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仙台地方裁判所 平成13年(ワ)147号 判決

原告

甲野花子

同法定代理人親権者父

甲野太郎

同母

甲野春子

同訴訟代理人弁護士

小野寺信一

十河弘

被告

乙山次郎

同訴訟代理人弁護士

今井吉之

主文

1  被告は、原告に対し、金9271万9580円及びこれに対する平成11年7月4日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

2  原告のその余の請求を棄却する。

3  訴訟費用は、これを10分し、その1を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

4  この判決の第1項及び第3項は、仮に執行することができる。

事実

第1  当事者の求めた裁判

1  請求の趣旨

(1) 被告は、原告に対し、金1億1063万8294円及びこれに対する平成11年7月4日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

(2) 訴訟費用は被告の負担とする。

(3) 仮執行宣言

2  請求の趣旨に対する答弁

(1) 原告の請求を棄却する。

(2) 訴訟費用は原告の負担とする。

第2  当事者の主張〈省略〉

理由

第1  請求原因について

1  当事者について

請求原因(1)は、当事者間に争いがない。

2  診療経過について

(1) 各項に掲記の証拠及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる(争いのない事実を含む。)。

ア 分娩前

(ア) 平成10年11月14日、春子は、被告医院を受診し、妊娠したこと、出産予定日は翌年7月18日であると診断された。

(争いのない事実)

(イ) 5月22日、春子は、少量の破水があったため、被告医院に入院し、同月24日退院した。

(争いのない事実)

イ 分娩日

(ア) 7月1日、春子は、腹部の張りが強かったため、被告医院へ行き、翌2日午前零時10分、そのまま入院した。

(争いのない事実)

(イ) 7月2日午後1時ころから、春子に対し、陣痛促進剤の点滴が開始された。

(争いのない事実、弁論の全趣旨)

(ウ) 同日午後2時30分ころ、春子は高位破水し、同日午後4時40分、被告は人工破膜を行った。

(甲9、乙2、被告本人)

(エ) 同日午後6時27分、春子は、自然分娩により、原告(女児)を出産した。在胎週は37週5日、体重は2630グラムだった。

(争いのない事実、甲9、乙1)

ウ 7月3日(生後1日目)

原告は、7月3日午前11時ころ、新生児室から春子の病室に移され、午後8時ころまで、春子の病室に在室した。

(争いのない事実)

エ 7月4日(生後2日目)

(ア) 7月4日、原告は、午前2時、午前5時及び午前8時と3時間置きに哺乳を受けたが、それらの時刻には哺乳力に問題はなかった。

(乙1の5枚目)

(イ) 午前11時ころ、丙田夏子看護婦(以下「丙田看護婦」という。)が原告に哺乳したところ、哺乳力が不良であった。丙田看護婦は、このことを被告に連絡し、保育器に収容すること及び血液検査のための採血を指示されたため、同日午前11時30分ころ、原告を保育器に収容するとともに、採血した。

そのため、原告は、この日春子の病室に連れて来られなかった。

(原告法定代理人春子(甲1、甲27を含む。)、被告本人、弁論の全趣旨)

(ウ) 午後1時ころ、春子の祖父母がお見舞いに訪れたため、春子は、看護婦に、「家族が来たので、少しの間でも病室に連れて来られないか。」と尋ねたところ、看護婦は、「炎症反応が出ているので保育器に入れていますから、無理です。」と答えた。

したがって、遅くとも午後1時までには、CRPが2+との検査結果が出ていた。

(乙1の9枚目、原告法定代理人春子(甲1、甲27を含む。))

(エ) 午後1時30分ころ、春子は、祖父母を連れてナースステーションに行ったが、そこには看護婦はおらず、ナースステーション隣の新生児室にも誰もいなかった。春子が呼びかけると、看護婦が奥から出てきて、新生児室のカーテンを開け、保育器に入っている原告をガラス越しに見せてくれた。原告の祖父は、この時、保育器に入っている原告の写真(甲31)を撮影した。

この時、原告が点滴されていたか否かは不明である。

(甲31、原告法定代理人春子(甲1、甲27を含む。))

(オ) 春子は、祖父母が帰るのを見送った後の午後1時40分ないし50分ころ、ガラス越しに新生児室の原告を見ていると、原告の身体が後ろに反り返って、顔がごろんと反対側を向いてしまった。この動作は、けいれんを起こしたためである。

(原告法定代理人春子(甲1、甲27を含む。)、弁論の全趣旨)

(カ) 午後2時10分ころ、春子は、原告のミルクのためナースステーションに行ったが、看護婦から、「ミルクはもう終わりました。」と言われた。

(原告法定代理人春子(甲1、甲27を含む。))

(キ) 午後4時ころ、春子がナースステーションに行くと、原告は、身体全体がミカン色になり、目を見開いたまま瞬きもしないでぐったりとしていた。

この時、原告は、点滴を受けていた。

(原告法定代理人春子(甲1、甲27を含む。))

(ク) その時、丁谷婦長は、春子に対し、原告が細菌感染したらしい旨を説明した。

春子は、原告をNICUのある施設へ搬送してくれるよう頼んだが、丁谷婦長は、まずは被告の説明を聞くように説得した。

(原告法定代理人春子(甲1、甲27を含む。))

(ケ) 午後5時40分ころ、被告は、医大小児科の戊川医師に電話をし、原告を医大のNICUで受け入れてくれるよう初めて要請したが、満床であるとの回答だったため、他の病院のNICUを探してくれるよう依頼した。

同日午後6時07分、戊川医師は、被告に対し、公立○○総合病院から受入れの了承が得られた旨を電話で連絡した。

(甲18、20、証人戊川)

(コ) その間の午後6時ころ、被告は、春子及び駆けつけてきた太郎に対し、原告が細菌に感染したこと、5月22日に破水した際に感染した可能性があること、NICUを手配しているがどこも一杯であること、転院の準備をして待機してほしい旨を初めて説明した。

(原告法定代理人春子(甲1、甲27を含む。))

(サ) 午後6時20分ころ、原告を乗せた救急車は、公立○○総合病院へ向け出発し、午後6時55分ころ、同病院に到着した。

(争いのない事実)

(シ) 午後11時ころ、公立○○総合病院の己町三郎医師は、春子らに対し、原告は細菌に感染しており、髄膜炎及び敗血症の疑いがあること、その時点での救命可能性は5分5分であること、助かったとしても約90%の確率で重度の後遺症が残る見込みであることを説明した。

(原告法定代理人春子(甲1、甲27を含む。))

(2) 被告の供述等の信用性についての判断

上記認定に反する被告本人尋問の結果(乙2、A5ないしA9、A11を含む。以下、同じ。)の一部は、次の理由により、信用することができない。

ア 医大への依頼時間

(ア) 被告は、7月4日午後2時ころ、医大に電話で連絡し、医大から、「空床がないので、他を探すから待つように。」との指示を受けたが、その後連絡がなかったため、午後5時20分、医大に電話で催促したところ、午後6時、医大から公立○○総合病院を転医先として指示された旨主張する。

(イ) しかしながら、被告の主張に沿う乙1の6枚目及び被告本人尋問結果等は、(ウ)以下の理由により、到底採用することができず、他に上記認定を覆すに足りる証拠はない。

(ウ) 医大では、医大のNICUへの受入要請や他のNICUの探索依頼の受付簿を作成してはいないが、医大及び戊川証人は、7月4日午後2時ころに被告から他のNICUの探索依頼等を受けていないことを、当時の記憶及び市外発信通話票に基づき、明確に回答及び証言しているものである(甲18、20、証人戊川)。

(エ) 被告は、午後5時20分まで医大に催促をしなかった理由として、開業医の立場からすると、医大とトラブルを起こすことはできない旨を供述するが、被告の主張する当時の原告の重篤な症状を考慮すると、被告が供述する催促をしなかった理由は、到底納得することができるものではない(医大の回答(甲36の2)参照)。

(オ) 被告は、午後1時30分ないし45分ころ、春子に対し、××病院や医大小児科のNICUへの転医を説明した旨主張するが、この時刻にそのような説明があったことは、原告法定代理人春子が明確に否定しているところである(原告法定代理人春子(甲1、甲27を含む。))。

イ 保育器の設置場所

(ア) 被告は、原告を7月4日午前11時30分に保育器に収容後、その保育器は直ちにナースステーション中央奥に置いた旨主張し、原告が提出する写真(甲31)もナースステーションで撮影されたものである旨主張する。

(イ) しかしながら、甲31(写真)を甲56(被告医院内を撮影したビデオテープ)並びに甲57及び58(ナースステーション内等の写真)と対比すれば、甲31の背景の右半分は、光量の関係で茶色に見えるものの、新生児室のピンク色の壁であると認めることができ、左半分は、手洗い用の洗面器で開の位置に止められているドアであることが認められる。他方、被告主張のとおり、甲31をナースステーションのドア及び戸棚を背景としたものと理解しようとすると、背景の左半分と右半分の境は、戸棚の縦板部分があるため、一直線とはならないはずであるのに(甲57写真①)、甲31の背景は一直線となっている。

(ウ) したがって、被告の主張に沿う被告本人尋問の結果の一部は、到底採用することができず、他に上記認定を覆すに足りる証拠はない。

ウ カルテの記載等

(ア) 被告は、午前中からペンマリンの投与等適切な治療を行った旨主張する。

(イ) しかしながら、7月4日の搬送時に作成され、改ざんの余地が比較的少ないと考えられる公立○○総合病院に対する診察情報提供書(乙1の8枚目)には、「現在の処方」の欄があり、搬送に当たっては、それまでの投薬経過が重要な情報であると考えられるのに、どのような抗生剤が、どの時刻に、どの程度の量投与されたのかについての記載は一切ない。

(ウ) 新生児指示及び処置簿の7月4日欄(乙2添付②)のうち、「点滴施行 クベース収容 採血敗血症、髄膜炎の疑いにて、○○公立へ転送する」以外の抗生剤の投与時間、量等の記載は、証拠保全手続による検証(平成12年6月29日)及び本訴提訴(平成13年2月8日)後の平成13年3月上旬、丙田看護婦によって書き加えられたものである(証拠保全記録156丁、乙A3)。

被告は、この書き加えは被告に無断でされたものである旨供述するが、医療過誤訴訟の提起を知った後に、そのような記載が院長に無断で行われることは通常あり得ず、この点の被告本人尋問の結果の一部は、到底採用することができない。

(エ) 診療録の続用紙による7月4日欄の記載(乙1の6枚目)には、ペンマリン等が午前中に投与されたことを示す記載がない。

(オ) 被告は、新生児看護日誌(乙1の6枚目)の記載の基となったメモとして、丁谷婦長のメモ(乙A10)を提出するが、そのメモは証拠保全時に検証の対象として記録されていないこと、本訴においても新生児看護日誌(乙1の6枚目)の信用性が訴状自体で指摘されていたにもかかわらず、弁論終結が近くなって提出されていることからすると、7月4日当時に作成されていたものかどうか多大な疑問が残り、採用することはできない。

(カ) 診療録の新生児看護日誌の7月4日欄(乙1の5枚目)には、午後2時30分時点で記載されたという原告の症状及び投薬経過の記載があるが、被告がそれまでに投与したと主張する薬剤と今後投与する薬剤とが雑然と、しかも被告が主張する投与の順番と異なって記載されていること(被告本人(11頁))、及び診療録の他の部分に、医大への依頼時間について嘘の記載があること(前記のとおり)等の事情にかんがみると、投薬経過等が正確に記載されたものと認めるには多大な疑問が残る。仮に、その内容が一部正しいものであるとしても、その内容は、午後遅くなって原告の症状の急変に気付き、急きょ投与を開始した抗生剤を時間をずらして記載した可能性が高いといわなければならない。

(3) 認定事実のまとめ

ア  前記(1)に認定の事実によれば、被告は、7月4日午前11時過ぎに看護婦から原告の哺乳力不良の報告を受け、保育器収容、採血の指示をしたこと、原告には、敗血症及び髄膜炎を疑わせる症状が現れていたこと、しかし、被告は、治療の面においては、同日午後3時ころまで、抗生剤の投与等の措置を執らなかったこと、午後3時ころになって原告の症状に気付き、自分で治療しようと努めたが、手に負えなくなり、午後5時40分ころ、NICUの探索を医大に依頼したものと認めるべきである。

イ 付言すると、被告が7月4日午前中からペンマリン等の投与を始めていた可能性もないではない。しかしながら、被告は、前記のとおり、医大へのNICUの探索依頼時期につき虚偽の事実を主張し、それに合わせて診療経過を認定する基本的な資料である診療録等に虚偽の記載をしているものである。しかも、診療録等における抗生剤の投与の時期を示す記載も、本訴提起後に記載されたり(乙2添付②)、午前中に投与されたものと認定するには疑問が残るような記載(乙1の5枚目)にとどまるものである。このような証拠のみでは、当初から一貫している原告法定代理人春子の供述に反し、被告のペンマリン等の投与時期に関する供述が信用することができるものと認めることは到底できないものである。

3  原告の病名・後遺症について

原告の7月4日の症状は、B群溶連菌による早発型敗血症及び髄膜炎によるものであること、並びに原告には、脳性麻痺、水頭症、重度脳機能障害及び精神発達遅滞等の後遺症が残ったことは、当事者間に争いがない。

4  被告の過失について

(1) 敗血症等の診断及び治療について

ア 敗血症

敗血症は、体内に感染した病原体が、感染局所の病巣の進展に伴って持続的に流血中に侵入し、病原体並びにそれらが産生する毒素及び代謝産物によって宿主に全身的な影響を及ぼし、放置すれば死に至る疾患である。

初期には高熱、過呼吸がみられ、皮膚は温かく、血圧はやや低下し、頻脈を呈する。新生児の敗血症は死亡率が高く、神経学的後遺症を残すことも少なくない重篤な疾患であるため、この時期に適切な治療が行われなければ、症状が急速に進行し重篤化する。

敗血症の児の約4分の1は、髄膜炎を合併する。

新生児敗血症は、出生3日以内に起こる早発型と、以降に起こる遅発型に大別される。原告が罹患した早発型は、垂直感染によるものであり、B群溶連菌、大腸菌が起因菌であることが圧倒的に多い。

(争いのない事実、甲2、4ないし6、26、41、42、44、46、48、51、乙B1)

イ 髄膜炎

髄膜炎とは、頭蓋部分の硬膜を除く軟膜、クモ膜の炎症をいう。原告が罹患したのは、細菌性髄膜炎である。

(争いのない事実、甲3、4、26、43、45、乙B1、B2)

ウ 敗血症等の診断、治療

(ア) 敗血症が疑われたときは、直ちに血液・尿等の一般検査及び細菌学的検査を行い(敗血症ワークアップ。抗生剤を投与する前に行う必要がある。)、確定診断の前であっても、治療(全身管理、抗菌薬療法等)を開始するとともに、敗血症と診断する際の次の指標が認められた場合には、速やかにNICUを完備した施設に移送すべきである。

① 母体が分娩前に破水した場合

② 発熱あるいは低体温を呈する場合

③ 運動不活発、哺乳力低下、皮膚色不良、嘔吐、腹部膨満及び「なんとなく元気がない」等の不定症状が見られた場合

④ 低出生体重児で無呼吸発作が頻発した場合

⑤ 黄疸増強、出血斑及び肝腫大等が見られた場合

(イ) 敗血症に対する治療としては、菌が同定されるまでは、症状、検査所見及び日齢等から起因菌を推定し、抗菌薬を選択する。

早発型の場合、目標とする起因菌は主にB群溶連菌(GBS)及び大腸菌であり、菌が同定されるまでの初期治療としては、アンピシリン(ビクリシン、ペントレックス等)及びアミノ配糖体(ゲンタシン、アミカマイシン、トブラシン)を併用する。

また、髄膜炎が疑われる場合には、セフォタキシム及びアミノグリコシドを投与する。

(ウ) 敗血症性ショックに対しては、呼吸管理を含めた全身管理と、動脈血をモニターしながら、まずアルブミン(血漿増量剤)又は新鮮凍結血漿(FFP)を投与するとともに、ドパミン(イノバン、ドプトレックス)を持続点滴する。重症の場合には交換輸血を行う。

(争いのない事実、甲4ないし6、26、41ないし46、48、51、乙B1、B2)

(2) 被告の観察義務及び転医義務違反

ア 前記2に認定の事実によれば、

① 春子は、5月22日に破水しており、

② 原告には、7月4日午前11時に哺乳力不良の症状があり、

③ 遅くとも同日午後1時には、CRP2+との検査結果が出ており、

④ さらに、同日午後1時50分には、原告にけいれん症状が出現していた

ものである。

これらの事実によれば、被告が7月4日午前11時30分前に原告が哺乳不良の報告を受け、春子の妊娠経過を検討し、かつ、原告の症状を注意深く観察していれば、同日午前11時30分には、原告が敗血症に罹患しているのではないかとの疑いを持つことができ、遅くとも同日午後1時50分には相当程度の確実性をもって敗血症と診断することができたものと認められる。

イ  ところが、前記2に認定の事実によれば、被告は、原告の症状の観察を怠り、同日午後3時ころまで原告が敗血症に罹患していることに気付かず、午後3時ころになって原告の症状に気付き、あわてて抗生剤の投与等を開始したが、症状が改善せず、やむなく同日午後5時40分ころ、NICUの探索を医大に依頼したものといわざるを得ない。

ウ よって、被告は、観察義務及び転医義務違反によって原告に生じた損害を賠償する義務がある。

5  因果関係について

(1) 時機に後れた攻撃防御方法等について

ア 原告は、被告は、「新生児指示及び処置簿」等を改ざんし、搬送手続の開始が午後2時であった旨主張していたが、この点についての形勢が悪くなると、今度は、原告をNICUに転医させることができたとしても、原告の後遺症を予防することは不可能であったと因果関係を否認する等の主張をするに至ったが、このような主張は、時機に後れた攻撃防御方法及び訴訟上の信義則(同法〈編注民事訴訟法〉2条)の趣旨に反するものとして却下されるべきである旨主張する。

確かに、平成13年4月26日の第2回口頭弁論期日において、本件の争点は、7月4日午後2時に被告が医大NICUに電話をしたかどうかである旨の争点の確認をした上、平成13年10月25日に医大小児科の戊川証人を所在尋問し、平成14年1月24日に被告本人及び原告法定代理人春子の集中証拠調べを実施したところ、被告は、平成14年2月7日付け準備書面において、被告が適時にNICUに転送することができたとしても、敗血症等の予後が悪く救命することは不可能だった旨の主張を初めて行ったことは、本件の進行上、明らかである。

しかしながら、被告は、答弁書以来、具体的な主張までは行っていなかったが、因果関係は否認するとの認否を行っていたものであり、また、その主張が当然争点となるべき内容を含んでいることからすると、そのような主張の後れが被告の故意又は重大な過失によるものであるとか、訴訟上の信義則に反するものとまで認めることはできない。

よって、原告のこの点の主張は理由がない。

イ 原告は、被告が当初因果関係を積極的に争わず、過失を否定する意図で診療記録を改ざんし、虚偽の主張をした場合、これを証明妨害があったものとみなし、民事訴訟法224条2項、3項を類推適用して、因果関係に係る原告の主張をそのまま認めるべきである旨主張する。

しかしながら、原告が主張するような被告の行動は弁論の全趣旨として考慮し、また、因果関係の判断において、適切な治療が行われた場合の患者の予後を実際に知ることができないのは、医師側に過失があったためであり、その不利益を患者側に負わせることは正義の観念に反することを考慮する必要はあるが、原告が主張するような被告の行動から、民事訴訟法224条2項、3項を類推適用して、因果関係に係る原告の主張を真実と認めるべきであるとまで解することはできない。

よって、この点の原告の主張も理由がない。

(2) 適切な治療の点

被告は、別表のとおり、原告の敗血症、髄膜炎及びショックに対する適切な治療を行ったから、原告の後遺症と被告の過失との間に因果関係はない旨主張する。

しかしながら、被告が適切な治療を適時に行ったものではないことは、前記2に認定のとおりであるから、被告のこの点の主張は、前提を欠き、その余の点について判断するまでもなく理由がない。

(3) 予後の点

ア 被告は、原告の罹患した早発型敗血症は、その致死率が50〜85%と非常に高く、また、新生児髄膜炎は、神経学的後遺症が20〜50%の割合で発症するなど、予後が非常に悪いから、被告が観察義務及び転医義務を尽くしたとしても、原告の後遺症の発症を避けることはできなかった旨主張する。

イ 確かに、次の事実が認められる。

(ア) 乙A5添付の「新生児敗血症」メルクマニュアル(2002年)には、早発型敗血症の全般的死亡率は15〜50%(GBS感染症のそれは50〜85%)と記載されている。

(イ) 乙B1(勝又大介ら「新生児管理」周産期医学24巻増刊号95頁(1994年))には、GBS感染症のうち早発型の予後(死亡率)は不良(50%)と記載されている。

(ウ) 乙B2(安次嶺馨「敗血症、髄膜炎」周産期医学27巻増刊号533頁(1997年))には、死亡率は敗血症で10〜20%、髄膜炎で20〜30%、髄膜炎では生存者の20〜50%に神経学的後遺症を残す旨記載している。

ウ これに対し、次の論文等が存在する。

(ア) 甲46(内田章「B群溶連菌(GBS)感染症」小児科診療2002年3号477頁)は、保科清ほか「最近のB群溶血性レンサ球菌感染症の動向」新生児誌37号11〜17頁(2001年)に基づき、新生児GBS感染症の予後は、早発型で死亡11.0%、後遺症残存5.8%である旨記載している。

(イ) 甲49(中村和洋ら「新生児期における早発型B群溶連菌感染症12症例の臨床的検討」広島医学50巻11号965頁(1997年))は、平成元年4月から平成9年3月までの症例で、血液培養検査等でGBSが証明された症例のうち、生後1週間以内に発症した12症例に基づき、12症例のうち、9症例は後遺症なく治癒し、2例は死亡し、1例は脳室周囲白質軟化症を合併したこと、死亡した2例は在胎28週1100グラムで出生し、肺出血を合併した例及び34週2025グラムで出生し、発症後急速に呼吸停止、ショックを来した例であることを記載している。

(ウ) 甲50(阿座上才紀ら「新生児B群溶連菌感染症19例の検討」獨協医誌9巻1号195頁(1994年))は、平成3年4月までの症例のうち、敗血症が認められた11例に基づき、発症後早期(10時間以内)に治療開始した例は後遺症を残さずに治癒した例が多かったと指摘している。また、表2(198頁)によれば、11例のうち、死亡又は神経学的後遺症を残した5例のうち、3例は出生時体重が1870グラム、1070グラム、1700グラムであり、他の2例は、出生時体重が3000グラムを超えているものの、治療開始までに18時間、26時間経過していることが認められる。

(エ) 甲42(山南貞夫「新生児B群溶連菌感染症」小児内科29巻増刊号1257頁(1997年))は、施設によって異なると思われるが、最近の文献を集約すると、新生児GBS感染症全体の死亡率は約15%で、早発型での死亡率は約20%となり、早産児であるほど死亡率も後遺症を残す率も高い、遅発型の死亡率は5%程度であるが、髄膜炎合併例で生存した児の15%に重度の障害が残るとまとめている。

エ 被告が指摘する前記イの文献は、総説的なものであり、その根拠を一々挙げることをしていないが、原告が指摘する前記ウの文献は、具体的症例に基づき、より詳細な検討をしているものである。

前記ウの文献及び弁論の全趣旨によれば、発症後早期に治療を開始すれば、死亡率及び後遺症残存率は低下すること、在胎週が多く出生時体重が重いほど、死亡率及び後遺症残存率は低下すること、時代とともにGBSに対する研究が進み、抗生剤の使用方法等も進歩していることが認められるところであり、これらの点を考慮すると、前記認定のとおり、37週5日、体重2630グラムで平成11年に出生した原告が7月4日の午前から抗生剤投与等の治療を受け、かつ、早期にNICUに転医されていれば、本件で生じた重度の後遺症は残らなかったものと推認すべきである。

オ  よって、被告の観察義務及び転医義務違反の行為と原告の後遺症との間には、因果関係がある。

6  損害について

(1) 逸失利益 2064万2748円

ア 年収額

平成10年賃金センサスによれば、産業計企業規模計女子労働者学歴計全年齢平均年収は、341万7900円である。

イ ライプニッツ係数

原告の稼働可能期間は、18歳から67歳であると考えられるところ、年5分の割合による中間利息を控除すると、そのライプニッツ係数は、67年間の労働能力喪失期間のライプニッツ係数である19.2390から、18歳までの労働能力喪失期間の係数である11.6895を差し引いた7.5495となる。

ウ 労働能力喪失率

(ア) 証拠(甲23ないし25、29、原告法定代理人春子)によれば、原告は、前記認定の後遺症により、現在、痙性四肢麻痺、けいれん発作、視覚障害、燕下障害及び体温調整機能障害等により、耳がある程度聞こえる、ミルクを飲める、少し泣ける以外は何もできず、寝たきりで自力では全く動けない状態であることが認められ、この事実によれば、原告の労働能力喪失率は、全期間にわたり、100%と認めるべきである。

(イ) 被告は、仮に被告に過失があったとしても、原告には、B群溶連菌(GBS)による敗血症及び脳髄膜炎という素因が存在し、その予後は前記のとおり非常に悪いものであるから、過失相殺の規定を類推適用して、損害賠償額を減額すべきである旨主張する。

被告の観察義務及び転医義務違反がなければ、現実に生じた後遺症は残らなかったものと認めるべきことは、前記5(3)のとおりであるが、前記認定の後遺症残存率が高いことを示す見解も示されていることからすると、被告の観察義務及び転医義務違反がなかったとしても、原告がGBS感染症に罹患したことにより、現実に生じたよりは軽度の神経学的後遺症が残存した可能性は相当あるものと認められる。この点を考慮すると、原告の逸失利益の算定に当たっては、適切な治療が行われたとしても、原告には労働能力喪失率において20%程度と評価すべき神経学的後遺症が残存した可能性があったものと認め、原告の逸失利益の算定に当たっては、労働能力喪失率を80%(100%−20%)とすべきである。

エ 逸失利益の算定結果

以上によれば、原告の逸失利益は、2064万2748円となる(341万7900円×7.5495×0.8)。

(2) 慰謝料 2000万円

本件に顕れた諸事情を考慮すると、慰謝料を2000万円と認めるのが相当である。

(3) 介護費用 4277万6832円

ア 介護費用年額

前記(1)ウに認定の事実によれば、原告は、生涯にわたり常時介護を要する状態にあると認められるところ、その介護に要する費用は1日当たり6000円と認めるのが相当であるから、その年額は219万円となる(6000円×365日)。

イ ライプニッツ係数

原告の余命は、平均余命である77年であると認めるのが相当であるところ、年5分の割合により中間利息を控除すると、そのライプニッツ係数は、19.5328となる。

ウ 後遺症残存の点の考慮の要否

原告に適切な治療が行われたとしても、本件よりは軽度の神経学的後遺症が残存した可能性がある点(前記(1)ウ(イ))は、そのような神経学的後遺症が残存したとしても、原告が介護を要する状態にはならなかったものであるから、介護費用の算定に当たっては、考慮しない。

エ 介護費用の算定結果

以上によれば、原告の介護費用は、4277万6832円となる(219万円×19.5328)。

(4) 小計 8341万9580円

以上の弁護士費用を除く損害額を合計すると、8341万9580円となる。

(5) 弁護士費用 930万円

原告が本件訴訟の提起、追行を原告代理人らに委任したことは、当裁判所に顕著であるところ、本件に顕れた諸事情、特に被告に診療録の改ざんがあり、事案の解明に多大な労力を要したことを考慮すると、本件不法行為と相当因果関係を有する弁護士費用額を930万円と認めるのが相当である。

(6) 合計 9271万9580円

第2  結論

よって、原告の請求は、不法行為による損害金9271万9580円及びこれに対する不法行為日である平成11年7月4日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金を求める限度で理由があるからその限度で認容し、その余は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法61条、64条本文、仮執行宣言について同法259条1項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官・市川正巳、裁判官・千々和博志、裁判官・工藤哲郎)

別表診療経過(被告の主張)平成11年7月4日分〈省略〉

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