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仙台高等裁判所 昭和29年(う)769号 判決 1955年4月11日

控訴人 被告人 佐藤信逸

弁護人 森静

検察官 梅老沢広江

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役壱年に処する。

但し本裁判確定の日から四年間右刑の執行を猶予する。

原審並びに当審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

主任弁護人森静の陳述した控訴趣意は、記録に編綴の同弁護人名義の控訴趣意書の記載と同一であるから、これを引用する。

控訴趣意第一点について、

原判決は、被告人が金銭貸付業を目的とする株式会社東北殖産の代表取締役として同会社の業務に関し佐々木利衛外六十二名から七十六回に亘り預り金をなしたという貸金業等の取締に関する法律第七条第一項違反の事実を認定し、右個々の金銭受入行為を別個独立の所為と認め、これに対し併合罪の規定を適用処断したことは所論のとおりである。しかし、右条項により貸金業者が行うことを禁止されている預り金とは、同条第二項においてその意義を明らかにしているとおり、「不特定多数の者からの金銭の受入で預金、貯金、掛金その他何らの名義をもつてするを問わず、これらと同様の経済的性質を有するものをいう」のである。即ち金銭を受け入れる相手方が不特定多数の者であることが預り金の概念要素をなすものであるから、原判決の認定するように、不特定多数の者から多数回に亘り金銭を受け入れた場合であつても、これを包括的に観察し預り金禁止違反の一罪として処断すべきものと解するのを相当とする。されば、原判決が原判示所為を併合罪として処断したのは法令の適用を誤つたものであり、この誤は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決はこの点において破棄を免れない。論旨は理由がある。

同第二点について、

原判決挙示の証拠によれば、被告人は昭和二十六年十二月頃金銭貸付業を目的とする株式会社東北殖産を設立してその代表取締役となり、同会社の業務一切を統轄していたが、同会社にはその設立の当初より貸付資金が皆無であつたため、該資金を獲得する方法として、期間満了の時において一定の割合による配当金を付して返還することを契約の内容とする利殖投資金名義の預り金を一般より募集することを企図し、その情を知つている鹿野善一外数名の従業員をして右既定の計画に基き原判決別表記載のとおり不特定多数の者から多数回に亘り右趣旨の金銭の受入をなさしめ、以て右従業員等と共謀の上会社の業務に関し貸金業等の取締に関する法律第七条第一項の規定に違反して預り金をなした事実を認定することができる。所論は、被告人は昭和二十八年初頃から会社業務の執行権及び従業員に対する指揮監督権を奪われた旨主張するのであるが、所論引用の証拠によるも右の主張事実を認めるに由なく、却つて原判決挙示の証拠に当審において取り調べた証人鹿野善一の証言を綜合すれば、被告人はその頃より劇場の経営に関係するようになつたため、会社に出勤する回数がその以前程に多くはなくなつたが、依然として名実共に会社の代表取締役としてその業務全般を総轄する責任者の地位にあつたことを認めうるのである。従つて、被告人は所論のように箇々の契約に直接関渉しなかつたとしても預り金禁止違反の所為の共同正犯としての罪責を免れることはできない。されば、論旨中被告人が責任者の地位になかつたことないしは実行行為に関与しなかつたことを理由としてその罪責を否定する部分は採用しえないが、原判決が罪となるべき事実として原判示のように被告人が単独で本件預り金禁止違反の所為をなしたという趣旨の認定をしたのは失当であつて誤認と解するの外はなく、この誤は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決はこの点においても破棄を免れない。論旨は結局理由がある。

よつて、爾余の控訴趣意に対する判断は後記自判の際自ら示されるのでこれを省略し、刑事訴訟法第三百九十七条第三百八十条第三百八十二条により原判決を破棄し、同法第四百条但書により当裁判所は改めて次のとおり判決する。

(罪となるべき事実)

被告人は静岡県吉原市伝法三千百四十六番地の一に本店を有し金銭貸付業を目的とする株式会社東北殖産の代表取締役であつて同会社の業務一切を統轄しているものであるが、鹿野善一外数名の従業員と共謀の上、同会社の業務に関し、貸付資金を獲得するため、別表記載のとおり、昭和二十八年一月十三日頃から昭和二十九年一月二十九日頃までの間七十六回に亘り、宮城県登米郡佐沼町字的場四十五番地の一所在の同会社佐沼営業所において、佐々木利衛外六十二名から、一口の出資金(利殖投資金名義)を五千円ないし二十万円、期間を一箇月ないし一年と定め、右期間満了の時において右出資金に月三分ないし五分の配当金を付した金額を給付する契約の下に、それぞれ約束手形を振出し交付して合計金二百二十七万四千円を受け入れ、以て預り金をしたものである。

(証拠の標目)

原判決の挙示する証拠の標目と同一であるから、これを引用する。

(法令の適用)

被告人の判示所為は昭和二十九年法律第百九十五号出資の受入、預り金及び金利等の取締等に関する法律附則第十一項により貸金業等の取締に関する法律第二十一条第一項第十八条第二号第七条第一項罰金等臨時措置法第二条に該当するので、所定刑中懲役刑を選択し、その刑期範囲内において被告人を懲役壱年に処し、情状に鑑み刑法第二十五条第一項を適用し本裁判確定の日から四年間右刑の執行を猶予し、原審並びに当審における訴訟費用の負担につき刑事訴訟法第百八十一条第一項本文を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 松村美佐男 裁判官 蓮見重治 裁判官 有路不二男)

弁護人森静の控訴趣意

第一点原判決は法令の適用に誤があつてその誤が判決に影響を及ぼすことが明であつて破棄を免れない

原判決はその「法令の適用」において「右は刑法第四十五条前段の併合罪であるから別表第五二の千葉邦治から預り金をした罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で云々」としている処から明らかなように判示七十六回の金銭受け入れの事実を以て各独立した犯罪と認め、併合罪の規定を適用して刑の加重をしている。然し乍ら、貸金業等の取締に関する法律第七条に所謂預り金は、その本質上、多数の金銭の受入れがあつて始めて成立する犯罪であつて、このことは条文の文言自体からも明かに判断できる処であつて同条第二項に「前項の預り金とは不特定多数の者からの金銭の受入で」と規定し、本条の成立には多数の受入行為を予定しているのであつて、従つて本件七十六回の受入れ行為全体が一個の犯罪であることは疑問の余地のない所である。更にこのことは本件訴訟の経過からみても明かで、第二回公判において検察官は「訴因変更請求」をなして預り金犯罪一覧表その二を追加し、且つ裁判官はこれを許しているのであつて、右一覧表その二記載の事実につき追起訴をなしたものではないのである。全体を一箇の犯罪とみればこそ訴因変更も可能であり、且つこれを許したものと解するより外にない。仮りに若し各受入れ行為を以て各独立の犯罪とするならば右犯罪一覧表その二記載の事実については全く起訴がなかつたのであるから、原判決は審判の請求を受けない事件について判決をした違法をおかすこととなり、何れにしても破棄を免がれない。

第二点原判決には重大な事実の誤認があり破毀を免れない。

原判決の事実摘示によれば「被告人は……会社の業務に関し同会社の代表者として別表記載のとおり……契約のもとに、それぞれ約束手形を振出し交付して合計二百二十七万四千円を受け入れもつて預り金をした」ということになつている。

貸金業等の取締に関する法律第二一条によれば「法人の代表者が法人の業務に関して第十八条又は前条の違反行為をしたときは、その行為者を罰する」となつているので、たとえ名義上法人の代表者であつてもその代表者が罰せられるためには自ら違反行為をなすか、或は少くとも他の者に命じてこれをなさしめる必要がある。これは右法案の文理上から当然であるのみならず又刑法の個人責任主義の原則からいつても当然である。民事上は法人の代表者である以上、他の者の行為によつて、全く本人が関知しない事実についても責任を負うことは有り得るが、民事上の責任と刑事上の責任は全く別個であつて刑事上は自ら行為をなすか或は他の者の行為に事実上関係ある場合でなければ罰せられる謂われはない。従つて法人の代表者について犯罪が成立する場合は、右の理論に従う場合のみである。この解釈に立つ以上、当然、原判決の事実摘示の意味する処は、その文言通り「被告人自らがそれぞれ約束手形を振出し交付し合計二百二十七万四千円を受け入れたものと解する外はなく、又このように解さなくては犯罪の成立しようがない。然し乍ら事実は全く右に反する。先づ証人上野時雄は「被告人は昭和二十八年の初め頃からは欠勤が多く殆ど実務に就かず、佐沼には居ないため営業所長である高橋新四郎が被告人の責任において仕事を担当していた。そのころ被告人は会社の実務内容を知らなかつたと思う」という趣旨の証言をしている。野口梅吉証人も「被告人は昭和二八年初めころから欠勤が多くなり実務には殆んどつかなかつた」と同様の証言をしている。更に佐々木証人も同様に「被告人は二八年頃から佐沼や大河原の劇場を経営したのですが、その頃から会社に顔を出さぬようになり会社の実務内容は知らなかつた」と証言している。これ等の証言によつても明かであるように被告人は昭和二八年の初め頃からは会社の実務には全く関係せず、関与しなくなつたことが知られる。而もこれは普通法人の業務上よく見られるように、代表者が実務を他の職員に委せて、自ら適宜指揮命令のみをしたというのとも全く違うのである。被告人は右昭和二八年初め以前には自ら実務を執り、毎日出社して親しく指揮命令していたのであり、この時になつて実務に関係しなくなつたのは会社内部の内紛から、社長である被告人が高橋新四郎などの実力派から体よくしめ出しを食つて以後一切仕事に口を入れることを拒否されたのであるそして而も人の好い被告人が責任だけを負わされるという形になつたものである。このことは被告人自身の供述によつても知り得る所であり、且つ更に右の事実を裏付けすることになろう。被告人の検察官に対する第一回供述調書第十二項十三項には「昭和二八年六月中旬に会社内部の内輪もめから私が佐沼営業所の銭の取扱、手形の発行、預り貸付等の営業事務については、私が干渉しないと高橋新四郎その他の社員と約束した。中略、二八年十月末には内輪もめが解消されて再び私が営業全部について指示し、干渉し現在に至つている」と述べている通りである。殊に十月末に再び被告人が指示し干渉したと述べていることは重要であつて、この言葉の裏は従つてそれ以前は何等の指示干渉もしなかつた事実を物語つている。処が被告人は検察官に対する第二回供述調書第七、八項において「昭和二八年十二月二十六日の夜、野口梅吉の申入れにより野口が佐沼営業所の事務全部を担当することになり、その頃から私は翌二九年二月中旬まで大河原劇場の仕事のことで行つていたためその不在中は私の印鑑を高橋にあづけて手形発行その他に捺印することをまかした」という趣旨のことを述べている。これも又体のいい締出しを食つて被告人が仕事から遠ざけられてしまつたことを証明するものである。「手形発行、その他に捺印することをまかした」というのは、右の事情経過からみれば、当然指示命令をしたというのではなく、野口や高橋が自らなすことを否応なく承知させられたというに過ぎない。これを要するに昭和二八年に入つて以降は、被告人は全く業務上の指揮権も執行権も事実上取上げられて全く単なる名義だけの代表取締役となり従つて業務に対し何等の発言権もなく、又事実業務に対し全く発言しなかつたことが知られるわけである。そして業務の実権は高橋、野口等の手に移り、同人等が同人等の意思と決定とのみによつて、会社業務としての預り金及びこれに附随する事務を自らなし又他人をしてなさしめたのである。この間の事情は鹿野善一の検察官に対する第一回供述調書中第十一項の「けれども信逸は佐沼劇場等の経営のため不在がちで高橋所長が利殖掛金の増加を計つて経営困難を切り抜ける様に所員達に掛金募集の督励をしたのでした」との供述及び千葉欽郎の検察官に対する供述調書中の「入社直後に外務員として投資者を募集するについてては所長高橋新四郎さんから種々指導を受けました」との供述によつても十分窺い知ることが出来るのである。然るに先に述べたように原判決が被告人が単に会社代表者であるという形式的な一事のみを以て本件犯罪を被告人自らがなしたものであると認定したのは明かな事実誤認であつて被告人は本件について全く関係がない。第四回公判において被告人が昭和二七年九月頃は直接仕事をしていたが、その後会社は独立採算制をとるようになりました。その結果社長の全責任のもとに営業所、出張所ごとに独立した事務をとるようになり、職員も私の出勤を気がねするので次第に実務から遠ざかるようになりました。」とのべている通りである。この場合「社長が責任をとる」ということは刑事上は何等意味のないことである。

被告人が他の職員をして本件犯罪事実をなさしめたということは原判決の認定しない処であるが、たとえ仮りに原判決を強いて右の意味に解したとしても、既述の如く被告人が実務から身を退くに至つて、被告人が他の職員を指揮命令をしてこれをなさしめたという事実がないことは既に明かであつて、むしろ指揮命令をなさしめないために被告人を実務から遠ざけ、又被告人はその意味で遠ざかつたのであるから、右の事実はあり得ないわけで、原判決事実を右の如く解するとしても事実誤認の結論は同断である。もつとも高橋新四郎、猪股宏の供述調書には右の主張と多少異る供述も存するが、この供述の借信し難いことは、その供述が、この点に関する他の多くの証言供述と余りにも違い過ぎていること両者がそもそも会社内部の争いの張本人で被告人と敵対関係にあり被告人を追い出した当事者であること、又被告人に刑事責任をおしつけなければ今度は自らの身が危険にさらされる虞のあつたこと等から容易に知り得るのである。

第三点原判決の量刑は不当であつて破棄を免れない

仮りに原判決認定の事実の通りであつたとしてもその量刑は不当である。原判決は被告人を懲役一年の実刑に処している。然し乍ら被告人を全く宥恕することなく一年間の懲役に送ることが果して妥当な道であろうか。被告人が全く宥恕に価しない程悪い性格者であり、悪質な行動をなしたものであろうか、被告人に悔悛の情が認められないであろうか、被告人の将来はそれ程信用がならないものであろうか。実害を蒙つた会社債権者達の本当の願いが、被告人をそれ程憎み、これを断じて宥さないという程のものであろうか。弁護人は断じて然らずと考える。

本件の諸般の事情をよく検討してみればみる程一度は被告人を宥してやるという寛大さを示しても、むしろ真実の意味で法の権威を高めこそすれ、決して損うものではないと確信する。その理由を次に述べる。

先づ本件犯罪の動機であるが、被告人の考えとして佐藤商店を東北殖産に変更した後、新株を増加して計八千株として、新株六千株については新株主に引受け増資する予定で、親戚等から現実に三十万円を集めた。そして増資手続をしようとしたけれどもそれには静岡県吉原市の本店所在の銀行の現在高証明が必要であるという事から手続に面倒が出来て増資手続をしない内に貸付金が不足になつたため、此の三十万円を全部利殖投資金として会社に入金して貸付資金に充当したため増資手続は中止となり(以上被告人の検察官に対する第二回供述調書)貸付希望が多くなり、増資手続をしないうちに縁故者から集めた資金が不足し、一般の株式投資金として募金する筈だつたものも次々と貸付けにまわさなくてはならなくなつて、それがそのまま雪だるま式に廻転して行つてしまつたというのが実情であつて被告人としては株式形態で貸付資金をつくる計画だつたのが右の事情で実現出来ないでしまつたのである。これは被告人としても意外の結果だつたわけである。このことを被告人は第四回公判で「はじめは株式形態で進むことになつていたのが知らず知らずの内に預金を取扱うようになつた」と述べている。本件犯罪が右の余儀ない事情に基くことも認められると思う。

次に「預り金」なる犯罪は、それ自体が犯罪であることは勿論であるが、それが将来する諸種の結果のために重要なのであつて、その結果を防止するための取締的意味をもつものであるが故に本件犯罪に伴つた諸種の事情及び結果が犯罪の情状として重要であり、その事情及び結果にして宥恕すべき状態であるならば「預り金」自体も宥恕されて然るべき理由をもつものと考へる。本件犯罪によつて多数の人々に多大の迷惑を及ぼしたことは事実である。しかし今やその迷惑が着々と回復され被害が補償され被害者が被告人を先ず宥恕している事実こそ注目されなくてはならない。本件は保全経済や日本殖産等一連の事件と根本的にその性格を異にする。「預り金」の事実を別とすれば本件には、他に右の事件のような不正が存在しない。欺罔によつて庶民の零細な金を集めそれを自己の快楽のために不正に費消したとすれば、むしろそれ等の方が「預り金」よりも遙に重大であるが、本件にはこの種事業にありがちな詐欺、横領等が存しない。本件によつて多数の人に迷惑を及すようになつた原因の第一として挙げられなければならないのは経済界の一般的不況ということである。昭和二十八年頃から始まつた日本経済の深刻な不況によつて各業界に倒産、破産、支払不能が続出したことは周知の事実である。これ等は何れも当事者の意思に関らず、世界経済の変動という大きな波に否応なく押流された中小企業の運命であつたのである。猪股証人は「会社の利息になる金は……貸付金に対する利息や貸付手数料、解約手数料などだけなのに拘らずこの収入が減少して来て利殖投資としての受入金が貸付金として運用されることよりも、投資金の返済や利払金に充てられるようになつて来た」と証言してこの間の事情を間接に物語つている。不況による貸付金の利払不能貸付金回収不能がこの事態を導いたのである。原因は右の如くとして然らば結果はどうか。各証人の証言供述を綜合すれば、本件による被害、実害、即ち会社の借受け元金は約百七、八十万円。これに対し会社の債権が約二百万円。原判決認定事実の預金合計は二百二十八万四千円となつているが、これは同一の金が数回「預け金」されていることや元金の一部支払済のものを除外していないので実害額より多くなつている。この債務が大体バランスをとつていることからみて会社経理に不正のないことは知り得るのであり、且つ会社経理に不正のないことは知り得るのであり、且つ会社債権のこげつきが支払不能となつた原因であることも推察できる。さて此の実害を被告人等は如何に処理しているか。普通類似の事件にあつては経営者が会社財産の多くを私財に横領しこれを隠匿し、恬として恥じず、多くの債権者を困窮のまま放置して顧みようとはしない。然し被告人は断じて違う。本来本件は、第二点に論じた如く被告人としては、むしろ責任を負ういわれはなく、もしありとするも比較的軽い筈であるが、被告人は誠に驚嘆すべき誠実さをもつて、生じた結果の責任を一身に負つてその整理に東奔西走、粉骨砕身、債権者のために努力しているのである。さればこそ本来なら、多数債権者の憎悪と怨嗟とを一身に浴びるべき筈の被告人が、却つて債権者の支持する所となり、その協力と同情をさえ得て今や着々整理の実を挙げつつあるのは誠に驚くべき現象といわなければならない。これらの事実は各証人の証言に詳細述べられている通りで「被告人は期早くから晩おそくまで職員と共に一生懸命整理に努力」しているのである。これも全く各証人が口を揃えて承認し、賞讃する「一般に信用があつく他人を欺くといつたような人ではない」(日野証人)「誠実な人柄であるから他人を欺くようなことはない」(野口証人)「ざつくばらんで悪意なく一般的信用を得ている」(畠山証人)被告人の誠実な性格の然らしむる所である。右の誠実と努力との甲斐あつて第一審判決後現在まで実に、債務額の約八割、百六十八万八千五百九十円を債権者に現金並に証券を以て弁済するに至り、残額について今一層の務力を傾けつつあるのである(疏明資料末尾添付の受領証)されば、今や債権者達の被告人に対する同情は、裁判所に対し、被告人に寛大な処置を望むとの陳情書を弁護人に託する迄に高騰するに至つたのである。(疏明資料末尾添付の陳情書)被告人はこれ程までに誠実を尽して自己の行為の償いをしているのである。敵であるべき被害者まで宥恕している被告人を法が宥恕出来ないものであろうか、被告人の性格が信頼に価するものであることはこれ以上多言を要しない。勿論前科もない。被害も大方回復され、やがて全部が回復されるであろう。心から悔い改めた。ただ一度、今度だけ宥されてもよいのではなかろうか。弁護人はそれこそ、むしろ法の正義にかなう所以であると信じて疑はない。

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