大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

千葉家庭裁判所 平成6年(少)445号 決定 1994年6月23日

少年 N・S(昭51.11.21生)

主文

本件について、少年を保護処分に付さない。

理由

第1本件送致事実

少年は、Aほか6名の者と共謀の上、平成6年1月30日午前1時ころ、千葉県富津市○○××番地の×所在の甲牧場東駐車場料金徴収所内において、B管理の手提げ金庫1個(時価約500円相当)を窃取したものである。

第2本件送付資料の内容等

本件について、検察官から送付のあった一件記録によれば、捜査の経過及び結果等について、以下のとおり、一応認めることができる。

富津警察署は、平成6年1月29日午後8時30分ころから翌30日午前8時30分ころまでの間に、富津市○○××番地の×所在の甲牧場東駐車場料金徴収所において、同所の窓ガラスが割られ同所内に置いてあった手提げ金庫1個が盗まれたとの被害届を受けて、捜査に着手したが、現場に「住所習志野市○○×-×-××-×C昭和51年11月15日生」名義の運転免許証等が在中する財布1個が遺留されていたことから、上記Cを取り調べたところ、Cから、「1月30日の午前1時ころ、料金徴収所の窓ガラスを割って手提げ金庫を盗み、金庫を開けたら中に何も入ってなかったので、山林内に投げ捨てた。」旨の供述を得るとともに、同人の指示する山林内を捜索したところ、本件被害品である手提げ金庫が発見された。そして、警察官は、Cを逮捕して、更に、同人を取り調べたところ、同人から、「Aと、DあるいはEのどちらかが、料金徴収所の窓ガラスを割り、Aと、DあるいはEのどちらかが建物の中に入り、Aが手提げ金庫を盗んできた。自分は近くで見張りをしていた。当時一緒にいたのは、自分と、A、D、少年、F、E、そのほかG子、H子の合計8名であったと思う。」旨の供述を得た。

そこで、警察官は、Cに対する取調べを続ける中で、D及びAを順次逮捕して、両名を取り調べたところ、Dは、「東京湾観音にある幽霊トンネルを見に行こうということで、Aが運転するニッサン・ラルゴ(ワゴン車・8人乗り)に、自分のほか、C、少年、F、E、G子、H子の7名が同乗して出掛け、甲牧場に立ち寄った際、Aが、料金徴収所をみて、ああいう所には金があるからやってみんべえなどと言い、その場に居合わせた者も反対しなかったので、Aが料金徴収所の窓ガラスを割り、手提げ金庫を盗んできた。その時、自分のほか、少年、C、F、Eが料金徴収所の近くで見張りをしていた。G子とH子は車の中にいたと思う。」旨を供述し、また、Aは、「東京湾観音に遊びに行くため、ニッサン・ラルゴ(ワゴン車)を自分が運転し、D、C、少年、F、E、G子、H子の7名を同乗させてドライブがてら出掛けた。その際、甲牧場にも行き、そこで、自分が、料金徴収所を見ながら、こういう所には金目のものが置いてあるなどと言ったところ、その場に居合わせた者が賛成したので、自分とEが一緒に料金徴収所の窓ガラスを割り、建物の中に入って手提げ金庫を盗んできた。CやDのほか、少年やFも、盗みをすることに賛成し、近くで見張りをしていたと思う。G子とH子は車の中にいたと思う。」旨を供述した。

警察官は、以上のような捜査結果に基づいて、少年に対する逮捕状を得て、平成6年2月14日少年を逮捕して取り調べた。少年は、逮捕直後、警察官に対し、「僕は、甲牧場へ行った記憶がなく、また、駐車場の料金徴収所のガラスを割って中から金庫を盗んだりしていません。」と弁解し、検察官に対しても、「今読んでもらった事実について、他の人がどのような事を言っているのかわかりませんが、私は、その仲間と市原で酒を飲んだ後、寝てしまい、翌日松戸で目が覚めたもので、その盗みについては覚えがありません。」と弁解し、勾留質問の際も、裁判官に対し、「一緒にはいましたが、私は酒を飲んで途中で寝てしまいました。事件のことは全く知りませんでした。」と陳述しているほか、警察官の取調べに対し、「1月29日の夜から翌30日の朝にかけて、東京湾観音などにドライブしたことがある。その際の参加者は、自分のほか、A、C、D、F、E、G子、H子の合計8名だったと思う。この時使用した車は、Aの車であるワゴン車とG子が乗ってきたクラウン車の2台だったと思うが、よく覚えていない。東京湾観音に向かう途中で、ラーメン屋に立ち寄り、そこでそれぞれラーメンを食べたり、酒を飲んだりした。自分はレモンハイを6、7杯位飲んだ。その後車に戻り、自分の記憶では車の後部に乗り、東京湾観音に向けて出発したが、間もなくして、レモンハイの影響と疲れから眠気に襲われ寝てしまった。その後目を開けたのが、翌日の午前7時か8時ころで、場所はH子とG子の寮で松戸市内であった。従って、自分は、1月29日午後11時過ぎから翌30日の朝まで、車の中で寝ており、一歩も車の外には出ていない。」旨を供述している。そして、観護措置決定手続陳述録取調書には、「私は、Aらと一緒にワゴン車及びクラウン乗用車に分乗して、東京湾観音に行き、その手前の市原で皆で飲酒しました。飲酒後、私はクラウンの乗用車の助手席側の後部に乗り、1月29日午後11時30分頃から酒の影響で眠り込んでしまい、目が覚めたのは、翌日30日の午前8時頃でした。したがって、その間のできごとについては、眠っていたので一切記憶にありません。」と記載されている。

警察官は、G子及びH子からも事情を聴取している。G子は、「Aが運転するワゴン車に、自分のほか、少年、C、D、F、E、H子の7名が同乗して、東京湾観音や甲牧場等へドライブした。車は1台であり、Iという人は一緒ではなかった。その際、甲牧場でAが料金徴収所の建物のガラスを割り、その近くでCとDが見張りをしていたことを覚えている。その時、自分とH子は車の中にいたが、少年やFとEがどこで何をしていたのかははっきりとは覚えていない。しかし、その時、誰か分からないが、車の中で寝ている男の人がいた。自分の記憶では、その人物はEではなかったかと思う。」旨を供述し、そして、H子は、「Aが運転するワゴン車に、自分のほか、少年、C、D、F、E、G子の7名が同乗して、東京湾観音や甲牧場等へドライブした。車は1台であり、Iという人は一緒ではなかった。甲牧場の料金徴収所の窓ガラスが割れる音を聞いたが、その時、A、C、D達が車の外に出ていたので、その3人のうちの誰かが割ったのではないかと思う。その当時、自分は手提げ金庫を盗んだことは知らなかった。ガラスの割れる音を聞いた時に、少年、F、Eがどこにいたのかは覚えていない。自分とG子は車の中にいたが、その時、誰か分からないが、車の後ろの席の方で寝ている男の人がいた。」旨を供述している。

本件一件記録中本件送致事実の存否に関して重要と思われる証拠資料は、以上のとおりであって、本件一件記録中には、本件の関係者と思料されるI、F、Eの供述調書等はない。

なお、検察官作成の本件送致書には、検察官の本件送致に際しての「処遇に関する意見」として、「しかるべく」と記載されている。

第3当裁判所の審理、証拠調べの実施等

本件は、平成6年2月25日当裁判所木更津支部に身柄付きで事件送致されたものであるが、同支部裁判官は観護措置を執らずに、在宅事件として当裁判所に回付した。その後、同年3月12日当裁判所に、少年に対する平成6年少第541号恐喝・器物毀棄保護事件が身柄付きで、当裁判所木更津支部から回付されて、係属したので、当裁判所は、同事件に本件事件を併合して審理を開始した。

本件事件に関して、第1回審判期日(同月22日)において、少年・付添人から本件送致事実に対する陳述を聞いた上、少年に対し質問を実施し、第2回審判期日(同月29日)において、証人A及び同Dの各証人調べを、第3回審判期日(同年4月5日)において、証人Cの証人調べを、それぞれ実施した。当裁判所は、上記第541号事件の観護措置期間内に証拠調べを終了することが不可能となったため、同日同観護措置を取り消して、更に証拠調べを続けることとした。そして、第4回審判期日(同月12日)において、少年質問のほか、証人I及び同G子の各証人調べを、第5回審判期日(同月15日)において、証人F及び同G子(在廷)の各証人調べを、第6回審判期日(同月20日)は予定した証人が不出頭のため実質審理をせず、第7回審判期日(同月28日)において、証人H子の証人調べを、それぞれ実施し(なお、Eは、交通事故を起こして入院中であり、意識不明の状態であるため、証人調べを実施しなかった。)、第8回審判期日(同年5月18日)において、少年質問をしたほか、本件送致事実に対する少年・付添人の最終意見陳述を聴取し、その時点で、上記第541号事件から本件事件を分離したものである。

(なお、少年に対しては、当裁判所に、平成6年少第660号窃盗保護事件、同第697号恐喝・窃盗保護事件及び同第892号窃盗保護事件が、在宅事件として係属しているが、当裁判所は、これらの事件を上記第541号事件に併合して、別途審判することとしている。)

第4少年・付添人の本件送致事実に対する陳述

少年は、「俺は、その時は寝ていたので、その事件には無関係です。」と述べ、付添人は、「少年と同趣旨です。共謀関係及び実行行為のいずれの点についても事実を争います。」と陳述した。

第5当裁判所の判断(当裁判所における証拠調べの結果等を含む)

1  実行行為の存否

本件一件記録及び当裁判所において実施した証拠調べの結果によれば、少年が、本件送致事実の窃盗非行の実行行為をしたことを認めるに足りる証拠は皆無である。

2  共謀関係の成否

本件においては、少年が、本件窃盗非行の共謀関係に関わっていたかどうかが問題であるので、以下この点について検討する。

本件一件記録及び当裁判所における証拠調べの結果を総合すると、本件は、現場において、Aが建物の中に金目の物があるから盗もうなどと言ったところ、その場に居合わせたD、C、Eがこれに賛同し、窓ガラスを割るなどして、手提げ金庫1個を盗み出した、という事犯であることが認められ、上記4名について、本件窃盗非行の実行共同正犯ないし共謀共同正犯が成立することが明らかである。

そして、これらの者と少年との間に本件窃盗非行についての共謀関係があったことを窺わせるに足りる証拠資料は、前記のとおり、A及びDの警察官に対する各供述がある。

そこで、上記両名の警察官に対する各供述の信用性を検討するに、まず、Dは、警察官に対し、前記のとおり、「少年が見張りをしていた。」と供述しているところであるが、同人は、当審判廷において、「甲牧場の料金徴収所前で、Aが、建物の中に金があるんじゃないかと言い、皆も反対せずにその様な雰囲気になって、Aがガラスを割って中に入り手提げ金庫1個を盗んできた。僕、C、F及びEが見張りをしていた。その時、少年は、車の後部座席で寝ていて、一緒には行動していませんでした。市原市内の居酒屋を出てから気付いた時には少年は寝ていた。警察では、Aが手提げ金庫を盗んだ時、僕のほか、少年、C、F、Eがその周りで見張りをしていたと述べたことがある。しかし、留置場でずっと考えて、少年が寝ていたということを思い出してきたので、勾留中の最後の取調べの時に刑事にその旨の話をしました。」と証言している。

ところで、Dの「少年が見張りをしていた。」と供述している警察官に対する平成6年2月10日付けの供述調書の記載内容をみると、東京湾観音に向かって出発し、途中市原あたりのラーメン屋に立ち寄った以降から、東京湾観音や甲牧場を経て帰途につくまでの間における少年の具体的な行動状況についての記載が全く欠落していて、「少年が見張りをしていた。」との部分があまりにも唐突であって、その前後の少年の行動状況について具体性に欠けており、上記部分の信用性を低いものにしている。加えて、Dは、前記のとおり、当審判廷における証言において、上記「少年が見張りをしていた。」との供述部分を記憶違いであったと訂正し、少年は共謀関係を含めて見張り行為等をしていないと証言しているのであって、そこに何ら不自然、不合理なところは見受けられず、しかも、同人は、当初においては、車は1台で参加者は8名と証言していたが、最終的には、車は2台で参加者は9名であることを証言し、真実を証言しようとする態度が窺われたことや、同人の証言内容全体が他の証拠資料から認められる事実関係ともほぼ符合するものであることなどに徴すると、同人の当審判廷における上記証言部分は、これを信用するのが相当である。

そうすると、Dの警察官に対する上記少年の見張り行為に関する供述部分は、同人の当審判廷における証言と対比して、信用することができないと言うべきである。

次に、Aは、前記のとおり、警察官に対し、「少年も盗みをすることに賛成し、近くで見張りをしていたと思う。」と供述しているところであるが、同人は、当審判廷において、「1月29日の夜、東京湾観音へ行くため、僕の母名義のニッサン・ラルゴというワゴン車1台で、僕のほかに、少年、D、C、F、E、G子及びH子の合計8名で出掛けた。その日は、車は2台ではないと思う。クラウン車があったのは他の日だと思う。Iという人は行きませんでした。Iも一緒に行ったと言う人は、違う日と勘違いしているんだと思う。そのころは、毎日皆で遊んでいたから間違えたのではないかと思う。市原市内の1階がラーメン屋で2階が居酒屋になっている所に立ち寄り、寝ていた者(特定はできない)以外が結局居酒屋に入り、焼酎等を飲んだ。ここには、約1時間いて、また車に乗って出掛けた。甲牧場の現場で、僕が、こういう建物の中には金目のものが置いてあるから中に入って盗みをしようという話をしたところ、皆もその気になって、僕とEとがガラスを割って、僕、E及びF、それに誰かはっきりしないが、もう1名の4人が中に入り、手提げ金庫1個を盗んだ。その時、G子とH子は車の中にいたことを覚えているが、少年、F及びDがどうしていたのかは分からない。警察では、少年が見張りをしていたと述べ、それが調書になっているが、その時、少年がどうしていたのか僕には分かりませんでしたが、Fと一緒に立っていたという他の仲間の調書を警察で見せられ、少年とFの2人が見張りをしていたというようなことを言われたので、そうではないかと思いました。しかし、僕は、少年が車の外にいたことをこの目で見て確認したわけではなく、ずっと話をしていなかったので分からないのです。」と証言している。

要するに、Aは、当審判廷において、少年が見張り等をしていたのを目撃していたわけではなかったが、警察では、他の仲間の調書を見せられ、少年が見張り等をしていたということを聞かされて、それに迎合してその旨を供述した、と証言しているのである。Aのこの証言部分は、同人の警察官に対する平成6年2月17日付け供述調書中に、「このときは、Cも俺達の近くにいて一応見張り役をしていたのですぐ分かったのですが、その他のN.S、F某、Dたちは、俺がガラスを割るときは近くにいなかったので、駐車場のどこで見張りをしていたのか分かりませんでしたが、今回捕まったDの話では、N.S、F某の二人は、東駐車場の入口の所に立って見ていた、と言っていたので、」「Dの言うように、俺には分からなかったが、駐車場入口の所で、N.S、F某が一緒にいて、見張りをやっていたものと思います。」との供述記載があることによっても裏付けられるところであって、信用することができる。

そうすると、Aが警察官に対し少年の共謀関係や見張り行為を供述する部分は、同人の当審判廷における証言内容等に徴して、これらを現に目撃した状況を供述したものではなく、Dの供述に基づく捜査官の追及に迎合してなされたものである上、前記のとおり、Dのこの点に関する警察官に対する供述部分は信用することのできないものであるから、結局、採用するに値しないものと言うべきである。

他に、本件一件記録及び当裁判所における証拠調べの結果中に、少年が本件窃盗非行の共謀関係に関わっていたことを認めるに足りる証拠はない。

3  少年の供述の信用性

一方、少年は、前記のとおり、逮捕された当初の捜査段階から事件送致の段階まで終始一貫して、「車の中で寝ていたので、本件窃盗非行には共謀関係を含めて一切関与したことはない。」旨を主張し供述しているところであり、当審判廷においても、「1月29日の夜、東京湾観音へ行こうという話になり、車2台(ワゴン車とクラウン車)で、自分のほか、A、I、C、D、F、E、G子、H子の合計9名で、上記2台の車に分乗して、Dの家から出発した。クラウン車は、Aが運転し、助手席にH子、運転席後部にD、助手席後部に自分がそれぞれ同乗し、ワゴン車は、Iが運転し、助手席にC、運転席後部にE、その後部にFが同乗し、G子がEかFの隣に同乗していた。途中、市原のラーメン屋の上にある飲み屋に立ち寄り、F以外の全員が車から降り、CとD以外が飲み屋に入り、ラーメンを食べ終えたCとDも飲み屋に入ってきて、皆で焼酎を飲みながらAとIの成人祝いをした。自分はレモンハイ5杯を飲んだ。ここに1時間位いて、再び、東京湾観音へ向けて出発したが、各自の乗車位置はその一部につきはっきりしないところもあるが、たぶん変わっていないと思う。しばらくして、自分は、前日に寝ていなかったこともあって、車の中で寝てしまい、翌朝7時か8時ころに気が付いたら松戸か鎌ヶ谷にあるG子とH子のアパートに着いていた。その間に目を覚ましたことはなく、その間のことは全然覚えていない。なお、警察でも、車は2台であったことや、Iが参加していたことも話していた。」と供述している。

本件一件記録中の証拠資料(G子及びH子の警察官に対する各供述調書)中に、前記のとおり、「車の中で寝ていた男の人がいた。」との供述記載部分がある上、当裁判所における証人調べの結果をみるに、証人Aの証言内容は前記のとおりであるが、証人Dは、当初、「その日、参加したメンバーは、E、F、C、少年、僕、A、G子及びH子の合計8名で、車はワゴン車1台であった。Iという人は参加していなかったし、クラウンという車も一緒に行っていない。」と証言していたが、その後、今まで隠していましたけど、正直に言えば、Iがいました。車1台というのも、クラウンがありました。」と述べた上、「その日参加したのは、先に述べた8名のほかにIを加えた合計9名であり、使用した車も、ワゴン車のほかにクラウン車があった。自分の家を出発する時点で、クラウン車は、Aが運転し、その助手席にH子が、運転席の後部に自分が、助手席の後部に少年がそれぞれ同乗し、ワゴン車は、Iが運転し、その助手席にCが同乗していたことは間違いないが、その後方のどこに誰が同乗していたかは、よく覚えていない。この乗車位置は、出発してから解散するまで、クラウン車は変わっていない。甲牧場における本件窃盗事件に関して先に証言した内容はそのとおりであって、訂正するところはない。Iという人の名前を言わなかったのは、以前に遊んでいた時、成人を過ぎるので捕まったら刑務所に行かされるということで、Iの名前を出すとヤバイということを耳にしたことがあるからである。」と証言し、証人Cは、「その夜、東京湾観音へ出掛けた際、車はワゴン車とクラウン車の2台で、参加した者は僕、少年、D、F、E、A、I、それにH子及びG子の合計9名である。警察では車は1台であると言いましたが、その時は、一緒に遊んだ別の時と混同していて、参加者の数やクラウン車がいたのをはっきり覚えていなかったからである。鑑別所の中で良く考えたところ、車は2台だったということを思い出した。誰かに何かを言われたのをきっかけにして思い出したのではなく、自分で思い起こしたものである。Dの家を出発する時、ワゴン車を運転したのはIで、僕はワゴン車の助手席に同乗したような気がする。ワゴン車の2、3列目に誰が同乗していたかは覚えていない。クラウン車はAが運転したと思うが、その同乗者は覚えていない。少年がどちらの車のどこに乗ったか覚えていない。市原の1階がラーメン屋で2階が飲み屋になっている所に寄った際、少年は、飲み屋で僕の近くで一緒に話をしたが、何を飲んでいたかは覚えていない。そこを出発する時、各自の乗車位置については、先程述べたとおりで、それ以外では、クラウン車に女性のどちらか1人が乗っていたのを覚えている。少年は、東京湾観音に着いた時には寝ていたので、外には出ていないと思う。たぶんクラウン車だと思うが、ドアを開けた時に中で寝ていたのを見た。甲牧場の料金徴収所で、建物の中に金庫があるのを見て、AとEかDのどちらかがガラスを割って中に入り、金庫を盗んだ。盗みをしたのは僕、A、D及びEの4人である。他の5人は、車の中にいたと思うが、はっきり覚えていない。少年が車の外に出たのを見ていないので、少年は市原からずっと寝ていたのではないかと思う。甲牧場からDの家へ帰る途中、どの時点かはっきりしないが、クラウン車の後部座席に乗ったという記憶があり、その時に少年が隣で寝ていたことを覚えている。」と証言し、証人Iは、「僕は、1月29日の夜から30日にかけて、東京湾観音や甲牧場に行ったことがある。東京湾観音の近くにあるという幽霊トンネルという所に興味があって、肝試しみたいな感じで行くことになった。その時は、車は、2台で、1台はワゴン車で、もう1台は普通車、たぶんクラウンという車だったと思う。参加者は、僕、A、D、少年、C、F、E、それに名前の知らない女性2人の合計9名だったと思う。ワゴン車は、僕が運転し、助手席にはたぶんCが同乗し、後部3列目にFと女性が1人いたと思うが、その他は、はっきり分からない。クラウン車は、Aが運転し、女性が1人、後部座席に少年、Dも同乗していたような気がする。東京湾観音へ向かう途中で、僕とAの成人祝いということで飲むことになり、市原の1階がラーメン屋で2階が居酒屋になっている所に立ち寄った。僕は居酒屋に行き、少年も居酒屋で一緒に飲み食いしていた。市原を出発する時、ワゴン車は、僕が運転し、同乗者はたぶんDの家を出る時と同じだと思うし、クラウン車は、Aが運転し、同乗者も同じだったと思う。東京湾観音で、皆で景色を見に車の外に出たのですが、その時に少年はどうしたという話が出て、誰かが車の中で寝ているよと言った記憶がある。甲牧場に行った際、Fの靴がないということがあって、ワゴン車で、僕、女性1人、Fの3人で10分くらい前に立ち寄った場所に靴を捜しに行ったことがある。そこには靴がなかったので、また甲牧場に戻った。その時、ワゴン車をクラウン車の後ろに駐車させたが、少年はクラウン車の後部座席に乗っていたと思うし、Aは車の外にいて、CはAと話していて、Dは外にいて、Eについては記憶がなく、もう1人の女性は車の中にいたと思う。そして、靴は東京湾観音にあるのではないかということになって、全員で車に乗って再び東京湾観音へ向かった。そこにFの靴はあったが、その際、靴が車に踏まれていたことから、その場にいた他のグループとの間で口論のようなもめごとがあった。市原の居酒屋にいた時から少年が眠いと言っていたし、皆で景色を見た時に外に出てこなかったり、皆に聞くと寝ていると言っていたことから、少年は、クラウン車の後部座席で寝ていたものと思っていた。また、東京湾観音で景色を見た際に車の中を覗いた時や、甲牧場に着く10分くらい前の場所で景色を見た時も寝ていたような気がする。僕は、警察から電話で、1月下旬に富津の方に来たことがあるかと聞かれたことがあり、行きましたと答えた。そして、何人で来たのかと聞かれたので、7、8人と答えた。車の台数など、それ以上のことは聞かれませんでしたし、今日のように詳しく聞かれたこともありませんでした。」と証言し、証人Fは、「1月29日の夜から30日にかけて、東京湾観音や甲牧場に車で出掛けたことがあった。その時は、車はワゴン車とクラウン車の2台であり、一緒に出掛けたメンバーは、僕、少年、E、D、A、C、I、それにG子とH子の合計9名である。そのころに東京湾観音に出掛けたのは1回だけであるから、間違いない。車は1台でメンバーは8名だと言っている者は嘘をついていると思う。Dの家を出発する時、僕はワゴン車の3列目右側に乗り、僕の隣にたぶんG子が乗ったと思う。クラウン車の後部座席の左側に少年が乗り、その隣にCが乗ったと思う。ワゴン車の運転はAかIか、よく覚えていない。クラウン車の運転はAとDがしていた。その他の乗車位置については分からない。僕はDの家を出てから寝ていたので、どこだか地名は分からないが、飲み屋かラーメン屋に行くということで起こされたが、僕は行かないと断ったことがある。東京湾観音では、僕がクラウン車の後部座席左側に乗っていた少年を起こしたのに起きなかったことを覚えている。甲牧場に着いて降りようとしたら靴がなかったので、僕、I、たぶんG子だと思うが、その3人でワゴン車で甲牧場の直前に寄った場所まで靴を捜しに行った。その場所に靴がなかったので、甲牧場に戻った。そして、東京湾観音だろうということで、再び東京湾観音に向かった。その間、甲牧場では、僕は靴がなかったので車から降りていない。靴は東京湾観音にあったが、そこで、僕の靴が踏まれていたので、「踏んだか。」ということですぐ近くに駐車していた車ともめてしまい、そのグループの人を殴ってしまったということがあった。甲牧場から戻って、市川か松戸あたりの女のアパートに立ち寄った時、クラウン車の後部座席左側に少年が、その右側にCが寝ていたのを僕が見たことは間違いない。僕は、甲牧場の窃盗事件で、1か月くらい前に富津警察署に呼ばれて調書をとられた。その内容は、ここで話したことと同じである。僕は靴を捜しに行っていて現場にはいなかったと話しました。」と証言し、証人G子は、第4回審判期日においては、「1月29日の夜から30日にかけて、東京湾観音や甲牧場に車で行ったことがある。その時は、よく分からないが、車はワゴン車1台で、一緒に行った者は私のほか、D、少年、A、C、H子、F、Eの8名で、Iは一緒ではなかったと思う。甲牧場に行った時、窓ガラスか何かが割れる音を車の中で聞いたことはあるが、何があったかは見ていない。その時、車の中にH子がいて、その他に、誰か分からないが、男の子が1人寝ていた。その日誰かが靴を落としてきたというようなことがあった記憶がある。警察で調書をとられた時も、よく覚えていなくて、分からないと言った。調書にはきちんと書いてあるみたいですけど、市原で飲んで酔っ払っていたし、よく分からないと言ったのに、知っているみたいに書かれた。警察からいろいろと聞かれ、よく分からないがそうじゃないかと思うと話したのがそういう断定的な調書になってしまったと思う。私の親はクラウンという車を持っていて、そのころその車に乗ったりすることはあった。」と述べたが、第5回審判期日において、自ら改めて証言したいと申し出た上、「あの日は、車は2台でIも一緒だったというのが事実である。前回証言する時にもそのことは記憶していたが、私の車が使われたので、私も捕まるような気がして言えなかったし、また、Iの名前を出すとIが捕まってしまうのではないかと思い、前回の様な証言をしてしまった。私は、ワゴン車に乗っていたが、H子かどちらの車に乗っていたか、覚えていない。今では、甲牧場でガラスか何かが割れる音を聞いたかどうかははっきり覚えていないし、靴を捜しに行ったという記憶もない。」と証言し、そして、証人H子は、「1月29日の夜から30日にかけて、東京湾観音や甲牧場へ車で行ったことがある。その時一緒に行ったメンバーは、私のほか、少年、A、G子、C、F、Dで、Eはいたような気がするし、Iも一緒だったと思うが、はっきりしない。車は2台であり、1台はAのワゴン車で、もう1台はG子のクラウン車である。警察では車はワゴン車の1台と言ったが、それは、もう1台のクラウン車はG子が勝手に家の車を持ち出してきたものだったので、G子をかばってあげようとしたからである。私は、クラウン車の助手席に同乗したと思うが、その他の者の乗車位置等については、当時かなり酒が入っていたので、よく覚えていない。市原あたりで、IとAの成人祝いということで焼酎のウーロン割りを飲んだような気がするし、少年が眠いと言っていたような気もする。どの時点か分かりませんが、少年と一緒にクラウン車に乗っていたという記憶がある。甲牧場に行ったことは何となく覚えている。靴を捜しに行ったような記憶はあるが、誰の靴で、誰が捜しに行ったのかは分からない。ガラスか何かが割れたような音を聞いた記憶もある。誰であるか特定できないが、誰かが後ろの方で寝ていたような気がする。G子はたぶんワゴン車の方に乗っていたと思う。ガラスの割れる音を聞いた時、G子は私のそばにいなかったかもしれない。警察では、車は1台という話をしていたので、G子も一緒にいたことにしたような気もする。ガラスの割れる音を聞いた時、車の外にA、C、Dが出ていたと思う。少年がその時外に出ていたという記憶はない。東京湾観音で別のグループと何かもめたことがあり、その時か、あるいはその日は二度東京湾観音に言っているような気もするので、そのいずれかの時に、少年がクラウン車の後部座席で独りで寝ていたのは覚えている。」と証言している。

当審判廷における各証人の証言内容の要旨は、以上のとおりであるところ、証人Aを除いたその余の各証人の証言は、少年の前記各供述内容を裏付けているものであることに徴して検討すると、少年の前記各供述は大筋において信用性があると言うべきである。

第6結論

以上のとおり、本件一件記録及び当裁判所における証拠調べの結果の全証拠資料をもってしても、少年が本件送致事実の窃盗非行の実行行為をしたことを認めるに足りる証拠はなく、また、少年が本件窃盗非行の共謀関係に関わっていたことを肯定する前記A及びDの警察官に対する各供述は信用できず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。そして、少年が当審判廷等において主張し供述するところは、大筋においてこれを信用することができる。

したがって、本件については、少年に非行がないことになるから、少年法23条2項により、少年を保護処分に付さないこととし、主文のとおり決定する。

(裁判官 鈴木秀夫)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例