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名古屋地方裁判所 平成7年(ワ)3020号 判決 1996年9月19日

原告

塩見隆

右訴訟代理人弁護士

橋詰洋三

被告

古山照夫

右訴訟代理人弁護士

岩越平重郎

主文

被告は、原告に対し、金一四五万円及びこれに対する昭和六二年四月二八日から支払済みまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は被告の負担とする。

この判決は、原告勝訴の部分に限り仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求の趣旨

被告は、原告に対し、金一四五万円及び内金七五万円に対する昭和六二年三月六日から、内金七〇万円に対する同年四月二一日から、各支払済みまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

第二事案の概要

一  本件は、会社においてトラック運転に従事する原告が、会社において交通事故の処理を担当する配車係従業員によって会社業務に従事中に発生した交通事故の示談金名下に金員を騙取又は横領され損害を被ったとして、民法七一五条二項、一項に基づき、右会社に代わって事業を監督する者である被告に対し、右損害の賠償及び右金員を右配車係従業員に交付した日からの民法所定の割合による遅延損害金の支払を求める事件である。

二  争いのない事実

1  原告は、昭和六〇年五月二八日から昭和六三年三月末まで有限会社名運(以下「名運」という。)に雇用され、トラック運転業務に従事していた。

2  原告は、昭和六一年一二月ころ、大阪府松原市内において、名運の業務としてトラックを運転中に、追突事故(以下「本件事故」という。)を起こした。

3  Y(以下「Y」という。)は、右2当時名運に雇用され、配車係として、業務中に発生した交通事故の処理等の業務を担当しており、本件事故についても、その処理業務を一任されていた。

4  原告は、Yから本件事故の被害者側に示談金を支払う必要がある旨を告げられたので、その支払に充てる趣旨で、Yに対し、昭和六二年三月六日七五万円を、同年四月二一日七〇万円(以下これらを併せて「本件各金員」という。)をそれぞれ交付した。後日、これらの金員は、Yが着服したことが判明した。そうしてみると、Yは、右各日ころ本件各金員を騙取したか、又は横領したこととなる。

5  被告は、名運の代表取締役の地位にあり、名運に代わってYの右業務に係る事業を監督する者に当たる。

三  争点

1  損害発生の有無及び民法七一五条一項ただし書後段による免責の当否

2  過失相殺の抗弁の当否

3  権利濫用の抗弁の当否(附帯請求に係る争点)

四  争点に関する被告の主張

1  争点1について

Yは、「示談金として」本件各金員を原告から受領したものである。仮に、被告が相当の注意をもってYの示談金の請求を知ったとしても、Yの右行為自体は、外形的に原告に対する不法行為ということができず、むしろ名運のための忠実な業務の執行というべきであり、かつ、Yが本件各金員を騙取する意思を有していたとしても、その当時被告はこれを知らなかったから、被告は、Yの右行為を当然奨励したであろう。

また、Yが本件各金員を受領した後に、被告が相当の注意をもって受領の事実を発見したとすれば、本件各金員は、当然示談金として本件事故の被害者に支払われることとなったものである(会社は、右被害者に対し、使用者の責任として、示談金合計二六一万五六八〇円を支払い、本件事故を示談解決した。)。

そもそも、本件訴訟の事実上の出発点は本件事故にあるところ、それは専ら原告の不注意に起因するのであるから、会社が使用者としての責任を負う一方において、原告自身ももちろん被害者に対して損害賠償責任を負うものであり、Yが「示談金として」本件各金員を受領した事実が発覚した場合、本件各金員は示談金の一部として当然会社を通じ被害者に支払われたものである。これは、原告の被害者に対する損害賠償金の支払であって、原告にとっての経済的な損失であるとしても、法律上は原告の被った損害とはいえない。

仮に、これが原告の被った損害であるとしても、被告が相当の注意をした場合にも発生したものである。

2  争点2について

原告は、示談金として本件各金員をYに交付し、その後間もなくYから示談が成立したと聞きながら、Yから示談書、領収書等を見せてもらうこともなく、使用者である名運に対しても、示談の結末について何の問合わせもすることなく、Yに本件各金員を支払ったこと自体も全く知らせなかった。

その後原告は、昭和六三年三月末ころ名運を退社したが、退社するまでの間にも、退社するに当たっても、本件事故の示談の件につき、名運に対し何の申出、問合わせもしなかった。

原告は、名運を退社してから七年以上も経過した後の平成七年六月二七日に、名運に対し本件事故の示談の結末について問い合わせてきた。しかるところ、その動機は、Yの言動に不審な点が多く、疑問をいだいたというのであるが、今更の感があるといわざるを得ない。原告がYから示談が成立したと聞いた直後か、又は遅くとも退社するまでの間に会社に問合わせ(これは、原告にとっては一挙手一投足をもって足りる。)をしていれば、事態は変わり、原告の被害も回復されていたかも知れない。原告の右の間の行動はきわめて不可解、不自然であって、原告には、右のような問合わせ、申出をしなかった点において重大な過失があり、その割合は、少なくとも五〇パーセントとするのが相当である。

3  争点3について

被告は、Yの原告に対する不法行為の存在自体を知らなかったのであって、被告に損害賠償責任があるとしても、その履行がここまで遅れたのは専ら原告に責があり、被告の責任ではない。

したがって、本訴請求のうち遅延損害金の請求は、不当であり、衡平の原則からいっても誠実な権利行使とは到底いえない。

第三当裁判所の判断

一  争点1について

1  前記第二の二4の争いのない事実によれば、原告は、本件各金員をYに交付した時又はYがこれを領得した時において、Yの騙取又は領得の行為により、本件各金員を失ったものというべきであるから、その結果、本件各金員の額に相当する損害を被ったこととなる。

2  しかして、右の騙取又は領得の行為は、犯罪をも構成し得るものであって、原告に対する不法行為以外のなにものでもなく、これを名運のための忠実な業務の執行ということはできない。Yが本件事故の示談金に充てるために受託するかのように装い、原告がそのように誤信したからといって、そのことの故にYの騙取の行為が正当な業務の執行であるとされ、又は原告が本件各金員を交付したことが法律上負担することのあり得べき正当な示談金の支払であるとされる余地はない。

原告が被害者に対し法律上本件事故による損害賠償の義務を負っているとされるかどうか、あるいは被告がYの騙取又は領得の意思を知らなかったかどうかといった事柄は、Yの騙取又は領得の行為の評価を左右する筋合ではないから、右の理は、そのような事柄のいかんによらない。

したがって、被告の主張するような事情が認められるとしても、そうであるからといって右1の判断が左右されるものではない(また、原告が被害者に対し法律上本件事故による損害賠償の義務を負っており、原告としては早晩これを履行することになったであろうということができるとしても、そのような事情の介在を想定し得るからといって、Yの騙取又は領得の行為と原告が右損害を被ったこととの間の因果関係が欠けることにもならない。)。

原告が損害を被ったとはいえないとする被告の主張は、これを採用することができない。

3  被告は、原告の被った損害は被告が相当の注意をした場合にも発生したものであると主張する。

しかしながら、前示のとおり、原告はYの騙取又は領得の行為により本件各金員を失い、よって本件各金員の額に相当する損害を被ったとされるのであるから、被告が相当の注意をしてもYは騙取又は領得の行為に出たであろうと認めるに足りる事由の主張立証をされなければ、被告が民法七一五条一項ただし書後段によりその責を免れることはできないこととなる。しかるに、被告のいう、原告が被害者に対し法律上本件事故による損害賠償の義務を負っているとか、被告がYの騙取又は領得の意思を知らなかったとかの事情は、被告が相当の注意をしてもYは騙取又は領得の行為に出たであろうと認め得るかどうかにはおよそ関わりがないから、右の事由に当たらない。そのほか、被告が相当の注意をしてもYは騙取又は領得の行為に出たであろうと認めるに足りる的確な事由の主張立証はない。

被告の右主張もまた、採用の限りでない。

二  争点2について

前記第二の二2から4までの争いのない事実によれば、Yは、名運において配車係として業務中に発生した交通事故の処理等の業務を担当しており、本件事故の処理業務についても、これを一任されていたというのであり、また、原告は、昭和六一年一二月ころ、トラックを運転中に追突事故(本件事故)を起こし、Yから告げられた示談金の支払に充てる趣旨で、Yに対し、昭和六二年三月六日及び同年四月二一日に本件各金員を交付したというのである。

そうであるとすれば、原告は自己の勤務先である名運の交通事故処理業務担当者の立場にあるYの指図を受けて本件各金員を同人に託したこととなるから、その際Yが真に被害者に支払うために本件各金員を受託したのかどうか、またYがその後現実に本件各金員を被害者に支払ったかどうかについて、原告が疑念をいだかなかったとしても、それはむしろ当然ともいうべきであろう。また、右の本件事故の態様及び時期とYの告げたところの示談金の金額、告げた時期等との間も平仄が合わないものではなく、また、Yが示談金の支払を指図する経緯として述べたところ(<証拠・人証略>によってこれを認める。)、すなわち、被害者側から人身に被害が生じたとの連絡があったが、原告は以前にも道路交通法に違反した事実があるから、本件事故が人身事故として扱われると原告の運転免許が取り消されるおそれがある、そこで、物損事故の扱いにとどめるよう被害者側に頼んでみるが、相当の金銭の支払が必要となるから、これを工面せよという趣旨の言も、原告のような職業にある者の間にあっては俗耳に入りやすい、もっともらしいものであろうことは想像に難くない。本件事故から退職に至る期間における原告の言動にも格別異とすべき点は窺われない。さらに、(証拠略)によれば、名運においてはYの就いていた配車係なる地位は社長に次ぐ高位であること、原告の在勤中、運転手に対する指揮監督にはことごとくYが当たり、代表取締役社長である被告がこれを行うことはなかったことが認められるのであって、以上の諸点にかんがみると、原告に対し、Yの言を軽々に信ずることなく、同人を越えて直接、名運の最上位者である被告に対し事情を具申し、あるいは示談の顛末を問い合わせるなどの措置をとることを求めるのは、そのこと自体にさほどの手数がかかるわけではないことを考慮しても、いささか過大な期待を掛けるものといわざるを得ず、名運退職後年月を経るまでかかる措置に出なかった点につき原告に手落ちがあるとはいい難い。

過失相殺に関する被告の主張を採用することはできない。

三  遅延損害金発生の始期について

前記第二の二4の争いのない事実のとおり、Yは本件各金員を騙取又は領得したといい得るにとどまり、本件全証拠によっても、Yがこれを騙取した、すなわち当初から原告を欺罔する意思で本件各金員を受領したと断ずるには足りない。しかして、右の争いのない事実によれば、Yが本件各金員を領得した場合においては、その領得行為は遅くとも昭和六二年四月二八日ころまでには完了しているものと推認するのが相当であるから、右行為による損害賠償義務は遅くとも同日遅滞に陥ったものというべきであるが、同日が到来する以前にYの領得行為が完了したことを認め得る的確な証拠はない。

四  争点3について

被告は、損害賠償義務の履行がここまで遅れたのは専ら原告に責があり、遅延損害金の請求は誠実な権利行使とはいえないと主張するが、私法上の権利を何時行使するかは本来権利者の意思に任された事柄であること、加えて、不法行為による損害賠償請求権については、権利者である被害者において被害の事実や加害者、損害の額等を知ることが契約に基づく請求権の場合と比較して容易ではなく、権利を現実に行使することが可能となるまでには時日を要することがあること、不法行為に関する法律関係の早期確定という要請に対しては短期の消滅時効の制度をもって応ずることとしたのが民法の立場であると解されることなどにかんがみると、不法行為による損害賠償請求権に係る遅延損害金の請求については、被害者が、不法行為や損害発生の事実を知りながらことさら年月を経た後に損害賠償の請求をすることとしたなどの特別の事情がある場合に初めて権利の濫用を論ずる余地が生じ得るものというべきである。しかるところ、原告がYの騙取又は領得の行為を知りながら、ことさら長い年月を経た後に損害賠償の請求をすることとしたなどの事情の主張立証はないから、被告に対する請求の時期が不法行為の時から隔たっていることにつき原告に責があるとし、本件の遅延損害金の請求をもって権利の濫用であるとすることはできない。

被告はまた、衡平の原則をいう。なるほど、Yの騙取又は領得の行為を知ったのは原告、被告のいずれも平成七年になってからのことであり、これによる損害賠償に関する事務の処理が遅れたという点においては原告と被告との間に差異はあるとはいえない。しかしながら、民法四一九条二項後段により金銭債務の履行遅滞については不可抗力をも抗弁とすることができないものとされていることや、被告は、不法行為の当時、使用者である名運に代わってYに係る事業を監督する地位にあったのであるから、不法行為によって発生した損害の賠償についても、右の地位に立って注意を尽くし、その履行等の処理に努めてしかるべきものと考えられることからすると、被告に遅滞の責任を負わせることが衡平の原則に反するものではないというべきである。

結局、この点に関する被告の主張も、これを採ることができない。

第四結語

以上によれば、原告の本訴請求は、損害金合計一四五万円及びこれに対する右第三の三に判示したとおり不法行為の完了した日である昭和六二年四月二八日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるから、右限度においてこれを認容し、その余は理由がないからこれを棄却することとする。

(裁判官 長屋文裕)

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