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仙台地方裁判所 平成14年(ワ)456号 判決

原告

X1

X2

原告ら訴訟代理人弁護士

吉岡和弘

千葉晃平

被告

宮城県

代表者知事

訴訟代理人弁護士

松坂英明

村田知彦

主文

1  被告は,原告ら各自に対し,それぞれ32万1028円及びこれに対する平成13年1月17日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

3  訴訟費用はこれを5分し,その1を被告の負担とし,その余を原告らの負担とする。

4  この判決は,第1項に限り,仮に執行することができる。

事実及び理由

第1  請求

被告は,原告らに対し,625万2064円及びこれに対する平成13年1月17日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

第2  事案の概要

本件は,原告らが,原告らの共有する土地の買収を被告が一方的に中止したことにより損害を被ったとして,被告に対し,債務不履行又は不法行為に基づき,損害賠償金の支払を求めた事案である。

1  争いのない事実等

(1)  原告X1及び原告X2(以下,それぞれ「原告X1」,「原告X2」という。)は,B(以下「B」という。)の子であり,平成10年11月3日,同人の死亡に伴い,別紙物件目録1記載の土地(以下「本件土地」という。)及び同目録2記載の建物(以下「本件建物」という。)を,それぞれ持分2分の1ずつ共同相続した。

(争いなし)

(2)  宮城県a事務所(以下「a事務所」という。)は,同県内の石巻市,雄勝町,女川町,牡鹿町に存する漁港について,予算・決算事務,工事関係経理事務,漁港区域・海岸保全区域関係事務,漁港の維持管理事務,漁港用地分譲等を行う,被告の機関である。

(争いなし)

(3)  平成10年8月19日,a事務所の主任主査であったC(以下「C」という。)らは,原告X1に対し,被告の事業として石巻市b地区に臨港道路等を開設する計画(以下「本件事業」という。)があること及びその臨港道路から国道への取付道路用地として本件土地が予定されていることを説明した上,本件土地の提供について協力を依頼し,同年9月18日,原告らの同意を得た。

(甲5,18,乙2)

(4)  平成11年10月ころ,C,原告らの立会のもとで,被告から委託を受けた会社により,本件土地の買収に伴って移転を要する物件の調査が行われ,後日,その調査結果をまとめた物件調書が原告X1に提示された。

(争いなし)

(5)  平成12年2月28日,被告は,原告X1に,本件土地の買収に関する補償費として次の内訳と総額が記載された「補償に関する一覧表」(甲11)を提示した。

ア 建物移転料  2258万2900円

イ 工作物移転料  155万8445円

ウ 立竹木移転料  149万0705円

エ 動産移転料   29万8095円

オ 移転雑費補償金 241万8970円

カ 土地買収費  1522万3925円

キ 補償費総額  4357万3040円

(争いなし)

(6)  平成13年1月17日,a事務所の技術主幹であったD(以下「D主幹」という。)らは,原告X1に,費用対効果の観点から本件事業の計画変更が正式に決定し,本件土地の買収がなくなることを説明した。

(乙9)

2  主たる争点及びこれに関する当事者の主張

(1)  本件土地の売買契約の成否

ア 原告らの主張

平成12年2月28日にa事務所の職員らが原告X1に本件土地の補償金額を提示し,原告X1が,本人及び原告X2の代理人として,これを承諾したことにより,原告らと被告との間で,本件土地の売買契約が成立した。

イ 被告の主張

補償金額を提示したのみであって,売買契約の成立には至っていない。

(2)  契約締結前の段階における信義則上の義務違反の有無

ア 原告らの主張

本件土地の売買契約が成立していないとしても,平成10年9月までに,被告からの本件土地買収の申入れに対して原告らがこれを了解し,その上で,被告は,平成11年10月ころに,本件土地の買収に伴って移転を要する物件の調査をし,物件調書を作成したり,平成12年2月に,「補償に関する一覧表」(甲11)を原告X1に提示するなどして,原告らに,本件土地が買収されるとの強い信頼を惹起させ,しかるに,その後,平成13年1月に,本件土地の買収がなくなったと一方的に告知して,その信頼を裏切ったものであるから,被告には,契約締結前の段階における信義則上の義務違反がある。

イ 被告の主張

行政施策が社会情勢の変動により変更されることがあるのは当然の事態であるところ,本件土地の買収の中止は,公共事業再評価制度の導入という国策に基づいてされた事業見直し作業の結果によるものであり,その中止には正当な理由がある。また,被告は,原告らに,平成12年6月以降,事業再評価に向けた手続の過程で,買収が中止になる可能性をその都度伝えており,説明責任を果たしていたから,少なくともそれ以降は信義則上の義務違反はない。

(3)  損害額

ア 原告らの主張

被告による,本件土地の売買契約の債務不履行又は信義則上の義務違反の行為により,原告らは,次のとおり,合計614万2064円の損害を受けた(なお,原告らの本訴請求額との相違は,訴状段階での違算によるものである。)。

(ア) 賃料相当損害金 137万5000円

本件土地が買収されると信頼して,平成11年1月から平成13年1月までの間,空家であった本件建物を他に賃貸しなかったことによる25か月分の賃料相当損害金(本件建物の相当賃料額は1か月5万5000円を下らない。)

(イ) 移転費用 271万7064円

本件土地が買収されると信頼して,本件建物内の576万6215円相当の動産を移転,処分したことなどにより生じた損害の内金

(ウ) 慰謝料 100万円

本件土地が買収されるという原告らの期待や信頼を裏切られたことによる精神的苦痛に対する慰謝料

(エ) 弁護士費用 105万円

訴訟代理人らに対する着手金35万円,報酬金70万円の合計

イ 被告の主張

原告の損害額の主張は争う。

なお,上記損害は,原告らが,本件土地の売買契約は成立していないのに,これが成立したと思い込んだことによって発生したものであり,急いで動産を搬出する必要性もなかったのであるから,原告らには,損害の発生について責に帰すべき事情がある。これらによれば,過失相殺として,損害額の8割を減ずるべきである。

第3  争点に対する判断

1  前記争いのない事実等に,証拠(甲2の1及び2,3,4,6ないし8,10ないし13,14の1,15の1,16ないし19,乙1ないし9,11,13,15,17ないし22,25,証人D,同E,同F,同G,原告X1本人)及び弁論の全趣旨を総合すると,次の各事実が認められる。

(1)  平成10年8月19日,a事務所のCらは,同年6月19日に行われた本件事業の関係者らに対する全体説明会に原告X1が欠席したことから,仙台市内の同原告の職場を訪れ,同原告が依頼した知人のG不動産鑑定士(以下「G」という。)が同席した場で,同原告に,本件事業や上記説明会の内容を説明した上,臨港道路と国道との取付道路用地として本件土地提供の協力を依頼した。

当時は,本件土地の所有者はBであったが,同人が痴呆状態で病院に入院していたことから,その子である原告X1に対して説明し,協力を依頼したものであり,これを受けた同原告は,直ちに妹の原告X2にも伝達した。なお,本件建物には,Bが入院するまで同人が1人で居住しており,同人の入院後は事実上空家の状態になっていた。

(2)  原告らは家族間で協議した結果,地元住民の不便の解消等のために買収に応じることもやむをえないとの結論に達し,同年9月18日,原告X1は,買収に応じることをCに伝えた。

(3)  同年10月21日,Cらは,本件事業の関係者らに対する説明会を開き,国道取付位置が本件土地に決定したことなどを説明した。原告らはこの説明会に出席しなかったが,同説明会開催にあたって原告X1に送付された説明会次第(甲7)には,用地測量,補償関係調査,用地取得及び補償等の今後のスケジュールが具体的に記載されており,原告X1は,本件事業が着々と進められているものと考えた。

(4)  同年11月3日にBが死亡し,原告らが本件土地,本件建物を相続するとともに,本件建物は完全に空家となった。原告らは,かねがね,B死亡後は本件建物を貸家にする意向を有しており,親族の中にはこれを勧める声もあったが,原告らは,被告からの本件土地買収の申入れに同意していることから,貸家にはできないと考えていた。

(5)  平成11年10月ころ,C,原告らの立会いのもとで,被告から委託を受けた会社により,本件土地の買収に伴って移転を要する本件建物内の家具や備品,本件土地の庭木の調査や確認が行われて,個々の庭木に買収対象であることを示す赤テープが貼付されるなどされ,その後,この調査結果をまとめた物件調書(甲10)が作成されて,原告X1がこれに押印した。

(6)  平成12年2月28日,a事務所の次長であったF(以下「F」という。)は,原告X1の職場を訪れ,Gが同席する場で,同原告に,本件土地の買収に関する補償額の内訳や総額が記載された「補償に関する一覧表」(甲11)を示して補償金額を伝え,その内容を口頭で説明した上,平成12年度の予算が同年6月ころに確定し,その後,買収に入る予定なので,それまでに上記の補償内容について検討することを依頼した。この補償金額には土地買収費のほか建物移転料や動産移転料等も含まれていた。また,Fらは,原告X1に,本件土地の登記簿の名義がBになっているので,相続による所有権移転登記を済ませておくよう依頼した。

もっとも,同日の時点では,被告において,本件土地を買収するために必要な予算は決議されておらず,Fらにも,同日付けで売買契約を締結する権限はなかった。

しかし,原告X1は,補償金額の提示にあたって,Fのような管理職が訪ねてきたことや,同人らから買収の準備行為について具体的な指示を受けたこと,提示された補償金額についても特に異議を述べなかったことから,本件土地が買収されることは確実であると信じた。

(7)  それ以降,原告らは,本件土地を更地にするための準備として,頻繁に本件建物に通って本件建物内にある家具等の動産を処分するとともに,同年5月ころ,業者に依頼して,本件建物の解体費用の見積りをさせた。また,本件土地の所有権移転登記の準備のため,法務局に数回出向いて,手続を相談するなどした。

(8)  国や被告においては,平成10年ころから,水産関係公共事業の効率的な執行や透明性を図るため,事業評価システムや再評価制度が導入されていたが,平成12年度は,上記制度に基づき,漁業整備計画の再評価を行うべき年度に該当していて,a事務所においても,本件事業を含めた漁業整備計画の再評価を行うこととなり,同年5月,費用対効果の分析の結果によって本件事業の実施を判断することとした。

(9)  これを受けて,同年6月7日,a事務所のD主幹らは,原告X1の職場を訪れ,原告らに対し,本件事業を費用対効果の点から再評価することが必要となり,その見直しを含めた調査結果が9月ころに出ることを説明した。一方で,同事務所の次長であったHは,前回までの買収交渉の内容について再度確認した上,本件土地買収費の実測面積による見直しや税法上の優遇措置等について説明し,さらに,改めて本件土地の登記の名義変更を依頼した。

(10)  同年7月,a事務所は,本件事業の費用対効果の分析調査を民間会社に委託し,同年8月ころ,同会社から,費用対効果が非常に低い旨の中間的な報告を受けた(同年10月の調査結果報告書(乙18)では,本件事業による便益額は年間約20万円ないし21万円とされ,総事業費約2億8000万円から計算した費用対効果は0.036とされた。)。

(11)  同年9月14日,a事務所のE(以下「E」という。)は,原告X1に架電し,本件事業の費用対効果の分析の進捗状況等について,同月中に評価の概要が出て,同年10月に宮城県産業経済部公共事業再評価委員会(以下「再評価委員会」という。)の審議にかかる予定であることなどを説明した。

(12)  同年10月31日,D主幹らは,原告X1の職場を訪れ,同原告に,費用対効果の調査の結果,本件事業の計画を変更する見通しであり,正式な決定は同年11月に開かれる再評価委員会の結果によるが,本件土地の買収がなくなることが予想されると説明した。

(13)  同年12月25日,再評価委員会が開かれて,本件事業の計画の変更,本件土地の買収の中止が正式に決定され,平成13年1月17日,D主幹らが,原告X1の職場を訪れ,同原告に,本件土地の買収の中止を伝えた。その際,原告X1から,本件土地の庭木に貼付された赤テープの撤去や,補償についての要望が出され,これに対して,D主幹らが,上記赤テープは早急に撤去するものの,補償についてはその制度がない旨回答したが,原告X1は納得しなかったため,補償についてさらに検討することとなった。

(14)  同年2月19日,D主幹らは,原告X1に,本件土地の買収について,正式な契約を取り交わしていないので,補償はできないと説明した。

2  以上に対し,原告X1は,平成12年2月28日に,Fらから,平成13年度末までに本件土地を更地にするよう指示された旨の供述及び陳述(甲18)をするが,同席した証人Gのこの点に関する証言は不明確であること,証人Fはこれを否定する証言をしていること,この日の用地交渉記録書(乙4)には登記手続を依頼した旨の記載はあるものの,更地に関する記載はないことなどに照らすと,信用できない。

3  争点(1)(本件土地の売買契約の成否)について

公共事業における用地買収の手順としては,補償金額の提示,協議を行った後,契約書が作成された時点で契約の成立となるのが通常であるところ(乙12),前記認定事実によれば,平成12年2月28日の時点は,補償金額が初めて提示された段階であり,同日の時点では本件土地を買収するための被告の予算が決議されていなかったこと,そもそも,同日に原告X1と交渉したa事務所の職員らには被告の代理人として売買契約を締結する権限が与えられていなかったことが認められ,これらに照らせば,同日,原告らと被告との間で,本件土地の売買契約が成立したとはいえない。

4  争点(2)(契約締結前の段階における信義則上の義務違反の有無)について

(1) 契約交渉がある段階に達し,相手方に対して契約の成立に対する強い信頼を生じさせるに至った場合,その当事者は,契約締結に向けて誠実に努力すべき信義則上の注意義務を負い,正当な理由なく契約交渉を一方的に打ち切って相手方の信頼を裏切ったときは,不法行為として,相手方が契約の締結を信頼して被った損害を賠償する責任があるというべきであり,この理は,一方の当事者が地方公共団体のような行政主体で,社会情勢の変動等に伴う事業計画の変更によって契約の締結を中止せざるをえないような場合であっても同様であると解される。もとより,行政主体は,策定された事業計画に拘束されるものではなく,社会情勢の変動等に伴ってその計画を変更することは原則として自由ではあるが,それは,事業計画の変更に伴って,何らの法的責任も負担しないことまでを意味するものではなく,行政主体が,損害を補償するなどの代償的措置を何ら講じずに事業計画を変更して契約の締結を中止し,そのために,契約成立に向けて緊密な信頼関係にあった相手方に損害を被らせた場合には,その計画変更が,天災事変等のやむをえない客観的事情によるのでない限り,行政主体の不法行為責任を生じさせるというべきである(最高裁昭和56年1月27日判決・民集35巻1号35頁参照)。

(2)ア  これを本件についてみるに,前記認定事実によれば,平成10年9月までに,a事務所の職員が原告らに本件土地の買収予定を説明して,原告らがこれに応じる意向を告げたこと,その上で,同事務所の職員らは,同年10月に,本件土地が道路用地として決定した旨を関係者らに説明し,平成11年10月ころに,原告ら立会いのもとで,本件土地の買収に伴って移転を要する物件の調査をし,物件調書を作成して原告X1に提示し,平成12年2月に,原告X1に「補償に関する一覧表」(甲11)を提示して本件土地の買収に関する補償金額の内訳や総額について説明するとともに,本件土地の相続登記をしておくように依頼したこと,これを受けて,原告らは,本件土地が確実に買収されるものと信じ,本件建物内の動産を処分するとともに,業者に本件建物の解体費用の見積りを依頼し,本件土地の相続登記のための手続を法務局に数回相談したことが認められ,これらの交渉経過によれば,遅くとも本件土地の補償金額を原告X1に提示し,被告の買収意図を具体的に明確化した平成12年2月28日の時点においては,原告らが本件土地の買収を強く信頼するのももっともなことであり,これを生じさせた被告は,信義則上,本件土地の売買契約の成立に向けて誠実に努力すべき注意義務を負ったというべきである。

しかるに,被告は,その後,原告らに対して補償等の代償的措置を講ずることなく,本件土地の買収を中止して,原告らの信頼を裏切ったことは前記認定のとおりである。また,本件全証拠によっても,本件事業の計画変更,本件土地の買収中止について,天災事変等のやむをえない客観的事情が存したとは窺われない。

以上によれば,被告には,本件土地の買収に関し,契約締結前の段階における信義則上の義務違反行為があり,不法行為に基づき,原告らの損害を賠償すべき義務があると認められる。

イ  被告は,本件事業の計画の変更及びそれに伴う本件土地の買収の中止は,公共事業再評価制度の導入という国策に基づいて事業を見直した結果であるから正当な理由がある旨主張するが,そのような場合であっても,何らの代償的措置を講ずることなく事業計画を変更して相手方に損害を被らせることが不法行為に該当することは,前記のとおりである。

また,被告は,a事務所の職員らは,平成12年6月以降,原告らに事業計画の見直しの可能性を伝えた上,その見直しの進捗状況や経過について適宜説明をしていたから,信義則上の義務違反はない旨主張するが,それは原告らに対して強い信頼を生じさせた同年2月以降の事情にすぎず,結果として信頼を裏切ったことに変わりはないから,上記の不法行為責任の発生を否定するものとはいえない。むしろ,どの時点まで原告らの信頼が保護されるべきかの損害論に関わるものであって,その点は後述する。

5  争点(3)(損害額)について

(1)  そこで,原告らが主張する損害額について検討する。

ア 賃料相当損害金

(ア) 原告らは,本件土地の買収を信じて本件建物を他に賃貸しなかったことによる損害を主張するところ,前記認定事実に,証拠(甲16,18,19,原告X1)及び弁論の全趣旨を総合すると,本件建物は,Bの生存中から事実上空家となっており,B死亡後は完全に空家の状態となったこと,空家となった本件建物の利用方法としては貸家にすることが相当であり,原告らも,かねがね,B死亡後は本件建物を貸家にする意向を有していたこと,しかしながら,原告らは本件土地の買収に応じることとしたことから第三者に賃貸はできないと考え,これをしなかったこと,現に,本件土地の買収が中止になった後は,直ちに本件建物を補修し,月額5万5000円の賃料で第三者に賃貸したことが認められ,本件土地の買収交渉がなければ,原告らがB死亡からさほど遠くない時期に,本件建物を他に賃貸したであろうことが容易に推認される。

(イ) そこで,本件土地の買収交渉と原告らが本件建物を賃貸しなかったこととの相当因果関係について検討するに,被告が原告らに補償金額まで提示し,原告らがこれを拒絶しなかった段階で,原告らの買収成立への信頼は法的保護に値するものとなり,本件土地は買収予定地であることが明確となって,原告らは買収予定地としての制約のもとでしか本件土地や本件建物を利用しえない状態となったのであるから,原告らが本件建物を他に賃貸することを控えたことには合理的理由があり,これを被告も十分に認識しえたというべきである。

被告は,原告らが本件建物の賃貸を控えたのは,売買契約が成立したものと勝手に思い込んだためであり,被告が賃貸の抑制を求めたわけではない旨主張するが,売買契約の成立まで至らずとも,買収交渉が上記の段階に至ったときは第三者への賃貸を控えるのが通常である上(乙26),客観的にも,そのような建物を賃借する者は容易に現れないから,事実上他への賃貸は困難で,まして公共事業の買収交渉の場合は,後に強制収用の可能性が残されているから,任意の買収を拒絶して他に賃貸することも事実上困難であり,これらに鑑みると,原告らが本件建物の賃貸を控えたのは本件土地の買収交渉に基づく合理的判断であって,これを原告らの勝手な思い込みによるものとする被告の主張は失当である。

また,被告は,平成12年6月7日以降,原告らに本件事業の計画見直しの可能性を伝え,その見直しの進捗状況や経過を適宜説明していた旨主張しており,同日以降は本件土地の買収交渉と原告らの本件建物の賃貸の抑制との相当因果関係がない旨の主張とも解されるが,本件土地の買収に関していったん上記のような緊密な信頼関係に至り,買収予定地上の建物として本件建物の賃貸についても事実上の制約を加えられた以上,原告らとしては買収計画が撤回されない限り(少なくとも自由な処分を許容する旨の言明があるまで),その制約を免れることができず,他への賃貸が事実上困難な状態は続くのであるから,上記主張にかかる説明がされた程度では,本件土地の買収交渉と本件建物の賃貸の抑制との相当因果関係が消失したとはいえない。

(ウ) したがって,被告は,原告らに対し,補償金額を提示した平成12年2月28日の翌日以降,本件土地の買収の中止を告知した平成13年1月17日までの,原告らが本件建物の賃貸を抑制したことによる損害を賠償すべきであり,上記認定事実によれば,本件建物の相当賃料額は1か月5万5000円と認めるのが相当であるから,上記期間の損害額は,次のとおり計58万2057円となり,持分2分の1ずつで本件建物を共有していた原告らの損害は,それぞれ29万1028円(1円未満切捨て)と認められる。

平成12年2月分 55,000円×1日/29日=1,896円

同年3月分から同年12月分まで

55,000円×10月=550,000円

平成13年1月分 55,000円×17日/31日=30,161円

(エ) 被告は,地方公共団体が施策の変更によって損害賠償責任を負う場合,その損害賠償の範囲は積極的損害に限定されると主張するが,本件は,単なる施策への信頼の事案ではなく,具体的に土地の買収の申入れを受け,これに応じる意向を示して補償金額まで提示され,客観的に土地の収益,処分について制約が生じたのであるから,上記の賃料相当額の損害を賠償させるのが相当である。

(オ) また,被告は,本件建物を他に賃貸するには,本件建物の補修や不要品の搬出等に相当の費用を要するから,これを損害額から控除すべきとも主張するが,前記認定のとおり,原告らは後に現実に費用をかけて本件建物を他へ賃貸しているのであるから,本件買収交渉により賃貸のための費用の出費を免れたとはいえず,上記の費用をもって損益相殺の対象とすることはできない。

イ 移転費用について

この点の原告らの主張は必ずしも明確でないが,本件建物を第三者に賃貸して利用する場合であっても,本件建物内の動産等をいずれ移転,処分する必要があるから,原告らが動産等を移転,処分したことと本件土地の買収交渉との間に相当因果関係があるとは認められない。

ウ 慰謝料について

前記認定事実によれば,本件土地の買収の中止は,社会情勢の変化によって本件事業の計画が変更されたことに基づくものであって,a事務所の職員らに悪意や重大な過失があったわけではないことが認められ,これらに,上記のとおり賃料相当損害金として経済的損失が補填されることなど,本件に現われた一切の事情を併せ考えると,慰謝料まで認めるのは相当でないというべきである。

エ 弁護士費用

上記認定にかかる損害額等に鑑みれば,弁護士費用としては,原告ら各自につき3万円ずつ(合計6万円)が相当と認められる。

オ 合計

以上によれば,原告ら各自に生じた損害額は,それぞれ32万1028円(原告ら両名の合計は64万2056円)となる。

(2)  被告は,本件建物の賃料相当の損害について,原告らから被告に,本件建物を第三者に賃貸することについての相談があれば,被告はしかるべき助言をすることができたから,その相談をしなかった原告らにも損害の発生について責に帰すべき事情があると主張する。

しかしながら,損害の発生を防ぎうる助言内容について具体的に主張しない以上,過失相殺の主張としては主張自体失当である上,仮に,原告らが被告に相談をした場合に,買収の中止を検討するというのであればともかく,買収交渉の継続を前提として,賃貸するかどうかの判断は原告らに委ねるという程度の回答がされるにすぎないのであるから(乙23,26),上記相談をしなかったことをもって,原告らに,損害の発生について責に帰すべき事情があったとはいえず,いずれにしても被告の上記主張は失当である。

6  結論

よって,原告らの請求は,不法行為に基づく損害賠償として,それぞれ32万1028円(原告ら両名の合計は64万2056円)及びこれに対する不法行為の日である平成13年1月17日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し,その余は理由がないからこれを棄却し,訴訟費用の負担につき民訴法61条,64条,65条1項を,仮執行の宣言につき同法259条1項をそれぞれ適用し,仮執行免脱宣言は相当でないからこれを付さないこととして,主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官・田村幸一,裁判官・清水知恵子,裁判官・能登謙太郎)

別紙物件目録〈省略〉

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