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京都地方裁判所 昭和58年(ワ)1902号 判決 1986年2月27日

原告

松田文明

被告

株式会社三笑堂

ほか一名

主文

一  原告の各請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

1  被告両名は連帯して原告に対し、金一五九四万〇四八〇円及び同金員につき昭和五七年五月一七日より支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  被告ら

1  原告の各請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  交通事故の発生

(一) 日時

昭和五七年五月一七日午後三時一〇分頃

(二) 場所

京都市西京区桂畑町三番地先路上

(三) 態様

被告織田が普通貨物自動車(京四四る四一四七・以下「被告車」という。)を運転して時速約五四キロメートルで東進中、道路左側に停車していた車両の右側方を通過し、進路を左寄りに復して進行するに当り、進路前方で左方(北方)に通ずる道路に左折進入するため一時停車直前の原告運転の普通乗用自動車(以下「原告車」という。)左後部に、被告車前部を衝突させ、原告に後記傷害を負わせた。

2  原告の受傷と後遺障害

(一) 原告は、本件事故により頸椎及び腰椎各捻挫の傷害を受けて、病院に通い治療に専念したが、引き続き強い頭痛、頸部の痛み、強い腰痛、右上肢の強いしびれ(これはしばしば感覚が完全に麻痺する程度に達する)、左・右下肢の強いしびれ、右肩から頸にかけての強いこりと痛み等に四六時中悩まされ、日常生活を規律正しく律してもこれらの神経症状は消失しないのである。そこで、昭和五九年六月原告が第一日赤において診察をうけたところ、「頸椎、腰椎に異常があり、椎間板腔狭少化のほか、握力低下、右上肢の知覚鈍麻」等の検査結果を得た。なお、この状態は固定している。

そして、右障害の程度は、自賠法施行令別表の後遺障害等級表によれば第一二級一二号(局部に頑固な神経症状を残すもの)に該当し、労働能力の喪失は一四パーセントで、この後遺症は生涯消失しないものと考えられる。

(二) 原告はこれらの障害により、以下のとおり仕事の面でも日常生活の面でも、多大の被害に苦しんでいる。

(1) 原告は板金工であるため、腕や腰を使わなければ仕事ができないのであるが、右の障害があるため、満足な仕事ができず長い将来に亘つて非常な不安を抱いている。原告の子供は五歳と二歳であり、家族のことを考えると暗たんたる気持にならざるを得ない。

(2) また、家庭生活にあつては、特に腰部の痛みが強いため、夫婦関係も持つことができない。これがため、夫婦の間がとかくぎくしやくすることもあり、原告は妻に対して常に申し訳ないと思つており、このことが精神的な苦痛となつている。

(三) 仮に、右に主張した原告の症状が、直接本件事故により惹起したものでないとしても、原告の加令的変化と本件事故とが相まつて同症状は発生したというべきであり、したがつて原告の症状と本件事故との間には相当因果関係がある。

3  被告らの責任

(一) 被告織田

被告織田は、被告車の運転中、絶えず前方を注視し、進路の安全を確認して進行すべき注意義務があるのにこれを怠り、前方注視を欠いて慢然進行した過失によつて本件事故を惹起したから、民法七〇九条の規定に基づく責任がある。

(二) 被告会社

被告会社は、被告車の保有者であり、使用人である被告織田がその業務執行中に本件事故を惹起したのであるから、自賠法三条、民法七一五条のいずれかの規定によつても責任がある。

4  原告の損害

(一) 治療費 七六万六〇九二円

(1) 九条病院関係

昭和五七年五月二〇日から同月二四日までの治療費が四万二四五〇円、診断書、明細書料が三〇〇〇円、同五七年一二月二四日から同五八年五月二五日までの治療費が一〇万八三五二円、診断書、明細書料が三〇〇〇円で、以上の合計額一五万六八〇二円である。

(2) 小林整形外科医院関係

昭和五七年五月二八日から同年七月一九日までの治療費が五万三一四〇円である。

(3) 池田病院関係

昭和五七年六月四日から同年一〇月一五日までの治療費が三九万九六六〇円、診断書、明細書料が三〇〇〇円、同年一〇月一六日から同年一二月二五日までの治療費が一四万三五三〇円、診断書明細書料が三〇〇〇円で、以上の合計額五四万九一九〇円である。

(二) 通院交通費 一〇万円

九条病院への通院日数四七日及び池田病院への通院日数一一二日につき、各往復バス賃は五六〇円であるから、その合計額は八万九〇四〇円、これに小林整形外科医院への通院経費(タクシー代、自家用車使用経費)を加えて一〇万円を損害とした。

(三) 休業損害 一六八万七八七八円

昭和五七年二ないし四月の月収総額が一〇〇万六〇五〇円であるから、日額は一万一一七八円、そして、原告の休業日数は同年五月一八日から同年一〇月一五日までの一五一日であるから、休業損害は一六八万七八七八円となる。

(四) 逸失利益 一一〇三万二六五二円

原告は、後遺症状が固定した昭和五九年当時三五歳(昭和二四年一月一日生)であつたところ、その年収については、昭和五六年賃金センサス第一巻第一表の産業計・企業規模計・学歴計の年齢階級別平均給与額(含臨時給与)を一・〇七〇一倍したものをもとにして作成された全年齢平均給与額および年齢別平均給与額表に基づく該当年齢の平均月収三四万九二〇〇円に一二を乗じた平均年収四一九万〇四〇〇円を基礎数値とし、労働能力喪失率一四パーセント、就労可能年数三二年の新ホフマン係数一八・八〇六〇として、逸失利益の現価を求めると、一一〇三万二六五二円となる。

(五) 慰藉料

(1) 通院分 一五〇万円

(2) 後遺症分 一〇〇万円

(六) 弁護士費用 一五〇万円

(七) まとめ

以上、損害合計額は、一七五八万六六二二円となる。

5  損益相殺

自賠責保険給付一二〇万円、労災保険給付四四万六一四一円を、それぞれ差引計算すると残損害額は一五九四万〇四八一円となる。

6  結論

よつて、被告両名は連帯して原告に対し、損害内金一五九四万〇四八〇円及び同金員につき本件事故の日である昭和五七年五月一七日より支払済みに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払義務があるから、原告はその支払を求める。

二  答弁

1  請求原因1(交通事故の発生)のうち、被告車の衝突時の速度及び原告の受傷の事実を否認し、その余の事実は認める。本件事故は、被告車が徐行状態で生じたのであるから、車両の損害も極く軽微で、原告が受傷するような衝撃はなかつた。仮に、原告が受傷したとしても、極く軽傷で休業を要するほどのものではない。

2  同2(原告の受傷と後遺障害)のうち、原告の受傷の事実は否認し、その余の事実は知らない。仮に、原告に何らかの障害が認められたとしても、本件事故との間に相当因果関係はない。

3  同3(被告らの責任)の帰責事由にかかる事実は認める。

4  同4(原告の損害)の事実は否認し、主張を争う。

5  同5(損益相殺)の事実は認める。

三  仮定抗弁

原告は、自認するほかに、自賠責保険から昭和五九年六月一日七五万円、同年八月二一日一三四万円、合計二〇九万円の給付を受けているから、仮に、原告に損害が生じたとしても、右額につき損益相殺されるべきである。

四  仮定抗弁の認否

仮定抗弁事実は認める。

第三証拠

証拠関係は、本件記録中の書証目録及び証人等目録のとおりであるから、引用する。

理由

一  被告車の衝突時の速度及び原告受傷の事実を除き、請求原因1の本件交通事故発生の事実は、当事者間に争がない。

成立に争のない甲第一号証の六、同号証の一二、一三、一五、一六に、原告本人尋問の結果を総合すると、本件事故当時は晴天であり、アスフアルト舗装された事故現場付近の道路は乾燥していたこと、同道路の速度規制は時速五〇キロメートルであつたところ、被告車は時速約五〇キロメートルで走行していたのであるが、被告織田は、前方約二三・三メートルの地点に停止寸前の原告車を認め、追突の危険を感じて直ちに急制動の措置を講じたものの、約一四メートルスリツプして原告車左後部に被告車左前部を追突させたこと、これにより原告車のリヤバンパーが凹損し、被告車の左側前部を凹損するなどの被害が生じたこと、以上の事実を認めることができ、この認定に反する証拠はない。

そして、成立に争のない甲第八号証によると、右認定の状況下で、被告車が急制動により停止しうる距離は二一・七メートルであることが認められるところ、同認定のように本件の場合には約一四メートル地点で衝突していること、従つて、原告車への追突により、急制動をかけた状態でなお約七・七メートル進行すべきエネルギーが吸収されたと解すべきこと、それが原告の身体に与えた影響度を数量的に把握できないけれども、被告らが主張するほど軽微なものであつたとは解し難い。

二  そこで、右事故による原告の受傷の有無及び程度について考察する。

成立に争のない甲第一号証の一四、同第二号証(原本の存在も争がない。後記措信しない部分を除く)、同第三号証の一、二、同第一一号証(後記措信しない部分を除く)、同第一二号証の二、同乙第一ないし第四号証、被告ら主張の写真であることに争のない検乙第一ないし第五号証、同第八ないし第一一号証、弁論の全趣旨により真正に成立したと認める甲第四号証の一ないし三に、証人小林政則、同松田永寿及び同勝又星郎の各証言並びに原告本人尋問の結果を総合すると、次の事実を認めることができる。

1  原告は、本件事故日の三日後である昭和五七年五月二〇日、京都市南区所在の同仁会九条病院(以下「九条病院」という。)で、頸椎及び腰椎各捻挫の病名により向後約一〇日間の安静加療を要する見込みとの診断を受けた。その際の検査結果によると、レントゲン写真による所見として、腰骨(第五腰椎)と仙骨との間の狭縮、病的とまではいい難い程度の胸骨及び腰椎に棘が認められた以外に、他覚的所見は認められなかつた。原告は、同月二二日及び二四日に同病院へ通院して、頸部及び腰部につき湿布処置などの治療を受けた。

2  原告は、同年五月二八日、京都市南区所在の小林整形外科医院(以下「小林整形」という。)に転医し、外傷性頸部症候群及び腰椎椎間板損傷の傷病名により同年七月一九日までの間に一一日ないし一二日(四日ないし五日に一回)通院して治療を受けた。原告は、その間、頸部痛、肩こり及び腰痛を訴えていたのであるが、諸検査の結果によつても、第五腰椎と仙骨の間(椎間板)が極めて軽度の狭少化を示す以外に、愁訴に見合う他覚的所見は認められなかつた。なお、右の狭少化は、本件事故と直接関係なく形成された公算が大きいものである。

3  ところで、原告は、小林整形に通院中の昭和五七年六月四日から同整形の医師の指示があつた訳でもないのに京都市下京区所在の池田病院に通院して、電気鍼やマツサージの治療を受け始め、同年一二月二五日までの間に一一二日(一・八日に一回)それを続けた。

4  そして、原告は、同年一二月二四日から翌五八年五月二五日までの間に四四日(三・四日に一回)、前記九条病院に通院し、前同様の愁訴に基づき主として理学療法による治療を受けた。

5  最後に原告は、昭和五九年六月五日と七日に京都第一赤十字病院において診察を受け、頭頸部痛、右上肢の痺れと鈍麻及び腰痛を訴えているところ、医師は諸検査を経て、第五、第四頸椎の不安定(一ミリメートル程度のずれ)、第五腰椎と仙骨の椎間板腔の狭少化及び右上肢の知覚鈍麻を指摘し、同年六月二三日をもつて症状固定とし、頭部及び腰部痛と右上肢の痺れの後遺症により板金の仕事が出来ないと診断した。そして、原告は、自賠法施行令別表の後遺障害等級一二級一二号該当と認定された。

6  もつとも、原告は、昭和五七年一〇月一六日以降、程度はともかくとして従前の仕事に従事しているし、右一六日以前でも車の引取りの仕事などに従事しており、同年六月三〇日には受診中の小林整形の医師に九州へ出張していた旨の話をしている。

以上の事実を認めることができ、この認定に反する甲第二号証、同第一一号証の記載部分は証人勝又星郎の証言に照らし誤記であることが明らかであり、他に右認定を動かすに足る証拠はない。

右認定事実によれば、原告の頸椎及び腰椎の症状が仮に正常の範囲を超えた病的状態と把握すべきものとしても、それが本件事故により惹起(誘発を含む)されたと解すべき十分な根拠がない。それにしても、さきに説示した事故の態様に鑑みると、被告車の追突により原告の身体にかなりの力が急激に加わつたことも否定できないのであるから、原告の愁訴を全く理由のないものと断ずることも相当でない。ただ、長期に亘る原告の愁訴を、総て本件事故と相当因果関係があるとするには足りないものの、事柄の性質上、関係ありとすべき愁訴とそうでない愁訴との分別は困難というほかない。それにしても、本件事故と関係のある愁訴は他覚的所見を伴つたものとは認め難いのであるから、それほど長期且つ深刻なものとは考えられないところ、前掲乙第一号証及び証人小林政則の証言によると、原告の症状は、小林整形に通院中も改善に向つての特に大きな変化がなかつたこと、しかし、同整形への通院を中止した昭和五七年七月一九日当時、なお治療継続の必要があつたことが、それぞれ認められるのであるから(この認定に反する証拠はない)、これらの諸点を総合的に考慮し、遅くとも原告が職場に復帰した前日の同年一〇月一五日には、症状固定の域に達していたと推認するのが相当であり、これと抵触する京都第一赤十字病院の判断は前提を異にしているのであつて採用できない。そして、原告に後遺障害が残存するとしても、せいぜい自賠法施行令別表の障害等級一四級一〇号該当と解すべきであり、さきに認定した一二級一二号該当とする判断は、何ら拘束力をもつものではない。

三  次に、被告らの責任についてであるが、請求原因3の被告らの責任原因事実は当事者間に争がないから、被告織田は民法七〇九条、被告会社が同法七一五条の各規定に基づき、それぞれ本件事故により原告が被つた損害を賠償する責任があることはいうまでもない。

四  そこで、原告の被つた損害につき検討する。

1  治療費 五二万六七八〇円

(一)  九条病院関係 四万五四五〇円

前掲甲第三号証の一によると、昭和五七年五月二〇日から同月二四日までの間の三日分の治療費は四万二四五〇円、診断書及び明細書料が三〇〇〇円であることが認められる。なお、原告は、同年一二月二四日以降の治療費をいうが、本件事故に関係する分としては、治療の必要性を認め難く、採用できない。

(二)  小林整形関係 五万三一四〇円

成立に争のない甲第一三号証の二並びに弁論の全趣旨によると、治療費として五万三一四〇円を要したことが認められる。

(三)  池田病院関係 四二万八一九〇円

前叙のとおり原告は、小林整形に通院中の昭和五七年六月四日から、同整形の医師の指示があつた訳でもないのに、池田病院に通院して電気鍼の治療を受け始め、同年一二月二五日まで継続していること、そして、小林整形には同年七月一九日まで通院しているのであるから、六月四日から同年七月一九日までの間は重複治療が行われたことになるところ、かかる治療の必要性は認められないというべきである。その後の治療についても、その方法として疑義がない訳ではないが、この際は背認すべきであろう。

そこで、原告本人の結果により真正に成立したと認める甲第四号証の一、二によると、池田病院での治療費と診断書などの合計額は、五四万九一九〇円であることが認められるから、そのうち四二万八一九〇円の限度で本件事故と相当因果関係のある損害と認める。

2  通院交通費 六万四〇八〇円

原告本人尋問の結果と弁論の全趣旨を総合すると、九条病院への通院日数三日及び池田病院への通院日数九〇日(小林整形との重複分を二二日として計算)につき、各往復バス賃五六〇円を要したこと、小林整形への通院費が一二日分として多く見積つても一万二〇〇〇円を超えることはないこと、以上の事実を認めることができる。

すると、通院交通費は、合計六万四〇八〇円である。

3  休業損害 一六七万六七〇〇円

証人松田永寿の証言により真正に成立したと認める甲第七号証、同証人の証言及び原告本人尋問の結果(以上につき後記措信しない部分を除く)によると、原告の当時の勤務先は、兄永寿が経営する松田自動車工作所であり、原告は主として板金の仕事をしていたこと、本件事故直前の三か月間の原告の収入を基礎とする日給は一万一一七八円であるところ、原告は本件事故により昭和五七年五月一九日から同年一〇月一五日までの一五〇日間休業したことが認められるから、その休業損害は一六七万六七〇〇円である

4  逸失利益 三七万九七二二円

原告の前説示の後遺障害を前提すると、その労働能力の減退は症状固定後の二年間につき五パーセントとするのが相当である。そこで、右の日給を基礎とし、新ホフマン係数一八六一四をもちいて逸失利益の現価を算定すると、三七万九七二二円(円未満切捨)となる。

5  慰藉料 一〇五万円

(一)  通院分 四五万円

前記認定の症状固定までの通院状況に鑑み、その慰藉料額は四五万円をもつて相当と認める。

(二)  後遺症分 六〇万円

さきに説示の後遺障害を前提とする限り、その慰藉料額は六〇万円をもつて相当と認める。

6  まとめ

以上の損害合計額は、三六九万七二八二円であるところ、原告が自認する控除分一六四万六一四一円を差引くと、残損害額は二〇五万一一四一円である。

7  しかるところ、原告が右自認額以外に、被告らが仮定抗弁で主張する合計二〇九万円の自賠責保険からの給付金を受領していることは、当事者間に争がない。

すると、原告の損害は総て填補されたことが、計数上明らかである。

五  結論

以上の次第であつて、原告の本訴請求は結局のところ理由がないことに帰するから、これを棄却する。

よつて、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用のうえ、主文のとおり判決する。

(裁判官 石田眞)

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