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仙台地方裁判所 昭和48年(ワ)562号 判決 1990年4月24日

原告

熊谷春男

右訴訟代理人弁護士

松倉佳紀

鈴木宏一

松澤陽明

被告

株式会社本山製作所

右代表者代表取締役

本山重幸

右訴訟代理人弁護士

三島卓郎

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  原告が被告に対し雇用契約上の権利を有することを確認する。

2  被告は、原告に対し、金三万〇七八三円及び昭和四八年二月二五日から毎月二五日限り各金六万三二七六円を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  第二項につき仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  主文同旨

2  (予備的に)仮執行免脱宣言

第二当事者の主張

一  請求原因

1  被告は、肩書地に本社及び工場を置き、東京、大阪、名古屋に営業所を、札幌、広島、北九州等に出張所、事務所等を設けて、コントロール・バルブ、自動制御器等の製造、販売を業とする株式会社であり、後記本件解雇がなされた昭和四七年一一月当時約七六〇名の従業員を擁していた。

原告は、昭和四三年九月二日被告に雇用され、製造部工作二課、CCD室等の勤務を経た後、昭和四六年三月一〇日生産管理部管理二課(以下「管理二課」という。)に配属され、後記本件解雇当時毎月二五日限り金六万三二七六円の賃金の支給を受けていた。

2  被告は、昭和四七年一一月二四日に原告を解雇したと称して、原告と被告との間の雇用関係の存在を争う。

3  よって、原告は、被告に対し、原告と被告との間に雇用関係が存在することの確認、昭和四七年一二月分の未払金三万〇七八三円及び昭和四八年二月分以降の右賃料の各支払をそれぞれ求める。

二  請求原因に対する認否

請求原因1及び2の各事実は認める。

三  抗弁

1  原告は、前記のとおり昭和四六年三月一〇日管理二課に配属され、以来、同課で、課長菅野耕聿(以下「菅野課長」という。)、主任土屋太助(以下「土屋主任」という。)、係長高橋勝郎(以下「高橋係長」という。)らのもとで、主として、(1)下請工場から入荷したコントロール・バルブの部品(一般に三点と呼ばれているボディ部、ボンネット部、ボトム部の部品等)の管理に関する業務、(2)右の各部品を取り揃えて(三点の部品をセットにして)水圧試験室に引渡す業務、(3)その他右(1)、(2)に関連する業務等に従事していた。

2  原告は、昭和四六年一二月末ころから昭和四七年一一月二二日までの間に、次のような被告就業規則に違反する行為(以下「本件処分対象行為」という。)を行った。

(一) 昭和四六年一二月末ころから同四七年一一月二二日までの間の各就労日に、菅野課長及びその他の管理職に対し、顔を合わせる度ごとに、「菅野の嘘つき野郎」、「能なし野郎」、「おめえの言うことは聞く必要はねえんだ」、「おめえは課長の資格はないんだから、いくら課長づらしても駄目だ」、「首を洗って待っていろよ」、「馬鹿野郎」等の暴言を加えて同人らの名誉を傷つけ、職場の秩序及び規律を乱した。

(二) 昭和四七年一月ころから同年一一月一六日までの間の各就労日に、菅野課長、土屋主任及び高橋係長からそれぞれ、前記1の(1)ないし(3)の業務命令を受けたが、右1の(1)及び(2)の業務のほかについては拒否して従わず、職場の秩序を乱した。

(三) 昭和四七年五月二二日から同年一〇月六日ころまでの間別紙記載のとおり業務命令に従わず、無断であるいは上司の制止を振り切って職場から離脱し、上司に対し暴行や暴言を加えかつその業務を妨害して職場の秩序を乱した。

(四) 昭和四七年七月三一日就業時間中である午前八時五五分ころから同九時三〇分ころまでの間、菅野課長及び土屋主任に無断で、自己の業務を放棄し、管理二課管理室等において、菅野課長にまつわりついて暴言を浴びせてその業務を妨害し、更に、管理二課素材倉庫入口前において、菅野課長に対しその左手指間部に鋭く先をとがらせた鉛筆の芯(2H)を突き刺し、また、土屋主任に対し、その左手掌部に同様にし、それぞれ全治まで数日を要する刺創を負わせて職場の秩序を乱した。

(五) 昭和四七年八月三一日午後三時ころから同四時過ぎころまでの間業務命令に従わず、無断で職場から離脱し、更に同日午後四時過ぎころから同四時三〇分ころまでの間業務に従事せず、管理二課素材倉庫内において、菅野課長に対し暴言を浴びせかつその唇を引っ張り、胸倉をつかんでこづきまわし、その腕をつかんで約二メートルにわたり引きずってその業務を妨害し、職場の秩序を乱した。

(六) 昭和四七年一一月六日午前八時過ぎころ、被告会社正門前において、検査課長古座晴雄(以下「古座課長」という。)に対し、その右足首、右膝及び左大腿部等を、鉄板入りの靴を履いていた足で蹴り、全治まで一週間を要する右膝挫傷及び擦過創、右下腿挫傷、右大腿擦過創、左大腿挫傷等の傷害を負わせた。

(七) 以上の各行為は、原告が所属していた総評全国金属労働組合宮城地方支部本山支部(以下「全金本山」という。)の労働組合活動や争議行為とはなんら関係なく、また、上司に対する暴行、暴言はおよそ労使間の正常な交渉や抗議とは態様を異にするものである。

(1) 前記(一)の行為は、就業規則四条一項、六条五号、一一号に違反し、九三条一号、九四条一二号に該当する。

(2) 前記(二)の行為は、四条一項、六条四号、一一号に違反し、九三条一号、九四条一二号に該当し、かつ、九四条一号に該当する。

(3) 前記(三)の行為は、いずれも四条一項、六条五号、一一号、一二号、二二号に違反し、九三条一号、一二号、九四条一号、七号、一二号に該当する。

(4) 前記(四)のうち菅野課長及び土屋主任に傷害を負わせた行為は、九四条一〇号、一三号に該当し、かつ、六条一二号に違反し、九三条一号、一二号、九四条、一号、七号、一二号に該当する。

その余の行為は、四条一項、六条五号、一一号、一二号、二二号に違反し、九三条一号、一二号、九四条一号、七号、一二号に該当する。

(5) 前記(五)のうち菅野課長に暴行を加えた行為は、九四条一〇号、一三号に該当し、かつ、六条一二号に違反し、九三条一号、九四条七号、一二号に該当する。

その余の行為は、四条一項、六条五号、一一号、一二号、二二号に違反し、九三条一号、一二号、九四条一号、七号、一二号に該当する。

(6) 前記(六)の行為は、六条一二号に違反し、九三条一号、九四条一二号に該当し、かつ、九四条七号、一〇号、一三号に該当する。

3  原告は、本件処分対象行為のほかにも次のとおり数々の規律違反行為や業務妨害行為を行った。

(一) 原告は昭和四七年一月二八日午後四時五〇分ころから午後五時一五分ころまでの間、管理二課管理室において菅野課長に罵声を浴びせ、自席を立とうとした同人に対し、肩を上から押しつけて同人の抵抗を排して自席に座らせる等の暴行を加え職場の秩序を乱した。

(二) 原告は同年二月八日午後二時一〇分ころから同三〇分ころまでの間、就業時間中であるにもかかわらず、上司に無断で自己の業務を放棄し、菅野課長が兼務している生産管理部管理一課(以下「管理一課」という。)の事務室に赴き、同人に暴言を浴びせたのみならず、顧客から同人にかかってきた電話の受話器をとり、「今、菅野課長は取り込んでいるので、また後で電話して下さい。」と言って、同人の制止を無視して勝手に受話器を置いてしまうなどして同人の業務を妨害し、職場の秩序を乱した。

(三) 原告は同年二月一四日午前一〇時二〇分ころから午前一一時一〇分ころまでの間、就業時間中であるにもかかわらず、上司に無断で自己の業務を放棄し、管理一課事務室に赴き、総務部営業課主任渡辺文一と打ち合わせ中の菅野課長に暴言を浴びせたのみならず、同人が右打ち合わせに使用していた書類をその抵抗を排して取り上げるなどしてその業務を妨害し、職場の秩序を乱した。

(四) 原告は同年四月一三日、ストライキ参加中の午前一〇時三〇分ころ、来客と打ち合わせを行うため管理一課事務室から総務部事務所に向った菅野課長に対し、まつわりつき、右総務部事務所内で同人の腕を両手でつかんでその抵抗を排して事務所外に引きずり出そうとし、かつ、同人がそれを振り切って来客が待つ社長室に入り扉を閉めようとしたところ、来客の面前であるにもかかわらず、扉に手をかけこじ開けようとするなどして執拗に菅野課長の業務を妨害した。

(五) 原告は同年四月二五日、ストライキ参加中の午前九時四分ころから午前一一時三〇分ころまで及び午後一時ころから午後四時一五分ころまでの間、菅野課長に身体を密着させてつきまとい、発言一切をメモし、受話器に耳を近づけて盗聴したり、同人がトイレに行くのにもつきまとうなどして嫌がらせを行い、さらに、管理一課事務室で打ち合わせ中の同人につきまとい、ついには同人が来客との打ち合わせのため総務部事務所二階の応接室へ入ったところ、同人を追いかけて同室前まで行き、同室前の廊下を足音を立てて歩き回ったり、同室の廊下に面したガラス窓に口をあてて大声を張り上げ、職務と関りのないことを騒ぎ立てるなどして同人が同室内で行っていた来客との打ち合わせを妨害した。

(六) 原告は同年四月二七日、ストライキ参加中の午後二時ころ、管理一課事務室で菅野課長が来客と面談していたところ、来客と菅野課長との間に割って入り、来客が持っていた書類をのぞきこむなどして、来客に対し退去を促す態度を示し、その結果、来客をして用談を打ち切らしめたばかりでなく、さらに、同日午後三時頃、同室において菅野課長が渡辺営業課主任と業務打ち合わせをしていたところ、右両名の間に身体を乗り入れて、「俺の話を聞け。」、「俺のほうが先だ。」と大声でわめき散らし、打ち合わせを実力で阻止した。

(七) 原告は同年五月一二日、ストライキ参加中の午後一時四〇分ころから午後二時ころまでの間、被告会社構内中央通路上に寝そべって通路の交通を妨害した。

(八) 原告は同年五月一三日、ストライキ参加中の午前九時二五分ころ、折から全金本山組合員らがSD棟と呼ばれる建物の前面階段付近で第一製造部製造一課長高橋栄一を取り囲んでいたので、菅野課長が右階段の上方からその状況をカメラで撮影していたところ、同人の手からカメラを奪い取り、これを破損せしめたのみならず、同人の左手首に擦過傷を負わせた。

(九) 原告は右同日、ストライキ参加中の午前一一時五〇分ころ、菅野課長が管理二課管理室において、同課課員らと執務中、同室内に押し入り、「めしだ、めしだ」と騒ぎながら自席に座り、食事を始め、菅野課長らが「スト参加者が職場に入ってきて食事をすることは止めなさい。今勤務時間中なんだ。」と注意したにもかかわらず、これを無視して食事を続け、職場の秩序を乱した。

(一〇) 原告は同年五月二二日午前八時一〇分から正午までの執務時間中に、手押し車に三点セットの部品等を載せて運搬する際、片足を踏み出した後しばらくしてから反対側の足を出すというやり方で、意識的にのろのろと作業を行った。

また、原告は同年六月三〇日から連日、右と同様に意識的にのろのろと歩行を行ったり、通常であれば運搬用具を用いて数個ずつ運搬すべき軽量小型の部品等をことさらに一個ずつのろのろと持ち運ぶなどの方法で、作業を怠りかつ遅延させた。

(一一) 同年一一月一〇日午後零時一五分ころ、管理二課管理室において、弁当をひろげて食事をしている同課課員らの机の上を土足で踏みつけたのみならず、同課課員らに対し受話器をその顔面に投げつける等の暴行を加え、職場の秩序を乱した。

4(一)  そこで、被告は、昭和四七年一一月一三日、就業規則九九条の定めるところに従い、懲戒委員会を開催し、原告の右2の各行為につき審査したところ、大多数の出席者から懲戒解雇を相当とする旨の意見が出されたが、原告が当時未だ二六歳の若年であったため、右委員会は、原告の将来のことを考慮し、同規則九四条但書を適用して、原告を同規則九一条六号の諭旨退職とすることを決定した。

(二)  被告は、右決定に基づき、昭和四七年一一月一七日、原告に対し、同月二二日までに退職届を提出するよう勧告し、これに応じなければ普通解雇をする旨告知したが、原告が右期日までに退職届を提出しなかったので、被告は、同月二四日、原告に対し、普通解雇する旨の意思表示をするとともに、解雇予告手当六万三二七六円を支払った(以下「本件解雇」という。)。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1の事実は認める。

2  抗弁2の事実は(五)のうち、原告が被告主張のように職場を離れたことは認めるが、その余は全て否認する。

(一) 同2の(一)について

仮に、被告主張の事実が認められるとしても、被告の主張する原告の発言は、当時、全金本山と被告との間に存した労働争議の過程、被告側ガードマンの全金本山労働組合員に対する暴行について被告に抗議する過程でのもので、なんら処分の対象たりえない。すなわち、菅野課長らは右ガードマンの暴行に抗議する原告に対し真面目に対応せず、菅野課長の面前の出来事についても否定する態度に出ていたため、原告は右の発言に及んだにすぎない。

(二) 同2の(二)について

被告の主張自体抽象的で、いつどのような業務命令に従わなかったのか不明確である。

(三) 同2の(三)について

仮に、被告主張の事実が認められるとしても被告の主張する職場離脱は通常であればなんら問題にならない程度のものであり、又は前記争議の過程においてなされる短時間の抗議行動等にすぎないものであって、本来懲戒処分の対象とすることはできないものである。

(四) 同2の(四)について

仮に、被告主張の事実が認められるとしても、このトラブルのきっかけは、土屋主任が前記被告側ガードマンが全金本山労働組合員に対して、暴力行為に出た事件の調査について当日朝のミーティングにおいて不誠実な対応をしたことにある。また、菅野課長と土屋主任が負傷したのも、原告がたまたま仕事のために鉛筆を持っていたため、同人らともみ合いになった際生じたのであって、原告に加害の意思はなかったし、むしろ原告は菅野課長や後にやって来たガードマンらによって就労を阻止されたうえ、暴行を受けて傷害を負ったのであって、原告こそ被害者の立場にあったのである。

(五) 同2の(五)について

原告が職場を離れたのは原告が当日の朝被告側ガードマンから暴行を受けて負傷し痛みがひどくなったので、組合事務所で休息をとったのである。また、仮に、その余の被告主張事実が認められるとしても、原告が菅野課長に対し被告主張のような行動に出たのは原告の右職場離脱の原因は前記のように原告が被告側ガードマンから暴行を受けたことが原因であるのに、菅野課長や土屋主任から詰問されたことから反発して、菅野課長に「そんなに信用できないのなら一緒に来て仕事を監視してほしい」旨抗議し、同人の腕を取って仕事場のほうへ引っ張ったものである。

(六) 同2の(六)について

仮に、被告主張の事実が認められるとしても、当日の混乱は、本山製作所従業員組合(後に同盟本山と改称、以下「従組」という。)の組合員である富樫稔の投石行為に原告ら全金本山組合員が抗議したところ、こぜりあいになり、そこへ駆けつけた古座課長ら管理職と従組組合員ら約二〇名が原告らを取り囲み、小衝きまわしたが、その際古座課長が原告を何回か蹴り飛ばしたので、原告はやむをえず、一、二回同人を蹴り返したものである。

(七) 同2の(七)の主張は争う。

3  抗弁3の各事実は否認する。

4  抗弁4の(一)の事実は不知。同(二)の事実は認める。

五  再抗弁

1  不当労働行為

本件解雇は、以下に述べる事実から明らかなとおり、労働組合法七条一号の不当労働行為であるから無効である。

(一) 本件解雇時までの被告会社における労使関係

(1) 本件解雇当時原告が加入していた全金本山は、昭和四三年ころまでは団結力の弱い組合であったが、昭和四三年の春闘では、一九年ぶりにストライキを行い、同年の秋闘における職場改善要求、同年年末一時金闘争などで大きな成果を上げたほか、昭和四四年春闘、夏期一時金闘争では大幅な賃上げを獲得し、バルブ業界の労働組合の牽引車の役割を果すまでに組合活動が活発化した。

(2) 昭和四五年春闘の攻防

かかる組合活動の活発化に対して被告は、昭和四四年一二月に組合対策等を専門とする労務課を設置して組合攻撃を加え始めた。そして、昭和四五年の春闘要求に対して、生産性向上委員会を設け、二交替制という前例のない勤務形態を逆提案し、これと引き換えでなければ賃上げには応じないという極めて強硬な姿勢をとる一方、組合員宅に組合活動を誹謗する文書を郵送して露骨な支配介入を行うなど、組合敵視策をとった。

しかし、同年の春闘では延べ五七時間のストライキを行った全金本山が、被告に二交替制の提案を撤回させたうえ大幅賃上げを獲得して勝利を納めた。

(3) 青柳充に対する配転命令と懲戒解雇

<1> 昭和四五年春闘に敗北した被告は、組合人事への介入を策した。すなわち、全金本山の役員選出は規約上立候補制をとっていたが、現実には立候補者がいないため、推薦委員会の推薦により役員を決定するのが恒例であったので、右春闘を指導した当時の全金本山副委員長青柳充(以下「青柳」という。)ら執行部は今回も恒例に従って推薦されると思っていたところ、昭和四五年八月の役員改選において、吉田成雄、松崎茂(両名とも前記生産性向上委員会に所属してストライキを批判していた。)が立候補届出締切五分前にそれぞれ委員長、書記長に立候補し、その結果右両名が委員長、書記長に就任し、青柳は副委員長を辞するという事態が発生した。

右のような経過に鑑みれば、吉田、松崎の行動の背景に被告の意向があったことは明らかである。

<2> そして、被告は、昭和四六年三月四日、組合活動に指導的な役割を果してきた青柳に対し被告会社広島出張所への配転命令を出し、同人がこれを不当労働行為であるとして拒否すると、同月二五日右配転命令に従わないことを理由に同人を懲戒解雇した。

<3> この懲戒解雇に対し、吉田らの執行部は解雇撤回闘争に取り組もうとしなかったので、組合員有志は「青柳充を守る会」(以下「守る会」という。)を結成して執行部に代わり解雇撤回の闘いを進めることになった。

ところが、被告は、職制を介して、従業員の「守る会」への加入の有無を調査し、青柳は共産党員である等の内容の共産党指令書なる怪文書をちらつかせたり、また、加入者に対して脱会を強要するなど、組合内少数派の運動である「守る会」に対し、様々の妨害、介入、弾圧を行なった。

また、吉田執行部も青柳の組合員籍を剥奪するなど、被告と一体となって「守る会」の活動に敵対したため、「守る会」の加入者は一時的に激減した、原告もいったん「守る会」に加入しながら、被告の脱退工作によって脱退した一人である。

<4> しかしながら、青柳の解雇撤回の主張は、被告の弾圧によって逆に組合員に受け入れられるようになり、仙台地方裁判所において昭和四六年七月五日従業員の地位保全決定、同月二二日組合員たる地位保全決定が、それぞれ下され、被告及び吉田ら執行部は追い詰められた。

そして、同年八月七日組合の定期大会役員選挙が行われ、被告は右選挙に介入したが、青柳の解雇撤回闘争を支持する立候補者がこれに反対する立候補者に大差をつけて当選し、委員長渋谷拓、書記長八重樫友美、副委員長中野七郎、同由良博の新執行部が誕生した。

(4) 組合分裂と昭和四六年年末一時金闘争

<1> 右定期大会役員選挙の結果にショックを受けた被告は、相沢克巳、桜井昇、高橋勝郎等の係長クラスの者らを中心にして組合の分裂を策し、同年八月三〇日七五名の組合員からなる前記従組を結成させ、直ちに組合事務所、掲示板、電話を提供したうえ、職制や縁故採用時の紹介者を通じて全金本山からの脱退工作を行ったため、従組結成後一か月で全金本山から一四〇ないし一五〇名の組合員が脱退してしまった。

<2> 全金本山は、吉田執行部時代には昭和四五年の闘争成果を放棄するような状況に陥っていたが、新執行部のもとでこれを打破すべく昭和四六年年末一時金闘争を行った。従組は同年一一月二〇日に前年度を約八万円下回る一五万一〇〇〇円で早々に妥結してその本質を露わしたが、このため一〇名程度の組合員は全金本山に復帰した。

被告は従組と一時金について妥結したことを理由に全金本山の要求を拒んだため、これを被告の組合分裂工作の延長と解した全金本山は、県労評、地区労、宮城地本等の支援を得てストライキを含めた広汎な闘いを行い、その結果、同年一二月一八日二万円の上積みを獲得した。

(5) 昭和四七年春闘とガードマンの導入

<1> 全金本山を押え込むことに失敗した被告は、昭和四七年春闘にあたり、全金本山に対し前近代的な敵対政策を推し進めた。

<2> 全金本山は、昭和四七年三月一五日、被告に対し、春闘要求として一人平均二万円の賃上げその他の事項を回答期限を同月二七日と指定して要求し、同月二五日、被告と予備折衝を持ったが、その席上、被告は他社の組合員が出席しているという理由で、実質的な話し合いに入ることを拒否し交渉を一方的に打ち切った。

被告が他社の組合員と指摘したのは、エンベロール工業株式会社及び有限会社精密機器工作所の組合役員で、これらの会社はいずれも使用者が本山一族であって、事務所所在地も被告会社のそれと同じ敷地内にある系列同族会社であるから、全く無関係の組合員ではないし、これらの組合との共闘は昭和四五年からとられており、昭和四六年の年末一時金要求の団体交渉には常に出席していたものであり、これら組合員の出席は労使慣行にすらなっていた。従って、被告の右交渉打ち切りは全く理由のない団交拒否であった。

<3> さらに、被告は昭和四七年三月二七日、全金本山に対して極めて挑発的な質問書を突きつけた。その内容は、賃上げ要求額二万円の対象となる組合員の氏名、賃上げに要する費用の総額、賃上げ源資の吸収策など本来企業経営者が自ら判断すべき事項であって、これを組合側に質問するというのは、組合に対する挑発以外の何ものでもなく、被告が全金本山を敵視していたことを物語っている。

<4> 被告は翌二八日、全金本山に対し、二つの組合と同時に交渉はできないという口実を設けて、奇数日を全金本山、偶数日を従組との交渉日とすること、相手方の都合を四八時間以前に確認し、都合が良い場合には二四時間以前に書面で申し入れること等を内容とする団交ルールなるものを一方的に決定して提示し、これを承認しなければ、団交に応じないと一方的に押しつけてきた。

しかし、二つの組合が併存する状態で行われた昭和四六年年末一時金闘争の際にはこのようなルールは問題にされなかったし、また、当時全金本山は従組を正式な労働組合として承認していなかったのであるから、被告は全金本山においてかかるルールを受け入れられないものであることを知ったうえで提案したのであって、このようなルールの提起も被告の全金本山に対する挑発行為にほかならない。

<5> 全金本山は、このような被告の敵対行動に抗しやむなく昭和四七年三月三一日から争議行為に入り、部分スト、指名ストを行う一方、職場交渉をもって団交の開催を要求した。

その後、被告は従組と団交をもち、同年四月二四日一人当たり一万二八〇〇円の賃上げで春闘の妥結を行い、同月二九日ようやく全金本山と団交をもったが従組との妥結額を一歩も譲らず問答無用の姿勢で臨み、全金本山の交渉単位としての存在を全く無視する態度に終始した。

<6> そこで、全金本山は争議戦術を強化し、同年五月一三日被告に通告のうえ、同月一五日から、被告の取引先等に対し協力を要請するためのピケを張り、入出荷拒否闘争に突入した。

これに対し、被告は、同月一七日、二〇数名の従組組合員をして被告所有のトラックを先頭に全金本山組合員の中に突入せしめ、同組合員に傷害を負わせた。

また、被告は同月二〇日午前二時三〇分ころ、組合潰しを目的とする特別防衛保障株式会社のガードマン約五〇名を会社構内に導入し、仮眠していた全金本山組合員を強制的に排除し(このとき、全金本山組合員三名が負傷し、内一名は全治一か月の傷害を負った。)。以後このガードマンが全金本山組合員五人に一人の割で常時存在することになった。とりわけ、被告の依頼した特別防衛保障株式会社はこれまでも数々の労働争議に不当介入してすさまじい暴力行為を行うなど悪辣な組合潰し専業組織であることが問題となり、後記警備業法制定のきっかけを作った団体であった。

この被告によるガードマン導入以後、全金本山の組合活動は暴力的な制圧を受けることとなった。

すなわち、被告は、同年五月二二日、全金本山に対し会社構内での組合活動を禁止する旨通告し、翌二三日、市川総評議長らを迎えての会社構内集会後、ガードマンらは組合員らのデモ行進に対して襲いかかり、全金本山組合員四名に対して傷害を負わせたのをはじめ、同月三一日には会社構内で開かれた全金本山の組合集会を襲撃し、同組合員一三名に対して傷害を負わせ、集会を暴力的に禁圧した。

この時以降被告会社構内での全金本山の組合活動は完全に暴力的に禁圧されることとなり、また会社正門付近で全金本山組合員らの行う「朝ビラ」の配布に対しても毎回組合員に対しガードマンが暴行を加えるという事態になった。

このような被告のガードマン導入は、前記青柳解雇から始まる被告の一貫した全金本山への敵対行為の延長線上にあり、組合潰しである。

<7> このようなガードマン導入は、昭和四七年八月以降国会の法務委員会、社会労働委員会において取り上げられ、関係大臣らはいずれも右ガードマンによる組合活動弾圧に対する非難の見解を示した。

また、全金本山は、被告によるガードマンを導入しての組合攻撃に対して不当労働行為を理由として労働委員会、裁判所に救済を求めたが、仙台地方裁判所は昭和四七年五月二九日、被告に対し、全金本山の会社構内における組合活動をガードマンらを導入して妨害することを禁止する旨の仮処分決定を下し、宮城地労委は、被告に対しガードマンを会社構内から退去させるよう数度の勧告をなし、昭和四八年四月一六日、ガードマンによる全金本山の組合活動への弾圧は不当労働行為にあたるとして、被告に対しガードマン(当時警備課職員となっていた者)を退去させることを命じる決定を下した。しかしながら、被告は、これらの決定等に従わなかった。

<8> 右ガードマンによる組合員への暴力はすさまじく、ガードマンは全員ヘルメットに篭手を着用し、ジュラルミンの盾を持つという警察機動隊と同様の武装をしており、全員が空手などの武術を心得ていたが、このようなガードマンの集団が、全金本山の行う集会、デモ行進などに対して襲いかかり、同組合員に対し、その腹部、胸部、顔面等を殴りつけたり足蹴りにするなどの徹底的な暴行を加えた。

このような傾向はガードマンが後記のとおり警備課職員として被告に採用されてからも全く同じであって、このガードマン、警備課員、会社職制らの暴行によって傷害を受けた全金本山組合員の数は今日まで延約一〇〇〇名に及ぶ。

<9> また、被告は、昭和四七年一〇月一九日大幅な配置転換を行い、全金本山組合員のうち活動家層を職場の中心部から周辺に放逐した。

さらに、被告は、ガードマン派遣会社を規制する警備業法が昭和四七年七月五日制定され、同年一一月一日から施行される旨定められたため前記特別防衛保障株式会社の存立が危ぶまれるに至るや、昭和四七年一〇月二三日警備課を新設し、右会社のガードマンを採用してここに配属することにより、組合弾圧を恒常化するに至った。

(6) 被告のこうした組合弾圧の中で本件解雇がなされたのである。

(二) 本件解雇の本質

(1) 原告の活動家への成長過程

<1> 原告は、昭和四四年五月全金本山に加入し組合活動に参加してきたが、管理二課の職場においては仕事熱心で、原告本人としては菅野課長から高く評価されているものと考えていたほどである。

<2> 原告はCCD室で一緒に働いた青柳の解雇に関し前記「守る会」が結成された際、管理二課所属の者のうち七、八割に当る者らと同様に一度はこれに加入したが、菅野課長から勧められてここを脱退した。しかし、青柳の解雇を不当な処分だと考えていた原告は、「守る会」の活動には好意的であり、前記地位保全仮処分決定が出たことを素直に喜んだ。また、原告は、吉田執行部が青柳の解雇撤回を求めて闘おうとしないことなどからこれに不信感を抱いていたので、昭和四六年八月に誕生した新執行部を支持した。

<3> ところが、昭和四七年八月三〇日の従組結成にあたり、管理二課の上司である桜井昇、高橋係長がそれぞれ副委員長、書記長に、原告の同僚である菊地克が高橋係長の後をついで書記長となり、また、菅野課長が委員長をしている生産性向上委員会の委員の一人である相沢克巳が従組の委員長となるなど、原告が親しく付き合っていた人達が従組の要職を占め、組合を分裂させたことから、原告はこれらの人達に抜き難い不信を感じた。

<4> しかも、全金本山の管理二課における執行委員であった菊地克が全金本山を脱退して従組に入ったため、八島貞充が同年九月六日新たな執行委員に選任され、同月十四日被告にその旨通知されたが、同月一七日同人は突然第三製造部製かん三課に配転させられたほか、同日全金本山の役員を経験したことある竹内完、東海林武男の両名も第一製造部製かん一課に配転させられたため、管理二課における全金本山組合員は原告ら六名に減ってしまった。そのため当時グループ長となっていた原告が職場における組合活動の先頭に立つこととなった。

(2) 原告の組合活動に対する被告の嫌悪

<1> 原告の所属する管理二課は従組の本拠ともいうべき職場であったから、全金本山と被告、従組とは管理二課においてもっとも先鋭的に対決した。しかも、原告としては、入社以来信頼していた上司、同僚の前記行動について理不尽と考えていただけに、原告は先頭にたって抗議等の組合活動を行うようになった。

<2> 原告は、昭和四六年年末一時金闘争における職場交渉、ストライキをめぐるやり取りの際、その先頭で行動し、また、昭和四七年春闘では、団交を拒否する被告の不当性を地労委の命令書や判例集を持ち出して菅野課長に訴えた。ようやく開かれた団交でも話し合いはつかず、全金本山は争議戦術を強化させたが、被告はこれに対し前記のとおりガードマンを導入したため、組合員には負傷者が続出し、朝のビラまきすら恐怖感なしには行えない状況となった。そのような中でも原告は、連日朝のビラまきに立ち、ガードマンの脅し、暴行に耐え、暴行を受ければそのことを課長らに抗議するという行動をとっていた。

<3> こうした原告の行動に励まされ、ガードマン導入後足並みの崩れかかった全金本山も態勢を立て直したため、組合活動を押し潰そうとした被告の意図は達せられなかった。かかる原告に対する本件解雇は、被告が嫌悪の余り原告への報復と共に全金本山の活動の破壊、組合員に対するみせしめを図ってなしたものである。

2  労働協約違反

被告と全金本山とは、昭和四五年一一月三〇日、組合員の労働条件の変更については、被告は全金本山と協議する旨の労働協約を締結した。

本件解雇も組合員の労働条件の変更であるから、被告は全金本山と協議しなければならないのに、これを全くしない。よって、本件解雇は労働協約に違反するので無効である。

3  解雇権の濫用

本件解雇の原因は前記のように暴力的ガードマンを入れて組合活動を圧殺する過程で生じたものであり、全体の流れの中で判断するならば、解雇権の濫用である。

六  再抗弁に対する認否

1  再抗弁1(不当労働行為)の主張は争う。

被告は不当労働行為の意思を有しておらず、本件解雇は不当労働行為にはあたらない。

(一) 再抗弁1の(一)(本件解雇時までの被告会社における労使関係)について

(1) 同(1)の事実は否認する。

全金本山は昭和二一年に結成された後、労働組合として活動を行ってきたものであり、昭和四三年から活動を開始したわけではない。また、被告は昭和四二年ころから労働条件の引き上げに積極的に取り組み始めており、昭和四三、四年ころ労働条件が改善されたのも、被告と全金本山の比較的良好な労使関係の下で、双方が取り組んだ結果である。

(2) 同(2)の事実のうち、被告が昭和四四年一二月に労務課を設置したこと、昭和四五年の春闘要求に対し二交替制を提案したこと、同年の春闘で全金本山が延べ五〇時間余のストライキを行ったことは認め、その余の事実は否認する。

そもそも、被告と全金本山との労使関係が円滑さを欠くようになったのは、従組の結成された昭和四六年八月末ころ以降であって、それまでは比較的良好な労使関係を保ってきたのである。

被告が総務部内に労務課を新設したのは、当時被告の資本金七〇〇〇万円、従業員数約七九〇名で、仙台市のほか東京、大阪を始め全国各地に営業所、出張所、事務所等の事業所をもち、企業内労働組合を有していたにもかかわらず、被告の組織機構の整備が不十分で、総務部総務課が株式関係事務、管財関係事務、庶務関係事務、給与関係事務、人事関係事務等のほかに労務関係事務までも担当していたため、既に無理があったことによるもので、かかる企業規模の会社としては当然のことである。さらに、かつて全金本山の執行委員長であった千葉敬次を労務課の専任職員(主任)に配置換えしたことからしても、労務関係事務を扱う独立の所管課の新設は、労働組合を尊重し、労務関係を重要視する被告の姿勢の表われといえこそすれ、これをもって組合攻撃であるとか、組合敵視策をとっているというべきいわれはない。

被告は、昭和四五年三月二四日全金本山の給与改定要求に対し回答を行った際、二交替制を提案したが、これと引き換えでなければ賃上げには応じないというような態度を示したことはなく、実際にも全金本山が右提案ににわかに賛成し難いという意向を示したので、同年四月八日にはこれを撤回したのである。また、全金本山は延べ五〇時間余のストライキを行ったが、被告が二交替制の提案を撤回する以前には、わずかに同年四月七日及び八日にそれぞれ三〇分ずつのストライキを行ったにすぎないから、右の五〇時間余のストライキは二交替制と関わりなく行われたものである。さらに、右ストライキのほとんどは同年四月二五日に被告が第二次回答を行った後に行われたが、右の第二次回答とストライキ後の同年四月三〇日に妥結した内容とでは、わずかに家族手当が扶養家族一人当たり五〇〇円増額されただけで、その余の点については全く変りがなかったものである。

(3)<1> 同(3)の<1>の事実のうち、昭和四五年八月に行われた全金本山の役員改選において、吉田成雄、松崎茂が立候補届出締切五分前にそれぞれ委員長、書記長に立候補し、他に立候補者がいなかったため、右両名が委員長、書記長に就任して、青柳は副委員長を辞したことは認めるが、その余の事実は否認する。

吉田、松崎は当時の執行部の組合活動方針に批判的であり、組合の建て直しを目論んで立候補したものであって、吉田らの行動の背景に被告の意向があったということはない。

<2> 同<2>の事実は認める。

もっとも、青柳に対する配転命令と同人がこれを拒否したことによる懲戒解雇は不当労働行為にはあたらない。すなわち、配転命令は企業の運営上の必要からなしたもので合理的理由があり、広島出張所への転勤対象者に青柳を選定した経緯にも不合理な点はないことはもとより、被告が全金本山の弱体化や、青柳を組合活動から排斥することを意図して、右配転命令や懲戒解雇を行ったものでもない。

<3> 同<3>の事実のうち、全金本山組合員の一部が「守る会」を結成したこと、全金本山が青柳の組合員籍を剥奪したことは認めるが、その余の事実は否認する。

「守る会」は全金本山とは関係がなく、その活動も全金本山の組合活動とは無縁なものである。また、被告は、職制をして、「守る会」に属する従業員の就業時間中の職場規律違反行為を調査させ、これら違反行為者を注意したにすぎず、脱退を勧めるようなことは一切していない。

なお、全金本山は一旦は青柳の懲戒解雇反対の意思表示をしたが、実情調査を行った結果、不当労働行為を構成するような事実は存在せず、青柳が転勤を拒否する理由はないと判断するに至り、被告従業員たる資格を失ったときは組合員資格を失うとの組合規約を適用して、昭和四六年四月一九日付をもって青柳を組合員名簿から抹消し、被告に対しその旨を通知してきたものである。

<4> 同<4>の事実のうち、青柳について仙台地方裁判所で昭和四六年七月五日従業員の地位保全決定がなされたこと、同年八月七日全金本山の役員選挙が行われ、役員が大幅に変わったことは認めるが、その余の事実は否認する。

(4)<1> 同(4)の<1>の事実のうち、全金本山が分裂し、七五名の組合員からなる従組が結成されたこと(もっともその日時は昭和四六年八月二八日である。)、被告が従組に対し組合事務所、掲示板、電話を提供したこと(もっとも右提供の時期は昭和四六年八月三〇日以降である。)、従組組合員の中に相沢克巳、桜井昇、高橋係長等が含まれていたこと、従組結成後全金本山を脱退し、従組に加入する者が多数いたことは認めるが、その余の事実は否認する。

そもそも、被告が従組結成を初めて知ったのは、昭和四六年八月三〇日に従組三役から通告を受けたことによる。また、従組が結成された経緯をみると、前記青柳問題を契機に全金本山内に意見の対立が生じ、昭和四六年八月七日の役員選挙で解雇撤回闘争を支持する渋谷拓らが役員に当選したが、選挙に敗れたグループの組合員は、新執行部の方針は労働者の生活水準の向上、労働条件の向上等労働組合本来の目的を等閑に付し、会社を敵対視する闘争至上主義であり、このような傾向が続けば企業の存続すら危殆に瀕し、労働者が路頭に迷うことにもなりかねないものであるところ、もはや同一組織内に留まっていたのでは労働組合本来の目的を達成できないとして、従組が結成されたのである。さらに、従組へ組合事務所等を提供した点も、被告が従来全金本山に供与しているのと同様の便宜を従組に対しても与えたにすぎず、両者を差別なく取り扱ったにすぎないものである。以上のことからも明らかなように、被告が全金本山の分裂を図ったなどということはない。

<2> 同<2>の事実のうち、昭和四六年末一時金について、被告が全金本山と妥結するに先立ち、同年一一月二〇日従組と妥結したこと、その後同年一二月一八日全金本山との間で従組を二万円上回る金額で妥結したことは認めるが、その余の事実は否認する。

被告は右各組合を同等に扱うため、団交も奇数日は全金本山と行い、偶数日は従組と行うこととし、その旨各組合に予め申し入れ、概ねこれに従って各組合と交互に団交を行い、従組と妥結後はもっぱら全金本山と交渉を重ねたのであって、従組と妥結したことを理由として全金本山の要求を拒んだことはない。

しかるに、全金本山は右団交において、被告が従組と妥結するまでの間は交渉議題について話し合おうとせず、もっぱら従組は労働組合でないから従組と団交をするなという主張を繰り返すのみで、右妥結後は従組よりも有利な回答を求めることのみに交渉の重点を置くに至った。しかも、全金本山は従来の団交ルールを無視して、団交メンバー以外の組合員や他社の労組員を多数団交場に入り込ませ、被告側団交メンバーに対し大声で個人的な中傷や罵言雑言を浴びせるなどして団交を混乱に陥れ、自らの要求を被告に受け入れさせようとした。被告が従組を二万円上回る金額で全金本山との妥結を余儀なくされたのも、被告側団交メンバーが昭和四六年一二月一七日午後二時ころから翌一八日午後二時過ぎまで二四時間余りの間、右のような怒号、罵声を浴びせられ、食事をする余裕も与えられず、不眠不休のまま団交を強要されたからにほかならない。

また、同年中期頃から日本経済は不況に見舞われ、被告も大幅な受注減を招き、九月仮決算では売上額が前年同期比三四〇〇万円減となり、経常利益で三〇〇万円の欠損となったことなどに照らせば、従組との妥結額は、決して低額なものではない。

ちなみに、従組は、被告が全金本山と従組を二万円上回る額で妥結したことを不当労働行為であると主張して宮城地労委に対し救済申立てを行い、昭和四七年一一月、被告は今後かかる差別を行わないことなどを内容とする和解が成立した。

(5)<1> 同(5)の<1>の事実は否認する。

<2> 同<2>の事実のうち、全金本山が昭和四七年三月一五日被告に対し、春闘要求として一人平均二万円の賃上げその他の事項を回答期限を同月二七日と指定して要求したこと、被告は同月二五日、全金本山と予備折衝を持ったが、その席上にエンベロール工業及び精密機器工作所の組合員が出席していたため、結局実質的な話し合いに入れず団交を打ち切ったことは認めるが、その余の事実は否認する。

被告と全金本山との間では、団交に関し、開催に先立ち相互に団交メンバーを書面で通知し合い、かつ、団交の目的事項、日時、予定時間等につき打ち合わせを行い、双方の合意したところに基づいて行うという慣行が確立されていたし、また、全金本山が昭和四六年八月に分裂するまでは、被告と全金本山との団交にエンベロール工業及び精密機器工作所の従業員が出席するということはなかった。しかるに、昭和四七年三月二五日の団交において、全金本山はこのような従来の慣行を無視し、事前に何の連絡もせずに、突然団交メンバーとして他社の労組組合員を出席させたばかりでなく、被告がこの点を質しても全金宮城地本傘下の組合員であればどの支部の所属員であろうといずれの会社の団交にも出席できる旨答えるのみで一向に要領を得ないため、被告は、前年末の一時金交渉のときのように到底団交とは認め難い異常な混乱状態が出現することを恐れて、当日の団交を打ち切ったものである。

<3> 同<3>の事実のうち、被告が昭和四七年三月二七日全金本山に対し、春闘要求に関する質問書を提出したことは認めるが、その余の事実は否認する。

同月二五日の団交を打ち切った際、全金本山の中野七郎副委員長、千葉利秋、辺見真両執行委員、原告ら全金本山組合員一〇数名が、被告側団交メンバーを追いかけて社長室に入り、室内にいた二郷精記総務部長、宮崎眞一生産管理部長、千葉敬次労務課長ほか五名に対し、悪罵を浴びせ、社長室入口にピケを張って、これらの者の退出を実力で阻止して、室内に監禁したため、被告は全金本山から団交の席上で説明を受けることを断念して、質問書を提出したのである。しかも、右質問書は、全金本山に対してだけでなく、従組に対しても同時に提出され、同組合からは翌日回答がなされているのである。

また、両組の賃上げ要求を検討するためには、各組合員の平均賃金額や平均年齢等を知る必要があったばかりでなく、当時両組合間で組合員の移動が激しかったこと、各組合のいずれにも属さぬ中立の者が相当数おり、これらの者もいずれかの組合に移ったりしていたこと、全金本山は組合員資格を有する被告従業員のうち除名した一〇名以外の者は全て全金本山組合員であると呼号していたことなどに照らせば、被告が、各組合の構成員の数、氏名等を知る必要があったのは当然である。

<4> 同<4>の事実のうち、被告が昭和四七年三月二八日、全金本山に対し、奇数日を全金本山、偶数日を従組との団体交渉日とすること、相手方の都合を四八時間以前に確認し、都合が良い場合には二四時間以前に書面で申し入れること等を内容とする団交ルールに基づいて団交を行いたい旨申し入れたことは認めるが、その余の事実は否認する。

右申し入れは全金本山に対してだけでなく、従組に対しても同時になされたものであるから、右申し入れが全金本山への敵対行為でないことは明らかであるし、奇数日を全金本山、偶数日を従組との団交日とする取扱は、既に昭和四六年年末一時金に関する団交の時から実施されていたものである。

また、従組が労働組合法上の労働組合に該当することは明らかであり、被告は従組の存在を尊重し、同組と誠実に団交を行うべき義務を有していたのであるから、全金本山が当時従組を正式な労働組合として承認していなかったなどということは考慮に入れる余地はない。然して、被告が二つの組合と同じ日に団交を行うことは事実上至難のことであるため、両組合と連日でも団交を行うべく、前記のような申し入れをしたものである。

<5> 同<5>の事実のうち、全金本山が争議行為を行ったこと(但し、昭和四七年三月三一日から争議行為に入ったのではなく、全金本山は昭和四六年年末一時金に関する交渉が妥結した直後から再び争議行為を続けていたばかりでなく、昭和四七年春闘についても同年三月二八日からストライキを含むさまざまな争議行為を行ったものである。)、被告は従組と団交をもち、昭和四七年四月二四日一人当たり一万二八〇〇円の賃上げで妥結したこと、被告が同年同月二九日全金本山と団交をもったことは認めるが、その余の事実は否認する。

全金本山は、被告が従組と団交を行っている間も、被告の団交ルールに関する前記申し入れを無視し、また、従組との団交予定日や就業時間中を指定して団交を申し入れてきたので、被告がこの申し入れに応ずることは到底できない状態であった。そこで、被告は昭和四七年四月二七日、全金宮城地本と「団交の持ち方について」を議題とする団交を行い、全金本山の三役も出席して協議した結果、従来の団交ルールが確認された。これに基づき、同月二九日以降、同年五月に四回、六月に四回というように団交が開催された。

<6> 同<6>の事実のうち、全金本山が入出荷拒否闘争を行ったこと(但し、昭和四七年五月一五日から実施されたのではなく、既に同年四月下旬から行われていた。)、被告が特別防衛保障株式会社に被告会社構内の警備を依頼し、同年五月二〇日右保障会社のガードマンが被告会社に着任し、以後常時存在するようになったこと、全金本山が昭和四七年五月二三日市川総評議長らを迎えて被告会社構内で集会を持ったことは認めるが、その余の事実は否認する。

被告が特別防衛保障株式会社に被告会社構内の警備を依頼したのは、次のような理由による。

イ 全金本山は、前記のとおり昭和四七年四月下旬から入出荷拒否闘争を行い、同組組合員が被告会社構内中央通路上一杯に座り込んだり、寝転んだりして二時間ないし半日にわたって自動車の通行を完全に妨害し、物品の搬出入を阻止していたが、同年五月一五日以降は被告会社の出入口をすべてバリケード等によって封鎖して二四時間完全に入出荷を阻止するに至り、ピケラインを通過しようとする被告会社、外注工場、運送会社等の自動車、並びに被告従業員(職制および従組の組合員)等に対して、進行を妨げるためその前面に座り込んだり、スクラムで取り囲むなどし、時には進行中の自動車のフロントガラスに近接して旗を垂らして前方の視界を遮蔽して車両の進行を妨げ、更には運転手を車外に引きづり降ろす等の行為を敢えて行い、遂には車内、鞄、身体等を抵抗を排して捜索するまでに及んだ。

ロ その結果、昭和四七年五月一五日と同月一八日の両日来社した外注工場、運送会社等の自動車はいずれもピケに阻止され、結局一台も構内に出入りできなかった。同月一六日と一七日には被告管理職によりわずかの物品を搬出入したほか、一七日には構内のトラック一台が従組所属の従業員により、全金本山組合員がピケを張っている正門を強行突破し、同月一九日には彦根市から来社した青木株式会社の車が全金本山組合員との四時間余りにわたる交渉の末ようやく物品を出荷し得たにとどまった。

ハ この入出荷阻止により、被告は七〇〇〇万円を上回る損害を被ったが、零細な外注工場(当時約一〇〇社)等が被った損害は、極めて甚大であり、それぞれの死活にかかわるものであった。

ニ 被告は全金本山に対し、このような実力をもってする入出荷阻止が違法、不当である旨説得し、直ちにこれを解除するよう連日反復して要請したが、全金本山はこれに一向に応じようとしないばかりか、かえって説得に行った課長等をつるし上げたりする始末であり、昭和四七年五月一七、八日ころには、このまま実力による入出荷阻止が続けば、工場の操業が完全に停止する状態にまで立ち至った。

ホ 被告はかかる事態を打開するため、警察に人命の保護等を要請したが、労使介入はできないとの理由でこれを拒否された。

ヘ そこで、被告としては、会社構内の秩序を回復し、職制及び従組組合員の生命身体への危険を排除し、その安全を確保しなければならない義務を有していたこと、入出荷阻止がさらに数日続けば工場の操業が完全に停止することは明らかで、そうなると金融機関からの融資も停止されることは確実であり、被告は正に倒産の危機に瀕していたこと、被告の危機は外注工場にとって死活の問題であったし、取引先にも影響するところが大であったことなどから、被告はやむなく敢えて自力救済の道を選択し、昭和四七年五月二〇日警備保障会社に会社構内の警備を依頼することに踏み切ったものである。

このように、被告は、全金本山の違法、不当行為を会社構内から排除しようとしただけであって、全金本山の正当な争議行為、組合活動を抑圧しようとする意図は全くなかったし、現にその後全金本山の正当な争議行為や組合活動に対しては一指だに触れていない。

被告ではかねてから部外者には所定の入門手続を経てから入構してもらうこととしていたばかりでなく、昭和四七年五月ころは全金本山が違法、不当行為を行う際に部外者を被告に無断で構内に導入することが少なくなかったため、部外者の構内立入を禁止する旨の掲示をしていたにもかかわらず、全金本山が昭和四七年五月二三日の構内集会に部外者を参加させた際、これら部外者は正規の入門手続を経ることなく、守衛等の制止を排除して会社構内に乱入したばかりか、従組組合員らの就業を妨害しながら、全金本山組合員らとともに集会やジグザグデモ等を強行したものである。

また、被告の導入したガードマンが全金本山組合員に対して暴行を振るったり、正常な組合活動を実力で阻止したことはない。すなわち、全金本山が違法集会を行っている際、ガードマンがその周囲から解散を求めたり、ジグザグデモで構内に入ってくるときに、ガードマンが背を向けてスクラムを組むという受け身の形でそれを阻止しようとして体と体が触れ合うということは生じたが、実力をもってこれらを中止させたことなどはないし、ましてやガードマンが正常な組合活動を実力で阻止したことはない。むしろ、全金本山組合員らはジグザグデモ等の際、ガードマンに体当たりして踏みにじったり、ガードマンを隊列の中に引き込んで引き倒す等の暴行を加えたものであり、そのような際にガードマンの身体の一部と接触したことをとらえて暴力を振るわれたと主張しているにすぎない。原告の主張する昭和四七年五月二三日の事件も右のようなものであり、仮にその際全金本山組合員が擦過傷を負ったとしても、それは自損行為といわざるをえないから、これについて被告やガードマンを非難するのは失当である。

<7> 同<7>の事実のうち、被告のガードマン導入問題が国会の法務委員会、社会労働委員会において取り上げられたこと、仙台地方裁判所及び宮城地労委が原告主張のような各決定をしたことは認めるが、その余の事実は否認する。

<8> 同<8>の事実は否認する。

<9> 同<9>の事実のうち、被告が昭和四七年一〇月二三日に警備課を新設し、前記特別防衛保障株式会社のガードマンを同課従業員として採用したことは認めるが、その余の事実は否認する。

被告は昭和四七年一〇月一日に人事異動を行ったが、これは機構改革が行われたことにより所属名や所属系統が変った異動が主なもので、小規模なものであったばかりでなく、勤務地の変動をともなう異動は皆無に等しかったのであるから、これをもって大幅な配置転換が行われたとか、職場の活動家を放逐したとかいうことはできない。

被告は、全金本山が前記のように連日違法、不当な暴力行為を繰り返している状況下において、外部の警備保障会社に頼ることなく、社内の組織、人員によって自主的に構内の秩序を維持しようと考えたことに加え、昭和四五年ころから社内で火災や盗難が頻発して守衛業務の強化が必要と考えられていたこと、当時の六名の守衛は平均年齢が六六歳と高齢であったため、大幅な若返りと増員が必要とされていたこと、警備保障会社のガードマンの中に被告に採用されることを希望する者がいたこと等から、警備課新設に踏み切ったものであり、組合弾圧を恒常化する意図などは有していなかった。

(二) 再抗弁1の(二)(本件解雇の本質)について

(1) 同(1)の<1>の事実は不知。

同<2>の事実のうち、菅野課長が原告に対し「守る会」からの脱退を勧めたとの点は否認し、その余は不知。

同<3>の事実は不知ないし否認する。

同<4>の事実のうち、昭和四六年九月の人事異動で全金本山の執行委員八島貞充らにつき異動の発令があったことは認めるが、その余の事実は不知ないし否認する。

(2) 同(2)の事実は否認する。

本件解雇の原因となった原告の行為は、いずれも組合活動や争議行為とは無関係なもの、あるいは、たとえこれらとの関連で行われたとしても違法、不当なものであるから、被告が原告の行為について責任を問うたまでであって、原告の組合活動等を嫌悪したためになしたものではない。

2  再抗弁2(労働協約違反)の事実は否認する。

原告の主張する労働協約は、「組合員個々人の労働条件の変更」について、被告と全金本山とが協議するということを定めたものではなく、「労働条件の基準の変更」につき右両者が協議すべきことを定めたものである。それゆえ、誤解を避けるため、右当事者間で、昭和四六年六月一五日付をもって右の趣旨を確認する書面を取り交したのである。

よって、本件解雇はなんら右労働協約に違反するものではない。

3  再抗弁3(解雇権の濫用)の事実は否認する。

本件処分対象行為は、いずれも企業秩序の維持と会社業務の円滑な遂行のために、到底許され得ないものであるばかりか、健全な労使関係を確立するためにも絶対に看過し得ない悪質かつ異常なもので、就業規則に照らし厳しく問責されてしかるべきものばかりであったこと、それゆえ、被告の懲戒委員会では原告を懲戒解雇に処することを相当とする意見が多かったが、同人が未だ若年であり、将来のある身であることを考慮して、特に諭旨退職に処する旨決定されたこと、それにもかかわらず、原告が所定の期日までに退職願を提出しなかったため、被告はやむなく原告を普通解雇に処せざるをえなかったこと、原告には本件処分対象行為のほかにも前記三、3のとおり規律違反行為や業務妨害行為など同人の不利益に参酌すべき違法、不当な行為が少なくなかったこと等に鑑みれば、本件解雇は、適法かつ正当に行われたものであることは明らかであり、なんら解雇権の濫用にあたるものではない。

第三証拠

本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する(略)。

理由

第一請求原因について

請求原因1、2の各事実は、当事者間に争いがない。

第二本件解雇に至るまでの経緯について

一  被告会社における労使関係

1  昭和四五年春闘まで

(証拠略)によれば、全金本山は昭和二一年に結成され、宮城金属労働組合に加盟し、その後昭和三六年に総評全国金属労働組合に加盟した労働組合であり、昭和四二、三年ころはもっぱら労働条件の向上を目的として活動してきた。そして、当時の被告経営規模の順調な拡大を背景に、労使間も比較的良好な関係にあったこともあって、全金本山は昭和四二年の春闘では、県内の全国金属労働組合傘下組合の中でいち早く最高額で妥結するなどの成果をあげたほか、昭和四三、四年の各春闘等でも同様に相当の成果をあげた。

また、被告が昭和四四年一二月に労務課を設置したことは当事者間に争いがないが、(証拠略)によれば、被告会社は当時その企業規模、内容に比し、組織機構の整備が不十分で、総務部総務課の担当する事務の範囲が広がりすぎたため、機構改革の一環として総務部内に労務課を新設したものにすぎず、被告は、昭和三九年と四二年に全金本山の執行委員長を務めた千葉敬次を右労務課の専任職員(主任)に配置替えしたことが認められる。したがって、被告の右労務課の新設をもって組合攻撃であるとか、被告が組合敵視策をとっているということはできない。

2  昭和四五年春闘

昭和四五年の春闘要求に対し被告が二交替制を提案したこと、右春闘で全金本山が延べ五〇時間余のストライキを行ったことは当事者間に争いがない。

右の各事実、並びに、成立に争いのない(証拠略)によれば、被告は、昭和四五年三月二四日全金本山の給与改定要求への回答に際し、二交替制を提案したが、全金本山が右提案ににわかに賛成し難いという意向を示すや、同年四月八日にはこれを撤回したこと、また、被告は同月二五日に第二次回答を行い、同月三〇日に妥結したことが認められる。他方右同証拠によれば、右二交替制の撤回までに全金本山はわずかに同月七日及び八日にそれぞれ三〇分ずつのストライキを行ったにすぎず、また、右第二次回答内容と妥結内容とでは、わずかに家族手当が扶養家族一人当たり五〇〇円増額されただけで、その余の点については全く変りがなかったことが認められ、被告が右二交替制の提案について、これと引換えでなければ賃上げに応じないとの態度に出たことを認めるに足りる証拠はないから、右二交替制の提案の撤回や大幅賃上げがストライキの成果であったと断ずることは困難である。また、右同証拠によれば、被告は昭和四五年三月二五日ころ全従業員宅に手紙を出したことが認められるが、他方右同証拠によれば、被告は、右賃上げ要求額と被告の回答とに一万円以上の開きがあったため、会社の実情を知ってもらおうとしてしたものであることが認められるから、これをもって直ちに組合活動を誹謗するとか、支配介入を行ったものであるということはできない。さらに、(人証略)によれば、被告は昭和四五年五月生産性向上委員会を設置したことが認められるが、右設置は右春闘後のことであり、しかも右同証拠によれば、全金本山組合員もそのメンバーに含まれていることが認められるから、右生産性向上委員会の設置が春闘要求への対抗策であるとか、被告の組合敵視策の表われであるなどということはできない。

以上のとおりであるから、被告が昭和四五年春闘に際し、全金本山に対して、支配介入を行ったり、組合敵視策をとったということはできない。

3  吉田執行部の誕生

昭和四五年八月に行われた全金本山の役員改選において、吉田成雄、松崎茂が立候補届出締切五分前にそれぞれ委員長、書記長に立候補し、他に立候補者がいなかったため、右両名が委員長、書記長に就任して、青柳は副委員長を辞するという事態が生じたことは当事者間に争いがない。

右の各事実、並びに、(証拠略)によれば、渋谷拓を委員長、横沢尚志を書記長とする当時の執行部が昭和四五年春闘において、組合員の意向を無視してスト権の確立のみを目的とし、結局さしたる経済的成果を上げることもできなかったことなどから、組合内部でその運動方針に批判的な意見が拡まっていたところ、組合員である工藤秀保らに勧められて、吉田成雄及び松崎茂が組合の建て直しを目論んで立候補したこと、昭和四五年八月の定期大会で、吉田らは組合員約五五〇名中五〇〇票を越える信任投票を得たこと、吉田は自ら立候補を決意するに先立ち、渋谷と横沢に対し、再び立候補したうえで運動方針を正すよう何度も勧めたが、同人らは立候補に消極的であり、結局立候補締切当日になっても立候補者がいなかったため、やむなく立候補に踏み切ったこと、副委員長二名の立候補者がいなかったため、吉田らは役員推薦委員会に対し、渋谷と横沢を推し、また、自らも直接渋谷らに副委員長として協力してくれるよう依頼したことが認められる。

以上の事実によれば、執行部の交替はあくまで組合の内部事情によるものであって、被告が組合人事への介入を策したとか、吉田、松崎の行動の背景に被告の意向があったということはできない。

4  青柳充に対する配転命令と懲戒解雇

被告が、昭和四六年三月四日、青柳に対し被告会社広島出張所への配転命令を出し、同人がこれを不当労働行為であるとして拒否すると、同月二五日右配転命令に従わないことを理由に同人を懲戒解雇したこと、この懲戒解雇に対し、組合員有志は「守る会」を結成したこと、全金本山は青柳の組合員籍を剥奪したこと、青柳の申立てに基づき、仙台地方裁判所は昭和四六年七月五日同人が被告の従業員としての地位を有することの仮処分決定をしたことは、いずれも当事者間に争いがない。

(証拠略)によれば、昭和四六年当時被告会社の広島出張所には技術的サービスを提供するセールスエンジニアがいなかったため、これを必要としていたことが認められ、被告がその候補者として青柳を人選した経緯等に不合理な点があること、及び配転命令を拒否したことに対し、懲戒解雇を選択したことについてもその裁量に過誤があることを認めるに足りる証拠はない。(この点については、青柳が被告従業員としての地位を有することの確認等を求めた訴訟において、仙台地方裁判所(昭和四六年(ワ)第六七三号事件)は昭和五四年四月二三日、青柳側の配転命令や懲戒解雇が不当労働行為であるとの主張等を理由がないとして退けてその請求を棄却し、仙台高等裁判所(昭和五四年(ネ)第一七二号)も昭和六三年九月二〇日、これに対する青柳からの控訴を棄却したことは<証拠略>により認められる。)

(証拠・人証略)によれば、全金本山は当初青柳に対する配転命令について不当労働行為の疑いがあるとしていたが、執行委員会等で青柳から事情を聞くなどして調査した結果、不当労働行為にはあたらないと判断し、昭和四六年三月八日の組合大会でも、青柳の生活を守るという観点から被告と交渉していくという方針が承認されたこと、これに対し、組合青年婦人部の菅原徹が大会決議に反するビラの配布を続けたため、査問委員会にかけられるという事態が生じ、さらに組合員有志により、全金本山組合とは無関係な「守る会」が結成され、青柳の懲戒解雇撤回を主張し、そのメンバーが就業時間中に職場内でビラ配布等により「守る会」への入会の勧誘等を行ったこと、これを知った被告は、同年四月七日ころ、全金本山に対し、「守る会」の活動と組合の関係を問い合わせたところ、組合三役から、「守る会」と組合とは関係がなく、組合活動でもないとの回答を受け、被告管理職をして、「守る会」に属する従業員の就業時間中のビラ配布等の職場規律違反行為を調査させ、これをやめるよう注意させたこと、また、全金本山も「守る会」に対しその活動をやめるよう忠告したこと、全金本山は、被告従業員たる資格を失ったときは組合員資格を失うとの組合規約を適用して、同月一九日付をもって前記のとおり青柳を組合員名簿から抹消したことが認められる。

右のとおり「守る会」の活動は全金本山とは無関係なものであったうえ、原告の主張する、被告が「守る会」に対し、その加入者に脱会工作をするなど様々の妨害、介入、弾圧を行ったとの点については、証人青柳充、同高成田吉彦、同菅原徹(第一回)の各証言中には、これに沿うような供述があるが、にわかに措信し難く、他に右主張を認めるに足りる証拠はなく、被告の「守る会」の活動に対する対応が、全金本山に対する不当労働行為の意思の表われであると認めることはできない。

5  昭和四六年八月の組合役員選挙と組合の分裂

同年八月七日全金本山の役員選挙が行われ、役員が大幅に変ったこと、同月末全金本山が分裂し、七五名の組合員からなる従組が結成されたこと、被告が従組に対し組合事務所、掲示板、電話を提供したこと、従組組合員の中に相沢克巳、桜井昇、高橋係長等が含まれていたこと、従組結成後全金本山を脱退し、従組に加入する者が多数いたことは、いずれも当事者間に争いがない。

右の各事実、並びに、(証拠略)によれば、前記青柳充の懲戒解雇問題を契機に全金本山内部に意見の対立が生じ、昭和四六年八月七日の役員選挙は青柳の解雇撤回闘争を支持するグループとこれに批判的なグループとの間で争われ、解雇撤回闘争を支持するグループが勝利し、渋谷拓を執行委員長、八重樫友美を書記長、中野七郎及び由良博を執行副委員長とする新執行部が誕生したこと、これに対し、選挙に敗れたグループの組合員七五名は、新執行部の運動方針は階級闘争至上主義であり、会社をいたずらに敵視するもので、このままでは労働者の生活水準や労働条件の向上は望めないばかりか、かえって会社を倒産の危機に追い込み、自らの生活を破綻させかねないものであるとし、もはや同一組織内に留まっていたのでは労働組合本来の目的を達成できないとして、同月二八日前記従組を結成し、執行委員長に相沢克巳、書記長に高橋勝郎、執行副委員長に桜井昇がそれぞれ就任したこと、被告は同月三〇日従組から突然団交の申入れを受けて従組の結成を知ったこと、被告は従組に対し組合事務所等を提供したが、これは被告が従来全金本山に供与しているのと同様の便宜を従組に対しても与えたにすぎないものであることが認められる。原告は、被告が右選挙に介入し、組合の分裂を策し、全金本山組合員に対し脱退工作を行ったと主張し、(人証略)中にはこれに沿うような供述があるが前示認定事実と対比して措信し得ず、他に右主張を認めるに足りる証拠はない。

6  昭和四六年年末一時全闘争

右年末一時金について、被告が全金本山と妥結するに先立ち、昭和四六年一一月二〇日従組と妥結したこと、その後同年一二月一八日全金本山との間で従組を二万円上回る金額で妥結したことは、いずれも当事者間に争いがない。

右の各事実、並びに、(証拠・人証略)によれば、右年末一時金に関する団交について、被告は二つの組合を同等に扱うため、奇数日には全金本山と、偶数日には従組とそれぞれ団交を行うこととし、その旨各組合に予め申し入れ、概ねこれに従って各組合と交互に団交を行い、昭和四六年一一月二〇日に従組と妥結した後は、もっぱら全金本山と交渉を重ねてきたこと、これに対し、組合分裂後従組を敵視してきた全金本山は、被告が従組と妥結するまでの間は、右団交において交渉議題である年末一時金については話し合おうとせず、もっぱら従組は労働組合ではないから従組と団交をするなという主張を繰り返し、また、被告と従組との団交会場前に人垣を組んで団交を阻止しようとしたこと、従組との妥結後は従組よりも有利な回答を求めることにのみ交渉の重点を置き、しかも、従来の団交ルールを無視して、全金本山団交メンバー以外の組合員や他社の労組員を多数団交場に入れさせ、被告側団交メンバーに対し大声で個人的な中傷や罵言雑言を浴びせ、机を叩いたり、机に土足で上がるなどして団交を混乱に陥れ、とりわけ同年一二月一七日午後二時ころから翌一八日午後二時過ぎまでの間は、二四時間余りにわたり、被告側団交メンバーに対し、右のような怒号、罵声を浴びせ、食事をする余裕すら与えず、不眠不休のまま団交を強要し、また、病気で容態の思わしくなかった被告会社の常務にも団交への出席を強要するなど、異常な事態の中で団交が行われ、結局被告は従組を二万円上回る金額で全金本山と妥結することを余儀なくされたこと、従組との一時金の妥結額は組合員一人平均能力給の五・七三六か月分に相当する約一五万一〇〇〇円であったが、右金額は、昭和四六年中期ころからの経済不況とそれに伴う被告の大幅な受注減により、九月仮決算で被告の売上額が前年同期比三四〇〇万円減、経常利益で三〇〇万円の欠損となり、双方の組合の要求に対する団交前の被告の回答額が、組合員一人平均能力給の四・八五か月分であったことなどに照らせば、低額であるとはいえないこと、さらに、従組は、被告が全金本山と従組を二万円上回る額で妥結したことを不当労働行為であると主張して宮城地労委に対し救済申立てを行い(同地労委昭和四七年(不)第一号事件)、昭和四七年一一月、被告は今後かかる差別を行わないことなどを内容とする和解が成立したことが認められる。

以上の事実に照らせば、被告が従組と妥結したことを理由に全金本山の要求を拒んだものということはできないし、被告の対応が全金本山に対する組合分裂工作の延長であるなどということはできない。

また、前掲証拠によれば、全金本山は、右妥結後も被告との対決姿勢を一向に崩さず、争議行為を再開し、昭和四七年一月四日には「会社と対決し、従組を糾弾する」旨の声明を発表し、同月二六日には職場要求と称して、各職場の管理職に対し、当該職場に関する事項のみならず、他の職場に関する事項や全社的問題等のほか、「管理職の目つきが悪いから直せ」という内容まで含む要求書を提出し、これに対し、被告が各職場に関するものは各職場で処理し、全社的な問題は団交の場で話し合うことを申し入れたが、全金本山はこれを聞き入れず、連日のように、各職場で管理職を多数で取り囲み、罵言雑言を浴びせるなどしていわゆるつるし上げを行うようになったことが認められる。

7  昭和四七年春闘

全金本山が昭和四七年三月一五日被告に対し、春闘要求として一人平均二万円の賃上げその他の事項を回答期限を同月二七日と指定して要求したこと、被告は同月二五日、全金本山と予備折衝を持ったが、その席上にエンベロール工業及び精密機器工作所の組合員が出席していたため、結局実質的な話し合いに入れず団交を打ち切ったこと、被告が同月二七日全金本山に対し、春闘要求に関する質問書を提出したこと、被告が同月二八日、全金本山に対し、奇数日を全金本山、偶数日を従組との団体交渉日とすること、相手方の都合を四八時間以前に確認し、都合が良い場合には二四時間以前に書面で申し入れること等を内容とする団交ルールに基づいて団交を行いたい旨申し入れたこと、全金本山が争議行為を行ったこと、その後被告は従組と団交をもち同年四月二四日一人当たり一万二八〇〇円の賃上げで妥結したこと、被告が同月二九日全金本山と団交をもったことは、いずれも当事者間に争いがない。

(証拠・人証略)によれば、以下の事実を認めることができる。

(一) 全金本山は、昭和四七年三月一五日、被告に対し春闘要求として一人平均二万円の賃上げその他一三項目からなる要求書を回答期限を同月二七日と指定して提出し、他方、従組は、同月一七日、被告に対し一人平均一万六一六〇円の賃上げその他八項目からなる要求書を回答期限を同月三〇日と指定して提出した。

両組合から提出された賃上げ要求は、金額に差があったばかりでなく、配分方法にも差異があり、被告がこれらにつき検討するには、各組合の組合員数や氏名等を把握して、各組合の組合員の平均賃金額や平均年齢を明らかにする必要があったが、当時両組合間で組合員の移動が激しかったこと、各組合のいずれにも属さぬ中立の者が相当数おり、これらの者もいずれかの組合に移ったりしていたこと、全金本山は組合員資格を有する被告従業員のうち除名した一〇名以外の者は全て全金本山組合員であると称していたことなどから、被告が、独自に、各組合の構成員の数、氏名等を把握するのは困難な状況にあった。また、その他の要求事項を検討するについても、各組合から説明を受ける必要のある事項が少なくなった。

(二) そこで、被告は、回答に先立って各組合と団交の機会を持ちたいと考え、まず全金本山にその旨の申し入れをし、同月二五日、同組合と団交を行った。

ところで、被告と全金本山との間では、団交に関し、開催に先立ち相互に団交メンバーを書面で通知し合い、かつ、団交の目的事項、日時、予定時間等につき打ち合わせを行い、双方の合意したところに基づいて行うという慣行が確立されており、また、全金本山が昭和四六年八月に分裂するまでは、被告と全金本山との団交にエンベロール工業及び精密機器工作所の従業員が出席するということはなかった。しかるに、昭和四七年三月二五日の団交において、全金本山はこのような従来の慣行を無視し、事前に何の連絡もせずに、突然団交メンバーとしてエンベロール工業及び精密機器工作所の労組組合員を出席させたばかりでなく、被告がこの点を質しても全金宮城地本傘下の組合員であればどの支部の所属員であろうといずれの会社の団交にも出席できる旨答えるのみで一向に要領を得ないため、被告は、前年末の年末一時金交渉のときのように到底団交とは認め難い異常な混乱状態が出現することを恐れて、当日の団交を打ち切った。これに対し、全金本山の中野副委員長や原告ら組合員一〇数名は、被告側団交メンバーを追いかけて社長室に入り込み、室内にいた二郷総務部長、宮崎生産管理部長、千葉労務課長らに対し、罵言を浴びせ、社長室入り口にピケを張って実力でこれらの者の退出を阻止するという事態が起こった。

そのため、被告は、全金本山から団交の席上で説明を受けることは無理であると判断し、同月二七日、全金本山と従組の両組合に対し、春闘要求に関する質問書を提出し、従組からは翌日これに対する回答がなされたが、全金本山の渋谷委員長は、「こんなくだらない質問書は受け取れない。」と言って、質問書の受領を拒否した。

そこで、被告は同年四月四日、全金本山からの回答のないまま、被告の判断に基づき、全従業員の平均を基準として、両組合に対して回答をした。

(三) 被告は、昭和四七年三月二八日、両組合に対し、奇数日を全金本山、偶数日を従組との団体交渉日とすること、相手方の都合を四八時間以前に確認し、都合が良い場合には二四時間以前に書面で申し入れること、団交申入れの書面には、議題、日時、場所、団交メンバー等を明記すること、被告側、組合側の出席者は原則として同数とすること等を内容とする団交ルールを提案し、これに基づいて団交を行いたい旨申し入れた。

(四) そして、被告は従組と五回の団交を重ね、昭和四七年四月二四日、一人当たり一万二八〇〇円の賃上げで妥結した。

これに対し、全金本山は、被告の再三にわたる右団交ルール遵守の申し入れを無視し、従組との団交予定日や即日就業時間中を指定して、団交の申し入れを行うなどしたため、被告がこれに応じることは到底できない状態であった。

また、全金本山は、一日に何波にもわたって波状ストをしたり、スト開始と同時或いはスト開始後に被告に通告して時限スト、指名ストを行ったりしたにとどまらず、連日にわたり管理職のいわゆるつるし上げを行い、昭和四七年四月一三日には大石次長がこれを受けている最中に卒倒し、一か月の入院を余儀なくされるという事態まで生じた。その他、全金本山は、公道上で高橋栄一課長に対し暴言を吐き、その頭上に同人を誹謗、侮辱する内容のプラカードを掲げたりもした。

被告は、昭和四七年四月二七日、全金宮城地本との間で、「団交の持ち方について」との議題で団交を行い、全金本山の三役も出席して協議した結果、従来の団交ルールが確認され、これに基づき、全金本山と、同月二九日以降、同年五月に四回、六月に四回というように団交を重ねたが、全金本山は経済問題についてはほとんど議論しようとせず、もっぱら青柳の解雇撤回要求、従組攻撃等に終始し、それも一方的に自らの主張を述べて、それが終ると勝手に退席するというような有様であった。

(五) 右のような事実に照らせば、被告が異常な混乱状態の出現を懸念して、昭和四七年三月二五日の交渉を打ち切ったのは、やむを得ないものであり、これをもって被告が正当な理由もなく団交拒否を行ったと認めることはできず、また、質問書についても、これは全金本山のみならず従組に対しても同時に提出されているうえ、右の経緯に照らせば、質問書の提出をもって被告が全金本山を敵視していたことの表われであるということもできない。

また、昭和四六年年末一時金交渉や右昭和四七年三月二五日の団交における全金本山組合員の行状に照らせば、被告が団交での混乱を避けるために、団交ルールの遵守を求めたことはやむを得ないものと認められ、前記質問書と同じく、従組に対しても同様の申し入れがなされているのであるから、団交ルールの提起が、被告の全金本山に対する挑発行為であると認めることはできない。更に、問題解決を困難ならしめているのは全金本山の方であったというべく、そこには誠実に団交を重ね、問題を解決しようとする姿勢を見出すことはできない。従って、被告が全金本山の交渉単位としての存在を全く無視する態度に終始したことを認めるに足るべき証拠はないといわなければならない。

8  ガードマンの導入

全金本山が入出荷拒否闘争を行ったこと、これに対し被告が特別防衛保障株式会社に被告会社構内の警備を依頼し、昭和四七年五月二〇日右保障会社のガードマンが被告会社に着任し、以後常時存在するようになったことは、いずれも当事者間に争いがない。

右の事実、並びに、(証拠・人証略)によれば、以下の事実を認めることができる。

(一) 全金本山は、昭和四七年四月下旬から入出荷拒否闘争と称して、被告会社の出入口や通路を封鎖し、被告の入出荷業務を実力で阻止することを始め、特に同年五月一五日以降は、全ての出入口を一日中封鎖するなどして、被告の入出荷をほぼ完全に阻止するようになった。すなわち、当初は、全金本山組合員が被告会社構内中央通路上一杯に座り込んだり、寝転んだりして二時間ないし半日にわたって自動車の通行を完全に妨害し、物品の搬出入を阻止していたのであるが、同年五月一五日以降は、被告会社の出入口に人垣、小旗、椅子等でバリケードを築いて交通を遮断し、構内道路上に横断幕、縄を張り巡らし、立看板、椅子、小旗等を林立させ、夜間は出入口に自動車を横づけして停め、全金本山組合員が車内で監視をするようになった。さらに、全金本山組合員は、ピケラインを通過しようとする被告会社、外注工場、運送会社等の自動車、並びに被告従業員(職制及び従組の組合員)等に対して、進行を妨げるためその前面に座り込んだり、寝転んだり、或いはスクラムで取り囲むなどし、時には進行中の自動車のフロントガラスに近接して旗を垂らして前方の視界を遮蔽したり、タイヤの空気を抜こうとしたり、更には運転手を車外に引きずり降ろす等の実力行使を行い、遂には、製品を隠し持っていないか調べるため、車内、鞄、身体等を捜索するまでに及んだ。

(二) その結果、昭和四七年五月一五日と一八日の両日は、来社した外注工場、運送会社等の自動車は、いずれもピケに阻止され、結局一台も構内に入れなかった。同月一六日には、早朝に被告管理職が、出入口に横付けされた自動車内で仮眠している全金本山組合員の隙をみて、ボディーの素材一個を搬入したのみで、同月一七日も、深夜被告管理職が、輸出用バルブを会社裏門から搬出したほか、従組所属の従業員らが管理職の指図を受けることなく、自主的にトラック一台を運転して正門に赴き、全金本山組合員等に対し、実力による通行阻止を中止するよう求め、バリケードを脇にどかし、トラックの周囲を囲むようにしながら徐行しつつ正門を出ようとしたところ、全金本山組合員等がこれを阻止しようとして、スクラムに体当りをしたり、原告においてはトラックのタイヤの空気を抜くようなことまでして通行を妨害しようとしたので、これらを振り切って正門を強行突破しただけであった。また、同月一九日には、彦根市から来社した青木株式会社の車が全金本山組合員との四時間余りにわたる交渉の末、ようやくバルブを出荷し得たにとどまった。

(三) そのため、生産計画は大幅に乱れて生産額は約二五パーセントもダウンし、被告は取引先から、連日納品の催促や苦情を受け、また、納品できないため代金の回収も遅れることとなった。この入出荷阻止により、被告は七〇〇〇万円を上回る損失を被ったほか、一〇〇社を越える外注工場等も極めて甚大な損失を被った。そればかりか、これにより被告の信用も大きく失墜し、大手取引先や銀行等からは、このままでは取引を中止せざるを得ないと警告を受けるに至った。

(四) 被告は全金本山に対し、このような実力をもってする入出荷阻止が違法、不当であるとして説得し、直ちにこれを解除するよう連日要請したが、全金本山はこれに一向に応じようとしなかった。そして、被告は、同年五月一七、八日ころには操業の三分の二ほどが麻痺状態に陥り、このまま実力による入出荷阻止が続けば、工場の操業は完全に停止する状態にまで立ち至った。

(五) このような事態を打開するため、被告は所轄警察に人命の保護措置に出ること等を要請したが、労使介入はできないとの理由でこれを拒否された。

そこで、被告としては、会社構内の秩序を回復し、職制及び従組組合員の生命身体への危険を排除し、その安全を確保しなければならなかったこと、右のとおり入出荷阻止がさらに数日続けば工場の操業が完全に停止することは明らかであり、そうなると金融機関からの融資も停止されることが予想され、被告はまさに倒産の危機に瀕していたこと、被告の危機は、被告に多くを依存している多数の外注工場にとっての死活問題であり、取引先への影響も深刻であったことなどから、被告は、同年五月二〇日特別防衛保障株式会社に会社構内の警備を依頼することに決した。

そして、同日右警備保障会社のガードマン約五〇名が被告会社構内に入り、全金本山組合員を排除したことにより、全金本山による入出荷阻止は解除されるに至った。

なお、(人証略)には、右ガードマン導入の際、同人や原告らはガードマンから暴行を受けた旨の供述部分があるが、これと反対趣旨の(証拠略)に照らすと、たやすく信用することはできない。

(六) 右のとおり、全金本山の行った入出荷阻止闘争が違法なものにわたるものであるうえ、そのもたらした被害も甚大であって、これを回避するために被告は全金本山に対し説得を試みたが、一向に聞き入れてもらえなかったため、会社の秩序を回復し、企業の存続を図るために、やむを得ず警備保障会社にガードマンの導入を依頼したものと認められる。このような事実経過に照らすと、被告によるガードマンの導入が、全金本山の正当な争議行為、組合活動を抑圧しようとする意図をもってなされたとか、全金本山への敵対行為の延長戦上にある悪質な組合潰しであるものということはできない。

9  ガードマン導入後の状況

原告は、ガードマン導入後、全金本山の組合活動は徹底的な暴力的制圧を受けることになったとして、いくつかの点を主張しているので、これらを中心に検討を加える。

全金本山が昭和四七年五月二三日市川総評議長らを迎えて被告会社構内で集会を持ったこと、ガードマン導入問題が国会の法務委員会、社会労働委員会において取り上げられたこと、仙台地方裁判所及び宮城地労委が原告主張のような各決定をしたこと、被告が昭和四七年一〇月二三日に警備課を新設し、前記特別防衛保障株式会社のガードマンを同課従業員として採用したことは、いずれも当事者間に争いがない。

右の各事実、並びに、(証拠・人証略)によれば、以下の事実を認めることができる。

(一) ガードマンの導入後は、全金本山組合員による管理職いわゆるつるし上げ、ステッカー貼り等は少なくなり、ストライキも若干減少したが、反面、サボタージュやいわゆるオシャカ闘争等が激しくなり、また、全金本山は外部の者を多数被告構内に連れ込んでデモや集会を行い、デモの際には管理職やガードマンに体当たりをするなどした。さらに、全金本山は、被告の取引銀行に対し、被告に融資しないよう求めたり、被告の得意先に対し被告に発注しないよう要請したりするようになった。

(二) 全金本山は、昭和四七年五月二三日、被告会社構内の中央通路で、市川総評議長ら部外者を参加させて集会を開き、ジグザグデモを行うなどした。被告ではかねてから部外者には所定の入門手続を経てから入構してもらうこととしていたばかりでなく、昭和四七年五月ころは全金本山が部外者を被告に無断で構内に導入することが少なくなかったため、部外者の構内立入を禁止する旨の掲示をしていた。しかし右集会においては、これら部外者は正規の入門手続を経ることなく、守衛等の制止を排除して会社構内に入り込み、従組組合員らの就業を妨害しながら、全金本山組合員らとともに集会やジグザグデモ等を行った。そこで、被告は、全金本山組合員らに対し、集会やデモの中止を求めた。

(三) 全金本山は、昭和四七年五月三一日、被告に無届けで、男子更衣室で組合集会を開こうとしたが、ガードマンに中止を求められてこれに応じたため、このときはなんらのトラブルも発生しなかった。ところが、集会を解散した全金本山組合員ら約二〇〇名が会社裏へ移動していた際、ガードマン一名が全金本山組合員らの集団の中に引きずり込まれて殴る、蹴るなどの暴行を受けたため、他のガードマン四、五名が救出に赴いたところ、同様に右組合員らから暴行を受けた。

(四) 被告は昭和四七年一〇月一日に人事異動を行ったが、これは機構改革が行われたことにより所属名や所属系統が変った異動が主なもので、小規模なものであったばかりでなく、勤務地の変動をともなう異動は皆無に等しかったのである。

また、被告は昭和四七年一〇月二三日警備課を新設し、前記特別防衛保障株式会社のガードマン隊長を同課課長に据えるなど被告に派遣されていたガードマンを同課従業員として採用した(同月三〇日に特別防衛保障株式会社との警備委任契約を解除するまでの間に約一六、七名を採用した。)が、これは全金本山が連日違法、不当な暴力行為を繰り返しているため、外部の警備保障会社に頼ることなく、社内の組織、人員によって自主的に構内の秩序を維持しようと考えたことに加え、昭和四五年ころから社内で火災や盗難が頻発して守衛業務の強化が必要と考えられていたこと、当時の六名の守衛は平均年齢が六六歳と高齢であったため、大幅な若返りと増員が必要とされていたこと、警備保障会社のガードマンの中に被告に採用されることを希望する者がいたこと等から警備課新設に踏み切ったものである。

(五) なお、前記昭和四七年五月二三日ガードマンらが組合員らのデモに対して襲いかかっていったことを認めるに足りる証拠はない。前掲証拠によれば、当日全金本山組合員らは、市川議長を送り出した後、被告の制止を無視してジグザグデモで被告会社構内に乱入しようとしたため、数名のガードマンが背を向けてスクラムを組み、入構を阻止しようとしたところ、全金本山組合員らはガードマンの背後からぶつかっていったということが認められる。従って、全金本山組合員がこのとき傷害を負ったとしても、自招行為といわざるを得ない。

また、前記昭和四七年五月三一日の事件の際、ガードマンらが全金本山の組合集会を襲撃したことを認めるに足りる証拠はない。

また、原告は、全金本山組合員らの行う「朝ビラ」の配布に対しても毎回組合員に対し被告の導入したガードマンが暴行を加えた旨主張し、証人青柳充の証言中にはこれに沿う部分があるが、信用し難く、他に、ガードマンが全金本山組合員に対して暴行を振ったり、正常な組合活動を実力で阻止したことを認めるに足りる証拠はない。従って、被告会社構内での全金本山の組合活動がガードマンによって完全に暴力的に禁圧されたなどということはできない。

二  原告の組合活動状況ないし被告会社における行状

1  (証拠・人証略)によれば、原告は昭和四四年五月全金本山に加入し、同組合の活動に参加してきたが、組合三役はもとより各職場の執行委員にもなったことはなかった。昭和四六年三月原告が管理二課に配転された後、青柳充に対する懲戒解雇の問題が起こり、原告も一時「守る会」に入ったが、まもなくここを脱退した。しかし、原告は、右懲戒解雇処分に対しては批判的であり、そのため当時の吉田執行部が右解雇の撤回を求めて闘おうとしなかったことに不満を抱き、同年八月の役員改選で新たに選出された解雇撤回闘争を主張する渋谷執行部を支持する立場をとった。ところが、同月末組合が分裂し、管理二課の上司、同僚も次々と全金本山を脱退して従組に入り、また、管理二課の執行委員として新たに選出された八島貞充、かつて全金本山の役員を経験した竹内完、東海林武男が配転させられたため、右職場では原告ら全金本山組合員は少数派となってしまったことが認められる。もっとも、(人証略)によれば、右三名の配転はいずれも被告の業務上の必要性からなされたものであって、組合活動とは無関係であったことが認められる。

2  (証拠・人証略)によれば、原告は昭和四六年末ころまではごく普通の従業員として勤務していたが、同年末一時金闘争のころから、勤務態度が変化し、上司の指示には従わず、職場でのミーティングの際、「こんなミーティングなんかやめてしまえ。」、「うそつきの話なんか聞きたくない。」などと暴言を吐いてミーティングを中断、混乱させ、注意する上司に対し暴行を振うなどの行動に出るようになり、見かねた全金本山組合員から制止されるという有様であったことが認められる。

3  原告は、ガードマンの脅し、暴行に耐え、暴行を受ければそのことを課長らに抗議するという不屈の行動をとっていたと主張するが、ガードマンが全金本山組合員に対し暴行を加えていないことは、前記一9のとおりである。むしろ、(証拠・人証略)によれば、原告は全金本山組合員の中でもとりわけ積極的に自らガードマンにぶつかっていきながら、「ガードマンにやられた」と騒ぎ立て、上司の調査に対しては全く協力せず、「俺を信用しないのか。」などと大声を出して職場を混乱させていたことが認められる。

第三抗弁(本件解雇の理由、経緯等)について

一  抗弁1の事実は、当事者間に争いがない。

二  抗弁2の事実(本件処分対象行為)について

1  (証拠・人証略)によれば、原告は、昭和四六年一二月末ころから昭和四七年一一月二二日までの就労日に、上司たる菅野課長その他の管理職に対し、ほとんど顔を合わせる度ごとに、「菅野の嘘つき野郎」、「能無し野郎」、「おめえの言うことは聞く必要はねえんだ」、「おめえは課長の資格はないんだから、いくら課長づらしても駄目だ」、「首を洗って待ってろよ」、「馬鹿野郎」等の暴言を加えて同人らの名誉を傷つけ、職場の秩序及び規律を乱したことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

原告は、これらの暴言は、争議行為の一環として、ガードマンによる暴行に関する抗議の過程でなされたものである旨主張するが、ガードマンによる暴行が認められないことは前記第二、一、9のとおりであるから、原告の主張は理由がない。

2  (証拠・人証略)によれば、原告は、昭和四七年一月ころから同年一一月一六日までの就労日に、上司たる菅野課長、土屋主任及び高橋係長等から、その職務の範囲に属する業務命令を受けた際、前記抗弁1の(1)、(2)の業務(コントロール・バルブの部品の管理、右各部品の水圧試験室への引渡し)のほかは一切拒否して従わず、職場の秩序を乱したことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

3  (証拠・人証略)によれば、原告は、昭和四七年五月二二日から同年一一月一〇日に至るまで前後二〇数回にわたり、別紙記載(略)のとおり業務命令に従うことなく、上司に無断で或は上司の制止を振り切ってほしいままに職場を離脱して職務を行わなかったのみならず、職場に戻った後も上司に対し暴行や暴言を加え、これらの者の業務を妨害し、職場の秩序を乱したことが認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

原告は、被告が問題としている職場離脱は通常であればなんら問題にならない雑談等であるか、争議の過程においてなされる短時間の抗議行動等にすぎない旨主張するが、前掲証拠によって認められる原告の職場離脱や上司に対する暴行、暴言はいずれも到底単なる雑談とか正当な争議行為の一環とはいい得ないものであるから、原告の主張は理由がない。

4  (証拠・人証略)によれば、原告は、昭和四七年七月三一日、就業時間中であるにもかかわらず、午前八時五五分ころから午前九時三〇分ころまでの間、業務命令に従うことなく、上司たる菅野課長及び土屋主任に無断で自己の業務を放棄し、管理二課管理室等において、菅野課長にまつわりついて、「菅野、うそつき」などと暴言を浴びせ、その業務を妨害したのみならず、素材倉庫入口前において、菅野課長に何度も体当たりをし、その際隠し持っていた鋭く先をとがらせた2Hの鉛筆で同人の左手指間部を突き刺し、これを止めようとした土屋主任に対してもその左手掌部に右鉛筆を突き刺して、菅野課長に対し全治まで数日を要する左指間部刺創の傷害を、土屋主任に対し同じく全治まで数日を要する左手掌部刺創の傷害をそれぞれ負わせ、職場の秩序を乱したことが認められる。

原告は、このトラブルのきっかけは朝のミーティングにおける土屋主任のガードマン暴力事件の調査についての不誠実な対応にある旨主張している。しかしながら、前掲証拠によれば原告が問題とするようなガードマンによる暴力事件は存しなかったうえ、原告は右傷害行為の直前は菅野課長を面罵することに終始していたのであることが認められ、また、仮に暴力事件があったとしても、前掲証拠によれば、それは同課長の所管外の事項であることが認められるから、原告が真に暴力事件の調査のことを問題としていたものでないことは明らかであり、原告の右主張は理由がない。

また、原告は、菅野課長やこの場にやって来たガードマンらによって就労を阻止され、暴行を受けて傷害を負った旨主張し、成立に争いのない(証拠略)により真正に成立したものと認められる(証拠略)にはこれに沿う部分がある。しかし、前掲証拠によれば、原告は菅野課長、土屋主任らに対し何度も体当たりを加えたため、土屋主任や高橋係長らが原告を押し止めたり抱え上げたりした。原告は駆けつけたガードマンの河島隊長に対し、同人を路上に押し倒す等の暴行を加えたことはあっても、土屋主任やガードマンらが原告に対し暴力を加えたことはなかった。また、同所に全金本山組合員が職場を離脱して多数集まり、管理職に襲いかかる気勢を示したため、ガードマン数名が全金本山組合員らに背を向けてスクラムを組んだが、原告は他の全金本山組合員とともにガードマンの背後から殴る、蹴る等の暴行を加え、スクラムを掻い潜ろうとした。そこで、二郷総務部長は、原告に対し「仕事をするなら、中に入れる。」と言って原告をスクラムの中に入れたが、原告は上司にあたる宮崎生産管理部長の指示に従わず、同人に殴りかかろうとし、そのまま指名ストに入る旨告げて職場を立ち去ったことが認められる。右の事実に照らせば、前記(証拠略)は信用することができず、原告の主張は理由がない。

5  (証拠・人証略)によれば、原告は、昭和四七年八月三一日午後三時ころから午後四時過ぎころまでの間約一時間にわたり、業務命令に従うことなくほしいままに職場を離脱し、午後四時過ぎに管理二課管理室に戻った後も職務に従事せず、管理二課素材倉庫内において、菅野課長に暴言を浴びせ続け、かつ、同人に対し、その唇を数回引っ張ったり、胸倉をつかんで小衝きまわすなどの暴行を加え、土屋主任やこれを見かねた全金本山組合員らに制止されたにもかかわらず、更に管理課長の手をつかみ、約二メートルも引きずったり、同人が業務の打ち合わせを始めようとしているそばで、暴言を浴びせたり机をたたくなどして、午後四時三〇分ころまで、自らの業務を行うことなく菅野課長の業務を妨害し続け、職場の秩序を乱したことが認められる。

原告は、職場を離れたのは当日の朝ガードマンの暴行を受けて負傷し、痛みがひどくなったからであり、また、菅野課長に対しては、右のガードマンによる暴行の件で抗議しただけであって、暴行を行ったことはない旨主張し、前記(証拠略)により真正に成立したものと認められる(証拠略)によれば、同日付けで原告が顔面打撲等の傷害を負った旨の診断がなされていることが認められ、また、(証拠略)中には右主張に沿う部分がある。しかし、前掲各証拠によれば、当日朝全金本山の支援グループのメンバー約一五名が、被告会社正門前で、出勤してくる従組組合員や一般従業員に対し、傘の先で突くなどのいやがらせをしていたため、ガードマン二名が門外に出たところ、逆に原告を含む全金本山組合員や右支援グループメンバーらに暴行された。そこで、ガードマン四、五名が駆けつけ、右ガードマン二名を救出したが、その際ガードマン四名が右支援グループメンバーに傘の先で刺されるという事件があった。そして、原告が他の全金本山組合員らと共にガードマン二名に暴行してもみ合っていた際、支援グループメンバーのヘルメットが原告の顔に当ったこと、顔面打撲について、翌日原告がガードマンの一人から、「おまえは中核派のヘルメットでやられたじゃないか。」と言われて黙ってしまうという一幕があった。また、原告は、昭和四七年八月三一日午前中にも勝手に職場を離脱し、これを注意する菅野課長や土屋主任に対して、「今朝ガードマンに暴力を振るわれた。」などと騒ぎ立て、なかなか就労しなかった。そして、原告は同日午後三時ころから再び勝手に職場を離脱したので、土屋主任らが関連箇所をくまなく探したが、原告を発見することはできなかった。原告は午後四時ころ管理二課管理室に戻ったので、菅野課長や土屋主任が問い質すと、原告は「素材倉庫の奥とか、ステンレス置場とかを回って作業していた。」などと虚偽の申し立てをしたので、土屋主任がそのようなことはあり得ない旨申し向けると、原告はやにわに「ガードマンにやられたんだ。唇が腫れ上った、痛くてめしも食えない。おまえもやってやるか。」などと騒ぎ出し、菅野課長に対し前記のとおりの暴行を加え始め、全金本山組合員の辺見政美らがこれを見かねて原告を制止したにもかかわらず、原告はなおも菅野課長に対し暴行を加えたことが認められ、かかる経緯に照らせば、原告が八月三一日朝にガードマンの暴行を受けて負傷したものとは認められない。また、原告がガードマンによる暴行の件で真摯に菅野課長に抗議したとは到底いえず、また、原告が菅野課長に対し暴行したことは明らかである。よって、前記(証拠略)は信用することができず、原告の主張は理由がない。

6  (証拠略)によれば、昭和四七年一一月六日午前八時過ぎころ、被告会社正門前に全金本山組合員やその支援者が集っていた際、訴外株式会社仙台鋳鋼所の従業員と思料される者と従組組合員である訴外富樫稔とが口論を始めたので、古座課長らがこれを止めようとして近づくと、右口論は終わったものの、全金本山組合員らが富樫を囲み、暴行しようとしたり、原告において体当たりをしようとしたため、古座課長が止めに入った。すると、原告は、古座課長に対し、「この野郎、何するんだ。余計なことをするな。」と言うやいなや、鉄板の入った安全靴で同人の右足首、右膝及び左大腿部等を蹴って、同人に全治まで一週間を要する左大腿、右膝、右下腿挫傷、右膝、右大腿擦過創等の傷害を負わせたことが認められる。

原告は、富樫と全金本山組合員とのこぜりあいがあり、そこへ駆けつけた古座課長ら管理職と従組組合員ら約二〇名が原告らを取り囲み、小衝きまわし、その際古座課長が原告を何回か蹴り飛ばしたので、原告はやむを得ず、一、二回同人を蹴り返したものであって、原告に責めはない旨主張し、(証拠略)にはこれに沿う部分があるが、前記認定の事実に照らすとこれを信用することはできず、原告の右主張は理由がない。

7(一)  (証拠略)によれば、被告の就業規則には、次のとおり定められていることが認められ、これに反する証拠はない。

(1) 四条一項 従業員はこの規則を誠実に守り、職務上の責任を重んじて業務に精励し、同僚互に扶け合い、礼儀を尊び職制に定められた上長の指揮命令に従わなくてはならない。

(2) 六条 従業員は左記の事項を守らなければならない。

<1>乃至<3>省略

<4>職務遂行に当っては会社の方針を尊重すること。

<5>会社又は上長の名誉を害し信用を傷つけるような言語動作などの行為をしない。

<6>乃至<10>省略

<11>会社の秩序、風紀を乱すような行為をしないこと。

<12>他人に暴行脅迫を加え、又はその業務を妨げるような行為をしないこと。

<13>乃至<21>省略

<22>上長の許可を受けないで、みだりに職場を離れないこと。

<23>省略

(3) 九一条 懲戒は左記の八種とし、その一又は二以上を併科する。

<1>乃至<5>省略

<6>諭旨退職 退職願を提出するよう勧告し、これを提出しないときは普通解雇とする。

<7>普通解雇 三〇日前に予告するか又は三〇日分の平均賃金を支払って解雇する。

<8>懲戒解雇 解雇の予告をしないで即時解雇する。

(4) 九三条 左記の各号の一に該当する場合は、減給、又は降転職、役付剥奪、出勤停止に処する。

但し、情状によっては譴責にとどめることがある。

<1>服務規律に違反し、その情状が重いとき、

<2>乃至<11>省略

<12>みだりに他の作業場若しくは禁止された場所に出入し又は勤務時間中みだりに自己の職場を離れたとき、

<13>、<14>省略

(5) 九四条 左記の各号の一に該当する場合は懲戒解雇に処する。

但し、情状により昇給停止、役位剥奪又は諭旨退職、若しくは普通解雇にすることがある。

<1>正当な理由なく業務命令に従わないとき、

<2>乃至<6>省略

<7>他人に暴行脅迫を加え、若しくは業務の妨害をしたとき、

<8>、<9>省略

<10>刑事上の罰によって訴追され会社の名誉信用を失墜し、若しくは会社の内外を問わず、不正不義の行為をして従業員としての体面を著しく汚したとき、ならびに無免許運転ひき逃げ、よっぱらい運転の罰により訴追されたとき、

<11>省略

<12>前条に該当し、その情状が重いとき、

<13>その他前各号に準ずる行為があったとき、

(6) 九九条一項 懲戒は懲戒審査委員会の審査を経てこれを行う。

但し、譴責処分は除く。

(二)  右就業規則に照らすと、前記1ないし6の本件処分対象行為は、次のとおり、同規則九四条の懲戒解雇事由に該当する。

(1) 前記1の行為は、四条一項、六条五号、一一号に違反し、九三条一号、九四条一二号に該当する。

(2) 前記2の行為は、四条一項、六条四号、一一号に違反し、九三条一号、九四条一二号に該当し、かつ、九四条一号に該当する。

(3) 前記3の行為は、いずれも四条一項、六条五号、一一号、一二号、二二号に違反し、九三条一号、一二号、九四条一号、七号、一二号に該当する。

(4) 前記4のうち菅野課長及び土屋主任に傷害を負わせた行為は、就業規則九四条一〇号、一三号に該当し、かつ、六条一二号に違反し、九三条一号、九四条七号、一二号に該当する。

前記4のその余の行為は、四条一項、六条五号、一一号、一二号、二二号に違反し、九三条一号、一二号、九四条一号、七号、一二号に該当する。

(5) 前記5のうち菅野課長に暴行を加えた行為は、九四条一〇号、一三号に該当し、かつ、六条一二号に違反し、九三条一号、九四条七号、一二号に該当する。

前記5のその余の行為は、四条一項、六条五号、一一号、一二号、二二号に違反し、九三条一号、一二号、九四条一号、七号、一二号に該当する。

(6) 前記6の行為は、六条一二号に違反し、九三条一号、九四条一二号に該当し、かつ、九四条七号、一〇号、一三号に該当する。

三  抗弁3の事実(本件処分対象行為以外の規律違反行為等)について

原告は、本件処分対象行為のほかにも次のとおり数々の規律違反行為や業務妨害行為を行ったことが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

1  (証拠略)によれば、原告は、昭和四七年一月二八日午後四時五〇分ころから午後五時一五分ころまでの間、管理二課管理室において菅野課長に罵声を浴びせ、席を立とうとした同人に対し、肩を上から押しつけて抵抗を排して席に座らせる等の暴行を加え職場の秩序を乱した。

2  (証拠略)によれば、原告は、同年二月八日午後二時一〇分ころから同三〇分ころまでの間、就業時間中であるにもかかわらず、上司に無断で自己の業務を放棄し、菅野課長が兼務している管理一課の事務室に赴き、同人に暴言を浴びせたのみならず、顧客から同人にかかってきた電話の受話器をとり、「今、菅野課長は取り込んでいるので、また後で電話して下さい。」と言って、同人の制止を無視して勝手に受話器を置いてしまうなどして同人の業務を妨害し、職場の秩序を乱した。

3  (証拠略)によれば、原告は、同年二月一四日午前一〇時二〇分ころから午前一一時一〇分ころまでの間、就業時間中であるにもかかわらず、上司に無断で自己の業務を放棄し、管理一課事務室に赴き、総務部営業課主任渡辺文一と打ち合わせ中の菅野課長に暴言を浴びせたのみならず、同人が右打ち合わせに使用していた書類を取り上げるなどしてその業務を妨害し、職場の秩序を乱した。

4  (証拠略)によれば、原告は、同年四月一三日、ストライキ参加中の午前一〇時三〇分ころ、来客と打ち合わせを行うため管理一課事務室から総務部事務所に向った菅野課長にまつわりつき、右総務部事務所内にまで入り込んだばかりでなく、同人の腕を両手でつかんで事務所外に引きずり出そうとし、かつ、同人がそれを振り切って来客が待つ社長室に入り扉を閉めようとしたところ、来客の面前であるにもかかわらず、扉に手をかけ無理にこじ開けようとするなどして執拗に菅野課長の業務を妨害した。

5  (証拠略)によれば、原告は、同年四月二五日、ストライキ参加中の午前九時四分ころから午前一一時三〇分ころまで及び午後一時ころから午後四時一五分ころまでの間、菅野課長に身体を密着させてつきまとい、発言一切をメモし、受話器に耳を近づけて盗聴したり、同人が用便に行くのにもつきまとうなどして嫌がらせを行い、さらに、管理一課事務室で打ち合わせ中の同人につきまとい、ついには同人が来客との打ち合わせのため総務部事務所二階の応接室へ入ったところ、同人を追いかけて同室前まで行き、同室前の廊下を足音を立てて歩き回ったり、同室の廊下に面したガラス窓に口をあてて大声を張り上げ、職務と関りのないことを騒ぎ立てるなどして同人が同室内で行っていた来客との打ち合わせを妨害した。

6  (証拠略)によれば、原告は、同年四月二七日、ストライキ参加中の午後二時ころ、管理一課事務室で菅野課長が来客と面談していたところ、来客と菅野課長との間に割って入り、来客が持っていた書類をのぞきこむなどして、来客に対し退去を促す態度を示し、その結果、来客をして用談を打ち切らしめたばかりでなく、さらに、同日午後三時ころ、同室において菅野課長が渡辺営業課主任と業務打ち合わせをしていたところ、右両名の間に身体を乗り入れて、「俺の話を聞け。」、「俺のほうが先だ。」と大声でわめき散らし、打ち合わせを実力で阻止した。

7  前記(証拠略)によれば、原告は、同年五月一二日、ストライキ参加中の午後一時四〇分ころから午後二時ころまでの間、被告会社構内中央通路上に寝そべって通路を不法占拠し交通を妨害した。

8  (証拠略)によれば、原告は、同年五月一三日、ストライキ参加中の午前九時二五分ころ、折から全金本山組合員らがSD棟と呼ばれる建物の前面階段付近で第一製造部製造一課高橋栄一課長を取り囲みいわゆるつるしあげをしていたので、菅野課長が右階段の上方よりその状況をカメラで撮影していたところ、同人の手からカメラを奪い取り、これを破損せしめたのみならず、同人の左手首に擦過傷を負わせた。

9  (証拠略)によれば、原告は、同年五月一三日、ストライキ参加中の午前一一時五〇分ころ、菅野課長が管理二課管理室において、同課課員らと執務中、同室内に入り込み、「めしだ、めしだ」と騒ぎながら自席に座り、食事を始め、菅野課長らが「スト参加者が職場に入ってきて食事をすることは止めなさい。今勤務時間中なんだ。」と注意したにもかかわらず、これを無視して食事を続け、職場の秩序を乱した。

10  (証拠略)によれば、原告は、同年一一月一〇日午後零時一五分ころ、管理二課管理室に入り、弁当をひろげて食事をしている同課課員らの机の上を土足で踏みつけたのみならず、同課課員らや土屋主任の謝罪要求に従わず、同人に対し受話器をその顔面に投げつける等の暴行を加え、職場の秩序を乱した。

11  (証拠略)によれば、原告は、同年五月二二日午前八時一〇分以降正午までの執務時間中に、手押し車に三点セットの部品等を載せて運搬する際、片足を踏み出した後しばらくしてから反対側の足を出すというやり方で、意識的にのろのろと作業を行ったばかりでなく、同年六月三〇日以降、業務に従事した際には、連日、右と同様に意識的にスローモーションでロボットのような歩行を行ったり、通常であれば運搬用具を用いて数個ずつ運搬すべき軽量小型の部品等をことさらに一個ずつのろのろと持ち運ぶなどの方法で、作業を怠りかつ遅延させた。

四  抗弁4の事実(本件解雇手続き)について

1  (証拠略)によれば、被告は、昭和四七年一一月一三日、就業規則九九条の定めるところに従い、懲戒委員会を開催し、原告の前記二の1ないし6の各行為につき、前記三の各行為をも情状として考慮しながら審査したところ、大多数の出席者から懲戒解雇を相当とする旨の意見が出されたが、原告が当時未だ二六歳の若年であったため、右委員会は、原告の将来のことを考慮し、同規則九四条但書を適用して、原告を同規則九一条六号の諭旨退職とすることを決定したことが認められ、これに反する証拠はない。

2  抗弁4(二)の事実(諭旨退職処分、普通解雇手続き等)は、当事者間に争いがない。

第四再抗弁(不当労働行為)について

前記第二記載のとおり、とりわけ青柳充の懲戒解雇問題を契機とする昭和四六年八月の組合分裂以降、全金本山と被告との間で激しい対立があったが、全金本山は正当な組合活動ないし正当な争議行為とは目し得ない数々の行為を行った。原告の主張する点を中心に、これらの活動への被告の対応について検討しても、被告に全金本山の組合活動を敵視し、これを抑圧する意図があったと認めることはできないことは前示のとおりである。さらに、原告の被告会社での行状は前記第二の二の2、3、第三の二記載のとおりであり、本件処分対象行為は、いずれも到底正当な組合活動や争議行為とは認められないものである。そして、前記第三の三記載の原告のその余の行為をも併せ考慮すれば、被告が会社秩序の維持のため、やむを得ず原告を会社から排除しようとしたものと認められ、原告に対する本件解雇が全金本山の組合活動の破壊や、同組合員に対するみせしめを図ってなされたものであるとか、原告の組合活動に対する嫌悪からなされたものであるなどということはできない。

他に、本件解雇が不当労働行為であることを認めるに足りる証拠はない。

よって、原告の再抗弁1の主張は理由がない。

第五再抗弁2(労働協約違反)について

成立に争いのない(証拠略)によれば、被告と全金本山とは、昭和四五年一一月三〇日付協定書(以下「本件協定書」という。)により、「組合員の労働条件の変更については、会社は労働組合と協議する。」旨の労働協約(以下「本件労働協約」という。)を締結したことが認められる。

そして、(証拠略)によれば、(1)被告と全金本山との昭和四五年一一月三〇日の協議では、「労働条件の基準の変更については、会社は労働組合と協議する」ということで妥結をみ、被告作成の協定書案にも「基準」の字句が入っていたが、全金本山の出席者(このときは執行委員長吉田成雄、書記長松崎茂、副執行委員長横沢尚志、同長柴惇夫の組合三役が出席していた。)から、「基準という字句を入れなくとも、労働条件の変更についてすべて協議するという趣旨でなく、労働条件の基準の変更について協議するという趣旨であることは充分わかっているし、その趣旨について後日問題になるようなことがあったときは、いつでも、われわれがその趣旨について立証するから、協定文から基準という字句を抜いてほしい。」との意見が出されたため、被告もそれを了承して前記のとおりの本件協定書が作成されたこと、(2)昭和四六年六月一五日に開催された労使懇談会の席上で、昭和四四年に締結された労災補償に関する協定の解釈が問題となったことから、その直後の話し合い(被告側からは二郷精記総務部長、千葉敬次労務課長が、全金本山側からは前記組合三役が出席した。)で、本件協定書についても後日の紛争を避けるため、その趣旨を確認する文書を作成することになり、数日後に昭和四六年六月一五日付で確認事項書(以下「本件確認事項書」という。)が作成されたこと、(3)本件確認事項の作成過程において、前記副執行委員長横沢は、前記六月一五日の労使懇談会に出席したほか、それに引き続く被告との話し合いにも出席し、協定の趣旨を確認する文書を作成するという方法を提案するなどし、確認事項書を被告に差し入れることについて審議した同月二二日の組合の執行委員会にも出席し、更に組合三役による確認事項書の文案の検討にも加わるなど、本件確認事項書の作成に深く関与していたこと、(4)本件協定書が締結された後に行われた配置転換に際しても、本人に内示しただけで発令しており、この点について全金本山からはなんらの異議もできなかったこと、(5)全金本山は被告に対し、昭和四五年一〇月九日付要求書により、「会社は全ての従業員の解雇、配転、及び工場の増改築等の一切の労働条件の変更については、その都度、組合と協議の上、実施すること」を要望したが、結局本件協定書のような文言の協定しか締結されず、この点について当時の全金本山の執行部は、「労働条件の変更に関しては、会社の抵抗が強く、人事・配転の事前協議制がとれず、個々の労働条件の変更に対する歯止めができなかった。」と報告し、これが昭和四六年八月七日開催の全金本山の組合定期大会で承認されたこと、(6)同年一一月に全金本山内部で本件確認事項書の作成経緯が問題となった際、前記松崎、横沢及び長柴の三名は、連名で従組の掲示板にこの点についての声明文を貼り出したが、右声明文は松崎が原案を作成し、横沢がこれに手を加えてできあがったものであること、以上の事実を認めることができ、これらの事実に照らせば、本件労働協約は解雇等個々の組合員の労働条件の変更について定めたものではなく、労働条件の基準の変更についての事前協議制を定めたものと認められる。

なお、(証拠略)によれば、横沢は仙台地裁昭和四六年(ワ)第六七三号事件(青柳事件)及び中労委昭和四八年(不再)第二四号事件の各証人尋問や陳述書で、本件協定書は組合員個々の労働条件についての事前協議制を定めたものであり、本件確認事項書の原本を見たこともなければ、昭和四六年六月一五日に開催された労使懇談会の席上で確認事項書のことが問題となったことも、執行委員会でこの点について審議したこともない旨述べ、青柳も陳述書で、本件協定書は解雇、配転等組合員個々の労働条件についての事前協議制を定めたものである旨述べているほか、全金本山は昭和四六年一一月一〇日付の被告宛通告書で、前記確認事項書についてこれまで全金本山においてはなんらの機関決定も経ていない旨述べているが、これらはさきに認定した事実に照らし措信することができず、他に本件労働協約が個々の組合員の労働条件の変更について、被告と全金本山とで事前に協議すべきことを定めたものであることを認めるに足りる証拠はない。

よって、原告の再抗弁2の主張は理由がない。

第六再抗弁3(解雇の濫用)について

前記第二、第三記載のとおり、本件解雇当時被告と全金本山とは対立の渦中にあったが、本件解雇の原因となった原告の本件処分対象行為は、いずれも到底正当な組合活動とは評価し得ないものであったばかりでなく、就業規則に違反したものであった。これに加えて、原告は本件処分対象行為以外にも日常的に規律違反行為や業務妨害行為を行っていたことに鑑みれば、企業秩序の維持と会社業務の円滑な遂行のため、被告が原告を会社から排除することを決意したのは相当であったということができる。これに対して全金本山の組合活動を圧殺するため本件解雇がなされたなどと認めることはできないことは前述のとおりである。そして、原告のかかる行為に対し、被告は原告の将来を考慮して懲戒解雇とせず、より軽い諭旨退職処分としたこと、その手続きにもなんら瑕疵がなかったことなどに照らせば、本件解雇が解雇権の濫用にあたるものということはできない。他に本件解雇権を濫用してなされたものであることを認めるに足りる証拠はない。

よって、原告の再抗弁3の主張は理由がない。

第七結論

以上の次第であるから、本件解雇は有効であり、原告と被告との間の雇用関係は昭和四七年一一月二四日をもって終了したものであるから、右当事者間の雇用関係の存在確認と右期日より後の賃料支払いを求める原告の本訴請求はいずれも理由がないのでこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 磯部喬 裁判官遠藤きみ、同石井浩は、転勤のため署名捺印することができない。裁判長裁判官 磯部喬)

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