、三六〇円および八月十六日より申請人の退院まで毎月十五日および毎月末限り各金一万五千円を支払え。

旨の御裁判を求める。

申請の原因

一、申請人は昭和三十七年一月十一日午後零時三十分頃名古屋市瑞穂区田光町二ノ十六番地先において被申請人松浦末久の運転する軽自動車六愛三九六三番に左脚附近を衝突せしめられ、傷害を負つた。

二、被申請人杉浦操は肩書地において杉浦商店と称し、布帛の製造、製品卸商を営み被申請人松浦の使用者雇傭主である。

三、被申請人松浦末久は前記杉浦商店において自動車の運転業務に従事していたものであるところ前記日時、前記車輛を運転し、時速三十五粁で北進し、前記番地先の、人家のため左右の道路とも見透しの悪い十字路に差しかゝつたのであるが、減速もせず漫然該交差点に進入した過失により、折柄右側道路より軽自動二輪車で進行して来た申請外花井繁に気付かず約六米斜右前方において初めて発見し狼狽して急停車の措置をとつたが及ばず、軽自動車四輪の前部を軽自動二輪車の後部座席に同乗中の申請人谷輪忠彦の左脚附近に衝突せしめ、よつて同人に対し左下腿骨折等により全治八ケ月以上の加療を要する傷害を負わせたものである。

四、そのため申請人は直ちに同市瑞穂区大喜町の医療法人牛巻病院に収容され、治療を受けているが、いまだ快癒するに至らない。

五、入院費用は、

1 一月一一日 -一五日 一八、八二〇円

2 一月一六日 -三一日 四二、三三〇円

3 二月一日  -一五日 二五、八五〇円

4 二月一六日 -二八日 一九、一五〇円

5 三月一日  -一五日 二一、九五〇円

6 三月一六日 -三一日 二三、四〇〇円

7 四月一日  -一五日 二三、三五〇円

8 四月一六日 -三〇日 二〇、七五〇円

9 五月一日  -一五日 二〇、七七〇円

10 五月一六日-三一日 二二、九七〇円

11 六月一日 -一五日 二〇、四四〇円

12 六月一六日-三〇日 二〇、四四〇円

13 七月一日 -一五日 一五、二三〇円

14 七月一六日-三一日 一三、八二〇円

15 八月一日 -一五日 一二、九四〇円

合計        三二三、七二〇円

を要し、今後も少くとも六ケ月の入院を費し、半月に最低一五、〇〇〇円を必要とする。

六、しかるに被申請人らは治療費はすべて負担するといいながら前項1ないし3の費用と付添人の費用を支払つたのみで、その余二三六、七二〇円の支払をしない。

七、申請人は妻子を抱え貯えもなく、また交通事故の傷害については国民保険の適用もなく病院から毎日のごとき請求にかゝわらず、その支払いができない。

八、そして傷のほうはまず外傷の治療段階で、いまだ接骨のほうまで進んでいないので、退院することができないが、病院の支払いができないため、いまにも病院を追われる状態にある。

九、そこで申請人は止むなく妻をして名古屋弁護士会の交通事故無料相談の窓口を訪れさせたところ、法律扶助協会の扶助のあるのを知りその手続をした。

そして今般右申請が通り法律扶助の下に、当代理人より被申請人らに対し損害賠償請求の本案訴訟を提起するよう準備しているが、その本案判決まで申請人は、生活費用はもちろん入院費用に事欠く状態にあり病院を追出される急迫の状態にあるので本申請におよんだ次第である。

疎明方法

一、事故証明書

二、略式命令

三、診断書

四、治療報酬請求書

五、法律扶助「契約書」

六、陳述書

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