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京都地方裁判所 昭和54年(人)2号 判決 1980年3月28日

請求者 甲野ハナ

右代理人弁護士 坪野米男

同 堀和幸

被拘束者 甲野太郎

右代理人弁護士 高田良爾

拘束者 乙山フユ

<ほか二名>

右拘束者ら代理人弁護士 小松誠

主文

請求者の請求を棄却する。

被拘束者を拘束者乙山フユに引渡す。

本件手続費用は請求者の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求者

1  被拘束者を釈放し、請求者に引渡す。

2  本件手続費用は、拘束者らの負担とする。

二  拘束者ら

主文一、三項と同旨

第二当事者の主張

一  請求の理由

1  請求者は亡甲野一郎の二女、拘束者乙山フユは右一郎の四女、拘束者丙川春子、同丁原夏子は右フユの長女及び二女、被拘束者は右一郎の六男である(別紙一「親族関係図」参照)。

2  被拘束者は、昭和六年九月一七日に生まれ、現在四八歳であるが、幼少のころから知能程度が低く、成長してからも独力で生活していくことができず、民法上の意思無能力者とまではいえないけれども、日常生活や財産管理等につき、他人の監護を要する状況であって、請求者は被拘束者と同居して、日常生活の世話や財産の管理等事実上の後見人として被拘束者を監護してきた。

3  本件紛争の発端

(一) 被拘束者は、その財産の一部として、亡一郎からの遺贈により、京都市北区上賀茂○○町二七番宅地五〇二・〇〇平方メートル(以下「本件土地」という。)につき、拘束者乙山フユとともに各二分の一の共有持分権を有していた。

(二) 本件土地上には拘束者丁原夏子が結婚のため家屋を新築したが、右家屋の建築中である昭和五四年四月頃、拘束者らは、被拘束者の右財産を乗取ろうと企て、拘束者丁原夏子が請求者に対し、「家を新築するには共有者である太郎(被拘束者)の実印が必要である。」等と嘘を言って、その実印を騙取し、これを利用して、本件土地の被拘束者の持分全部を拘束者丙川春子、同丁原夏子(持分各四分の一)に移転する旨の登記手続(京都地方法務局左京出張所昭和五四年九月二五日受付第二四四六四号)をした。

(三) そこで、被拘束者は、請求者代理人坪野弁護士らに委任して、昭和五四年一〇月一一日拘束者丙川春子、同丁原夏子に対し、処分禁止の仮処分申請をし、同月三〇日には、右持分移転登記の抹消登記手続を求める本案訴訟を提起し、さらに、請求者は、同年一一月一二日被拘束者を準禁治産者、請求者を保佐人とする旨の準禁治産宣告の申立をした。

4  拘束者らの被拘束者の拘束及びその不当の顕著性

このような請求者や被拘束者の財産保全の動きに対し、被拘束者の財産を乗取らんとする拘束者らは、共謀のうえ、拘束者丁原夏子において、昭和五四年一〇月二二日被拘束者が清掃員として勤務しているK大学へ赴き、言葉巧みに被拘束者を連れ出し、拘束者らにおいて、以後同年一一月五日までは、当時の拘束者丁原夏子の住所である京都市中京区△△△△△町××番地Aマンション三〇一号室において、同月六日以後は札幌市の拘束者乙出フユの肩書住所地において、被拘束者を軟禁し、酒食をもてなす等の詐欺的利益誘導や、「甲野ハナ(請求者)の所へ帰ったら、ハナから殴られたり、警察や裁判所へ連れていかれたり、精神病院に入れられるぞ。」と脅迫して、知能の低い被拘束者を心理的に束縛する等して、被拘束者の身体の自由に不当な拘束を加え、その間、被拘束者に無理矢理前記仮処分や本案訴訟の取下書に署名押印させた。

拘束者らの被拘束者に対する右拘束は、前記3(三)の紛争を自分らに有利に解決するためのものであり、一時的には被拘束者は甘やかされ、うわべだけの幸福な生活を送ることがあるかもしれないが、右紛争が三年・五年と長びくか、或いは拘束者らが手に入れた財産を確保できた暁には、被拘束者への甘やかしはなくなり、被拘束者は捨てられたり、精神病院へ入院させられることは確実であって、被拘束者にとって右うわべだけの幸福は真の幸福とはいえず、今までどおり、請求者の監護のもとで生活する方がより幸福であることは明らかであり、被拘束者は自由意思に基づかずに不当に拘束されているというべきである。

5  よって、請求者は、人身保護法二条、同規則四条により被拘束者の救済を求める。

二  拘束者らの請求の理由に対する認否と主張

1  請求の理由1は認める。

2  同2のうち、被拘束者が昭和六年九月一七日生まれであること、知能程度が若干低いこと、民法上の意思無能力者ではないこと、及び請求者と同居してきたことは認めるが、その余は否認する。

被拘束者は、若干知能が低いとはいえ、既に五〇年近い人生の社会的経験を通して学習効果をあげ、日常生活に必要な判断・行為についてはひとりでよくなしうるのであって、幼児と同様な監護を要する状況にはない。

3  同3(一)は認める。

同3(二)のうち、拘束者丁原夏子が本件土地上に結婚のため家屋を新築したこと、本件土地の被拘束者の共有持分全部につき、拘束者丙川春子、同丁原夏子に持分移転登記がなされたことは認めるが、その余は否認する。

被拘束者は、昭和五四年八月二日頃、拘束者丁原夏子、同丙川春子に対し、請求者に奴隷のように働かされたり、暴力を振われたりする請求者との生活がいやでたまらないこと、自分の持っている財産を二人にあげるから面倒をみて欲しいことを涙を流して切々と訴え、その後も度々同じことを繰り返して訴えるので、右拘束者らは、同年九月二五日被拘束者から贈与を原因とする持分全部移転の登記を受けたものである。

同3(三)のうち、坪野弁護士が被拘束者の代理人として、仮処分申請、本案訴訟の提起をしたこと、請求者が被拘束者を準禁治産とする旨の申立をしたことは認めるが、仮処分、本案訴訟につき坪野弁護士が真実被拘束者から代理権を与えられていたかどうかは疑わしい。

4  同4のうち、被拘束者が昭和五〇年一〇月二二日以降同年一一月五日までAマンション三〇一号室で拘束者丁原夏子とともに、同月六日以降は札幌市の拘束者乙山フユの住所で同人とともに生活していること、被拘束者が仮処分申請や本案訴訟を取下げたことは認めるが、その余は全面的に否認する。

5  拘束者らの主張

被拘束者は、現在拘束者乙山フユとともに生活しているが、それは意思能力ある被拘束者の希望に基づくものであって、拘束者らは、被拘束者をなんら拘束しておらず、仮に右が拘束にあたるとしても、被拘束者が拘束者らのもとで生活するよりも請求者のもとで生活する方がより幸福であることが明白であるといえず、拘束の不当が顕著ではないから、本件請求は理由がない。その詳細は、別紙二「昭和五五年一月七日付拘束者ら第一回準備書面」のとおりである。

三  請求者の反論と請求の理由の補充

別紙三「昭和五五年二月二一日付請求者準備書面」のとおり

四  被拘束者(代理人)の意見

別紙四「昭和五五年二月一八日付被拘束者の準備書面」のとおり

第三疎明《省略》

理由

一  本件紛争に至る経緯

請求の理由1(当事者の身分関係)、同2のうち、被拘束者が昭和六年九月一七日生まれであること、知能程度が若干低いこと、民法上の意思無能力者ではないこと、請求者と同居してきたこと、同3(一)(本件土地の所有関係)、(二)のうち、拘束者丁原夏子が本件土地上に結婚のため家屋を新築したこと、本件土地の被拘束者の共有持分全部につき請求者主張の登記がなされたこと、(三)のうち、請求者主張の仮処分申請、本案訴訟の提起及び準禁治産宣告の申立があったこと、同4のうち、被拘束者が請求者主張の期間、主張の場所で拘束者らと生活していること及び被拘束者作成名義の仮処分申請、本案訴訟の取下書が提出されたことは、当事者間に争いがない。

右争いのない事実と《証拠省略》によれば、次の事実(便宜上争いのない事実もあわせて記載する。)が疎明される。

1  請求者は亡甲野一郎同花子の二女、拘束者乙山フユはその四女、被拘束者はその六男であり、拘束者丙川春子、同丁原夏子は、右フユの長女及び二女である。

2  母花子は昭和九年五月二四日死亡し、当時一九歳であった請求者は、父の農業を手伝いながら、京都市北区上賀茂○○町二六番地、二七番地所在家屋番号二六番の居宅(以下「請求者宅」ともいう。)において、母親代りとなって、拘束者乙山フユ、被拘束者らの幼い弟妹の面倒を見ながら苦労を重ねてきた。そして被拘束者以外の弟妹たちは成長して右居宅を去っていったが、被拘束者は知能程度が低く、成長してからも独り立ちできなかった(その能力等については後に詳しくふれる。)こともあって、最終的には請求者、被拘束者が残り、父一郎とともに右居宅で生活してきた。

父一郎も昭和三九年九月二一日死亡し、以後、本件紛争に至るまで、請求者が被拘束者の面倒を見てきた。

3  一郎の遺産として、同町二六番宅地三六一・〇二平方メートル、同町二七番畑五〇二平方メートル(本件土地)、同町二八番山林三三平方メートル及び前記居宅(請求者宅)が存在し、一郎は、生前被拘束者の行く末を心配してか、その面倒を見てやれとか、被拘束者に財産の一部を遺贈する等の五男甲野五郎らに宛てた遺言書を五通も作成していたが、その作成日付等の関係で、右遺産を被拘束者と拘束者乙山フユに、持分各二分の一ずつ遺贈する旨の遺言公正証書が有効として扱われ、本件土地を除く不動産については、昭和四一年三月一六日その旨の遺贈登記がなされた。

これに対し、請求者らが反撥し、右遺言公正証書をめぐって紛争となったが弁護士坪野の妻坪野つたが仲裁に入って、昭和四一年六月一七日拘束者乙山フユの持分一部移転の登記が経由され、右紛争が解決した。その結果、右不動産につき、被拘束者が一二分の六、請求者、拘束者乙山フユ、一郎の長女優山コウ、三男良川乙夫、三女甲野テイ、五男甲野五郎が各一二分の一ずつの共有持分権を取得することとなった。

なお、本件土地は、地目が畑(農地)であった関係で、遺贈登記がなされず、登記簿上一郎名義のままであった。

4  拘束者丁原夏子は、昭和五四年に、本件土地上に、請求者やその兄弟の同意を得て、結婚のための新居を建築した。右建築途中である同年六月一六日本件土地につき前記遺言公正証書に基づき、被拘束者、拘束者乙山フユの持分を各二分の一とする所有権移転登記、同年八月三〇日畑から宅地への地目変更登記がなされ、次いで、被拘束者と拘束者丁原夏子、同丙川春子との間で成立した本件土地の被拘束者の共有持分全部を右拘束者二名に贈与するかわり、右拘束者二名が被拘束者の将来の面倒を見ていくという合意に従って、同年九月二五日同年八月一三日贈与を原因とする被拘束者の持分全部を、拘束者丁原夏子、同丙川春子(持分各四分の一)に移転する旨の共有持分権移転登記が経由された。

5  右贈与登記の存在を知った請求者は、右登記が被拘束者の同意を得ていない無効のものであると考え、昭和五四年一〇月六日頃被拘束者を伴い坪野弁護士を訪れ、右登記抹消等のための法的手段をとることを委任した。そして、その場で被拘束者は、請求者の手前、右贈与を自分の意思でしたと打ち明けることができず、右の法的手段をとることに強いて反対せず、かえってそれを望んでいるかのような言動をとったため、坪野弁護士は、被拘束者から訴訟委任を受けたものと判断し、同年一〇月一一日申請人を被拘束者、被申請人を拘束者丙川春子、同丁原夏子とする本件土地の右拘束者二名の持分につき処分禁止の仮処分申請をし、その旨の仮処分決定を得(翌一二日その旨の嘱託登記がなされた。)、さらに同月三〇日右贈与登記の抹消、共有物分割等の本案訴訟を提起した。また、同年一一月一二日には、請求者、甲野テイ、甲野五郎は、被拘束者を準禁治産者とする旨の宣告を求める申立をし、同年一二月二四日には、請求者、優山コウ、甲野テイ、甲野五郎、亡良川乙夫の相続人良川乙子、良川丙一、良川丙二は、原告となって、拘束者乙山フユ外二名を相手方被告として、遺贈無効を理由とする本件土地の拘束者乙山フユの持分二分の一につき、移転登記の抹消登記手続等を求める訴を提起した。

6  前記仮処分決定は、同年一〇月二〇日頃拘束者丁原夏子、同丙川春子に送達された。これに対し拘束者丁原夏子は、同丙川春子と電話で相談した結果、右仮処分申請が被拘束者の真意に出たものかどうか確認するため、同月二二日被拘束者が清掃員として勤務しているK大学へ赴き、被拘束者と面談したところ、その意思に変動がなかったので、被拘束者との前記合意に従って、同日以後被拘束者の面倒を見て行こうと決め、被拘束者を当時の住居で夫丁原夏夫とともに生活していた京都市中京区△△△△△町××番地のAマンション三〇一号室に連れ帰った。その後、被拘束者は、同月二五・六日と請求者宅に帰り、同月二六日には、請求者、拘束者丁原夏子、同丙川春子や親族の者ら多数が請求者宅に集まり、右贈与登記などをめぐって言い争いとなり大騒動が起ったが、同日以降拘束者丁原夏子が丁原夏夫と結婚式を挙げた同年一一月五日まで、Aマンションでともに生活した。

右結婚式後、拘束者丁原夏子は、夫夏夫とともに旅行に出、その後に移ることとなっていた本件土地上の新居が前記のように対立関係にある請求者の居宅の隣りであるため、被拘束者の面倒を見るわけにいかないので、拘束者乙山フユは翌六日被拘束者を連れて札幌市の住所地へ帰り、以後、本件訴訟や準禁治産宣告の申立の審理のため、一時期被拘束者を京都市へ連れ戻ったことはあるものの、現在のところ、札幌市の住所地で、内縁の夫乙川甲一とともに被拘束者の面倒を見ている。

なお、前記仮処分申請や本案訴訟の各取下書は、被拘束者が署名押印して、裁判所に提出されている。

以上のとおり認めることができ(る。)《証拠判断省略》

二  拘束者らの被拘束者に対する拘束の有無

1  被拘束者本人尋問の結果によれば、昭和五四年一〇月二二日被拘束者が請求者のもとから離れ、拘束者丁原夏子のAマンションへ移ったこと、同年一一月六日、拘束者乙山フユの札幌市の住所地へ移り、同所で拘束者乙山フユ、その内縁の夫乙川甲一とともに生活していることは、いずれも被拘束者の希望によるものであること、被拘束者は請求者のもとへ帰るのをきらい、将来にわたって拘束者らに面倒を見てもらうことを希望していることが認められる。

2  そこで、被拘束者の能力につき検討する。

《証拠省略》によれば、次のとおり認めることができる。

(一)  被拘束者は、現在四八歳の男性であるが、幼少のときから知能程度が低く、甲野家の経済事情からそれに相応した教育を受けなかったことも加わって、文字の読み書きができず、また観念的な数の概念の理解も充分でなく、簡単な計算すらできない。なお、最近になって、拘束者らが教育した結果、自分の名前だけは、たどたどしいカタカナで書くことができるようになった。

(二)  日常の身の回りの処理は不充分ながら自分なりに一応できる。例えば、請求者のもとで生活していた際には、着替え、下着類の洗濯等はほとんど自分でし、ただその後の整理整頓が不充分であり、請求者が手伝ったりしていた。また、食事についても、被拘束者が副食物を自分で料理することもしばしばあった。

(三)  是非善悪等の道徳的判断は一応十分行なうことができる。三八・九歳当時、近所の一二歳位の女児をさわったということで女児の父親から請求者宅に怒鳴り込まれたことがあった以外、現在まで、とりたてて問題とする非行はみあたらない。

(四)  昭和三五年頃から一年間、府立植物園で日雇として、昭和四〇年には××瓦店でそれぞれ働いたことがあった。そして昭和四六年頃から昭和五四年一〇月二二日(拘束者丁原夏子のAマンションへ移った日)まで継続して、K大学の校務員として勤務していた。右校務員の仕事内容は、定年退職後の再就職者らとともにする教室、廊下、便所等の掃除であり、別段体力を要する仕事ではなかった。

K大学へは前記居宅から近かったこともあって、自転車を使って一人で通勤し、月給は約三万円程度であり、これを請求者に渡して、その中から毎月三〇〇〇円を小遣として貰っていた。また、ボーナスは一度も請求者に渡したことはなく自分一人で使っていた。

(五)  しかし、被拘束者は経済的価値に対する判断は著しく劣っており、釣銭の計算も充分行なうことができず、また、請求者が被拘束者の要求に従って、二万五〇〇〇円を渡したことがあったが、三日間位で全部使ってしまったことがあり、計画的に自分の小遣を使えるかどうかは疑問である。

(六)  会話能力については、ほとんど普通人と劣らない位の能力を備えている。現に、被拘束者本人尋問の際には、質問の趣旨を理解し、これに対し的確で流暢な応答をしている。その応答も記憶している事実をそのまま答えるのではなく、自分なりに有利・不利を理解して、努めて被拘束者らに有利な事実を供述しようとしていることが窺えた。

以上のとおり認めることができ、右認定を動かすに足る疎明はない。

右認定事実によれば、被拘束者は通常人に比して著しく経済的価値等に対する判断能力が劣っているのであって、財産上や生活上の重要事項の決定等につき、後見的な保護者が必要であるということができる。しかし、被拘束者は、昭和四六年頃から昭和五四年一〇月まで、大過なくK大学の校務員として勤務してきたこと、是非善悪の判断能力があること、会話能力はほぼ通常人並に備えていること等の前記認定事実を総合すれば、被拘束者は知能は低いものの、現在までの生活体験を通じて、それなりの社会的訓練を受けてきており、意思能力の全くない幼児と同視するわけにはいかず、自己の境遇を理解・判断し、それに従って行動する能力、即ち意思能力を備えているのであって、将来、自己が請求者のもとで生活するのと、拘束者らのもとで生活するのとではどちらが幸福かどうかは、独力で判断しうるということができる。

3  請求者は、拘束者らは被拘束者を軟禁し、詐欺的利益誘導や脅迫により、心理的束縛を加え、被拘束者の身体に不当な拘束を加えている旨主張する。しかし拘束者らが、被拘束者に対し有形力の行使を伴う強制力を加えたり、不当な脅迫行為を加えている事実を認めるに足る疎明は存在せず、また、請求者のいう詐欺的利益誘導が仮に存在したとしても、被拘束者が意思能力を有する以上、そのことのみにより直ちに、人身保護法上の拘束が存在するとまでは解することができない。

4  右1ないし3に記したところによれば、被拘束者は現在拘束者乙山フユとともに生活しているものの、それは意思能力ある被拘束者の希望によるものであって、拘束者らが不当な強制力を加えたことによるものでなく、人身保護法上の拘束に当らないと判断することができる。

三  以上の次第であって、請求者の本件請求は理由がないことが明らかであるからこれを棄却し、人身保護法一六条一項によって被拘束者を現に監護している拘束者乙山フユに引渡し、手続費用の負担につき同法一七条、同規則四六条、民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 田坂友男 裁判官 東畑良雄 岡原剛)

<以下省略>

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