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仙台地方裁判所 昭和45年(ワ)366号 判決

原告 大黒きよ

被告 国家公務員共済組合連合会

訴訟代理人 真鍋薫 外四名

主文

一  原告が被告直営の東北公済病院の看護婦であることを確認する。

二  被告は原告に対し看護婦としての職務に従事させなければならない。

三  被告は原告に対し金一九三万九、六一一円および内金一三四万三、八一一円に対する昭和四五年五月一六日から、内金五九万五、八〇〇円に対する昭和四七年三月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

四  原告のその余の請求を棄却する。

五  訴訟費用はこれを三分し、その一を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  主文第一項同旨、

2  主文第二項同旨、

3  被告は原告に対し、金四五九万〇、三九〇円および内金三八八万〇、一四四円に対する昭和四五年五月一六日から、内金七一万〇、二四六円に対する昭和四七年三月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

4  被告は原告に対し、昭和四七年三月以降毎月二一日限り本俸として金九万五、九〇〇円を支払え。

5  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決ならびに3項につき仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

との判決ならびに担保を条件とする仮執行免脱の宣言

第二原告の主張

一  請求原因

1  被告は国家公務員全済組合連合会東北公済病院(以下公済病院という)を直営し原告は昭和二六年三月一日公済病院に看護婦として雇傭され、以来引き続き同病院に勤務しているものであるが、その間、被告は

(一) 原告を昭和三四年四月三〇日看護婦職から労務職に転換して、即日洗濯場勤務に配置し、次いで、同四五年二月一日以降は供用課(レントゲン室の雑務)勤務に配置して今日に至り、また、

(二) 昭和三〇年四月以降原告の昇給を停止し、同三四年九月以降は看護婦としての給与を支給せずに、労務職の給与を支給して今日に至つている、ものである。

2  原告の看護婦としての経歴及び公済病院における職歴は次のとおりである。

(一)看護婦の経歴

(1)  昭和一三年六月四日看護婦免許を受け、直ちに東北大学医学部附属病院に勤務、

(2)  同一四年四月一二日仙台簡易保険支局簡易保険相談所に勤務、

(3)  同一九年九月一日日本医療団富沢病院、同志津川病院に勤務、

(4)  同二三年六月一五日東北大学医学部附属病院に勤務、

(5)  同二六年三月一日公済病院に勤務して現在に至る。

(二) 公務病院における職歴

(1)  昭和二六年三月一日公済病院の開院に伴い院長角田和一に選ばれて初代看護婦長に就た。

(2)  同三〇年三月末、看護婦長の職務を解かれ、一般看護婦として中央消毒室に勤務を命ぜられ、以後約四年間に亘り各科外来の職場に勤務した。

(3)  同三四年四月三〇日看護婦職から労務職に転換のうえ、洗濯場勤務に配置さる。

(4)  同四五年二月一日供用課(レントゲン室の雑務)勤務に配置されて現在に至つて いる。

3  被告の労働契約違反は次のとおりである。

(一) 原告は前記のごとく看護婦の資格を有し、被告との労働契約は公済病院の看護婦職に従事することを内容として締結されたものである。

(二) 然るに、被告は原告に何等の理由も示すことなく、原告を労務職に転換して看護婦の職務外の仕事に属する洗濯場に勤務させ、次いでレントゲン室の雑務勤務に配置し、また、原告の昇給を停止したばかりではなく、昭和三四年九月以降は労務職の給与を支給している。

(三) 被告のかかる所為は、労働契約に違反する無効なものであり、被告が原告を看護婦としてその職に就かさせず、看護婦職の給与を支給しないことは債務不履行と言うべきである。

(四) 従つて、被告は原告を看護婦としての職務に就かしめると共に、右の債務不履行により原告に与えた損害を賠償すべき責任がある。

4  損害額は次のとおりである。

(一) 給与の差額による損害額は金三〇九万〇、三九〇円

右は昭和三〇年四月から同四七年二月までの間に、原告が看護婦として当然支給を受けた筈の〈別表省略〉の給与総額(本俸及び一時金を含む)金一、一二六万七、二九四円から原告が現実に支給を受けた〈別表省略〉給与総額(同上)金八一七万六、九〇四円を控除した差額であつて、原告の蒙つた積極的損害額である。

(二) 慰籍料は金一五〇万円

右は被告の違法な配置転換により原告が死にまさる屈辱を受けたことに因り蒙つた精神的苦痛に対する慰籍料である。

(三) なお、被告の原告に対する労務職転換は無効であるから、原告は依然として公済病院の看護婦の職にあるにも拘らず、被告は原告の地位を争い、着護婦職の給与を現に支払わず、将来も支払わない虞れがあるので、被告に対し〈別表省略〉昭和四七年二月現在における給与月額金九万五、九〇〇円を同年三月以降給与支払日たる毎月二一日限り支払うことを予め求める。

よつて、原告は被告に対し、原告が公済病院の看護婦であることの確認と看護婦の職務に従事させること、ならびに前記損害額合計金四五九万〇、三九〇円及び内金三八八万〇、一四四円(給与差額による損害額のうち昭和三〇年四月から同四五年三月までの給与差額と慰籍料)に対する訴状送達の翌日たる昭和四五年五月一六日から、内金七一万〇、二四六円(同上損害額のうち同四五年四月から同四七年二月までの給与差額)に対する同四七年三月一日から、いずれも支払済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金並びに同四七年三月以降毎月一二日限り本俸として金九万五、九〇〇円の支払を求める。

二  被告の後記主張に対する認否及び反論

1  1の(一)について

全部争う。

原告は、請求原因3の(一)で述べたように、公済病院の看護婦職に従事することを内容として被告との間に労働契約を締結したのであるから被告が勝手に原告の職種を変更して労務職に転換することは契約に違反する。この点につき被告は職種が特定されている場合に、労働者の同意がなくとも、使用者が一方的に職種変更権を有するがごとき見解を示しているが、かかる見解は、使用者の意思を労働者の意思に優先させるものであつて、労使対等の原則に照らして不当と言うべきである。

2  1の(二)について

原告が労務職転換に同意したとの点は否認する。

(1)  看護婦長の解職について、

看護婦長の職責が被告主張のとおりであり、原告が昭和三〇年一月三一日看護婦長の職を解かれたことは認めるが、その余は総て否認する。

(イ) 原告は医師、係官、看護婦らと、被告主張のごとき争いを起したことはないが、看護婦らから誤解を受けたことがある。即ち公済病院開設当時は看護婦一般の風紀が乱れており、内数名の者は隠密裡に夜間いかがわしい酒場などのホステスとしてアルバイトしていることが判明したので、原告は婦長の立場上これを座視することができず、それらの者に対し身を慎しみ看護婦としての衿度を保つように説論したところ、それらの者は却つて逆に原告を恨み他の看護婦らに原告を中傷し、或いは他の看護婦らを煽動して原告を疎外せんと策動したため、原告は種々の誤解を受け、偏見をもつてみられたことがあつた。

(ロ) また完全看護制度の問題については、それを採用することの望ましいことは言うまでもないところであつて原告自身もその必要性を十分認識していたのであるが、当時は病院自体がその制度採用の方針を樹てていたものではなく病院の内情も看護婦が一〇名程度で、寝具その他の物的設備を充足させる予算もなかつたから、完全看護の実施は不可能な状態にあつたものである。宮崎病長もこのことを十分承知していたから、廊下で一、二度原告に対し完全看護制度の噂話をした程度で、特に原告に対して完全着護制度の採用計画準備及びその実行について指示するところはなかつたのである。

(ハ) そもそも、原告は長年看護婦として東北大学医学部附属病院において指導を受けてきた同学部の教授中沢房吉の推薦により公済病院に看護婦長として赴任したものであり、原告の性格、能力、力量が右附属病院において十分認識されていたればこそ、被告も無条件で原告を公済病院の看護婦長として採用したのである。されば、原告もこれに応えて公済病院の創設に力を尽し一般看護婦の監督と看護婦業務に精励してきたにも拘らず、被告は何等の理由も示さずに、原告の婦長職を解いたのである。

(2)  看護婦としての適格性について、

原告が中央消毒室に勤務中吉田外科に数回化膿事故が発生したことは認める、医局会議の開催は不知、その余は否認する。

(イ) 原告が中央消毒室勤務となつた当時は、それが新設されたばかりであつて、建物は物置小屋同然、床は土間、部屋自体は湿気が多く消毒中に常に水滴等が落ちてくる始末であり、物的設備も不完全極りなく、素人目にも消毒室とは名ばかりの極めて不潔な場所であつたから、化膿事故は病院側の消毒管理の怠慢に基づくものである。化膿事故が右の程度で終つたことは寧ろ原告の力量を示すものと言うべきである。

(ロ) 被告は原告の看護婦としての適格性の欠如を強調しているけれども、然らざることは原告が昭和三七年三月五日に公済病院から、また同三九年一〇月一日には被告からいずれも職務に精励したとの理由で表彰されている事実に照らして明らかである。

(ハ) 以上述べたごとく、原告には婦長ないし一般看護婦としての適格性に何等欠くるところがないのである。

(3)  労務職転換について

(イ) 原告は洗濯場勤務を命ぜられた際に、それが看護婦以外の職種であることに異議を唱えて抗議したのであるが、それ以上命令を拒否すれば解雇の口実とされることを虞れて、異議をとどめて一応洗濯場業務に従事したのである。さればこそ原告は現在に至るまで看護婦の制服である白衣を着用して労務職に就き、また週一回の院長回診の際は、直接院長に対して労務職転換の不当を訴え、看護婦業務に従事させるように要求してきたから、院長も原告の意のあるところを諒として、その都度考えておくと回答していたものであつて財務局から派遣されてきた監査官に対しても院長は洗濯場に看護婦を置いているのは消毒業務があるためであると説明しているのである。

(ロ) しかも、原告が洗濯場勤務を命ぜられた際は、それが労務職であることにつき、被告は何等の意思表示もせず、昭和四五年二月二一日に至つて初めて労務職としての供用課勤務の辞令を示したに過ぎない(この辞令は返上した)。

(ハ) 他面、被告は原告を洗濯場勤務を命じた頃から(昭和三四年五月頃から)病院の事務長小梨貞夫を介して原告に退職を強要し、特に同三四年六月一二日には院長室において、院長佐野保、副院長吉田信夫、事務長小梨貞夫は原告に対し退職願を提出せよと強迫した。

(ニ) 原告は、被告の前記のごとき不当な措置を撤回させるべく、労働基準監督署仙台法務局無料法律相談所等を尋ねて訴えたが、いずれも原告に同情し、協力する態度を示してくれたものの、現実に取上げて活動してくれたものはなかつた。

(ホ) 原告は昭和四〇年一月国家公務員共済組合連合会労働組合東北公済病院支部(結成昭和三七年一二月)に加盟し、爾来組合を通じて労務職転換の撤回を要求し続けてきたが、被告が誠意を示さないため解決せずに今日に至つたものである。

3  1の(三)について

全部争う。

(1)  被告の原告に対する労務職転換が無効である以上、原告は何時でもその無効を主張することができるのであるから、転換後一〇年余の日時を経過したとの一事をもつて、原告が転換を黙示的に同意したものと擬制することは許されない。しかも、その間原告が転換の不当を訴え続けてきたことは先に述べたとおりである。

(2)  右と同じ理由で、本訴提起は信義則(若くは権利失効の原則)に反するものではない。

第三被告の主張

一  請求原因に対する答弁

第1項は認める。

第2項中

(一)の(1) ないし(4) は不知、(5) は認める。

(二)は認める。但し原告が看護婦長を解かれたのは昭和三〇年一月三一日である。

第3項中

(一)のうち、雇傭契約の内容は否認する、その余は認める。

(二)のうち、被告が何等の理由も示さず原告を労務職に転換した

との点は否認する、その余は認める。

(三)、(四)はいずれも否認する。

第4項は否認する。

特に(三)の将来の給付を認める必要性はない。

二  主張

1  労務職転換は有効である。

(一) 配置転換は、使用者の専権裁量に属するところであるから、本件労務職転換は有効である。

労働契約は、労働者がその労働力の使用を包括的に使用者に委ねることを内容とし、使用者は労働者が給付すべき労働の態様を決定する権限を有しているから、使用者が業務の都合により労働者に配置転換を命ずることは使用者の専権裁量に属するところであつて、使用者が労働者の意に反して転換を命じたからと言つてそれが労働契約の違反となるものではない。

(二) 右の主張が容れられたいとしても、本件労務職転換には、原告の明示の同意を得ているから有効である。

原告が労務職転換を同意するに至つた経過は次のとおりである。

(1)  看護婦長解職の経過

(イ) 原告は看護婦長として、看護婦間の協和、協調を保つて看護婦がその職務を十分に果せるように指揮、監督すべき職責があるにも拘らず、他の看護婦を不当に中傷したり、自ら他の看護婦と口論するなどして絶えず紛争を起し、また看護婦が建設的な意見を述べるようなことがあつてもこれに取り合わないだけではなく、却つてかかる看護婦を敵対視する態度に出でたため、昭和二九年夏ごろ原告を除く全看護婦一〇名が宮崎院長に対し「このような婦長の下では働くことができないから婦長を替えてほしい」旨の要望書を提出するに至つた。

(ロ) また、原告は医師との協調も欠いていたので、すべての医師から毛嫌されていたのみならず、目に余るような患者の差別扱いをしたため、監督官庁の係官から注意されたところ、その係官とも口論する始末であつた。

(ハ) 完全看護制度の採用が普及するに伴い、公済病院も近代的な病院として発展していくためには、この制度を是非とも採用する必要があり、その制度の採用に必要な準備や計画は婦長の職務とするところであつたから院長は原告に対し再三に亘つてその手続を進めるよう指示したのであるが原告はこれに応じようともせず、ただ旧来のやり方を固執するのみで、新しい制度に切り替えようとしなかつた。のみならず、原告は県や中央保健所における看護に関する指導監督の講習を受けた際、指導官の指摘した事項に対し、感情的かつ独断的な言辞を用いて指導官と口論したため、県及び中央保健所の各監査官は原告が婦長でいる限り公済病院には完全看護の許可はできない旨を明言するに至り、完全看護制度の採用に腐心していた病院関係者を痛く困惑させた。

(ニ) 原告の言動、態度が以上のような次第であつたから、病院管理者は原告に対し再三注意を与えてきたが、改めようとしなかつたので、婦長としての再教育を受けることによつて原告に婦長としての職責を果す能力を得せしめようと考え研修を受けるよう勧めたけれども原告はそのような研修は自分には不必要であると拒否した。

(ホ) このように原告には婦長として最も要求されるべき看護婦の指導統制の能力及び時勢に対応して事務を処理しようとする能力が全くなく、しかもその改善の見込みもなかつたので、院長は原告に対し退職を求めたのであるが原告はこれに応じなかつた。

(ヘ) そこで病院管理者の間で原告の処遇について種々協議した結果、このままでは完全看護制度の採用はおろか、現在の看護体制の維持さえ困難となるので、やむなく、原告の婦長の職を解き中央消毒室を新設して原告をそこに配置することに決定した。

かくて、副院長吉田信夫が院長宮崎敏の命により口頭をもつてその旨を原告に伝え、そして、昭和三〇年一月三一日右の決定どおり実施し、新看護婦長に渋口恵子を迎えたのである。

ちなみに、渋口婦長になつてから間もなく公済病院も完全看護制の許可を受け、看護婦数もふえて、公済病院は近代的な病院への一つの脱皮を遂げたのである。

(2)  看護婦としての適格性の欠如

(イ) 原告は昭和三〇年二月以降一般の看護婦として中央消毒室勤務となつたがここでも医師や他の看護婦との間に最少限必要な協力関係を保つことができなかつた。即ち、原告が中央消毒室勤務となつた直後に外科、耳鼻科において手術後等に化膿する事例が頻発したので、その原因を究明するため原告にも協力を要請したところ、原告は手術者の技術を非難して全く非協力的な態度に出た。そのため原告の行なう消毒に対し医師や看護婦が不信感をもつに至り、診療各科との人間関係がますます悪くなり、器具等の消毒はいつの間にか従前通り各科において行なうような始末で、折角中央消毒室を新設した意味がなくなつてしまつた。

(ロ) そのため、原告を中央消毒室から他の職場に配置換えせざるをえなくたり以来原告は昭和三四年四月洗濯場勤務となるまでの間、手術場、耳鼻科外来、歯科外来と職場を変えたのであるが、その理由は原告がどの職場においても医師や看護婦と協調できずに絶えず紛争を醸したので、看護婦の主任達は原告を自己のグループに加えることを固く拒み、また、人目もかまわず診療室に自分の洗濯物を干したり、医師の介助を怠つて医師の指示に従わないことが度々であつたから医師も誰れ一人として原告を引受けようとするものもなく、加ふるに患者に対して病院の悪口を言いふらしたり、揚句の果ては患者と言い争つたりしたから患者からも苦情が出たためである。

(ハ)右のように、医師や看護婦達と異常なまでに協調することができず、チームを組んでその一員として働くことがどうしてもできない原告の特異な性格は常にチームワークで医療に当らたければならない病院看護婦としては適格性を欠くものと言わざるを得ないし、また度々患者と言い争つたり、患者に病院の信用を失墜させるようなことを言いふらし、或いは患者を差別扱いしたり、医師の介助を怠るなど、原告の看護婦としての勤務ぶりは常識では解し得ない程に著しく劣悪であり、しかも改善の見込みがなかつた。

かかる実情であつたから、院内ではもはや原告を看護婦として使用する職場がないので、院長は原告に対して退職を勤めたが、原告はこれに応じなかつた。

(ニ) そこで病院では医局会議を開いて原告の処遇を協議した結果「院内では原告を看護婦として勤務させることができないから退職さすべきであり、原告がどうしても退職しなければ看護婦の業務外で、しかも患者らと接触することのない家政部門(洗濯、清掃等)に勤務させる」ことに一致した。

(3)  原告の要望による洗濯場勤務

(イ) 右の協議に基づき病院管理者が原告に対し「当病院内には看護婦として働くところがないから辞めてほしい」と述べたところ、原告から「どのような仕事でもよいから病院において働かせてほしい」と強く要望されたので原告を洗濯場勤務としたのである。

(ロ) 元来、原告の前記言動は、連合会人事規程第一〇条第五号に該当することが明白であるから、被告としては、原告を解雇することもできたのであるが、看護婦としての適格を欠く等の理由で解雇することは、原告の将来にかかわる問題でもあるのでこれを避けたいという考えから前記のように原告に退職を求めたところ、原告から「どんな仕事でもよいからこの病院において働かせてほしい」との強い希望が明確に述べられたので、前記のように洗濯場勤務としたものであつて、右の配置転換は被告の一方的な意思によるものではたく、原告の希望によるものであり、もとより原告はこれに対し何らの異議もとどめずに同意したのである。

(三) 仮に原告の明示の同意がなかつたとしても

(1)  原告は配置転換以来一〇年余に亘つて平穏に、看護婦業務外の洗濯場勤務に従事してきた事実に照らし、原告の黙示の同意があつたものと言うべきである。また、労働契約は労働者がその労働力の使用を包括的に使用者に委ねることを内容とし、使用者は労働者が給付すべき労働の態様を決定する権限を有しているから使用者が業務の都合により労働者に配置転換を命ずることは使用者の専権裁量に属するところであつて、使用者が労働者の意に反して転換を命じたからといつてそれが労働契約違反となるものではない。

(2)  以上述べてきたような事情のもとに長期間に亘つて平穏に労務職に従事してきたものが、現在に至つて転換の無効を主張することは、消滅時効制度の趣旨に照らして許されないものであること明らかであり、また信頼関係を基調とする労働契約の趣旨からしても信義則ないし権利失効の原則に反することが明らかである。

2  被告には損害賠償責任がない。

(一) 原告は洗濯場勤務以来労務職としての労務を提供しているものであり、被告もこれに相応する給与を支給しているのであるから原告主張の賠償責任は発生する余地がない。

(二) 定期昇給は使用者の昇給発令をまつて昇給すべきものなるところ、被告は原告に対してその主張のごとき定期昇給を発令したことがない。従つて一定の期間を経過すれば当然に昇給するとの前提に立つて増額給与を算出し、それを基準とする原告の損害

賠償請求は失当である。

3  原告の前記反論に対する認否

(一) 原告が二回に亘り表彰されたことは認める(第二の二、2(2) (ロ)参照)。

但し右は永年勤続者としてのそれである。

(二) 労働組合から原告の労務職転換の撤回要求のあつたことは認める(同上2(3) の(ホ)参照)。

(三) 前二項以外の事実で被告の従前の主張に反する部分は総て否認する。

第四証拠関係〈省略〉

理由

被告が公済病院を直営していること、原告が看護婦の資格を有し、昭和二六年三月一日公済病院に看護婦として雇傭され、以来引き続き同病院に勤務していること、そしてその間、原告は公済病院の初代看護婦長に任ぜられたが、昭和三〇年三一日その職を解かれ、その後は一般の看護婦として中央消毒室、手術場、各科外来等の職場を転々と配置替を命ぜらて勤務してきたところ、被告が

(一)原告を昭和三四年四月三〇日看護婦職から労務職に転換して即日洗濯場勤務を命じ次いで、同四五年二月一日以降は供用課動務(レントゲン室の雑務に従事)に配置して今日に至つていること、他面、

(二)  同三〇年四月以降は原告の昇給を停止し、同三四年九月以降は、看護婦としての給与を支給せずに労務職の給与を支給して現在に及んでいること、は当事者間に争いがない。

第一、労務職転換の適否

一  一般に使用者が労働者を配置転換して従前と異なる労働の提供を命ずることが、当初の労働契約の変更に当る場合には右配置転換について改めて労働者の同意が必要であり、右の同意を欠いた使用者の一方的な配置転換命令は効力を有

しないと解するのが相当であつて、配置転換が使用者の専権裁量に属する旨の被告の主張は採用することができない。

してみると、本件の場合、被告は前示のごとく看護婦の資格を有する原告を看護婦として雇傭し看護婦職に就かしめてきたのであるから、これを看護婦以外の労務職に配置転換することは労働契約を変更するものであつて、原告の同意なくして一方的命令によつてはこれを行ない得ないものと言うべきである。

二  そこで看護婦職から労務職に転換し右洗濯場勤務に配置されたことにつき原告の明示の同意があつたか否かについて検討してみる。

1 看護婦長から洗濯場勤務となるまでの経過

〈証拠省略〉を総合すると、

(一) 原告は前示のように昭和二六年三月公済病院に初代看護婦長として勤務したのであるが、一般看護婦に対する監督が厳格に過ぎたことと、看護婦らが執務について意見を述べてもこれを聞こうともしなかつたことなどから看護婦らと著るしく協調性を欠くに至り、ために同二九年夏ごろ原告を除く全看護婦一〇名が連名をもつて当時の院長宮崎敏(昭和二六年五月から同三三年九月まで院長在任)宛に「原告のような婦長の下では働くことができないから婦長を辞めさせて貰い度い」旨の要望書を提出し、またその頃原告は内科の医師と口論して物議を醸したほか、患者に対する態度にも公平を欠く点があつたこと(例えば或る患者に対しては婦長室で茶を供し、他の或る患者は叱りつけるなど)、さらに昭和二九年当時は完全看護制度が採用され始めたころで、公病院においてもこれを採用しようという機運にあつたから、院長が原告に対してこの制度を採用している他の病院を見学してくるように勧めても、原告はこれを断りこの制度に対して消極的であつたことなどが重たつたため、宮崎院長は原告に婦長としての資格なしと断定し、公済病院の他の管理者や医局の意見も聴したうえ、前示のごとく同三〇年一月三一日原告の婦長職を解き、新たに中央消毒室を設けて、そこに原告を配置したこと。

(二) 中央消毒室は各科の医療器具等を集めて消毒するところであるが、原告は各科から消毒を依頼に来る看護婦らとの折合が悪く、また、そのころ外科で手術後化膿する事件が増えたので、その原因調査のため原告にも協力を依頼したが、原告が非協力的であつたため、各科との協調、信頼関係が次第に薄れ、各科がそれぞれ自己のところで従前どおり消毒をするようになり、中央消毒室を新設した意味が失われてしまい、同三三年五月これを中止するの已むなきに至り、ために原告は手術場に配置転換され、次いで同年八月頃に耳鼻科へ、同年九月頃に歯科へと順次職場を移り換わつたがいずれの職場でも他の看護婦や医師との折合が悪かつたこと。

(三) かくするうち、同三四年四月頃公済病院の新館が完成し、全員旧館から新館へ移転したのであるが、その時以来同病院は総合病院として発足することとなり従前の医師七名は一四名に、看護婦は一四名から五〇名に増員され、病床も五〇床から二〇〇床に増加し、それに伴い看護婦の配置転換が行なわれたのであるが、原告の所属している歯科の医師からこの際原告を配置換えして貰い度いとの要求が出された。そこで看護婦長及び看護婦の主任八名で構成されている主任会議でこれを協議したところ、誰れ一人として原告を自己の傘下に引取ろうとする者がなく、却つて積極的に原告とチームを組むことを拒否するに至つたので当時の院長佐野保(昭和三三年九月から同四四年四月まで院長在任)は各科の医師全員で構成されている医局会議において主任会議の協議結果を述べたうえ、看護婦としての原告の処遇をはかつたところ「この際、原告を退職させるべきであり、もし退職しないときは看護婦以外の職である家政部門(洗濯場勤務)に配置換えすべきである」という趣旨の結論に達した。そこで副院長吉田信夫(昭和二六年三月以降現在まで副院長在任)は院長の命により直ちに原告に対し、当病院ではもはや原告を看護婦として働かす職場がないので退職され度き旨及びそれが嫌なら家政部門(洗濯場、清揚係等の雑役従事)で働いて貰い度き旨を申向けたこと。が認められ、原告本人尋問の結果中、右認定に反する部分は信用しがたく、ほかに右認定を覆えすに足りる証拠がなく、そして被告が昭和三四年四月三〇日原告を看護婦職から労務職に転換したうえ、洗濯場に配置し、爾来原告が洗濯場において就労するに至つたことは先に述べたとおりである。

2 洗濯場に配置転換されることに対する原告の同意の有無

〈証拠省略〉には原告を洗濯場に配置したのは同人の同意を得て為された旨の記載及び証言がある。けれども凡そ看護婦の資格を有し現にその職にあるものが、看護婦以外の労務職への配置換えにたやすく同意するというようなことは通常ありえないところ、〈証拠省略〉及び原告本人尋問の結果を併せ考察すると、原告は吉田副院長から、当病院ではもはや原告を看護婦として働かす職場がないので退職され度き旨及びそれが嫌なら家政部門で働いて貰い度き旨を申向けられた際、診療部門で看護婦として働かして貰い度き旨を要請したのであるが、その要請が受入れられないと知るや、これ以上右の要請を固執し、或いは洗濯場勤務を拒否すれば解雇されること必定と考え(その考えは、副院長の右言葉が退職か洗濯場勤務かの二者択一を意味していることから推して当然の判断である)已むなく「仕方がありません」と答えて洗濯場に赴くこととしたものの、被告の右措置に対して抗議すべく右接衝の直後たる同三四年四月中旬頃配置転換の不当を訴え、これが救済方を求めて労働基準監督署や労政事務所に赴き、特に労政事務所においては非公式ではあるが事情調査やあつせんを行なつていること、そして他面原告は洗濯場に勤務するようになつても引続き看護婦の制服とされている白衣(それが官給品であるか否か現に公済病院で使用しているものであるか否かは問うところではない)を着用して無言の抗議を続けその間佐野院長の回診に会しては幾度か看護婦職への復帰を訴え、また、昭和四〇年一月国家公務員共済組合連合会労働組合東北公済病院支部(結成昭和三七年一二月)に加盟してからは同組合を通じて労務職転換の撤回を要求し続けて今日に至つていることが認められるところである。してみると、原告が洗濯場転換について「仕方がありません」と返答したのは原告が解雇を恐れるの余り、解雇されることを避けるため已むなく為した返答であること明らかであり、このことは病院の管理者側も、原告に申向けた前示言葉の意味自体から推して、原告にとつて致命的な解雇と言う重圧のもとで右の返答が為され、それが原告の本心でないことは十分に知悉していたものと推認するに難くないところであるから、右の返答をもつて原告が右の配置転換に真実同意したものとは認めがたい。されば、原告が配置転換に真実同意した旨の前示記載及び証言は信用しがたく、ほかにこの点に関する被告の主張事実を認めるに足りる的確な証拠はない。

三  次に、前示配置転換に対する原告の黙示の同意の有無、信義則違反ないし権利失効の原則の成否について考察してみる。

原告が洗濯場勤務を命ぜられて以来、被告の措置に抗議して今日に及んでいることは前項の2において述べたとおりであるから、原告が一〇余年間にわたり継続して洗濯場勤務に従事したとの一事のみでは右配置転換について原告の黙示の同意があつたものとは認め難く、また、信義則違反や権利失効の原則に該当するとも解し難く、ほかにこの点に関する被告の主張を認めるに足りる適切な証拠はない。

以上のような次第で、前示配置転換は原、被告間の労働契約に違反し無効であるから、原告はいまなお公済病院の看護婦の職にあるものというべく、被告は原告を看護婦の職務に従事させるとともに、右配置転換によつて原告が蒙つた損害を賠償すべき義務がある。

第二賠償額の認定

一  原告が昭和三〇年四月から同三四年九月まで昇給を停止されたことは先に述べたとおりであり、〈証拠省略〉によれば、原告が昇給を停止されたのは看護婦としての執務成績が良くなかつたことに基因するものと認められるところ前示第一の二1(二)に認定した事情に鑑みれば、昇給を停止した被告の措置も止むをえないものというべく、右昇給停止をもつて被告の責に帰すべき債務不履行とは認め難い。

二  原告が、昭和三四年九月以降労務職の給与を支給されていることは先に述べたとおりであるところ、被告が原告を看護婦職から労務職へ配置転換したことは労働契約に違反しその効力を生じないことは先に認定したとおりであるから、原告に対し、労務職の給与を支払い、看護婦としての給与を支払わなかつたのは被告の労働契約上の債務不履行と言うべきである。

1 ところで、昇給は被告の意思表示をまつて実現するものであり、右の意思表示がない以上、原告は昇給によつて得べかりし金員を未払賃金として請求することはできないが、被告の債務不履行により原告は看護婦職に就けなかつたのであるから右の未払賃金と同額の損害を受けたことに帰着する。従つて、原告が労務職としての労務を提供している以上、被告も労務職としての給与を支給すれば足り、損害賠償問題が発生する余地のない旨の被告の主張は採用の限りではない。

2 右に述べたように昇給は被告の意思表示をまつて実現するものではあるが、〈証拠省略〉によれば、被告の従業員の給与は原則として或一定期間勤務することによつて特段の事情がない限り定期的に昇給することになつていることが認められ、〈証拠省略〉も右認定を覆えすに足りず、他に右認定に反する証拠はない。

原告は勤務成績が良くなかつたため前示のごとく昭和三四年九月まで昇給を停止されたけれども、〈証拠省略〉によれば、原告は労務職転換後は労務職としてではあるが昇給していることが認められ、また、原告が労務職に配置転換された当時は新しい医療科が設けられ、看護婦数も倍以上に増えたことは先に述べたとおりであるから、原告の対人関係も従来とは変わる可能性が認められるので、労務職転換前の原告の言動のみをもつて定期昇給を妨げる特段の事情とは認め難く、ほかに定期昇給を阻止すべき特段の事情ありと認めるに足りる証拠はない。さすれば、原告が看護婦職に留まつていたとすれば、昭和三四年九月以降は一般の看護婦と同様に定期昇給していたものと看るのが相当である。

3 そこで原告の損害額について検討してみる。

(一) 給与の差額による損害額

(イ) 原告が昭和三四年一〇月から同四七年二月までに支給された本棒及び一時金は〈証拠省略〉に照らし、本俸は〈別表省略〉のとおり合計金五二二万二、二九四円であり、また一時金(期末手当、勤勉手当)は〈別表省略〉のとおり合計金一八五万三、八六四円となり両者の合計額は金七〇七万六、一五八円と認定され、右認定を覆えすに足りる証拠はない。

(ロ) 原告が右期間に看護婦職として受領すべき筈の本俸及び一時金は、〈証拠省略〉に照らし、本俸は〈別表省略〉のとおり合計金六五一万九、七四六円となり、また一時金は金二二九万六、〇二三円となり両者の合計は金八八一万五、七六九円と認定され、右認定を覆えすに足りる証拠はない。

(ハ) 従つて、右の(ロ)の合計額金八八一万五、七六九円から(イ)の合計額金七〇七万六、一五八円を差引いた金一七三万九、六一一円が原告の前示期間における損害額と算定される。

(ニ) 慰籍料、原告が被告の違法な配置転換命令により看護婦職から洗濯場勤務を余儀なくされ、長期にわたり甚大な屈辱を受けたであろうことは察するに難くないところであるが、他面、第一の二1において述べたごとく、右配転命令を受けるに至つたいきさつの中には原告にも反省を要する点が少なくなく、その他本件審理に表われた諸般の事情をあわせ考えると、原告の精神的苦痛に対する慰籍料は金二〇万円をもつて相当と認める。

第三昭和四七年三月以降の給与請求について、

原告は昭和四七年三月以降の給与について、看護婦職俸給で定期昇給を重ねた結果の本俸の支払を求めているが第二の二1で説示したように、定期昇給は被告の意思表示をまつて実現するものであるから、その昇給差額分を損害賠償として請求するのは格別、これを俸給の一部として請求することはできないものと解すべく、また右昇給分を差引いた本俸については将来の給付の訴の利益はないものと認められるので、原告のこの部分の請求は理由がない。

第四結論

よつて、原告の本訴請求は被告に対し、原告が被告直営の公済病院の看護婦であることを確認するとともに看護婦の職務に従事させることを求め、かつ、損害賠償金一九三万九、六一一円および内金一三四万三、八一一円(昭和四五年三月までの賃金差額および慰籍料)に対する本訴状送達の翌日であることが記録上明らかな昭和四五年五月一六日から、内金五九万五、八〇〇円(昭和四五年四月から昭和四七年二月までの賃金差額)に対する昭和四七年三月一日から支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからその範囲で正当としてこれを認容し、その余は失当としてこれを棄却するべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条第九二条を適用し、猶ほ仮執行の宣言はその必要なきものと思料されるので、これを付さないこととし、主文のとおり判決する。

(裁判官 牧野進 後藤一男 大塚一郎)

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