大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

名古屋地方裁判所 平成8年(ワ)1029号 判決 1997年2月05日

原告

稲田潤二

ほか二名

被告

加藤佳代子

主文

一  被告は、原告稲田潤二に対し金八二万二八九七円、原告稲田涼及び原告稲田章に対し各金四一万一四四八円及び右各金員に対する平成八年四月六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用については、これを二〇分し、その一を被告の負担とし、その余を原告らの負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

被告は、原告稲田潤二に対し一二一三万三四〇三円、原告稲田涼及び原告稲田章に対し各六〇六万六七〇一円及び右各金員に対する平成八年四月六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、左記一1の交通事故の発生を理由として、その後に自殺した訴外稲田縁(以下「被害者」という。)の相続人である原告らが、被告に対し、不法行為に基づいて損害賠償を請求するものである。

一  争いのない事実

1  本件事故

(一) 日時 平成六年五月一八日午後〇時二五分ころ

(二) 場所 愛知県瀬戸市品野町二丁目一五五番地先道路上

(三) 加害車両 被告運転の軽四輪乗用自動車

(四) 被害車両 被害者運転の軽四輪乗用自動車

(五) 態様 信号待ちのために停止していた被害車両に加害車両が追突した。

2  被害者の受傷及びその後の経緯

被害者は、本件事故により頸部・背部挫傷の傷害を負い、同年九月三〇日までの間に四一日、夏目整形外科ほかに通院し、右同日、右傷害に対する治療は打ち切られた。

被害者は、本件事故前から、精神的疾患のために公立陶生病院神経精神科に通院していたものであるが、本件事故後は、同年一一月から一二月にかけて右病院に入院することとなり、また、その後も通院治療を受けていた。

そして、被害者は、平成七年五月二日、自宅で自殺した。

3  被害者の相続

被害者の相続人は、その夫である原告稲田潤二(以下「原告潤二」という。)と、いずれもその子である原告稲田涼及び原告稲田章であり、原告らは、本件事故によつて被害者に生じた損害賠償請求権について、法定相続分に従い、原告潤二が二分の一、原告稲田涼及び原告稲田章がそれぞれ四分の一の割合で相続した。

4  責任原因

被告には、前方注視義務を怠つた過失がある。

二  争点

本件の争点は、本件事故と被害者の自殺との間に相当因果関係があるか否かである。

第三争点に対する判断

一  本件事故と被害者の自殺との間の因果関係について

1  甲一号証の一ないし七、甲二、三、七号証、乙四、五号証によれば、次の事実を認めることができる。

(一) 被害者は、昭和六一年ころ、静岡県裾野市に居住していたが、同年九月一二日に、イライラ、億劫、希死念慮、抑鬱気分、不安などを訴えて、同県沼津市所在の大手町クリニツクに受診したところ、被害妄想があり、また、慢性的な抑鬱傾向があるとされて、精神分裂病と診断された。その際、被害者は、中学時代に登校拒否のために精神科に受診したことがあり、また、被害妄想は高校時代からあつたとする趣旨の申告をしている。

その後、被害者は、右以降昭和六二年三月ころまでと昭和六三年一二月ころから平成二年三月ころまでの期間、概ね月に一回ないし二回の割合で右病院に通院し、投薬などを受けており、その結果、ほぼ落ち着いた状況になつていた。

(二) 被害者は、平成二年三月に、現住所地である愛知県瀬戸市に転居し、同年四月二四日から、経過観察のため、同市所在の公立陶生病院神経精神科に通院するようになつたが、同病院における診断は、心因反応であつた。

そして、被害者は、右病院にも概ね月に一回ないし二回の割合で通院して投薬などを受けており、平成三年四月ころから平成六年一月ころまでは、ほぼ投薬を受けるのみであつた。

なお、被害者の夫である原告潤二は、平成二年一二月ころ、右病院に赴き、医師に対し、被害者の様子について、うわ言が多かつたり不眠を訴えたりしていたので異常だと認識していたとし、育児ノイローゼだと考えていたとする旨の説明をしている。

(三) 被害者は、平成六年一月ころ、妊娠したのではないかと心配して公立陶生病院に受診し、このころ、睡眠薬の服用量を増やしたが眠れないと訴えていたが、妊娠していないことが判明して、一応落ち着いた状況となつた。

(四) 被害者は、同年五月一八日に本件事故に遭つたが、これによる受傷に関しては、本件事故の翌日である同月一九日から夏目整形外科に通院して治療を受けた。そして、被害者は、当初は、頭痛、頸部痛、背部痛、頸部運動制限などを訴えていたが、鎮痛剤などの投薬治療や頸部の牽引などの理学療法を受けて、その症状は徐々に軽快し、症状として比較的持続していた背部痛についても徐々に減弱して、同年九月三〇日をもつて治療は中止となつた。

なお、被害者には神経学的な異常所見はなく、また、レントゲン検査やCT検査の結果においても異常はないとされており、さらに、被害者は、同年七月ころまではかなり頻繁に通院していたものの、同年八月以降の通院日数は、八月に二日、九月に四日というように僅かなものとなつていた。

(五) 被害者は、右のように夏目整形外科において治療を受けていた間にも、公立陶生病院神経精神科に通院しているが、その通院頻度は従前と同様に月に一回ないし二回程度であり、また、投薬も従前と変わることなく同様になされていた。

そして、同年九月ころまでは、精神科に受診していることで本件事故による治療が心因性のものであるとされて損害賠償を得られないのではないかとするような本件事故処理についての心配を訴えたり、背部痛や手の痺れなどを訴えていたが、その後は、本件事故に関する訴えは殆どなくなつていた。

(六) そして、同年一〇月ころになると、被害者は、夫である原告潤二が精神科の薬を服用するのを気にしていると訴えて、薬を止めたいと考えるようになつた。このため、被害者は、所謂霊感商法の被害に遭つて眠ることができるとする器械を買わされ、警察から事情聴取を受けたりすることとなつたが、これに対する対処方法が判らなくなり、立つていられなくなるような発作を起こすなど、症状が増悪する結果となつて、ついに、同年一一月一五日から同年一二月一五日までの間、公立陶生病院に入院するに至つた。

そして、右入院中の被害者は、テレビや新聞などの内容や他の患者の言動について、すべてを自分と関係付けて不安を抱くという状況を繰返していたが、特に、本件事故と関連するものと受け取られるような訴えはなかつた。むしろ、右病院においては、被害者の精神状態は、母親との葛藤や、夫や子供に対する攻撃性を表しているものと判断していた。

(七) 被害者は、徐々に落ち着きを取り戻したため、右病院を退院し、再び同病院に通院する状況となつたが、その通院頻度については、従前と同様に月に一回ないし二回程度であつたものの、従前とは異なり、通院する都度、種々の不安を訴えるようになつていた。

そして、平成七年三月二一日には、被害者の父が縊死するという事態が発生し、以前、被害者の祖母も縊死していたため、右病院の医師は、被害者の状況をかなり心配したが、被害者は、特段に精神状態が不安定になることもなく経過した。

なお、被害者は、同年三月二九日に右病院に受診した際、医師に対して、未だ示談が済んでいない旨の申告をしており、被害者が、本件事故の処理に関して気にかけていることが窺われる経緯もあつたが、その他には、本件事故に関連するものと考えられるような訴えはなかつた。

(八) 右のような経緯を経た後、被害者は、同年五月二日に自宅において縊死した。

(九) ところで、公立陶生病院において被害者を担当していた医師は、本件事故後に被害者の受診の回数が増えており、家事ができないことなどについて被害者が悩んでいたとし、そのため霊感商法に関わることになつたとして、その自殺の原因については、被害者の気質など諸因があつたと考えられるものの、本件事故に縁由する悩みが一因となつた可能性を否定することはできないとする意見を示しているが、しかし、他方、右病院のカルテには、被害者の話題の中心が霊感商法のことであつたので、本件事故が自殺の主原因となつているものとはみなし難いとし、縊死の原因としては、実父の自殺、夫婦間の不仲、子供との関係が良好でなかつたことが主たるものであると考えられるとする医師の判断が記載されている。

2  ところで、原告潤二本人の供述中には、本件事故の前の被害者は、確かに公立陶生病院神経精神科に通院していたものの、格別、精神的に不安定な様子を示していたことはなく、眠ることができないから睡眠薬を服用していると見受けられる程度の状況であつたが、本件事故後は、同じことを何回も繰返して言つたり、無気力を訴えたりするなど、被害者の精神状態が明らかに変化したとする部分、被害者は、右状況のために睡眠薬の服用量が増大し、それを心配した原告潤二が睡眠薬の服用を止めるように勧めたところ、霊感商法の被害に遭つて眠ることができるとする器械を買わされる結果となり、さらに精神状態の安定を欠くことになつて、結局、右病院に入院することになつたとする部分、被害者と原告潤二や子供らとの間は、不仲であつた訳ではなく、ごく普通の家族関係であつたとする部分、被害者は、夏目整形外科における治療を中止した後にも、背部痛や手の痺れを訴えていたとする部分がある。

しかし、右に認定したとおり、原告潤二は、平成二年一二月ころには、被害者の様子が単なる不眠に止まらない異常を示していることを認識していたのであり、また、本件事故後の公立陶生病院での治療状況は、受診回数、投薬量などにおいて、従前と大して異ならない内容であつたというべきであるから、本件事故前の被害者の精神状態は格別不安定ではなかつたとし、本件事故後、その精神状態が明らかに変化し、睡眠薬の服用量も増大したとする原告潤二本人の右供述部分を直ちに採用することはできないといわなければならない。また、被害者と原告潤二らとの家族関係が、原告潤二から見て格別不仲なものでなかつたとしても、家族に対する被害者の心情が攻撃的であつたことを否定することにはならないというべきであるから、右趣旨の原告潤二の供述部分によつても、公立陶生病院の医師が、家族関係が良好でなかつたことを自殺の一つの原因であると判断していることを左右することはできないといわざるを得ない。さらに、右認定の夏目整形外科における被害者に対する治療状況に照らすと、被害者には格別の他覚的所見はなく、平成六年八月以降は通院も僅かとなつており、比較的遅くまで症状の残つた背部痛についても、通院を中止したころには減弱していたというのであるから、本件事故による被害者の症状は、通院を中止した同年九月三〇日には殆ど軽快していたものといわざるを得ず、その後の公立陶生病院の医師に対する被害者の訴えの中に、本件事故に関することが殆ど含まれていないことをも考慮すると、右以降においても、被害者に症状が残存していて、被害者がこれを苦にしていたということもできず、被害者に症状が残存していたとする原告潤二の右供述部分も採用できないというほかない。

そして、他に、前記認定を左右するに足りる証拠はない。

3  ところで、原告らは、被害者は、本件事故に遭つたことによる精神的シヨツクや示談などに対する不安から、その精神状態の安定を欠くに至り、睡眠薬の服用量が増大したことから、これを止めようとして霊感商法に関わることになつたのであつて、本件事故が被害者の自殺に至る過程の端緒になつていることが明らかであると主張し、これと、被害者にあつたもともとの精神疾患、霊感商法の被害に遭つたことによる精神的混乱、さらには実父の縊死による精神的シヨツクなどが相乗した結果、自殺に至つたものであるというべきであつて、本件事故以外の右の他の諸要因の寄与も否定できないものの、本件事故がなければ自殺にまでは至らなかつたというべきであると主張する。

しかし、右に認定したところによれば、本件事故が、被害者に対し、従前の状況との比較において明らかな精神状態の変化をもたらし、睡眠薬の服用量を増大させたとまでいうことはできないといわざるを得ないところであつて、原告らの右主張に沿う原告潤二本人の供述部分は、右のとおり採用できず、他に、右事実を認めるに足りる証拠もないのであるから、被害者が、本件事故によつて一定の精神的不安定に陥つたことを否定することはできないとしても、これが、通常一般的に見て、被害者の自殺にまで結び付くものとは到底いい得ないものというほかないところである。要するに、原告らの主張は、その前提となる事実を欠くものというべきである。

なお、確かに、公立陶生病院において被害者を担当していた医師は、被害者の自殺について、本件事故に縁由する悩みが一因となつた可能性を否定できないとする意見を示しているが、同時に、右医師は、本件事故が自殺の主原因となつているものとはみなし難いとし、他の複数の原因となるべき事実を挙げているのであり、右に認定したところによつても、被害者が自殺するに至る過程の中に、本件事故が存在していること自体を否定することはできないのであるから、右医師の右意見は、事実的因果関係において、本件事故が被害者の自殺の一因となつている可能性を否定できないという消極的な見解を述べるに止まるものであつて、本件事故と被害者の死亡との間の因果関係を積極的に肯定する趣旨であると理解することは不可能であるといわざるを得ないところである。

4  その他、右に認定したとおり、本件事故による被害者の症状は平成六年九月ころには軽快していたというべきこと、被害者は霊感商法に関わつたことで入院を要するほどに精神状態を悪化させたこと、被害者の父が縊死したこと、被害者が自殺したのが、本件事故による症状が軽快し、公立陶生病院の医師に対して本件事故に関する訴えを殆どしなくなつた時点から考えても、七か月も後のことであることなどに照らすと、被害者の自殺が、本件事故によつて通常生ずべき結果であるというには足りず、被害者の死亡と本件事故との間に相当因果関係があるということはできないというほかないところであり、他に、右因果関係を肯定すべき事情を認めるに足りる証拠はない。

よつて、被害者の死亡と本件事故との間には因果関係があるとする原告らの主張は採用できない。

二  被害者に生じた損害額について

1  通院交通費(請求額二万三七八〇円) 二万三七八〇円

既に認定したとおり、被害者は、本件事故に基づく受傷に対する治療のために、夏目整形外科に四一日通院しているところ、弁論の全趣旨によれば、被害者が右病院に通院するためには、一日当たり五八〇円の費用を要することが認められるから、通院交通費相当の損害額は右金額となる。

2  通院慰藉料(請求額八五万円) 八五万〇〇〇円

既に認定した被害者の受傷の部位・程度、右受傷のための通院期間等、本件における一切の事情を斟酌すれば、被害者の通院に対する慰藉料は右金額と認めるのが相当である。

3  休業損害(請求額六六万四九六四円) 六八万五一七四円

甲四号証、原告潤二本人によれば、被害者は、昭和三三年一月一日生まれで本件事故当時三六歳であり、夫と子供二人の家族の主婦として家事労働に従事していたことが認められる。

そして、前記認定の被害者に対する治療経過に照らすと、被害者は実際に通院した四一日間は家事労働を休業せざるを得ず、平成六年九月三〇日までのその余の期間(九四日間)については、その三割の休業を余儀なくされたものと認めるのが相当である。

そうすると、被害者は、家事労働に従事することによつて、平成六年賃金センサス第一巻第一表・産業計・企業規模計・女子労働者・学歴計の三五歳から三九歳までの年収額(三六一万四〇〇〇円であることは公知の事実)に相当する経済的利益を得ることができたものと推認することができるから、本件事故に基づく被害者の右休業による損害は、次の計算式のとおり、六八万五一七四円となる。

3,614,000÷365×(41+94×0.3)=685,174

4  死亡による損害(請求額二〇五二万八〇六一円) 〇円

原告らは、被害者の死亡によつて、慰藉料二二〇〇万円、逸失利益四五二二万六八七〇円、葬儀費用一二〇万円の合計六八四二万六八七〇円の損害を生じたとし、その三割に相当する額が、本件事故の寄与によるものであると主張して、右額を請求するが、右一において認定し説示したとおり、被害者の死亡と本件事故との間に相当因果関係があると認めるには足りないから、右請求には理由がない。

三  損害の填補

乙七号証の一、二によれば、被告は、右二認定の損害額のうち、通院交通費として五三六〇円、休業損害として五万七八〇〇円の合計六万三一六〇円を原告らに対して支払済みであることが認められる。

そこで、右二認定の損害額合計一五五万八九五四円から右既払額を控除すると一四九万五七九四円となる。

四  弁護士費用(請求額二二〇万円) 一五万〇〇〇〇円

本件事故と相当因果関係のある弁護士費用相当の損害額は右金額であると認めるのが相当である。

五  よつて、原告らの請求は、原告潤二に対し八二万二八九七円、その余の原告らに対し各四一万一四四八円及び右各金員に対する不法行為の後の日(訴状送達の日の翌日)である平成八年四月六日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから、主文のとおり判決する。

(裁判官 貝原信之)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例