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仙台地方裁判所 平成20年(ワ)848号 判決

主文

1  被告は,原告らに対し,それぞれ1046万0568円及びこれに対する平成19年6月14日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2  原告らのその余の請求を棄却する。

3  訴訟費用はこれを3分し,その2を被告の負担とし,その余を原告らの負担とする。

4  この判決は,第1項に限り,仮に執行することができる。

事実及び理由

第1請求

被告は,原告らに対し,それぞれ1844万7143円及びこれに対する平成19年6月14日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

第2事案の概要等

1  事案の概要

本件は,原告らが,原告らの子であるAの診療行為を行った甲病院(以下「被告病院」という。)のB医師(以下「被告医師」という。)にイレウスを念頭においた鑑別診断及び治療を行うべきであったのにこれを怠った過失があるとして,被告に対し,民法715条に基づく損害賠償及びこれに対するAの死亡の日を起算日とする遅延損害金の支払いを請求した事案である。

なお,以下において,平成19年の事実については年の標記を省略する。

2  前提事実(争いがない事実,明らかに争わない事実,後掲各証拠により容易に認定できる事実)

(1)  原告CはAの実父であり,原告DはAの実母である。なお,Aに子はいない。[争いがない]

Aは昭和62年8月21日に出生し,平成19年時点において,身長約165センチメートル,体重約50キログラムであり,精神発達遅滞のため会話をすることは困難であった。[争いがない]

Aは障害者を対象とした施設にバスで通所し,バイク部品の組み立て等の工務作業に従事していた。[甲A1]

被告は,被告病院を設置管理する医療法人である。[争いがない]

被告医師は,平成19年当時,被告病院消化器科の科長として勤務していた。[証人B1頁]

(2)  Aは,6月12日の昼頃から具合が悪くなり,以後,嘔吐や左側腹部を痛そうにする症状が継続した。[乙A6・5頁,原告D3頁]

Aは,同日19時25分頃,原告らとともに,救急外来にて被告病院を受診した(以下,この時点での受診を「初診時」という。)。

被告医師は,Aに対し,採血,点滴,腹部レントゲン及び超音波検査を実施した結果,ガス貯留による腹痛症の疑いと診断し,体動が収まったことから経過観察として帰宅させた。[乙A6・5頁,証人B6頁,同39頁]

(3)  Aは,帰宅してから少し経つと,再び苦痛の表情を浮かべ,嘔吐及び吐き気が継続するようになった。[甲A1,証人B61頁]

そこで,Aは,6月13日午前0時10分頃,原告らとともに,救急外来にて被告病院を再び受診した(以下,この時点での受診を「再診時」という。)。

[争いがない]

被告医師は,経過観察の目的でAを入院させた(以下,同入院からAの死亡時までを「入院後」という。)。[証人B8頁]

(4)  Aは,入院後である6月14日午前3時頃,原告Dからのナースコールにより心肺停止の状態で発見され,同日午前4時57分に死亡した。[乙A5・1頁,同2頁,乙A7・6頁]

3  争点

(1)  6月12日19時25分(初診時)にイレウスを念頭においた鑑別診断及び治療を怠った被告医師の過失の有無

(2)  6月13日0時10分(再診時)にイレウスを念頭においた鑑別診断及び治療を怠った被告医師の過失の有無

(3)  被告病院に入院した後にイレウスを念頭においた鑑別診断及び治療を怠った被告医師の過失の有無

(4)  上記(1)ないし(3)の過失と下記(5)の損害との間の因果関係

(5)  損害の発生及びその損害額

4  争点に対する当事者の主張

別紙「争点・主張整理表」記載(省略)のとおりである。

第3当裁判所の判断

1  本件における診療経過

当事者間に争いのある部分(以下(1)ないし(3))について後掲各証拠により以下のとおり認定し,必要に応じて後記2のとおり補足する以外は,別紙「診療経過一覧表」記載(省略)のとおりである。

(1)  6月12日19時25分

ア 原告Dの説明内容

原告Dは,被告医師ないし被告病院看護師に対し,Aが通所施設にいた同日昼頃から具合が悪そうであったこと,施設から帰宅した後も左側腹部が痛そうな様子で嘔吐があり元気がなかったこと,被告病院受診前に浣腸により排便があったこと,呑気症であればお腹の調子は良くなることから今回は呑気症の症状とは異なることを伝えた。[甲A1,証人B2頁,弁論の全趣旨]

なお,排ガスの停止については,それを説明したか否か明確に認定することができない。

イ 筋性防御の有無

被告医師は,Aの腹部を短時間ながら触診したところ,Aの腹部は柔らかく,筋性防御等は認められなかった。[証人B3頁,原告D16,同17頁]

(2)  6月13日6時(腹痛の有無)

一時的に腹痛が治まっていた可能性や鎮痛剤の効果により腹痛が治まっていた可能性を否定できないことから,この時点で腹痛があったか否かを明確に認定することはできない。

(3)  6月13日23時(セルシン投与の有無)

この時点においてセルシンを点滴注射した事実は認められない(なお,乙A4号証13頁の記載は,同日22時40分のセルシン1A投与を実施後に入力したものであると考えられる。)。

2  別紙「診療経過一覧表」に補足して認定する事実

前提事実及び上記認定の診療経過に加え,後掲各証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実を認めることができる。

(1)  Aの既往等について

Aは,平成10年頃,乙病院において慢性扁桃炎の手術を受けた。[乙A7・13頁]

Aは,平成12年頃から死亡時まで,丙病院における呑気症に対する投薬及び様子観察,丁病院における知的障害のための安定剤の投薬及び様子観察をそれぞれ継続していた。[乙A7・13頁]

なお,Aに開腹歴はなく,せん妄その他の精神疾患の既往もない。[乙A7・9頁,同13頁,弁論の全趣旨]

(2)  初診時におけるAの様子・症状等について

Aは,興奮した様子で診察室の扉から駆け込んで入室し,診察室のベッドに急に飛び乗ったり,そこから降りたりする状態であった。[証人B3頁,原告D3頁]

被告医師は,上記のようにAの体動が激しい状態であったことから,同人に圧痛の症状があったか否かは判断できなかった。[証人B37頁,同56頁]

Aは初診時において,待合室と診察室で2回の嘔吐をしているが,その量はいずれも少量で,内容は液体が主であった。[証人B7頁,原告D14頁,同15頁]

(3)  初診時における腹部臥位正面レントゲン写真(乙A9)について

被告医師は,初診時のAの様子から立位でのレントゲン撮影は不可能であると判断し,ドルミカムの薬効が出る前に腹部臥位正面レントゲン写真の撮影をオーダーした。Aは,6月12日21時5分頃にレントゲン室まで歩行して移動を開始し,同日21時19分頃に腹部臥位正面レントゲン写真が撮影された。この撮影に被告医師は同行しておらず,レントゲン室におけるAの様子は把握していなかった。[乙A2・2頁,乙A9,証人B30頁ないし31頁]

被告医師は,上記のレントゲン写真と平成14年8月14日に撮影された腹部レントゲン写真(乙A11)を比較して,著変は認められないと判断した。[証人B5頁]

(4)  再診時におけるAの様子・症状等について

被告医師は,再診時,原告らからAの症状を聞き取り,腹部を触診したところ,腹部の緊満感はなく,軟らかく,筋性防御は認められないと判断した。[証人B8頁,同40頁,同42頁]

被告医師は,Aの症状を腸管ガス過多による腹痛症と診断し,同人及び原告らに対し,腹痛や吐き気症状の改善を目的として,約1週間から2週間程度の入院を指示した。[乙A7・5頁,証人B8頁,同21頁]

被告医師は,Aの入院を指示した後である6月13日0時30分,同人の体動がかなり激しかったため,その体動を抑える目的でドルミカム10ミリグラム(1A)を投与した。[証人B42頁]

(5)  入院後の状況について

ア 心電図検査の実施

被告医師は,入院当初に心疾患をスクリーニングする目的でオーダーした12誘導心電図を6月13日10時23分に実施したところ,同心電図において,電極が途中で外れたり,基線の揺れや筋電図等の所見は認められなかった。[乙A3・18頁,乙A8・6頁,証人B51頁]

また,同心電図において,心疾患を特に疑うべき所見は認められなかった。[弁論の全趣旨]

イ Aの様子・症状等

Aには,6月13日の朝から日中にかけて,点滴の抜去に加え,ベッドの柵を折り曲げたり,そのベッドの柵を看護師に投げつけるといった行動が見られた。[証人B9頁]

被告医師は,6月13日15時30分頃,Aを回診した(以下,この時点を指して「回診時」という。)。[証人B10頁,なお時刻について乙A8・11頁,証人B48頁]

Aには,回診時において胆汁性の黄緑色の嘔吐が認められたが,腹部を触診したところ,従前と変化がなかった。[証人B10頁]

ウ 胸部臥位正面レントゲン写真(乙A10)の撮影

被告医師は,入院当初に胸部疾患をスクリーニングする目的でオーダーした胸部臥位正面レントゲン写真を6月13日14時19分に撮影したところ,胸部疾患を特に疑うべき所見は認められなかった。なお,同レントゲン写真は,Aが興奮状態にあったことから,病室内においてポータブルのレントゲンで撮影された。[乙A8・6頁,同11頁,証人B11頁ないし12頁,弁論の全趣旨]

エ 入院時における経過観察の状況,看護師への指示等

被告医師は,Aの入院中,回診時以外には同人を直接診察したことはなかった。また,被告医師は,Aの入院中,被告病院看護師に対し,Aの状態が落ち着いたら知らせるように指示を出したり,超音波検査やCT検査を実施する意向を伝えたことはなかった。[証人B52頁,弁論の全趣旨]

被告医師は,6月13日に被告病院で外来診療等をしていた他の消化器科の医師に対し,Aに関する情報は伝えたものの,診察や画像の読影を求めるといったコンサルトはしなかった。[証人B55頁]

(6)  Aの死因について[乙A6・17頁,同18頁]

Aは,6月14日10時より,戊病院にて病理解剖に付された。

病理診断における主病変は腸管軸捻転による広汎な虚血性腸管壊死とそれに起因したショック及び諸臓器のうっ血である。また,死亡原因は,絞扼性イレウスが基礎死因とされ,腸管循環障害を介在死因として,直接死因であるショック状態を招いた。

剖検所見によれば,腸管内には多量の血液が混ざった滲出液が絞扼部よりも口側で多量に貯留し,胃内部にも大量の血液様の内容物が認められた。また,横行結腸の右半分より口側の結腸,小腸,十二指腸に広汎な出血性の壊死が起こり,結腸,回盲部,小腸,十二指腸,胃の内部には多量の出血が認められた。

なお,上行結腸及び回盲部が腹壁から完全に遊離しており,このこともイレウスによる障害を増強した一因と考えられる。

(7)  被告病院の診療体制等について

被告病院では,夜間においても放射線科の技師,外科医及び麻酔科医が病院内に待機しており,急性腹症で緊急手術が必要な場合でも対応することが可能であった。[証人B20頁]

3  後掲各証拠によれば,本件に関連して,以下の医学的知見が認められる。

(1)  急性腹症の概念等[甲B22]

急激に発症する腹痛を主訴とし,緊急手術の必要性が考慮される腹部疾患群を総称したものである。急性の腹症は医師の日常の診療において遭遇することが最も多い症状であり,その診断及び処置に苦慮することも少なくないところ,経過を観察しているうちに臨床症状や検査所見が変化して手術が必要になる場合もある。急性腹症の診断において最も重要なことは,通常にも増して注意深い問診を行うとともに,短時間のうちに検査を行って,遅滞なく正しい鑑別診断を下すことである。

患者が十分に自己の症状を述べられない場合,付き添いの家族等から,できるだけ詳細に患者の状態を聞いておくことが極めて重要であり,また,患者の苦悶状態,姿勢,表情等を注意深く観察することによって重篤性を判別することが可能になる。

(2)  イレウスの概念等[甲B1,甲B15,甲B31,甲B32]

イレウスとは,何らかの原因により腸管の通過障害が生じ,腸管内容の肛門側への輸送が障害された状態をいう。

イレウスは,器質的な原因が認められず腸管の運動障害により腸内容の停滞を生じる機能的イレウスと,器質的な原因で閉塞されて起こる機械的イレウスに大別される。

さらに,機械的イレウスは,さらに腸管内腔のみが閉塞されている単純性イレウスと,腸管内腔の閉塞に加えて血行障害を伴う絞扼性イレウスとに大別される。

過去に腹部手術の既往歴があるとイレウスへの罹患率が高まるとされ,絞扼性イレウスのうち80パーセント程度が開腹手術を原因としているとされる報告もある。また,イレウスは,新生児から幼小児と老人に比較的多く見られる疾患である。

(3)  イレウスの一般的な臨床所見[甲B1,甲B4,甲B7,甲B15,乙B1]

イレウスに一般的に見られる症状としては,腸内容の通過障害により排ガスないし排便の停止,腹部膨隆・鼓腸,腹痛,悪心・嘔吐等がある。嘔吐の内容は初期段階には胃液と胆汁が主であるが,次第に糞臭を帯びてくる。

また,イレウス一般の画像所見としては,腹部単純X線写真での消化管ガス像の増加,腸拡張所見,腹部単純立位X線写真でのニボー像の形成,エコーでの消化管壁肥厚,内腔拡大,内容物の滞留等が見られる。なお,ニボー像とは,腸管等の限られた空間内に液体と空気が共存するとき,立位X線写真で見られる水平な液面形成をいう。

(4)  絞扼性イレウスに特に見られる臨床所見[甲B1,甲B4,甲B32]

絞扼性イレウスの腹痛は持続性の強い痛みであり,時間経過とともに腹膜刺激症状が明らかになる。

絞扼性イレウスの吐き気は腹膜刺激症状によるものであるため,嘔吐後であっても吐き気が持続することが多い。

絞扼性イレウスでは,腹部単純X線写真上,消化管絞扼部のガス像が消失することがあるものの,多くの場合は小腸ガス像が認められる。他方,絞扼性イレウスにおいて,ニボー像は30パーセント程度の症例で認められるにすぎない。

超音波検査及び腹部CTでは,腸管の顕著な拡張・浮腫,腹腔内液体貯留が見られ,腹部CTにおいては腸腔内液体貯留や限局性の腸管拡張が70パーセント程度の確率で認められる。

もっとも,絞扼性イレウスの早期診断は未だ困難であり,診断基準を巡り議論されている分野である。特に手術適応に関しては,外科医個人の経験に基づくケースが多く,標準的な指針に乏しいとされる。

鎮痛剤が使用されている場合には,所見がマスクされてしまうこともあるが,逆に鎮痛効果がないことが絞扼性イレウスを疑う1つの所見であるとされる報告もある。

(5)  単純性イレウスと絞扼性イレウスの鑑別診断[甲B5,甲B17,甲B18,甲B20,甲B25,甲B28,甲B31,甲B32,弁論の全趣旨]

イレウスの診療に関して最も迅速に行うべき必要があるのは絞扼性イレウスの鑑別である。もっとも,両者の鑑別は必ずしも容易ではないとされている。

激しい腹痛,発熱,腹膜炎の発症,血液生化学検査所見における白血球増加(なお,一般的には10000/μl超過が目安であるとされる。),CRPの上昇等は絞扼性イレウスの徴候であることが多い。また,単純性イレウスと絞扼性イレウスの鑑別には,経時的な超音波検査やCT検査が有効であり,これらを積極的に施行すべきであるとされる。

(6)  絞扼性イレウスの治療方法[甲B1,甲B4,甲B5]

絞扼性イレウスであると診断された場合には,直ちに緊急開腹手術が必要であり,保存的治療による経過観察や処置の遅延は致命的となる。なお,絞扼性イレウスであることが否定されれば保存的治療が第1選択になる。

絞扼性イレウスが疑われる場合には,補液等の初期治療をしつつ,可能な限り速やかに手術的療法を行う。

(7)  絞扼性イレウスの予後[甲B1,甲B2,甲B30,甲B31]

絞扼性イレウスでは,血流障害が生じ,細菌の侵入を経て腹膜炎を発症することが多い。早期から敗血症性ショックに陥り,外科的処置がなされなければ死に至るが,上腸管膜動脈閉塞症でない限り発症後24時間程度で致命的になることは少ない。

腸管壊死が生じた場合には開腹して腸管を切除する必要があるが,残存小腸が50センチメートル以下であっても生存が可能であった症例がある。また,絞扼性イレウスの発症から開腹手術までの時間経過と生命予後の関連性は明らかではないものの,一般的に,術前から全身状態が不良な症例は予後が不良であるとされる。

(8)  腹部単純X線写真の有用性等[甲B7,甲B10]

腹部単純X線写真は,超音波検査やCT検査の基礎となるものであり,多くの情報を得ることができる。特に,急性腹症の検査の一つとして欠くことができないものであり,初回だけの撮影に止めず,臨床経過とともに時間をおいて再撮影することも必要とされる。

通常であれば臥位正面撮影の1枚で十分であるが,消化管の閉塞性疾患が疑われる場合には,立位での撮影を追加する必要がある。また,患者が立位を取り得ない時は,側臥位正面撮影を行う。

(9)  呑気症の概念等[甲B6]

大量の食事を急速に摂取したり,精神・心理的要因によって空気を過度に嚥下して腹部症状をきたす疾患であり,鼓腸の主たる原因である。なお,鼓腸とは腸管内にガスが異常に貯留した状態をいう。

(10)  せん妄の概念等[甲B14]

軽度から中程度の意識混濁に,不安・不穏・不眠等の精神運動興奮が重なった意識変容状態をいう。せん妄の原因は,複合的であることが多く,睡眠障害,身体拘束,環境変化等の誘発因子や,急性の器質的・代謝的要因等の直接原因が挙げられる。

(11)  ドルミカムの薬効等[甲B8]

主に麻酔前投薬,全身麻酔の導入及び維持,集中治療室における人工呼吸中の鎮静に適応とされる催眠・鎮静剤である。静脈注射での投与では,30秒以内に入眠し,持続時間は約2時間とされる。

なお,副作用として,0.1パーセントから5パーセント未満の確率で無呼吸,呼吸抑制,舌根沈下が生じる。

(12)  セレネースの薬効等[甲B11]

主に統合失調症の治療,躁病に適応とされる抗精神病薬である。また,適応外であるが,器質性・症状性・薬原性精神病,せん妄等の治療に使用されることがある。

(13)  セルシンの薬効等[甲B12]

主に神経症による不安・緊張・抑うつ,うつ病における不安・緊張,心身症における身体症候並びに不安・緊張・抑うつに対して適応とされる抗不安薬である。大脳辺縁系に特異的に作用し,馴化・鎮静作用をあらわし,脊髄反射を抑制することにより,筋の過緊張を寛解する。

(14)  ソセゴンの薬効等[甲B23]

主に各種癌,術後,心筋梗塞等における鎮痛,麻酔前投薬及び麻酔補助に適応とされる解熱・鎮痛・抗炎症薬である。鎮痛効果はモルヒネと同等以上であるとされている。

皮下及び筋肉注射での投与では,15分から20分程度で鎮痛効果が発現し,持続時間は約3時間から4時間とされる。

4  争点(3)(6月13日0時10分以降(入院後)にイレウスを念頭においた鑑別診断及び治療を怠った過失の有無)についての検討

(1)  一般的にイレウスと疑うべき義務の有無

ア 腹痛について

(ア) 入院直後のAの体動について

上記1で認定した診療経過のとおり,被告医師はAに対して再診時にドルミカム及びソセゴンを投与したにも関わらず,その20分後にはAの体動が活発になり,体幹ベルト及び四肢リムフォルダーでの抑制が必要と判断されている。そして,上記のような体動は,上記3(11)及び(14)で認定のとおり,ドルミカムの薬効が通常2時間程度であることに加え,ソセゴンの鎮痛効果が比較的強いとされていることからすれば,Aの身体に尋常ではない何らかの変化が生じていることを示唆するものといえる。しかも,上記2(4)で認定のとおり,被告医師は,再診時において,Aを腹痛症と診断しているのであるから,Aの身体に生じている上記のような体動が,激しい腹痛に起因しているものではないかと疑うことは,さほど困難なことではなかったものと思われる。

もっとも,このような考えは,Aの死因が絞扼性イレウスであったことを認識した上での回顧的な視点が含まれていることもまた否定できないのであって,被告医師は救急外来で初めてAを診察したこと,激しい体動や会話が困難なことによってAを十分に問診することが困難であったこと,6月13日午前2時以降は激しい体動が収まり入眠していること等を考慮すれば,被告医師が,Aの体動について腹痛を念頭に置きつつも他の原因があるのではないかと疑い,経過観察とすることも不合理であるとまではいえない。

(イ) 精神疾患を原因とする体動の可能性について

そこでさらに検討するに,上記3(10)で認定のとおり,せん妄の原因として身体拘束や環境変化が挙げられていることに照らせば,再診時や入院当初において,被告医師が,Aの体動について,救急外来の受診や入院という環境変化や入院後における身体拘束を原因とするせん妄を疑ったとしても,その判断が不合理であるとまではいえない。

しかしながら,上記2(1)で認定のとおり,Aには精神障害の既往がなかったことに加え,原告らはAの入院中も付き添っており,しかもAは原告Dの注意等を理解することができたことに照らすと,環境変化や身体拘束のみを原因として,長時間にわたって身体抑制や鎮静が必要なほどに激しい体動が継続するとは考えにくい。

そうすると,被告医師が,Aの体動は精神疾患を原因とするものではなく,腹痛等の器質的変化が原因となっていると判断することはさほど困難ではなかったものと思われる。

(ウ) 心疾患及び胸部疾患等を原因とする体動の可能性について

上記2(5)ア及びウで認定のとおり,心電図検査及び胸部レントゲン検査の結果によれば,Aが心疾患及び胸部疾患に罹患している可能性は低かったと考えられるところ,被告医師は,上記事実を遅くとも回診時には認識していたものと推認される。

なお,被告医師は,頭蓋内での病変による体動の可能性もあったと供述するところ(証人B12頁),本件全証拠によっても同人が脳のCT検査等をオーダーした事実は認められない。そうであれば,被告医師は,Aの体動が頭蓋内での病変に起因しているという可能性を積極的に評価していなかったと考えるのが自然である。

そうすると,被告医師が,Aの体動の原因として心疾患,胸部疾患及び脳疾患を考慮していた可能性は低いと考えられる。

(エ) 激しい体動の継続について

上記1及び2(5)イで認定した診療経過のとおり,Aは,6月13日7時10分及び8時頃に原告らの目前で点滴を自抜するとともに,6月13日の朝から日中にかけて,ベッドの柵を折り曲げたりそのベッドの柵を看護師に投げつけるといった異常な行動をとっており,さらに,同日14時頃には興奮状態が見られ,体幹ベルトや四肢リムフォルダーによる身体抑制をしてもなお起きあがり動作が見られた。そして,上記3(13)で認定のとおり鎮静作用を有するセルシンを10ミリグラム投与しても上記のような激しい体動は依然として収まらなかったことから,担当看護師は鎮静効果がないと判断した。

そうすると,上記(ア)で認定説示した事情を併せ考えると,Aは,入眠していた時間帯を除けば,激しい体動や不穏な行動を継続していたと考えられるところ,10時間以上もの長時間にわたって激しい体動が継続することは,通常であればおよそ考えがたい異常事態であるといわざるを得ない。

(オ) 医学的知見を踏まえた総合考慮

上記3(1)で認定の医学的知見によれば,Aのように自己の症状を医師に伝達できない場合には当該患者の症状や状態,家族の意見等が重要な判断要素になるところ,上記(エ)で認定のとおりAは通常では考えられない異常な行動を長時間にわたって取り続けていたことに加え,原告Dは被告医師や担当看護師に対して初診時から継続的にAの腹痛を強く訴えていたと考えられることを考慮すれば,被告医師としては,遅くとも,上記(イ)及び(ウ)で認定説示のとおり精神疾患や脳・心臓・胸部の疾患が体動の原因となっている可能性が低いと認識できた時点において,Aに異常な体動を引き起こす激しい腹痛があるのではないかと疑うことが可能であったと認められるし,また,積極的に疑うべきであった。

そして,Aの腹痛は鎮静剤の効果がないほど強く,かつ,長時間にわたって継続しているといえるところ,上記3(4)で認定の医学的知見のとおり,イレウスに一般的に見られる腹痛は上記のようなAの症状に合致するものである。

イ 嘔吐・吐き気について

上記1で認定した診療経過のとおり,Aには,初診時から継続的に嘔吐及び吐き気が見られたところ,上記2(5)イで認定のとおり,被告医師は,回診時において胆汁性の嘔吐(黄緑色)を直接確認している。

そして,上記3(3)及び(4)で認定の医学的知見によれば,イレウス一般に見られる嘔吐は胃液及び胆汁性のものであり,絞扼性イレウスの場合には継続的に嘔吐及び吐き気が継続するのであるから,上記(1)で認定説示したところも併せ考慮すれば,上記のような胆汁性の嘔吐は,イレウスに罹患しているのではないかという疑いをより一層強く抱くべき所見であるといえる。

ウ 腸管ガスの貯留について

上記1及び上記2(4)で認定した診療経過のとおり,初診時に撮影されたAの腹部臥位X線写真では腹部のガス貯留が確認されており,被告医師はAを腸管ガス過多と診断している。そして,上記3(3)で認定の医学的知見のとおり腹部単純X線写真での消化管ガス像の増加はイレウスに見られる画像所見であるから,上記のような腸管ガスの貯留はイレウスへの罹患を疑うべき所見であるといえる。

なお,初診時以降においてAの腸管ガス貯留を明確に示す証拠は見当たらないが,上記1で認定した診療経過のとおり6月13日20時に腹部に軽度の膨満が見られていることに照らせば,入院中に腸管ガスが全く存在しない状態になっていたとは考えにくい。そして,少なくとも積極的に腸管ガスが認められないことを窺わせる事情は存在していなかったのであるから,被告医師としては,入院中においても,初診時における腸管ガス貯留を念頭に置いてAの診察を行うべきであった。

エ 白血球数の増加について

上記1で認定した診療経過のとおり,初診時におけるAの白血球数は15400/μlである。そして,上記3(5)で認定の医学的知見によれば少なくとも白血球数が10000/μlを超えた場合には絞扼性イレウスを疑うべき所見になるものと考えられる。

なお,初診時以降において白血球数が測定されたことを示す証拠は見当たらないが,Aの体動が時間経過とともに活発になっていったことに照らせば,何らかの炎症反応が継続していたと考えるのが自然である。そして,少なくとも積極的に白血球数が減少していたことを窺わせるような事情は存在していなかったのであるから,入院中においても,初診時における白血球数の増加を念頭に置いて診察を行うべきであった。

オ 小括

以上のとおり,被告医師は,入院中遅くとも回診時において,Aに激しい継続的な腹痛,継続的な胆汁性の嘔吐,腸管ガスの貯留及び白血球数の増加という症状があることを認識することが可能であったし,また,そのように認識すべきであった。

そして,これらの所見から直ちに絞扼性イレウスと診断し,開腹手術を選択すべきか否かという点については,上記3(4)及び(5)で認定の医学的知見に照らして評価が分かれるところであるから,直ちにそのような義務を課すことは相当でないとしても,被告医師としては,少なくとも,上記3(3)で認定した医学的知見に照らして,入院中遅くとも回診時において一般的にイレウスを疑うべきであったというべきである。

(2)  絞扼性イレウスとの鑑別診断をすべき義務

ア 鑑別診断の義務について

上記3(5)及び(6)で認定した医学的知見によれば,絞扼性イレウスは早期に治療しなければ致命的になり,直ちに緊急開腹手術が必要とされていることから,イレウスの治療においては絞扼性イレウスとの鑑別が迅速になされなければならない。

そうであれば,上記(1)オで認定説示のとおり,Aの症状について一般的にイレウスを疑うべきであった被告医師は,Aに疑われるイレウスが絞扼性イレウスであるか否かを鑑別診断すべき義務を負うというべきである。

イ 腹部CT検査について

上記2(6)によれば,現実にはAは絞扼性イレウスであったところ,上記3(4)で認定の医学的知見のとおり腹部CT検査においては70パーセント以上の確率で絞扼性イレウスの所見を得ることができることに照らせば,Aについても腹部CT検査を実施することによって絞扼性イレウスの所見を得ることができた可能性が高い。そして,後記5(因果関係)で認定説示のとおり,遅くとも回診時において絞扼性イレウスであると診断できていれば,Aの死亡という結果を回避することは可能であった。

なお,被告は,ドルミカム等の鎮静剤により完全に鎮静させることにより呼吸が停止してしまう危険性があったと主張するが,上記3(11)で認定した医学的知見によれば上記のような副作用が発生する確率は低いことに加え,絞扼性イレウスは発見が遅れれば致命的になるという検査の高度の緊急性及び必要性があることを考慮すれば,被告の主張するような危険性があったとしても,腹部CT撮影を行うべきであったという認定説示を左右するものではない。また,上記1で認定した診療経過のとおり,Aに対して心電図検査が実施されていることから,Aの体動が一時的にせよ収まっている時間もあったと推認されるのであって,そもそも腹部CT検査を実施するために鎮静剤の投与が必須であったか否かについても疑問の余地が残ることから,被告の上記主張は容易に採用できない。

ウ 超音波検査について

回顧的に見れば,入院中もAの絞扼性イレウスは進行していたと考えられることに照らせば,Aの入院中に超音波検査を実施することによって上記3(4)で認定した医学的知見のとおり腸管拡張等の画像所見が得られた可能性が高い。そして,上記アでの認定説示と同様,遅くとも回診時において絞扼性イレウスであると診断できていれば,Aの死亡という結果を回避することは可能であった。

また,超音波検査は,ベッドサイドにおいても実施可能であることからすれば,完全な鎮静までは必要でないと考えられ,仮に,一時的には体動によって超音波検査ができない状態であったとしても,上記アで認定説示したのと同様の理由により,超音波検査を実施することは可能であった。

エ 小括

しかるに,被告医師は,一般的にAのイレウスを疑うべきであった入院中遅くとも回診時において腹部CT検査ないし超音波検査を実施し,絞扼性イレウスであるか否かを鑑別診断すべきであったのにこれを実施しなかったのであるから,鑑別診断の義務を怠った過失があるというべきである。

(3)  診療契約が手段債務とされていることからの検討

上記3(1)で認定の医学的知見によれば,急性腹症においては,経過観察の際に症状が変化して緊急手術が必要になる場合もある。そうであれば,被告医師としては,再診時の時点でAの腹痛を念頭に置いていた以上,経過観察を行う際にも,Aの症状に変化がないかを注視するとともに,緊急手術の必要が生じていないかという点に十分に留意する必要があった。これは腹痛が日常の診療において最も多く接する症状であるとされていることに照らせば,医師として基本的な対応に属するものであると考えられる。

そして,診療契約がいわゆる手段債務であることに照らせば,上記のような対応として成すべきことを成していたと評価される場合には,不法行為における過失を否定することも十分にあり得ると解される。特に,本件においては,Aの精神発達遅滞によって,十分な問診や諸検査の実施ひいては症状の適切な把握が困難であったという事情があったことに鑑みれば,成すべきことを成したと評価できるような必要かつ十分な検査や治療を行っていたのであれば,仮に悪い結果が生じたとしても,なお過失が否定されることも十分に考えられるところである。

しかしながら,上記1及び2(5)で認定した診療経過によれば,被告医師は入院中わずか1回しかAを回診していなかったことに加え,担当看護師を通じてAの症状や状態の変化を積極的に知ろうとしたり,他の医師への相談等を行っていた形跡も窺われない。

また,Aに入院中に投与された薬剤は鎮静剤のみであるところ,これは専ら体動を抑制する目的で投与されたものであって,鎮静剤の投与によって新たな検査を実施したり,詳細な診察をしようとしたものではないと考えられる。

さらに,Aの入院以後,腹部レントゲン検査,腹部CT検査及び超音波検査等の諸検査を新規にオーダーしたり,実際にそれらの実施を試みた形跡も窺われない。

以上の諸事情を考慮すれば,被告医師に積極的にAの体動の原因を検索し,治療を行おうとした姿勢があったとは評価しがたいのであって,少なくとも,客観的に見て被告医師が必要かつ十分な検査や治療を行ったとはいえない。

したがって,診療契約の性質が手段債務であることを斟酌してもなお本件において被告医師の過失を否定することはできないというべきである。

(4)  被告の主張についての検討

被告は,腹痛の有無は明らかでないこと,嘔吐はイレウスに一般的に見られるような大量の吐しゃ物が一気に出るというものではなかったこと,排便・排ガスの停止,腹部膨隆,筋性防御及び急速な全身状態の悪化といった症状は認められないこと等を理由として,当時,被告医師においてAを絞扼性イレウスと疑うことはできなかったと主張する。

しかしながら,腹痛については上記(1)アで認定説示のとおり,腹痛と疑うべき激しい体動があったのであるから,腹痛の有無が明らかではなかったという主張は採用できない。

また,嘔吐について見ると,イレウスの場合には常に大量の吐しゃ物が一気に出るという医学的知見は本件全証拠によっても認定できない。また,仮にそうであったとしても,上記1で認定した診療経過によれば,Aは6月12日の昼頃から継続的に嘔吐を繰り返していたのであるから,被告病院において大量の吐しゃ物が確認できなかったとしてもあながち不自然とはいえない。

さらに,排便・排ガスの停止については本件全証拠によっても認定することはできないが,これは,排便・排ガスが停止していたとも,していなかったとも判断できないことを意味するに止まる(仮に,排便・排ガスが健常者と同様にあったのであれば,イレウスであることを否定する所見となり得るが,本件ではそのような事情は認められない。)。

加えて,腹部膨隆及び筋性防御については,たしかに本件においては6月13日20時において軽い腹満があるとされているだけではあるものの,これらの有無は主観的な判断に依る部分が大きく,また,その判定も難しいことから,これらの所見を絶対視することはできないというべきである。

そして,上記3(2)及び(3)で認定した医学的知見に照らせば,全身状態の悪化が認められる以前であっても,絞扼性イレウスと診断することは可能であるし,急速な全身状態の悪化が生じる以前に鑑別診断をすることが重要であるとされていることからしても,急速な全身状態の悪化がなかったことをもって絞扼性イレウスと診断することができなかったという被告の主張は採用できない。

そもそも,イレウスであっても被告が主張するような所見が必ず全て認められるものではないことに加え,イレウスの診断は臨床所見と画像所見の総合で行われるべきものであることに照らせば,被告の主張するような所見が認められなかったからといって,絞扼性イレウスの疑いが直ちに否定されるものではない。

なお,上記3(2)で認定の医学的知見のとおり,Aが若年で,かつ,開腹歴もないことはイレウスの可能性を否定する方向の事情であるから,これらの事情を考慮したことにより,直ちにイレウスであるとの診断ができなかったとしても,それをもって責められるべきものではないが,他方で,若年で開腹歴がなかったとしても絞扼性イレウスが発症する可能性がおよそ否定されるものではないから,上記(1)及び(2)における認定説示を直ちに左右するものではない。

したがって,被告の上記主張は採用することができない。

(5)  総括

以上から,被告医師には,Aの入院中遅くとも回診時において,イレウスを念頭においた鑑別診断及び治療を怠った過失が認められる。

原告らは,初診時もしくは再診時において被告医師はAのイレウスへの罹患を疑うべきであったと主張する(争点(1)及び(2))が,上記1,2(2)及び(4)で認定説示したAの症状等及び上記3で認定した各医学的知見に照らせば,腹痛を訴えている患者への対応として,被告医師の判断ないし治療が不合理であったとまではいえないから,原告らの上記主張は採用できない。

5  争点(4)(因果関係)についての検討

(1)  検討

被告医師が,遅くとも回診時においてAの症状からイレウスを疑い,鑑別診断のために腹部CT検査ないし超音波検査を行っていれば,絞扼性イレウスであることを発見できた可能性が高いことは上記4(2)で認定説示したとおりである。

そして,上記2(7)で認定したとおり被告病院では緊急手術を行う体制が整っていたことからすれば,検査結果の評価,外科手術の準備等を全て含めたとしても,回診時から3時間程度の時間があれば緊急開腹手術を実施することが可能であったと推認される。

そうであれば,被告病院としては,回診時から3時間が経過した6月13日18時30分頃にはAの緊急開腹手術を行うことが可能であったと考えられるところ,上記1で認定した診療経過のとおり同日16時の時点では体動が活発に認められ,同日20時の時点においても起きあがり動作が見られるとともに,担当看護師も特段の異常を確認していないことからすれば,少なくとも同日18時30分の時点で,Aが致命的なショック状態に陥っていたとは認められない。

そして,上記3(7)で認定した医学的知見に照らせば,仮に,同日18時30分の時点で腸管壊死が始まっていたとしても,術後に何らかの障害が残るか否かは別として,少なくとも手術によってAを救命することが可能であった高度の蓋然性を認めることができる。

(2)  被告の主張についての検討

これに対し,被告は,6月13日20時以降の夜間帯に絞扼性イレウスが急速に発症したことから救命可能性が認められないと主張するところ,上記3(7)で認定した医学的知見によれば絞扼性イレウスは発症から24時間以内に死亡することは稀であることに照らして上記主張は不自然であることは否定できない。加えて,被告の上記主張は筋性防御や腹部膨満が見られなかったことを主たる根拠としているところ,そもそもこれらはその有無の判断が分かれうる症状であり,また,イレウスに必発する所見でもないことは上記4(4)で認定説示のとおりである。

なお,被告は,上記主張に沿う己病院外科E医師の意見書(乙B10号証)を提出するところ,同意見書は,病理解剖結果(乙A6・17頁)から中腸軸捻転が急速に進行したために短時間で心肺停止になったと判断されることを根拠としてAの救命可能性を否定している。しかし,病理解剖結果には中腸軸捻転が急速に進展したことを示す直接的な記載は存在しないことに加え,上記意見を裏付ける医学的知見も提出されていないことに鑑みれば,少なくとも上記意見が上記(1)での認定説示を左右するだけの説得力を持つか否かについては疑問の余地が残る。

以上の検討によれば,被告の上記主張は採用することができない。

(3)  総括

以上から,被告医師の遅くとも回診時において,イレウスを念頭においた鑑別診断及び治療を怠った過失と,Aの死亡との間には因果関係が認められる。

6  争点(5)(損害)についての検討

(1)  Aに生じた損害

ア 死亡慰謝料

Aの病態,治療経過及び結果等,本件訴訟に表れた一切の事情を考慮すれば,Aの精神的苦痛に対する慰謝料は2000万円をもって相当と認める。

イ 逸失利益

前提事実(1)で認定のとおり,Aは通所施設において工務作業等の労務に従事しており,本件事故がなければ,今後も同施設における労務によって一定程度の収入を得られたと認められる。もっとも,上記労務の特殊性から昇給の可能性についてはなお慎重に検討する余地がある。

そして,本件訴訟に表れたその他一切の事情を考慮すれば,Aの逸失利益の算定については,Aの死亡時年齢(19歳)における全労働者の平均賃金の20パーセントをもって基礎収入とするのが相当である。

したがって,Aの逸失利益は,下記計算式のとおり424万4480円をもって相当と認める(なお,小数点以下は切り上げる。)。

(計算式)

234万8000円×0.2(基礎収入)×18.077(ライプニッツ係数48(67-19)年)×0.5(生活費控除50パーセント)=424万4479.6円≒424万4480円

ウ 葬儀費用

本件訴訟に表れた一切の事情を考慮すれば,葬儀費用は150万円をもって相当と認める。

エ 相続

原告Cと原告Dは,Aの死亡により,上記アないしウの合計額2574万4480円の2分の1である1287万2240円をそれぞれ相続する。

(2)  原告C及び原告D固有の損害-近親者慰謝料

実子であるAが激しい苦痛を経た上で突然の死亡したという経過及び結果に鑑みれば,原告らの悲しみは深く,喪失感は極めて強いと考えられる。したがって,原告C及び原告Dの精神的苦痛に対する固有の慰謝料として,それぞれ100万円をもって相当と認める。

(3)  民法722条2項類推適用についての検討

加害行為と被害者の疾患が共に原因となって損害が発生した場合,当該疾患の態様,程度等に照らして加害者に損害の全部を賠償させるのが公平を失するとすれば,民法722条2項を類推適用することにより,被害者の疾患を斟酌することができると解される。

そして,上記類推適用の趣旨は,個別具体的な事案における加害者と被害者間での公平を実現することにあると解されるところ,疾患への罹患については基本的に被害者を非難することができないのであるから,上記類推適用に当たっては,被害者の金銭的救済を犠牲にしてまで加害者の負担する損害賠償額を減じることが合理的であるという事情が必要とされるべきである。

そこで検討するに,本件では,上記1及び2で認定の診療経過のとおりAは精神発達遅滞により会話が困難であったところ,腹痛の診断は最終的には患者の愁訴に依存せざるを得ないことに照らせば,会話が困難なことが原因となって被告医師がAの腹痛の程度,性質及びその発生部位等を正確に認識できなかったことは否定しがたい。そして,絞扼性イレウスにおいて腹痛はその診断に際し重要な臨床所見とされることに照らせば,被告医師がAの腹痛に関する正確な情報を得られなかったことが,本件における損害の発生に対して一定の影響を与えているものと認められる。

そうであれば,本件における損害額の全てについて被告にその賠償の責任を負わせることは,加害者と被害者との間での公平を失する結果となることから,被告の負担する損害賠償額について一定の減額を認めるべきである。

そこで,当裁判所としては,上記のような本件特有の事情を考慮して,民法722条2項の類推適用により損害額の3割を減額するのが相当であると判断する。

(4)  弁護士費用

本件疾病の内容,診療経過,認容額及び訴訟経過等の一切の事情を考慮して,弁護士費用は150万円をもって相当と認める。したがって,原告C及び原告Dは,それぞれ上記の2分の1である75万円の弁護士費用を請求することができる。

(5)  総括

ア 原告Cの損害額

(1287万2240円(上記(1)エ)+100万円(上記(2))×0.7(上記(3))+75万円(上記(4))=1046万0568円

イ 原告Dの損害額

上記アと同じ。

第4結論

以上検討したところによれば,原告らの請求は,それぞれ1046万0568円及びこれに対する平成19年6月14日から支払済みまで年5分の割合による金員の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し,その余は理由がないからこれを棄却し,訴訟費用の負担につき民訴法65条1項本文,同64条本文,同61条を,仮執行宣言につき同259条1項を適用し,仮執行免脱宣言は相当でないからこれを付さないこととして,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 沼田寛 裁判官 安福達也 裁判官 佐藤雅浩)

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