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仙台高等裁判所 昭和33年(う)245号 判決 1959年2月24日

控訴人 被告人 佐々木房雄 外一名

弁護人 小田原親弘 外一名

検察官 下牧武

主文

本件各控訴を棄却する。

理由

被告人佐々木の弁護人小田原親弘の陳述した控訴趣意は、記録に編綴の同弁護人名義の控訴趣意書の記載と同じであり、被告人河野の弁護人丸岡奥松の陳述した控訴趣意は同じく同弁護人名義の控訴趣意書の記載と同じであるから、いずれもこれを引用する。

小田原弁護人の控訴趣意一(共犯に関する事実誤認の主張)について。

しかし、原判示事実は原判決挙示の証拠によりこれを肯認し得るのであつて、記録を精査しても原判決の右事実認定に過誤あることを疑うべき事由は存しない。

即ち、差し戻し後の原審(昭和三三年三月三一日公判)における被告人河野の供述、被告人河野の検察官に対する昭和三三年一月一四日附、同一六日附、同二六日附各供述調書、原判決挙示の内村清次郎等六三名提出の貯金通帳写附答申書八八通(差し戻し前の記録一五四丁乃至一七八丁、二二九丁乃至二九一丁)、及び原審押収の普通貯金通帳、入金伝票、貯金払戻金請求証、貯金払戻票等合計一一七通(証一号乃至一一七号)、貯金台帳八冊(証一一八・一二一・一二二・一二六・一三五乃至一三七号)に徴すれば、当時原判示農業協同組合の会計係職員(貯金係)であつた被告人河野は会計係主任であつた被告人佐々木と昭和二五年春頃から情交関係を結ぶに至つたが、関係が深くなるにつれて、被告人佐々木は被告人河野に対し、自分は独立して青森で商売を始めるつもりで、不幸なお前を幸福にしてやりたいが、先立つものは金だといい、遂に、預金の受払いの時入金伝票に差額をつけ、出金伝票に水増しを書いて、その差額だけの入金伝票を起して渡してくれ、金を都合するからと打明けられ、情交関係のできた被告人河野はこれを断わることができず、会計事務に経験のなかつた被告人河野も従来同組合の会計事務が乱雑なやり方だとみていたので、これを引受けることを承諾し、間もなく同年一一月初めからやりはじめたものであること、右の如くごまかすについても、預金の受払いを請求する組合員はいつ来るか判らないし、組合の手持現金や組合の必要出費をも考合わせて、その時期をみなければならないのであるが、右の如くごまかして金を作る場合は、大体被告人佐々木がその都度被告人河野に対し、今度誰から幾ら貸してくれと頼まれたから作つてくれと言つた具合に申入れがあつたものであつて、その金額は二、三万円から多い時は一〇万円のものであつたこと、右金をごまかすからくりの方法というのは、組合員が預金に来ると、貯金係の被告人河野がその通帳と組合備付の貯金台帳とには実際の預入金額を記入し、入金伝票は起さなかつたり、或は実際の預入金額より少い金額を記載した入金伝票及びこれと実際の預入金額との差額だけの金額の何の仕訳もしない入金伝票を作成起票して、この二枚の伝票と通帳及び現金とを会計係主任被告人佐々木に手渡し、被告人佐々木はその通帳の証印欄に佐々木の印を押してこれを被告人河野に返すのであり、他方払戻しの場合は被告人河野が組合員の通帳と組合備付の貯金台帳とには実際の払戻金額を記入し、出金伝票(はじめは貯金払戻請求証、後に貯金払戻票と名称が変つた、貯金払戻金受領証をもつて代用したこともある)には実際の払戻金額より水増しをした金額を記載(本来は請求者が記載すべきものであるが、事実上被告人河野が代つて記載していたのである)した出金伝票及びこれと実際の払戻金額との差額だけの金額の何の仕訳もしない入金伝票を作成起票して、この二枚の伝票と通帳とを被告人佐々木に手渡し、被告人佐々木は通帳の証印欄に佐々木の印を押して、これと実際の払戻金額の現金とを被告人河野に渡すのであり、又被告人佐々木が出帳等不在の時は、右会計主任被告人佐々木の現金受払い事務を貸付係兼庶務の村田喜世一が代つてすることもあつたが、多くは被告人河野自身が代つてやつていたので、その場合被告人河野は前同様の二枚の伝票を作成起票し、通帳の証印欄には河野の印を押して、現金の受払いをし、一日の終りに現金と伝票を大金庫に蔵つて、大金庫の鍵は村田がしていたこと、伝票に基いて記入する日記帳、仕訳帳、元帳等の帳簿への記入は被告人佐々木自身が一切人に任せずに必ず自らやり、日記帳は数日分を一括して記入し、出張する場合は未整理の伝票は中金庫に蔵つて出かけたものであり、前記差額だけの金額の何の仕訳もしない空の入金伝票の分は日記帳等の帳簿には全然記入しないのであるが、その分の現金を被告人佐々木が取つて不用になつた右空の入金伝票を被告人佐々木が破いているのを被告人河野はよく見かけたこと、被告人河野は被告人佐々木が右現金を取るところは見たことはないが、被告人河野自身は被告人佐々木の出張不在の場合でも直接現金を取つたことはないこと、会計監査については被告人佐々木から被告人河野に対し元帳と残高を合わせるよう書抜きをして置いてこれを監査員に渡し、預金台帳は絶対に見せぬようにと指示があつて、そのようにしてきて、いつの監査も無事通つてきたこと、かくて、昭和二五年一一月三日頃から昭和二九年一一月二〇日頃までの間に、預入れの場合は計三六回で一六万六千百円、払戻しの場合は計八七回で五五万六千三百六七円四七銭合計七二万二千四百六七円四七銭をごまかしたものであること、被告人河野が同組合に入つた当時の被告人佐々木の同組合への預金は四、五万円であつたが、右のからくりをはじめてからその額を増し、多い時には四、五十万円になり、又被告人佐々木は被告人河野に時々小遣いをくれ、一緒に温泉等へ出かけたりしてその費用は被告人佐々木が払い、なお被告人河野は被告人佐々木の金貸しの仲だちをするようになつたが、被告人佐々木の日常生活は粗末な服装をしていて、多額の預金等のあることは妻にも話さなかつたようであること、被告人河野は被告人佐々木との関係が深くなるにつれ、組合の金のごまかしも多くなつたが、次第に堪えられなくなつて、被告人佐々木から離れようとすると、被告人佐々木は人前もはばからず泣きつき、妻を離婚するからというので、一緒に訪れたが、必ずしもその様な様子は見えず、しかるに被告人佐々木は被告人河野を連出して、夫婦になれぬなら一緒に死んでくれと激しく言寄つたこと、被告人河野は盲腸の手術後睡眠薬を飲むようになり、昭和三〇年その飲み過ぎで自殺未遂と騒がれたが、間もなく検挙となり、困つた時に助けてくれて世話になつた組合に迷惑をかけたくなく、家族の多い被告人佐々木も気の毒で、自分一人ですむことならと思い、自分単独でやつたと自供してきて裁判を受けたが、被告人佐々木は三〇万円を弁償すると約束しながら弁償もしないで他人に迷惑をかける誠意なさと、被告人河野が世話になつてきた梅田永吉とその家族が世間からあんな女を世話してうまい汁を吸つていたとみられているのが堪えられない気持から、真実を述べる気になつたものであること、以上の各事実が認められる。

論旨は、被告人河野の供述に真実性を認め得ない旨主張するので、この点を検討する。

(一)  本件で、前記の如く入金伝票を作らず或は虚偽の入金伝票を作つた部分の貯金の受払いに関する記載のある貯金通帳中、本来会計係主任被告人佐々木の取扱うべき該当証印欄に佐々木の証印のあるものが、実に預入れ三六回中一三回、払戻し八七回中二一回あるのであつて、被告人河野の証印のあるものは預入れ二一回、払戻し六二回、証印の全然ないものが預入れ二回、払戻し四回あることが、前記貯金通帳写附答申書八八通(差し貯し前の記録一五四丁乃至一七八丁・二二九丁乃至二九一丁)及び前記原審押収の普通貯金通帳、入金伝票、貯金払戻金請求証、貯金払戻票等一一七通、貯金台帳八冊を対照すれば明らかである。被告人佐々木の差し戻し前の第二審供述によれば、被告人佐々木が出張する場合(月に四、五回)でも印を被告人河野に預けたことなく、ただ一寸席を外す時印を机上に置いたことがあるだけであり(差し戻し前の記録六四〇丁表)、出勤して組合事務所に居る時は被告人佐々木が決裁して捺印していたのであるから(差し戻し前の記録六二八丁裏、差し戻し後の記録二九丁裏)、数回程度ならば被告人佐々木が一寸席を外した時に被告人河野が佐々木の机上の印を押すということも考えられなくもないが、いつ預金受払い請求者が来るか判らないし、いつ被告人佐々木が一寸席を外すか判らないのであるから、前記の如く三四回という多数回に亘り被告人河野が盗捺したものとは到底考えられず、しかも会計係主任たる被告人佐々木は被告人河野の回付する通帳、伝票とを照合点検して現金の受払いをするのであるから、盲判を押したとは到底考えられない。従つて、被告人佐々木において当然被告人河野の不正に気付いた筈であり、被告人佐々木が共犯関係になければ被告人河野においてよく本件犯行を敢行し得たとは全く考えられないところである。この点は被告人河野の供述の真実性を裏付ける決定的なものといえる。

貯金通帳の該当証印欄に被告人河野の証印のあるものは、被告人佐々木の出張不在中になされたものとみられるが、被告人佐々木の差し戻し前の第二審及び検察官に対する供述、差し戻し前の第二審証人村田喜世一の証言に徴しても、被告人佐々木の出張不在中は被告人佐々木の現金受払い事務を村田喜世一が代つて取扱つた場合もあるが、被告人河野がこれを代つて取扱つた方が多いのであつて、村田はその日の仕事が終つたあと大金庫の鍵をかけるだけであり(差し戻し前の記録六一八丁表、差し戻し後の記録一二八丁表)、出張中の分も伝票の整理、日記帳等への記入は一切被告人佐々木が自身で数日分一括してこれをなしていたものであるから(差し戻し前の記録六三〇丁裏、六三二丁表、差し戻し後の記録三七〇丁裏、三七一丁表)、被告人河野が供述するように、被告人佐々木の出張不在中も前記の如く虚偽の何の仕訳もしない空の入金伝票を作つておいて、被告人佐々木が帰つてきて自分で伝票を整理するとき、何の仕訳もしてない空の入金伝票の分の現金を取ることは可能である。そして、被告人佐々木の出張不在中に限り犯行が行われたものであるならば、被告人河野の単独犯行が考えられるが、前叙の如く被告人佐々木の証印のあるものが多数あるのであつて、その共同犯行を考えざるを得ないのであるから、被告人佐々木の出張不在中の分についても被告人河野の供述の真実性を肯認するに十分である。

貯金通帳の証印欄に証印の全然ないものは、村田喜世一の検察官に対する第四回供述調書に徴しても、被告人佐々木が出勤して事務所に居た場合でも決裁印をしなかつたことのあることが認められるから(差し戻し後の記録二二三丁裏)、被告人佐々木が証印した場合と同様に考えられるし、そうでないとしても、被告人佐々木との共同犯行である旨の被告人河野の供述の真実性には何等の消長をきたさない。

因みに、原審において、被告人佐々木が被告人河野に対し、自分の出張不在中も伝票二枚作つていたのかと反問するや、被告人河野は、聞くまでもなく知つていることでしよう、先程述べたとおり伝票を起していたと答えているほどである(差し戻し後の記録二〇七丁表)。

(二)被告人佐々木が昭和二十四、五年頃には組合に三、四万円の預金しかなかつたが、その後最高の時は三、四十万円となり、昭和三〇年六月頃組合をやめた時には約二〇万円あつたことは被告人佐々木の自ら認めているところであり(差し戻し後の記録三六三丁表、なお証一七八号、証一七二号乃至一七四号の各通帳参照)、その預金が全部被告人佐々木の弁解する如く商売で四〇万円位儲けたものであるとはこれを認むべき確証なく、遽かに信用できない。そして、原審押収の借用証六枚(証一五八号乃至一六三号)、領収証一枚(証一六四号)、株式申込受付証(証一五七号)、株券(証一六八号乃至一七一号)、高木正信、佐々木芳雄、鈴木石栄、坂本秀弘、佐々木竹光、西田兼三郎の検察官に対する各供述調書に徴すれば、当時被告人佐々木は右の者等に二十数万円を貸付けていたこと及び数万円の株券を買つていたことが認められる。又、被告人佐々木が被告人河野と浅虫温泉海荘館等に時々泊つたり、北海道へ旅行したりした時の費用数万円は被告人佐々木において出していたことは同人の自ら認めているところである(差し戻し前の記録一二二丁表乃至一二三下表)。なお、被告人河野が被告人佐々木と飲み歩いた時の費用も被告人佐々木が支払つたことが認められる(差し戻し後の記録二〇七丁裏)。

尤も、坂本秀弘の始末書(差し戻し前の記録一一〇丁)、田村久雄の答申書(同上一一一丁)、坂本金次郎の答申書(同上一一二丁)、沼田兼松の答申書(同上一一三丁)、鈴木石栄の司法警察員に対する供述調書(同上一一四丁以下)、梅田栄吉の司法警察員に対する供述調書(同上一一八丁以下)、小鹿忠蔵の始末書(同上一二四丁)、坂本秀弘の答申書(同上一二六丁)に徴すれば、被告人河野が当時買求めた電蓄、腕時計、眼鏡、指輪、カメラ、ラジオ、柱時計、洋服、布団、靴や飲食費、世話になつた梅田にやつた五万円、その他をみれば、合計十六・七万円ないし二十万円前後になることが認められるのであつて、(所論被告人河野が最初警察に出した始末書((同上一四六丁以下))記載の使途金額は、前記証拠に照し、実際の金額の二倍ないし三倍に見積つていることが明らかであり、前記以外の所論のものは証拠に基かないものであつて、これをもつて所論のように被告人河野の単独犯行で原判決の誤りが確実に証明せられたものとなすを得ない)、被告人河野が検察官に対し、被告人佐々木から貰つた小遣は計五万円位と述べ、原審において被告人佐々木から全部で五、六万円貰つていると思う旨(差し戻し後の記録二〇六丁表)供述しているのは、明らかに誤りであつて、現に梅田に貸した五万円は被告人佐々木から何回にも亘つて貰つた金があつたからその中から出した旨(同上二〇六丁表)供述しているのであり、前記証拠を参照すれば、被告人河野が被告人佐々木から受取つた金は合計二十余万円にのぼるものと認められ、この点に関する部分の被告人河野の供述は信用できない。しかし、それがために被告人河野の被告人佐々木と共犯関係にある旨の供述の大綱の真実性には何等影響を及ぼすものではなく、その供述の大綱はこれを措信するに十分である。仮に、被告人佐々木の出張不在中における分については被告人河野が直接現金を取つたものがあるとしても、被告人佐々木は被告人河野の身の廻りやその生活状態を知悉しており、前叙説明の如き関係で被告人河野に不正をさせていたものであるから、被告人佐々木において右河野が直接取る分もあることを諒承して、両者暗黙の裡に意思相通じ合つていたものと認めるのが相当である。

所論被告人河野がその後現在の夫と内縁の夫婦となつたことは事実であるが、前叙説明に照し、それがために所論のように夫と相談の上罪を被告人佐々木に被せ、自らは執行猶予の恩典に浴せんと計り、単独犯行の自供を飜して虚偽の供述をなすに至つたものとみるのが、社会通念に合するものとはいえない。所論被告人河野が自殺を計つた際被告人佐々木をうらむ遺書もなかつたとの点は、差し戻し前の第二審証人奥山敏の証言に徴しても、直ちに自殺未遂とは速断できない。所論取調警察官が被告人佐々木につき共犯関係を見出せなかつたからとて、前叙説明に照し、被告人河野の共犯の供述が虚偽であるとはいえない。所論本件不正を最初に発見して公にしたのは被告人佐々木であつて、若し共犯ならばこれを公然とせず事前に発覚を防ぐのが常識であるとの点は、記録に徴すれば、被告人河野が睡眠薬を飲み過ぎて長く人事不省に陥つた時、被告人佐々木は河野が重態であるとみて、間もなく本件不正を公にしたことが窺われるのであつて、時期的にみて却つて被告人佐々木に対し疑感すらなしとしない。所論共犯関係の理由づけとみられる両名の情交関係のできたのは昭和二六年五月下旬であつて、被告人河野が不正をはじめた昭和二五年一一月より半年余あとのことであるから、被告人河野の単独犯行であるとする点は、情交関係の生じた時期を被告人佐々木の供述に求めるものであつて、その佐々木の供述は前記証拠に照し信用できない。所論被告人佐々木が妻を離別して被告人河野と結婚する旨を申込んだことは共犯関係のかいことの証左であるとの点は、被告人佐々木自身が心底から被告人河野と結婚する意思はなかつた旨述べているほどである(差し戻し後の記録四〇二丁表)。

以上説明の次第で、被告人河野の供述の大綱はこれを措信するに十分であつて、被告人佐々木の共犯関係を証明するに足り、原判決には所論のような事実の誤認は存しない。論旨は理由がない。

同二(時効の主張)について。

およそ、時効の完成は当該事実が一定期間社会的に不問に附せられ、埋もれたままであることを要件とし、公訴時効は犯罪行為の終つた時から法律の定める一定期間の経過とともに公訴権を消滅させるもので、当該事件についてした公訴の提起によつてその進行を停止する(刑訴法二五四条一項)。公訴の提起は当該事件については検察官が明示したと否とに拘らずその事件全体について公訴の効力が及ぶけれども、その指定した被告人以外には及ばないのであるが(同法二四九条)、共犯の一人に対してなした公訴提起による時効停止の効力は他の共犯に及ぶ(同法二五四条二項)。これは公訴時効制度が人を基礎とするものではなく、事実を基礎とする点より生ずる結果である。従つて、公訴時効は犯罪事実を対象とし、犯人を対象とするものではないから、一定の犯罪事実が明らかになつている以上は、検察官においてその主観的判断としては共犯があるかどうか判らず、単独犯として公訴提起したとしても、共犯が客観的事実として存在する限り、時効の対象たる事実の関係では、共犯の一人に対してした公訴提起というに妨げないものというべきであり、その時効停止の効力は他の共犯に及ぶわけである。

本件において、昭和三〇年六月四日附起訴状では、相被告人河野の単独犯行として公訴提起されたのであるが、被告人佐々木がその共犯であることが前段説明の如く認定されるのであつて、客観的事実として共犯が存在するのであるから、右公訴提起による時効停止の効力は被告人佐々木に及ぶものであり、所論年月日の犯行部分についても時効により実質的訴訟条件を欠くものではない。

以上の次第で、原判決には所論のような違法は存しない。論旨は理由がない。

同三(量刑不当の主張)について。

所論に鑑み、記録を精査し、被告人佐々木の経歴、家庭事情、本犯行の動機、態様、金額、同被告人の地位役割、犯行後の事情、その他諸般の情状を検討考量するに、原判決が同被告人を懲役一年六月に処したのを目して、重きに失し不当であるとは認められない。論旨は理由がない。

丸岡弁護人の控訴趣意について。

所論に鑑み、記録を精査し、被告人河野の経歴、家庭事情、本件犯行の動機、態様、金額、回数、同被告人の地位、犯行後の事情、その他諸般の情状を検討考量するに、所論の事情を参酌しても、原判決が同被告人を懲役一年に処し、所論執行猶予の恩典を与えなかつたのを目して、重きに過ぎ不当であるとは認められない。論旨は理由がない。

よつて、刑訴法三九六条により本件各控訴を棄却すべきものとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 門田実 裁判官 細野幸雄 裁判官 山田瑞夫)

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