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仙台地方裁判所 平成18年(ワ)273号 判決

主文

1  被告は,原告Aに対し,2539万9062円及びこれに対する平成16年1月14日から支払済みに至るまで年5分の割合による金員を支払え。

2  被告は,原告Bに対し,1269万9531円及びこれに対する平成16年1月14日から支払済みに至るまで年5分の割合による金員を支払え。

3  被告は,原告Cに対し,1269万9531円及びこれに対する平成16年1月14日から支払済みに至るまで年5分の割合による金員を支払え。

4  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

5  訴訟費用は,原告らと被告との間に生じたものは,これを6分し,その1を原告らの負担とし,その余を被告の負担とし,参加により生じた費用は,これを6分し,その1を参加人の負担とし,その余を被告の負担とする。

6  この判決は,第1項ないし第3項に限り,仮に執行することができる。

事実及び理由

第1当事者の求めた裁判

1  請求の趣旨

(1)  被告は,原告Aに対し,2999万0348円及びこれに対する平成16年1月14日から支払済みに至るまで年5分の割合による金員,同Bに対し,1499万5174円及びこれに対する平成16年1月14日から支払済みに至るまで年5分の割合による金員,同Cに対し,1499万5174円及びこれに対する平成16年1月14日から支払済みに至るまで年5分の割合による金員をそれぞれ支払え。

(2)  訴訟費用は,被告の負担とする。

(3)  仮執行宣言

2  請求の趣旨に対する答弁

(1)  原告らの請求をいずれも棄却する。

(2)  訴訟費用は,原告らの負担とする。

(3)  仮執行免脱宣言

第2事案の概要

本件は,訴外亡Dが,平成16年1月14日に被告病院において意識不明の重体となり,その後全く意識を回復することなく,同年4月30日に死亡したのは,劇薬であるリドカインの使用に当たっては用法及び用量について慎重な注意が必要とされており,特に肝機能障害のある高齢者への投与については過剰投与を避けるための格別の注意が要求されているにもかかわらず,被告病院の看護師が,被告病院の輸液ポンプにリドカイン溶液の入ったボトルとその点滴ラインを付け換える際に,その点滴ラインの途中に設置されているクレンメを閉めなかったため,リドカインが亡Dの体内に急激に過剰注入されたこと(以下「本件事故」という。)によるとして,亡Dの相続人である原告らが,被告に対し,不法行為又は債務不履行に基づき,亡Dに生じた逸失利益,慰謝料等の損害賠償(原告Aが2999万0348円及びこれに対する平成16年1月14日から支払済みに至るまで民法所定年5分の割合による遅延損害金,原告B及び原告Cが1499万5174円及びこれに対する平成16年1月14日から支払済みに至るまで民法所定年5分の割合による遅延損害金)を請求する事案である。

1  前提事実(証拠援用部分を除き,当事者間に争いがない。)

(1)  当事者

ア 亡Dは昭和14年12月3日生まれの男性であり,平成16年4月30日被告病院において死亡した(本件事故発生時及び死亡時64才)。亡Dは当時無職であった。

イ 原告Aは亡Dの妻で,原告B及び同Cは亡Dの子であって,いずれも亡Dの相続人である。

ウ 被告は被告病院を設置,運営している法人である。

エ 補助参加人はE病院(以下「補助参加人病院」という。)を設置運営するものである。

(2)  経緯

ア 亡Dは,平成15年11月7日から補助参加人病院に「右胸水(原因不明),アルコール性肝障害」で入院していた。

イ 補助参加人に入院するまでの経緯は,同病院の退院時総括表によると,「既往歴は,幼少時気管支喘息,平成9年ころ胃潰瘍,平成11年肺炎(F病院)。もとボイラー技師で喫煙は1日20本以上,平成11年に肺炎で入院した後は医療機関を受診したことも検診を受けたこともなかった。入院前から時々便失禁をするようになっていた。平成15年11月7日早朝,ドサッという音に家族が気づき,行ってみると亡Dが倒れているのを発見。失禁し荒い呼吸をしていたため,救急搬送により呼吸困難を主訴として入院。意識レベルJCS3。喘鳴顕著で会話困難,アルコール臭あり…」であった。

ウ 平成16年1月5日もしくは同月8日(以下,特に断らない限り平成16年中のことなので,年の表記を省略する。)に,補助参加人病院から被告病院の感染症・呼吸器内科に対して,電話で亡Dの「難治性胸水」の治療のため,転院依頼があった。そこで,1月9日,被告病院は補助参加人病院に対して,「1月14日午前10時から11時の間に来院するよう」連絡した。

エ 1月14日午前11時少し前ころ,亡Dは,補助参加人病院のG医師と職員2名,原告Aに付き添われ,被告病院に到着した。G医師らが,補助参加人病院のストレッチャーにより被告病院西病棟9階に搬送した。西病棟9階では,被告病院看護師3名が亡Dの受入れに当たった。

亡Dには,点滴用リドカインボトル(リドカイン1000mg,生理食塩水100ml入り。以下,上記ボトルを「本件リドカインボトル」といい,中の溶液を「本件リドカイン」という。)と高カロリー輸液(以下,本件リドカインボトルと併せて「本件リドカインボトル等」という。)が,それぞれ流量を調節する輸液ポンプ(本件リドカインボトルについては流量を9ml/時に設定。高カロリー輸液については流量を50ml/時に設定。以下,本件リドカインボトルが設置されている輸液ポンプを「本件輸液ポンプ」という。)を経由して,中心静脈ライン(以下,「本件ライン」という。)で右内頚静脈から体内に点滴注入されていた。

オ G医師らは亡Dを被告病院の951号室(以下「本件病室」という。)に搬送し,ベッド左側にストレッチャーを横付けにした。被告病院のH看護師は本件輸液ポンプから,本件リドカインボトル及び本件ラインを,クレンメを閉じないまま外し,本件病室内のベッドに設置された別の点滴棒と被告病院で用意した別の輸液ポンプに交換して,取り付ける作業を行った。

カ 上記作業を行った後,本件リドカインの残量はわずかになっていた。

キ 被告病院の看護師は,胸腔ドレーンの準備をし,バイタルサインを取ろうと亡Dの腋に体温計を挟もうとしたが震えて挟めなかった。これを見た他の看護師はすぐに痙攣と判断し,「痙攣だから先生を呼んできて。」と直ちに指示を出した。病棟で他の処置をしていた医師が本件病室に駆けつけ,G医師に「いつもこうなのですか。」と尋ねたところ,同医師はいつもとは異なる状態と考えたようであった。   (争いのない事実)

ク その後,亡Dは心停止,呼吸停止状態となった。そして被告病院担当医らによる心肺蘇生措置によって,自発呼吸は戻ったが,意識不明の状態となった。   (乙A1)

ケ その後,亡Dは被告病院にいて入院加療していたが,4月30日午前9時15分,多臓器不全疑いにより死亡した。   (甲A8,乙A1)

(3)  上記のほか,本件における診療経過は,別紙診療経過表のとおりである(ただし,争いのある部分は除く。)。

(4)  被告病院による調査

本件事故発生後,被告病院は,本件事故の原因及び事実関係を調査するため,院内に医療事故調査委員会(以下,「本件事故調査委員会」という。)を設置し,学内及び学外の専門家等に委員を委嘱し,4月15日から5回にわたり審議を重ね,医学的見地等から事故原因及び事実関係の調査を実施し,7月29日,委員会としての調査結果を「リドカインの投与に伴う医療事故の調査報告書」として取りまとめた(以下,この報告書を「委員会報告書」という。)。

2  争点及びこれに関する当事者の主張

(1)  争点1−被告の責任

(原告らの主張)

ア H看護師の過失の有無

(ア) リドカインは指定医薬品で,かつ劇薬であり,その内科的使用に当たっては用法と用量につき慎重な投与と注意が必要である。特に,刺激伝導障害や肝機能障害のある高齢者への投与については過剰投与を避けるため格別の慎重さと注意が要求される。また,一般的に,患者に投与される薬剤の用法,用量等の管理を正確に行うことは,看護師として基本的な注意義務である。

(イ) 本件病室において,亡Dがストレッチャーからベッドに移される際に,H看護師は,まず本件ラインに設置されているクレンメを閉じた上,次に本件輸液ポンプから本件ラインをはずすという順序で作業をすべきであったところ,そのクレンメを閉じることなしに,本件輸液ポンプから本件ラインをはずしたため,そのラインが全開となり,本件リドカインが亡Dの体内に過量に急速注入されてしまったものであり,H看護師の過失は明白に認められる。

イ 被告の責任の有無

(ア) 被告は,本件病院を設置運営し,H看護師を雇用して被告病院において看護業務に従事させていた。

よって,被告は,H看護師の過失によって亡Dが被った損害につき,診療契約違反の責任及び不法行為上の責任を負うべきである。

(イ) 仮に本件事故の発生について補助参加人にも何らかの責任があるとしても,そのことによって被告の責任が免除されるわけではない。その責任が重畳的なものになるか,不真正連帯関係になるだけである。

(原告ら及び原告補助参加人の主張)

H看護師ほか被告病院の看護師は,被告病院の医師の指示のもと,亡Dの搬入にかかる一切の行為を行っていた。

そして,輸液ポンプ交換は基本的な看護業務であり,その基本方法は当然に看護師として身につけていなければならないものであり,輸液ポンプ交換の実施にあたって,個別的かつ具体的な交換方法等にかかる医師の指示を必要とする訳ではない。

さらに,G医師はH看護師に点滴棒ごと渡したところ,同看護師が輸液ポンプを外してよいかと聞いたので,よいと答えたのみであり,フリーにしてよいか,と聞かれたことはないのであるし,そもそもH看護師はクレンメを閉じたか否かの記憶がないのであって,G医師の指示により意図的にクレンメを全開にしたわけではなく,クレンメを閉じるのを単に失念していたに過ぎないのであるから,H看護師がG医師の指示に従っていたということはないのである。

以上によれば,H看護師の過失によって亡Dが被った損害につき,被告が責任を負うことは明らかである。

(被告の主張)

ア H看護師の過失の有無

点滴ラインのクレンメは,点滴の中身がいかなるものであろうと,また,いかなる状況であろうと常に閉じなければならない,というルールが確立しているわけではない。

また,H看護師はG医師のフリーにしてもよいとの指示に従って本件ラインを本件輸液ポンプから外しただけであって,過失はない。

イ 被告の責任の有無

(ア) 本件ラインの取り外しという行為を直接行ったのは,確かに被告病院のH看護師であった。

(イ) しかし,H看護師ら被告病院の看護師は,亡Dを受け入れるために補助参加人病院からの亡Dらの到着を待ち,亡Dらの到着を主治医に連絡し,転院の受入れに看護師として必要な限度で対応するために9階エレベーターホールで待機していたものである。本来であれば,被告病院の主治医が,転送元の医師や看護師から患者の引渡しを受けた上で,看護師らは主治医の許可と指示のもとで患者を病室に入室させるのであるが,亡Dは被告病院が補助参加人病院からあらかじめ伝えられていた安定した状態とは全く異なり,被告病院に到着した時点で既に不穏状態にあり,ストレッチャーの上で暴れていたため,緊急の必要性から,主治医の到着を待たずに亡Dを直ちに本件病室に移動させた。こういった事情から,被告病院の医師から同看護師らに対して,亡Dの処置については特段の指示は与えられていなかった。

仮に,亡Dが不穏な状態にあり,かつリドカインを投与しながら搬送するとの極めて重要な情報を,補助参加人病院医師が被告病院にあらかじめ伝えていれば,本件事故を未然に回避できたことは明らかである。

(ウ) また亡Dの本件病室移動後について検討するに,輸液ポンプの交換や点滴ラインを止めるか否かは正に医療行為そのものであり,特に,本件輸液ポンプによる点滴治療は被告病院が実施してきたものではなく,補助参加人病院の医師の指示により実施されてきたものである。それゆえ,被告病院の医師,看護師がこれを引き継ぐとすれば,補助参加人病院の医師の具体的指示なり申し送りを受けることなくしては不可能であるし,まして,看護師は,自らの判断ではかかる医療行為を行うことは法律上認められていない。したがって,被告病院の看護師らが点滴や輸液ラインの変更といった医療行為を行えるのは,補助参加人病院のG医師の指示のもとにおいてのみである。実際に,同看護師は,G医師の指示に従い,かつ同医師に対し「フリーにしてもいいですか」とその許可を求めて本件ラインの付け替えを行ったのであって,同看護師の行為はG医師の医療行為の補助行為として行われたものといわざるを得ない。それゆえ,同看護師の行為は,被告病院の職員としての職務行為としてではなく,補助参加人病院の職員であるG医師の医療行為の補助行為であって,同看護師の行為について被告病院は責任を負うものではない。

(エ) また,上記のとおり亡Dの被告病院への引渡しはまだ実行されていなかったし,本件リドカインも本件輸液ポンプ等もすべて補助参加人病院が装着した同病院のものであるから,G医師は事情を知らない他院の看護師に取り外させるのであれば,薬剤がリドカインで危険な劇薬であることを告知し,それゆえクレンメを自ら確認するか,良く確認してから取り外すよう具体的な指示をし,かつ,作業が終了するまで立ち会うなどの特段の配慮をする必要があった。それにもかかわらず,G医師はH看護師に指示をするにあたって,ポンプの中に入っている薬剤が何であるとかクレンメを閉めるようにといった指示をすることはなく,H看護師がラインを外すのをただ黙って見ているだけであった。そうであれば,H看護師がクレンメを閉じなかった行為はG医師の杜撰な指示に基づいた同医師自身の行為と評価すべきであり,責任は補助参加人病院にあるというべきである。

(オ) 以上のとおりであるから,被告はH看護師の過失によって亡Dが被った損害につき,責任を負うものではない。

(2)  争点2−亡Dの心肺停止及び意識障害の原因

(原告らの主張)

ア 亡Dが心肺停止と意識障害に至った経緯

(ア) 1月14日午前9時ころ,補助参加人病院の看護師が本件リドカインの残量が約70mlであることを確認した上,本件リドカインボトルの残量水位にマジックインクでマークをつけた。

同午前10時15分ころ,救急車で補助参加人病院を出発し,被告病院へと向かった(以下,亡Dを被告病院から補助参加人病院に搬送した救急車を「本件救急車」という。)。出発する際,補助参加人病院の副看護師長は,本件リドカインボトルの残量水位は上記マークより少し低位になっていることを確認した。

同午前10時30分ころ,救急車内でG医師が本件リドカインボトルの残量を確認したところ,約55ml位であった。

(イ) 同午前11時ころ,亡Dは被告病院に到着し,直ちに本件病室に搬送された。被告病院の看護師らは,直ちに亡Dをストレッチャーから病室ベッドに移すための作業に取りかかった。このとき,H看護師がクレンメを閉じることなく本件輸液ポンプから本件ラインを外したため,その本件ラインが全開となり,本件リドカインが亡Dの体内に急速注入され,本件リドカインボトルは空になった。

(ウ) その直後に亡Dは激しく痙攣するとともに,口から泡を吹き,チアノーゼが出現し,心肺停止の状態になった。しばらくして,そこへ被告病院の医師が到着し,直ちに蘇生術を施した。亡Dはやがて蘇生したが,意識は全く戻らなかった。

イ 主治医らから原告らに対する説明

(ア) 亡Dの心肺停止は,直後に行われた医師の蘇生措置により約15分後に自己脈が再開し,その後自発呼吸も得られるに至ったが,亡Dは各種の刺激に対して何らの反応も示さず,重度の意識障害に陥ったままであった。

(イ) 亡Dの主治医のI医師は,原告ら家族に対し,本件事故の直後ころから幾度か,本件事故の原因については,本件リドカインの急速な過剰投与による可能性を否定できない,調査中なので,結果がわかり次第お話しする旨の説明を繰り返していた。

そして,1月31日,主治医の外,被告病院の院長,副院長,科長らから,改めて,本件事故は,H看護師がクレンメを閉めなかったため,本件リドカインが急速に亡Dの体内に注入され,過剰投与となったことが原因である可能性が強い等の説明がなされ,謝罪の言葉があった。

ウ 委員会報告書

(ア) 本件事故調査委員会は,本件事故について「(看護師が)輸液ポンプから(点滴)ラインをはずした際にフリーフロー現象が生じ,…そのフリーフロー現象により一過性に少量のリドカインが急速注入され,そのリドカインが結果的に一時的な心肺停止状態を引き起こす量に相当してしまった」との結論を出した。

(イ) 委員会報告書は,心肺停止の直後に生じた亡Dの意識障害(昏睡)の原因について「(心肺停止後蘇生措置が施されたが)自脈が再開したのは約15分後であり,この間に循環障害に伴う脳に障害が生じ,結果として昏睡を来したと推定することは可能である」としている。

(ウ) また,委員会報告書において,委員のJは,心停止とリドカインの過量投与との因果関係について,「リドカインの過量投与で説明可能と考える。血中濃度の増大とともに痙攣が出現し,さらなる上昇に伴い中枢神経系が高度に抑制され,痙攣停止,呼吸抑制が起こり,引き続き,刺激伝導系も抑制され,心停止になったものと考えられる」との見解を述べている。

エ 以上の諸事実を総合すれば,亡Dが心肺停止となり,その直後に重度の意識障害(昏睡状態)となったのは,H看護師が,本件輸液ポンプから本件ラインを外す際に,先にクレンメを閉めなかったために,本件ラインが全開状態となり,本件リドカインが亡Dの体内に急速注入されたことによるものであることが明らかである。

(原告ら及び補助参加人の主張)

ア 本件リドカインの残量

本件リドカインは,1月14日午前6時に100mlのものに交換された後,転院後に被告病院看護師が本件輸液ポンプから本件ラインを外すまで,継続して本件輸液ポンプにより9ml/時の速度で点滴されていた。警報装置作動を含む一切のトラブル等なく,全く通常どおり流入されていたのである。そうだとすれば,亡Dのベッド移動時ころ(午前10時50分ころ)の時点では,約44ml程度が既に流入し,残量の56ml程度(午前9時ころの残量を約70mlとすれば約53.5ml程度)が本件リドカインボトルに残存していたはずである。さらに午前9時ころには看護師が残量が70ml程度であることを確認して線を引いたし,本件救急車内でG医師が残量を確認して十分な量があると認識していたのである。

イ 全開投与された時間について

本件ラインを本件輸液ポンプから外し,高カロリー輸液を被告病院の点滴台に移し,本件リドカインボトルを同様に被告病院の点滴台に移し,その後亡Dをベッドに移動し,しかるのちにK看護師がH看護師看護師に対して高カロリー輸液の滴下速度が早いので絞るように指示をし,これを受けてH看護師は高カロリー輸液の調整をまず行った,高カロリー輸液をポンプにセットした際とリドカイン溶液の残量がないことに気づいた際の先後ははっきりしないが,これらの事情を総じて考えれば,いずれにせよ残量が少ないことに気づくまでの間は,決して10秒や30秒などではなく,最低限数分単位の時間を要したはずである。被告自身この時間を「1,2分」と認識しており,事故後間もなくそのように報道発表した。

ウ 委員会報告書について

(ア) 委員会報告書では,半減期を用いて投与されたリドカインの量を様々に推測しているが,そもそもここで用いた半減期自体がごく少数の健常人から得た数値を用いたものであり,一般的にも半減期の個体差は大きいと知られているので,亡Dの場合にこれをあてはめて計算することは科学的ではない。さらに,亡Dの場合,リドカインが従前から持続点滴されており,肝機能障害があったとはいえ分解酵素が誘導されており分解能が高かった可能性もある。また,持続点滴されていたことから,「短期投与による血漿中濃度を1コンパートメントモデルで」計算することも科学的に不合理である。

(イ) 委員会報告書では,リドカインが自由落下した場合の流量を検討しているが,その流量は,点滴ボトルの高さ,患者の静水圧,さらに患者の呼吸状態(呼気時には胸腔が陰圧になり,胸腔内に位置する静水圧も相当陰圧になる。)その他の様々な不確定因子により左右されるところ,これらの因子を考慮していない(特に呼気時には陰圧になり点滴液が体内に引かれる状態になることを考慮していない。)。このため,ここでの結論は,科学的にも亡Dの場合にあてはめられるものではない。

エ 以上に述べたことからすれば,本件リドカイン約50ml程度が,輸液ポンプ交換時に極めて速やかに流入したことは明らかである。そして,突然の心停止の原因として,心電図や超音波検査の結果,心筋梗塞や突然の不整脈などの疾患は否定されており,このリドカインの過剰投与のためにベッド移動後亡Dに痙攣が起こり,さらに心肺停止状態に至ったことは明らかである。

(被告の主張)

ア 亡Dに投与されたリドカインは最大で2mlである。

(ア) 委員会報告書におけるL委員のリドカイン(キシロカイン)の血中濃度上昇値と短期投与量との検討結果では,本件事故により亡Dに投与されたリドカインは最大でも2mlである。

(イ) 委員会報告書における本件事故の再現実験に基づいて,H看護師が点滴ラインをフリーにして,本件リドカインボトルを補助参加人病院の点滴棒から被告病院の点滴棒に付け替え,さらにラインを被告病院の輸液ポンプに挟み込むため,上記ボトルを見てこれがほとんど空になっているのに気づくまでに要したであろう10秒程度の間の滴下量を推定すると,0.9mlから2.5mlに過ぎない。

(ウ) 70mlのリドカイン等がどこに流失したかについては,亡Dが被告病院到着時,ストレッチャーから今にも転落しそうな不穏な状態であったから,本件救急車内でも同人は不穏であった可能性を否定できず,同人の入院経過を見ても入院中連日点滴ラインやチューブを引っ張ったりしていたのであるから,搬送中も本件救急車内で暴れ,それにより本件ラインが外れて本件リドカインが本件救急車内に流失した可能性がもっとも高いと考えざるを得ない。

イ 本件リドカインボトルは被告病院搬送時には空であった。

また,亡Dに使用していた本件輸液ポンプには,気泡,閉塞,流量異常,空液,ドア,バッテリー電圧低下等の異常を監視する警報音及び表示ランプによる警報機能が装備されている。この警報機能は輸液ポンプが作動しているときのみ作動する構造になっている。また,警報ブザー消音後2分以上警報状態が解除されないと再び警報機能が作動する「再警報機能」と,開始可能な状態が2分以上経過したのに開始しないと同様に機能が作動する「開始忘れ警報機能」があり,さらに,内部の選択スイッチにより,設定値記憶,再警報なし,開始忘れ警報なし,流量設定単位「滴/分」,警報連続音等を選択することも可能となっている。

ところが,H看護師が輸液ポンプの扉を開けたときには,警報音は鳴らなかった。

以上のことからすれば,本件輸液ポンプはいずれも停止中で作動していなかった(輸液を停止していた)ものと考えざるを得ず,また,本件輸液ポンプは「開始忘れ警報なし」や「再警報なし」が選択されていたと考えられる。本件輸液ポンプが停止された経緯は,搬送中の本件救急車内で,本件リドカインボトルが空になり「空液警報機能」が作動したため,G医師が本件輸液ポンプの停止ボタンを押して輸液を停止し,ついでに搬送中の短い時間であれば特に必ずしも輸液の必要性が高くない高カロリー輸液のポンプのボタンを押し,いずれの輸液をも停止したと考えるのが最も合理的である。

ウ 亡Dの急変の原因

上記のとおり本件事故により亡Dに投与された本件リドカインは最大でも2mlであり,それだけでは亡Dに見られたような痙攣や意識障害は起こることはない。

リドカインは劇薬であるから,肝機能障害のある高齢者への投与については過剰投与を避けるため特別の慎重さと注意が要求される。亡Dの肝障害は補助参加人病院入院中からあり,コントロール不能な胸水が貯留し,被告病院転院前から肝不全状態があったと考えられる。それゆえ,リドカインを亡Dに対し,漫然と適応最大量投与していた補助参加人病院こそ過剰投与をしていたといわざるを得ない。実際,亡Dの不穏が激しくなっていることがカルテからうかがわれるが,これはリドカインの過剰投与から来た症状と考える必要がある。また,肝不全悪化を考えるべきであるが,同病院はアンモニア測定もその時点で行っていない。転院前に出血症状が見られているとの所見も肝不全状態を推察できるものであり,リドカインの適応最大量を漫然と投与していた補助参加人病院の行為によりリドカイン中毒が悪化した可能性を否定することはできない。

したがって,亡Dに上記症状は被告病院におけるリドカインの投与が原因ではない。

(3)  争点3−亡Dの死亡の原因

(原告らの主張)

ア 死亡に至る経過

(ア) 亡Dは,1月14日,本件事故のため心肺停止及び重度の意識障害に陥ったところ,医師らの蘇生措置により,約15分後に自脈が再開し,その後自発呼吸も得られるに至った。

しかし,その後も亡Dの意識は全く回復することなく,疼痛刺激に対しても全く反応しない最重度の意識障害の状態が続いた。1月15日のカルテには「意識level200程度」と記載されているが,実際には意識障害のレベルは300であった。

(イ) その後亡Dの意識は,治療により,一時,疼痛刺激に対して,わずかの反応が見られるとの医師の説明があったが,基本的には全く変わらず,1月29日には,主治医から,植物状態になっている旨の説明を受けた。

(ウ) 亡Dの胸水等に対する治療が引き続き行われたが,意識障害は,その後もレベル300の最重度の状態が続き,さらにDIC(播種性血管内凝固症候群),低酸素(性)脳症,脳の萎縮,代謝性アシドーシス,動脈血酸素の濃度低下などの診断が続き,4月30日,再び心肺が停止して,遂に死亡したものである。

イ 医師Mが亡Dの死因等を鑑定した結論は以下のとおりである。

① 本件病院における臨床上の死因が多臓器不全とされていることについては問題はないと考える。

② 本件事故と死因との因果関係については,リドカイン過量投与後,全身状態悪化し容態が大きく改善することなく死亡に至っており,過量投与と死因との間には一定の関連が推定される。

③ しかしながら,本件事故の発生から亡Dの死亡までに約3か月半という長時間が経過しているため,本件事故発生当時の所見は得られず,解剖から,本件事故と死亡との因果関係を直接的に判断することは難しい。

また,「肝臓,腎臓を中心とした広範な壊死性変化が挙げられ,機能不全状態にあったと推定される」と述べられている。

ウ 上記事実経過等を総合して考察すると,本件事故から亡Dが死亡するまでの病理機序としてはまず第1に次のとおり推認される。

① 亡Dは本件リドカイン等の急速注入により,心肺停止となった。

② 亡Dは,その直後に行われた蘇生措置により,約15分後に自己脈が回復したが,その間亡Dの大脳の細胞への酸素の供給が途絶えたため,広範な障害を受けて低酸素脳症になった。

③ そのため亡Dは重篤かつ不可逆的な意識障害に陥り,やがて植物状態になって症状が固定した。

④ その結果,脳の全身,調節機能の減弱,免疫力の低下,内臓ホルモン分泌の低下等のほか,肝機能障害の増悪及び腎不全等を来して多臓器不全になった。

⑤ そして再度心肺停止となり,遂に死亡した。

エ 副次的に次のように推認することが可能である。

① 本件リドカイン等の急速注入により,亡Dは心肺停止と意識障害に陥ったほか,肝機能障害の急激な増悪を生じた。

② そのため,亡Dはさらに肝不全から肝硬変へと進行し,肝性昏睡=重度の意識障害に陥った。

③ やがて多臓器不全となった。

④ 再度の心肺停止となり,遂に死亡した。

オ 以上に述べたところを総合して考察すると,本件事故発生時における本件リドカイン等の過量の急速注入が原因となって亡Dの心肺停止と重度の意識障害を招来し,前述の一連の経過を経て,やがて死亡にいたったものであって,本件リドカイン等の過量の急速注入と亡Dの死亡との間には一連の因果関係が認められることは明らかである。

(原告ら及び補助参加人の主張)

ア 本件リドカインの過剰投与によって,痙攣や心肺停止が生じたこと,この際の心肺停止のために低酸素性脳障害になったことは明らかであり,この脳障害について改善の見込みがなかったこともまた明らかである。

直接死因としては多臓器不全であろうが,常識的には遷延性意識障害を呈する程度の重度脳障害患者の場合には,安静臥床を強いられるため,あるいは脳の全身調節機構の減弱から,感染症(特に呼吸器感染症)を頻発し,全身状態が衰弱して死亡するのは通常の経過である。したがって,亡Dは,本件急変時から生じた重度の脳障害が基盤となり,このため易感染状態になり死亡したものと推察される。

イ また,亡Dには補助参加人病院入院時にDICは見られなかった。亡Dが人工呼吸器より離脱した後はさらに全身状態は改善しており,重症感染症や外傷,ショックなどのDIC発症の引き金因子となる生体ストレスに見舞われることもかった。

(被告の主張)

亡Dには重篤な肝障害,肝硬変等の基礎疾患があり,これが進行してDICや敗血症,菌血症等を合併し,多臓器不全を引き起こしたことが死亡の原因である。

そして,転院時のリドカインの投与が亡Dの肝障害の原因ということはできない。

したがって,亡Dが死亡したこととリドカインの急速投与との間には因果関係はない。

(4)  争点4−損害

(原告らの主張)

ア 意識障害及び死亡による逸失利益 金2245万1897円

ただし,平成14年度賃金センサスの産業計・企業規模計・学歴計・男子労働者(60才〜64才)の年収4,512,400円を基礎収入とし,生活費の控除30%,就労可能年数9年(平均余命年数18年の2分の1)として,ライプニッツ方式により中間利息を控除したもの。

イ 入院付添看護費 金75万6000円

ただし,1日7000円(近親者,交通費を含む)とし,平成16年1月14日から4月30日まで108日間分。

ウ 入院雑費 金17万2800円

ただし,1日1600円とし,上記108日間分。

エ 葬儀関係費 金160万円

オ 慰謝料 金3000万円

亡Dは一家の支柱であったところ,補助参加人病院から被告病院に転院したその日に本件事故で意識を喪失し,やがて,死亡したものであって,その悲痛は筆舌に尽くしがたく,その慰謝料として3000万円をもって相当とする。

カ 弁護士費用 金500万円

原告らは,N弁護士に依頼して,本件損害賠償請求について,本訴提起前に,被告と示談交渉するも解決に至らず,さらに,被告が申し立てた民事調停も不調に終わったため,やむなく,同弁護士に訴訟代理を委任して,本訴の提起に及んだものであり,その経緯及び事案の性質等に照らし,その弁護士費用中,500万円は,本件事故と相当因果関係のある損害である。

キ 以上合計金5998万0697円

(被告の主張)

争う。

第3当裁判所の判断

1  争点(1)について

(1)  前提事実,証拠(甲A5,7,13,17,28,32,甲B15,乙B3,丙A1,7,8,10,丙B4,8,9,原告A本人,証人H,証人G,証人I(ただし下記認定と異なる部分を除く))及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められ,この認定を覆すに足りる証拠はない。

ア 事実経過

(ア) 1月5日,補助参加人病院呼吸器内科部長O医師から被告病院のN医師に対し,亡Dの転院依頼の電話があった。その内容は,亡Dは「右胸水でドレーンが挿入されており,難治性胸水治療のため転院を依頼したい。入院直後にVT(心室性頻拍)がでたので現在もキシロカインを投与中,酸素は投与していない,大部屋で管理可能な患者であるが個室しかないのであれば,個室でもよい。不穏がたまにあるがセレネースで管理可能である。」というものであった。

(イ) 1月14日午前9時,本件リドカインボトルには本件リドカインが約70ml残っており,O医師が残液水位をマジックインキでボトルにマークした(以下「70マーク」という。)。

(ウ) 同日午前10時15分,本件救急車が補助参加人病院を出発する際,本件リドカインの水位はバッグに初めからある目盛りの「50ml」よりは上で,70マークより少し低位であった。

(エ) 本件救急車内における原告A,G医師,亡Dの位置状況は別紙図面1のとおりである。

(オ) 本件救急車内において,本件リドカインボトルが揺れたり,亡Dがカーテンを引っ張る,手足をばたつかせるなどの不穏行動が見られた。

(カ) 本件救急車内において,正確な時間は不明であるが,G医師が本件リドカインが50ml以上残っていることを確認した。

(キ) 原告Aは,本件救急車において,車内が揺れ,本件リドカインボトルも揺れていたので,気になって本件リドカインボトルを観察していた。正確な時間は不明であるが,本件リドカインボトルには半分以上の液体が入っていたことを確認している。また,原告Aの認識では,本件救急車内において本件リドカインがこぼれるようなことはなかった。

(ク) 本件救急車を降りて本件病室に亡Dを搬送する間,原告Aの認識では本件リドカインボトルに異常はなかった。

(ケ) また,G医師は,被告病院のエレベーターに向かう途中の廊下で本件リドカインボトルの中身が半分より少し少ない程度まではあったことを確認している。

(コ) 同日午前11時少し前,G医師らが亡Dを被告病院の西9階病棟に搬送した。

(サ) 被告病院からはH看護師,I看護師及びQ看護師の3名が亡Dの受入れに当たった。そのときの亡Dの様子は,手足をばたつかせ,起きあがろうとする動作も見られ,意味不明なことを声に出している状態であったので,すぐに本件病室に搬送した。同時に,H看護師は,Q看護師の指示で,被告病院の担当医のI医師に患者が到着したことについての電話連絡をした。

当時,担当医のI医師は,別の医学部の建物の1号館の5階の医局にいた。I医師は,H看護師からの上記連絡を受けて亡Dの病室に向かい始めたが,同医師が同病室に到着する前に亡Dの病状が急変し,至急病室まで来るよう緊急連絡を受けた。

(シ) 被告病院は,補助参加人病院の医師と受入れについての電話をした際に,亡Dの状態について,難治性胸水の治療目的の転院で個室管理を必要としない程度の落ち着いている状態であるとの説明があり,その後補助参加人病院側からは特段の追加連絡等がなかったため,状態の安定している患者の受入れには担当医が病棟で患者の到着を待つ必要はないと考えて,被告病院の医師は立ち会っていなかった。

(ス) 亡Dが本件病室に入った時の状況は,別紙図面2のとおりである。

(セ) H看護師ら3名の看護師は,別紙図面2のベッド(以下「本件ベッド」という。)のストレッチャーのない側に立ち,H看護師が真ん中,他の看護師がそれぞれ亡Dの頭側,足下側に立った。

(ソ) H看護師は,ベッドに片膝を乗せるような感じで,さらに手を伸ばして,ストレッチャーの脇にある点滴棒から本件リドカインボトル等を外して被告病院の点滴台に移そうとした。もっとも,本件ラインは本件輸液ポンプに挟まっており,それを外さないと本件リドカインボトルを被告病院の点滴棒に移すことはできないので,G医師に「フリーにしていいですか」と指示を仰いだところ,G医師は「いいです」と答えた。そこで,H看護師は本件輸液ポンプから本件ラインを外して,被告病院の点滴スタンドに本件リドカインボトルを掛けた。

(タ) H看護師は,通常,輸液ポンプから点滴ラインを外す場合には,輸液ポンプから外した上でクレンメを閉じる作業を行っていたが,このときは失念してクレンメを閉じなかった。点滴ラインが輸液ポンプに装着されている状態では,輸液ポンプによって流量が調節されているので,クレンメは全開の状態になっており,クレンメを閉じずに輸液ポンプを外すと,ボトル内の点滴液がフリーフローの状態で患者の体内に流入することとなる。

また,H看護師は,本件リドカインボトルを本件輸液ポンプから外して,被告病院の点滴台に移す際に,本件リドカインボトルにキシロカインという表示がついているのを見て,中身がリドカインであることを認識した。そして,H看護師は当時もリドカインが劇薬に指定されている医薬品であることを知っており,その管理,使用方法については,厳密な,慎重な投与が必要であることも知っていた。H看護師は,本件ラインを被告病院の点滴台に移す際,上記ラインが胸腔ドレーンチューブと交叉したため,それをくぐらすのに少し手間取った。

(チ) そして,H看護師ら3名の看護師が亡Dの体に手を入れて引っ張り,G医師ら3名の補助参加人病院の職員が亡Dの体に手を入れて押すような形で,亡Dをストレッチャーから本件ベッドに移した。亡Dを移した後,Q看護師かI看護師のいずれかが,高カロリー輸液の滴下速度が速いと感じ「速く落ちているから絞って」とH看護師に指示を出した。そしてH看護師は,本件ラインを被告病院の輸液ポンプに接続する作業に入ったが,そのとき本件リドカインの残量がわずかになっていることに気づいて,点滴速度を絞りながら「(点滴が)なくなるのでとめていいですか」とG医師に尋ねたが,同医師はすでに廊下にいたので返事はなかった。そこでH看護師は,本件ラインのクレンメを閉鎖した。

(ツ) 委員会報告書には,ベッド移動に要した時間は関係者の記憶によると1分間程度ということであるが,正確な時間は不明である,との記載がある。

(テ) 補助参加人病院の事務員が,亡Dが本件ベッドに移された後,亡Dを搬送したストレッチャーをもって本件救急車に戻ったが,そのとき,ストレッチャーは何かで濡れている状態ではなかった。

(ト) その直後,亡Dには痙攣がみられたので,心電図モニタが装着された。心電図モニタ上は整脈が認められた。酸素飽和度(SpO2)70%前半,血圧は触診で90mmHgあったが,その後呼吸抑制状態,心停止,呼吸停止状態となった。

(ナ) I医師らにより気管内挿管,ボスミン静注,カウンターショックなどの一連の蘇生措置を開始された。15分後に自己脈が再開し,その後安定した自発呼吸が得られたものの,意識は回復しなかった。

(ニ) 1月14日午前11時30分ころの亡Dのリドカイン血中濃度は7.6μg/mlであった。

イ 平成13年12月1日発行の「注射・点滴エラー防止「知らなかった」ではすまない!事故防止の必須ポイント」と題する本には以下のことが記載されている。

(ア) 「危険な薬剤について最低限の知識を」という項目に,「特に注意を要する薬剤としては,抗不整脈薬のキシロカイン,カリウム製剤,インスリン製剤,抗がん剤,昇圧薬などがあります.」

(イ) 「最も重大な,患者の生命にかかわるものは,危険な薬剤が高速あるいは多量に注入されるというエラーです.高速注入に至るエラーとしては,次のようなものがあります.…クレンメを開放したまま輸液ポンプのドアを開放しラインをはずす…」

(ウ) 「特に注意したいドア開放時」という項目に,「特に「クレンメを開放したまま輸液ポンプのドアを開け,ラインをはずす」という行為は,点滴更新時,気泡混入時,MRI検査時,ポンプ交換時,着替え・清拭時などに起こっています.」

(エ) この本は,「誤りを防ぐ上で必要な知識,特に新人ナースが実務につく前に必ず知っておいてほしい注射・点滴の知識を,ヒヤリ・ハット事例をもとに,設問と解説という形式でまとめたもの」である。

ウ 平成19年5月10日発行の「臨床看護技術ガイド」と題する本には以下のことが記載されている。

(ア) 「輸液ポンプ使用時の注意点」として「…輸液ポンプのドアを開けるときは,フリーフロー防止のため,必ずクレンメを閉じてから開ける。」

(イ) 「フリーフローが起こるのを防ぐ」として「対応:アラーム対応時は,必ず「クレンメを閉じてから」ドアを開け,輸液ルート(チューブ)を外すという手順を守る。」

エ H看護師は被告病院に勤務する看護師であり,被告病院の指示により亡Dの受入れ業務についていた。

オ 患者の転院は,一般的には,転院先病院の主治医が転送元の医師等から患者の引渡しを受けた上で,看護師らは主治医の許可と指示のもとで患者を病室に入室させるという手順で行われる。

カ 原告Aは被告病院に向かう際,補助参加人病院から原告C経由で渡された紹介状2通,レントゲン写真,退院証明書が入った布袋を持っていた。そして,本件病室に入った時点で,原告AはG医師に上記紙袋を渡した。しかし,本件事故が起きるまでの間,亡Dの主治医であるI医師は本件病室に来ておらず,G医師からI医師に対して,上記資料を手渡す等の行為はされていなかった。

(2)  前提事実及び上記認定事実に基づいて,被告の責任の有無について検討する。

ア まず,H看護師の過失の有無について検討する。

(ア) 新人ナースが実務につく前に必ず知っておいてほしい知識をまとめた書籍には,クレンメを開放したまま輸液ポンプのドアを開放しラインをはずすという行為が,最も重大な,患者の生命にかかわるエラーである旨記載されており,そのほかの書籍にも同趣旨の記載があること,クレンメを開放したまま輸液ポンプからラインを外すと点滴液がフリーフローの状態となりボトル内に残っている薬剤が過量に投与されてしまう事態が発生することが明らかであること等の事情からすれば,輸液ポンプから点滴ラインを外す際には,薬剤の過量投与によって患者に侵襲を加えるような事態が発生しないよう,まずクレンメを閉じてから外すという順番を守ることは看護師の基本的な注意義務であるといえる。

それにもかかわらず,H看護師は上記義務を怠って,クレンメを閉めずに本件ラインを本件輸液ポンプを外したのであるから,上記注意義務に違反するものとして過失が認められる。

(イ) この点,被告は,H看護師は,「フリーにしてもいいですか」との問いに対するG医師の「うん」という指示に従って,ポンプのドアを開けたのであるから過失はない旨主張する。

しかし,上記のとおり,輸液ポンプから点滴ラインを外す前にクレンメを閉じることは看護師として基本的な義務であるし,上記認定事実によれば,H看護師も,通常は輸液ラインを外した後にはクレンメを閉じており,G医師からの回答がどうであれ,クレンメを開けたままにしてフリーフロー状態を放置する意図ではなかったのに,本件輸液ラインを外した後でクレンメを閉じることを失念したに過ぎないのであるから,G医師の「うん」という指示と,H看護師のクレンメを閉じなかった行為に関連性はなく,G医師の上記指示は,H看護師の過失の有無を左右するものではないというべきである。

(ウ) 以上のことからすれば,クレンメを閉じないままポンプのドアを開けたH看護師には過失が認められる。

イ 次に,被告病院の過失の有無について検討する。

(ア) H看護師は被告病院の指示により亡Dの受入れ業務についていたものであるところ,輸液ポンプを本件輸液ポンプから被告病院のものに交換することも,亡Dを被告病院のベッドに移動させるにあたっては必要不可欠の行為であり,上記受入れ業務の一環といえる。そして,H看護師は上記交換という被告病院の業務を行うにあたって前記過失行為をしたものであるから,被告はH看護師の過失行為について使用者責任を負うべきものである。

(イ) これに対して被告は,リドカインを点滴したまま転送するとの連絡を受けていれば本件事故は起きなかった旨主張するが,上記認定事実によれば,亡Dにリドカインが持続点滴されている旨の情報は事前に補助参加人病院のO医師から被告病院のP医師に伝えられているのであるから,後は被告病院自身の内部伝達の問題に過ぎず,被告の主張には理由がない。

また,被告は,本件事故当時亡Dの引継ぎは完了していなかったこと及び医療器械の操作を指示できるのはG医師のみであったことをもって,H看護師が行った輸液ポンプ交換はG医師の指示に基づく同医師の医療行為の補助行為であって,被告病院の職員としての職務行為ではない旨主張する。確かに,上記(1)の事実に照らすと,被告病院の担当医であるI医師がG医師から引き継ぎを受ける前に本件事故が発生しており,本件事故発生時には亡Dの引継ぎは未だ完了していなかったと認められる。しかし,輸液ポンプ交換がG医師の補助行為であることと被告病院の受入れ業務の一環であることは両立し得ないものではないから,G医師の補助行為であることが,被告病院の事業について行われたことを否定するものとは言えない。したがって,本件事故当時,H看護師がG医師の指揮監督下にあったから被告病院には責任はないとする被告の主張は採用できない。

さらに,被告は,G医師の指示が杜撰であったために本件事故が起きた旨主張する。しかし,上記(2)アのとおり,本件事故は,輸液ポンプを外す前にクレンメを閉じるという看護師としての基本的な注意義務を怠った上,輸液ポンプを外した後に速やかにクレンメを閉じることを忘れてしまったというH看護師の過失によって発生したものである。そして,H看護師の上記過失は,被告病院として,輸液ポンプを外す前に必ずクレンメを閉じるという順番を守るべきことを看護師に対して指導していなかったという指導不徹底の過失によって起きたものと認められる(甲A13,証人I)から,G医師の上記指示とH看護師の上記過失との間に関連性はなく,被告は責任を免れないというべきである。また,前記のとおりH看護師に過失が認められ,被告がそれについての使用者責任の要件を満たす以上,G医師の不適切な指示があったからといって,被告が原告らに対して負う責任の発生を左右するものではない。

(ウ) 以上のとおりであるから,被告は,H看護師の本件過失行為について使用者責任を負うというべきである。

2  争点(2)について

(1)  前記前提事実,証拠(甲A5,12,13,34,甲B1の2,14の2・3,丙A1,6,9,10,丙B8,9)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められ,この認定を覆すに足りる事情はない。

ア 本件輸液ポンプの構造等

(ア) 本件輸液ポンプの型番は,TE−112である。

(イ) 本件輸液ポンプには,ドアを開けた際の警報機能(表示ランプ及び警報音による警報)がついている。また,「開始・停止・消音」ボタンがドアのすぐ横についており,警報が鳴った場合であっても,このボタンを押せば警報が止まるようになっている。

(ウ) R株式会社が本件輸液ポンプについて振動による誤差の調査をした結果は以下のとおりである。

a 測定内容

オープンモードに設定したTE−112(駿河工場品質保証課所有品)を振動試験機に取り付け,流量9ml/時で2時間の流量精度を測定(メスシリンダ使用。予定量計算値は18ml)した。

縦方向の振動のみで実施した。救急車を含め,一般の自動車走行における振動よりも大きい振動で実施した。

b 結果

振動有 18.3ml 振動無 18.4ml

正常な機械で正常に動作しているTE−112(オープンモード)では多少の振動では特に問題はないと判断された。

(エ) 本件輸液ポンプ(9ml/時)による,1月13日午前6時から1月14日午前6時までの亡Dに対する本件リドカインの総投与量は215mlである。そして9ml/時で24時間投与した場合の総投与量は計算上は216mlである。

イ リドカイン投与量についてのL委員の見解等

(ア) 1月14日午前11時30分時点の血中濃度測定値7.6μg/mlに基づいて,午前9時時点での点滴液残量が70mlであり,体重50kg,全血量3.8l,血漿量1.9lで体内分布が平衡になったものとして,短期投与による血漿中濃度を1コンパートメントモデルで計算したところ,同日午前11時における最大短期投与量は半減期が100minで20mg(2.0ml),300minで15mg(1.5ml),600minで15mg以下(1.5ml以下)となる。

(イ) 1コンパートメントモデルは既に薬物が体内で平衡状態になったと仮定した場合のモデルである。

(ウ) リドカイン50mgを急速注入した場合,30分後の血中濃度は正常人で約0.6μg/ml,心不全の患者で約1.0μg/mlである。

(エ) 薬物急速静注後の血中濃度の低下には,当初の20分程度の急激に低下する分布期と,その後の緩やかに低下する排泄期があるが,半減期とは,排泄期の任意の時点の血中濃度を基準にして,その濃度が半分になるのに要する時間をいう。

ウ 本件事故調査委員会のフリーフロー再現実験等

(ア) 平成16年5月12日午後4時,S講師外7名が,本件事故のフリーフロー速度について再現実験を実施した。その内容及び結果は要旨下記のとおりである。

a 器材

1 生理食塩水TNボトルから10mlの生理食塩水を廃棄し,代わりに10%リドカイン10mlを混和し,その後25ml廃棄し,トータル75mlに調整した薬液

2 上記1に接続する専用輸液セット

3  上記2に接続する3方活栓

4  上記3に接続する未使用のCVカテーテル(30cmトリプルルーメンカテーテル;白ライン(18G)に接続) 等

b 方法

上記器材を接続して仮想点滴セットを作成し,クレンメを全開し,薬液を自由落下させた。なお,CVカテーテルの先端は水面に接しないよう調整した。

c 結果

薬液ボトルからカテーテル開口部までの高さ(cm)58の場合の薬液量(ml/分)は5.5,高さ88の場合の薬液量は8.5,高さ130の場合の薬液量は15となった。

d 付言

本再現実験で用いた器材は未使用のCVカテーテルであるから,使用中のカテーテルに比べて滴下量を過大評価している可能性がある。

本再現実験では,中心静脈圧の存在について再現していないため,滴下量を過大評価している可能性がある。

(イ)  本件ラインについて

本件ラインは,アロー社製トリプルルーメンカテーテルCS−15703−Eであり,本件リドカインボトルからは本件ラインのうち青ラインに接続されていた。本件ラインの長さは20cm,青ラインの太さは18Gであり,本件ラインの説明文書によると,100cmの高さのボトルから接続した場合,約1500ml/時(25ml/分)の流量が得られるとされている。

エ 本件機序についての本件事故調査委員会の意見

転院時から心停止に至るまでの経過(痙攣→痙攣止まる,整脈→呼吸抑制状態→心停止)はリドカインの過量投与で説明可能である,血中濃度の増大とともに痙攣が出現し,さらなる上昇に伴い中枢神経系が高度に抑制され,痙攣停止,呼吸抑制が起こり,引き続き,刺激伝導系も抑制され,心停止となったものと考えられる,との意見(J委員)がある。

オ リドカインの添付文書記載事項

(ア)  内科的使用の点滴静脈内投与法に関して,「塩酸リドカインとして1分間に1〜2mgの速度で静注。必要な場合には投与速度を増してもよいが,1分間に4mg以上の速度では重篤な副作用が現れるので4mgまでにとどめる。」との記載がある。

(イ)  内科的使用の重大な副作用(頻度不明)として,「ミ循環器:PQ間隔の延長あるいはQRS幅の増大等刺激伝導系の抑制あるいは血圧下降,ショック,徐脈等を生じ,心停止を招くことがある。…メ中枢神経:振戦,けいれん等が現れた場合には,直ちに中止し,人工呼吸,酸素吸入等の処置と共に,超短時間作用型バルビツール酸製剤の投与を行う」との記載がある。

(ウ)  内科的使用の高齢者への投与として,「主として肝臓で代謝されるが,高齢者では肝機能が低下していることが多いため血中濃度が高くなりすぎ,振戦,けいれん等の中毒症状を起こすおそれがある。…」との記載がある。

カ 陰圧について

(ア)  中心静脈は,胸腔にあり,その中の圧(胸腔内圧)の影響を受ける。

(イ)  中心静脈内に入ったカテーテル先端の圧は,まず血液内にあることによりカテーテル先端部の静脈血の圧,すなわち静水圧がかかる。

(ウ)  また,上記カテーテル先端の圧は中心静脈と同様に胸腔内圧の影響を受ける。

(エ)  胸腔内圧は呼吸に伴って変動する。すなわち,吸気時には胸郭が膨らみ,横隔膜が腹部の方に押し下げられ,胸腔の体積が大きくなるため胸腔内は陰圧(大気圧に比べて低い圧)になる。息を吐く際には,胸腔の体積が次第に小さくなり,胸腔内の陰圧が減少していき,通常の場合,呼気の終わりの際に胸腔内圧はほぼ大気圧に等しくなる。

(オ)  そして,上記吸気時には,中心静脈内に入ったカテーテル先端の圧は静水圧を考慮しても陰圧になり,点滴ボトルの水面の圧のみ(事故調査委員会による実験のように自由落下させたとき)の場合よりも大きい力でカテーテル先端から点滴液が流れることになる。

キ 意識障害は心肺停止状態が続いたことによる,低酸素血症による不可逆的な脳変化によるものである。

(2) 以下,前提事実及びこれまでに認定した事実に基づいて,亡Dの心肺停止と意識障害の原因について検討する。

ア まず,本件事故の際に亡Dの体内に急速注入された本件リドカインの量について検討するに,前記認定事実によれば,1月14日午前9時の本件リドカイン溶液の残量は,70mlであり9ml/時の速度で亡Dの身体に注入されていたことからすれば,亡Dが本件病室に搬送された午前11時の時点における本件リドカインの残量は約52mlであったと一応推認できるところ,本件事故以前に本件リドカインがこぼれたり,何らかの異常により亡Dの体内に過剰に入っていた事実があれば,上記推認は覆ることから,上記事実の有無について検討する。

(ア)  まず,本件救急車内において本件リドカインがこぼれたり亡Dの体内に過剰に入ったりしたか否かについて検討するに,本件救急車が補助参加人病院を出発する1月14日午前10時15分には本件リドカインの残量は70マークより少し低位であり,本件リドカインは9ml/時の速度で亡Dの身体に注入されていたところ,本件救急車内において,時間は不明であるが,本件リドカインボトルを目の前にして座っていたG医師と原告Aがいずれも本件リドカインが50ml以上あることを確認しており,これは上記リドカインの残量及び滴下速度からすれば,異常がなかったことをうかがわせる量であること,本件救急車内において,原告Aは本件リドカインボトルが揺れていたことから気になって,このボトルを確認していたが,本件リドカインがこぼれる等の異常はなかったこと,亡Dの乗っていたストレッチャーには本件事故後も濡れた形跡はなかったこと,Rの実験によれば,本件輸液ポンプと同じ型式の輸液ポンプは激しい振動があっても輸液ポンプ自体に異常がない限り流量に変化がないところ,本件輸液ポンプは前日である1月13日も正常に稼働しており異常はなかったと思われること等の事情からすれば,本件救急車の揺れによって本件リドカインボトルが揺れたり,亡Dに不穏行動があったことを考慮しても,本件救急車内において本件リドカインがこぼれたり,亡Dの体内に過剰に入るようなことはなかったと推認するのが相当である。

(イ)  また,亡Dが被告病院に到着した後,本件病室に入るまでの間に本件リドカインがこぼれたり亡Dの体内に過剰に入ったりしたか否かについて検討するに,亡Dには被告病院到着後も不穏は見られたものの,前記(ア)で指摘した事情に加えて,付き添っていた原告Aが本件リドカインボトルに異常があるとは認識しなかったこと,G医師が被告病院のエレベーターに向かう途中の廊下で本件リドカインが本件リドカインボトルの半分より少し少ない程度の量はあったことを確認しており,これは本件リドカインの残量及び滴下速度からすれば異常がなかったことをうかがわせる量であること等の事情からすれば,この時点においても,本件リドカインがこぼれたり,亡Dの体内に過剰に注入されるということはなかったものと推認するのが相当である。

(ウ)  そうであれば,上記推認のとおり,亡Dが本件病室に搬送された午前11時の時点における本件リドカインの残量は約52mlであったと認められる。

(エ)  そして,H看護師は本件ラインを本件輸液ポンプから外す際に,クレンメを閉じなかったところ,その後H看護師が上記ラインを被告病院の輸液ポンプにセットする際には本件リドカインボトルがほとんど空であったこと,クレンメを閉じずに輸液ポンプからラインを外すとボトル内の点滴液がフリーフローの状態で患者の体内に流入すること等の事情からすれば,H看護師が本件ラインを本件輸液ポンプから外して,上記ラインを被告病院の輸液ポンプにセットするまでの間に,約52ml残っていた本件リドカインのうちほとんどが亡Dの体内に流入したものと推認するのが合理的である。

(オ)  これに対して,被告は,血中濃度計算及び再現実験結果からすれば亡Dに投与された本件リドカイン溶液は最大で2mlであると主張し,また,本件輸液ポンプのアラームは鳴らなかったのだから,既に本件救急車内で本件リドカインボトルが空になっており,本件輸液ポンプは停止していたとみるのがもっとも合理的であると主張するので,この被告の主張について検討する。

a まず血中濃度計算について検討するに,同計算では,体内におけるリドカインが平衡になったものとして1コンパートメントモデルを用いて計算し,半減期を100分とした場合であっても午前11時における最大投与量は2.0mlであるとしている。

しかし,上記計算過程では薬物が体内で平衡状態になる以前の時期である分布期を考慮に入れていないところ,実際には分布期における血中濃度減少量は大きく,上記(1)のとおり,リドカイン50mgを急速注入した場合の30分後のリドカイン血中濃度は正常人で0.6μg/mlまで下がるとされている。上記のとおり,本件においては約52mlのうちほとんどが体内に急速注入された可能性があるところ,仮に,上記急速注入が実際に起きたとすれば,搬送前から9ml/時のリドカイン溶液の投与が行われていたことを考慮しても,上記大量のリドカインが体内で分布する時期に血中濃度が大きく減少することは容易に予測される。したがって,この分布期における血中濃度の大幅減少を考慮していない上記計算結果の信用性を高く評価することはできず,これによって上記(エ)の認定を左右するには足りない。

b また,再現実験結果について検討するに,被告は,同結果では,30cmのカテーテルを用いて高さ130cmの場合の1分間における滴下薬液量は15mlとされているところ,被告は亡Dのベッド移動に要した時間は10秒程度であり,約52mlのうちほとんどの薬液が流入することはありえない旨主張する。しかし,本件で使用されたカテーテルは20cmのものであり,再現実験結果で用いられた30cmのものより流量が多く確保できるものであるし,説明文書にも25ml/分の流量が確保できる旨記載されていること,再現実験結果は陰圧(静水圧を考慮しても吸気時には中心静脈は陰圧になること)を考慮しておらず流量を過小に評価していること,被告は亡Dのベッド移動に要した時間を10秒程度と主張するが,上記に認定したような事情からすれば,正確な時間は不明ではあるものの,10秒を相当超える時間はかかったものと推測される(フリーフロー状態であった時間は,更に長かったものと推認される。)こと等の事情を総合すると,上記再現実験の信用性はさほど高いということはできないから,かかる再現実験結果によって,上記(エ)の認定を左右するには足りない。

c さらに,本件病室においてアラームが鳴ったか否かは必ずしも判然としない一方,本件事故発生前に本件リドカインボトルが空になっていたことを窺わせる事情は全くないから,アラームに関する事情は,上記(エ)の認定を左右するには足りないというべきである。

(カ)  以上のとおりであるから,本件事故において亡Dの体内に急速注入されたリドカインの量は,本件事故当時の推定残量約52mlのうちのほとんどの量であると認められる。

イ 次に本件事故と亡Dの心肺停止及び意識障害との因果関係について検討する。

(ア)  上記認定事実によれば,リドカインの添付文書に,1分間に4mg以上の速度では重篤な副作用が現れること,リドカインの副作用としてけいれんや心停止があること等が記載されているところ,本件で急速投与されたリドカインは上記のとおり約52ml(52mg)のうちのほとんどという4mgを大幅に超える量であり,しかも,本件事故直後に亡Dに現れた症状は,リドカインの副作用として見られるとされるけいれん及びそれに引き続く心肺停止であった。

(イ)  また,本件事故調査委員会のJ委員が,リドカインの投与量を2ml程度とする前提でも,本件事故からの心停止に至るまでの経過はリドカインの過量投与で説明可能であり,リドカインの血中濃度の増大とともにけいれんが出現し,さらなる濃度の増大に伴い中枢神経系が高度に抑制され,けいれん停止,呼吸抑制が起こり,引き続き,刺激伝導系も抑制され,心停止となったと説明している。

(ウ)  以上に述べたことからすれば,亡Dの心肺停止の原因はリドカインの急速注入によるものであると見るのが合理的である。また,上記(1)のとおり,その後の意識障害は心肺停止による低酸素血症によるものであると認められる。

(エ)  したがって,本件事故と亡Dの心肺停止及び意識障害との間には相当因果関係が認められる。

3  争点(3)について

(1)  前提事実,証拠(甲A8,29の2,乙A1,乙B2,4,丙B3,証人I)及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められ,この認定を覆すに足りる事情はない。

ア 亡Dの直接死因は多臓器不全疑いであるが,その原因は不詳である。

イ 亡Dの症状経過

(ア) 亡Dは,本件事故の直後から心肺停止状態及び意識不明の状態に陥り,その後I医師らによって心肺蘇生措置が施されて,自発呼吸は戻ったものの,意識状態には改善は見られなかった(1月15日の段階で意識レベル200程度)。

(イ) また,本件事故後,亡Dには肝不全及び原因不明の胸水があった。また,1月14日の夜には,鼻腔,口腔から出血し,ガーゼ挿入し止血を図るも止まらず,一時的なDICであると考えられた。

(ウ) その後,亡Dの意識障害,肝機能,胸水について大きな改善はないまま,2月10日には,39〜40℃の発熱が見られ,血流に菌があったことから敗血症が疑われた(後に敗血症とされた。)。

(エ) 2月10日,被告病院の肝グループの医師により,亡Dの肝の状態は,T−bil低下傾向にあること,FTP補充なしで,PT43%を保っていることから高度の肝不全とはいえないとされている。

(オ) また,2月12日には,下痢,電解質異常等が見られた。その後も亡Dの状態に大きな改善はないまま,4月20日には肺炎の急激な悪化が見られた。

(カ) そして,4月30日,亡Dは死亡した。

ウ 医師Mが亡Dの死因等について剖検した結果は以下のとおりである。

(ア) 第1項 死因

解剖及びその後の検査にて確認される病変としては,肝臓,腎臓を中心とした広範な壊死性変化が挙げられ,機能不全状態にあったと推定される。また,肺及び全身性の浮腫は著明で,胸水・腹水の貯留を伴い,慢性心不全の状態であったことも挙げられる。これらのうちどれをもって直接死因とするのかの判断は難しく,複合的に死亡に至っていると考えられる。…

(イ) 第2項 医療過誤と死因との因果関係

…リドカイン過量投与後,全身状態悪化し容態が大きく改善することなく死亡に至っており,過量投与と死因との間には一定の関連が推定される。しかしながら,事故後の時間経過が大きく,当時の状態を反映する所見は得られず,解剖からこれを直接的に判断することは難しいといわざるを得ない…

エ I医師によると,亡Dが本件事故から死亡に至る機序は以下のとおりである。

(ア) 亡Dには補助参加人病院に入院中において,原因不明の胸水があり,被告病院に搬送直前には尿中に出血がみられていた。この原因不明の胸水というのは,いわゆる非代償期の肝硬変の末期症状で起きたものであると考えられ,尿中に出血が見られたことは,肝臓が非代償期になって凝固系が肝臓で作れなくなったことに基づくものと考えられる。

(イ) また,1月14日,亡Dには,鼻腔,口腔出血が見られ,ガーゼを挿入するなどして止血を図ったが止まらなかったことから,DICになっていると考えられた。そして,リドカインが過剰に投与されて肝障害が進んだとしても,前に作られていたタンパクはなお残っているので,突然DICになることは考え難いことからすれば,補助参加人病院入院中から亡DはDICになっていたものと考えられる。

(ウ) 本件急変時に見られた亡Dの意識障害は,心肺停止による低酸素血症による不可逆的な脳変化によるものである。

そして,この意識障害には改善の見込みはなかった。

(エ) そして,亡Dの死因について臨床的に考えた場合,肺炎,肝硬変等によって多臓器不全になって,死亡に至ったと説明することが可能である。

(オ) 本件事故では,亡Dに本件病室において投与されたリドカインの量は最大で2ml程度であるので,これによっては上記イ記載の機序は起きないものと考えられる。

オ O医師による亡Dの死因についての見解は要旨以下のとおりである。

(ア) 亡Dは被告病院入院中に38℃以上の発熱が生じた日が41日あり,その原因は,敗血症である。敗血症とは細菌感染による全身性炎症反応症候群で,死亡率の高い疾患である。

(イ) 敗血症の原因は細菌感染病巣であるが,長期間におよぶ気管内チューブ,胸腔ドレーン,血管内カテーテル,尿道カテーテルといった異物が留置されており,これらが菌の温床になっていたものと考えられる。

(ウ) また,死亡直前には肺炎が悪化していた。意識障害患者では不顕性誤嚥から気道感染が生じやすい。

(エ) つまり,亡Dは,意識障害を有し,身体に種々のチューブ類を留置された長期臥床患者によく見られる経過を巡り,意識障害や長期臥床等による抵抗力減弱や不顕性誤嚥,敗血症の反復によりその病態が暫次悪化し,最後は多臓器不全となり死亡したものと考えられる。

(オ) 意識障害を有し,身体に種々のチューブ類を留置された長期臥床患者では,それだけで敗血症になる確率は高く,肝臓障害の有無は付加的な要因にしかならない。そもそも,肝臓障害については,入院早期の2月10日に,東北大学肝臓グループにより「高度不全は否定的」と判断されている。また,入院中に多種の抗生物質が長期にわたり投与されているが,投与された全ての抗生物質に肝臓障害の副作用が報告されているため,死亡直前に肝臓障害が進行していたとしても,入院中の治療による副作用の可能性を除外することは困難と考える。

(カ) また,O医師添付の文献には,感染症危険因子として,中枢神経系疾患などで長期臥床中あるいは程度にかかわらず意識障害を有する患者,が挙げられており,また,感染原因となる主要な細菌汚染部位はカテーテル挿入部位である,そしてカテーテルの挿入時間に比例して感染症の発症率が高まる,敗血症は致死率の高い疾病の一つであり,対処が遅れると種々の臓器不全,汎血管内凝固症候群を合併し,予後不良となる,敗血症に関する臨床研究で報告される致死率は30〜50%である等記載されている。

(2)  以上の認定事実に基づいて,本件事故と亡Dの死亡との間の因果関係について検討するに,亡Dの死因は多臓器不全とされており,剖検の結果によれば,直接死因は不明であるが,肝臓,腎臓等の機能不全状態,肺及び全身性の浮腫,胸水,腹水,慢性心不全等が複合的に死因となっていると考えられるとされていること,意識障害を有し,身体に種々のチューブ類を留置された長期臥床患者は,敗血症になる危険性が高く,敗血症の対処が遅れると種々の臓器不全を合併すること,亡Dには補助参加人病院入院中に肝障害,胸水等がみられていたが,2月10日の時点においては,T−bil低下傾向にあること等から高度の肝不全とまではいえないとされていたこと,2月10日ころから亡Dには敗血症が疑われたこと,亡Dの死亡直前には肺炎が悪化していたが,意識障害患者では不顕性誤嚥から気道感染が生じやすいこと等の事実が認められるところ,これらの事実は,亡Dが,本件事故に基づく意識障害により易感染状態となって敗血症を発症し,この敗血症の進行により,従前からみられた肝障害,胸水等が悪化し,そのほか種々の臓器不全を合併し,そのほか意識障害から肺炎を併発するに至り,これらの症状が複合的に重なって死亡するに至ったものであると一般人をして強く推認させる事情である。

これに対して,被告は,亡Dの死亡は,補助参加人病院において発症していた重篤な肝障害,肝硬変等の基礎疾患が進行して,DICや敗血症,菌血症等を合併し,多臓器不全を引き起こしたことが原因であり,本件事故との因果関係はない旨主張する。しかし,亡Dに生じた敗血症は,従前からの肝障害の進行によるものというよりは,O医師の見解のとおり,意識障害状態において種々のチューブ等が留置されていたことによるとみるのが合理的であり,被告の主張は上記推認を覆すものと評価することは困難である。

以上に述べたことからすれば,亡Dの死因である多臓器不全は,もっぱら本件事故による亡Dの意識障害(及びそれに基づく敗血症)に基づくものと評価することができ,そのほか全証拠に照らしてもこの評価を覆すに足りる事情がうかがわれない本件においては,本件事故と亡Dの死亡との間に相当因果関係を肯定するのが合理的である。

4  争点(4)について

(1)  逸失利益     1543万4125円

亡Dの死亡時の年齢は64才であり,平均余命年数18年の2分の1の期間である9年間は就労可能であったと思われるものの,本件事故当時無職であったことからすると,その間は,平成16年度における賃金センサス産業計・企業規模計・学歴計・男子労働者(60才〜64才)の平均年収443万1500円の7割に相当する程度の収入を得られたものと推認するのが相当である。そして,9年間のライプニッツ係数は7.1078である。

そして,亡Dの生活費控除割合は30パーセントと認めるのが相当である。

以上により,逸失利益額は,次の算式により1543万4125円となる。

443万1500円×0.7×7.1078×0.7=1543万4125円(小数点以下は切り捨て)

(2)  入院付添看護費     70万2000円

亡Dは,本件事故による意識障害により被告病院に1月14日から4月30日まで入院し(108日間),その間の付添看護費は1日6500円とするのが相当である。

以上より,入院付添看護費は,次の算式により70万2000円となる。

6500円×108=70万2000円

(3)  入院雑費     16万2000円

入院雑費は1日1500円とするのが相当であり,次の算式により16万2000円となる。

1500円×108=16万2000円

(4)  葬儀関係費     150万円

亡Dの葬儀関係費用のうち,本件事故と相当因果関係の認められる損害額は150万円と認めるのが相当である。

(5)  慰謝料     2800万円

これまでに認定した本件事故にかかる全ての事情に亡Dの年齢及び身分関係等を総合考慮すると,亡Dの死亡による慰謝料額は,2800万円と認めるのが相当である。

(6)  弁護士費用     500万円

原告は,原告訴訟代理人に対して本件訴訟の提起とその追行を委任し,その費用として相当額の弁護士費用を負担したことが認められる(弁論の全趣旨)ところ,本件訴訟の経緯やその内容の専門性・複雑性に照らすと,本件事故と相当因果関係の認められる弁護士費用は500万円と認めるのが相当である。

(7)  以上によれば,本件事故と相当因果関係の認められる亡Dの損害は,5079万8125円であると認められる。

(8)  なお,本件の損害額を検討するにあたって,本件事故以前に亡Dにみられた肝不全,胸水等の疾患の被告の責任の程度・範囲に与える影響について検討する。

上記に認定したとおり,亡Dの死因はもっぱら本件リドカインの投与に基づくものであり,上記肝不全,胸水等の疾患の亡Dの死亡に対する寄与度は高くないとうかがわれること,本件事故は,大量のリドカインによって,亡Dを一時的な心肺停止状態及び半永続的な意識障害の状態に至らしめるほどの重大な事故であったこと等の事情からすれば,上記亡Dにみられた疾患を考慮して損害賠償の額を定めるのが公平であるということはできない。

したがって,亡Dの疾患は本件被告の責任の範囲を定めるにあたって考慮すべきということはできない。

(9)  そして,原告Aは亡Dの被告に対する損害賠償請求権のうち2分の1を,原告B及び同Cはそれぞれうち4分の1を,亡Dの死亡によって相続したものである(ただし,1円未満は切り捨てる。)

5  以上のとおりであるから,原告Aの請求は2539万9062円及びこれに対する平成16年1月14日から支払済みに至るまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において,原告B及び同Cの請求はそれぞれ1269万9531円及びこれに対する平成16年1月14日から支払済みに至るまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において,それぞれ理由があるから認容し,その余の請求については理由がないからいずれもこれを棄却し,訴訟費用の負担について民訴法65条1項本文,64条本文,61条を,仮執行の宣言につき同法259条1項をそれぞれ適用して(相当ではないから,訴訟費用,参加費用の負担を求める部分の仮執行の宣言,仮執行の免脱宣言はいずれも付さない。),主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 潮見直之 裁判官 近藤幸康 裁判官 髙橋幸大)

(別紙省略)

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