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京都地方裁判所 昭和42年(ワ)1462号 判決 1970年7月07日

原告

小笹美枝子

被告

平和塗装工業株式会社

ほか一名

主文

被告らは各自原告に対し金一、三一八、一六三円およびこれに対する昭和四二年一二月一〇日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求は棄却する。

訴訟費用は、これを二分しその一を原告の負担、残る一を被告らの負担とする。

この判決第一項は、原告が金一〇〇、〇〇〇円の担保を供託したときは仮に執行することができる。

事実

第一、当事者の求めた裁判

一  原告

被告らは原告に対し、各自金四、〇九〇、五三六円並びに右金員に対する昭和四二年一二月一〇日より完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え

訴訟費用は被告らの負担とする

旨の判決並びに仮執行の宣言

二、被告ら

原告の請求を棄却する

訴訟費用は原告の負担とする。

旨の判決

第二、当事者の主張

一、原告

(請求の原因)

(1) 昭和四一年二月五日午前八時三〇分頃、京都市南区東九条石田町二五番地学校法人児玉学園日本整容専門学校東北四つ角路上において、西より東へ進行してきた、被告伊津庄八郎の運転する普通貨物自動車(以下本件自動車という)が原告に衝突した。(以下本件事故という)

(2) 本件事故により原告は、右大腿打撲・頭部外傷後遺症・外傷性頸部症候群の重傷を負い、加茂川病院・京都回生病院に約六カ月入院し、昭和四二年一二月現在なお、京大病院等に通院加療中である。

(3) 本件事故は、本件自動車が右四つ角にさしかかつたとき、右四つ角が見通しの悪い交差点であるところ、被告伊津において、右交差点を注視し、当然徐行すべき義務が存するにもかかわらず、対向車に気をとられ原告の発見が遅れ且何ら徐行することなくしかも道路の端に副つて進行したため原告との衝突を避け得ず発生したものである。

(4) 被告伊津は、被告会社の業務執行中に本件事故を惹起したものであり被告会社は本件自動車の保有車である。従つて被告伊津に対しては民法七〇九条の、被告会社に対しては第一次的に自賠法第三条、第二次的に民法七一五条に基き損害賠償の請求をする。

(5) 原告は、本件事故による傷病のため、治療費として、京大病院にて金二五、五六七円、南病院にて金八、二八七円、加茂川病院にて、金一四、五六三円を支出し、頸椎軟性装具代として金一、五〇〇円、入院諸雑費として金一一、六五九円、通院交通費として金二八、九六〇円を各々支出した。

(6) 原告は、事故当時、日本整容専門学校に在学していたが、本件事故により卒業が一年遅れた。原告は女性美容師として、独立の生計をたてるべく勉学に励んでおり、また美容師となる蓋然性はきわめて大きかつたが、本件事故による後遺症害によつて、原告の美容師としての道はとざされるか、すくなくとも、その労働能力は二分の一に減少した。

原告の稼働可能年数は、現在一八歳であるから、四五年であり、美容師としての最低限収入は二五、〇〇〇円である。従つて、次の算定方式により原告のうべかりし利益の喪失額は、三、四八四、五〇五円となるが、うち、二、〇〇〇、〇〇〇円を請求する。

25,000×1/2×23,2307=3,484,505

(7) 原告は本件事故により、美容師としての希望をたたれ、一七歳の青春を苦痛と不安の絶望的状況のもとにすごしたが、一時小康をえて昭和四二年五月二五日、小笹鏡三と結婚したが、原告の病状は現在もなお悪化のきざしをみせ手術の必要性もある。原告のこうむつた肉体的精神的苦痛に対する慰藉料として、金二、〇〇〇、〇〇〇円が相当である。

(8) よつて、原告は、被告両名に対し、各自右金四、〇九〇、五三六円並びに右金員に対する本件訴状が被告らに送達された翌日である昭和四二年一二月一〇日から、完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

(被告らの抗弁に対する答弁)

被告らの主張する抗弁事実は全く否認する。

二、被告ら

(答弁)

(1) 原告主張の請求原因第一項の事実は認める。

(2) 同第二項のうち、原告が大腿打撲・外傷性頸部症候群の傷害を負い入院していた事実、京大病院に通院していたことは認める。頭部外傷後遺症が存するとの事実は知らない。

(3) 同第三項の事実は否認する。

(4) 同第四項の事実中責任の点を除き認める。

(5) 同第五項の事実すべて不知

(6) 同第六項のうち、原告が事故当時、日本整容専門学校に在学中で卒業が一年遅れたことは認めるが、その余は争う。

(7) 同第七項は争う。

(抗弁)

(1) 本件事故は、原告の全面的過失に基づくものであり、被告伊津に過失はない。

本件事故の発生した四つ角は、東西方向の幅五、六メートルで歩車道の区別なく、アスフアルト舗装された道路と、南北方向の幅約二・七メートルの路地とが交差する所であり、東西道路を東進する車から見た時、南北道路の北側道路については、その北西角の家が東西道路端いつぱいに木造の袋戸のようなものを建てているため見透しが全くなく、始めて通る人には道路の存在すら気付かないような状態にある。

本件事故は、被告伊津が、右東西道路を時速一〇乃至一五キロメートル程度のいわゆる徐行速度で進行中、前方からくるタクシー一台を認め、これとの離合を考慮して、ハンドルを左に切つたとき、右南北道路の北側道路から、鞄を小協にかかえた原告が左右の安全を確かめることなく被告伊津の進行方向前方にかなりの勢いで走り出してきたため、被告伊津は突差に急制動措置をとつたが及ばず、左前部バツクミラー付近に原告が突き当たり、発生したものである。従つて、原告伊津には、徐行の点において過失はない。又、本件のように、広い道路へ通ずる路地出口の全てにおいて無謀に飛びだしてくる者のあることまで予想して停止する注意義務は存しない。さらに、原告発見後は直ちに急ブレーキを踏み約二・三メートル後には停止しているのであるから、前方注視、避譲措置にも欠けるところはない。

右のとうり、本件事故は原告の全面的過失に基づくものであり、被告両名は、本件自動車の運行に関して注意を怠らず、本件自動車には、その構造上の欠陥も機能の障害もなかつたものであるから、被告会社には、本件損害を賠償する義務はない。

(2) 仮に被告伊津に過失があるとしても、原告が遅刻を懸念する余り路地から左右の安全を全く顧慮せずに飛び出した過失は、本件事故の発生の大きな要素をなしており、少なくとも六割以上には及ぶ。

(3) 原告主張の頸椎軟性装具代一、五〇〇円と、入院諸雑費九、八五四円はすでに支払済みである。

(4) 被告らは、事故発生後原告の要求に従つて、昭和四二年二月まで、休業補償として合計金一三二、〇〇〇円を支払つており、得べかりし利益の喪失額の計算において、右金額は控除されるべきである。

第三、証拠〔略〕

理由

一、原告主張の請求原因第一項の事実及右の事故当時被告伊津が被告会社の業務執行中であつたこと、本件自動車が被告会社の保有にかかるものであることについては当事者間に争いがない。

二、被告伊津の過失の有無について

〔証拠略〕を綜合すると、昭和四一年二月五日午前八時三〇分頃京都市南区東九条石田町二五番地学校法人児玉学園日本整容専門学校東北四つ角の東西道路上(幅員五・六米)に於て、被告伊津は右学校と塗装工事の請負契約があつてそのため本件自動車を運転し、時速約二〇キロで右四つ角に差かかつたが、反対側より一台の乗用車が西進してくるのを認め之と離合のためハンドルを左に切り道路端から約一米辺りへ車を寄せて進行したが左側には南北へ通ずる幅二・七米の道路があつて、その道路から東西道路を南に横切るべく原告が急ぎ足で出て来るのを約三・三米斜左前方に発見し直ちに制動措置をとつたが及ばず本件自動車左前部フュンダー付近に原告を衝突転倒せしめた事実が認められる、右認定に反する乙第三号証、証人西尾登代子の供述部分及原告本人及被告伊津の供述部分は措信しない。

検証の結果によると右南北へ通ずる道路は東西道路からは見透しの悪い道路であるが被告伊津本人の供述によると、この附近は前記塗装の仕事のため職人の送り迎へや、監督のため絶えず通つてゐるところであるから、その見透しの悪い道路から飛出して来る者のある事は予想出来たところであり、従つて、道路端に寄らないこと、スピードを制限し、少くとも一〇キロ以内に徐行して進行すべき注意義務があるのに拘らず、当時被告伊津は対向車との離合に心を奪はれたため原告を発見することが遅れ且徐行義務を怠り、道路端に寄り過ぎた過失により本件事故を惹起したことは明かである。

三、治療費その他について

〔証拠略〕によれば、原告は、本件事故により、右大腿打撲、頭部外傷性後遺症、外傷性頸部症候群等の傷病を負い、加茂川病院、京大病院・南病院に入院・通院し、加茂川病院にて、一四、五六三円、京大病院にて二一、七三四円、南病院にて八、二八七円の医療費を各々支出し、入院諸雑費として九、八五四円を支出し、頸椎軟性装具一、五〇〇円を支出したことが認められる。しかるに〔証拠略〕によれば、右入院諸雑費に充当すべきものとして、見舞金二〇、〇〇〇円、入院保証金一〇、〇〇〇円、雑費八、八七〇円が、又頸椎軟性装具代として、一、五〇〇円が各々被告伊津から、原告方に支払れていることが認められるので、これを差引くと、合計四四、五八四円の積極的損害のあることが認められる。原告の主張する通院交通費二八、九六〇円については、これを認めるに足りる証拠はない。

四、後遺症及逸失利益について

〔証拠略〕によれば、原告は、昭和三九年中学を卒業後、美容師になるべく、昭和四〇年四月に学校法人児玉学園に入学した。昭和四一年三月には同学園を卒業し、美容師の資格試験を受け、将来は、美容師として独立する心積りであつたところ、本件事故による傷病により右学園の卒業が一年延ばされ、さらに、外傷性頸部症候群が後遺症として残存し、頭頸部痛・肩こり・四肢の倦怠感があり、立ちづめで、客相手という、美容師の仕事をするには今なお、相当の困難が伴なつている。又今後かなりの長期に渡る治療を要し、労災等級第七級に該当すること等考へ合せると原告の労働能力は二分の一に半減し、リハビリテイション等医学的な指導をすることで、相当程度回復することもありうるとしても、かかる状態は、少なくとも一〇年間は継続するものと認められる。さらに、美容師となると、証人村上恵子が、金三〇、〇〇〇円の給与を受けていることから判断しても、一月二五、〇〇〇円になるとする原告の主張はこれを認めることができる。原告が美容師の資格をとるには、本件事故に会つたときより長くとも一年はかからないことが認められ、〔証拠略〕によるとこの一年間については、被告伊津より原告に休業補償が支払われていることが認められるので、残る九年について、原告は、一月一二、五〇〇円の利益を喪失したというべきであり、ホフマン式計算によつて、中間利益を控除すると、その額は金一、〇九一、七四二円となる。

五、慰藉料について

原告が、本件事故のため病院に約六カ月間入院し、その後も引き続き、通院を続けている事実は当事者間に争いがない。又右認定事実によれば、後遺症のため、種々の肉体的苦痛を受けており、美容師としての前途にも暗い影がさしていることが認められる。原告は事故当時、一七歳であり、自己の将来に対して多くの不安を抱いている点に顧ると、慰藉料として、金一、五〇〇、〇〇〇円が相当である。

六、過失相殺の主張について

(1)  事故の発生について

前記二に述べた通り、本件事故発生場所は狭い道路より広い道路へ通じてゐる見透しの悪い箇所であるから歩行者としては狭い道路から広い道路へ出る場合は先ず右方を見て直前を通過する車の有無を確かめ次に左方を見て、前方通過に支障の無い事を確認した後初めて一歩を踏み出すべき注意義務があるが〔証拠略〕を綜合すると、当時原告はその狭い道路の奥にあるクリーニング屋に立寄り、白衣に着かへた上道路南側にある学校へ急ぎ足で東西道路へ出、左方から来る乗用車にのみ注意を奪はれ、右方の安全確認を怠り、二、三歩東西道路中央へ向け飛出したため、被告伊津の不注意と相俟つて本件事故が起つたものと認められ、その過失の割合は五割として、総損害額より相殺すべきである。右認定に反する被告本人の供述部分は措信しない。

(2)  損害額について

損害額について、原告の不摂生、不養生がその症状を悪化させ、長引かせ、そのため損害額が増大したとの被告の主張については、施行結婚等が症状に如何なる影響を与へたかの点の立証が不充分であり、従つて右主張を認めることは出来ない。

七、被告等の責任

被告伊津は前記二認定の通り直接不法行為者として又被告会社は、本件自動車の保有者であることは争ひのない事実であるから共に賠償の責任を負担すべきであり原告の損害額は、金二、六三六、三二六円であるから、過失相殺により、被告らが負担すべき額は、その五〇%の金一、三一八、一六三円と之に対する訴状送達の翌日である昭和四二年一二月一〇日以降完済迄年五分の割合の金員を支払ふ義務がある。

八、そうとすると、原告の請求は、主文の限度で理由があり、原告のその余の請求は、これを棄却し訴訟費用につき、民訴法八九条、九二条、仮執行の宣言につき、同法一九六条を各々適用して、主文のとうり判決する。

(裁判官 山田常雄)

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