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仙台高等裁判所秋田支部 昭和37年(ネ)18号 判決 1966年11月09日

控訴人 東北電力株式会社

被控訴人 菅野敬吉

主文

原判決を左のとおり変更する。

控訴人は被控訴人に対し、金一九九万〇、八六六円およびこれに対する昭和三三年七月一五日以降完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

被控訴人その余の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審を通し、これを三分し、その二を控訴人の、その余を被控訴人の負担とする。

この判決は被控訴人勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

控訴人が金一〇〇万円の担保を供するときは右仮執行を免れることができる。

事実

控訴代理人は、「原判決を取消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審共被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は、「本件控訴を棄却する。」との判決を求め、当審において請求の趣旨を拡張し、「控訴人は被控訴人に対し金三三九万〇、八六六円およびこれに対する昭和二六年一二月二五日から支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審共控訴人の負担とする」と訂正し、且つ仮執行の宣言を求めた。

当事者双方の事実上の主張ならびに証拠の関係は、次のとおり付加訂正を加えるほか原判決事実摘示と同一であるからこれを引用する。

第一、被控訴人は損害額に関する主張を次のとおり訂正した。

「一、(一) 金一〇四万円。家屋焼失による損害(但し坪当り一万円として計算)。本件家屋は昭和四年頃被控訴人の養父庄五郎より被控訴人が贈与を受け所有していたものである。被控訴人が原審第一五回口頭弁論期日において本件家屋の損害額を金五四万円と減額したのは、右金額を限度としてそれ以上の請求権を放棄したものではない。

(二) 金一一五万七、〇〇〇円。動産焼失による損害(保有米、農具、衣類現金等)。被控訴人は当審第二回口頭弁論期日において原判決添付目録記載の物件中訴外菅野敬一、菅野愛子、菅野稲夫、菅野寿郎、菅野正憲の各所有に属するものは被控訴人が世帯主として管理権に基いて請求すると主張したが、右は真実に反し錯誤によるものであるからこれを撤回する。右目録記載の物件はいずれも被控訴人の所有に属するものである。

(三) 金九七万円。三男寿郎の得べかりし利益を被控訴人が相続した分。(年収七万三、〇〇〇円、可働年数四〇年としてホフマン式計算による。)右寿郎は昭和一三年八月二〇日生であつて、昭和二六年二月二二日死亡当時小学校六年に在学中であつた。昭和三四年度全産業労働者の男子平均賃金に関する労働省の調査結果によれば、二〇才から四〇年間稼働した場合の収入合計は金一一、七四二、九六〇円となり、公課一五%、生活費を控除し、ホフマン式計算によると純益金二〇八万円となる。被控訴人は実父であつて唯一の相続人である。

(四) 金二万円。寿郎の葬祭料。

(五) 金一〇〇万円。寿郎の死亡による被控訴人の慰藉料。

二、遅延損害金の請求について。被控訴人は原審第一四回口頭弁論期日(昭和三六年九月二五日)において請求の趣旨を変更し、訴状送達の翌日(昭和二六年二月二五日)以降完済に至るまで年五分の割合による損害金の支払を付加請求した。これに対し控訴人は何等の異議を述べることなく、仮定的にも時効の抗弁を提出しなかつたものであるから、それ自体時効の利益を放棄したこととなる。また被控訴人は損害金の請求を放棄したことはないから基本債権が訴の提起によつて時効中断されている以上、これに付帯する損害金が三年毎に遂次時効によつて消滅する理はない。元本債権が判決によつて確定した場合ならば格別であるが、元本債権が争われている間に損害金のみが時効消滅することはない。」

第二、控訴人の主張

「一、本件六号電柱頭頂部附近の焼失は本件家屋の燃焼にる輻射熱によるものでないとはいえない。

(一)、本件六号電柱は昭和二二年春頃取替えられ、本件火災当時満四年前後を経過していたものであるが、その南側が新材料と等しい程完全であつたのに比し、その北側は風雨にさらされ、特にその頭頂部附近は甚しく腐朽していた。ところで新材またはこれに近い笠金のない杉不注入柱が着火するに至るための輻射受熱量は毎時一平方米当り八、〇〇〇ないし一万二、〇〇〇キロカロリーであり、杉不注入柱の全部または一部が甚しく腐蝕しているときは、その着火に至るまでの輻射受熱量は右新材等に比し二分の一ないし三分の一以下をもつて足るところである。したがつて、輻射受熱量が本件六号電柱の頭頂部および北側の腐蝕の甚しい部分に着火するに充分な場合にも新材に等しい南側部分に着火するには不充分である場合があり得るのであるから、本件六号電柱の北側半分が焼け、被控訴人の本件家屋に面する南側が焼失しなかつたことをもつて被控訴人方居宅の燃焼による輻射熱によるものではないと断定することはできない。

(二)、建物の燃焼により他の物体に及ぼす輻射熱量の強弱は、建物の燃焼する際の建物の高さ、幅、火焔面と受熱する物体との距離および輻射熱の強弱その他によつて決定されるものであり、火焔の高さはその建物の軒の高さの約三倍前後であり、受熱物体が最も強い輻射熱を受けるのは火焔の中心点に対向する個所である。

しかして本件家屋の軒の高さは三・五米、同家屋から本件六号電柱までの距離は同家屋の北東端より西へ一・五米の個所から直角に五・八米、同電柱の地上における高さは約七・三米であり、本件家屋の北側には軒の高さまで約三・五米の積雪のあつたことを考慮すると、結局火焔の高さは七米となる。したがつて本件六号電柱が最も強い幅射熱を受けるのはこの七米の中心である雪上三・五米、地上七米の高さに対向する個所即ち右電柱の頭頂部附近ということになる。

よつて右積雪による遮蔽を考慮すると、本件六号電柱頭頂部附近の本件家屋燃焼による火災面の中心から最も強く受ける受熱量は一万九、四〇〇キロカロリーと推定される。(乙第一号証の一二(守屋、浜田鑑定)は右三・五米の積雪を考慮することなく受熱量を二万六、二〇〇キロカロリーと推定している。)さらに本件火災当時毎秒四米ないし六米の西または北西風が吹いていたから、これによる冷却効果四、五六〇キロカロリーを差引いてもその受熱量は一万四、八四〇キロカロリーとなる。そうすると腐蝕の甚しかつた本件六号電柱頭頂部附近は本件家屋の燃焼による輻射熱受熱により容易に発火しうる可能性があつたということができる。

しかも本件火災当時本件六号電柱の東南方〇・八米、本件家屋より五・八米の地点にあつた地上六・四米のドイツ唐松の地上二・八七米より上の部分が本件火災により焼けていること、また本件六号電柱の南西三・九米の地点にある「ひば」、東方六・一五米、本件家屋より三・八米の地点にあつたドイツ唐松も本件火災の輻射熱または火の粉により焼けている事実に徴するときは、本件六号電柱の頭頂部も本件家屋燃焼による輻射熱受熱により着火燃焼したものであることを窺知することができる。

二、本件六号電柱の腕木に取りつけられていた高圧ピン碍子のピンボルト(碍子の心棒)と電柱とを結びつけていた一・六粍の軟銅線(以下本件支持線という。)が切断したのは腕木の回転力によるものではない。

(一)、乙第一号証の一二(浜田、守屋鑑定)によれば、本件支持線を切断するに要する腕木の回転モーメントは約三八〇キログラム寸であり、これにより電線自体の垂直荷重および水平荷重の合成力による回転モーメント二七キログラム寸を差引いた三五三キログラム寸を風圧に換算すると一定方向から本件高圧電線に一様に秒速四二・五米の風が吹きつけ若しくは一・二八秒毎に規則正しい秒速二五米ないし三〇米の所謂「いき」をもつた風が電柱に吹きつける場合における風圧と同じであるとされる。

しかるに秋田測候所の気象資料(乙第一号証の一)および加藤甲子郎の鑑定結果(乙第一号証の一三)によれば、本件火災当夜の風速は、

平均風速・瞬間最大風速

午後八時  四米ないし六米・六米ないし九米

午後一〇時 六米ないし八米・九米ないし一二米

であつたこと明らかであるから、本件支持線が腕木の回転力によつて切断したものということはできない。

(二)、本件支持線は本件六号電柱が上部から燃え始め次第に下部に燃え移り本件腕木に取りつけてあつたボルト穴の一部まで電柱上部が焼失し腕木および電線の落下する際に生ずる運動エネルギーによつても切断しうるものである。

即ち本件支持線は外部より八〇ジユールを超える運動エネルギーが加わるときは機械的に切断するものであるが、本件腕木の重さ(腕木およびこれに取りつけられてある高圧ピン碍子二個ならびに電柱への取りつけボルト一本の重さを合計したものをいう。)は五・七キログラム、本件電柱の両側に架設されてある一〇〇米の五粍鉄線(電線)の重さは一五・三キログラムであり、本件支持線切断に至るまでの腕木の落下距離は一・一二米であり、物体が落下する際に生ずる運動エネルギーは落下物体の重さに落下距離を乗じ更にこれに重力の加速度を乗じたものであるから、本件腕木および一〇〇米の電線の落下する際に生ずる運動エネルギーは二三二ジユールとなり、前記八〇ジユールをはるかに超える運動エネルギーであるから、本件支持線がこの運動エネルギーによつて機械的に切断されるものであることはいうを俟たないところである。

(三)、しかも本件支持線が、本件腕木および一〇〇米の電線の落下の際に生じた運動エネルギーによつて切断したものであることは次の事実に徴し明らかである。

本件六号電柱はその頭頂部又は少くともその上部に着火し次第に下部に燃え拡がり、その上部約一米二〇糎が焼失したものであるから、もし本件腕木が垂直に傾斜し電柱に長時間接触した状態でその東側先端が焼損したのであれば、腕木の西側半分もより多く焼損しなければならない筈である。

したがつて本件腕木の焼損状況が東半分が甚しく西半分はわずかに三、四寸程度の焦げ跡を残するにとどまることは、本件腕木が本件電柱に垂直に傾斜した位置で燃えたためではなく、本件腕木が本件六号電柱に取りつけられている元の位置で焼損したもの、即ち電柱の下部の燃焼による火熱を吹きつけられたことに起因するものとする外はない。

そうすると本件支持線はその時点まで切断することなく電柱上部が腕木の取りつけ穴の下部附近まで焼失し、腕木がこれに架設されていた電線とともに落下した際に生じた運動エネルギーによつて切断したものというのほかはないのである。

三、本件支持線が本件腕木の回転力によつて切断したものでないとすれば本件六号電柱が漏電発火する可能性はない。

本件腕木が回転するためには本件腕木の回転力により本件支持線が切断することを要するものであるところ、本件支持線が切断したのは腕木の回転力によるものでないこと前述のとおり明らかであるから、本件高圧電線の一線または二線が本件支持線の切断による腕木の回転により本件六号電柱に接触した事実はなかつたものというべく、本件高圧電線の一線または二線が本件電柱に接触した事実のない限り(他の原因による漏電発火することのあることは別として)本件六号電柱において漏電発火するいわれはないといわなければならない。

四、仮りに被控訴人主張のとおり本件火災の際、本件六号電柱において漏電発火した事実があつたとしても、本件火災はその火花が折からの強風にあふれて本件家屋の萱葺屋根に飛火したために惹起されたものではない。

本件六号電柱は上部より腐蝕部分に沿つて徐々に、焔を生じない程度の燃え方をしたものであり、右電柱は本件家屋の北側軒先より一六尺五寸離れた位置に建てられていたものであるから、本件六号電柱上部が燃焼したとしても、その火の粉はもとより小さいものであるから、本件家屋の萱葺屋根に到達するまでに既に消えて灰となり着火するいわれはない。仮りに火の粉が消えることがないとしても、本件家屋は右火の粉による着火により火災となつたものではない。即ち本件火災現場附近の風向は当時西風又は西北風であつたが、本件家屋は風横にあたるから火の粉は萱葺屋根にふきつけられない。もし火の粉が本件家屋の萱葺屋根にふきつけられても本件家屋は火災当時相当量の積雪があつたか少くとも前日来の雨のため表面から二寸以上濡れていたから着火することはない。

五、損害額の主張について、

(一)、本件家屋の焼失当時の価額が金一〇四万円であるとしても被控訴人は原審第一五回口頭弁論期日(昭和三六年一〇月一六日)においてその損害額を金五四万円に減額したものであるから、右金額を超える請求は、本件家屋の焼失した昭和二六年二月二二日の翌日より満三年を経過した昭和二九年二月二二日の経過と同時、又は少くとも昭和三六年一〇月一六日の翌日より三年を経過した昭和三九年一〇月一六日の経過と同時に時効により消滅した。

(二)、被控訴人は当審第二回口頭弁論期日において原判決添付目録記載の物件中一部の物件は家族の所有しているものであることを認めたにもかゝわらず、当審第九回口頭弁論期日において右自白を撤回し、右物件はいずれも被控訴人所有に属するものであると主張するが、右自白の撤回に異議がある。

(三)、被控訴人は寿郎の死亡による慰藉料につき、原審第一五回口頭弁論期日(昭和三六年一〇月一六日)においてその損害額を従来請求していた金一〇万円より金六〇万円に拡張した。さらに当審第一六回口頭弁論期日(昭和四一年四月六日)においてその金額を金一〇〇万円に拡張した。被控訴人の右請求の拡張が請求の基礎に変更のない限り許されるものとしても、債権の一部につき訴を提起し、その後残部の請求をするときは、その部分に対する消滅時効の中断は申立拡張のときから生ずるものである。しかも被控訴人の請求の拡張は昭和二六年二月二二日寿郎が死亡した翌日から満三年を経過した昭和二九年二月二二日以降のことであるから時効の利益を援用する。

(四)、被控訴人は原審第一四回口頭弁論期日(昭和三六年九月二五日)において従来請求していなかつた遅延損害金の請求を昭和三六年七月一三日付訴状補正書と題する書面に基いてなした。右損害金の請求は被控訴人が損害の発生の事実を知つた火災発生日たる昭和二六年二月二二日から三年の時効期間経過後のものであるから、右損害金債権は三年を経過する毎に逐次時効により消滅したものである。」と述べた。

第三、証拠<省略>

理由

一、控訴会社が電力の供給を業とする会社であること、控訴会社は秋田県河辺郡雄和村大正寺神ケ村字舟卸五四番地(当時河辺郡大正寺神ケ村字舟卸五四番地)所在の被控訴人居住の住家(木造萱葺平家建建坪一〇四坪の建物。以下本件建物という。)の北方に高圧電流送電のため六号電柱を設置しこれを所有管理していたこと、昭和二六年二月二二日午後九時頃本件家屋が全焼したことは当事者に争いがない。

二、被控訴人は右火災は控訴会社の右六号電柱よりの漏電によるものと主張し、控訴人はこれを争うので、まずこの点について検討する。

(一)  本件家屋の出火原因について。

(イ)  成立に争いのない甲第八号証の五、同号証の一二、一三、第二六号証ならびに当審における被控訴人本人尋問の結果によると、本件家屋の出火を最初に発見したのは被控訴人であることが認められる。右甲第八号証の五(被控訴人の秋田地方裁判所における昭和二六年一二月九日付証人尋問調書)の「私は当夜夕食後六時半頃でした。孫と二人で風呂に入り嫁が後始末をする間孫をだいて寿郎と一緒に先に台所の北側になつている私の寝室でやすんだのです。しばらくしてから嫁も後始末が出来て寝る時でせう。私の懐から孫をとつて行きました。」「何時頃であつたか時間は、はつきり致しませんが、嫁が孫をつれて行つてから私は眠つておりませんでした。ゴーゴーという音をきいてから起きて見るまで約一〇分位もその音をきいておつたのではないかと思います。」「その音が段々大きくひどくきこえるようになつて参りましたので、おかしいと思い素裸のまゝ夜具より抜け出し私の寝室と台所の境にある板戸を開けて見たのです。すると天井裏を火が流しの方に向つて走つておりましたので火事だと思い火事だあと叫んだのです。そして私は警防団の団長を長年やつていた関係で火の元は何処かということがまず一番先に頭にきたので炉、風呂場は勿論家中を見廻つたのですが、何処も火の元を発見することが出来ませんでした。」との供述記載部分に、本件家屋燃焼の比較的初期の段階に火災を目撃した訴外佐々木信也、浅野正志、菅野敬八の各供述記載(成立に争いのない甲第八号証の一、三、四)を綜合すると、本件家屋は北側屋根から南側屋根に向つて燃えていたことが認められる。

(ロ)  成立に争いのない甲第八号証の七によると、本件火災当夜被控訴人宅で火を使用したのは本件家屋の南側にある台所の炉と風呂場の二ケ所のみであること、炉は同日午後五時半頃夕食の準備に使用し午後七時頃訴外菅野アイ子が就寝する直前に見廻つたときには火の気がなかつたこと、風呂場の火は最後に入浴した右アイ子が風呂からあがる際水をかけて消していることが認められる。しかして前記認定のとおり本件火災の第一の発見者たる被控訴人が出火後家屋内を見廻つた際同家屋内には全く火の気がなかつた事実と併せ考えると、前記本件家屋北側屋根の出火は屋内の火の不始末によるものとは到底認められず、その他本件全証拠によるも漏電等本件家屋の火災が同家屋内からの出火によるものと認めるに足りる何等の証拠がない。

(ハ)  成立に争いのない甲第八号証の六(証人菅野敬一の秋田地方裁判所における昭和二六年一二月九日付証人尋問調書)の「当夜私がやすんだのは大体八時過一五分か二〇分頃でした。私は昼の疲れで熟睡していたのです。ところが火事だあと言う声に眼を覚ましたのです。そのとき父が私の寝室の外で変な音がするが火事ぢやないかと言うので起きてみるとゴーゴーと音がしておりました。私は火事だなと思いましたがそのときは自分の家かどうかわかりませんでしたが、まず妻の背中に子供を背負わせて玄関口を開けて外へ出て見たのです。そのときは東側、即ち家の手前の方には火の気がなかつたので、馬を出そうと思い、馬屋に行き、土間の入口をあけ、馬屋のませんをはずし馬を出そうとしましたが、普段も驚き易い馬は屋根裏のない土間のところに火の粉が落ちて来るのを見て益々驚いたのか、一向に後ずさりをして出ようとしません。そこで入口のそばにあつた縄を馬の首に巻きつけて、シユツシユツと言つて引張つたのですが、どうしても出ようとしません。そのうち火の粉は段々多く落ちるようになつて参りましたので、このまゝでは隣りの昭八さん宅も危いと思い、馬はひとりで出るだろうと馬の方をあきらめて、土間の入口から昭八さん宅に走つて行き戸をたゝいて起したが、起きませんでしたので、昭八さんの寝室の窓の下にいつて、俺の家が火事だから火が移ると困るから起きて始末してくれ、と告げて、何か着る物でも出そうと思い、家に引き返したのです。このとき私はまだ裸でいたのです。そうして真直ぐに玄関口から入らうと思つて走つて行く途中梨の木の側の電柱附近の電線がパチパチと青火を出しているのを見ましたが、家の中に父や妻がいるのではないかと思つて玄関口を入らうとしたところ、父が中から出て来るのと会いました。」との供述記載部分に、前記成立の認められる甲第八号証の五中「私は長男夫妻を起しに行き若い者は良く眠つているので盛に起して、起きてくるのを確めた上逃口をと思い縁側の戸一枚を外したのです。長男は起きてきて馬を出すと言つて馬屋の方に行き私は服を着るつもりで自分の寝室に戻りましたが、もう火が大部廻つておりましたので箪笥の上にあつた自分の服を持つて玄関口の方に走つたのです。玄関口の処で長男と会いました。長男は馬は駄目だ火の元は電気に間違いない布団や物より身体を出せと言われましたが裸であるし雪のため身体が充分でないので梨の木の側を四つばいになつて道路の方に出て電柱をみたのです。そのとき電柱に碍子も腕木もついており、腕木の片端が電柱に触れ、電線も触れその部分が一番燃え腕木の一部も燃えておりました。」との供述記載部分に、前記認定の事実を綜合すると、被控訴人が本件家屋北側屋根からの出火を発見した時は、本件家屋内には火の気がなく、その火元を調べる余裕があつたこと、被控訴人の長男菅野敬一が馬を外に出すことを試み、更に隣家菅野昭八方へ火事ぶれをした後、衣服をとるべく玄関口から家屋内へ入らうとしていることからみても、本件家屋の火災は未だ出火の初期的段階にあつたことが窺えるところである。したがつて右菅野敬一が、本件六号電柱附近の電線が火花を散らしているのを目撃した時は本件家屋は人を寄せつけない程炎上していたものではなく、本件六号柱上部の発火が本件家屋の火災による輻射熱によるものとは到底認め難いものといわなければならはい。

(二)  よつて右六号電柱に漏電発火の可能性があつたか否かについて検討する。

(イ)  成立に争いのない甲第八号証の一二によると、本件六号電柱は本件家屋の北西隅より北西方へ約一二尺離れた地点に設置されていたものであり、成立に争いのない甲第一〇号証の一、乙第一号証の六によると右六号電柱に架線されている電線は三、三〇〇ボルトの高圧電流を送電していたことが認められる。成立に争いのない甲第八号証の一二、一三、甲第一〇号証の一ないし三、当審証人井川房之助の証言によると、昭和二五年八月頃控訴会社の電工井川房之助が右六号電柱の碍子を取り替えたが、当時右電柱の腐蝕は甚しく、特に本件腕木はボルトの締め付けがきかず、回転する虞れがあつたため、右腕木の西側碍子の取付ボルトに一・六粍の軟銅線(以下本件支持線という。)の一端を結びつけこれを下に引張り、他端を腕木取付部分より約二尺位下の電柱に縛りつけ一応腕木の安定を保つたまゝ放置したことが認められる。

(ロ)  本件家屋火災後における本件六号電柱の状況についてみるに、成立に争いのない甲第八号証の九、一二、一三によれば、本件六号電柱は上部より四尺が焼失し、地上より約二〇尺が残存しているが、右残存部分は上部のうち南側には焦げ跡がないのに拘らず、本件家屋の反対側に面した北側は上部より二米位燃焼していること、本件腕木は電柱より離脱し高圧線にもたれて空中に浮遊しており、右腕木は元の位置における東側の半分だけが焼損しその表面は炭化しているに反し、西側は僅かに三、四寸程度の焦げ跡を認め得るにすぎないこと、また右腕木西側碍子の根元には長さ三尺四寸位の本件支持線がついていて、その先端は引張力によつて引きちぎられたような形状を示していること、右支持線の先端は、一尺位にわたり被覆が焼損しているが、残りの部分は被覆にも、芯線にも格別の変化のないことが認められる。

(ハ)  右支持線の切断は切断部分の状況より引張力によるものと認められるが、右切断の原因について控訴人は、本件支持線は同夜の平均風速一〇米ないし一五米の風力によつては切断する可能性なく、本件支持線は本件家屋の火災による輻射熱により本件腕木が落下する際に、電線の加重によつて切断する可能性があつた旨主張する。

成立に争いのない乙第五号証の一、二(竹山寿夫の鑑定書)ならびに当審証人竹山寿夫の証言によると本件腕木が電柱より離脱して落下する際に電線の加重が加わるときは、本件支持線が切断する可能性があつたことが認められる。さらに成立に争いのない甲第一三号証(大久保柔彦、木村金蔵の鑑定書)、原本の存在ならびに成立に争いのない乙第一号証の一二(守屋富次郎、浜田稔の鑑定書)および当審証人大久保柔彦の証言によると、本件支持線の切断する危険風速は平均最大秒速二五米ないし三〇米であるとするが、成立に争いのない乙第一号証の一(気象資料についてと題する書面)同号証の一三、(加藤甲子郎の鑑定書)によると、本件火災当時の平均風速は秋田市西海岸で一〇米ないし一五米であつたことが認められ、本件支持線が風力によつて切断する可能性はなかつたこととなる。

しかしながら右乙第一号証の一によれば、同日午後二時頃より風速は一〇米を越える強風になつていたことが認められ、前記甲第八号証の一二によると、本件六号電柱の東方約五米の地点に地上約一五米に及ぶ梨の立木が樹枝を本件六号電柱およびその附近電線に延ばして生立していたことが認められ、右梨の木の小枝には本件電線に接触して生じたと認められる焼損の跡があるところからみると、右梨の木の枝が強風にあおられて振動し、本件電線に間断なく接触していたことが推測される。

しかして成立に争いのない甲第八号証の九(福島弘毅の鑑定書)によると、本件支持線は古銅線であつて、切断時まで約半年間にわたる風雪又は風力の荷重の繰返しによる材質疲労等によつて抗張力が低下していたものと認められる余地があり、これに前記梨の木の枝が強風を受けて長時間にわたり本件電線に加重するときは、本件支持線は本件電線の自重、梨の枝の加重、風力等の合成力による本件腕木の回転力によつて切断する可能性があつたものと認められる。

もし本件六号電柱が本件家屋の輻射熱により燃焼し、本件腕木が落下するに際し、本件支持線が切断したのであるならば、本件電柱の上部に存在した本件腕木および本件支持線も同様輻射熱を受けたことが予測されるところであるが、前記のとおり、本件腕木は本件家屋に面する西側部分は僅かに焦げ跡が認められるにも拘らず、反対側の東側部分がより焼損していること、前記甲第八号証の九によれば、本件支持線はその先端一尺位の被覆が焼損しているけれども残部の線の状態は格別高温に冒かされた形跡が認められないこと、さらに前記認定のとおり、訴外菅野敬一が本件電線の発火を目撃した当時本件家屋の燃焼は未だ初期的段階にあり、本件六号電柱が、輻射熱によつて発火する状況になかつたことを併せ考えると、本件支持線の切断が本件家屋の火災による輻射熱に基因して生じたとする控訴人の主張は採用できない。乙第一号証の四(浜島昭次の鑑定書)乙第六号証の一、二(藤田金次郎の鑑定書)は以上の認定を左右するに足りない。

(二)  次に本件支持線が切断し、本件腕木が回転した場合に、本件電線が本件六号電柱に接触し発火の危険性があるか否かについて検討する。

本件電線が本件六号電柱に接触し漏電回路が形成される場合としては、本件電線二線が同時に接触する場合、本件電線が本件腕木および支持線を通じて電柱と接触する場合、本件電線の一線のみが電柱に接触する場合が考えられるところである。

成立に争いのない甲第八号証の九、同号証の一三、甲第一三号証によれば、本件腕木の中心点(ボルト締めの部分)が固定されている限り、本件腕木が回転しても、本件電線の二線が同時に電柱に接触することは、本件六号電柱および本件腕木、本件電線の位置関係からあり得ないこと明らかである。即ち本件電線の一線が腕木取付部分より下方の電柱側面に接触するときは他の一線は電柱頂部より約一〇糎離れて上に出ることとなるからである。

また前記甲第一三号証ならびに原本の存在および成立に争いのない乙第一号証の一一(中野章の鑑定書)によれば、本件腕木に電流の流れたことによる焼損なく、本件支持線にスパーク痕のないことが認められるので、本件腕木および支持線が漏電回路となつて電線二線と電柱が接触したとみることもできないこととなる。

次に前記乙第一号証の四、同号証の一一によると、本件電線の一線が本件六号電柱に接触したとしても微量の電流が流れるにすぎず発火の可能性は少いとする。しかし前記甲第八号証の九、甲第一三号証によれば、本件電線一線の接触によつても相当時間経過後には接触地点より発熱炭化するに至る場合があるとされ、発火の可能性を全く否定し得ないことが認められる。

ところで右甲第八号証の九、同号証の一三、甲第一〇号証の三、甲第一三号証によると、本件腕木は本件六号電柱の頂部より下方二四糎の個所に一寸二分の深さの切込溝を設け、同所にはめ込まれボルトによつて締めつけられていたものであるが、本件六号電柱は頂部に笠金なく、不注入杉材であつて、その外皮部は縦割の筋が認められるにすぎないが、辺材部は亀裂性褐色朽の状況にあり、木材腐蝕菌に冒かされて脆く砕け易い状態に変質していたことが認められる。特に本件腕木取付部分は前記一尺二寸の深さの切込溝のため辺材部が露出されていたものであるから、その材質腐朽速度も早かつたものと推測され、本件腕木取付附近の電柱は著しく腐蝕していたものと考えられる。そうすると本件支持線が切断された場合本件腕木は極めて不安定な状態となり、強風に間断なくあおられる電線と腕木の回転力および梨の木の枝の加重によつて、本件腕木のボルト締めつけ地点がずれ落ちることも充分予測されるところである。かくして腕木の中心点が下方に移動するときは、本件電線二線が同時に電柱に接触可能となり、数分以内に発火することが可能となることが認められる。

以上認定の事実よりすれば、本件六号電柱は条件の如何によつて高圧電線と梨の木の枝或いは右電柱自体の接触により発火する可能性があつたものというべく、本件全証拠によるも本件六号電柱よりの発火が絶対に不可能であるとの心証を得るに至らない。

(ホ) しかして乙第一号証の一、同号証の一三、甲第八号証の五、成立に争いのない甲第八号証の一原本の存在および成立に争いのない甲第二六号証によれば、本件火災当時の現場は風速一〇数米の北西風の強風が吹いていたこと、本件家屋の北側屋根には雪がなかつたことが認められる。そうすると前記認定のとおり本件家屋は萱葺屋根であつて、本件六号電柱との距離は一二尺にすぎず、仮りに先日来の雨のため右屋根の表面が若干濡れていたものとしても、本件六号電柱の火の粉が本件家屋の北側屋根に着火する可能性は充分認めうるところといわなければならない。

しからば以上認定のとおり本件家屋内からの失火の確証なく、本件六号電柱よりの発火に基因して、本件家屋の北側屋根に着火の可能性の認められる本件においては、他に特段の反証なき限り右六号電柱よりの発火により本件家屋が燃焼したものと推認するのが相当である。

三、右失火に対する控訴会社の責任について。

(一)  前記認定の事実によれば、本件六号電柱は、昭和二五年八月頃既にその腐朽甚しく、本件腕木は不安定な状態になつていたことが認められ、本件電柱は三、三〇〇ボルトの高圧電流を送電していたものであるから、本件腕木が回転し、高圧電線が電柱等に接触するときは発火の危険性があるにも拘らず、控訴会社は電工井川房之助のなした本件支持線による一応の修理により本件腕木の回転を一時阻止したまゝ放置し、右漏電の危険を除去し又は予防すべき何等の処置をとらなかつたことが認められる。そうすると控訴会社は送電施設たる本件六号電柱の保存につき瑕疵があつたものといわなければならない。

(二)  控訴人は控訴会社に工作物の保存につき瑕疵があるとしても、重大な過失がないから「失火ノ責任ニ関スル法律」により同会社に賠償責任がない旨主張する。

しかしながら「失火ノ責任ニ関スル法律」が失火責任を軽減したのは、わが国では木造家屋が多く、天候その他消防設備等の条件が競合するときは不測の損害を生ずる虞れがあり、その損害を総べて失火者に負担せしめることは公平に反するとの趣旨によるものであり、他方民法第七一七条の工作物責任の規定は危険責任の原理に基づく無過失責任を定めたものであるとされる。右立法の趣旨に照らすと、工作物の設置保存の瑕疵に基づく火災により直接受けた損害については少くとも「失火ノ責任ニ関スル法律」を適用しないものと解するのが相当である。

そうすると控訴会社は前記認定のとおり本件六号電柱の保存につき瑕疵があつた以上、これに基づき被控訴人が直接蒙つた損害を賠償する責任あるものといわなければならない。

四、損害額について。

(一)  家屋焼失による損害。

成立に争いのない甲第八号証の五、弁論の全趣旨により成立の認められる甲第一七号証、当審証人菅野信治の証言およびこれにより成立の認められる甲第二九号証ならびに原審における被控訴人本人尋問の結果によると、本件家屋は昭和四年頃被控訴人が養父菅野庄五郎より贈与を受け所有していたものであつて、木造平家建萱葺建坪一〇四坪の建物であり、焼失当時少くとも坪当り金一万円の価値があつたことが認められる。よつて右損害は金一〇四万円と認められる。

(二)  動産焼失による損害。

前記甲第八号証の五、成立に争いのない甲第三号証当審証人菅野敬一の証言および被控訴人本人尋問の結果ならびにこれらにより成立の認められる甲第七号証、弁論の全趣旨により成立の認められる甲第一四号証ないし第一六号証によると、本件家屋焼失と同時に焼失した被控訴人所有の動産(但し寝具、衣類を除く。)は原判決添付目録記載のとおりであつて、その価格は少くとも金六〇万七、〇〇〇円であることが認められる。しかしながら右動産中寝具、衣類については被控訴人の昭和三九年六月一七日付準備書面添付目録中被控訴人使用部分として記載した合計金八万三、六〇〇円相当の寝具、衣類は被控訴人の所有と認められるけれども、その余の寝具衣類は被控訴人の所有に属するものと認めるに足りない。

よつて右動産の損害額は合計金六九万〇、六〇〇円と認める。

(三)  死亡した菅野寿郎の葬祭料。

本件全証拠によるも被控訴人が右葬祭料を支出したことを認めるに足りる証拠はない。

ところで本件記録によると、被控訴人は前記(一)の家屋焼失による損害額につき、原審において当初金一〇四万円と主張し、原審第一五回口頭弁論期日たる昭和三六年一〇月一六日、同日付準備書面を提出し、右金額を金五四万円と減額訂正し、その後当審において昭和三八年九月二五日準備書面を提出し、右金額を金一〇四万円と拡張訂正していることが認められる。

不法行為に基づく損害賠償請求権の特定については議論のわかれるところであるが、前記(一)ないし(三)の各損害はいずれも同一の不法行為に基づく財産上の損害賠償請求権であつて、その請求の趣旨、原因において別異の請求とはいえないから、被控訴人の右財産上の損害賠償の請求は、原審における当初の前記(一)ないし(三)の損害合計額金二二一万七、〇〇〇円の主張を、原審第一五回口頭弁論期日において合計額金一七一万七、〇〇〇円と減縮し、さらに当審において金二二一万七、〇〇〇円と拡張したこととなる。

したがつて控訴人は前記(一)家屋焼失による損害額のうち金五四万円を越える部分については消滅時効の抗弁するけれども、右家屋焼失による損害は、動産焼失による損害および葬祭料の請求と別異の請求と認められない以上、右請求の範囲内で各損害額を認定することは許されるところであるから、この点の控訴人の主張は理由がないものといわなければならない。

ところで時効中断事由としての裁判上の請求は、請求のあつた範囲、いわゆる訴訟物となつたことを要するものであつて、(民法第一四九条、第一五七条第二項、最高裁昭和三四年二月二〇日判決民集一三巻二号二〇九頁参照)、時効中断の効力は右請求の範囲においてのみ生じ、その後その範囲を拡張すれば拡張部分については拡張の書面を裁判所に提出したときに中断するものと解すべきである(民事訴訟法第二三五条)。

したがつて、被控訴人が前記(一)ないし(三)の損害額を原審第一五回口頭弁論期日において一部減縮し、財産上の損害賠償の請求を合計金一七一万七、〇〇〇円としたときに、訴訟物は右金額範囲内に限られたものであるから、残余の部分については時効中断の効力を生じないこととなる。そうすると残余の部分については仮りに時効の起算点を訴提起の時としてもその後三年を経過した昭和二九年一一月二五日の経過とともに消滅時効は完成したこととなり、被控訴人が昭和三八年九月二五日(当審第一五回口頭弁論期日)になした前記拡張部分の請求は許されないものといわなければならない。

よつて被控訴人の財産上の損害賠償の請求は合計金一七一万七、〇〇〇円の限度において認容すべきである。

(四)  三男寿郎死亡による逸失利益の相続分。

公文書であるから真正に成立したと推認される甲第二号証ないし第五号証、成立に争いのない甲第八号証の一二によれば、被控訴人の三男寿郎が、本件家屋の火災により焼死したこと、右寿郎は死亡当時小学校六年在学中の男子であることが認められる。したがつて、同人が死亡当時無収入であつたことはいうまでもなく、同人が将来いかなる職業につくかを予測することは困難であり、またその収入額を算出し或いは予測することも困難である。しかも被控訴人は一般的平均賃金、平均余命年数等収入額算定の基準となりうる何等の資料を提出しない。

しかしながら右寿郎の稼働期間を最小限度二〇年とし、最下級労働者の平均賃金によりその逸失利益を算出(中間利息控除して)するとしても、その金額は被控訴人の主張する金一七万三、八六六円を下らないことは当裁判所に顕著な事実である。

しかして被控訴人が唯一の相続人であることは成立に争いのない甲第三二号証により認められる。よつて被控訴人の右請求は全額認容すべきである。

なお原判決事実摘示には、被控訴人は右三男寿郎の逸失利益の金額を金九七万円と主張した旨記載しているけれども、被控訴人は原審第一五回口頭弁論期日(昭和三六年一〇月一六日)において、右の請求金額を金一七万三、八六六円に減縮訂正していること、さらに当審における昭和四一年四月一五日付準備書面をもつて拡張訂正した請求の趣旨ならびにその理由からも、右逸失利益の請求額が金一七万三、八六六円であることが窺えるところである。

(五)  寿郎の死亡による被控訴人の慰藉料。

被控訴人は右慰藉料の請求額を、原審において当初金一〇万円としたが、原審第一五回口頭弁論期日(昭和三六年一〇月一六日)において、同日付準備書面を提出して右請求額を金六〇万円と拡張し、更に当審第一六回口頭弁論期日(昭和四一年四月六日)において同月五日提出の準備書面に基いて右請求額を金一〇〇万円と拡張訂正したことは記録上明らかなところである。

控訴人は右拡張部分につき消滅時効の抗弁するので判断する。前記財産上の損害賠償の請求について判断したとおり、時効中断の効力は訴訟物の範囲についてのみ生じ、残部については、拡張の書面を裁判所に提出したとき中断の効力が生ずるものと解すべきところであるから、右慰藉料は本訴提起により金一〇万円の限度において時効中断の効力を生じていたにとどまり、残部については遅くとも被控訴人が訴訟提起後三年を経過した昭和二九年一一月二五日の経過とともに消滅時効は完成し、右拡張部分の請求はいずれも許されないものといわなければならない。

しかして前記甲第三号証ないし第五号証によれば、被控訴人の三男寿郎は当時小学校六年に在学中の前途ある少年であつて、男手一つで養育していた被控訴人が、右寿郎を本件家屋の火災により焼死させたことにより蒙つた精神上の苦痛は相当大きいものといわなければならない。よつて控訴会社は被控訴人の右精神上の苦痛を慰藉するため金一〇万円を下らない金額をもつてするのが相当であると認める。よつて被控訴人の慰藉料請求は金一〇万円の限度において認容すべきである。

(六)  遅延損害金の請求について。

本件記録によれば、被控訴人は、原審第一四回口頭弁論期日(昭和三六年九月二五日)において、昭和三六年七月一四日提出にかかる訴状補正書に基づき請求の趣旨を変更し、従来の損害賠償の請求に付加し、該金員に対する訴状送達の翌日たる昭和二六年一二月二五日以降完済に至るまで年五分の割合による損害金の支払を求めたことが認められる。

控訴人は右損害金の請求に対し、消滅時効が完成している旨抗弁するので判断する。

不法行為による損害賠償請求権から生じた損害金は本来基本債権の拡張ともいうべきものであるから、その性質からみても総べて基本債権と同様民法第七二四条の適用を受け、三年の時効にかゝるものと解すべきところである。(大審院昭和一一年七月一五日判決民集一五巻一四四五頁)。したがつて、右損害金は損害賠償請求権たる基本債権の存否が訴訟で争われている場合においても独立して時効が進行しているものというべく、被控訴人が右損害金の請求をしたのは昭和三六年七月一四日であるから、右裁判上の請求により昭和三三年七月一五日以降の損害金は時効が中断したこととなるけれども、昭和二六年一二月二五日以降昭和三三年七月一四日までの損害金は前述の如く時効の起算日を訴提起の時としても昭和三六年七月一三日の経過とともに全部消滅時効は完成し、該部分の請求は許されないものといわなければならない。

よつて被控訴人の損害金の請求は昭和三三年七月一五日以降完済に至るまで年五分の割合による金員の支払を求める限度において認容すべきである。

被控訴人は控訴人が右損害金の請求に対し何等の異議を述べなかつたから時効の利益を放棄したこととなる旨主張するけれども、控訴人は被控訴人の損害賠償請求権の存在自体を争つているものであるから、右損害金の付加請求に対し直に異議を述べなかつたとしても時効の利益を放棄したものとは到底認め難いところである。よつて右主張は採用しない。

五、しからば、被控訴人の本訴請求は、控訴会社に対し、金一九九万〇、八六六円およびこれに対する昭和三三年七月一五日以降完済に至るまで年五分の割合による損害金の支払を求める限度において正当として認容すべく、その余は失当として棄却すべきである。

よつて原判決は右の限度において変更すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九六条、第八九条、第九二条、仮執行及び同免脱の宣言につき同法第一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 岩永金次郎 新海順次 緒賀恒雄)

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