大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

仙台地方裁判所 平成20年(ワ)1743号 判決

主文

1  原告の主位的請求を棄却する。

2  被告は,原告に対し,100万円及びこれに対する平成18年10月23日から支払済みに至るまで年5分の割合による金員を支払え。

3  原告のその余の予備的請求を棄却する。

4  訴訟費用はこれを8分し,その1を被告の負担とし,その余を原告の負担とする。

5  この判決は,主文第2項に限り,仮に執行することができる。

事実及び理由

第1請求

(主位的請求)

被告は,原告に対し,800万円及びこれに対する平成18年10月23日から支払済みに至るまで年5分の割合による金員を支払え。

(予備的請求)

被告は,原告に対し,350万円及びこれに対する平成18年10月23日から支払済みに至るまで年5分の割合による金員を支払え。

第2事案の概要等

1  事案の概要

本件は,原告の母であるAの診療にあたった被告病院糖尿病代謝科のC医師(以下「被告医師」という。)には,Aを肝硬変と診断しながら肝癌発見を目的とする検査を長期間にわたって全く実施しなかった過失があることから,民法715条第1項に基づき,主位的にはAの死亡慰謝料及び葬儀費用の合計2350万円の損害賠償請求権(ただし,2350万円の内800万円についての一部請求)及びこれに対するAの死亡の日を起算日とする遅延損害金を相続したとして,予備的には適切な治療を受けられなかったというAの期待権侵害による慰謝料350万円の損害賠償請求権及びこれに対するAの死亡の日を起算日とする遅延損害金を相続したとして,原告が,被告に対して上記各損害賠償及び遅延損害金の支払いを求めた事案である。

2  前提事実(争いがない事実,明らかに争わない事実,後掲各証拠により容易に認定しうる事実)

(1)  原告は,BとA(平成18年10月23日死亡,享年79歳)の子である。なお,原告は遺産分割協議によりAの被告に対する損害賠償請求権の全てを相続した。

被告は,被告病院を設置管理する独立行政法人であり,被告医師は平成元年から現在に至るまで被告病院に勤務する医師である。[以上につき争いがない]

(2)  Aは,昭和43年に糖尿病を発症し,被告病院第三内科(現在の糖尿病代謝科)に通院して経過観察をしていた。その後,Aは,昭和54年から糖尿病の投薬治療を開始し,継続的に同科に通院した。

また,Aは,昭和55年以降死亡した平成18年に至るまで心不全,食道静脈瘤,肝硬変症,2型糖尿病,左背部腫瘤,鉄欠乏性貧血,痔核,高血圧症,再発・再燃性逆流性食道炎,下肢静脈瘤等の疾患を治療するため,被告病院第三内科,泌尿器科,第一内科,皮膚科,産婦人科,第二外科,脳神経外科,耳鼻咽喉科,放射線科,リハビリテーション科,循環器内科,精神科等を受診し,入通院を繰り返していた。[以上につき乙A4・650頁,乙A5]

Aは,被告病院第三内科を通じて上記各診療科を紹介されており,Aをメインで診察していたのは被告病院第三内科であった。被告医師は,昭和61年頃からAの診療を担当し,平成12年9月頃からは,被告医師1人がAの主治医となった。[証人C15頁,同17頁]

(3)  被告医師は,平成12年7月27日から同年9月12日にかけて被告病院第三内科に入院した際に食道静脈瘤が確認されたことに加え,同年9月の時点でのAの肝機能値及び血小板数等を勘案して,Aを初期の肝硬変症と診断した。[乙A1・74頁,乙A5]

(4)  Aは,平成18年8月7日21時頃,自宅トイレで倒れ,意識レベルが低下したため,同月8日2時30分頃,被告病院救急外来に搬送され,同日16時40分に糖尿病代謝科に転科となった。[乙A4・632頁,同634頁,同652頁,乙A5]

被告病院糖尿病代謝科の担当医師は,平成18年8月9日,被告病院放射線科に対してAの肺についてのCT検査を依頼し,同日,造影CT検査が実施されたところ,Aの肝臓内に腫瘤性病変が疑われた。[乙A4・699頁]

被告病院消化器内科の担当医師は,被告医師に対し,Aの病態は原発性の肝癌であるとの判断を示した。[乙A4・701頁,同702頁]

(5)  Aは,平成18年10月23日5時12分,多発性肝臓癌により死亡した。なお,原告家族らの希望により剖検は実施されなかった。[乙A2・150頁,乙A4・650頁]

3  争点

(1)  過失(Aに対し,肝癌発見を目的として,2~6か月間隔で腫瘍マーカー,超音波検査,造影CT検査等の諸検査を行うべきであったにもかかわらず,これを実施しなかった被告医師の過失があるか)

(2)  因果関係(被告医師が上記(1)の検査義務を尽くしていれば,平成18年10月23日5時12分の時点での死亡を免れた高度の蓋然性があるか)

(3)  損害の発生及びその額

4  争点に対する当事者の主張

別紙「争点・主張整理表」のとおりである(別紙省略)。

第3当裁判所の判断

1  本件における診療経過

被告病院におけるAの診療経過のうち,本件に関連する部分は下記(1)及び(2)のとおりである。

(1)  本件に関連するAの病態及び被告医師の診断等

ア 食道静脈瘤

被告医師は,平成12年7月,内視鏡検査においてAの食道静脈瘤を発見したが,同年11月13日の同検査では食道静脈瘤の増悪傾向は認められず,むしろ目立たなくなっている印象もあったことから,経過観察をすることにした。[乙A1・22頁,同77頁,証人C3頁ないし5頁,同8頁]

平成15年7月17日,平成16年1月22日,同年7月22日の内視鏡検査では食道静脈瘤に著変は認められず,平成17年1月20日の同検査では以前に比べて食道静脈瘤がやや増大したかのような所見であったものの,同年7月21日の同検査では食道静脈瘤の状態は不変であった[乙A1・6頁ないし20頁]

平成18年1月20日の内視鏡検査では食道静脈瘤(大きさ22センチメートルから29センチメートル)の状態は不変であり,状態は安定していたが,同年7月27日の同検査では前回までと比較してやや増悪傾向にあると認められた。[乙A1・174頁,同176頁,同178頁]

被告病院消化器内科のD医師は,平成18年7月27日,Aの食道静脈瘤について,通常であれば内視鏡的硬化療法等を考慮してもよい状態であるが,Aが79歳と高齢であり,しかも多くの合併症や既往症を有していたことに加え,下肢の浮腫も高度であるから,侵襲度の大きい上記療法を実施することは困難であると判断した。[乙A1・135頁,証人C9頁ないし10頁]

被告医師は,Aに対し,同日頃,食道静脈瘤についてはこのまま経過観察を続け,出血をした場合には速やかに対応する方針であることを伝えた。

[証人C10頁ないし11頁]

イ 肝硬変

被告医師は,平成12年9月頃,上記アで記載したとおりAに食道静脈瘤が認められたこと及びGOT及びγ-GTPの数値が高いことを勘案して,Aを初期の肝硬変と診断した。被告医師は,その後,肝臓癌が明らかになった平成18年8月に至るまで,Aが肝硬変であるという診断を変更したことはなかった。なお,Aの肝硬変はB型肝硬変ないしC型肝硬変ではない。[証人C18頁,同29頁。なおAがB型肝硬変ないしC型肝硬変ではないことについては当事者間に争いがない。]

その後,被告医師は,Aの肝硬変の進行度合いを把握するため,Aが外来診療で被告病院に来院した際には毎回GOT,GPT及びγ-GTP及び血小板数を測定していたところ,いずれの数値も正常範囲内で推移しており,肝硬変の進展に伴うくも状血管腫や腫脹紅斑等の身体症状も認められなかったことから,Aの肝硬変はそれほど進行していないと判断した。[証人C6ないし8頁,同12頁]

ウ 肝細胞癌

下記(2)オで認定のとおり,Aは平成18年8月9日に実施された造影CT検査の結果,肝臓の腫瘤性病変が疑われた。

被告医師は,平成18年8月10日,同病院消化器内科のE医師に対し,Aの病態についてコンサルトしたところ,同医師は,Aの病態について原発性の肝臓癌であることは間違いなく,肝細胞癌か胆管細胞癌かの鑑別のためにCT検査等の諸検査を行うことは,Aの全身状態を考慮すると行うべきではないとした上で,治療についても多発性の癌であるからあまり意味はなく,かえって塞栓が飛ぶことによって静脈瘤が出血する可能性が高いと判断した。[乙A4・701頁]

被告医師は,同日,原告及びBに対し,Aの病態について説明を行い,さらに検査を行うことは避けたほうがよいこと,全身状態の悪化及び食道静脈瘤の存在を考慮すると治療は困難であること,仮に何も治療しなければ余命は半年程度であること等を伝えた。[乙A4・701頁ないし703頁]

(2)  本件に関連する検査結果等

ア 昭和61年12月19日の超音波検査

被告病院第三内科の担当医師は,昭和61年12月19日,GOT及びGPTの数値が上昇したことから,超音波検査を実施したところ,慢性肝疾患及び脂肪肝の疑いが見られた。[乙A1・29頁,同31頁]

なお,これ以降,被告医師は,Aの肝臓について超音波検査を実施していない。[証人C16頁]

イ 平成12年8月15日の単純CT検査

被告病院放射線科の担当医師は,平成12年8月15日,Aの体幹について造影CT検査を実施したところ,左背部から側胸部にかけて背部腫瘤が認められるとともに,肝臓については尾状葉が腫大するとともに辺縁が不整になっており,しかも門脈側副路の発達が著明で奇静脈も拡張していたことから,肝硬変を疑った。[乙A3・567頁,証人C17頁]

ウ 平成18年2月8日の単純CT検査

被告医師は,平成18年2月2日,Aが労作時における呼吸苦を訴えたことから,胸部レントゲン写真を撮影したところ,右下肺部に陰影が認められたため,被告病院感染症呼吸器内科に肺部の診断を依頼した。[乙A1・126頁]

そこで,被告病院感染症呼吸器内科の担当医師は,同病院放射線科に依頼して,平成18年2月8日に肺部の単純CT検査を実施したところ,軽度の炎症性変化が認められるものの,肺部の腫瘍は認められなかった。[乙A1・128頁,乙A3・577頁]

なお,同病院放射線科の担当医師2名は,平成18年8月9日に上記CT検査の肝臓に関する画像を再確認したところ,明らかな腫瘤性病変の指摘は困難であると判断した。[乙A4・693頁]

エ 平成18年2月17日の核医学検査

上記ウと同様,被告医師の依頼により,被告病院感染症呼吸器内科の担当医師は,同病院放射線科に依頼して,平成18年2月17日に核医学検査(Gaシンチグラム)を実施したところ,左肺舌区や右下肺野に指摘される陰影の周囲に明らかな集積亢進は認められず,強度の炎症が発生している可能性は低かった。また,同検査結果において,体幹部から四肢近位の骨(髄)への集積亢進は慢性貧血に伴う所見であり,腹部への集積は生理的な腸管への集積である可能性が高かった。[乙A3・574頁]

被告医師は,上記検査の報告書及び検査結果を検討した結果,Aの肝臓内に大きな腫瘍は認められないと判断した。[証人C12頁ないし13頁]

オ 平成18年8月9日の造影CT検査

被告医師は,平成18年8月8日,Aが入院した際,心不全による食欲低下の疑いがあったことから,被告病院循環器内科に診断を依頼したところ,同診療科の担当医師は,被告医師に対し,Aに中等度の肺高血圧を認めるとともに,肺血栓塞栓症の疑いを指摘して胸部の造影CT検査の実施を勧めた。[乙A3・260頁,同264頁]

そこで,被告医師は,同病院放射線科に依頼して,平成18年8月9日に造影CT検査を実施したところ,肝臓内にlow density(造影CT上,黒色に染まることをいう。)が認められたが,上記CT検査は肺塞栓等の検査のために実施されたものであり,肝臓に関する画像は撮像のタイミングが適切ではないことから,腫瘤性病変の有無について再度の精査が必要とされた。[乙A4・698頁]

カ 血液生化学検査(酵素)の結果

(ア) 平成12年1月7日[乙A1・66頁]

GOT(基準値11~33IU/L。以下同じ。)

52IU/L

GPT(基準値6~43IU/L。以下同じ。)

22IU/L

γ-GTP(基準値9~32IU/L。以下同じ。

17IU/L

(イ) 平成12年7月24日[乙A4・655頁]

GOT   26IU/L

GPT   11IU/L

(ウ) 平成12年9月[乙A1・74頁,乙A5]

GOT   44IU/L

GPT   28IU/L

γ-GTP 105IU/L

(エ) 平成12年9月以降平成17年6月まで[乙A5,証人C5ないし6頁,なおこの点については原告も積極的に争わない]

被告医師は,外来通院の度にAのGOT,GPT,γ-GTPの数値を測定し,その数値は概ね正常値を保っていた。

(オ) 平成17年6月30日[乙A4・681頁]

GOT   32IU/L

GPT   18IU/L

(カ) 平成17年7月28日[乙A4・681頁]

GOT   26IU/L

GPT   13IU/L

(キ) 平成17年8月23日[乙A4・682頁]

GOT   28IU/L

GPT   15IU/L

(ク) 平成17年10月6日[乙A4・682頁]

GOT   28IU/L

GPT   14IU/L

(ケ) 平成17年11月24日[乙A4・682頁]

GOT   33IU/L

GPT   17IU/L

(コ) 平成17年12月15日[乙A4・682頁]

GOT   32IU/L

GPT   15IU/L

(サ) 平成18年2月2日[乙A4・682頁]

GOT   29IU/L

GPT   14IU/L

(シ) 平成18年2月6日[乙A4・682頁]

LDH   202IU/L

(ス) 平成18年3月2日[乙A4・682頁]

GOT   27IU/L

GPT   13IU/L

(セ) 平成18年4月13日[乙A4・682頁]

GOT   29IU/L

GPT   13IU/L

(ソ) 平成18年5月16日[乙A4・682頁]

GOT   36IU/L

GPT   15IU/L

(タ) 平成18年6月8日[乙A4・682頁]

GOT   42IU/L

GPT   21IU/L

(チ) 平成18年7月27日[乙A4・682頁]

GOT   100IU/L

GPT   49IU/L

(ツ) 平成18年8月8日[乙A4・682頁]

GOT   116IU/L

GPT   49IU/L

(テ) 平成18年8月10日[乙A4・682頁]

GOT   336IU/L

GPT   132IU/L

キ 血液生化学検査(蛋白)の結果

(ア) 平成11年6月4日[乙A3・593頁]

総蛋白(基準値6.5~8.2g/dl。以下同じ。)

8.00g/dl

アルブミン(基準値58.7~70.5%。以下同じ。)

52.9%

α1-グロブリン(基準値1.9~3.3%。以下同じ。)

2.7%

α2-グロブリン(基準値5.8~9.8%。以下同じ。)

7.0%

β-グロブリン(基準値7.0~11.6%。以下同じ。)

11.0%

γ-グロブリン(基準値10.5~20.9%。以下同じ)

26.4%

(イ) 平成11年7月12日[乙A3・594頁]

総蛋白  7.90g/dl

アルブミン  51.5%

α1-グロブリン  2.7%

α2-グロブリン  7.2%

β-グロブリン  11.0%

γ-グロブリン  27.6%

(ウ) 平成12年7月21日[乙A3・595頁]

総蛋白  8.40g/dl

アルブミン  36.9%

α1-グロブリン  3.1%

α2-グロブリン  6.2%

β-グロブリン  10.1%

γ-グロブリン  43.7%

なお,同日における血清蛋白泳動図は,アルブミンの減少,γ-グロブリンの上昇,β-グロブリンとγ-グロブリンの融合(β-γリンキング)が認められるところ,これは肝硬変に特徴的なパターンである。

ク 血液学検査結果(血小板数,基準値は10万~35万/μl)

(ア) 平成12年1月7日[乙A1・66頁]

21.9万/μl

(イ) 平成12年9月[乙A1・74頁,乙A5]

11.5万/μl

(ウ) 平成12年9月以降平成18年8月まで[証人C6頁,なおこの点については原告も積極的に争わない]

血小板数は,平均して15万/μlで推移しており,減少傾向は認められなかった。

ケ 腫瘍マーカー

(ア) 平成18年8月10日のAFP(α-フェトプロテイン)

2.30ng/mL[乙A4・676頁]

(イ) 平成18年8月頃のPIVKA-Ⅱ

7000AU/mL以上[乙A2・151頁,弁論の全趣旨]

2  後掲各証拠によれば,本件に関連して,以下の医学的知見が認められる。

(1)  肝硬変の概念等

ア 概念等

肝硬変とは,様々な原因疾患により,病理組織学的に慢性の肝細胞の破壊と再生,線維の増生のため線維生隔壁で囲まれた再生結節(偽小葉)が肝全体にびまん性に形成された状態を指す。[甲B4]

慢性肝炎と肝細胞癌はそれぞれ独立した疾患として扱われているが,厳密な境界は存在せず,肝硬変を伴う慢性活動性肝炎あるいは初期の肝硬変といった表現をすることがある。[甲B2,甲B3]

肝硬変を機能的に分類すると,肝細胞機能不全の病態により代償性肝硬変と非代償性肝硬変に分類される。これらは,厳密に区別されるものではないものの,代償性肝硬変では微熱,くも状血管腫,女性化乳房,腹壁静脈怒張,脾腫等が,非代償性肝硬変では黄胆,腹水,浮腫,肝性脳症等の症状が見られ,腹水が明らかに出現する前に下腿浮腫が認められる場合がある。[甲B2,甲B3]

イ 検査所見等

肝細胞機能障害の程度により,総ビリルビン上昇,アルブミン減少,γ-グロブリン,GOT,GPTの上昇が認められる。[甲B2,甲B3,甲B4]

肝の繊維化を反映して,胆道系酵素のALP, γ-GTPの増加が見られる。[甲B2]

肝硬変の20~30%の症例において,AFP値の二桁程度の増加が見られる。[甲B2]

脾機能亢進の程度により,白血球数,赤血球数及び血小板数の低下が認められる。特に,血小板数の低下及び白血球数の低下は肝硬変の初期から出現しやすい。[甲B2,甲B3]

ウ 経過・予後等

肝硬変の70~80%が肝臓癌死であり,肝硬変の予後を決定する最大の因子は肝細胞癌の合併である。肝細胞癌の剖検525例のうち約82%に肝硬変が,約8%に慢性肝炎が併存していたとする報告もあり,肝硬変及び慢性肝炎は肝細胞癌の高危険群とされる。肝硬変からの発癌率は年間概ね5~7%である。[甲B2,甲B13]

また,肝硬変の線維化が強ければ強いほど,肝細胞癌の発生率は有意に高くなる。[甲B13,甲B18]

(2)  肝細胞癌の概念等

ア 概念等

肝細胞癌は,B型あるいはC型肝炎ウイルスに伴う慢性肝炎,肝硬変などの持続性壊死,炎症及び線維化をベースに発癌をきたす肝細胞由来の悪性腫瘍であり,全体の約80%から90%に肝硬変を併存している。[甲B18]

肝癌は原発性と転移性に分類され,原発性肝癌の90%以上が肝細胞癌である。[甲B8]

肝硬変を発生母地にした場合には,多中心性発生肝細胞癌(同時性あるいは異時性に2つ以上の癌病巣が存在する肝細胞癌をいう。)であることが多い。[甲B8,甲B18,弁論の全趣旨]

肝細胞癌の増殖パターンは予測困難とされている。[甲B14]

イ 検査所見

(ア) 血液生化学検査

通常は併存した肝硬変と同様の所見を示す。もっとも,肝細胞癌の場合には,GOT/GPT比の増大やLDHの上昇等の所見を示すことが多い。[甲B6]

(イ) 腫瘍マーカー

AFP値は腫瘍数及び腫瘍径の増加に伴って上昇する。通常はAFPが200ng/ml以上であったり,時間的経過とともに数値が上昇するような場合であれば肝細胞癌が疑われる。なお,腫瘍径3cm以下の場合,全体の約30%~40%の症例でAFPが正常値(20g/ml以下)を示すという報告もあり,AFPによる小腫瘍の検出には限界がある。[甲B6,甲B7,甲B14,甲B16]

PIVKA-Ⅱは腫瘍数及び腫瘍径の増加に伴って陽性率が上昇する。腫瘍径3cm以下の肝細胞癌症例のうち10~20%,多発あるいは5cm以上の肝細胞癌症例のうち50~60%で陽性になるとされるが,小型肝細胞癌の症例では陰性を示すことも多い。[甲B16]

なお,AFPとPIVKA-Ⅱには相関関係が見られない。[甲B14]

(ウ) 超音波検査

外来でも実施できる非侵襲的な検査であり,小腫瘍の検出に優れている。[甲B7]

超音波検査による肝細胞癌の確定診断所見が得られるケースは,腫瘍径2cm以下では全体の10%以下であるが,2cmを超えると全体の30%以上になる。他方,2cm以下の肝細胞癌25例のうち24例が超音波検査によって発見されたとの報告もある。[甲B6,甲B13]

肝硬変を合併している場合には,肝実質に再生結節像が認められることから,小腫瘍との鑑別が困難な場合がある。[甲B7]

(エ) CT検査

肝臓の限局性病変の中には単純CTあるいは造影CTのみでは検出しにくい場合があるため,単純CTと造影CTの両者を撮影することが基本とされる。[甲B9,甲B15]

単純CT検査では低吸収域として,周囲の正常な肝細胞よりやや黒っぽい腫瘤像として写る。もっとも,2cm以下の肝癌では非腫瘍部と同様の血流動態を持つことがあるため,単純CT検査では画像上腫瘤として認められないことがある。また,周囲肝と等濃度の肝細胞癌である場合には,辺縁に存在し,輪郭から突出していないかぎり,単純CTでその存在を指摘することは不可能である。[甲B6,甲B7,甲B15]

造影CT検査では,動脈優位相で腫瘍は高吸収域,門脈優位相および平衡相では低吸収域になることが特徴的な肝細胞癌の所見である。もっとも,腫瘍径2cm以下の場合においては,高分化型腫瘍が多いため早期に濃染せず,後期のみ低吸収域としてみられることから,さらに精密検査が必要な場合がある。[甲B6,甲B18]

(オ) MRI検査

MRI検査では,肝細胞癌は一般にT1強調画像では低信号,T2強調画像では高信号を示すことが多い。造影CT検査と比較してコントラストは良好である。[甲B7]

(カ) 肝シンチグラム

臨床的な有用性はほとんど認められない。肝シンチグラムによる肝細胞癌検出率は超音波に比べて明らかに低く,2cm以下の腫瘍ではSPECT(シングルフォトン・エミッション・コンピュータ断層撮像)を施行しても検出率は50%に達しない。[甲B1・29頁,甲B6]

ウ 治療方法及び予後

(ア) 局所療法

経皮的エタノール注入療法とは,超音波映像下に細径針を用いて腫瘍を穿刺し,純エタノールを直接注入することにより,癌部を凝固壊死させる方法である。腫瘍径3cm以下で,かつ,3病巣以内の場合に適応があるとされる。[甲B6]

経皮的ラジオ波照射熱凝固療法とは,超音波映像下にラジオ波焼灼のための凝固針を腫瘍内に挿入し,腫瘍を焼灼する方法である。3cm程度の腫瘍であれば,高い確率において1回の焼灼で治療することができる。[甲B6]

腫瘍径が1~2cmの場合における局所療法の術後累積生存率は,1年間:95.0%,2年間:85.6%,3年間:73.4%,4年間:61.4%,5年間:50.1%であったとの報告がある。また,腫瘍径が3cm以下であり,かつ腫瘍数が3個以下で肝障害度が高くない場合には,肝切除術と同程度の生存率であったとの報告もある。[甲B1,甲B17]

(イ) 肝切除術

肝機能が良好で腫瘍個数が3個以内で辺縁に限局する場合に選択される。最も確実な治療法であるが,侵襲が大きく,他部位への再発率は局所治療と変わらないため,最終的な長期予後は局所治療法と大きく変わらない。[甲B18]

腫瘍径2cm以下の場合における肝切除術の術後生存率は,1年間:95.1%,2年間:90.1%,3年間:83.8%,4年間:76.8%,5年間:68%であるという報告がある。[甲B17]

(ウ) 肝動脈塞栓療法

進行した肝細胞癌は,肝動脈のみによって栄養されることから,肝細胞癌を栄養する動脈にゼラチンスポンジ等の塞栓物質を注入し,肝細胞癌の阻血壊死を図る方法である。[甲B16]

腫瘍径が3cmを超える例や,3cm以下の場合であっても腫瘍個数が4個以上で多血性の肝細胞癌を有し,かつ肝障害度が高くない場合に推奨される。もっとも,門脈本幹,一次分枝に腫瘍栓を有する例には原則として適応できない。[甲B8]

腫瘍数が1個の場合における肺動脈塞栓療法の術後生存率は,1年間:82.9%,2年間:67.1%,3年間:52.7%,4年間:39.4%,5年間:29.7%であるという報告がある。[甲B17]

(エ) 化学療法

上記(ア)ないし(ウ)の治療法に適応にならない場合,すなわち多発の腫瘍が両葉に存在する場合や,門脈一次分枝にとどまる腫瘍栓がある場合に適応とされる。[甲B6]

エ 腫瘍倍加時間

腫瘍径3cm以下の肝細胞癌症例22例について6ないし37か月の自然経過を観察したところ,腫瘍倍加時間は平均6.5か月であった。

腫瘍径5cm以下であり,かつ肝硬変を基礎に発生した肝細胞癌症例39例59結節について3ないし32か月の自然経過を観察したところ,腫瘍倍加時間は27日~606日の範囲内であり,その中央値は172日であった。[以上につき甲B14]

超音波血管造影において,動脈血流の多い結節では腫瘍倍加時間が平均70日,動脈血流に乏しい結節では腫瘍倍加時間が平均370日であった[甲B1・27頁]

(3)  科学的根拠に基づく肝癌診療ガイドライン(以下「肝癌診療ガイドライン」という。)[甲B1]

ア 高危険群の設定

B型慢性肝炎,C型慢性肝炎,肝硬変のいずれかが存在すれば肝細胞癌の高危険群とされる。特に,B型肝硬変,C型肝硬変患者は,超高危険群に属する。

イ 肝細胞癌サーベイランスのアルゴリズム

肝細胞癌の超高危険群に対しては3~4か月に1回の超音波検査及び2つ以上の腫瘍マーカーの測定を,高危険群に対しては6か月に1回の超音波検査及び2つ以上の腫瘍マーカーの測定を行う。

これは,2~6か月ごとに腫瘍マーカーと超音波検査による定期的スクリーニングを行うと,肝細胞癌が単発かつ小結節で検出される可能性が高く,また肝細胞癌の倍加時間の点からも妥当であると考えられることを根拠とする。

もっとも,サーベイランスの至適間隔に明確なエビデンスはなく,推奨の強さはグレードC1(行うことを考慮してもよいが十分な科学的根拠がない)である。

ウ 諸検査の実施

超音波検査で結節性病変が新たに指摘された場合,ダイナミックCT検査あるいはダイナミックMRIを撮像し,鑑別診断を行う。

また,AFPの持続的上昇あるいは200ng/ml以上の上昇,PIVKA-Ⅱの40mAU/ml以上の上昇,AFP-L3分各の15%以上の上昇を認めた場合,超音波検査で腫瘍が検出できなくても,ダイナミックCTあるいはダイナミックMRIを撮像する。

CT,MRIなどの画像診断において造影剤使用は必須である。造影剤使用に当たっては造影剤アレルギーの発生を考慮し,事前に患者に対する十分な説明と同意を得ることが必要であり,容態急変時の緊急処置の備えも万全でなければならない。

3  争点(1)(過失)についての検討

(1)  医療行為における過失について

契約上の債務者は契約によって成すべきことを義務付けられるところ,当該契約の性質がいわゆる手段債務である場合には,債務者は当該契約の本旨にしたがって合理的な行動をとることを契約当事者間で義務付けられると同時に,社会的にも上記のような合理的行動を取ることが期待される。そうであれば,手段債務における債務不履行と競合する不法行為上の過失は,当該手段債務の内容及び趣旨に照らして合理的な行動であるか否かという観点から検討されるべきである。

そして,医療契約の本質は準委任契約であり,結果の実現を保証するものではなく,治療にあたって最善を尽くすという意味での手段債務であると解されることに照らせば,医療機関は,当該診療行為が実施された当時の医療水準,病院の性質及び地域の特性に照らし,社会通念上期待される合理的行動から逸脱したと評価される場合に不法行為上の過失責任を負うと解するのが相当である。

しかるに,医療機関の診療行為は,限られた診療時間や情報を前提として患者の疾病に対して考えられるいくつかの選択肢の中から最良と思われる治療行為を選択し,仮にその最良と思われた選択が結果的に正しくなかった場合には,その仮説を離れ,再度,最良と思われる治療行為を選択し直すという性質を有するものである。すなわち,最良と思われる治療行為を選択したにもかかわらず,結果的には期待した結果にならなかったり,合併症を生じるような場合もありうるのであって,そのような場合には,その反省を活かして技術及び治療成績の向上に努めることが将来の医療の進歩につながるという側面も否定しがたい。

そうであれば,人の生命及び身体にかかわる医療機関には最善の注意義務が課されることは疑いを容れないところであるが,他方,医療機関が直面する個別具体的な状況において当該診療行為を選択したことが合理性を有していたのであれば,その裁量は十分に尊重する必要があるといわなければならない。

(2)  本件における肝癌診療ガイドラインの位置づけについて

診療ガイドラインは,その時点における標準的な知見を集約したものであるから,それに沿うことによって当該治療方法が合理的であると評価される場合が多くなるのはもとより当然である。

もっとも,診療ガイドラインはあらゆる症例に適応する絶対的なものとまではいえないから,個々の患者の具体的症状が診療ガイドラインにおいて前提とされる症状と必ずしも一致しないような場合や,患者固有の特殊事情がある場合において,相応の医学的根拠に基づいて個々の患者の状態に応じた治療方法を選択した場合には,それが診療ガイドラインと異なる治療方法であったとしても,直ちに医療機関に期待される合理的行動を逸脱したとは評価できない。

そして,上記2(3)イで認定のとおり肝癌診療ガイドラインにおいてサーベイランスの至適間隔に関する明確なエビデンスはないとされており,推奨の強さはグレードC1(行うことを考慮してもよいが十分な科学的根拠がない)と位置づけられていることからすれば,サーベイランスの間隔については一義的に標準化されているとまでは認めがたいのであるから,上記間隔については医師の裁量が認められる余地は相対的に大きくなるものと解される。

(3)  被告医師の過失についての検討

ア Aの病態

被告医師は,上記1(1)イで認定のとおり自らAを肝硬変と診断しており,本件全証拠によってもその後上記診断を変更しようとしたり,他の疾患との鑑別診断を試みた形跡は窺われないことに加え,Aの肝硬変は進行が遅いものではあったものの肝細胞癌の発癌リスクは否定されるものではないと認めている(証人C40頁)。

また,上記1(1)ア,(2)イ及びキで認定のとおり,Aは,平成12年7月ないし8月の時点において,肝臓の腫大及び辺縁不整といった画像所見や食道静脈瘤が認められているほか,血清蛋白泳動図が肝硬変に特徴的なパターンとなっているなど,肝硬変であることを明らかに示す所見があった。そして,これらの所見がその後改善した事実は本件全証拠によっても認められない。

さらに,上記1(2)クで認定したとおりAの血小板数は平成12年9月から平成18年8月まで概ね10万~15万/μlの間で推移していたところ,血小板数の減少は肝組織の線維化が進展していることを間接的に示す指標であり,一般的には血小板数が15万/μl未満であれば線維化が進行しているとされることに照らせば,肝組織の線維化が一定程度進んでいたことが推認できる。そして,上記2(1)ウで認定のとおり肝細胞癌の発癌リスクは肝組織の線維化が進むほど高くなるとされている。

以上の事情を考慮すれば,Aの肝硬変は,発癌リスクが特に否定されるような病態であったとは認められない。

イ 本件で期待されるサーベイランスの至適間隔

そこで,被告医師がどの程度の間隔でサーベイランスを行うべきであったかを検討するに,上記2(3)イで認定のとおり肝癌診療ガイドラインにおいて非ウイルス性の肝硬変は肝細胞癌の高危険群とされ,6か月に一回の超音波検査及び腫瘍マーカーの測定が推奨されている。

そして,上記アで認定説示したとおりAの肝硬変は発癌リスクが否定されるものではなかったことに加え,上記2(1)ウで認定のとおり肝硬変の前段階とされる慢性肝炎であっても発癌リスクが相当程度認められることからすれば,Aの肝硬変が初期のものであったとしても,被告医師がAに対して肝硬変と診断してから一度も超音波検査等を実施しなかったことが相応の医学的根拠に基づくものとは評価しがたい。

なお,後記ウ(ア)で認定説示した本件での検査結果から,被告医師においてAの肝硬変がさほど進行していなかったと判断すること自体は不合理であるとはいえない。したがって,これらの検査結果を根拠として,肝癌診療ガイドラインとは異なるサーベイランスを実施していたとしても,上記(2)で説示したとおりサーベイランスの間隔について医師の裁量を認める余地があることを併せ考慮すれば,直ちに不合理であると断定することができないとの見方もあり得ないではない。

しかしながら,本件においては,そもそもサーベイランスそれ自体が全く実施されていないことに加え,被告医師において肝癌診療ガイドラインとは異なるサーベイランスを実施することが相当であるとした場合には具体的なサーベイランスの間隔及び方法をどのようなものにするのが妥当であったかという点や,それを裏付ける医学的根拠はどのようなものかという点について何ら被告における主張立証がない。

以上の検討によれば,上記(1)及び(2)で説示したように医療行為において医師の裁量を尊重する必要があること及び肝癌診療ガイドラインが絶対的な基準ではないことを考慮してもなお,被告は,Aに対し,肝癌発見を目的として6か月間隔で腫瘍マーカー及び超音波検査を実施し,腫瘍マーカーの上昇や結節性病変が疑われた場合には造影CT検査等を実施すべきであったというべきである。

ウ 被告の主張についての検討

(ア) 被告は,AのGOT及びGPTの検査結果はいずれも概ね正常値で推移しており,血小板数も減少していなかったことを理由として超音波検査等の画像検査の必要性がなかったと主張する。

たしかに,GOT及びGPTはいずれも肝細胞の壊死・破壊によって血中に逸脱する酵素であり,これらの数値の上昇は肝細胞の壊死・破壊の程度を反映するものであることに照らせば,GOT及びGPTの数値が概ね正常値であることは肝硬変が進行していないことを示唆する所見となることは否定しがたい。しかし,血液検査の結果が正常値であっても肝硬変が進行していることはあり得ることに加え,上記アで説示したとおりAには明確に肝硬変であることを示す所見があることからすれば,GOT及びGPTが正常値であることから直ちに発癌リスクが否定されるものではない。

また,血小板数については,上記アで説示のとおり一定程度線維化が進行していたことを示す所見ともなり得るものであるから,やはり直ちに発癌リスクが否定されるものではない。

(イ) 被告は,前提事実(2)で認定のとおり,Aは多様な疾患を有していたことから肝細胞癌のフォローを集中的に行うことができなかったと主張する。

しかし,上記2(2)イ(ウ)で認定のとおり,超音波検査は外来でも実施できるほど非侵襲的な検査であるところ,上記1(1)アで認定のとおり平成12年7月から平成18年7月まで概ね6か月に1回の割合で食道静脈瘤に対する内視鏡検査が実施されていることに照らせば,上記のようにAが多様な疾患を有していたとしても超音波検査が実施できないほどに全身状態が悪化していたとは認められない。

また,被告は,上記1(1)アで認定のとおり,Aに食道静脈瘤が認められたところ,食道静脈瘤が破裂すれば致命的になる可能性が高かったことから,食道静脈瘤を優先して治療を進めるのは当然であり,特に所見が認められなかった肝細胞癌の精査を行う必要性は低かったと主張する。

しかし,上記1(1)アで認定のとおりAの食道静脈瘤は平成12年7月から平成18年1月まで安定しており,同年7月27日になってやや増悪傾向が見られたものの,切迫した破裂の危険性があるような状態ではなかった。そして,上述のとおり超音波検査は非侵襲的であることに照らせば,食道静脈瘤の治療によって肝細胞癌のスクリーニングができない状態であったとは認めがたい。

(ウ) 被告は,Aに対して外来診療のたびに肝機能値及び血小板数を測定していたことに加え,平成18年2月に胸部単純CT検査及び核医学検査を実施したことから,それに加えて積極的に肝癌の発見を目的とした画像検査を行う必要はなかったと主張する。

しかし,肝機能値及び血小板数の測定によって肝細胞の破壊や線維化の程度を推測できるとはされているものの,それによって直接的に肝細胞癌を診断できるものではないことは被告医師自身も認めるところである(証人C23頁)。そして,血液検査の結果が正常値であっても肝癌が進行することはあり得ることからすれば,肝機能値及び血小板数の測定のみをもって肝細胞癌のスクリーニングとして十分であったとは評価しがたい。

また,Aのように多くの診療科を受診していた患者の場合には,他の診療科で撮影した画像を適宜活用することも認められて然るべきであるが,上記2(2)イ(エ)で認定のとおり肝癌のスクリーニングとして造影CTと単純CTを併用することが基本とされていることからすれば,単純CTのみをもって肝細胞癌のスクリーニングとして十分であったとは評価しがたい。

なお,被告は,Aが造影剤過敏症であったことから造影CTの撮影には慎重にならざるを得なかったと主張するところ,平成18年2月の時点では造影剤過敏症であったか否かを被告医師は認識していないのであるから,これをもって造影CTを撮影しなかったことが正当化されるものではない。

さらに,核医学検査は,上記2(2)イ(カ)で認定のとおり肝細胞癌の検出率が低いため,肝細胞癌のスクリーニングとしては不十分である。

そして,上記アで説示したとおり,Aの肝硬変は発癌のリスクが特に否定されるような病態ではなかったことからすれば,平成18年2月に撮影された単純CTや核医学検査の検査結果を総合することによって肝癌のスクリーニングを行ったとしても,それが被告医師に平成18年2月時点で求められる合理的行動といえるか否かについてはなお疑問が残るといわざるを得ない。

(エ) 被告は,平成18年8月10日に測定したAのAFPの数値は2.3ng/mlと完全に正常値であり,それ以前にAFPを測定したとしても異常値が検出される可能性はなかったのであるから,画像検査を行わなければならない状態にはなかったと主張する。

しかし,上記(1)で説示のとおり,医療訴訟における過失判断ではその時点で医師に期待される合理的行動を取っていたか,すなわち行うべきことを行っていたかが問題になるところ,上記主張は事後的に見てAのAFPが正常値であったことを指摘するにすぎないのであるから,平成18年8月以前において超音波検査及び腫瘍マーカーの測定を一度も実施しなかったことを正当化するものではない。

なお補足すれば,上記2(3)イで認定のとおり肝癌のスクリーニングでは2種以上の腫瘍マーカーを測定することが推奨されるところ,上記1(2)ケで認定のとおりAのPIVKA-Ⅱは顕著に高かったのであるから,平成18年8月以前にPIVKA-Ⅱを測定していれば異常値が検出された可能性は否定できない。

したがって,腫瘍マーカーを測定したとしても異常値が検出されなかったとは断定できないのであるから,被告の上記主張は採用できない。

(4)  総括

以上の検討によれば,被告医師は,Aに対し,肝癌の発見を目的として6か月間隔で腫瘍マーカー及び超音波検査を実施し,腫瘍マーカーの上昇や結節性病変が疑われた場合には造影CT検査等を実施すべきであったにも関わらずこれを怠った過失がある。

なお,原告は,2~6か月間隔で腫瘍マーカー,超音波検査,造影CT検査等の諸検査を行うべきであったと主張するが,上記のようにAの肝硬変がさほど進行していないことを示すような事情も窺われること,肝癌診療ガイドラインでは肝細胞癌の超高危険群であっても3~4か月間隔での諸検査が推奨されていること等の事情を考慮すれば,被告医師においてAに対し6か月よりも短い間隔でサーベイランスを実施する義務を課すことは相当でない。

4  争点(2)(因果関係)についての検討

(1)  平成18年2月に撮影された単純CT検査

被告病院放射線科医師2名は,上記1(2)ウで認定のとおり,平成18年8月9日の時点において平成18年2月に撮影されたAの単純CT検査の結果を再度読影したところ,肝細胞癌を示す所見は認められないと判断した。

そして,上記2(2)イ(エ)で認定のとおり,肝細胞癌は単純CTにおいて低吸収域として描写されるものであり,一定の状況下において肝細胞癌が描写されにくくなる場合があるとされているにすぎないのであるから,単純CT検査でおよそ肝細胞癌が検出されないというわけではない(肝細胞癌の診断のためには単純CTと造影CTの双方を撮影することが推奨されることも,単純CTに一定の有用性が認められることを前提としていると考えられる。)。

しかも,上記読影は,Aの肝臓内に腫瘤変病変がある可能性を認識した上で,肝臓内の精査を目的として行われたものであるから,どのような病変があるか不明な状態のままスクリーニングを実施した場合と比べて肝細胞癌を発見し得る可能性は高いものと認められる。

もっとも,上記2(2)イ(エ)で認定のとおり,単純CTでは肝細胞癌が画像上腫瘤として認められないこともあるから,上記読影の結果をもって確実に平成18年2月の時点でAの肝細胞癌が発生していなかったと断定することまではできない。

以上の検討によれば,上記読影によっては,平成18年2月の時点でAに肝細胞癌が発生していたとも,発生していなかったとも明確に判断しがたい。

(2)  血液生化学検査(酵素)の変化

AのGOT及びGPTは,上記1(2)カで認定のとおり平成12年から平成18年5月まで概ね正常値で安定していたにもかかわらず,平成18年6月以降急激に数値が上昇している。

また,Aの食道静脈瘤は,上記1(1)アで認定のとおり平成12年から平成18年2月までは安定していたにもかかわらず,平成18年7月27日の時点で増悪傾向に転じていることからすれば,平成18年2月から同年7月までの間にそれまでの安定傾向から増悪傾向に転じたと考えるのが自然である。

そして,GOT及びGPTは,いずれも肝細胞の破壊及び再生の程度を示す所見であることに加え,食道静脈瘤は肝細胞壊死後の線維化による肝内門脈の狭窄等を原因としていると考えられることからすれば,これらの所見は平成18年2月以降にAの肝細胞の破壊が急速に進行したことを示唆するものといえる。

さらに,上記1(2)カ(シ)で認定のとおり,平成18年2月6日の時点におけるAのLDHは正常値であるところ,上記2(2)イ(ア)で認定のとおりLDHはその数値が増加することによって肝細胞の破壊や悪性腫瘍の存在が示唆されるものであることからすれば,上記のようにLDHが正常値であったことは,その時点で肝細胞癌が発生していなかったことを推認させる一事情といえる。

(3)  原告の主張についての検討

これに対し,原告は上記2(2)エで認定した肝細胞癌の腫瘍倍加時間の統計に照らせば,平成18年2月の時点では既に肝細胞癌が発生していた可能性が高いと主張する。

しかし,上記2(2)アで認定のとおり肝細胞癌の増殖パターンは予測が困難であるとされていることからすれば,Aの肝細胞癌が上記統計の範囲内に収まらない可能性のあることもあながち否定できない。

また,腫瘍倍加時間は一つの癌細胞の容積が2倍になるまでの時間をいうところ,肝細胞癌は上記2(2)アで認定のとおり同時多発的に発生する可能性があることに照らせば,発生から6か月間の間に手術が困難なほどに進行した多発性肝細胞癌に至る可能性もまた否定できない。

(4)  総括

以上の事情を総合考慮すると,Aの肝細胞癌は平成18年2月以降に発生し,その後,急速に進行した可能性を否定することができない。

そうすると,肝癌の発見を目的として6か月間隔で腫瘍マーカー及び超音波検査を実施していたとしても,Aの肝細胞癌が発見された時点において救命が可能であったか否かは真偽不明であるといわざるを得ない。

したがって,上記3で認定説示した被告医師の過失がなかったとすれば平成18年10月23日のAの死亡という結果が発生しなかった高度の蓋然性ないし相当程度の可能性があったと認めることはできない。

よって,原告の主位的請求には理由がない。

5  原告の予備的請求(期待権侵害の有無)についての検討

患者一般の意思として可能な限り救命可能性が高い治療方法を採用してほしいと願うのは至極当然のことであり,しかも生命身体という人間にとって最も基本的かつ重要な利益に関わるものであることからすれば,このような期待は社会一般にも承認されるものであると考えられる。したがって,臨床水準に則った適切な診療を受ける期待は,生命・身体や当該時点で生存していた相当程度の可能性とは別個のそれ自体独立した法益であると解するのが相当である。

もっとも,上記3(1)で説示したところの医療行為の性質に照らせば,事後的な観点のみから,より適切な診療を受けることが可能であったというだけで不法行為上の過失ないし違法性を認めることは相当でないから,不法行為が成立する場合は,当該診療時点において,専門家である医師に対し,社会的に期待される合理的行動から逸脱した場合に限られるというべきである。

また,一見すると適切な治療と思われないような場合であっても,患者がその治療について真に納得していたのであれば,その自己決定は尊重されるべきであるから,原則として上記の期待を侵害したことに対する過失ないし違法性を認めるべきではない。

しかしながら,被告医師は,上記3及び4で説示したとおり,Aに対して肝癌の発見を目的として6か月間隔での腫瘍マーカー及び超音波検査を実施せず,そのため腫瘍マーカーの上昇や結節性病変が疑われた場合に造影CT検査等を実施することもなかったものであるところ,Aは被告医師から肝癌の高危険群とされている肝硬変と診断され,平成18年2月ないしそれ以前の時点においては肝癌が発生していたとも,発生していなかったとも判断しがたいというリスクのある状態にあったのであるから,被告医師において上記の諸検査を実施することが社会的に期待されていたというべきであり,これらを実施しなかったことをもって合理的な行動であったとすることについては甚だ疑問といわざるを得ない。また,本件全証拠によっても,被告医師がAないし原告を含めた家族に対し,6か月間隔による腫瘍マーカー及び超音波検査を実施しないとの治療方針であることを説明していた事実は認められない。

以上のような事情を総合的に勘案すると,本件診療行為によってAの臨床水準に則った適切な診療を受ける期待が侵害されたと認めるのが相当である。

そして,本件における診療経過,治療内容等一切の事情を考慮すれば,上記期待権侵害の慰謝料としては100万円をもって相当と認める。

第4結論

以上検討したところによれば,原告の主位的請求は理由がないからこれを棄却し,予備的請求は100万円及びこれに対する平成18年10月23日から支払済みまで年5分の割合による金員の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し,その余は理由がないからこれを棄却することとし,訴訟費用の負担につき民訴法64条本文,同法61条を,仮執行宣言につき同法259条1項を適用の上,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 沼田寛 裁判官 安福達也 裁判官 佐藤雅浩)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例