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仙台地方裁判所 昭和43年(ワ)899号 判決 1977年6月20日

原告

本舘弘

右訴訟代理人弁護士

斎藤忠昭

外一三名

被告

宮城県

右代表者知事

山本壮一郎

被告

岩崎永晃

右被告訴訟代理人弁護士

柴田正治

右被告ら訴訟代理人弁護士

林久二

主文

一  被告宮城県は原告に対し、金一〇〇万円およびこれに対する昭和四一年一〇月一四日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告の被告岩崎永晃に対する訴えを却下する。

三  訴訟費用は、原告と被告宮城県との間に生じた分は全部被告宮城県の負担とし、原告と被告岩崎永晃との間に生じた分は全部原告の負担とする。

四  この判決は、原告勝訴部分に限り仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一、原告

1  被告らは原告に対し、各自金一〇〇万円およびこれに対する昭和四一年一〇月一四日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行の宣言

二、被告ら

(本案前の申立)

被告岩崎永晃に対する訴えを却下する。

(本案に対する申立)

1 原告の請求をいずれも棄却する。

2 訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一、請求原因

1  被告岩崎の職業ならびに事件発生に至る経過

被告岩崎は、仙台中央警察署警備課の巡査部長であつたが、かねてから刑事事件のことにかこつけて、原告から日本共産党についての情報を収集しようと意図し、数度原告と面談し、あるいは電話で話をしたりしていたが、昭和四一年一〇月一四日午前九時頃原告より日本共産党についての情報を強制的に提供させようと決意し、原告の勤務先である宮城県庁に電話をかけ、同日午後五時三〇分に県庁正面玄関に待つているよう連絡し、原告が右指定された時刻に同所で待つていたところ、被告岩崎もその頃タクシーに乗つて同所に現われ、そこから原告を右タクシーに同乗させ、同日午後五時三五分頃仙台市定禅寺通櫓二一番地旅館「やぐら荘」に連れて行き、同荘二階「松風の間」に伴つた。

2  原告に対する被告岩崎の不法行為

(一) 「松風の間」における同日午後六時三〇分頃までの状況

原告は、被告岩崎と「松風の間」において、原告の弟勝四郎の問題についてしばらく話合つた後、同日午後六時三〇分頃、仙台駅発同日午後六時五〇分頃の東北本線下り列車に乗るため(原告は鹿児島台町から通勤していた。)その場を辞去しようとしたところ、被告岩崎から「いや、もつと重要な話があるので待つてくれ。」と言われて帰るのを制止された。そして、被告岩崎は、それまでの態度を一変し、原告に対し「あんたは、共産党員という話だな。君の弟のことを調べているうちに分つて本当にびつくりした。どうして今まで俺に話してくれなかつたのだ。」と言うので、原告が「私は、そんなものに入つていない。そんな話は知らない。」と答えると、被告岩崎は、さらに執拗に原告と日本共産党との関係などについて問いただし始めた。

(二) 「松風の間」廊下付近および同室内での暴行・傷害(その一)

原告は、被告岩崎の執拗な問いただしに驚き、「こんな話をしに来たんじやないから帰りますから。」と言つて手さげ袋を持つて立ち上がり、東側の障子を開けて部屋を出ようとしたところ、被告岩崎から、「待て、帰さない。」と言われて組みつかれた。被告岩崎は、原告の左側斜め後より、右手で原告の右腰骨付近(原告の着用していた洋服の右ポケツト付近)を、左手で原告の左上腕部をそれぞれつかみ、原告を部屋の中に引きずり込もうとした。これに対し原告は、「俺は時間だから帰るから離せ、離せ。」などと言つて、つかまれた左腕を振りほどこうとしたり、ひじ鉄をくらわしたりして抵抗し、部屋から出るべく被告岩崎ともみあつた。被告岩崎は「絶対に帰さない。」と言い、原告の体にかけた手は離さなかつたので、原告の着ていた背広の右側が原告の頭を覆つてしまうこともあつた。また、被告岩崎は右腕を原告の腹部に回したり、さらに右肩の上から首に回して押えつけたりなどの暴行を加えた。原告はこのような暴行を受けつつも、必死で被告岩崎を引きずつて部屋を出て、階段の降り口まで行つたところ、被告岩崎は、騒ぎを聞いて階下から上つて来た「やぐら荘」の番頭佐藤銀一(以下「佐藤」と略称する。)に、「佐藤さん、佐藤さん、この男を押えてすけろ。」と叫び、これに応じて佐藤はただちに原告の右腕をつかもうとしたが、原告が佐藤の手にかみつこうとしたため、佐藤は原告の右背後に回り、原告の右腕をつかんだ。そして、被告岩崎と佐藤の二人で、原告を「松風の間」の室内に引きずり込もうとした。原告はこれに対し腕を振りほどこうとしたり、被告岩崎らの足を蹴つたりして抵抗したが、再び東側窓付近に連れ戻されてしまつた。原告はこの東側窓の部分にかかつていたカーテンに両手でしがみついた。被告岩崎と佐藤は原告がしがみついた指をカーテンから解き離そうとしたが、原告が抵抗して指をカーテンから離さないとみるや、被告岩崎は原告を背後から引つ張り、佐藤は原告の左前方から強く押した。そのため、被告岩崎と原告は「松風の間」の中(畳の部分)と廊下に倒れ込んだ。そのため岩崎と佐藤の手が原告の体から離れたので、原告は立ち上がつて逃げようとしたが、再び東側障子付近で被告岩崎に両手で腰付近を抱きかかえるようにしてつかまつた。原告は、被告岩崎ともみ合い、被告岩崎が手を離したすきに南側廊下に出たりして、必死に逃げようとしたが、被告岩崎には、その右腕を首に回され、左手で左上腕部を強くつかまれ、また佐藤には右腕をつかまれて、再度取り押えられ、南側廊下から室内に入れられた。原告は、依然として抵抗を続けたが、室内の東側で二人のうちいずれかから投げ飛ばされ、部屋の中央部にあつたテーブルの東側角に右前額部を打ち付けた。更に、原告がテーブルの北側に逃れたところ、再び被告岩崎と佐藤につかまえられ、抵抗しているうち、被告岩崎に足払いをされ、後頭部をテーブルの角に打ち付け、一時立ち上がることができず、その場にしやがみ込んでしまつた。しかし、原告はカを振りしぼつて立ち上がり逃げようとしたが、今度は被告岩崎に左手を後にねじり上げられ、首を押えられて畳に顔をこすり付けるような形で押え込まれてしまつた。その際佐藤も原告の背中の上にのし掛るようにしていた。このようにして、原告は全く抵抗できない状態で数分経過したところ、佐藤が被告岩崎に対し「もういいんじやないですか。」と言い、二人は原告から手を離した。原告は、手を離されても暫くの間は立ち上がることもできずにいたが、ようやくその場から立ち上がり、「松風の間」西側の押入付近に移動し、立つていた。以上のような被告岩崎と佐藤の暴行により、原告は両上腕部打撲傷、右前額部打撲傷、脳震蕩および舌挫創の各傷害を負つたが、原告がこれら一連の暴行、傷害を受けていた時間は三、四〇分位であつた。なお、佐藤は被告岩崎の要請で、その後一〇分から二〇分位室内に止まつてから出て行つた。

(三) 「松風の間」における脅迫・監禁(その一)

佐藤が「松風の間」を出て行つたあと、原告と被告岩崎とが室内に残つた。被告岩崎は原告から1ないし1.5メートルの位置に、原告の方を向いて立ち、同日午後七時三〇分頃から約四〇分間にわたつて、右のように立つたままの状態で原告を脅迫し監禁した。すなわち、被告岩崎は、「お前いくら隠したつて、みんな知つているんだからしやべつてしまえ。」「お前、課長のところへ連れて行つて警察で調べたことを全部しやべつてやるぞ、そうなつたらお前は職場を首になる。」「そういうことになつたら妻や子供はどうなるか、親や兄弟に迷惑するんだぞ。」「今までも弟のことで協力してきたんだから何も話せないことはないんじやないか、おれにだけ、だれにもしやべらないから話せ。」「お前ここをなんぼ逃げようと思つたて逃げられないんだ。」「お前が共産党だということはわかつているんだから隠したつて駄目だから全部話せ。」などと何回も原告が日本共産党について知つていることを話すように強要した。これに原告が返事をしないでいると、更に「しやべらなければ、絶対ここを出さない。何日間でもここに閉じこめておく。」などと脅迫を続けた。原告は被告岩崎の強要、脅迫に対し、ただ「帰せ、帰せ。」と「松風の間」から退出させるよう繰り返し要求し続けた。このような状態が同日午後八時一〇分頃まで継続していた。

(四) 「松風の間」廊下付近および同室内での暴行(その二)

原告は、同日午後八時一〇分頃、仙台駅同八時二七分頃発車の東北本線下り列車に乗車しようと、再び脱出を試み、被告岩崎の左側(南側)を通つて東側障子付近に至つたが、またも被告岩崎は原告の左背後から右手を首に回し、左手で左腕をつかんで組み付いてきた。原告は、被告岩崎に組み付かれたまま引きずつて「松風の間」入口のドアまで進み、ドアを開けようとしたところ、被告岩崎が自らドアを開けた。原告は被告岩崎を引きずつたままドアから外に出て階段を下りようとしたところ、隣室(竹の間)から二人の客が「何したのしや、何したのしや。」と言いながら出て来た。被告岩崎が「お客さん、この男押えてすけらえ。」と頼むと、二人の客は原告の言い分を聞こうともせず、一人の客が原告の右側から腕を押え、他の一人が原告の背中を押して、原告を「松風の間」の中に押しもどした。

(五) 「松風の間」における脅迫・監禁(その二)

原告は、被告岩崎と二人の客によつて再び「松風の間」に押し戻されてしまつたが、二人の客のうち、原告の背後から押していた男はすぐその場を去り、室内には原告、被告岩崎、一人の客の三人が残つた。被告岩崎は、その男に対し「お客さん、悪いけれども理由は聞かなくてけらい、言われないんだ。」と言い、その男は「いいでがす、そんなもの何も聞かなくとも。」と答えていた。その男は原告に対し「お客さんも、あんまり強情張んないで話したらいいんじやないですか、そうでないとこの人も帰さないと言つているから。」などと話し掛けてきた。被告岩崎はその男に「トイレに行くから見ててけらい。」と言つて「松風の間」を出て行つた。その男はまた原告に先刻と同様の話をしてきたが、原告はその男を私服刑事と判断し、何も答えなかつた。そうするうち、被告岩崎は「松風の間」にもどつてきたが、その客に「お客さん悪いけれども、もう少しいてけさい。」と頼み、その男も「いがす、いがす。」と応じて、しばらく同室内にとどまり、被告岩崎と共に原告を監視していたが、やがて被告岩崎から「いや、どうもありがとう。」と言われ、同室を出て行つた。この間被告岩崎は、一人の客と共に、原告が「松風の間」を自分の意思で退出することを不能にし、同室内に監禁した。被告岩崎は、その客が出て行つたあと、繰り返し次のような脅迫的言辞で原告を脅迫し、かつ退出を不能にして原告を同室内に午後一〇時三〇分頃まで監禁した。すなわち、被告岩崎は、「お前は隠したつて駄目なんだからみんなしやべつてしまえ。」「しやべらなかつたらお前を殺す。」「おれ、今晩、お前と心中するつもりで来たんだ。お前をただ殺したんでは殺人罪になるから、おれも適当な遺言状を書いて死ぬんだ。そうすればだれが見たつて無理心中なんだ。お前とおれは、今晩心中するつもりで来たんだからもう絶対口を割つてみせる。人間死ぬ気になれば何でもできる。観念してしやべつてしまえ。」「本舘お前考え直せ。いくら隠したつて、こつちはちやんと知つているんだ。考え直して、お前の知つていることを全部しやべれ。お前がしやべらなければ何日間でも、ここに閉じこめて置くし、お前なんぼ逃げようと思つたつて、ここから絶対出られないんだから観念してしやべつてしまえ。」「どうしてもしやべらなかつたらお前を殺す。殺されたくなかつたらしやべれ。おれはお前と心中するつもりで来たんだ。男いつたんやると決めたら絶対やるんだ。お前をただ殺したんでは、岩崎の家族にその恩給なども下りないので、お前を殺したらおれも死ぬんだ。それでただ殺せばうまくないんで、適当な遺言状を書いて死ぬんだ。そうしたらおれの家族は年金下りるし、おれも仕事をちやんと果したことになる。」などと言つて原告を脅迫したため、原告は本当に殺されるかも知れない、なんとかして逃げなくてはならないと思つた。原告は同日午後一〇時頃、自分の立つているすぐ前の西側窓に鍵がかけられてなく、開けられることに気付き、窓から飛び降りて脱出しようと決意し、被告岩崎を油断させるような態度をして時機を待ち、同日午後一〇時三〇分頃、西側窓を開けて外に飛び出した。このように、原告が「松風の間」を脱出するまでの間、原告は被告岩崎によつて、同日午後六時三〇分頃から約四時間にわたつて、右室内に不法に監禁状態に置かれていたことになる。

3  被告岩崎の不法行為と同人の職務内容との結び付き

被告岩崎は、仙台中央警察署の警備課に勤務しており、その職務内容は情報収集活動であり、その職務執行として原告から日本共産党についての情報を収集しようとしたことは、次の事実より明らかである。

(一) 警備警察の現状と職務内容

戦後日本の警察の民主化の方向が示され、特高警察の解体がなされたが、この動きとは別に公安維持の立場から、警備警察の強化がなされ、昭和二一年七月一一日、連合国軍総司令部により情報収集活動が確認され、昭和二四年九月九日には警備実施要則が制定され、警備実施の組織とその具体的な活動の要領が規定された。その後、あらゆる面で政府の政策の障害となる運動を除去するための警備実施が強力に行なわれてきている。現在、日本における警察の中枢は、警備警察にある。その予算や人員の配置において、警備部面が圧倒的に優先している。このような警備警察の圧倒的な強化は、警備の衝に当る者に、自分らの行為が国家的に肯認されているとの自信を植えつけ、自らが不法な行為取締の衝に当る警察の組織内部にあるとの安易感は、警備活動の違法を忘れさせ、活動自体はいかなる活動で行なわれようとも正当であるとの意識を醸成していくのである。

(二) 警備警察の情報収集の対象

昭和三七年に刊行された警備警察研究会名義の編集に成る「警備警察全書」は、警察官の副教科書であるが、その記載によれば、情報収集の対象として次のものが掲げられ、それらがいずれも現実の対象となつている。

(1) 共産主義革命を企画する左翼勢力の動向(左翼団体の組織機構、規約綱領、指令、指揮者、国際連帯運動、実施運動等)

(2) 大衆闘争組織と大衆団体の動向(大衆闘争の組織と大衆団体の参加状況、運動方針、指導部および指導者の性格、実施活動、大衆団体の組織、幹部、左翼政党との関係、活動目標等)

(3) 左翼団体およびそれに同調する暴力主義団体の動向(団体の構成、規約、指導者の性格、構成員の性格、運動方針、実施活動、資金、上部工作等)

(4) 労働組合および労働運動の動向(労働組合の組織系統、規約、協約、政党との関係、役職員、闘争経歴、活動分子、関係団体、労働条件、経営者、事業場の地理的条件、資本系統等)

(5) 在日朝鮮人の革命的組織と対抗運動の動向(北鮮の対日工作、在日朝鮮人の居住分布、組織の状況、指導者、活動分子、日共との交渉等)

(6) 対日謀報謀略に関する在留外国人の組織と動向(対日諜報、謀略工作の危険性ある組織の実態とその拠点についての動向等)

(三) 情報収集の方法

前掲「警備警察全書」によれば、警備情報収集の方法として代表的なものとして、次の七項目をあげ、その方法は文字通り遂行されている。「(1)視察内偵、(2)聞込み、(3)張込み、(4)尾行、(5)工作、(6)面接、(7)投入」その中の(5)工作について、右全書は「協力者をつかみあるいはそれを拠点として情報を収集するばあい、または知人関係あるいはその他の連絡係を通じて有力な情報をとる場合にそこを一つの場として情報を収集するのも重要な方法でありこれを拠点工作あるいは協力者工作として重要視している。しかし協力者や拠点工作は情報員単独の判断でしてはならない」と解説している。

(四) 情報収集活動の担い手

情報収集活動の主力は、警備公安警察であるが、それだけでなく全警察官が革新勢力を警備対象として情報収集活動に従事させられている。全警察官は、例えば、殺人事件が起こつたときも、「被害者または加害者関係に警備対象者はいないか。」と考えながら捜査し、自動車が衝突して死体が転がつていても、「何か警備関係資料が落ちていないか。」「事故処理等で警備対象者の個人資料が入手できないか。」という勘を働かせて仕事をするよう、教育訓練されており、それが当然視されている。このように、警察の中で情報収集活動を専門的に行なつているのは警備公安警察であるが、外勤警察官をはじめ全警察、全警察職員が警備情報収集を命じられ、必要な教育と訓練を受け、反共、反労働者的教育で思想的にも組織されている。予算的にも警備予算は直接国・警察庁から支給されている。このように、全警察官が革新勢力の情報収集の担い手とされているのであるが、まして警備課勤務となれば、内部の一応の分担があるにしても、このような情報活動はその専門的分野であると言える。被告岩崎が本件当時仙台中央警察署警備課に所属し、その担当業務が「右翼関係」取締であるとしても、そのことの故に職務の執行として情報収集活動をしたことを否定できない。

4  被告宮城県の責任

前述2のとおり、原告は、被告岩崎から暴行、傷害ならびに不法監禁を受けたものであるが、同被告宮城県の公権力の行使に当る公務員であり、その職務を行なうにつき、故意に右不法行為に及んだものであるから、被告宮城県は国家賠償法一条の規定に基づき、原告に対し損害賠償の責任に任ずべきである。

5  被告岩崎の責任

被告岩崎個人も、直接に不法行為の責に任ずべきである。すなわち、国又は公共団体の公権力の行使に当る公務員がその職務を行なうについて、違法に他人に損害を加えたときは、当該公務員に故意または重大な過失があるかぎり、被害者は当該公務員に対しても、直接に損害賠償を請求できるものというべきである。被害者の救済という点からのみ考えれば、国または公共団体が損害賠償に当れば十分であるが、だからと言つて当該公務員の直接責任を免ずることは、公務員の責任意識を薄弱にするおそれがあり、適正な公権力の行使を確保することができなくなる。また、公務員の故意または過失に基づく違法な公権力の行使によつて損害を受けたものが、直接当該公務員を被告として訴えを提起しても、公務員個人は責任を負うものではないとして請求は理由がないとすることは、被害者の感情にも合致しない。公務員に故意または重大な過失があつた場合に、当該公務員に直接責任を認めることは、国家賠償法の文理解釈上も問題はない。同法は公務員に軽過失しかない場合にのみ、公務員個人の直接責任を認めないにとどまる。これに対し、公務員個人の直接責任を認めると、公務員の職務執行を萎縮させるおそれがあるという反論がある。しかし、公務員に軽過失しか認められない場合にもその直接責任を認めるというのであれば、その反論も妥当するが、公務員に故意または重大な過失がある場合には全く妥当しない。被告岩崎は、被告宮城県の公権力の行使に当る公務員であり、その職務を行なうについて、故意に不法行為に及んだものであり、したがつて、原告は、被告岩崎個人に対しても直接に損害賠償を請求できることは当然である。

6  原告の被つた損害

原告は、被告岩崎の暴行によつて、脳震蕩および一週間の加療を要する右顔面打撲症、舌挫創、両側上腕部打撲症の傷害を負つた。原告は、被告岩崎から何の理由もないのに、約四時間余にわたり、旅館の一室に監禁され、暴行、脅迫を加えられ、右の如き傷害を負わされ、肉体的のみならず精神的にも多大の打撃を受けた。その精神的損害は、これを金銭的に評価すれば少なくとも一〇〇万円を下らない。

7  結論

よつて原告は、被告らに対し、不法行為に基づく慰謝料として各自一〇〇万円およびこれに対する被告岩崎による不法行為の行なわれた日である昭和四一年一〇月一四日から完済まで、民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二、被告らの答弁

(本案前の抗弁)

原告が被告岩崎の不法行為として主張する行為は、その職務行為に関連してなされたものであるから、国家賠償法が優先し、被告岩崎には民法上の責任はない。また、被告岩崎個人には、その優先して適用される国家賠償法上当事者適格はないから、被告岩崎に対する本訴請求は却下されるべきである。

(請求原因に対する認否)

1 請求原因1の事実中、被告岩崎の職業および被告岩崎が数度原告と面談し、あるいは電話で会話を交わしたことおよび原告主張の日時頃電話連絡をし、同日午後五時三〇分頃県庁正面玄関前で会い、同三五分頃「やぐら荘」の「松風の間」に行つたことは認め、その余の事実は否認する。

2 同2の事実中、「松風の間」において、原告の弟勝四郎の問題について話合つたこと、原告主張の日時頃、原告が窓から出たことは認めるが、その余の事実は否認する。

3 同4の事実中、被告岩崎が被告宮城県の公権力の行使に当る公務員であることは認め、その余の事実は否認する。

4 同5は争う。

5 同6の事実は、全部否認する。

6 同7は争う。

(本案に対する主張)

被告岩崎には、原告主張のような不法行為をした事実はない。事実は次のとおりである。

1 被告岩崎が原告を知るようになつたいきさつ

(一) 被告岩崎は、当時仙台中央警察署警備課勤務で、その担当職務は「右翼関係」の取締りであつたが、たまたま、昭和四一年八月三〇日、仙台市小田原地内に発生した山口照子殺人事件の捜査が難行していた際、原告の弟勝四郎が右事件に関係しているのではないかとの聞き込みを得たので、これを上司に報告したところ、上司である庄子駒蔵署長の特命により、その頃から勝四郎の捜査に従事するようになつた。

(二) 被告岩崎は、同年九月二〇日頃、宮城県志田郡鹿島台町にある勝四郎の実家を訪ね、同人の母および兄新吉と会つて、勝四郎についての事情を聴取し、同月三〇日頃にも実家を訪ねて新吉と会い、同人から勝四郎が仙台に居ることから、原告に対する紹介状を貰つた。

(三) 被告岩崎は(同年一〇月三日、右紹介状を持つて宮城県庁に原告を訪ねた。この時期が原告との初めての出合いである。

2 被告岩崎と原告とのその後の交渉関係

(一) 被告岩崎は、同日原告と会い、弟勝四郎の所在を聞き質したところ、勝四郎は阿部建設の飯場に居るらしいことが判明した。

(二) 同月四日、原告が右飯場に行き、勝四郎を同行したので、仙台市宮町の寿司屋で原告も含めて話し合つたが、その日は殺人事件については雑談的に軽くふれたのみで原告と別れた。

(三) 同月一二日、被告岩崎は、宮城県庁に原告を訪ね、殺人事件に関連し、勝四郎が容疑者の一人にされている旨を告げ、勝四郎の筆跡入手を依頼したところ、原告は承諾した。

(四) 同月一三日、被告岩崎は、原告から右筆跡を入手した旨の通報を受け、翌一四日午後五時三〇分頃宮城県庁玄関前で会い、原告はそこで被告岩崎が乗つていたタクシーに同乗してきた。被告岩崎は、どこで原告と話合いながら筆跡を入手するかと一時場所を決めかねたが、「やぐら荘」を思い出し、運転手に同荘に行くよう指示し、同日午後五時三五分頃同荘に到着してそこの「松風の間」に通された。

3 「松風の間」に通されてからの状況

(一) 同日午後五時四〇分頃「松風の間」に通されてから約一時間は、次のようなものであつた。すなわち、被告岩崎は、原告と同荘番頭佐藤からサービスだと言つて届けられたビール二本を飲みながら原告より勝四郎の書いた紙片を受け取り、その際原告が勝四郎から筆跡を取つた時の状況、同人の性格、友人関係について原告から話を聞くとともに、前記殺人事件のことなどについて話合いをした。この間原告は被告岩崎に気分よく話してくれ、なごやかな雰囲気であつた。

(二) その後、被告岩崎は、前に同僚から「原告は共産党と関係があるらしい。」と聞いたことを思い出し、まさか、今までこれほど殺人事件の捜査に積極的に協力してくれていることでもあり、日本共産党とは関係ないだろうと言う軽い気持で原告に対し、「あなたは共産党に関係あるのか。」と尋ねたところ、原告は笑いながら否定したので、被告岩崎は気軽に原告と歌声サークルや県庁職員組合の役員のことなどを雑談的に話しているうちに、原告は急に黙つてしまい、その頃「やぐら荘」の表通りを秋闘第二次統一行動のデモ隊が通過し、労働歌や喚声が室内に聞こえてきた。すると原告は興奮し、「そんなことは知らない。」「こん畜生、何をいうか。」と激昂して立ち上つた。この間約一五分位であつた。

(三) 被告岩崎は、原告が立ち上ると荒々しく廊下に出ようとしたので、原告の右のような興奮状態から、何か自分の尋ねたことに対して誤解したのではないかと思い、このまま帰したのでは、デモ隊が通過していることでもあり、原告がデモ隊に訴え、デモ隊が「やぐら荘」に乱入してくるようなことがあつてはいけないので、原告を制止しようと廊下まで追つていき、原告を引き止めようとしたら、原告は廊下東側窓のカーテンにしがみついて、「ワーイ」とか「オーイ」とか言つて外に呼びかけた。被告岩崎が「そんなに興奮しないで落着いてくれ。」等となだめているところに佐藤が入つて来て、同人が原告を落着かせようとして押したためもつれた格好になつたが、間もなくその騒ぎは収まつた。この間わずか数分であつて、同日午後七時過頃には部屋に戻つた。

(四) 被告岩崎は、それから同日午後八時三〇分頃までの約一時間三〇分位の間、原告の誤解を解こうとしていろいろと話し合つたが、その内容は次のとおりである。すなわち、被告岩崎は、「そんなに興奮することはないじやないか。私の方で捜査の協力を頼み、母親や兄などあなたの方からも勝四郎のことを頼むと言つている。勝四郎の容疑を晴らすことで今後も力を貸して貰わねばならないと思つたからこそ聞いたんだ。」とか「もしあんたが共産党に関係していることを知らずにおつたのではおかしくなる。」などと話し、更に、日本共産党に関係しているかどうかと聞いたのは情報集めのためではないと繰り返し説明したが、原告はこれに対し、「そんなことは聞く必要はない。」「思想は自由だ。」などと時々口をはさみ、反発的態度であつた。結局被告岩崎は、原告の誤解は解き難いと考え「帰つてくれ。」と言つて便所に立つた。

(五) 被告岩崎は、ドアをあけて便所に行こうとしたら、原告が後からついてきて大声で被告岩崎に対し、「帰れと言うなら帰るぞ。これから俺のことに干渉するな。」と言うので、被告岩崎はこれからも勝四郎のことで協力がほしいので、「興奮すると誤りをおかすぞ。勝四郎のことで何かあつたら連絡してくれ。」と話したところ、原告は「勝四郎と俺は別だ。お前の指示は必要ない。」と怒鳴りちらしたので、その騒ぎを聞いて、四五、六歳の男の客二名が部屋の前にきて、「うるさいね。静かにしてくれ。」と注意し、その中の一人の客が原告を押すようにして部屋の廊下に入つてきたが、被告岩崎はそのまま便所に行つた。その間わずか数分位のものであつた。

(六) 被告岩崎が便所から戻ると男の客一名が部屋にいたがすぐ出て行つた。原告は帰らないで西側窓際に立つているので、被告岩崎は、このまま別れたのでは今後の協力も得られないと考え、できるなら再び話しを始め誤解を解こうと思い、前記のようなことや被告岩崎の身の上話なども含めて繰返し話しをした。その間約一時間三〇分という思わぬ時間を過ごしてしまつたが、その間、原告には帰ろうとする態度は少しもみられなかつたものであり、被告岩崎も帰ろうとするのを制止する態度もとつていなかつた。結局同日午後一〇時近くまで話しをした。

(七) 同日午後一〇時頃、佐藤がさきに注文していた夕食二名分を持つて時間に遅れたことを詫びながら部屋に入つて来て、この部屋は予約があるので早くあけてくれと言つたので、被告岩崎は夕食を済ませて帰ろうと原告に勧めたところ、食べたくないと断わられた。その後約三、四〇分間原告になんとか理解して貰うため話しをした。その頃の原告は、被告岩崎の言うことには耳をかさず、西側窓のカーテンからしきりに外を窺うようにしていた。

(八) 被告岩崎は、時間も遅いし、予約部屋である関係からこれ以上話しても効果がないと思い、「一緒に車で帰ろう。勝四郎のことで何か変つたことがあれば知らせてくれ。」と言つて立ち上り、タクシーを呼ぼうと電話器のところに行つた時、原告は突然窓をあけて窓下の庇に降り、旅館から出たものである。

4 事実は右のとおりであつて、被告岩崎には不法行為と目される暴行、脅迫もなく、むしろ原告の行為は、誤解あるいは感違いからの結果であつて、自ら招いた行為である。したがつて、原告の本訴請求はいずれも理由がない。

第三  証拠<省略>

理由

一原告に対する被告岩崎の不法行為等

<証拠>によれば、次の事実が認められる。

1  原告および被告岩崎の立場等

(一)  原告は、昭和四一年一〇月一四日(以下「本件当日」という。)当時、肩書住居地に居住し、国家公務員地方事務官として宮城県庁内の同県民生部国民年金課に勤務し、東北本線の鹿島台駅から仙台駅まで列車で通勤していた。当時、原告には妻と二人の幼児(二歳七か月と八か月)がおり、妻が鹿島台町立国民健康保険病院に準看護婦として勤務し、共働きをしていたことから、二人の幼児を近所の知人宅に預けていたが、その送り迎えには、原告が上の子を、妻が下の子を、それぞれ受け持つていた。ただ、原告は、帰宅が遅くなるような時は事前に妻に連絡し、二人の子供を妻に連れ帰つてもらうようにしていた。このような関係で、原告は、通常勤務が終ると、仙台駅発午後五時五五分頃か同六時四七分頃の列車に乗つて帰宅していた(なお、原告の帰宅に利用できる列車は、右のほか、同八時二七分頃と同一〇時五〇分頃仙台駅を発車する二本だけであつた。)。本件当日も、原告は、午後五時五五分頃か同六時四七分頃の列車で帰るつもりでいたので、帰宅の遅くなることを妻に連絡しなかつたため、同女はいつものとおり下の子だけを連れて帰宅したが、上の子は原告がなかなか迎えに来なかつたため、預先の人が家まで連れて来てくれた。

(二)  他方、被告岩崎は、本件当時、宮城県警察官(巡査部長)として仙台中央警察署に勤務し、同署の警備課第三係第二主任として、いわゆる右翼関係を担当していたものであり、また、当時、仙台東警察署管内で発生した殺人事件の捜査にも、仙台中央警察署長の特命を受けて従事していたものであるが、同被告が右特命を受けるに至つたのは、同被告が右翼関係の捜査をしていた際、たまたま右殺人事件に関する情報を入手し、これを上司に報告したところ、その情報が未だ殺人事件に直接関係するものか否か不確かなものであつたことから、その内容をもつと確実な情報とするため、最初に情報を得た同被告が、そのまま右捜査の担当をすることとなつたものである。

(三)  ところで、被告岩崎の所属している警備課の重要な仕事の一つに警備情報収集活動があり、このうち、特に日本共産党については、担当警備課員によつて日常的に情報収集活動が行なわれているのであるが、このような情報収集活動については、担当警備課員のほか全警察官が主としてではないにしろ補助的に当ることがあり、補助的にしろ担当警備課員以外の警察官の情報収集活動も、その警察官の職務行為となつている。したがつて、同被告が、たとえいわゆる右翼担当の警備課員であり、日本共産党関係の担当でなかつたとしても、同党に関する情報を収集することは同被告の職務行為といえる。

2  本件当日までの状況

(一)  被告岩崎は、前記殺人事件の捜査が、主に原告の実弟勝四郎に関するものであつたことから、前記特命を受けた後、昭和四九年九月下旬頃、三回にわたつて原告の実家を訪ね、原告の実兄新吉夫婦や原告の実母らと会つて勝四郎の居所等について聞いたが、勝四郎の居所についてははつきりせず、結局原告が知つているのではないかということで、新吉より原告に対する紹介状を書いてもらつた。

(二)  他方、原告は、同月末頃、実家を訪ねたところ、新吉より、被告岩崎が勝四郎のことで訪ねて来たので、同被告に原告のことを紹介しておいたから協力してやつてほしい旨話され、原告も勝四郎が兄弟間で一人素行の悪いことは以前から気にかけていたところなので、同人の素行を改め、真面目な人間にするためならと思い、協力することとした。

(三)  同年一〇月三日、原告は、県庁内の勤務先に被告岩崎の訪問を受け、同被告から、新吉の紹介状を渡されて勝四郎の居所を聞かれたので、先に新吉から頼まれていたこともあり、同被告に協力すべく、その場から勝四郎の勤め先に電話をしたが、同人は既に辞めて別の会社に移つたとのことなので、更に移転先を調べているうち、勝四郎の移つた先が分かつたので、その会社名を同被告に知らせたところ、同被告の方で勝四郎の居場所を調べておくとのことであつた。

(四)  同月四日、原告は、被告岩崎から電話で、今日勝四郎に会いに行くから一緒に行つてほしいとの連絡を受けたので、勤務が終つてから、同被告と共に勝四郎に会いに行き、同被告は途中の寿司屋で待つていることとし、原告が勝四郎を右寿司屋に呼んできた。寿司屋には同日午後六時頃から同九時頃までいたが、勝四郎がいた同八時頃までは同人の交遊関係や殺人事件についても軽くふれ、同人が帰つて二人になつてからは、原告の身の上話等をした。

(五) 同月七日、原告は、被告岩崎から、その後勝四郎の所に行つているか、勝四郎から何か連絡がなかつたかという内容の電話を受けたが、その後勝四郎に会つてもいないし、何の連絡もなかつたので、その旨話した。

(六)  同月一一日、原告は、帰宅途中、仙台駅前の第一ビル前で被告岩崎に会い、同被告から勝四郎のことについて聞かれたが、それには答えずそのまま別れた。

(七)  同月一二日、原告は、被告岩崎から勝四郎の筆跡を取つてほしいと電話で頼まれ、更に県庁内に出向いて来た同被告から筆跡入手の理由を説明されたので、勝四郎の容疑を晴らすためならと思い承諾した。

(八)  同月一三日、原告は、勝四郎の筆跡を取つてきた旨被告岩崎に電話で連絡したところ、同被告から、筆跡をもらいに行くから、同日午後五時半頃県庁正面玄関前で待つていてほしい旨言われたので、勤務終了後、その頃同所で待つていたが、同被告が時間までに来なかつたため、帰りの列車の時間も迫つて来たので、そのまま帰つてしまつた。他方、同被告は、時間に遅れたため、県庁正面玄関前で原告に会えなかつたが、もしかしたら原告が同被告の勤務先である仙台中央警察署の方に訪ねて来ているのでは、ないかと思い、帰署してから当直の署員に誰か訪ねて来なかつたかと聞いたところ、たまたま原告の名前を聞いた同じ警備課の第二係(労働関係担当)小松忠義から、原告が日本共産党に関係し、同党の仙台地区委員会事務所に出入りし、県庁に勤めている同党員らと行動を共にしているらしいと言われた。

3  本件当日の午後六時三〇分頃までの状況

(一)  同月一四日の本件当日、原告は、午前九時頃、被告岩崎から電話で、昨日は時間に遅れて申し訳なかつた、今日は必ず行くから、午後五時半頃に県庁正面玄関前で待つていてほしい旨の連絡を受けたので、勤務終了後、同被告に指定された時刻頃右場所で待つていると、同被告が指定した時刻頃に同所にタクシーで乗りつけて来て、同所で待つていた原告を右タクシーに乗せて仙台市定禅寺通櫓二一番地旅館「やぐら荘」へ伴つた。

(二)  原告と被告岩崎は、「やぐら荘」の番頭佐藤の案内で「松風の間」に通され、同室内では、床の間を背にして同被告が、これにテーブルをはさんで向い合うようにして原告が、それぞれ座つた。

(三)  原告と被告岩崎とが座つた後、女中がお茶とお菓子を持つて来て、原告らにお茶を入れていき、女中が出て行くと、直ちに佐藤がお盆にビール二本とつまみ一皿を乗せて持つて来て、サービスだと言つて置いていつた。なお、その頃同被告が、丼物二つ取つてくれるよう注文した。

(四)  原告は、そこで被告岩崎に勝四郎の筆跡を渡した。その後、二人でビールを飲みながら勝四郎のことや殺人事件のことについて話合つたが、右話合いの際はなごやかなものであつた。

4  同午後六時三〇分頃から同八時一〇分頃までの状況

(一)  原告は、午後六時三〇分頃になり、勝四郎の話も一段落したので、同六時四七分頃の仙台駅発の列車に乗つて帰ろうと思い、被告岩崎に「汽車の時間もあるので帰ります。」と言い、立ち上がると、同被告から「もつと重要な話があるから掛けてくれ。」と言われたので腰を下ろすと、同被告は、原告から日本共産党に関する情報を収集しようとし、原告と同党との関係を聞いてきた。

(二)  原告は、当初日本共産党との関係を笑つて否定していたが、被告岩崎がそれにもかかわらず、県庁職員組合のことや同組合の役員の名前等を具体的にあげ、日本共産党との関係の有無を執拗に追及してくるのに驚き、同日午後六時四〇分頃、「こんな話をしに来たのではないから帰る。」と言つて、手さげ鞄を持つて立ち上がり、部屋の東側障子の所まで行き、障子を開けて出ようとした。すると、同被告は、「待て。帰さない。」と言い、立ち上がつて来て、原告の左背後からその左手で原告の左上腕部を強くつかみ、右手で原告の右肩をつかんだりして、原告の退室を阻止し、原告を室内に引き戻そうとした。

(三)  原告と被告岩崎とが、同室東側廊下付近でもみ合つていると、同所に佐藤が現われ、同人は同被告に協力して、原告の右腕を取つて室内に引き戻そうとしたので、原告は、咄嵯に東側廊下の窓に掛かつていたカーテンに両手でしがみついたが、直ちに、佐藤が原告の前方に回り、原告の両肩付近に両手を当てて原告を後に強く押したため、同被告が原告の体を後に引いていた力も加わり、原告と同被告とが部屋の東側障子の敷居付近に尻餅をつくようにして倒れ込んだ。その際、原告のつかまつていたカーテンのレールが曲がり、吊輪の一部が取れる等、カーテン部分が破損した。

(四)  原告は、その後、室内西側窓のカーテンの方に行き、同所に立ち、佐藤に向つて「お前なにしに来た。お前みたいなのに用はないから帰れ。」等と言つていた。他方、被告岩崎は、原告の方に体を向けてテーブルの南側の方に立つていた。なお、佐藤はしばらく室内に居てから部屋を出て行き、その際東側の障子を閉めていつた。

(五)  被告岩崎は、佐藤が部屋から出て行くと、また、原告から日本共産党の情報を収集すべく、原告に向つて、原告と日本共産党とのこと、原告のこと、勝四郎のこと等を話しかけてきた。

(六)  ところで、原告が被告岩崎から帰宅を阻止され、西側窓のカーテンの所まで行く間に、室内のテーブル上には栓の抜かれたビール一本、ビールの入つたコツプ二個、お茶の入つた茶碗二個、お茶菓子、お茶の道具入れ、金属性灰皿一個等が乗つており、これらの物が取り片付けられたり、壊れたり、散乱した形跡はなかつた。

5  同午後八時一〇分頃から同一〇時三〇分頃までの状況

(一)  原告は、午後八時一〇分頃になり、同八時二七分頃の列車に乗つて帰宅しようと再度「松風の間」からの退室を試み、同室西側窓のカーテンの所から東側障子の所まで行き、右障子を開けようとすると、また被告岩崎によつて、左斜め後から組み付かれ、帰宅を阻止された。

(二)  原告は、被告岩崎に組み付かれたまま、同室出入口のドアの所まで来たところ、同被告が右ドアを押し開けたので、そのまま室外に出ると、同所付近に居合わせた隣室「竹の間」の客二名が、同被告とともに原告を「松風の間」に連れ戻した。

(三)  原告が室内に連れ戻されると、右客のうち一名はすぐ部屋から出て行つたが、他の一名の客はそのまま室内に残つた。

(四)  被告岩崎は、残つた客に対し、原告が部屋から逃げないように見張つていてくれるよう依頼し、右客の同意を得て、便所に行くと言つて部屋から出て行つた。

(五)  被告岩崎が部屋を出てから戻つて来るまでは約一〇分位であつたが、その間、原告は西側の窓の所に、残つた客はテーブルの南側に、それぞれ相対峙するようにして立ち、原告はその客に「お前関係ないから帰れ。」等と言つていたが、その客は、同被告が部屋に戻つて来るまで室内に止まつていた。

(六)  被告岩崎は、その客に礼を言つて帰つてもらい、当初テーブルの南側の方に立つていたが、その後、テーブルの北側に行き、座つて話し出したが、その話の内容は、原告と日本共産党とのこと、原告自身のこと、勝四郎のこと、原告の家族のこと、同被告自身のこと等であつた。

(七)  原告は、午後一〇時頃になり、立つていた西側の窓が開くことに気付き、部屋の出入口から出て行くのは二度にわたつて阻止されたことから不可能と思い、西側の窓から飛び降りて逃げようと考え、帰宅するための最終列車が同一〇時五〇分頃だつたので、同一〇時三〇分頃右窓から飛び降りれば間に合うと思い、被告岩崎の話を聞くふりをして、その時の来るのを待つていた。

(八)  他方、被告岩崎は、午後一〇時頃になり、その頃届けられてあつた「かつ丼」を原告に食べるよう勧めたが、原告がこれを断わつたため、同被告も食べずに同一〇時三〇分頃まで前記内容の話をしていた。

(九)  原告は、時計を見たところ午後一〇時三〇分頃になつたので、窓から飛び降りるべく決意し、西側窓を開けて窓下の庇に飛び降り、「松風の間」から脱出した。

6  原告の受傷および監禁

(一)  原告は、被告岩崎が、午後六時四〇分頃から同八時一〇分頃までの間に原告の「松風の間」からの退室を阻止しようとして加えた前記認定の暴行により、左上腕部打撲の傷害を負つた。

(二)  原告は、被告岩崎の執拗な追及に驚き、帰宅しようと「松風の間」東側障子の所まで行つたところ、同被告より帰宅を阻止された午後六時四〇分頃から、同一〇時三〇分頃原告が同室西側の窓から窓下の庇に飛び降り、同室から脱出するまでの間、約四時間にわたり、同被告により同室内に監禁されていた。

7  右認定に反する原告および被告らの主張に対する判断

(一)  原告の主張について

原告は、本件当日の午後六時三〇分頃から同八時一〇分頃までの間に被告岩崎より暴行を受けた際、投げられて前額部を室内のテーブルの角にぶつけられたり、足払いを掛けられて後頭部をテーブルの角にぶつけられたりし、右前額部打撲傷、脳震蕩および舌挫創の各傷害を負つた旨主張し、右主張に添う<証拠>並びに原告本人尋問の結果もあるが、右各傷害が、原告主張のように、テーブルにぶつけられたために出来たものとすれば、テーブル上に乗つていた物が散乱したり、壊れたりすることが十分に考えられるが、テーブル上にはビールビンやコツプ等多くの物が乗つていたのに、これらの物が壊れたり散乱したりした形跡がなかつたこと、テーブルに乗つていた物がその当時テーブル上から取りかたづけられていなかつたことは、前記認定のとおりであり、また、<証拠>によれば、当時松の木の枝の切口が原告の飛び出した窓際まで延びていたこと、原告は窓から飛び降りた際、予期していなかつた窓下の庇に降り立つたことが認められることから、松の木の枝に額が当つたことや庇に飛び降りた際のシヨツクで舌をかむ等のことも一応考えられるのであり、更に、<証拠>によれば、原告は、被告岩崎から右のような傷害を負わされる前に、同被告ともみ合つていた際、室内の東側障子につかまろうとしたが、つかみきれず障子が破れた旨述べていることが認められるが、<証拠>によれば、本件当日、原告らが部屋を開けた後、同室に宿泊した客は、室内に特別の異常を認めていないし、同室の東側障子が破れていたようなこともなかつた旨述べていることから、原告の障子を破いたとの点はにわかに信用できず、これらを総合すると、原告の右主張には合理的な疑いが残り、にわかに採用し得ないのである。

また、原告は、「松風の間」に監禁されていた際、被告岩崎から原告を殺す等と脅迫された旨主張し、<証拠>を総合すれば、同被告が原告から日本共産党の情報を収集しようとして、執拗に話しかけ、その語調も強かつたことは認められるものの、更に、原告を殺すとまで脅迫したことまでは認めることができず、他にこれを認めるに足る証拠もない。してみると、原告の右主張は理由がないことになる。

(二)  被告らの主張について

被告らは、原告には「やぐら荘」から帰ろうとする態度は少しも見られなかつたし、被告岩崎も原告が同所から帰ろうとするのを阻止する態度はとつていなかつた旨主張し、<証拠>および被告岩崎本人尋問の結果もあるが、原告が当時帰宅の際、幼児一名を預け先から連れ帰ることになつており、そのため通常遅くも仙台駅発午後六時四七分頃の列車に乗つて帰つていたこと、当日遅くなることは妻に連絡していなかつたこと、午後六時三〇分頃には勝四郎の話も一段落したこと、原告は前日の一三日にも被告岩崎の指示により、午後五時三五分頃まで県庁正面玄関前で同被告を待つていたが、同被告がなかなか来なかつたため、帰りの列車の時間もあつて、その日は会わずに帰つたこと等は、前記認定のとおりであり、右事実によれば、原告には帰宅を急ぐ理由は認められるものの、勝四郎の話が一段落した以降は「松風の間」に止まるべき理由は何ら認められない。また、同被告が執拗なまでに原告と日本共産党との関係を問い質していること、隣の「竹の間」の客一名が約一〇分もの時間室内に止まつて同被告が戻つて来てから帰つていること、原告の退出行為はいずれも帰宅するための列車の時間に符合していること等も、前記認定のとおりであり、これらを総合すれば、原告が午後六時四〇分頃から同一〇時三〇分頃まで「松風の間」に止まつたのは、同被告らの阻止行動により、巳むなく止まつたものと認めるのが相当であるから、被告らの右主張は理由がないことに帰する。

二被告らの責任

1  被告宮城県の責任

被告岩崎は、宮城県仙台中央警察署警備課に勤務する警察官(巡査部長)であつて、被告宮城県に任用されている地方公務員であり、同被告の公権力の行使に当る公務員であることは当事者間に争いがない。ところで、被告岩崎の原告に対する日本共産党についての情報収集行為は、同被告の職務行為と認められること前記認定のとおりであり、右認定によれば、同被告の原告に対する前記認定の暴行および監禁は、同被告が原告より右情報を収集しようとしてその職務執行の過程において故意になしたものと認め得るから、被告宮城県は、国家賠償法一条一項により、原告の被つた損害を賠償する義務がある。

2  被告岩崎の責任

従前、公権力の行使に当る公務員の職務上の不法行為については、国又は公共団体も当該公務員個人も損害賠償の責任を負わないものとされていたが、昭和二二年に国家賠償法が制定され、その第一条第一項において、公権力の行使に当る公務員の職務上の不法行為については国又は公共団体が損害賠償の責任を負う旨規定された。かかる同法の立法趣旨に照らし、前記公務員の職務上の不法行為については、国又は公共団体のみが損害賠償の責任を負うものであり、当該公務員個人はその責任を負わないものと解するのが相当である。

したがつて、原告の被告岩崎に対する本件訴えは不適法として却下すべきものである。

三原告の被つた損害

前記一に認定したように、被告岩崎の原告に対する暴行および監禁は、同被告が原告から日本共産党の情報を収集しようとして加えたものであり、また、原告としては、同被告を以前から気に掛けていた弟のことで親身になつてくれる警察官であると思い、本件当日も同被告を信じて旅館の一室にまで行動を共にし、同所で勝四郎の話が一段落したので帰宅しようとするや、その帰宅を阻止するように、原告の予期していなかつた日本共産党との関係を執拗に問い質されたうえ、前記暴行および午後六時四〇分頃から同一〇時三〇分頃までの約四時間にわたる監禁を受けただけに、原告の受けた精神的および肉体的打撃は極めて大きいものというべきであり、これに前記暴行の態様、監禁の状態および本件訴訟の経過等を考慮すると、原告に対する慰藉料としては一〇〇万円をもつて相当と認める。

四結論

以上の次第であるから、原告の被告宮城県に対する請求は理由があるからこれを認容し、被告岩崎永晃に対する訴えは不適法であるからこれを却下することとし、民事訴訟法九二条、一九六条をそれぞれ適用し、主文のとおり判決する。

(石川良雄 松本朝光 栗栖勲)

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