大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

京都地方裁判所 昭和45年(ワ)690号 判決 1974年10月25日

原告

安江やす

外一名

原告ら訴訟代理人

青木英五郎

外一名

被告

株式会社京都国際ホテル訴訟承継人

藤田観光株式会社

代表者

小川栄一

訴訟代理人

香山仙太郎

外二名

主文

一  被告は原告安江やすに対し金一八一万五、〇〇〇円と、うち金一六四万五、〇〇〇円に対する昭和四二年四月一六日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告は原告安江忠之助に対し金七万円と、うち金六万円に対する昭和四五年六月一〇日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告らのその余の請求を棄却する。

四  訴訟費用中、原告安江やすと被告との間に生じた分は四分し、その三を同原告の、その余を被告の各負担とし、原告安江忠之助と被告との間に生じた分は同原告の負担とする。

五  この判決は原告らの勝訴部分に限り、仮に執行することができ、被告は原告安江やすに対し金一〇〇万円、原告安江忠之助に対し金五万円の各担保を供しして仮執行を免れることができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

被告は原告安江やすに対し、金一、三二八万五、一七一円と、うち金一、二五三万五、一七一円に対する昭和四二年四月一六日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

被告は原告安江忠之助に対し、金五〇〇万八、三〇四円と、うち金四二五万八、三〇四円に対する昭和四五年六月一〇日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

との判決と仮執行の宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

との判決。

第二  請求の原因事実

一  火災の発生と訴外亡千坂郁子の死亡

千坂郁子は、昭和四二年四月五日当時、訴外株式会社国際観光会館(以下訴外会社という)が経営する京都国際ホテル(京都市中京区油小路二条下る二条油小路町二八四番地所在)にルームメイドとして勤務していた。

千坂郁子は、同日午前八時五〇分ころ発生した本件ホテルの火災の熱気や猛煙などの悪条件の中で、その七階で宿泊客の避難誘導や消火作業に従事したため一酸化炭素中毒、急性黄色肝萎縮症に罹患して同月一五日死亡した。

二  火災の原因

訴外会社は、本件ホテルに設置されたダストシュート内に可燃性の塩化ビニール製のコンクリート用型枠材をコンクリート打ち後も放置していたところ、訴外会社の従業員が完全に消えていない煙草のすいがらをこのダストシュート内に投棄したため、その火が右型枠材に着火して燃え拡がり本件火災となつた。

三  訴外会社の責任

(一)  訴外会社の使用者責任

ダストシュートからの出火例は極めて多く、もし完全に消えていない煙草のすいがらをこの中に投葉すると、その火がダストシュート内の可燃物に着火して燃え拡がり火災が発生する危険がある。そして、このことは通常人には、十分予見することができた。

そうである以上、前記訴外会社の従業員は、可燃物のあるダストシュート内に煙草のすいがらを投棄してはならなかつたし、かりにこれを投棄する場合には、完全にすいがらの火が消えていることを確認しておかなければならなかつた。同従業員は、この注意義務を怠つて本件火災を発生させた。

訴外会社は、使用者としてその従業員が業務を執行中前記過失によつて千坂郁子や原告らに加えた後記損害を賠償する責任がある。

(二)  訴外会社の工作物責任

前記ダストシュートは、土地の工作物であるが、その内部にはコンクリート打ち後は取りはずすべき可燃性の塩化ビニール製型枠材が放置され、本件火災はこのため発火拡大したものであるから、土地工作物の設置保存に瑕疵があつた。そうすると、その占有者である訴外会社は、千坂郁子や原告らが被つた後記損害を賠償する責任がある。

(三)  訴外会社の一般不法行為責任

訴外会社は、旅館営業者として、消防法所定の消防用設備を設置し、維持しなければならず(同法一七条)、また防火管理者を選任し、適正な消防計画を作成し、当該消防計画に基づく訓練を実施し、火災発生の場合には的確な消火作業や宿泊客の避難誘導ができるように準備すべきであつた(同法八条)のに、訴外会社は、本件出火当時、警報設備を故障したまま放置して消防用設備を維持せず、火災発生後も、従業員に対して消火作業や宿泊客の避難誘導のための的確な指示をせず、火災発生後約一七分間も消防署に対する通報さえしなかつた。

千坂郁子は、訴外会社のこの注意義務の懈怠によつて、長時間悪条件の中で宿泊客の避難誘導や消火作業に従事せざるを得なくなり、そのため前記疾病に罹患して死亡したのであるから、訴外会社は、千坂郁子や原告らの被つた後記損害を賠償する責任がある。

四  損害

(一)  千坂郁子に生じた損害

(1) 逸失利益 金五〇三万五、一七一円

千坂郁子は、死亡当時訴外会社で一ケ月金二万〇、二六〇円の賃金と、宿泊客から一ケ月平均金一、五〇〇円のチップと、年間金五万七、〇〇四円の賞与を得ていたが、当時二〇才(昭和二一年一〇月三〇日生)で、なお四三年間就労が可能であつた。そこで死亡時の収入を就労可能期間中の平均収入として、これから生活費としてその三割を控除し、ホフマン方式によつてその現在価値を算出すると金五〇三万五、一七一円になる。

{(20,260+1,500)円×12+57,004円}×0.7×22.611=5,035,171円

(2) 慰藉料  金二五〇万円

千坂郁子は、本件火災現場で極度のショックを受け、前記疾病のため頭痛、目まい、咽頭痛、下痢などの症状に苦しんだ後死亡したものであり、本件事故の発生事情やその結果、その他諸般の事情を勘案すると、その被つた精神的苦痛を慰藉すべき金額は、金二五〇万円が相当である。

(二)  相続

原告安江やすは、千坂郁子の母でその唯一の相続人であるから、千坂郁子の前記損害賠償請求権の全部を相続によつて承継取得した。ただし、千坂郁子には実父があるが、その生死は不明である。

(三)  原告らに生じた損害

(1) 原告安江やすの慰藉料

金五〇〇万円

同原告は、その子である千坂郁子を失つたうえにその後の訴外会社の不誠実な態度によつてはかり知れない精神的苦痛を被つたが、その精神的損害に対する慰藉料は、金五〇〇万円が相当である。

(2) 原告安江忠之助に生じた損害

金四二五万八、三〇四円

同原告は、千坂郁子が二才のころから、これと同居して養育した事実上の養父であるが、千坂郁子の死亡以来今日までその労災保険給付の受給や本件火災の不審点の追求のため東奔西走した費用および葬儀費用として金二二五万八、三〇四円を支出した。また同原告は、日本開発工業株式会社取締役、社団法人林野保存会専務理事、藤増総合化学研究所理事、山蔭フジベトン株式会社取締役などをかねていたが、本件火災に関する前記の活動のために二〇〇余日間その仕事ができず、金二〇〇万円の損害を被つた。

(3) 弁護士費用

原告ら各金七五万円

訴外会社は、任意にその支払いをしないので、原告らは、やむなく本件原告ら訴訟代理人に本件訴訟の提起と追行を委任し着手金として金五〇万円を支払つたほか、成功報酬として認容額の一割を支払う約束をした。以上の金員を合計すれば金一五〇万円を下らない。従つて、原告らが、本件事故と相当因果関係のある弁護士費用の損害として訴外会社に負担を求めうる金額は、各、右金員の二分の一である金七五万円が相当である。

五  被告会社の損害賠償義務の承継

(一)  訴外株式会社京都国際ホテル(以下訴外ホテルという)は、昭和四二年六月二四日ころ、訴外会社から本件ホテルの営業を譲り受けた。

(二)  本件火災発生当時の訴外会社の代表取締役であつた小川栄一は、訴外ホテルの代表取締役に就任し、訴外会社の取締役であつた者のうち五名の者が訴外ホテルの取締役や監査役に就任したほか、訴外ホテルは訴外会社同様京都国際ホテルの名称を続用して旅館営業を行つていた。このように訴外会社と訴外ホテルは実体に変化はなく、本件ホテルにおける営業に起因する法律関係については両会社は同一視されるべきものであつて、訴外ホテルは原告らに対する損害賠償義務があつた。

(三)  訴外ホテルは、訴外会社から本件ホテルの営業を譲り受けた際、本件ホテルの営業に関する訴外会社の債務を引き受ける旨の合意をしているから、原告らは、昭和四六年二月二日本件第四回準備手続期日で、右債務の引受を承認する旨の意思表示をした。従つて訴外ホテルは原告らに対する損害賠償義務を引き受けた。

(四)  訴外会社は、本件ホテルの営業に関して自己を表示するため、登記簿上の商号でない京都国際ホテルの名称を事実上の商号として使用していたところ、訴外ホテルは、その商号として同一の名称を続用していた。従つて本件の場合は商号の続用に準ずるものと解すべきであつて、商法二六条が準用されるから、訴外ホテルは原告らに対する損害賠償義務があつた。

(五)  訴外ホテルは、死亡した千坂郁子の労災保険金請求手続を原告らに代わつてしており、その請求書では千坂郁子の死因は本件火災であることを自認していたから、これによつて原告らに対する債務の引き受けを広告したことになり、原告らに対する損害賠償義務を負つていた。

(六)  訴外ホテルは、昭和四七年九月四日、被告会社と吸収合併して解散したから、被告会社は、訴外ホテルの右損害賠償義務を承継した。

六  結論

原告安江やすは、被告会社に対し、金一、三二八万五、一七一円とこれより弁護士費用の損害を控除した金一、二五三万五、一七一円に対する千坂郁子の死亡の日の翌日である昭和四二年四月一六日から払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを、原告安江忠之助は被告会社に対し、金五〇〇万八、三〇四円とこれより弁護士費用を控除した金四二五万八、三〇四円に対する本件訴状が被告に送達された日の翌日である昭和四五年六月一〇日から支払いずみまで同割合による遅延損害金の支払いを求める。

第三  請求の原因事実に対する認否

一  原告ら主張の本件請求の原因事実中第一項の事実のうち、原告ら主張の各日時に、千坂郁子が訴外会社の経営する本件ホテルにルームメードとして勤務していたこと、本件ホテルで火災が発生したこと、千坂郁子が死亡したこと、以上のことは認めるが、その余の事実は知らない。

二  同第二項の事実のうち、本件火災の出火場所がダストシュート内であることを認め、その余の事実は否認する。

三  同第三項の事実は否認する。

ただし、訴外会社に原告ら主張の消防法上の注意義務があつたことは認める。

四  同第四項(一)の事実のうち、千坂郁子が死亡当時訴外会社で一ケ月金二万〇、二六〇円の賃金と年間金五万七、〇〇四円の賞与を得ていたこと、千坂郁子が死亡当時満二〇才であつたことを認め、その余の事実は争う。同(二)の事実のうち、原告安江やすが千坂郁子の母であることは認めるが、同原告が唯一の相続人ではない。千坂郁子には、実父千坂某が生存している。同(三)の損害額を争う。

五  同第五項の事実中(一)の事実を認める。同(二)の事実のうち、本件火災発生当時訴外会社の代表取締役であつた小川栄一が訴外ホテルの代表取締役に就任し、訴外会社の取締役であつた者のうち五名の者が訴外ホテルの取締役または監査役に就任していることを認め、その余の事実は否認する。同(三)の事実は認めるが、債務引受契約の目的のうちに、本件損害賠償債務は含まれていない。同(四)、(五)の事実は否認する。同(六)の事実のうち、訴外ホテルが被告会社と吸収合併して解散したことは認めるが、その余の事実は否認する。

第四  証拠関係<略>

理由

一訴外亡千坂郁子が、昭和四二年四月五日ころ訴外株式会社国際観光会館(以下訴外会社という)の経営する京都国際ホテルにルームメイドとして勤務していたこと、同日午前八時五〇分ころ右ホテルで火災が発生したこと、千坂郁子が同月一五日死亡したこと、以上のことは当事者間に争いがなく、<証拠>によると、その直接死因は急性黄色肝萎縮症であつたことが認められ、この認定に反する証拠はない。

二訴外会社の責任原因

<証拠>を総合すると次のことが認められ、この認定に反する証拠はない。

本件火災は、同日午前六時三〇分ころ、本件ホテル従業員訴外奥村良一が、ごみとともに完全に消えていない煙草のすいがらを三階のダストシュート内に捨てたために、同日午前九時ころ、ダストシュート内の可燃性のごみや、ダストシュート内部にコンクリート打ち後もはずさないで放置されていた塩化ビニール製のコンクリート用型枠材に発火して燃え拡がり、一〇階建、塔屋二階、地下一階の本件ホテルのうち七階ないし一〇階および塔屋一階を焼失ないし焦焼し、同日午前一〇時三〇分鎮火し、宿泊客および従業員に計一三名の負傷者を出した。

右認定事実によると、訴外会社の従業員は、ダストシュート内に可燃物のあることを予想し、ごみを投棄する場合にはその中に煙草のすいがらが含まれていないか、そのすいがらが完全に消されているかを確認のうえ投棄すべき注意義務があるのに、これを怠つて漫然と火のついたままの煙草のすいがらをごみと一緒にダストシュート内に投棄した過失がある。

そうすると、訴外会社は、右従業員の不法行為について使用者として民法七一五条によつて千坂郁子および原告らに生じた損害を賠償すべき義務がある(原告らの主張するそのほかの責任原因の判断をしない)。

三次に、本件火災と千坂郁子の死亡との因果関係について判断する。

(一)  前記当事者間に争いのない事実や、<証拠>を総合すると次のことが認められ、この認定に反する証拠はない。

(1)  千坂郁子は、本件火災当日午前七時三〇分に出勤し、午前九時ころ七階のステーションで同僚の水口弘子らと掃除の準備をしていたところ、水口弘子がダストシュートの投入口から煙が出ているのに気づき、その蓋を開けたところ、ダストシュート内部から火炎が吹き上がり近くの壁に掛けてあつた木製黒板に着火して天井板に及んだ。千坂郁子は、同僚のルームメイドらとバケツ水で消火にあたる一方、火災発生を事務所に電話連絡しようとしたが、時を同じくして各階でも火災の発生が認められたため通報が重なり連絡がとれなかつた。その間、火災は拡大して手におえなくなつたので、千坂郁子は、七階の宿泊客へ火災発生を知らせ、下階へ誘導して避難させた。

(2)  千坂郁子は、本件火災直後、頭痛、吐気、寒気などを覚え、午前一〇時ころホテルの診療室へ行き西川元造医師の診察を受けた。同医師は、千坂郁子が顔面を蒼白にして泣きじやくるだけで問診に十分な回答をせず、血圧四〇ないし八八(ミリメートルHg)、脈搏六八で、極度のショック症状を呈しているのを認めて寝台に寝かせ、強心剤、ぶどう糖、ビタミンB1、B2、Cなどの混合した静脈注射を施し、さらに脚部のマッサージをした。その間嘔吐が一回あつたか唾液だけの軽度なものであつた。

千坂郁子は、診療室の寝台で安静にしていたが、約二時間後の午後一時ころには、気分がよくなり、血圧、脈搏ともにほぼ正常に戻り、吐気はほとんどなくなり、午後三時すぎ、看護婦のすすめに従つて当日の勤務をあきらめて帰宅することにし、一人で七階の私室に行き私物をまとめたうえタクシーで帰宅した。

(3)  ところが、千坂郁子は、自宅に帰ると玄関に倒れ込むような形で坐り込み、原告安江やすに疲労感や咽頭痛などを訴え、「しんどいから医者に行くのは明日にする。」といつてすぐ就寝した。

(4)  千坂郁子は、翌六日、ホテルを欠勤し自宅で静養していたが、頭痛、眩暈、全身倦怠感、悪心、食欲不振、咽頭痛、下痢などの症状が続くため、その夜梅鉢病院で受診した。同病院の北沢正明医師は、これらの症状は本件火災の際に一酸化炭素や煙を吸入したためのものと診断し、自宅で安静にするよう指示した。

(五) 千坂郁子は、翌七日、ホテルの診療室で受診するため出勤したが、上司から指示されてそのまま帰宅したものの、下痢以外の前記症状が続き、全身倦怠感や悪心はむしろ増強した。

千坂郁子は、同日夜梅鉢病院で北沢医師の診察を受けたところ、眼球結膜には異常が認められなかつたものの、全身に極軽度の黄疽色が認められたので、同医師は、尿ウロビリノーゲン反応検査を実施したが同医師はこの検査結果を陰性と判断した(この判断の正確性は疑しい)。

(6)  千坂郁子の前記症状は翌八日朝になつても改善されなかつたので、再び梅鉢病院で受診したところ、北沢医師は、下痢、食欲不振、悪心という症状から急性胃腸炎と診断したが、眼球結膜に軽度の黄疽色が認められたため、急性肝炎の発病を疑い、採血、採尿のうえ、京都微生物研究所に肝機能検査を依頼した。この検査結果は、同月一一日判明したが、血液中には平均値の約一〇倍の強い黄疽色素が認められたほか、コバルト反応、ルゴール反応、GPT検査の結果には肝機能の高度の障害が認められ、急性肝炎に罹患していることが確実になつた。

(7)  千坂郁子は、同月一〇日、京都大学病院で受診したが、すでに眼球結膜には明瞭な黄疽色があらわれていた。このため同病院の白川茂医師は、急性肝炎と診断し入院の必要を認めて直ちに手続をさせたが、当時同病院は満床であつたためベッドが空くまで自宅で臥床し、絶対安静を保つことを指示しただけにとどまり、他の即日入院可能な病院を紹介したりしなかつた。そこで千坂郁子は、やむなく同病院から帰宅を余儀なくされた。なお同医師の腹部触診の結果では肺肝境界右乳線上第六肋骨肝右乳線上肋骨弓下に一横指がやわらかく肝に触れることができた。しかし、まだこの段階では肝萎縮の状況は認められなかつた。さらに後日判明したこの時の精密検査の結果によると、血液中の黄疽色素は、前々日(八日)よりさらに増強し、白血球数にはビールス感染を思わせる減少症状があらわれていた。

(8)  千坂郁子は、一二日には全身倦怠感が強く独歩が困難な状況に陥り、京都警察病院に入院したが、入院後は意識はほとんど消失し、嗜眠状態が続き、全身には中程度の黄疽が認められ、右手に硬直傾向があらわれ、腹部打診の結果は肝臓に著明な萎縮状態が認められた。同病院の医師らは、急性黄色肝萎縮症と診断し直ちにその治療を開始した。しかし、千坂郁子は、同月一三日、意識が全く消失し、バビンスキー反射は強陽性となり、発熱を来し、翌一四日、口中からの出血に対し、止血剤を投与したが効果がなく、また全身にけいれんが起り、血圧は上昇の傾向を示し、翌一五日朝、対光反射も消失し、同日午後血圧の低下が始まり午後二時四〇分死亡した。

(二)  ところで急性黄色肝萎縮症(この名称は病理学上の名称であり、臨床学上は劇症肝炎の名称が用いられている)は、肝実質が広汎かつ高度に破壊し、著しい肝機能障害をおこす重症汎発性疾患であり、ビールス性肝炎や中毒性肝炎などの急性肝炎とは本質的には同一疾患であり、急性肝炎の一%ぐらいのものが何らかの原因でこれに移行するものである。

そして、その初期には一、二週間ぐらい(二、三日間という短期間の場合もある)、比較的軽い伝染性肝炎様の症状を示し、全身倦怠感、食欲不振、悪心、嘔吐、頭痛、腹部の不快感ないし疼痛などがあり、時には関節炎を訴え発熱をみることもあり、脱力感は漸進的で、この時期にすでに黄疽をみることもある。

次に黄疽期に入ると、一般状態は急速に悪化し、末期には重篤な神経症状をあらわし、黄疽は徐々に発生し、多くの例では急速に強くなる。黄疽期に入ると肝は急速に萎縮し、末期には肝性昏睡とよばれる脳神経症があらわれ、いわゆる前昏睡期を経て、意識障害、錯乱、譫妄など興奮状態が一両日持続し、ついに昏睡状態に陥り死の転帰をみる。脳症状があらわれてから死亡するまでの期間は三、四日のことが多い。

(三)  千坂郁子は、前記経過からして、急性肝炎から急性黄色肝萎縮症に病状が増悪して死亡したものと確認するこができる。しかし、千坂郁子が本件火災により一酸化炭素などの有毒ガスによる中毒になつたことを認めるに足りる証拠はなく(北沢正明医師の一酸化炭素中毒であるとの診断は採用しない)、従つて千坂郁子が、中毒性の急性肝炎に罹患した可能性は認め難い。

また京都大学病院での精密検査の結果、ビールス感染を思わせる白血球減少症状が認められたことから考え、千坂郁子の急性肝炎はビールス性のものであると推認でき、しかも甲第一二号証の一四、一五によると、千坂郁子が火災事故前から食事が進まず、いつも疲れた様子であつたことが認められるから、肝炎ビールスの潜伏期を併せ考えたとき、千坂郁子は、本件火災発生以前にすでに肝炎ビールスに感染していたものと推認できる。

(四)  千坂郁子は、本件火災発生当時すでに肝炎ビールスに感染していたのであるから、肉体的、精神的安静を保ち、適切な療養を要する状態にあつた。ところが、本件火災は、千坂郁子に消火作業や宿泊客の避難誘導などの精神的、肉体的負担を与えてしまい、これが千坂郁子の罹患したビールス性肝炎の発症進行を促進させ、急性肝炎の本来の症状の経過に悪影響を及ぼし、急性黄色肝萎縮症に移行させ死亡にまで発展させたといえる。

そうすると、本件火災が、千坂郁子の死亡の一原因になつたことが明らかである以上、本件火災の発生と千坂郁子の死亡との間には法律上相当因果関係があるものと認めるのが相当である。

(五)  しかし、千坂郁子の死亡は、単に本件火災による肉体的精神的過労ばかりではなく、なによりも本件火災以前に千坂郁子がすでに肝炎ビールスに感染していたこと、医師らが、本件火災発生後ことに黄疽発症後、千坂郁子をいち早く入院させて絶対安静を保たせ、肝炎が急性黄色肝萎縮症に移行しないようその経過を慎重に観察しなかつたことにも起因する。

とりわけ、若い女性の肝炎は、急性黄色肝萎縮症に移行する率が高い(前掲乙第一二号証によつて認める)のであるから、医師は、特にこのことに留意して逐次十分な肝機能検査をし、その検査の結果が判明するまでは、特に安静を保たせるべきである。京大病院の医師は、千坂郁子の入院の必要を認めながら肝機能検査の出ていない段階で満床を理由に入院させず、他の入院可能な病院を紹介しなかつたことは軽率な措置といわなければならない。

そこで、当裁判所は、千坂郁子の死亡に対する三要素(千坂郁子がすでにビールス性肝炎に罹患していたこと、本件火災のショック、医師の不適切な措置)の寄与の程度を勘案し、本件火災の寄与している限度で賠償責任を負担させるのが衡平の理念に照し相当であると考える。

そして右認定の諸事情に鑑み、千坂郁子の死亡のうち、本件火災発生に起因する部分は、三割程度であるとするのが至当である。

四損害

(一)  千坂郁子に生じた損害

(1)  逸失利益 金七九万円

死亡時の年令 二〇才

(当事者間に争いがない)

就労可能年数 六三才まで四三年間

月収    金二万〇、二六〇円ほかに年間賞与金五万七、〇〇四円

(当事者間に争いがない。なおチップの収入を認めることができる的確な証拠がない)

生活費控除  二分の一

(20,260円×12月+57,004円)×

0.5×17.54911(43年のライプニツツ係数)≒2,633,000円)(1,000円未満4拾5入)

右金二六三万三、〇〇〇円の逸失利益のうち、前記本件火災の寄与度を勘案し、そのうちの三割にあたる金七九万円(一、〇〇〇円未満四拾五入)が本件火災による千坂郁子の逸失利益の損害になる。

(2)  慰藉料 金五〇万円

本件に顕われた諸般の事情を斟酌し、前記三割の寄与率を考慮のうえ、千坂郁子の本件事故による精神的苦痛に対する慰藉料は金五〇万円が相当である。

(二)  相続

原告安江やすが千坂郁子の母であることは当事者間に争いがない。<証拠>によると、千坂郁子は、同原告と訴外千坂有三との間に生れた子であり(父母は昭和二七年協議離婚)、千坂有三は生死不明であることが認められ、この認定に反する証拠はない。

そうすると、千坂郁子の訴外会社に対する損害賠償請求権のうち、同原告が相続した部分は、その二分の一の金六四万五、〇〇〇円である。

(三)  原告安江やすの慰藉料

金一〇〇万円

本件に顕われた諸般の事情を斟酌し、千坂郁子の死亡による同原告の精神的苦痛に対する慰藉料は金一〇〇万円が相当である。

(四)  原告安江忠之助の損害

同原告が損害として主張するものは葬儀費をのぞきいずれも本件火災事故によつて通常生ずべき損害ということはできないし、訴外会社がこのような特別の事情を予見し、もしくは予見しえたと認めるに足りる証拠はない。そこで同原告の損害は、葬儀費についてだけ認める。

同原告が千坂郁子の実質上の養父として葬儀費を支出したことは弁論の全趣旨によつて認める。そして、その費用中、損害として訴外会社に賠償が求められる範囲は、金二〇万円を下らないことは経験則上明らかである。

そこで、その三割である金六万円を本件の損害として訴外会社に負担させる。

(五)  弁護士費用

原告安江やすは、金一六四万五、〇〇〇円の、原告安江忠之助は金六万円の支払いを訴外会社に求められるところ、原告らは本件原告ら訴訟代理人に訴訟委任をしたことは当裁判所に顕著な事実であるから、弁護士費用中本件事故の損害として訴外会社に負担が求められる金額は、原告安江やすについて金一七万円、原告安江忠之助について金一万円が相当である。

五被告会社の損害賠償債務の承継

請求の原因事実中第五項(一)の事実、同項(三)の事実のうち、訴外株式会社京都国際ホテル(以下訴外ホテルという)が訴外会社から本件ホテルの営業を譲り受ける際、本件ホテルの営業に関する訴外会社の債務を引き受けたこと、原告らが、昭和四六年二月二日本件第四回準備手続期日で右債務の引き受けを承認する旨の意思表示をしたこと、同項(六)の事実のうち、訴外ホテルが被告会社に吸収合併されて解散したこと、以上のことは当事者間に争いがない。

ところで、被告会社は、訴外会社と訴外ホテルの営業譲渡に際して、本件損害賠償債務は除外されたと主張するが、この事実が認められる証拠はない。そうして、通常営業全部の譲渡の場合、すべての債権債務が譲受人に引きつがれるものであり、特別例外の場合は、そのことを指摘して除外するわけであるが、営業譲渡契約書(<証拠略>)には、なんらそのような除外の定めはない。

そうすると、訴外ホテルは、訴外会社から、原告らに対して負担する損害賠償債務を、譲り受け、被告会社は、訴外ホテルを吸収合併することにより、この債務を承継したとしなければならない。

六むすび

原告安江やすは、被告会社に対し、金一八一万五、〇〇〇円と、うち金一六四万五、〇〇〇円に対する千坂郁子の死亡の日の翌日である昭和四二年四月一六日から支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求めることができ、原告安江忠之助は金七万円とうち金六万円に対する本件訴状が被告会社に送達された日の翌日であることが当裁判所に明らかな昭和四五年六月一〇日から支払いずみまで同割合による遅延損害金の支払いを求めることができるから(弁護士費用の損害の遅延損害金については、弁護士費用が現実に支払われたことの主張立証がないから、これについての遅延損害金は認容できない)、原告らの本件請求をこれらの限度で認容し、その余の各請求を失当として棄却し、民訴法八九条、九二条、一九六条に従い、主文のとおり判決する。

(古崎慶長 折田泰宏 高橋文仲)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例