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仙台地方裁判所 平成20年(ワ)856号 判決

主文

1  被告は,原告らに対し,それぞれ165万円及びこれに対する平成22年4月15日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

3  訴訟費用は,これを6分し,その5を原告らの負担とし,その余を被告の負担とする。

4  この判決は,第1項に限り,仮に執行することができる。ただし,被告が,原告らのために各150万円の担保を供するときは,それぞれその仮執行を免れることができる。

事実及び理由

第1請求

被告は,原告らに対し,それぞれ1000万円及びこれに対する平成22年4月14日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

第2事案の概要等

本件は,原告Aの妻であり,原告Bの母である亡C(昭和24年生。以下「本件患者」という。)が,左乳房のしこりの自覚症状を訴えて被告を受診したところ,被告が,平成18年4月4日又は同年8月7日の時点で穿刺吸引細胞診検査(以下「細胞診検査」という。)を行うべき注意義務があるのにこれを怠ったことから,本件患者が乳癌により死亡したとして,本件患者の死亡により本件訴訟を承継した原告らが,被告に対し,不法行為に基づく損害賠償(損害額合計2101万4000円)の一部としてそれぞれ1000万円及びこれに対する平成22年4月14日以降の遅延損害金を請求する事案である。

1  前提事実(後掲証拠及び弁論の全趣旨により容易に認められる事実)

(1)  当事者

原告Aは本件患者の夫であり,原告Bは本件患者と原告Aとの間に生まれた子である(甲B17の1ないし3)。

(2)  本件患者の診療経過

ア 平成17年6月6日の診察(以下「第1回診察」という。)の経過・結果

本件患者は,同日,左乳房のしこりの自覚症状を訴え,被告において第1回診察を受けた。被告は,第1回診察において,本件患者に対し,視触診,乳房超音波検査(以下「超音波検査」という。)及びマンモグラフィー検査(以下「マンモグラフィー」という。)を実施した結果,触診により腫瘤を触知し,超音波検査により直径5mm前後の乳腺嚢胞が三,四箇所認められたことなどから,乳腺症と診断し,経過観察とした(以上につき,乙A2,4,弁論の全趣旨)。

イ 平成18年4月4日の診察(以下「第2回診察」という。)の経過・結果

本件患者は,同日,左乳房の違和感があると訴え,被告において第2回診察を受けた。被告は,第2回診察において,本件患者に対し,触診及び超音波検査を実施した結果,左右乳房に乳腺硬結や乳腺嚢胞が認められたため,左右乳腺嚢胞と診断し,3か月後に超音波検査を行うこととした(以上につき,乙A2,4,弁論の全趣旨)。

ウ 同年8月7日の診察(以下「第3回診察」という。)の経過・結果

本件患者は,同日,被告において,第3回診察を受けた。被告は,第3回診察において,本件患者に対し,触診及び超音波検査を実施したところ,触診では腫瘤を認めなかったものの,しこり様の硬結が見られ,超音波検査では左右の乳房に乳腺嚢胞が五,六箇所認められたため,多発性乳腺嚢胞と診断し,6か月後に超音波検査を行うこととした(以上につき,乙A2,4,弁論の全趣旨)。

エ 同年11月30日の診察(以下「第4回診察」という。)の経過・結果

その後,本件患者は,同日,Dクリニックでの受診を経て,同日,被告において,第4回診察を受けた。被告は,第4回診察において,本件患者に対し,触診及び超音波検査を実施したところ,触診により,左乳腺外側上部に直径3cm弱の腫瘤及び左腋窩(リンパ節)に腫れが見られ,超音波検査により,多房性の腫瘤像が見られたため,マンモグラフィーを実施した。その結果,左乳腺全体に硬化像が見られ,集簇性の微細石灰化像も認められたため,以上の所見から,多中心性・多発性の乳癌を疑い,細胞診検査を施行した。同年12月5日までに,細胞診検査の結果が悪性(classⅤ)であると判明したことから,被告は,同日,本件患者に対し,上記診断結果を伝えた上,同月8日に針生検組織検査を実施した。その結果,本件患者は浸潤性乳管癌であり,組織型は充実腺管癌であることが判明した(以上につき,乙A2,4,弁論の全趣旨)。

オ 第4回診察後,本件患者の死亡に至るまでの経緯

本件患者は,同月12日,被告の紹介により東北労災病院においてMRI検査を受け,同月19日には同病院に入院し,同月20日,左乳房切除手術を受けた。この時点における乳癌のステージはⅡBであり,エストロゲンレセプター(以下「ER」という。)及びプロゲステロンレセプター(以下「PgR」という。)は陰性,ヒト上皮細胞増殖因子受容体2型(以下「HER2」という。)が強陽性(3+)であった。

本件患者は,平成19年1月22日から抗癌剤治療を開始し,同年11月まで東北労災病院に通院した後,同月22日から平成20年6月まで東京医科大学病院にて治療を続けたが,同月,乳癌手術後の多発肺転移が確認されたため,同年7月10日から同病院にて抗癌剤ハーセプチン,抗悪性腫瘍薬ドセタキセルの投与を受けるなどして治療を続けた。しかし,同年9月ころから副作用が強く現れるようになり,ドセタキセルによる治療が困難となった結果,同年11月27日には肺転移巣が拡大していると診断された。

本件患者は,その後もハーセプチンによる治療を継続したが,平成21年12月10日には通院治療を中止し,同月9日以降,日本赤十字社医療センター緩和ケア科に通院の後,入院したものの,平成22年4月5日に両側肺野の結節の増大や新たな結節の出現が確認され,同月15日には,乳癌,肺転移により死亡するに至った(以上につき,乙A7ないし11,弁論の全趣旨)。

(3)  原告A及び原告Bは,本件患者の死亡の結果,相続により,本件患者の有した一切の権利を法定相続分各2分の1の割合により承継した(弁論の全趣旨)。

2  争点及び争点に関する当事者の主張

本件の争点は,①被告が,第2回診察(平成18年4月4日)の時点において,本件患者に対し,細胞診検査を実施すべき注意義務を負っていたにもかかわらずこれを怠った過失があるか否か(争点1),②被告が,第3回診察(平成18年8月7日)の時点において,本件患者に対し,細胞診検査を実施すべき注意義務を負っていたにもかかわらず,これを怠った過失があるか否か(争点2),③争点1に係る過失と本件患者の死亡との間の因果関係の有無ないし死亡時点における生存の相当程度の可能性の有無(争点3),④争点2に係る過失と本件患者の死亡との間の因果関係の有無ないし死亡時点における生存の相当程度の可能性の有無(争点4),⑤原告らが被った損害の有無及びその額(争点5)であり,これらの争点に関する当事者の主張は,以下のとおりである。

(1)  争点1(第2回診察時における過失の有無)について

(原告らの主張)

乳癌については,日本乳癌学会編「科学的根拠に基づく乳癌診療ガイドラインfile_3.jpg検診・診断(2005年版)」(甲B1。以下「乳癌診療ガイドライン」という。)において,一般的には触診,マンモグラフィー,細胞診検査を含めたトリプルテストが有用とされており,三つを併用すれば癌を見落とす率は非常に低いとされているから,経過観察の過程で通常とは異なる経過が認められた場合にはトリプルテストを行うことが医療水準に照らして要求されるというべきである。そして,本件患者については,第1回診察時において,「cyst(嚢胞)4~5個」との記載があるように触知可能な乳腺腫瘤が認められているところ,本件患者のように閉経後の女性の場合,乳腺嚢胞は消失するのが一般的であるのに,第2回診察時においても,左乳房の嚢胞性の病変が依然継続し,増強している印象すらあったことからすれば,乳腺嚢胞との診断を見直す必要性があったというべきであり,被告には,同時点において,触診と超音波検査にとどまらず,トリプルテストとして,細胞診検査を実施すべき注意義務があったというべきである。

(被告の主張)

第2回診察時における本件患者の左乳房外側中央部の超音波検査画像では,第1回診察時と同様,乳癌に典型的な不整形で輝度の低い,不均一な画像は認められず,直径5mm未満の乳腺嚢胞が見られるにとどまっていたところ,第4回診察時の画像は,それまでと全く異なった多房性の腫瘤像であり,この時点で初めて悪性の疑いが生じたものである。加えて,触診による腫瘤触知でも,第1回診察時には「+」であったものが,第2回診察時には「-」であった上,腋窩のリンパ節についても,同日時点では全く異常な所見が見られなかったこと,同日から3か月という短期間での再検査を指示していることからすれば,被告には,第2回診察時において,細胞診検査を実施すべき注意義務はなかったというべきである。

(2)  争点2(第3回診察時における過失の有無)について

(原告らの主張)

上記(1)の事実に加え,第3回診察時においても,本件患者の嚢胞性病変に消退傾向がなく,むしろ数が増えていること,超音波検査では五,六個の多発小嚢胞が存在しており,被告のコメントにも「cyst(嚢胞)集簇」との記載があることからすれば,被告には,同時点において,集簇する多発小嚢胞像の存在を前提に,本件患者に対する細胞診検査を実施すべき注意義務があったというべきである。

(被告の主張)

上記(1)と同様に,本件患者の超音波検査画像については,第3回診察時においても,乳癌に典型的な画像が認められず,直径5mm未満の乳腺嚢胞が数個見られるにとどまり,日本乳腺甲状腺超音波診断会議編「乳房超音波診断ガイドライン(改訂第2版)」(乙B15。以下「超音波診断ガイドライン」という。)のいう「限局する」多発小嚢胞像であるとはいえないこと,触診による腫瘤触知でも,第3回診察の時点では「-」の所見であったこと,腋窩のリンパ節についても,同時点では全く異常な所見が見られなかったことからすれば,被告には,同時点において,細胞診検査を実施すべき注意義務はなかったというべきである。原告らは,鑑定人E(以下「鑑定人」という。)による本鑑定の結果を援用して,同時点では小嚢胞数が増加しているため,細胞診検査を実施すべきである旨主張するが,超音波検査においては,スキャンの方向や角度の違いによって画像上見られる小嚢胞数が異なることがあり,同時点の画像上,小嚢胞数が増加しているということはできない。

(3)  争点3(争点1に係る過失と本件患者の死亡との間の因果関係の有無ないし死亡時点における生存の相当程度の可能性の有無)について

(原告らの主張)

ア 訴訟における因果関係の証明は,自然科学的証明ではなく,経験則に照らして全証拠を総合検討し,通常人が疑いを差し挟まない程度に真実性の確信を持ち得るかという判断である。乳癌は一般的に急激に発症,進展するとはされておらず,乳癌ではないと診断されてからその後に乳癌と診断され得るまでには6か月ないし1年を要するのが一般的である。また,乳癌においては,リンパ節転移数が少なければ少ないほど,乳癌治療後の生存率が高いとされ,リンパ節転移数が4個ないし9個の場合は,乳癌治療後の5年生存率が79.8%とされているところ,乳癌の確定診断がされる8か月前に当たる第2回診察の時点では,リンパ節転移数が10個未満であった蓋然性は高かったと推認すべきであるから,争点1に係る過失と本件患者の死亡との間には因果関係がある。なお,本件患者の乳癌がホルモンレセプター(ER,PgR)陰性,HER2が強陽性(3+)であるなど悪性が強いものであることは認めるが,このことが本件患者の予後をどの程度左右するかについては統一的な見解はない。

イ 仮に,第2回診察の時点で,本件患者のリンパ節転移数が10個以上であったとしても,5年生存率は55.5%とされているから,同時点で検査をしていれば,本件患者の死亡時においてなお本件患者が生存していた相当程度の可能性は認められる。

(被告の主張)

本件患者に発症した乳癌は,ホルモンレセプター(ER,PgR)が陰性,HER2が強陽性(3+),Ki67が高値という高度の悪性を示しているところ,予後の不良さと進行の速さとが一致することを踏まえると,本件患者の乳癌は短期間に左乳房全体を占める多房性・多発性の癌で,進行度の極めて速いタイプのものといえるから,第2回診察の時点では,本件患者の乳癌は未だ発症していなかったというべきである。原告らは,同時点における本件患者のリンパ節転移の個数は10個未満であり,5年生存率は79.8%であったから因果関係は認められる旨主張するが,同時点のリンパ節転移の個数が10個未満であったことを裏付ける証拠はない上,リンパ節転移の個数のみで生存率を判断することは不可能である。仮に,同時点で本件患者の乳癌が発見されたとしても,上記のような本件患者の乳癌の性質からすれば,リンパ節転移の有無は不明であり,その後の生存率も一般的な乳癌と同様とは考え難いから,争点1に係る過失と本件患者の死亡との間には因果関係はなく,その死亡の時点における生存の相当程度の可能性もない。

(4)  争点4(争点2に係る過失と本件患者の死亡との間の因果関係の有無ないし死亡時点における生存の相当程度の可能性の有無)について

(原告らの主張)

ア 上記(3)と同様に,乳癌の確定診断がされた4か月前に当たる第3回診察の時点では,リンパ節転移数が10個未満であった蓋然性があったと推認すべきであるから,争点2に係る過失と本件患者の死亡との間には因果関係がある。

イ 仮に,第3回診察の時点で,本件患者のリンパ節転移数が10個以上であったとしても,5年生存率は55.5%とされているから,同時点で検査をしていれば,本件患者の死亡時においてなお本件患者が生存していた相当程度の可能性は認められる。

(被告の主張)

上記(3)で述べた本件患者に発症した乳癌の進行度の速さからすれば,第3回診察の時点でも,本件患者の乳癌は未だ発症していなかったというべきである。また,同時点でも,本件患者のリンパ節転移の個数が10個未満であったとする原告らの主張には何ら裏付けがない。仮に,同時点で本件患者の乳癌が発見されたとしても,上記(3)のような本件患者の乳癌の性質からすれば,リンパ節転移の有無は不明であり,その後の生存率も一般的な乳癌と同様とは考え難いから,争点2に係る過失と本件患者の死亡との間には因果関係はなく,その死亡の時点における生存の相当程度の可能性もない。

(5)  争点5(原告らが被った損害の有無及びその額)について

(原告らの主張)

ア 因果関係が認められる場合においては,本件患者の損害としては,入通院慰謝料40万円,死亡慰謝料2000万円,休業損害11万4000円(専業主婦として1日当たり5700円相当の収入があったところ,平成18年12月19日から同月30日までの期間及び平成19年1月22日から同月23日までの期間の入院日数合計14日分,並びに平成19年2月以降の通院回数12回分を通院1回当たり半日分と計算した6日分の合計20日分を請求するもの),弁護士費用50万円の合計2101万4000円が認められるべきであり,原告らは,本件患者の死亡の結果,相続により,上記合計額に係る損害賠償請求権を各2分の1の割合により承継したものである。

イ 仮に因果関係が否定され,死亡時点における生存の相当程度の可能性が認められる場合においては,その可能性を侵害した精神的苦痛に対する慰謝料として1000万円が認められるべきであり,原告らは,本件患者の死亡の結果,相続により,上記金額に係る損害賠償請求権を各2分の1の割合により承継したものである。

(被告の主張)

いずれも争う。

第3当裁判所の判断

1  本件と関連する医学的知見

後掲証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の医学的知見が認められる。

(1)  乳癌

乳房のしこりを来す疾患については,腫瘍,腫瘍様病変(乳管拡張症など腫瘍のように塊をなすが,実際には腫瘍でないもの),乳腺症,炎症に大別されるところ,腫瘍の中でも上皮性の悪性腫瘍が乳癌であり,乳癌は,癌細胞が間質に浸潤しているか否かによって,浸潤癌(なお,このうち9割が浸潤性乳管癌であるとされる。)と非浸潤癌とに分けられる。浸潤癌のほとんどは腫瘤を形成し,ある程度の大きさになると,しこりとして触知されるため,必ず鑑別しなければならない病変とされている(以上につき,乙B1)。

一般に癌の予後因子としては,患者の状態のほか,進行度,悪性度が挙げられるところ,乳癌の臨床診療において有用とされているのが,ER,PgR及びHER2などである。HER2は乳癌の強力な予後因子であり,HER2検査は,乳癌診療ガイドラインにおいて,浸潤性乳癌の予後予測に際して強く推奨(2008年での推奨グレードはA)されている。初発乳癌では,腫瘍径の大きいもの,リンパ節転移例,ER陰性・PgR陰性,そしてHER2過剰発現例では,増殖能は明らかに強いとされており,増殖能の強い症例では乳癌の急速な進行や生存期間の短縮が見られる(以上につき,乙B7ないし10,23ないし25,30)。

(2)  乳腺症

乳腺の上皮と間質における増生,退縮,化生などの変化が複合して見られ,それらが一つの局面を形成している状態を指し,線維嚢胞性乳腺症とも呼ばれる。増殖性変化と退行性変化の共存した病態であり,増殖性変化としては乳管上皮や小葉内細乳管の過形成や乳管の局所的な増殖(腺症)が見られ,退行性変化としては間質の線維化が見られる。その結果として,硬化性腺症や線維症となったり,乳管の通過障害が起きたりして,拡張した乳管が嚢胞(cyst)を形成する。嚢胞は乳管の拡張によって発生するため,一つの嚢胞が単独で存在することはなく,通常多発している。30歳ないし40歳代の女性に好発し,閉経後の女性では減少するとされている。乳腺症の中に含めている嚢胞は大きくなると硬い腫瘤として触れるため,触診上は線維腺腫と似た特徴を持っているので,超音波検査により鑑別しなければならない(以上につき,甲B10,乙B1,14)。

(3)  乳癌や乳腺症の検査,鑑別診断の方法について

ア 超音波検査

乳腺内に腫瘍性病変が発見された場合,その良性又は悪性の判定は,形状,縦横比,辺縁の状態,境界エコー,線維性結合組織と境界線,内部エコー(腫瘤内部の均質性を見るもの),後方エコーなどの所見を用いて行う。典型的な乳癌では,不整形で内部エコーは輝度の低い,かつ不均一な像を示す。縦横比が1より大きいこと(良悪の基準値は0.7),辺縁が粗く,境界エコーは分厚く帯状に見えること,線維性結合組織が腫瘍に巻き込まれたような像を示すことなども悪性を示す所見である(以上につき,乙B1)。

他方,乳腺症では,増殖と間質の萎縮が混在し,斑点状の変化を来すため,超音波検査では,広範囲な不均一エコー像で,小斑状の低エコー域が散在する「豹紋状」の画像を呈する。その変化の程度と触診上の硬さとは並行しない。乳腺症の中の嚢胞は,内部に液体を溜めていて内部エコーの輝度は低く,周囲の乳腺とのコントラストが強くなるので,小さな病変でも確認ができる(以上につき,甲B10,乙B1)。超音波検査は,乳癌診療ガイドラインにおいて,乳腺病変の良悪の鑑別には有用とされ(推奨グレードB),視触診やマンモグラフィーでは検出できない乳癌が検出可能であることが確認されている(乙B3)。

なお,超音波診断ガイドラインでは,一般的に多発小嚢胞像を認めた場合は,大部分が乳腺症であると考えられ,検診の場においては明らかに局在性に集簇するもののみを要精査とすべきであるとされている(乙B15)。

イ マンモグラフィー

乳癌の診断方法として古くから確立された方法で,描出された腫瘤陰影と石灰化像から,その腫瘤の良性・悪性を診断していくことになる。乳癌の典型的な像は,放射性陰影を有する不整形の腫瘤陰影で,周辺の透明帯を伴わないか,伴ったとしても不均一なものである。また,形状不整の集簇した微小石灰化像は,乳癌を疑う所見であり,触診では触れないような微小な乳癌の存在を発見する決め手となることがあるので,見逃してはならないとされている。乳腺症や線維腺腫などの良性腫瘍でも石灰化を伴うことがあるが,比較的大きな丸い石灰化として現れ,ぱらぱらと散在性に見られることが多い(以上につき,乙B1)。

ウ 細胞診検査

乳房のしこりに対して,視触診と画像診断により悪性が疑われる場合は,病理学的な診断として,まず細胞診検査を行う(乳癌診療ガイドラインにおいて,触知可能な乳腺腫瘤に対する有用度は,推奨グレードBとされている。)。針で病変を穿刺し,注射器で吸引をして細胞を採取するもので,診断は,細胞の異型度から,classⅠ(正常)ないしclassⅤ(悪性(癌))の5段階で行われる。乳癌に対する正診率は90%以上とされているものの,穿刺方法や診断医の経験に大きく依存しているとされている。細胞診検査で確定診断が得られない場合は,穿刺組織診あるいは摘出生検により確定診断を行うことが必要である(以上につき,甲B1,乙B1)。

エ 上記各検査方法を用いた鑑別診断の方法について

乳房の疾患の多くが乳房のしこりという症状を呈するため,これらを鑑別診断するためには,視触診及び超音波検査が広く用いられており,それに乳房用のX線撮影装置があれば乳房撮影を加えることにより確実な診断が可能となるが,しこりの訴えがある場合には,視触診で異常所見がなくても超音波検査又はマンモグラフィーを行うべきであるとされ,超音波検査の結果,嚢胞が見られた場合については,経過観察を行うか,細胞診検査を行うものとされている(乙B1)。

視触診,超音波検査とマンモグラフィーを組み合わせることにより,9割以上の症例で診断可能となり,乳癌の診断には超音波検査とマンモグラフィーが必須検査であるとされている。病歴情報,身体所見,スクリーニング検査(超音波検査,マンモグラフィー)の結果に基づき,腫瘍の存在が疑われたときには確定診断を得るために細胞診検査や摘出生検などの病理学的診断へと進むことになる(以上につき,甲B9,乙B1)。

なお,乳癌診療ガイドラインにおいては,一般的には触診,マンモグラフィー,細胞診検査を含めたトリプルテストが有用で,三つを併用すれば癌を見落とす率は非常に低いとされており(457例の癌患者において,三つのテストが全て陰性であったのは0.7%),マンモグラフィーの代わりに超音波検査を組み合わせても,約95%の感度で癌の診断が可能であるとされている。同ガイドラインでは,30歳以上の硬結・腫瘤で,超音波検査において嚢胞性腫瘍が見られた場合に,腫瘤が持続し又は血性内容物があるときは,再吸引,超音波検査又は外科的切除を行うとされている(以上につき,甲B1)。

2  争点1(第2回診察時における過失の有無)について

(1)  認定事実等

上記1の医学的知見を前提に,まず,争点1について検討するに,前記前提事実のほか,後掲証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実等が認められる。

ア 被告は,第2回診察時において,本件患者に対し,視触診及び超音波検査を実施し,超音波検査の画像上,乳腺嚢胞を数個(角度を変えると多数)発見したことから,「tumor(腫瘤ないし腫瘍)様induration(硬結)」と記載し,乳腺症と診断して,3か月後に超音波検査の再検査を受けるよう指示し,1年2か月後に超音波検査及びマンモグラフィー検査の実施を予定することとした(前記前提事実(2),乙A2,被告本人尋問2,3,10頁)。

イ 本件患者の超音波検査画像においては,第1回診察の時点で左乳房外側中央部に三,四個の乳腺嚢胞が見られ,嚢胞の大きさは,最も大きいもので直径4.9mmであったところ,第2回診察の時点では,左乳房外側中央部に乳腺嚢胞が数個見られ,嚢胞の大きさはいずれも直径5mm未満であり,大きいもので直径4.4mmであった(以上につき,乙A4)。

ウ 鑑定人は,本件患者の超音波検査画像につき,第1回診察時,第2回診察時のいずれについても,乳腺内に小嚢胞が散在しており,嚢胞内も含めて明らかな腫瘤性病変は認められないとした上で,被告が第2回診察時の超音波検査のコメントとして「cyst(嚢胞)集簇」と記載していることなどを踏まえ,第2回診察における超音波検査の際には,細胞診検査又は針生検を考慮する必要があった可能性はあるとしつつ,被告が本件患者に対して3か月後に超音波検査の再検査を受けるよう指示しているため,細胞診検査又は針生検を省略することも可能であった旨の意見を述べている(鑑定人による本鑑定,補充鑑定の各結果)。

(2)  上記(1)の認定事実等に基づく判断

上記(1)の認定事実等を基に検討するに,乳癌の診断に当たっては,視触診のほか,超音波検査又はマンモグラフィーが必須であるとされ,超音波検査により嚢胞が確認された場合には経過観察又は細胞診検査を行い,悪性が疑われる場合には病理学的な診断として,細胞診検査を行うとされている(前記1(3)ウ,エ)。そして,乳癌では,超音波検査の画像上,不整形,不均一な所見を示し,縦横比も1より大きくなるのに対し,乳腺症では広範囲に不均一なエコー像で,小斑性の低エコー域が散在する「豹紋状」の画像となるところ(同ア),第2回診察時における本件患者の左乳房外側中央部の超音波検査画像(乙A4・4頁ないし6頁)では,直径5mm未満の小嚢胞が数個見られるものの,第1回診察時の画像(乙A4・1頁及び2頁)と比較しても,小嚢胞の数が若干増加しているにとどまっており,1か所又は複数部位に集中しつつあるとは認められず,小嚢胞は「豹紋状」に散在していると見るのが相当であって,超音波診断ガイドラインが,要精査の対象を局所性,集簇性の多発小嚢胞としていること(前記1(3)ア)に鑑みると,第2回診察時の超音波検査画像所見は,悪性を疑うべき場合に当たるということはできない。

したがって,第2回診察時における本件患者の超音波検査画像を基に,乳腺症と診断して3か月後の再検査を指示した被告の判断は,当時の医療水準に照らして相当であるから,被告が,同時点において,本件患者に対し,細胞診検査を実施すべき注意義務に違反したとはいえず,争点1に係る過失は認められない。

(3)  原告らの主張に対する検討

ア これに対し,原告らは,超音波診断ガイドラインの位置付けに関し,同ガイドラインを作成した日本乳腺甲状腺超音波診断会議はNPO法人であって,日本乳癌学会等の学会が作成したものではないから,同ガイドラインをもって臨床医学の実践における医療水準と見ることはできない旨主張する。しかしながら,原告らが医療水準として主張する乳癌診療ガイドラインも,超音波検査につき,腫瘤性病変における良悪の鑑別に有用であるとして推奨グレードBと位置付けた理由に関する記述の中で,超音波診断ガイドライン(ただし,平成16年7月時点のもの)が超音波検査について現実的かつ精度の高い基準を定めたものであること,同ガイドラインが超音波検査を有効であるとして推奨していることを紹介していること(乙B3)などからすれば,超音波診断ガイドラインの記載が絶対的なものとはいえないとしても,前記認定のとおり,過失の有無を判断するに当たり考慮すべき重要な要素にはなるものというべきである。

イ また,原告らは,乳癌診療ガイドラインによれば,本件患者のように閉経後の女性の場合,乳腺嚢胞は消失するのが通常であるのに,本件患者については,平成17年6月6日以降,平成18年4月4日の時点でも乳腺嚢胞が継続して存在し,増強している印象すらあるから,トリプルテストとして細胞診検査を実施すべきであった旨主張する。

確かに,トリプルテストとして細胞診検査を実施するならば,乳癌を見落とす率が極めて低くなるであろうことは,原告らが指摘するとおりであるが,上記(2)で検討したとおり,細胞診検査については視触診及び超音波検査により悪性の疑いがある場合に実施すべきであるとされていること(前記1(3)エ)からすれば,乳癌診療ガイドラインの記載は,トリプルテストの有用性を指摘しているにとどまるというべきであって,通常の経過と異なる経過が認められた場合には積極的に細胞診検査を実施することまでを医療水準として要求しているものと見ることはできない。

加えて,乳癌診療ガイドラインも,硬結,腫瘤が見られる30歳以上の患者に対しては,超音波検査により嚢胞性腫瘍が認められ,腫瘤が持続した場合であっても,再吸引,超音波検査又は外科的切除の三つを選択肢として認めており(同前),腫瘤が持続したからといって,必ずしも細胞診検査を実施すべきとはしていないことや,閉経後の女性の乳腺嚢胞が必ず消失するとはされていないこと(前記1(2)参照)からすれば,本件患者が閉経後の女性であることを考慮しても,第2回診察の時点において本件患者の乳腺嚢胞が悪性であることを疑うべきであったとはいえず,同時点において,被告が3か月後に超音波検査の再検査を受けるよう指示したことは相当であるから,原告らの上記主張は採用できない(なお,被告は,同時点の超音波検査画像の上部に「cyst(嚢胞)集簇」と記載しているが(乙A4),上記(2)で検討したとおり,同時点の超音波検査画像では,嚢胞が複数見られるものの,その分布状況については,散在していると見るのが相当であり,被告も最終的にはそのように判断して経過観察を指示したと考えられるから,上記記載の存在は結論を左右しない。)。

ウ その他,原告らが縷々主張するところも上記結論を左右するに足りない。

3  争点2(第3回診察時における過失の有無)について

(1)  認定事実等

前記1の医学的知見を前提に,争点2について検討するに,前記前提事実のほか,後掲証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実等が認められる。

ア 被告は,第3回診察時において,本件患者に対し,視触診及び超音波検査を実施し,超音波検査の画像上,直径5mm未満の乳腺嚢胞を五,六個から多数発見したが,スキャンの角度によって発見される嚢胞数が変化するため,本件患者の乳腺嚢胞の個数や大きさは第2回診察時から変化していないと判断し,「tumor(腫瘍ないし腫瘤)様induration(硬結)」,「multiple cyst(多発性嚢胞)あり」と記載した上で,6か月後に超音波検査等の再検査を受けるよう指示した(前記前提事実(2)ウ,乙A2,被告本人尋問4,5,12頁)。

イ 本件患者の超音波検査画像によれば,第3回診察の時点では,左乳房外側中央部に乳腺嚢胞が五,六個から多数,左乳房外側上部に乳腺嚢胞が三,四個見られ,嚢胞の大きさはいずれも直径5mm未満であり,外側上部の乳腺嚢胞については,大きいもので直径4.6mmであった(乙A4)。

ウ 鑑定人は,本件患者の超音波検査画像につき,第3回診察の時点では,第2回診察時と比べて明らかに多発小嚢胞の数が増えているとした上で,第3回診察時には細胞診検査又は針生検を実施する必要はあった旨の意見を述べる一方,被告が診療録に,検査結果は同じである旨記載していることから,画像記録に残されているより変化が軽微であった可能性は否定できないとの意見を述べている(鑑定人による本鑑定,補充鑑定の各結果)。

(2)  上記(1)の認定事実等に基づく判断

上記(1)の認定事実等を基に検討するに,第3回診察時の超音波検査画像によれば,本件患者の左乳房外側中央部の乳腺嚢胞の数は少なくとも五,六個であり,同年4月4日の超音波検査画像と比較しても,増加している上,嚢胞の分布状況についても,第2回診察時の画像では数個の嚢胞が散在しているにとどまっていたが,第3回診察時の画像(乙A4・8頁ないし9頁)では,1か所ないし複数部位にわたって集中している(図面上,赤線で囲まれている各嚢胞が第2回診察時の画像よりも互いに近接するとともに,一つ一つの囲みの内側に第2回診察時に見られた規模の小嚢胞が複数見られる)ことが認められるので(上記(1)イ,ウ,乙A4),多発小嚢胞が集簇した状態であるということができる(この点に関し,被告は,超音波検査においては,スキャンの方向や角度の違いによって画像上見られる小嚢胞数が異なるため,小嚢胞数が増加しているとはいえない旨主張するが,前記鑑定の結果に照らし,上記主張は採用できない。)。

そして,乳房超音波診断ガイドラインにおいても,局所性,集簇性の低エコー域が見られた場合には細胞診検査を含む精査が必要であるとされていること(前記1(3)ア)に加え,閉経後の女性である本件患者の乳腺嚢胞が第1回診察(平成17年6月6日)以降,第2回診察(平成18年4月4日)を経て,第3回診察(同年8月7日)時点でも存続していることを踏まえると,第3回診察の時点では,当初の乳腺症との診断に相当程度疑義が生じていたというべきであり,本件患者の乳腺嚢胞が悪性であることを疑って,細胞診検査により乳癌か否かの診断を行い,その結果を踏まえて更に適切な医療措置を講じていくべきであったといえるから,これを怠った被告には,本件患者に対する細胞診検査を行うべき注意義務に違反し,乳癌の進行を回避するために必要な措置を怠った過失があると認められる。

(3)  被告の主張に対する検討

これに対し,被告は,第3回診察時における本件患者の超音波検査画像には,乳癌に典型的な所見が認められず,直径5mm未満の乳腺嚢胞が数個見られるにとどまり,限局(乳房全体から見て特定の部位に限られて認められること)する多発小嚢胞像ではないことから,争点2に係る過失はない旨主張するが,細胞診検査については,明確な乳癌の画像が認められた場合のみに行えば足りるものではなく,視触診及び超音波検査により悪性の疑いがある場合に実施すべきものとされている(前記1(3)エ)ところ,上記(2)のとおり,乳腺嚢胞の集簇が認められる本件においては,悪性の疑いを持つことが当時の医療水準に照らして要求されていたと見るべきであるから,被告の上記主張は採用できない(なお,本件の証拠上は,超音波検査の結果を示すものとして静止画像があるにとどまるため,乳腺嚢胞が限局しているか否かは判断することができないものの,乳房超音波ガイドライン上も局在性,集簇性のものを要精査としていることからすれば,必ずしも限局していることが証拠上認められなくても,上記結論を左右しない。)。

また,被告は,触診による腫瘤触知が「-」の所見であったことなどを主張するが,細胞診検査は,視触診やマンモグラフィーでは検出できない乳癌を検出することができるとされており(同ア),触診の結果が「-」であるからといって細胞診検査を実施しないことを正当化することはできないから,被告の上記主張は採用できない。

その他,被告が縷々主張するところも上記認定を左右するに足りない。

4  争点4(争点2に係る過失と本件患者の死亡との間の因果関係の有無ないし死亡時点における生存の相当程度の可能性の有無)について

(1)  前記1の医学的知見を前提に,争点4について検討するに,前記前提事実のほか,後掲証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実等が認められる。

ア 平成18年12月時点における本件患者の乳癌のステージはⅡBであり,ホルモンレセプター(ER及びPgR)は陰性,HER2は強陽性(3+),Ki67は高値(30%)であった(前記前提事実(2)エ,オ,乙A7ないし11)。

イ 一般に,癌の予後因子としては,患者の状態のほか,進行度,悪性度が挙げられるところ,HER2の過剰発現例では,病状の急速な進行や生存期間の短縮が見られるなど予後が不良であるとされている(前記1(1))。

ウ 乳癌は,一般的に発症から顕在化してくるまで10年近く要すると考えられており,通常長い経過で徐々に成長,進展,転移していくため,数か月から1年程度,発見と治療の開始が早まったとしても治療成績に大きな差はないと考えられている。乳癌の成長速度については,Tumor doubling time(腫瘍が2倍の大きさになるまでの時間を指す。以下「腫瘍倍加時間」という。)を基に検討するのが一般的であり,国内における乳癌の症例では,腫瘍倍加時間の中央値は174日(乳頭腺管癌では252日)とされているものの,症例によりかなり幅があるとされている(以上につき,鑑定人による本鑑定,補充鑑定の各結果)。

エ 鑑定人は,第3回診察の時点で本件患者の乳癌を発見して治療を開始した場合であっても,本件患者の乳癌の根治(治癒)可能性は,実際の治療経過におけるのと同等であるとした上で,上記場合における本件患者の生存可能性(5年生存率,10年生存率)については,推定できないとの意見を述べている(鑑定人による本鑑定,補充鑑定の各結果。なお,原告らは,根治可能性は同等であるとした見解は実質的に修正されており,推定不能という鑑定結果に止まる旨主張するが,鑑定人がそのような留保を付さずに,生存可能性に関する意見を述べていることからすれば,根治可能性が同等である旨の意見が修正されたと見ることはできず,原告らの主張は採用できない。)。

オ ホルモンレセプター(ER,PgR)陰性の乳癌については,比較的副作用が少ないとされるホルモン療法の適応がなく,トラスツズマブ投与と化学療法の併用により治療することが標準的治療方法となるところ,同治療方法によれば,一定の奏功率(治療を受けた患者のうち,癌の大きさが半分以下になり,その状態が1か月以上続いた患者の比率のこと)を得られるとされている反面,心不全等の重篤な心障害,アナフィラキシー様症状(呼吸困難,喘息等),白血球減少等の副作用があり,副作用が現れた場合には治療を中止しなければならないとされている(乙B28,29)。

(2)  上記(1)で認定した事実等を基に検討するに,本件患者について,第3回診察時には,細胞診検査を実施すべき所見は見られたものの,明らかに悪性の乳癌を示す所見までは認められず(前記前提事実(2)ウ),乳癌が一般的には徐々に成長,進展,転移していくこと(上記(1)ウ),乳癌の治療成績も,一般的には治療開始時期が1年程度早まった場合でも大差がないとされていること(同前)に加え,本件患者の乳癌については,第3回診察時に治療を開始したとしても根治(治癒)可能性は,実際の治療経過におけるのと同等であること(同エ),抗癌剤による治療は副作用が現れた場合には中断しなければならない(同オ)ところ,本件患者も実際に副作用の出現により治療を中断した結果,肺転移が増大していること(前記前提事実(2)オ)に鑑みれば,そもそも,第3回診察の時点において,細胞診検査を実施したとしても,本件患者の乳癌を治療して死亡の結果を回避することができた高度の蓋然性があったとは認め難い。

もっとも,医師による過失行為と患者の死亡との間の因果関係の存在が証明されなくとも,医療水準に適った医療が行われていたならば,患者がその死亡の時点においてなお生存していた相当程度の可能性の存在が証明されるときは,医師は,患者に対し,不法行為ないし債務不履行による損害を賠償する責任を負うものと解するのが相当である(最高裁平成12年9月22日第2小法廷判決・民集54巻7号2574頁,最高裁平成16年1月15日第1小法廷判決・集民213号229頁参照)。

そこで,更に検討するに,第3回診察(平成18年8月7日)から本件患者の死亡(平成22年4月15日)までに3年8か月余が経過しているところ,上記のとおり,本件患者について,第3回診察時に乳癌の治療を開始した場合の5年生存率ないし10年生存率も不明であるとされていること(上記(1)エ),第3回診察の時点では明らかな乳癌の所見は認められていなかったにもかかわらず,同時点から約4か月後の平成18年12月時点では既に悪性度の高い乳癌に進展しており(前記前提事実(2)ウないしオ),本件患者の乳癌の腫瘍倍加時間は比較的短期間であった可能性が認められる一方,本件患者についてはホルモン療法の適応はないものの,トラスツズマブと化学療法の併用によって一定の奏功率を得られるとされていること(上記(1)ア,オ)を併せ考慮すると,第3回診察の時点で本件患者に対する細胞診検査を行い,乳癌の治療を開始していたならば,本件患者が,その死亡時においてなお生存していた相当程度の可能性はあったものと認められる。

(3)  これに対し,原告らは,第3回診察時における本件患者のリンパ節転移数は10個未満であったことを前提に,5年生存率は79.8%であるから,同時点で治療を開始していれば,本件患者がその死亡時においてなお生存していた高度の蓋然性がある旨主張するが,第3回診察の時点における本件患者のリンパ節転移数が証拠上明らかでないことに加え,原告ら主張の生存率に関する文献(甲B18等)は,乳癌患者全体を対象とした数値を記載したものであって,本件患者にそのまま妥当するものとはいえないこと,HER2陽性症例では再発までの期間が極めて短く,再発後の生存期間も有意に短いとされている(乙B12の2)ところ,本件患者については第3回診察の時点で明らかな乳癌の所見は認められなかったにもかかわらず,そのわずか4か月後の平成18年12月の時点では,既に本件患者の乳癌がHER2強陽性であるなど悪性度の強いものであったこと(上記(1)ア)を踏まえると,原告らの主張する生存率を前提に本件患者の生存可能性を判断することはできない。

加えて,本件患者の治療開始日である平成18年12月から本件患者が死亡した平成22年4月までの期間が3年4か月程度であるのに対し,第3回診察の時点から実際に本件患者の乳癌に対する治療が開始された平成18年12月の時点までの期間が4か月程度であることからすれば,第3回診察の時点で乳癌を発見して治療を開始したとしても,本件患者の予後が左右されたとはいえず,前記鑑定の結果も考慮すると,本件患者の死亡時になお生存していた高度の蓋然性は認められないから,原告らの主張は採用できない。

他方,被告は,本件患者の乳癌の悪性度の高さ等を理由に,第3回診察時に治療を開始したとしても,本件患者がその死亡時においてなお生存していた相当程度の可能性は認められない旨主張するが,上記(2)で検討したとおり,第3回診察時においては未だ明らかな乳癌の所見は見られていなかったこと(前記前提事実(2)ウ)から,同時点で治療を開始すれば,一定の治療効果を得られたことは否定できないところ,本件患者に適応のあるトラスツズマブ等による治療により一定の奏功率が得られるとされていること(上記(1)オ)からすれば,悪性度の高さ等の理由により本件患者の乳癌の進行が急速である可能性が高いこと(前記1(1))を踏まえても,なお上記相当程度の可能性は認められるというべきであり,被告の上記主張は採用できない。

その他,原告ら及び被告がそれぞれ主張するところはいずれも上記(2)の結論を左右しない。

5  争点5(原告らが被った損害の有無及びその額)について

(1)  慰謝料

本件患者は,被告が,第3回診察の時点において,本件患者に対する細胞診検査を怠った結果,その死亡時点でなお生存していた相当程度の可能性を侵害されたものであるところ,本来実施されるべき検査を受けられないまま,乳癌の宣告を受け,治療を継続しながらも死亡するに至った本件患者の精神的苦痛の程度は,決して軽視できるものではないが,他方において,過失の態様や本件患者の乳癌の性質,予後という点で見ると,平成18年8月7日の第3回診察の時点で明らかな乳癌の所見を見落としたわけではないこと,同年12月の乳癌に対する治療開始の時点で本件患者の乳癌が悪性度の高いものであり,ホルモン療法の適応がないこと,第3回診察時(平成18年8月7日)から本件患者に対する乳癌の治療開始時期(同年12月ころ)までが約4か月離れているにとどまっており,第3回診察時点で治療を開始しても本件患者の予後に大きく影響を与えるとまではいい難いこと(前記4(1)ウ),本件患者に対して実際に行われた抗癌剤治療が副作用等により中断していることなどが認められ,上記一切の事情を総合考慮すると,本件患者が上記相当程度の可能性を侵害されたことにより被った損害(精神的苦痛)に対する慰謝料は300万円と認めるのが相当である。

(2)  弁護士費用

本件患者の弁護士費用相当分の損害については,本件事案の性質・内容,訴訟の経過等に照らし,30万円と認めるのが相当である。

(3)  相続

本件患者の死亡により,原告A及び原告Bは,上記合計額の2分の1である165万円ずつの損害賠償請求権をそれぞれ相続した(前記前提事実(3))。

第4結論

以上の検討によれば,原告らの請求は,被告に対し,それぞれ165万円及びこれに対する本件患者の死亡日である平成22年4月15日から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからその限度で認容し,その余は理由がないから棄却することとし,訴訟費用の負担につき民事訴訟法64条本文,65条1項本文,61条を,仮執行及び仮執行免脱の各宣言につき同法259条1項,3項をそれぞれ適用して,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 関口剛弘 裁判官 吉賀朝哉)

裁判官渡辺力は,転補につき,署名押印することができない。裁判長裁判官 関口剛弘

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