大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

仙台高等裁判所 昭和37年(ナ)3号 判決 1963年6月17日

原告 三見優一

被告 山形県選挙管理委員会委員長 小林正一 外二名

指定代理人 東海林吉助 外七名

主文

本件訴を却下する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

(当事者双方の申立)

原告は「昭和三七年七月一日施行の山形県、福島県、宮城県の各選挙区における参議院地方選出議員選挙はいずれも無効であることを確認する。訴訟費用は被告等の負担とする。」との判決を求め、被告ら各指定代理人は本案前の申立として主文同旨の判決を求めた。

(当事者双方の主張)

原告は、

一、請求の原因として別紙「請求の原因訂正の申立」と題する書面記載のとおり陳述し、

二、被告らの本案前の申立の理由に対する反論として、別紙「反駁書」と題する書面記載のとおり述べ、

被告ら若しくはその指定代理人は、本案前の申立の理由として、

一、公職選挙法第二〇四条によつて、選挙の効力に関し異議がある選挙人が訴訟を提起することができるのは、当該選挙人が所属する選挙区の選挙に限られ、他の選挙区の選挙の効力についてはこれをなし得ないのである。本件の原告は、その主張するところによれば、本件選挙の際青森県選挙区に属する選挙人であるのであるから、青森県以外の選挙区における本件選挙の効力を争いうる適格を有しない。よつて本訴はいずれも不適法な訴として却下されるべきである。(東京高等裁判所昭和三〇年一二月一六日判決、行政裁判例集第六巻一二号三〇一頁参照)

三、尚原告の前記「反駁書」と題する書面中の、被告らの右一に記載するような、選挙の効力を争いうる選挙人の資格を狭く制限する解釈が憲法第三二条に違反するむねの主張は憲法第三二条の趣旨及び選挙の効力に関する訴訟の本質を理解しないことによる誤つたものである。何となれば、

(1)  憲法第三二条は元来裁判所の権限として定まつている事項について裁判を受ける権利を保障するに過ぎない。また司法は右第三二条などから推知されるとおり、究極において個人の権利利益の保障を主眼とするものであるから、市民的自由や権利と認められない国家機関相互の権限争議や公の機関の内部組織に関する争は、法律上裁判所にこれを解決する権限を与えれば格別、当然には司法審査の対象とはならない。現行制度で認められている選挙訴訟などはこれである。

(2)  選挙の効力に関する争訟は、一個人の権利義務の問題ではなく、本来の法律上の紛争に当らない。従つて法律に規定ある場合初めて訴訟を提起しうるのである。

(3)  原告は自己の平等なるべき選挙権の平等性が害されたことを理由としているので、一見自己の権利の侵害の救済を求めているようであるが、それがひつきよう選挙の効力を争うものである以上やはり民衆訴訟として公職選挙法第二〇四条による訴訟と解すべきである。従つて法律をまたず裁判所に出訴し得るものと解すべきでない。かりに、本件原告の請求が民衆訴訟たる一般選挙訴訟と異るものと解しても、原告の救済は原告所属選挙区の選挙の効力を争い得れば権利の保護として充分であり、他の選挙区の効力まで争い得るものとする必要はない。

と述べた。

理由

被告らの本案前の申立について

一、(1)  地方選出の衆議院議員は都道府県を単位とする各選挙区において選挙されるものではあるが、右選挙区は選挙執行の便宜の為に設けられた手続上の区画たるにすぎないのであるから、右選挙によつて選出された参議院議員は当該選挙区のみの代表者たるにとどまらず、全国民を代表するものといわなければならないのであつて、このことは公職選挙法第一六条の「現在の……参議院(地方選出)議員……は行政区画の変更に因りその選挙区に異動があつても、その職を失うことはない」との規定によつても明瞭である。そうすると右選挙の結果が公正に定められることについては全選挙人が等しく利害関係を有するものというべく、その点から云えば、所属選挙区の如何を問わず、全選挙人に、右選挙に関し訴訟を提起しうる適格を認めるに足る理由があるようである。しかしながら、公職選挙法が右選挙区の制度を設けて各選挙区毎に個別的に選挙を行わせることとした以上、選挙人が具体的にその選挙権を行使しうるのはその所属選挙区に限られているのであるから、その所属選挙区における選挙の効力を争うために選挙訴訟を提起しうべき権利を認める必要があると同時に、それだけで十分であり、それ以上に自ら参加することができない他の選挙区の選挙の効力についてまで容喙する権利を認める必要はないといわなければならない。

(2)  公職選挙法は第二〇四条において、選挙訴訟を提起しうるものとして選挙人の外に議員候補者を掲げているのであつて、このことからみても、その所謂選挙人とは専ら当該選挙区に属する選挙人のみに限るとする趣旨であることが十分うかがいうる。何となれば、右法条において特に議員候補者に出訴権限を認めた所以は、右のように選挙訴訟を提起しうるものを当該選挙区の選挙人に限るとした結果、その選挙区の選挙人ではない議員候補者(立候補はいずれの選挙区からでもできる)は、その選挙の結果に最も深い利害関係を有しながら、その効力を争い得ないという事態が生じうることとなり、極めて不合理であるからに外ならない。のみならず、もし右選挙人が選挙区の如何を問わず全選挙人を含むとすれば、選挙人でない議員候補者はあり得ないので、選挙人の外に特に議員候補者を挙げることが無意味とならねばならないからである。

二、原告は右のように選挙訴訟を提起しうる選挙人を当該選挙区に所属する選挙人に限るとすることは、憲法第三二条に違反すると主張するが、憲法の右規定は、何人も自己の権利または利益が不法に侵害された場合には、裁判所に対してその主張の当否を判断し、その損害の救済に必要な措置をとることを求めることができることを保障したものであるというべきところ、選挙訴訟なるものは特定人の権利又は利益の保護が目的でなく、広く選挙人一般に訴訟提起の資格を認める所謂民衆訴訟であつて、かかる民衆訴訟は右憲法第三二条の要請に基ずくものではなく、法律に特別の規定が存する場合に限り認められるものであり(行政事件訴訟法第四二条)、従つて選挙訴訟を提起しうる選挙人を全選挙人とするか、これを前記のように当該選挙区に所属する選挙人に限るとするかは、立法政策上もしくは公職選挙法の解釈上の問題であつて、憲法上の問題ではない。従つて原告の右主張は採るを得ない。

三、しかして原告が本件選挙当時は勿論その後も引き続き青森県選挙区に属することは原告の自ら認めるところであるから、原告は青森県以外の選挙区における本件選挙の効力を争いうる適格を有しないものというの外はなく、本件訴はこれを不適法として却下することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 高井常太郎 裁判官 上野正秋 裁判官 新田圭一)

請求の原因訂正の申立

原告 三見優一

被告 秋田県選挙管理委員会

右代表者委員長 岩淵保

被告 山形県選挙管理委員会

右代表者委員長 小林正一

被告 福島県選挙管理委員会

右代表者委員長 皆川迪夫

被告 宮城県選挙管理委員会

右代表者委員長 鳥海三郎

被告 岩手県選挙管理委員会

右代表者委員長 永井一三

右当事者間の昭和三十七年(ナ)第三号参議院地方選出議員選挙無効確認の訴の件につき次の如く請求の原因訂正の申立をします。

請求の原因

一、原告は、青森県三沢市に於いて、個人尊重権、平等権及び選挙権を有するものであるが、公職選挙法(以下単に法と謂う)第十四条別表第二(以下単に別表第二と謂う)によつて、昭和三十七年七月一日執行参議院地方選出議員選挙(以下単に一日参地選と謂う)で著しく差別された。

即ち法別表第二に定める地方選出議員定員総数は、壱百五十名でその半数が全国各選挙区で行われた一日参地選で選出され、青森県でもその選挙が行われたことは、公知又は衆知の事実である。

然し自治省の同年六月七日公示日現在の同月十五日発表で明らかである全国有権者総数((イ)とする)を地方選出改選議員総数七十五名((ロ)とする)で除して得た人数((ハ)とする)に対して、全国都道府県を単位とする選挙区の同省発表の選挙人団総員数(北海道(イ)、青森(イ)…以下同じ)を同各区改選議員定数(北海道(ロ)、青森(ロ)…以下同じ)で除して得た改選議員一人当り選挙人総数(北海道(ハ)、青森(ハ)…以下同じ)は(ハ)(即ち全国平均改選議員一人当り有権者総数)に比して何れも異なるもので、何れも著しく多いか又は少い。

此の場合の最も少い選挙区の(ハ)は、最も多い選挙区の(ハ)に比較して四分の一以下であり青森(ハ)は右最も少い選挙区の(ハ)に比較して二倍を超え、最も多い選挙区の(ハ)に比較して、青森(ハ)は五分の三以下で(ハ)よりも青森(ハ)は(ハ)の七%を超えようとするものである。同年七月一日投票日現在で確定された各選挙区の有権者総数についても右同様の方法をもつて選挙権の差別を実証する前提を表示することを得る。

このことは各被告等の管理した選挙区の有権者と原告との選挙権の差別の行われたことについても何等実質的に異なるものではない。

以上の具体的事実につき先づ昭和三十七年六月七日現在の選挙人名簿につき別紙(参政権差別比較表其の一)の通り陳述する。

二、従つて法、別表第二は、日本国憲法(以下単に憲法と謂う)第十四条第一項に違反し、如何なる選挙区の有権者と、他の選挙区の有権者との間にも又原告との間にも事実上許すことのできない参政権の不平等な差別を全国有権者に強制し、原告も亦基本的人権をひどく傷つけられた。

但し相対的、民主主義的、合理的差別の限界の根拠については別に理論的に証明する。

三、法、別表第二は、同法第一条の定める目的に照合するに之に完全に適合せず、その正義に反し且つ憲法前文(又は主文とも呼ばれる)第一項の「日本国民は、正当に選挙された国会に於ける代表者を通じて行動し…云々」における綱領規定に対して適正で無いと謂わねばならない。

以上をもつてしても法、別表第二(一日参地選)は法第二百五条に謂う選挙の規定に違反していることはあまりにも明らかである。

四、同法、別表第二は、地域代表選出の意義を深く有し、憲法第四十三条第一項の「全国民を代表する選挙された議員」を選出するためのものとは認め難く地方地域の公共の福祉に適合したとしても、国家的な国民的な視野に照らして全国的な、全国民的な公共の福祉に適合しないと謂うことができる。

このことは、前述の青森(ハ)が、原告が仮定し、要求して居る(ハ)に比較して約五万人も多いこと、その有権者が他の国会議員を選出する権利を別表第二によつて奪われたとの意味を有し、そこは県内であるからと単なる地方的な政治的、経済的、社会的な利害を近視眼的に重視したもので、府県境が法により市町村境が市町村、県、政府によつて変更(自治法第五条、第七条)でき、且は投票区、開票区が市町村選管委で分割設置することができること等を総合して原告が主張する選挙区の是正が行われるならば、如何ような選挙区ができるか、それによつて当然に法第二百五条に謂う選挙の結果に重大な影響を及ぼすことは確実である。

右事実に於いて即ち昭和三十七年六月七日現在又は同年七月一日現在の(ハ)に対する各被告等の管理した同区(ハ)との差(福島県の場合は(ハ)よりも一段と少いが差別には変りはない)についても本項同様に原告は主張するものである。

五、原告が有し、請求する訴訟上の確認の利益は次の通りである。即ち基本的人権、就中、個人尊重権、参政権の不安定な現状を戻し平等な確固たる憲法上の基盤の上に据え、労働者の利益代表を一人でも国会に送ることである。それは具体的な利益をもたらす。

六、斯くて人類が多年に渉つて、自由と平等とを要求して権力者に抗した歴史的な斗いの成果として、日本国民が得た憲法の諸規定に逆行し、敵対し、民主主義がもつその本質と要因、然して主権者がもつ参政権をば、近代的国家の最も強力な国家権力をもつて最も正確に、最も厳密に、之を破壊し続けているのである。

これは憲法第四十七条をもつてしても、此の原告が有する基本的人権を、原則として打破することができないのであつて、人間のみがもつ最高の「えい智」の信託した譲り渡すことのできない基本的人権を、国家権力、法によつて多くの有権者から之を奪い他の多くの有権者に之を与え正義に親しまず国家政治の秩序に重大な影響を与え、より少数の選挙人団が、より簡単に国民の代表を選出することができたのは他ならぬ法、別表第二である。

この憲法を自ら崩壊せしめることなく憲法第四十七条がどのような解釈規定をもつか、権力によつてか、はたまた他の権力によつてか、如何にして特定の選挙区の有権者が他の特定の選挙区の有権者よりも、より多くの国民代表を選出する権利を得、或いは権利を失い奪われるか、判定を受ける機会をもつ。原告は、この参政権の不平等な差別に抗し、居住移転の自由を有するが故にも亦、その要求が認められるまでは不断の努力を止めることはできない。

七、以上の如く原告の有する憲法上の諸権利の重要部分が侵害された事実に鑑み参(政)議院全地方選出議員選挙が無効であり、その当選の効力は無く、秋田、山形、福島、宮城、岩手の各県地方選出議員選挙も亦無効であり、その当選の効力も亦無い。

右の次第でありますので請求の趣旨の通り判決を求めるため本訴に及んだのであります。

添付書類<省略>

昭和三十七年九月二十三日

右原告 三見優一

反駁書

原告 三見優一

被告 岩手県選挙管理委員会委員長

秋田県選挙管理委員会委員長

宮城県選挙管理委員会委員長

山形県選挙管理委員会委員長

福島県選挙管理委員会委員長

右当事者間の御庁昭和三十七年(ナ)第三号、昭和三十七年七月一日執行参議院(地方選出)議員選挙無効確認の訴に対する各被告の本案前の抗弁は各々その理由とその根拠が無く容認できない。かかる抗弁は棄却すべきものである。

よつてこれを争うため別紙の通り反駁します。

昭和三十七年十月三十日

右 三見優一

仙台高等裁判所第二民事部 御中

各被告等共通の本案前の抗弁は(同様の理由として)

『一、此の種訴訟の原告適格(訴の利益)即ち訴提起権者たる資格あるものはその選挙人(原告)の所属する選挙区の選挙につき限られる。

(以上公選法第二〇四条の解釈から)

二、当該原告は当該前示各被告等の所管(管理した)地域の選挙区の所属選挙人ではないからこの「昭37(ナ)第三」の訴提起は不適法である。

三、昭和三十年十二月十六日東京高等裁判所判決(昭三十(ナ)第十六号)に照らしても右理由又は事実は明らかである』

と主張しているものと解される。

右抗弁理由に対して原告の反駁理由とその根拠は次の通りである。

第一節 公職選挙法(以下単に法と謂う)

第二〇四条の文理解釈に関して

法第二〇四条を図示すれば左記の如くなる

図<省略>

となる

さて右図(法二〇四条)に於いて

<1> その選挙とは「P1のQ」と「P2のQ」の二種類が特定されているのみである。然して此の場合に「何々選挙区P1のQ又は同上P2のQ」なるものは限定又は特定されていない。

<2> 「従つて効力に関し異議ある」はずの亦はあつたところの対象は「P1のQ」と「P2のQ」の二種類であることは文理上疑いの余地がない。

<3> 異議を有するR1又はR2は法二〇四条の条文のR1又はR2の部分までは此れを何々選挙区のと限定又は特定することは解釈上不可能である。単に「P1のQのか」或いは「P2のQのか」の何れかに特定できるのみである。

<4> 問題はT1に「当該」と加入したところにある、此の「当該」とは「何れの主語又は主語節」についての当該なのか「他の要因」についての当該なのか之を確定するには事実上価値判断によるか、論理上か、目的論的か、その解釈責任所有者の恣意に任かされることになる。即ち此処では「異議あるはづの、又はあつたところの選挙区」がその異議を唱え主張する者「R1又はR2」の所属した選挙区に起つた場合についてか、その他の何れに起つた場合についてか不明であつて決してその「R1又はR2」の所属した選挙区に生じた場合だとは断定し特定するには余りにも困難であるばかりではなく文理上先づ不可能と謂える。言い方(説明)を変えれば(原告注、主張を変えればの意でない)<イ> 選挙人の所属する選挙区以外で異議のある又はあつた選挙区(の選挙管理委員会)に関係なく単に異議を唱えた「選挙人」の所属する選挙区(を包含する都道府県の選挙管理委員会)に対して「当該」と名づけたのか(即ちSとできるの意か)<ロ> 異議ある又はあつたところの「選挙人」の所属選挙区であると否とに関係なく単にその異議のある又はあつたところの選挙区(を包含する都道府県の選挙管理委員会)を「当該」(現象の生じた)と名づけたのか。以上<イ>又は<ロ>の何れかの一つであると限定し特定することは文理上全く困難であるばかりでなく先づ不可能である。

<5> 強いて主張すれば或る高等裁判所に提訴するため何人を被告とするかを法定するため「原告たるべき人の選挙区を管轄する裁判所を法二〇四条が指定(法定)した」と解するよりも「問題のある異議あるべき又はあつたはづの選挙区の選挙につきこれを(法第五条により)管理したその選挙区を包含する選挙管理委員会の長を被告と法定した」と解する方が合理的であると言える(民訴法第一編、第一章、第一節参照)然しそれは文理解釈の領域を脱しつつあるものと判ずる。

<6> 以上を総合すれば「原告(異議ある選挙人)は原告の所属選挙区に関してのみ提訴権がある」は合理性、妥当性を欠く。

<7> 「その選挙」の文理上の意義性格特質に関し概念法学派の落ち入り易いあやまち、非難をまぬがれない最大の原因については別に理論的に証明する。

第二節 法二〇四条の論理(目的、条理)解釈に関して

<1> 成文法令は原則として一般的抽象的な形で制定される。従つて参政権も原則的には一般的、抽象的に規定される訴権についても同様である。

<2> 公職選挙法第一条の目的から法第二〇四条の解釈(態度)を主張するに、<イ> 日本国憲法の精神に則り(原告注-主権在民、民主主義、基本的人権、裁判を受ける権利、正当な選挙多数決等々を尊重、よう護実施すべき旨)<ロ> 公選する選挙制度を確立し、<ハ> その選挙が選挙人の自由に表明せる意思によつて公明且適正に行われることを確保し、<ニ> もつて民主政治の健全な発達を期する…ことを目的としている以上同一の選挙(原告注-法第二条の選挙、即ち法の云うその選挙)の如何なる場所衆団の選挙と云えども不正のものはその選挙に関しその『直接』の関係選挙人は監視権即訴権があるものとしても不合理はない(直接間接については第四節参照)

<3> 憲法の精神就中多数決(過半数、三分の一以上、三分の二以上四分の一以上によつて)は国民(又はその地方公共団体住民)に重大な(直接の幸福に)影響をあたえる特質のものであり現実のものでもある以上、例え一名の不当、不法の当選者或いは不正不法の一地域の選挙でもこれを見逃すことはできない。従つて異議ある選挙人は同一の選挙である限りその選挙区の如何を問わず訴権があるものとして不合理でも不法でもない。むしろ法第一条の目的に完全に適合するものである。不法不当の選挙の結果一名の国会議員の当選を選挙区が異なるだけでみすみす許しそのため多数決になるのであるから絶対に許せない。

<4> 然らば「その選挙」とは何かを確定せんとするに法全体を通じて

「その選挙云々」は二十八ケ処以上に表示され

「その他の選挙云々」は六ケ処以上に表示され

「各選挙云々」は少くとも二ケ処以上に表示されている。

さて右を総合してその選挙を特定するためには憲法、公選法、地方自治法、各条例の定めるところにより構成される法第二条の列挙した種類のものに限る。この場合青森県議会議員の選挙は決して長崎県議会議員の選挙ではない。

又沼田市議会議員の選挙は決して長崎市議会議員の選挙ではない。とにかく衆議院議員選挙の場合青森一区のそれも、東京第一区のそれも同一の選挙である。

各被告の管理した当該一日参地選も青森のそれも同一の選挙であつて選挙区が異なり管理者が異なつているだけのことである。選挙区そのもの、選管そのものは決して選挙でないことは自明のことである。従つて同上同一の「その選挙」に異議あるものは原告となり得る。

<5> 法二百四条は論理的に原告となるべき選挙人を限定し特定していない凡そ民主主義、公選、民衆訴訟、憲法の本質、諸精神原理から秘密主義はあり得ない。左図のように選挙区があると仮定し同一の選挙に於いて10県選挙区の17村(市町)の

表<省略>

選挙人は同一の選挙区であり乍ら11村(町市)の当該不法又は不当の違反の選挙があつて選挙の無効又は当選の無効事実につき20県(選挙区)の21村(町市)の同上事実を知得することよりも技術上(証拠集め含む)困難であることは相対的に何時の時代でも同様である。

このことは20県(選挙区)の27村(町市)選挙人につき30県(選挙区)の31村(町市)と21村(町市)との不法不当の選挙につき同様である。

今、政党政治に於いて主義主張の異なる同一のその選挙の立候補者が各々あつて他選挙区(20県21村)の選挙の不法違反事実が10県選挙区17村の選挙人に明らかであるにかかわらずこれを無効訴訟に持込むことが不可能であれば(如何なる場合でも20県選挙区の選挙人のみ訴訟ができるとすれば)誠に奇妙な現象が生じたのである。ぼうかんしていなければならないのであるからそれは遂に政党政治の「けん制」の特質を失い一党独裁を導く何故なら訴えると云うことは並々ならぬ決心を必要としているばかりでなく選挙ボス等実力者の圧力が強いことが普通だからである。それを乗り超える正義の芽をつみとるとは誰がためか。

原告は之を選挙の秘密(主義)と云う或る特定の選挙区の選挙につきどんな不法違法な選挙事実があろうと(官憲の目を盗んでやれば)とにかくその同一の選挙区内の選挙人さえ黙認(選挙ボスの威圧があること多し)してくれればそれでよいと云うことを法が承認した事実が生じることになる。これは不当に原告の訴権を同一選挙区内の選挙にのみ限定したことからくる当然の原則上の帰結である。これは原告の到底承認できないものである。それは孤立主義の難をまぬがれないのみならず民主主義者の公開原則をはなれ独裁政治に導かれる。

<6> 法二〇四条は被告を特定し限定しようとしたものである。当該選挙区につき管理した又は再管理すべきその同一選挙の履行義務者として合理的であり当然のことと定立者が規定したものと解すべく又読むべくかかる努力(被告を特定しようとする立法者の)は決して選挙人を道ずれにして共に特定しようとしたものではない。これは前示「5」からも明らかであり第一節5に於いて示した通り民事訴訟法の第一編、第一章、第一節に定める条件に照らしても妥当するものであつて原告を同一の選挙であり乍ら特別の選挙区に限定することは憲法第32条に違反するものと云うを得べし。

<7> 選挙区なるものは或る特定の選挙のための手段の一つであつて便宜的であつても決して絶対的決定的のものでないし、変更し得るものである。単に投票がある場所に限定され、公定された定員を選出するだけのものであつて投票そのものが参政権でない又投票したからその投票したものが必ずしも当選するとは限らない。それでも訴権を認めようと云うのであるからにはそれは直接の利益云々でないことは自明のことである(直接、間接、主観、客観、抽象、具象、一般、個別――の訴訟、利益については第四節参照)

<8> 法には被選挙権者に投票権設定の選挙区以外の選挙区から立候補できることとしたのはそもそも何を根拠としているか、此の場合如何にして直接の利益を受ける選挙人を特定することができるか理解に苦しむものである。

即ち謂うなれば選挙区の異なる又は同一の理由のみにて直接、間接の利益を代表者議員と選挙人との間に設定することはできないのである。然るに選挙人に選挙区の異なる理由によつて訴権を認めないのは不合理も甚だしい。

第三節 昭30(ナ)16号事件の判決に関して

<1> 当該東京高等裁判所に於ける被告及裁判所も共に民主主義を誤認し、此の判決及此の種裁判に於ける(多様性であつた)過去の判例に照らしてもそれは民主主義少くとも日本のそれに於いて不正選挙の助長、選挙犯罪の強化拡充、憂々しい、すくい難いどろ沼へ落込んでふ敗から「ビラン」状態にはまり込んでゆく(此の日本の)選挙に歴史的に偉大な特筆すべき「功績」と「功けん」側面的な然かも司法権力からの援助が行なわれ、それへの原因をなさしめたものであつた。

いやしくも法二〇四条の解釈に於いて誤りあらんか斯くの如く国民又は住民相互の「けん制」が効目なくそれであつてさえ公選法は国会議員のための単に国会の現議員のための公選法と称されている「風せつ」あり過去の経過からしても心ある人々のふんまんやる方ない正義心を深く谷底へ(権力を用いて)投げ込んでいる原告は〔やがて此のような判決が生じた原因をなす法二〇四条の解釈にあつて此の根拠の不安定にして且悪しきが故に強きが強いが故に悪い人間行為かに、時と権力を借す(当選するから)判例に対して〕満身の抵抗を実行することを国民の正義の名に於いて宣言するものである。

右判決は公共の福祉、公共の利益、公正公開民主主義国民主権と称する大局的見地をものの見事棚上げし、予見と支配の逆効果を悪用したもので許すべからざるものである。司法部自らが墓穴を堀つているか立法権力者(財政予算を審議する)に「きぜん」たる態度をとり得なかつたおく病か、又は真摯な批判には少しも遭うこともなく卓越せる論的の影響をうけることもなく或いは「まん然」と繰返し創造的な(若く公正な)人々の行動力や批判力を故なくおさえている古き学説の「権威」が自由裁量・心証のすべての重荷となり圧迫となつたかの何れかである。

<2> 理由のうち判示事項(一)に於いていきなり『公選法が選挙人をして当選無効の訴を提起することができる事としたのはそのものの属する選挙区における選挙の公正を期そうとするためにほかならない』と判断した。がそのような判断は根拠がない。法第二〇四条及びその他の条文の何れにも右判断を生じしめるようなものは存在しない、全く空から有を生じしめるようなものである。これは訴権を選挙区によつて故なく差別するものである。

当該昭30年(ナ)第十六号の判決は右判断がすべてを決したのであつてかかる判断は事実上文理又は論理(条理、目的論的)解釈を誤解した結果のもので原告の容認できないものである。

<3> 被告の主張によれば「法二一一条に謂う選挙人とは当該選挙に関係なき一般的抽象的な選挙人と解すべきでなく、当該選挙に於ける当該選挙区の選挙人と解すべきであることは立法趣旨より明白である」と謂い理由として「法第一条を適用した」と述べたものと解するが少くとも昭25法100号の公職選挙法には右の如く「選挙区の選挙人」と解すべきを思わしめるが如き規定は明確には存在しない。その根拠の説明も不充分である。ある学派の時たまの「無軌道」を連想せしむること甚だ適切である。(次節参照)

<4> 又当該被告の主張によれば「従つて単に公正のみに重点を置きこれを担保せんとすれば…客観訴訟に於いて…訴提起権者を限定することなく広く…開放…当選人の受ける不利益はともかくとしても広く社会的又民衆に与える影響の甚大なるに鑑み通常行政訴訟上の客観訴訟において多くの場合出訴権者を限定する」その理由として「一度形成せられた法秩序の混乱を防止すると共にその早期安定を計るの意図に出ているのであることは明らかである」と述べたものと解(原告注)するが(客観云々は第四節参照)

右は<イ>抗告訴訟民衆訴訟の本質を誤解したものである(第二節後半参照)<ロ>如何なる不正や違反を行つても選挙区の選挙人をして黙認せしめ出訴期間をどうにか過ぎればとにかく国民の代表になるのであるとの逃げる犯罪者心理をむきだしにしたおそるべき法秩序無視の態度であり、原告の理解を著しく不足させるだけである。不正当選者のみに利益をもたらそうとした主張と謂えよう。強いて云うならば議会はその定員の三分の一の出席で開会できるのであるからその線に近いところまで当選選挙無効があつても直ちにその機能を全く失うことはないばかりか訴を起されたから直ちに資格を失うものでもあるまい潔く法の裁きを受けせしむるに於いてこそ正しきあり方である。よごれざるものはすべて何事にも不利はない逃げる必要もない。

<5> 又当該被告主張によれば「本法に所謂選挙人は具体的には常に選挙区を標準として始めて合理的に考えられる観念である…法は決して一般的抽象的人格としての選挙人を思惟しているものではなく常に決定の…具体的に選挙権を行使し得べき土地との関連に於いて…考えている」と述べているものと解(原告)するが

右は参政権と選挙権、選挙と投票についての差違性格等を理解していないことからの見解である。選挙区は単に定員割当その他の便法であつて当選人が一地方に片よらないことを防止することを最大の任務としているものと解すべきであつて訴権を限定するためのものではない。投票が終わればそれで選挙は終了したのではない。右被告主張は全く法と憲法の精神を無視したものである(土地関係云々は第四節を参照)

<6> 「東京都議会議員の選挙は長崎市議会議員の選挙」ではない当該被告は「同一種類」と「同一」とを混同している。東京都議会は長崎市議会の「条例と予算、人事その他の権限」に関係はない長崎市議選挙人と東京都議選挙人とは関係はない。

<7> 当該事件の被告主張は「…即ち選挙権によつて何等自己の意志の反映がなされる可能性の全くない地区の選挙人…云々」と云い

『「本件の如き市議会の議員が自己の選挙区の選挙民の意思に拘束せられて活動するものではなく常に全体の市民の代表者として行動し常に市全体の利益にのみ奉仕すべきものである」と云う理論とは直接に関連のないことである』と断じている。右被告主張は憲法第十五条第二項並びに同前文の「日本国民は正当に選挙された国会における代表者を通じて行動云々」を理解できず或いは忘却し、ないがしろにしひいては民主主義議会主義を破めつに至らしめるおそるべき独断と云える原告はかかる主張を承認することはできない。

<8> 本件(昭30・12・16(ナ)16号)の有する総べて分野について問題が立入つて(学問的領域からのみならず)研究されることになれば事態は直ちに一変せざるを得ないはづである。

本件判決は「相矛盾し、或いは合流し、補足し合う、あいまいな立論、甚だ顕著な誤謬と誤認」を不当な解釈方針によつて弁護したものであつた(訴権消極説の功罪については本節<1>を参照)精密的理論的法学の領域での右事件の解明の任務に比べて「昭37(ナ)第3号本案前の中間判決が有する任務は如何に重要な地位を有し且切実なものである」かは一人原告の実感のみではあるまい。

<9> 此の種事件の訴訟に対して判例が必ずしも一定していないのは単に法条の表現(文理)が異なつたものであつたからではない。その主張するところ確固たる文理上、論理上の根拠又はその理由が提示されず統一的な見解に又は多数説となるための資格価値ある目的と条理を判断のベースへ導入する技術上の不なれからであつた。

以上本節註-原告とは昭37(ナ)第3号事件のそれの意

-被告とは昭30(ナ)第16号事件のそれの意

第四節 司法権、民主主義その他に関して

第一項 司法権 謂うまでもなく裁判所は憲法、裁判所法によつてその権限が与えられ同上法、その他の法律により国民のために裁判を行うものである。それは当然に憲法第三十二条、第八十一条、第九十九条をも条件として国民に相対していると解する。もとより原告はあらゆる問題が訴訟となり得るとは考えないが東京高裁昭30(ナ)第十六号事件被告の主張の如く(訴がひんぱつするから)極力訴権を限定しようとする態度には同意できない。若し裁判所にして質的な差別によらず量が多くなるからと云う理由で当該訴権を限定せんか、民法における土地にまつわる一筆毎数種類もの権利訴訟を総べて放棄せざるを得ないだろう。此れは不法状態である(かかる訴の数量の多少によつて裁判を拒否する権限があるとするなら被告にその根拠を問う)そのような訴量的な性質の諸問題解決には別の方法が当然に与えられているのである。

このような訴訟に対する司法部における態度の中でその目標自身が問題になつているのでは国民からの信頼を得るに道ははるかに遠い。

第二項 選挙と利害

訴権は「その選挙に関し直接の利害ある関係人に認められる即当該選挙区(原告の所属する)に関してのみ訴権がある」との説に対して原告の反論は次のとおり

<イ> 公選法及民訴法又は行政事件争訟特例法等は単に「選挙に於ける利害」を選挙と呼ばれる集合的行為としてその告示から当選決定報告に至るまでにつき直接の利害云々を云つているのであろうか。原告は右所論を否認するもとよりそのような範囲のものにも国民の各自の利害はあろう。然し乍ら選挙の結果によつて生じた当選人がどのような主義主張を有しどのような法律予算に賛成する者かによつて国民の利益に直接間接に影響を与えるものであることは自明のことである。<ロ> 国民は国会に於ける代表者(当選人)を通じて行動(憲法前文)すること。議員は一部の奉仕者でないこと(憲法第十五条)を承認したし要求している。若しこの場合ある一部の例えばある選挙区のために利益になるようなことをしようと当選人がすればそれは議会の多数決を必要とするだろう。若し当選人のみでできることがあるとすればそれは所謂「役得」なのかも知れない。それだけが利益だと云うのであるかそれは原告は否認する又右<イ>に於ける選挙中の利益云々ならばそこに実益があると実証せんか、それは選挙違反にならねば(利益ゆう導罪)幸いである。単に投票できる実益と云うならば-何人も資格あるものは同様の投票の利益を他区でももつている。それは特別の実益でもなければ特定のものでもない又必ずしも「投票された人」が当選人とは限らないから直接でも何んでもない又主義主張の異なる侯補者のみが同区で当選することもあろう。例えばその選挙区の所在地に橋を作つたと仮定してもその橋を同当該選挙区の人が直接利用する人もあれば全然利用しない人もあろう。その実益は差別的のもので程度のものとなろう。此のような場合に他選挙区の人も利用するだろうから時には他選挙区の人が当該所在地選挙区の人より余計に利用する実益を有することもあろう。これでは直接間接の利益云々は決定的でない相対的のものであるどのような基準が(直接の利益の)あるか。<ハ> 民主主義は原則として多数決で実行に移される。「一例を挙げると所得税に於いて(扶養家族三人で)三万円の総月収のものに月二千円の所得税を課するとする。これを月五千円に値上げをする法案と月千円に値下げをする法案が上程された場合何れかに法定されるのであるが例えば多数決で月五千円の税を課したのである」此の場合「直接の利害が国民に与えられる」との主張は間接的(反直接的)であると反論できるか。

それは多数決を生じしめた選挙の結果であることは論をまたない法は原則として直接国民に利害をもたらす場合が多い、まして予算に於いておや。

第三項 争訟制度の目的に関して

選挙の自由と公正を確保するため(それは代表民主制の根本理念を具現化するため国民の代表を選出する選挙が自由、公正に実施され真に国民の意図する代表者たるべきであるから)にこそ民衆訴訟を認めて広く国民の協力をそればかりではなく国民の権利として民主主義の要求するものを与えているのである。選挙の執行は行政でありその方法定立は立法である。時の政治権力を握る者の恣意のため選挙の方法結果が左右され不正不当が認められるようでは(国民一般と国家との共働による選挙の結果たる公法的法律行為の効果の「適法性」と「普へん性」を担保するため)その適法性の担保につき正当な利害関係ありと認められる一般国民に訴訟を通じてその審査を求め得る即ち(主観的な)公権の保護の裁判であり公法の維持のためのものでもある国民個人の権利保護のためのみのものではない。

即ち「異議ありと認める選挙人に広く原則として訴権を認めるべきである(法二〇四条)」

第四項 直接的(と間接的)客観的(と主観的)一般的(と個別的)具体的(と抽象的)集団的(と単一的)

右項のそれぞれの概念規定は勢い相対的とならざるを得ないものである。それは社会原衆一般の領域、特に法律原衆の領域に於いて具体的に問題として訴訟が起されそれ等の行為につき何が直後で何が間接であるかは主として(原則として)相対的ならざるを得ないだろう。もつとも(客観的と主観的等と)右対立する概念に於いて絶対的のものもあろう。

然し選挙民にとつて何が具体的直接的等々の利益であるかはその対象の異なるに応じて定められるのである。

選挙区と代表者との間は無関係であるとは云わないがそれだけのものでもないことは以上の主張で明らかである。

第五節 結論

昭30(ナ)第16号(東京高裁)の被告も裁判所も昭37(ナ)第3号(仙台高裁)の被告も第二〇四条を解釈するにその根拠となるべきものを明確に表示していない。それは恣意的のものであるから認めることはできない。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例