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京都地方裁判所 昭和43年(わ)586号 判決 1969年12月25日

被告人 中川博

昭一九・一・五生 無職

主文

被告人を無期懲役に処する。

未決勾留日数中五百日を右刑に算入する。

押収してある一二吋三一A型ナシヨナルテレビ一台(昭和四三年押第一三一号の7)は、被害者樋口つるゑの相続人に還付する。

理由

(被告人の経歴ならびに本件犯行に至るまでの経緯)

被告人は、父中川久雄、母ノヱの長男(一人息子)として出生し、昭和二〇年ごろから衣類の行商をはじめた両親のもとで養育され、京都市内の唐橋小学校、八条中学校を経て、昭和三七年三月私立花園高等学校商業科を卒業後、京都機械株式会社に遠心分離機の製品試験見習工として就職したものの、遠隔地への出張が多かつたため両親が職場に不満をもち、結局その勤めに従つて同三九年一月二七日ころ右会社を退職したのを皮切りに、爾来転々と職場を変えていたが、右は給料その他の勤務条件に対する不満、業務に対する嫌怠、果ては身体の故障などにより、かつ、父親の意見にも強く影響されていたもので、いずれも長続きがしなかつた。

その後、昭和四一年二月ころ京都市南区の京都度器株式会社に作業員として勤務するようになつたところ、たまたま同会社に勤めていた三重県出身の坂本節子(当時一九年)と知り合い、間もなく同女と結婚して同棲生活に入つたが、そのころ、既に日本繊維株式会社に勤めていた北海道出身の加藤政子(当時一九年)と交際をし、結婚後も独身を装つて同女と肉体関係を続けていたので、同年五、六月ころ、これらのことがそれぞれ節子と政子の双方に露見するところとなり、そのため政子は北海道の親元に帰り、妻節子とは、家庭的な不和が昂じて同四一年八月協議離婚をするに至つた。しかるに、被告人は、政子に対する未練を絶ち切れず、同年九月ころ、北海道に同女を迎えに行き、その両親の反対を押し切つて同女を京都市に連れ戻し、親戚に寄寓させるなどして内縁関係を続けていた。そして、被告人は同四二年一〇月ころ、新たに同市下京区の特殊印刷機製造株式会社に就職し、同四三年一月一三日ころ、同市南区吉祥院車道町四九番地所在の隆清荘アパート二階一六号室を借り受け、政子とともに入居して、同棲生活をするようになつた。ところが、右会社は退職金制度もなく将来性に乏しいものとして、同四三年三月初旬ころ同会社を退職したうえ、同月下旬ころ同市南区の株式会社泰伸製作所に勤務し、政子もまた、被告人と前後して、そのころ勤務していた特殊印刷機製造株式会社を退職し、同じく株式会社泰伸製作所に勤務するようになつた。

一方、被告人の父久雄は、被告人に対するしつけが厳しく、被告人らの毎月の給料についても、そのまま父に手渡す旨指示し、その中から被告人らの生活費等を支給することにしていたので、被告人は、その指示に従い忠実にこれを守るようつとめていた。

しかるに、被告人は前記のように政子と前後して特殊印刷機製造株式会社を退職していながら、そのことをいずれも両親に秘匿していたうえに、株式会社泰伸製作所に就職して日が浅く、出勤日数も少ないため、三月分の給料が得られず、父に手渡すべき給料に苦慮した結果、同月三一日ごろ小、中学校時代の同級生平尾高義から、両親への見せ金として現金三〇、〇〇〇円を借り受けそのうち一九、〇〇〇円を政子の給料と偽つて父に手渡し、その全額を生活費として貰い受けたのであるが、これらの金員を元手にして少しでも金を儲けようと思いつき、かねて教えられていた同市南区の賭博場に出かけて行き、却つて約一八、〇〇〇円を費消してしまつた。そこで、いよいよ生活費等に困窮した被告人は、同年四月二日ころ、義兄の中川義雄から現金二五、〇〇〇円を借り受け、前同様父への見せ金に利用してその場をつくろい、父から一六、〇〇〇円を貰い受けたが、同じようにこれらを元手にして、同月六日ごろまで数回前記賭博場に出入りし、結局、さらに約三二、〇〇〇円を消失してしまつた。しかも、そのころ、被告人は、政子の妊娠中絶の手術や、自分の前記泰伸製作所の勤務が続かないことによる退職などが重なり、生計はますます逼迫するばかりとなつたのに、殆ど終日アパートの自室で寝転んで過ごしたり、パチンコに出かけて遊びに耽つたりする一方、両親の手前は、如何にも真面目に勤務しているように取りつくろつていた。

そうこうするうち、同年四月一四日朝、被告人は、政子とともに両親に連れられて大原方面へ出かけて行き、三千院、寂光院等を見物して同日午後五時ごろ同市南区唐橋芦辺町二〇番地の両親宅に帰り、夕食後テレビを見たりして時間を過ごし、同家に宿泊するつもりでいたが、そのうちに、義兄中川義雄から借用した二五、〇〇〇円の返済や、四月下旬に父に見せなければならない給料や、その他自分らの窮迫した生活費、小遣銭などのことで頭が一杯になり、切羽詰つた思いにかられて、ゆつくり両親宅に泊る気持にもなれなくなつたので、同日午後一〇時ごろ政子とともに隆清荘アパートの自室に帰り、間もなく就寝した。しかして、当時被告人らの手許には、僅か五〇〇円ぐらいしか所持金が残つていなかつたのである。

(罪となるべき事実)

被告人は、

第一  昭和四三年四月一五日午前二時ごろ、前記隆清荘アパートの自室で目をさまし、二階の共同便所で用を足しながら、あれこれ金策を思いめぐらしたあげく、ふと同じアパート二階一二号室に住んでいる樋口つるゑ(当時五二年)が、かねて独り住まいであり、水商売のようなところに勤めていて、いつも小綺麗な服装をしていることを想起し、必ずや小金を蓄えているに相違ないと考え、同女の室の両隣りがいずれも空室になつていることを奇貨として、同女方に忍び込んで金員を窃取しようと企て、直ちに自室に立ち戻り、内妻政子のナイロン製手袋(昭和四三年押第一三一号の10)を着用し、自室にあつたマイナスドライバー(同号の13)を携えて前記一二号室前に忍び寄り、その入口の板戸(同号の15)に装置された鎌型錠SKC11の鍵座を右ドライバーで取り除き、その鍵穴に右ドライバーを差し込み左方向に回して施錠を外し、右板戸を引き開いて、故なく同室内に忍び込み、おりから、樋口つるゑが飲酒酩酊のうえ、同室四畳半の間で熟睡しているのに乗じて、同四畳半の間入口寄りに置いてあつた同女所有の黒色ハンドバツグの中から現金六〇〇円を窃取し、さらに、室内のタンス、鏡台その他水屋の抽出などを物色したが、金目の物が見つからないままに、同室より立ち去ろうとした際、右のように室内を物色していたにもかかわらず、つるゑがいつこうに目をさます気配を示さなかつたのは、自分の行為に気付きながら狸寝入りしているのではないかとの疑惑を抱き、自分の犯行であることが発覚するのをおそれるの余り、その罪跡を湮滅するため、とつさに、同女を殺害しようと決意し、仰向けに寝ている同女の横上から、その顎に掛つていた掛布団の端を両手でめくり込むようにしながら指で、同女の頸部を強く絞扼し、よつて、間もなくその場において、同女を窒息により死亡させて殺害し、

第二  前同日午後四時三〇分ころ、判示第一のように殺害した樋口つるゑの死体がなおそのままの状態で存置してある前記隆清荘アパート二階一二号室四畳半の間において、右つるゑの所有にかかる一二吋三一A型ナシヨナルテレビ一台(昭和四三年押第一三一号の7)を窃取し、

第三  前同日の夜、内妻政子とともに、右窃取にかかるテレビを入質したり、手許にあつた電気ストーブと電気こたつを両親宅に届けたりしたあと、前記隆清荘アパートの自室で就寝したが、同日午後一一時三〇分ごろ目をさますや、殺害した樋口つるゑの死体のことが気にかかり、事件の発覚をおそれるの余り、判示第一、第二の各犯跡を隠蔽するため、前記一二号室内に新聞紙等を利用して工作を施し、これに放火して、恰も同女が喫煙しながら新聞を見ているうちに寝込んでしまい、たばこにより火を失して自ら焼け死んだように擬装しようと企て、翌一六日午前零時過ぎごろ、前記一二号室四畳半の間において、室内に置いてあつた新聞紙数枚をそれぞれ二つ折にし、これを、同女が掛けていた掛布団とその枕許の近くにあつた鏡台の両方に接着するようにして、その中間に敷き連ね、これら新聞紙の中央部付近に、同女がたばこの吸い殻入れに使用していたD型の罐を置き、自分の火をつけたままの吸いさし巻たばこ一本を右新聞紙の上に放置し、かつ、右新聞紙の二か所に所携のマツチで点火して火を放ち、右掛布団に燃え移らせうえさらに同室の畳等に引火させ、よつて、管理人大西きの外二〇数名の居住する前記隆清荘アパートの、二階一二号室内部の天井、壁、柱等、その北隣り一一号室内部の天井、壁等およびその上部に当たる屋根部分等に延焼させて、現に人の住居に使用する建造物を焼燬し、

第四  別紙(略)窃取行為一覧表記載のとおり、昭和四二年三月二四日ころから同四三年四月二日ころまでの間、前後一一回にわたり、京都市下京区麩屋町通松原下る路上外一〇か所において、山野恵子外一〇名の所有にかかるハンドバツグ一個ほか合計七六点(時価合計三七、〇八〇円)および現金合計七七、八八〇円を窃取し、

たものである。

(証拠の標目)(略)

(法令の適用)

被告人の判示所為のうち、第一の住居侵入の点は刑法第一三〇条前段、罰金等臨時措置法第三条第一項第一号に、強盗殺人の点は刑法第二四〇条後段に、第二および第四の各窃盗の点はいずれも同法第二三五条に、第三の現住建造物放火の点は同法第一〇八条にそれぞれ該当するところ、判示第一の住居侵入と強盗殺人との間には互いに手段結果の関係があるので、同法第五四条第一項後段、第一〇条により重い強盗殺人罪の刑で処断することとし、その所定刑中無期懲役刑を、判示第三の罪の所定刑中有期懲役刑をそれぞれ選択し、以上は同法第四五条前段の併合罪であるが、判示第一の強盗殺人罪について無期懲役刑を選択したので、同法第四六条第二項により他の刑を科さないこととして、被告人を無期懲役に処し、同法第二一条を適用して未決勾留日数中五〇〇日を右刑に算入し、押収してある一二吋三一A型ナシヨナルテレビ一台(昭和四三年押第一三一号の7)は、判示第二の罪の賍物で被害者に還付すべき理由が明らかであるから、刑事訴訟法第三四七条第一項によりこれを被害者樋口つるゑの相続人に還付し、訴訟費用は、同法第一八一条第一項但書により全部被告人に負担させない。

(判示第二の所為について窃盗罪の成立を認めた理由)

判示第二の所為は、被告人が、判示第一のように樋口つるゑを同女の居室内で殺害し、強盗殺人の罪を犯してから、同室内にテレビが存在することを思い出し、新たにこれを領得する意思を生じて、右殺害後約一四時間三〇分を経過したころ、同室内において、同女所有のテレビ一台を領得したというものであるが、かかる所為については、窃盗罪の成立を否定し、占有離脱物横領罪を構成するものと解すべきではなかろうかとの疑問も生ずる。

しかしながら、人を殺害して死亡させた者が、その後に領得の意思を生じて、被害者の生前所持していた財物を領得した場合に、加害者において、自己の殺害行為により被害者が死亡したことを認識しながら、これを利用して領得したことが認められ、かつ、殺害と領得の行われた各日時および場所につき、時間的近接性と場所的同一性があつて、その間における死体の存置、財物の存在の状況に著しい変化が加えられていないことが認められ、被害者の死亡後も、なお加害者以外の者からは、一般的に被害者が自己の財物を継続的に占有しているような外観を呈しているものとみられる場合には、そのような状態を目して、生前よりその財物を継続して所持しているものと解し、これを加害者の領得から保護することは、盗取罪において所持を法益として保護する法の目的に適するものというべきである。

これを本件についてみると、判示第一の犯行が行われた隆清荘アパート二階一二号室は、被害者樋口つるゑが独りで起居生活をしていた居室であり、昭和四三年四月一五日午前二時ごろ、同女が被告人の犯行により殺害されて死亡した後も、被告人が同室に施錠をしていて、被告人以外の者が出入りした形跡はなく、また、判示第二、第三の犯行の際も、被告人は全然その死体に触れていないのであるから、判示第三の犯行後その焼跡から、同女の死体が発見されるまで、その死体は殺害されたままの状態で同室に存置されていたものということができる。他方、前記テレビは、被害者つるゑが、昭和四一年二月ころ知人の小畠浩から購入して貰い、爾来同室内で使用していた同女所有のものであつて、同女の死亡後も被告人がこれを領得するまでそのまま右室内に置かれてあつたことが認められる。

されば、前記のように、本件は、被告人が被害者つるゑを殺害して死亡させ、そのことを認識しながらこれを利用してテレビを領得する所為に出たものであり、かつ、その殺害した場所も、テレビを領得した場所も同じく被害者つるゑの居室であつて、場所的に同一性が認められ、また、両行為の間に、約一四時間三〇分の時間的経過が存するとはいえ、この程度ではなお時間的に近接性があるものということができ、しかも、その間犯行現場の状況特に死体の存置、財物の存在の状況には、なんらの外見的変化が加えられていなかつたのであるから、このような場合に、被告人の本件テレビを領得した行為を、被害者つるゑを殺害した行為とともに全体的に考察すると、その領得の客体であるテレビについては、被告人に対する限り、同女の死亡後においても、なお右財物の継続的な所持があるものと認めるのを相当とすべく、したがつて、被告人の右領得行為を目して、他人の財物に対する所持を侵害したものと認定することは、法の目的に適し、社会通念に照らしてみても合理的であるといわなければならない。

被告人の本件所為について、占有離脱物横領罪を排し、窃盗罪の成立を認めたゆえんである。

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は、判示第一ないし第三の犯行当時、被告人は心神喪失の状態にあつたものであると主張する。

そこで、前掲各関係証拠のほか、鑑定人岡本晃、同関野博司共同作成の鑑定書、第五回公判調書中の証人中川久雄の供述部分、第六回公判調書中の証人中川ノヱの供述部分、司法警察員作成の「中川博受傷事故捜査報告書」と題する書面、医師川村民次郎作成の「御照会の件御報告」と題する書面および司法警察職員作成の「十六号室中川博夫婦の盗難被害申告について」と題する書面を総合して次のように判断する。

まず、被告人の精神病的素質を検するに、被告人は過去および現在を通じて、狭義の精神病に罹患しているものと認めうる証跡はなく、また普通域の知能水準を有していて、精神薄弱者でもないことが明らかである。ただ、被告人は精神的視野が狭隘で、極めて自己中心的なものの考え方をし、自己統御力に乏しく、短絡反応を惹き起こしやすい性格を特徴とするため、判示第一の犯行直前におけるような著しく生活に困窮した状況下では、その是非善悪の弁別に従つて行動する能力が、常人より幾分低下するに至るのではなかろうかとの疑念を生じるのであるが、鑑定人岡本晃、関野博司共同作成の鑑定書は、これらの点に関して凡そ次のような趣旨の説明をしている。すなわち、「被告人は、普通の神経症とちがつて、不適応で受け容れることのできない情緒的な緊張を、不安、恐怖、強迫、抑うつ、心気症など神経症症候によつてではなく対人関係における行動によつて表現する、いわゆる性格神経症の範疇に入る。その知能は普通であるから精神薄弱ではない。自己の内面に起こる刺戟と外界から受けた刺戟との区別がつかないわけではないから精神病とはいえない。しかし性格はかなり異常性を常びている。衝動を直ちに行動化する傾向が顕著で数々の非行を犯すので精神病質に似るが、超自我の検察が強いので精神病質ではない。心気症、高所恐怖、吃音、チツクなど普通の神経症の特徴も多少認められるが、行動が抑止されてしまう普通の神経症とは違う。ヽヽヽヽヽヽ要するに善悪の区別がつかないのではなく、行動が無意識的な動機によつて支配されるので、意識的な価値判断が行動を統制できないのである。」と述べている。

そこで、被告人の前記のような精神状態ないし作用に照らし合わせながら、さらにおもんみるに、(1)被告人は、なるほど、これまで自己中心的な考えがわざわいして、徒らに転職を繰り返し、無為徒食の怠惰な生活を続け、知り合いから借金をして、博奕やパチンコなどにつぎ込むなど、その生活は、まさに破綻に瀕する状況にまで転落していたものといいうるけれども、他方、普通の知能水準を有し、好きな機械関係方面の業務に数年間従事し、両親の経済的援助を一部受けながらも、ともかく結婚あるいは内縁の夫婦生活を続けてきたものであつて、性格に未熟な点があり、両親殊に父親に対し極めて隷属的で依存的な点は認められるにしても、日常生活には、ある程度の適応能力を有していたこと、(2)被告人は、被害者樋口つるゑが、かねて独り住まいであり、その職業や服装などから小金を蓄えているに相違ないと考え、しかも、同女の居住する一二号室の両隣りが、いずれも空室で他人に気付かれ難い状況にあり、かつ、アパートの錠が、鍵座を取り外すことによつて、ドライバー一本で開くことを既に知つているなどして忍び込み窃盗の場所を慎重に選定していること、(3)被告人は政子の常用していた赤いナイロン製手袋を着用して、指紋が残らないよう周到な注意を払つていること、(4)被告人は、飲酒酩酊して熟睡している状態の被害者に、狸寝入りをしているものとの疑惑を抱き、自己の犯行であることが発覚するのをおそれるの余り、その罪跡を隠滅するため同女を扼殺したものであり、また、同女を殺害後、死体が発見された際の犯行発覚をおそれ、被害者が寝たばこによる失火で焼け死んだものと擬装するため、放火を企てたものであつて、その各犯行は、いずれも動機が明確であり、通常人として動機と犯行との関係を了解しえないものではないこと、(5)被告人の判示第一ないし第三の犯行の態様自体には、なんら異常性が認められないし、右犯行当時においても、被告人の意識はかなり冷静かつ清明であつたと思われること、(6)被告人は、本件放火による火災以後も、何くわぬ顔でアパートの住人と応待したり、アパートの自室にとどまつて怪しまれないよう平静を装つていたのみならず、聞き込み捜査中の警察官に対し、自己も盗難被害にかかつた旨まことしやかに偽りの申告をして、他に犯人がいるように擬装工作を行つていること、(7)被告人は、内妻の政子に対し「警察官に聞かれたときは盗んだテレビは西成で買つたと言え。」と申し向け、両親に対しては「一四日夜ははつきり両親宅で寝たと言つてくれ。」と依頼してアリバイ工作など証拠の隠滅をはかつたこと、(8)前記各犯行後、被告人は極度の不安と恐怖の念にかられ、夜ひとりで目と鼻の先にある共同便所に行くことすら困難な状況に陥り、自室でポリバケツの中に用便をすませるほど深刻な動揺を受けていたこと、(9)被告人は、公判において、自分が被害者の頸部を絞扼する以前に、既に同女が死んでいたものと供述しているが、右供述は、犯行後に読んだ本件に関する新聞記事(昭和四三年押第一三一号の16ないし22)などから暗示を受けて、そう思い込もうとした単なる言い逃れの弁に過ぎないとみるべきであり、また、終始一貫して、現金六〇〇円の窃盗と殺人が別々の侵入のときになされたものである旨供述し、その点が政子の供述と全くくい違つているけれども、警察、検察庁の取調および公判を通じ、本件犯行に至るまでの経緯、本件犯行の方法、順序、態様等について極めて詳細かつ明確に記憶し、判示と同趣旨の具体的にほぼ一貫した供述を繰り返していること、(10)そして、被告人の供述内容は、鑑定人小片重男作成の鑑定書、司法警察員作成の実況見分調書等に現われている客観的犯行状況とも合致していることなどの諸事実が認められるのである。

されば、被告人の前記のような精神状態および生活歴、その他諸般の事実を総合し、当公判廷における供述態度に照らして考察すると、被告人は判示第一ないし第三の犯行当時、是非善悪を弁別し、またはその弁別に従つて行動する能力を欠如していなかつたものと認めうるは勿論、その能力が著しく減弱していた状態でなかつたこともまた明らかであるといわなければならない。

以上の次第であるから、弁護人の前記主張はこれを採用しない。

よつて、主文のとおり判決する。

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